呪霊操術の比名子   作:ちいさな魔女

9 / 9
比名子、新しい怪異を手に入れる

その日は雨の日だった。梅雨が明け、夏の暑い季節にも関わらず、雨の匂いと湿った熱気が混ざり合う、じめじめとした梅雨の終わりの午後。

 

放課後の住宅街を、比名子はビニール傘を差して一人歩いていた。

 

美胡や汐莉は「買い物に行く」と言って先に帰宅しており、珍しく一人の帰り道。スニーカーが水たまりを跳ね上げる音だけが静かに響く。

 

その時――

 

ポリ……ポリ……。

 

背後から、雨音に混じって微かに聞こえる異音。

 

比名子は足を止め、振り向くことなく、右手に盾の呪具をそっと持ち、何時でも戦えるように構える。

 

???「……私、今……あなたの後ろにいるの……」

 

小さく、震えるような幼い声。

 

都市伝説としてあまりにも有名な言葉。だが、その声に含まれているのは、人間を恐怖に突き落とすような悪意ではなく――引き裂かれそうなほどの寂しさと、深い悲しみだった。

 

比名子はゆっくりと振り返る。

 

そこに立っていたのは、雨に濡れ、継ぎはぎだらけの古いドレスを着た小さな人形――『メリーさん』だった。

 

メリーさんの身体からは、普通の人間なら正気を失うほどの強烈な怨念と呪気が漏れ出している。だが、その瞳にはポロポロと透明な涙が溢れていた。

 

メリーさん「……また、捨てられちゃった……」

 

メリーさんは小さな手で顔を覆い、ポツリと呟いた。

 

メリーさん「あの先生は……とっても温かかった……。『もう誰も傷つけなくていいんだよ』って、頭を撫でてくれた……。だから、私……あの子たちを襲うのをやめて、お空に行こうとしたの……」

 

メリーさんの声が途切れ、身体の周りの呪気が不気味に黒く蠢く。

 

メリーさん「……でも、行けなかった……。私の呪いが……怨念が強すぎて、お空の光に弾かれちゃったの……。心が救われても、この身体の呪いは消えてくれなかった……! また狂いそう……また、子供たちを傷つけちゃう……! お願い、誰か……私を消して……!」

 

かつて、ぬ~べ~のような温かい霊能力教師に出会い、人の温もりに触れて心を開いた。

 

しかし、持ち主に捨てられた大量の玩具たちの呪いが深すぎたせいで、成仏することすら許されず、再び狂気へ落ちようとしている。

 

襲われる子供たちも、救われたはずのメリーさん自身も、あまりにも救いがない理不尽。

 

比名子は静かに傘を傾け、メリーさんの頭の上に雨避けとして差し伸べた。

 

比名子「……消さないよ」

 

メリー「え……?」

 

比名子はしゃがみ込み、メリーさんの涙で汚れた頬を優しく指で拭う。

 

比名子「消させないし、捨てない。……私、生きる希望なんてないんだ。でも、誰にも殺されたくないから、恐ろしい怪異たちをいっぱいお腹の中に溜め込んで、一緒に生きてる」

 

比名子は自分の胸元に手を当て、静かに笑ってみせた。

 

比名子「私のところに来て。うちにはね。貞子も、伽椰子も、俊雄も、チャッキーもいる。みんないつも賑やかで、誰かを捨てるような奴なんて一人もいないから。……もう、絶対に寂しくさせない」

 

メリーさんは目を見開いた。

 

比名子の言葉に嘘がないこと。そして、彼女が自分を「恐怖の対象」としても「消すべき悪霊」としても見ず、ただ「一緒に生きる居場所」として受け入れようとしていることを察したのだ。

 

メリー「……本当に? 私……ずっと、側にいていいの……?」

 

比名子「うん。ずっと一緒」

 

比名子が右手を差し出すと、メリーさんは固く結ばれていた呪いの緊張を解き、自らその小さな手を取り、比名子の掌の上へ乗せた。

 

『呪霊操術』が発動する。

 

メリーさんの身体が優しく解け、黒く温かい呪力の球体――『怪異玉』へと収束していく。

 

そこには一切の抵抗も、恐怖を煽る悪意もなかった。ただ、居場所を見つけた安堵の気配だけが残されていた。

 

比名子は手のひらの上の怪異玉を見つめ、意を決して口の中へ放り込み、ゴクンと呑み込んだ。

 

比名子「……っ……ゲホッ……!」

 

喉を通る、いつもの不快な感覚。

 

『血と油の混ざった海水』――家族を失ったあの事故の記憶。

 

だが、今回はその最悪な味の奥底に、ほんの少しだけ「古びた木綿と綿の匂い」のような、どこか懐かしく温かい風味が残っていた。

 

比名子は口元を拭い、荒い息を整えて立ち上がる。

 

比名子「ハァ……ハァ……ごめんね、不味い顔しちゃって。……帰ろう、メリーさん」

 

影の中から、微かに「うん……!」という嬉しそうなメリーさんの声が響いた気がした。

 

――――――――――――――――――――――

 

雨が降り続く帰り道。

 

比名子が自宅の玄関を開けると、案の定、居間から大騒ぎの声が聞こえてきた。

 

美胡「あー! 比名子おかえり! あやめが勝手にうちの冷蔵庫のプリン食べた!!」

 

あやめ「あらあら、比名子ちゃんのお母さん代わりとして毒味をしてあげただけよぁ♪」

 

汐莉「図々しい二口女め、比名子のアイスに手を出したらタダじゃおきませんよ!」

 

相変わらずのカオスな我が家。因みに、美胡と汐莉も比名子の家で暮らす事にしたのだ。二人が同居するきっかけは、あやめが二人に提案したからだ。

 

あやめ『もし二人が良いのなら、比名子ちゃんと共に暮らさない?その方が二人も、比名子ちゃんを護れるでしょ?』

 

その問いに、二人が拒否する選択肢は無かった。寧ろ美胡としては、比名子の両親が子供の頃から見守ってきた事もあって、同居出来る事は有り難かった。汐莉としても、比名子を食べる為に比名子と共に居る事に、なんの抵抗も無かったのだ。

 

比名子は苦笑しながら傘を立てかけ、居間へと足を踏み入れた。

 

比名子「……ただいま。みんな、新しい同居人を連れてきたよ」

 

比名子が影に意識を向けると、そこからちょこんと、綺麗に解れの手入れをされたドレスを着たメリーさんが姿を現した。

 

メリー「……私、今……あなたの家にいるの……♪」

 

居間の隅で転がっていたチャッキーが「おいおい新顔か?」とナイフを弄び、テレビの中の貞子がすっと首を傾げ、俊雄が床を叩いて歓迎する。

 

あやめ「あらまぁ! 可愛いお客様ねぇ! 洋服のボタン、取れかけてるから直してあげるわ」

 

メリー「ほんと……? ありがとう、お姉ちゃん……!」

 

あやめさんに抱きかかえられ、照れくさそうに微笑むメリーさん。

 

生きる希望は相変わらず見つからないけれど、冷たい雨の日に出会った悲しい人形に居場所を与え、また一つ「生き延びるための手駒」と「賑やかな家族」を増やした比名子。

 

少女の過酷で、ほんの少しだけ温かい日常は、雨上がりの空のように静かに続いていく。

 

―――――――――――――――――――――――

 

それから一週間後。

 

比名子、美胡、汐莉の三人は学業をこなしつつも、めまぐるしく忙しい日々を送っていた。

 

夢と現実の大きな脅威を退けたとはいえ、世の中に怪異の種が尽きることはない。高専の補助監督からの急報、巷の霊媒師からの手に余るお祓いの打診。さらには専門機関である『JSP』や『都市伝説解体センター』といった外部組織からの協力要請まで舞い込み、比名子は各地の怪異現場を精力的に回っていた。

 

もちろん、すべては「自分が殺されないための手駒(コマ)」を増やすためだ。

 

『ぴえん』(ネットミーム/現代怪異)

雑居ビルの地下道にて遭遇。けたたましい効果音と共に、ウルウルとした巨大な黄色の顔面を持つ全身黄色の人型の異形が超高速で走ってきたが、比名子の指示で『テケテケ』と『アクロバティックサラサラ』が挟み撃ちにして足止め。身動きが取れなくなったところを間髪入れずに『怪異玉』化。味は人工甘味料を大量に混ぜ込んだような、安っぽく酷い後味の海水。

 

『ハギーワギー』(海外玩具の怪異)

廃玩具工場でのJSP共同調査にて出現。通気口から縦横無尽に伸びる青く長い手足と何重もの鋭い歯で奇襲をかけてきたが、影から出現した『チャッキー』のナイフ攻撃と『あやめ』の大斧による一撃で長手を切り払われ無力化。即座に取り込まれた。味は古びたスポンジと化学繊維を噛み千切ったような海水。

 

『青鬼』(都市伝説系怪異)

都市伝説解体センターの依頼で向かった封鎖済みの旧館にて。巨大なブルーベリー色の頭部を持つ怪物が閉鎖空間で襲い掛かってきたが、『ムリカベ』と『ぱ』が肉壁として通路を完全封鎖。退路を失った青鬼の顔面に比名子が盾の角を叩き込み、そのまま強制調伏。味は腐りかけた果実と泥が混ざったような最悪の海水。

 

数々の怪異を胃袋に収め、比名子の「怪異コレクション」はより凶悪に、そしてバラエティ豊かに強化されていった。

 

そして週末、郊外の寂れた歓楽街跡地。高専からの特級警戒指定を受けて出動した比名子たちを待ち受けていたのは、異次元の呪気と威圧感を放つ二体の妖怪だった。

 

???「アハハハハ! なになにぇ、このガキども! アタシたちの美しさにひれ伏しに来たのぉ!?」

 

絢爛豪華な帯を全身から蠢かせ、屋根の上で狂笑する女妖怪――堕姫。

 

そしてその背中の肉からヌルりと這い出し、不気味に体を折り曲げるガリガリの男妖怪――妓夫太郎。

 

???「なぁ……いいなぁ、お前ら……綺麗で、仲間が多くてよぉ……。鷲掴みにして、臓物ぶちまけて殺してやるよ……!」

 

妓夫太郎が両手に持った血の鎌を打ち鳴らすと、黒赤い毒の刃風が空間を削り取りながら暴風となって押し寄せた。

 

比名子「全員、下がって!!」

 

比名子が叫ぶと同時に、『ムリカベ』が前線に展開するが、妓夫太郎の猛毒の血鎌は一撃でムリカベの巨体を裂き、ドロドロと腐食させていく。さらに上空からは堕姫の伸縮自在の帯が無数に降り注ぎ、逃げ場を完全に塞いだ。

 

汐莉「チッ……! なんという質量の攻撃ですか!」

 

汐莉が腕を変異させて帯を切り払うが、切断された帯は即座に再生し、縦横無尽に刃となって跳ね回る。

 

比名子「美津子、水場を! 百々目鬼、牛鬼、押し返して!」

 

水が一帯を覆い、牛鬼の巨体と百々目鬼の腕が前線を支えるが、妓夫太郎の異常なスピードと猛毒の連撃は止まらない。

 

百々目鬼「速い……!」

 

牛鬼「フガァ……!これぐらいにしといてやる!」

 

百々目鬼は猛毒の刃を回避するのが精一杯で、牛鬼も帯に巻き付かれて転倒してしまう。二体が不利と判断した比名子は、即座に二人を霧散させて引っ込めた。

 

二体で一つの生命体――片方を倒しても、もう片方が生きている限り絶対に死なないという異形の連携。

 

妓夫太郎「死ねぇぇぇ! 円斬旋回・飛び血鎌!!」

 

広範囲を薙ぎ払う血の刃。比名子は両手の盾を交差させ、ギリギリで直撃を防ぐが、衝撃で後方へ吹き飛ばされる。

 

比名子「くっ……っ……!」

 

堕姫「ウフフ! 終わりよ、みすぼらしいガキ!」

 

死角から堕姫の帯が比名子の喉元へ刺し貫こうと迫る――その時。

 

あやめ「――私の可愛い比名子ちゃんに、手を出さないでちょうだい!」

 

ドカァァン!!

 

頭上から舞い降りた『千羽あやめ』の大斧が堕姫の帯を豪快に叩き割り、後ろの巨大な口から伸ばした舌で堕姫の胴体をガッチリと捕縛した!

 

堕姫「なっ……なんなのよこの女ぁぁぁ!?」

 

さらに影の中から、新しく加わった『メリーさん』が冷たい声を響かせる。

 

メリー「……私、今……あなたの後ろにいるの……♪」

 

妓夫太郎「なぬっ!?」

 

背後にノータイムでテレポートしたメリーさんの呪気が、妓夫太郎の一瞬の隙を生み出した。

 

比名子「今だ……! 頼むよ、みんな!!」

 

比名子の合図とともに、総力戦が始まった。

 

水面から『ゴーストシャーク』が跳ねて妓夫太郎の腕を噛み砕き、『青鬼』の巨体が堕姫の退路を力任せにブロック。『ぱ』が猛毒の血鎌を呑気に受け止めている間に、『テケテケ』と『ぴえん』が超高速で二体の足元を攪乱する。

 

二体のコンビネーションが完全に瓦解した瞬間、比名子は盾を構えて一気に間合いを詰めた。五条との特訓で培った鋭い踏み込み。

 

比名子「ハァぁぁぁっ!!」

 

ガキィィン! ドゴォォン!

 

左の盾で妓夫太郎の鎌を弾き返し、右の盾の角を堕姫の胸元へと叩き込む。

 

二体が吐血し、同時に体勢を崩して重ね合わさるように地面へ倒れ伏した。

 

妓夫太郎「お、おれ達が……こんなガキ共と……妖怪どもに……!」

 

堕姫「嫌よぉぉぉ! お兄ちゃん、助けてぇぇぇ!!」

 

互いを呼び合いながら倒れる兄妹妖怪。比名子は息を荒げながら、二体の真上へと歩み寄った。

 

比名子「片方だけじゃ意味がない……二人まとめて、私の手駒になってもらう」

 

比名子は両手を同時に突き出し、術式を最大展開する。

 

黒いドロドロとした呪力の渦が二体を包み込む。互いを抱き締め合うように抵抗していた妓夫太郎と堕姫の肉体が急速に分解され、二つの球体――『怪異玉』へと収束していった。

二つの黒い玉が、比名子の両手に収まる。

 

汐莉「ハァ………特級クラスの二体同時調伏、見事です、比名子」

 

あやめ「大丈夫、比名子ちゃん? 怪我はない?」

 

比名子「……うん。大丈夫……」

 

二つの怪異玉を見つめる。

 

片方ずつ飲み込めば、それだけあの『トラウマの味』を二度味わうことになる。比名子は意を決すると、二つの怪異玉を同時に口の中へと押し込み、つっかえそうになるのを躊躇わずに一気にゴクンと飲み込んだ。

 

比名子「――――――っ!!!? ゲホッ……ガハッ……!!」

 

激痛のような吐き気が全身を襲う。

 

いつもの『血と油の混ざった海水』。そこに、腐敗した毒血の生臭さと、焦げた高級絹織物の匂いが最悪の形で混ざり合い、胃袋を焼き尽くすかのような衝撃が突き上げる。

 

比名子は地面に両手をつき、涙をボロボロとこぼしながら必死に吐き気を堪えた。今にも吐き出しそうだが、なんとか堪える。

 

比名子「ハッ……ハァ……ガハッ……!! 呑み……込んだ……っ……!」

 

喉を掻きむしりながらも、胃の底へ二体の魂を完全に沈めつける。

 

これで、毒と切断を司る最強の双子妖怪すらも、彼女が生き延びるための『駒』となった。

 

あやめ「よく頑張ったわね、比名子ちゃん……!」

 

美胡「比名子!しっかり!ほら、水飲んで!」

 

汐莉「比名子。私を見てください」

あやめが優しく抱き起し、背中を擦ってくれる。美胡は50mlのペットボトルに入った水を持ってきてくれた。勿論未開封である。汐莉は比名子の頬を掴み、目を合わせてくる。

 

比名子は荒い息を吐き出しながら、空を見上げた。久々の強敵との戦い。仕事を成し遂げた比名子達は、漸く帰路に着くのだった。因みに帰りは、伊地知の車で送ってもらった。

 

―――――――――――――――――――――――

 

「二体同時呑み込み」の激痛と最悪な胸やけから一夜明け。

比名子の実家――かつては静かだったはずの居間は、朝から不穏すぎる熱気に包まれていた。

 

妓夫太郎「……なぁ、梅。ここ、どこだぁ? なんで周りに妙な化け物ばかりいるんだよぉ……」

 

居間の壁際に縮こまり、ガリガリの身体を折り曲げて周囲を警戒しているのは、昨日取り込まれたばかりの妖怪・妓夫太郎。

 

その隣では、妹の堕姫が豪奢な帯を逆立てて、プンプンと怒りを露わにしていた。

 

堕姫「ちょっと何なのよこのみすぼらしい家はぁ! 私たちをこんなボロ家に閉じ込めるなんてどういうつもりよ! おまけに……なんなのあの女たち!!」

 

堕姫が激しい血相で指差した先には、ちゃぶ台を囲んで優雅に朝のお茶を啜る面々がいた。

 

あやめ「あらあら、新顔の妹さん、朝から元気ねぇ。お腹空いてるなら、お姉さんが朝ごはん作ってあげましょうか?」

 

堕姫「誰がお前なんかの料理食べるかぁ! っていうかアンタ、後ろの首にデカい口があるじゃない! 気持ち悪いわねぇ!」

 

あやめ「ふふ、お口が悪い子ね。おしおきが必要かしらぁ?」

 

あやめがニコニコと微笑みながら大斧の柄を撫でると、一瞬にして空気が凍りつく。

 

さらに、反対側の畳からは――

 

美胡「ちょっと比名子! なんでまたこんな柄の悪い二人組連れて帰ってきてんの! 特にそのガリガリ男、うちの畳に毒の血とか垂らしたら絶対許さないからね! 土地神として!!」

 

美胡が無意識に顕現したキツネ耳をピクピクさせながら威嚇すれば、廊下の影からは汐莉が冷たい瞳で二人を睨みつける。

 

汐莉「比名子の胃袋に大人しく収まった駒の分際で、騒がしくしないでいただけますか? 叩き潰しますよ」

 

妓夫太郎「……あぁ? なんだその目はよぉ。俺と梅をバカにしてんのか? ぶっ殺すぞ……!」

 

ギスギスと一発触発の空気が漂う中、居間のテレビが突如としてザザッとノイズを走らせた。

 

――画面から、ぬるりと半身を競り出してくる黒髪の女、貞子。

 

さらに押入れの隙間からは、首をコリコリと鳴らしながら伽椰子が這い出し、その背後で俊雄が「ニャー」と鳴く。

 

堕姫「ひっ……!? な、何よアイツら! 顔が見えないし、動きが気味悪すぎるのよぉぉっ!!」

 

普段は人間を恐怖の底に叩き落とすはずの凶悪な妖怪・堕姫だが、Jホラーの金字塔たちの「理由なき生理的な気味悪さ」には思わずひるみ、妓夫太郎の背中にサッと隠れた。

 

妓夫太郎「梅、下がってろ……! 俺がまとめて切り刻んで――」

 

妓夫太郎が血の鎌を構えかけた、その時。

 

比名子「――二人とも、静かにして」

 

二階から降りてきた比名子が、眠たそうな目を擦りながら居間に入ってきた。

 

その手に握られているのは、五条から譲り受けた二つの「盾の呪具」。比名子が静かに呪力を込めた瞬間、呪霊操術の絶対的な主従関係の圧が、妓夫太郎と堕姫の全身に重くズシリと圧しかかった。

 

妓夫太郎・堕姫「「っ……!?」」

 

比名子「ここでは喧嘩禁止。畳を汚したら、一日中『ひも爺』の能力で空腹のまま放置するからね」

 

ひも爺「ひもじいのぉ〜」

 

比名子の傍らにちょこんと出現したひも爺のシュールな姿と、比名子の冷ややかで容赦のない宣告に、さっきまで威勢の良かった双子妖怪は一瞬で毒気を抜かれた。

 

あやめ「ほらぁ、比名子ちゃんが起きてきたんだから、仲良くしなきゃダメでしょ? 妓夫太郎くんも、梅ちゃんも」

 

堕姫「う、梅って呼ぶなぁ! アタシは堕姫よ!」

 

美胡「もうっ、比名子! 居間が狭すぎるって言ってるでしょ! ぴえんは部屋の隅でウルウルしてるし、青鬼は廊下に詰まってるし、ハギーワギーは鴨居に引っかかってるし!」

 

比名子「……大丈夫だよ美胡ちゃん。大きい怪異は影の中に引っ込めてあるし、いざとなれば全員しまい込めるから」

 

比名子はちゃぶ台の前にぽてんと座ると、あやめが淹れてくれた温かいお茶に口をつけた。

 

喉の奥には、まだ昨日の二体を飲み込んだ時の『腐敗した毒血と焦げた絹織物の味』がほんのり残っていて、少しだけ胃が重い。

 

メリー「……私、今……あなたの後ろにいるの……♪」

 

ふっと背後にテレポートしてきたメリーさんが、比名子の肩をトントンと叩き、コンビニの掌サイズのアイスが入ったカップ、それもチョコ味を差し出してきた。

 

比名子「……メリーさん、ありがとう。……朝からアイス、助かる」

 

堕姫「……なによ、アイツ。私たちを従えてるくせに、ちっとも威張らないで……アイスなんか食べて……」

 

妓夫太郎「……フン。変なガキだぜ。だが……まあ、俺たちをゴミみたいに捨てたりはしねえみたいだな……」

 

文句を言いながらも、あやめが出したお菓子を隅で隠すようにして食べ始めた妓夫太郎と堕姫。

 

貞子はテレビの中に引っ込み、伽椰子は俊雄と並んで畳の上でのんびり日向ぼっこを始める。

 

生きる希望なんて相変わらずどこにもない。しかし、不気味で、凶悪で、けれどどこか賑やかな「手駒たち」に囲まれて、比名子の少しおかしな日常は今日も静かに過ぎていくのだった。

 

―――――――――――――――――――――――

 

翌週の平日。朝のホームルーム前、爽やかな光が差し込む地元の高校の教室。

 

いつものように窓際の席で静かに教科書を開いていた比名子の耳に、前の席で机を寄せて盛り上がっていた女子生徒たちの話し声が飛び込んできた。

 

クラスメイト「ねえ、聞いた? 隣町の綾瀬さんちの方のトンネルの噂」

 

クラスメイト「あー、あの心霊スポットのやつ? また出たの?」

クラスメイト「ううん、今度のやつマジでやばいらしいよ。車で走ってたら、あり得ないスピードで走るお婆婆が追いかけてくるんだって!」

 

クラスメイト「ハハッ、何それ! ターボババアってやつ? 古っ!」

 

クラスメイト「それが笑い事じゃないんだってば! 実際に見たって人が何人もいて、最近マジで目撃情報多いんだから……」

 

ターボババア――。

 

100km/hを超える超高速で疾走し、遭遇した者に呪いを振り撒くというあまりにも有名な都市伝説。

 

比名子(……ターボババア……)

 

比名子は動かしていたシャープペンの手を止め、窓の外を静かに見やった。

 

今まで取り込んできた『テケテケ』や『アクロバティックサラサラ』も相当なスピードを誇るが、都市伝説としての知名度と歴史、そして人々の恐怖を集めて変質した「ターボババア」の呪気は、おそらく別格だ。

 

汐莉『……比名子』

 

後ろの席の影が微かに揺れ、比名子だけに聞こえる音量で汐莉の冷ややかな声が響く。

 

汐莉『噂の怪異ですか? “足”としてなら、テケテケで十分に足りますけれど』

 

比名子『……ううん。ただの足じゃなくて、もし本当に実在するなら……あの速度とパワーは、また新しい『駒』として魅力的かも』

 

比名子はノートの端に、小さく「ターボババア / トンネル」と書き留めた。

 

どれだけ凶悪な怪異であろうと、どれだけ高速で疾走しようと、自分が生き延びるため、誰にも殺されないための手駒にできるなら、いくらでも胃袋に収めて見せる。

 

クラスメイト「ねえ八百歳さん、なんか噂聞いたことある? あのトンネルのこと」

 

不意にクラスメイトの女子から声をかけられ、比名子は素早くノートを閉じると、いつもの少し儚げな笑みを浮かべて首を振った。

 

比名子「ううん、あんまり……。でも、夜のトンネルには近づかない方がいいかもね」

 

そう答える比名子の瞳の奥には、新たな強者(ごちそう)を見据える「呪霊操術師」としての静かな光が宿っていた。




次回、比名子、ターボババアと戦う
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。