無尽長屋記   作:角筈律

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第十二話をお読みいただきありがとうございます。

今回は、秋姉妹との日常と、天子の新しい挑戦を描いています。
よろしければ、最後までお付き合いいただければ幸いです。


第十二話、造花

その日、紫苑は洗濯物を抱えて、いつものように井戸端へと向かった。

 

すでに顔馴染みとなった秋姉妹――穣子と静葉が、莚を広げて内職に精を出している。紫苑が近づくと、穣子が真っ先に顔を上げた。

 

「――あら、紫苑さん。おはよう」

 

「おはよう。今日も精が出るのね」

 

紫苑がそう返しながら、莚の上に広げられた品々に、何気なく目をやった。いつもの木の実細工や籠と並んで、見慣れないものが置かれていた。

 

「――それ、何?」

 

紫苑が指し示したのは、色とりどりの布切れで作られた、小さな花だった。椿に似た形のもの、桜のように花弁の薄いもの、名も知れぬ形のもの。どれも、精巧な手仕事で作られているのが、一目で分かった。

 

「ああ、これ。造花よ」

 

穣子が、その中の一つを手に取り、紫苑に見せた。

 

「最近、これも内職の口に加えたの。着物の髪飾りとか、簪の飾りに使われるんですって」

 

「――綺麗ね」

 

紫苑は思わず、感嘆の声を漏らした。布地を幾重にも重ね、糊で固め、細かな皺を寄せて花弁の質感を出す。単純な作業には見えなかった。

 

「これ、作るの、静葉なの?」

 

「そうよ。姉さん、こういう細かい作業、得意なのよね」

 

穣子がそう言うと、静葉は手元の作業を続けながら、ちらりと視線だけをこちらに向けた。

 

「誰でもできるわよ、慣れれば」

 

そっけない口調だったが、その手つきは、確かに熟練したものだった。指先で花弁の一枚一枚を丁寧に整え、糊で形を固定し、芯を通していく。見ているだけで、その繊細さが伝わってきた。

 

「これ一つで、いくらくらいになるの」

 

紫苑が尋ねると、穣子が指を折りながら答えた。

 

「一輪、三十円ってところね。傘一本には及ばないけど、材料費が安く済む分、悪くない実入りよ」

 

「へえ」

 

紫苑はしばらく、静葉の手元を見つめていた。単価だけを考えれば、傘張りの方が実入りは良い。だが、こうして出来上がっていく花の美しさには、単なる実入り以上の、何か惹きつけられるものがあった。

 

ちょうどその頃、天子もまた、水を汲みに井戸端へとやってきた。

 

「あら、天子さんも。おはよう」

 

穣子が声をかけると、天子は軽く手を上げて応えた。

 

「おはよう。何、それ」

 

天子の視線もまた、莚の上に並んだ造花に吸い寄せられていた。桶を置くのも忘れて、しゃがみ込み、まじまじとその花を眺めている。

 

「これ、布で作ってるの?」

 

「そうよ。よく分かったわね」

 

「分かるわよ、それくらい。でも、よくできてる」

 

天子は、静葉が作業する手元を、食い入るように見つめた。糊を含ませた刷毛が、花弁の縁を薄く撫でる。その一連の動きに、天子はすっかり魅入られていた。

 

「ちょっと、触ってもいい?」

 

天子が完成した一輪を指差すと、静葉は少し戸惑いながらも頷いた。

 

「――いいけど、丁寧にね。壊れやすいから」

 

天子はその花を、そっと手に取った。指先に伝わる、思っていたよりも軽く、それでいて確かな造形。花弁の一枚一枚が、微妙に反り返り、まるで本物の花のような陰影を作り出している。

 

「――すごいじゃない、これ」

 

天子は、素直にそう零した。その声には、傘作りの時とはまた違う、純粋な感嘆が滲んでいた。

 

「私も、作ってみたいわ、これ」

 

その一言に、紫苑が横から口を挟んだ。

 

「――あんた、傘作りだけでも手一杯じゃないの」

 

「別に、両方やったっていいでしょ。それに」

 

天子は、手の中の造花を、名残惜しそうに見つめながら続けた。

 

「――なんか、綺麗なもの、作ってみたい気分なのよ。傘も悪くないけど、こういうのも、ちょっと憧れるじゃない」

 

その言葉に、静葉が意外そうな顔をした。

 

「――憧れる、とは、また大層な」

 

「悪い? 別に、いいでしょ、こういう気持ち」

 

天子が唇を尖らせると、穣子が笑いながら間に入った。

 

「いいじゃない、やってみれば。姉さん、教えるの上手いのよ」

 

「――穣子」

 

「本当のことじゃない」

 

穣子にそう促され、静葉は少し困ったような顔をしたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「まあ、いいわ。簡単な型から、見せてあげる」

 

静葉はそう言うと、手元の道具を、天子の前へと少しだけ押し出した。布切れ、糊、竹串、そして小さな鋏。それだけの道具が、これほど繊細な花を生み出しているとは、天子にはまだ、信じがたいことだった。

 

「今度、道具、揃えてくるわ」

 

天子は、そう意気込んだ様子で言った。紫苑はその横顔を見ながら、小さく苦笑した。

 

「物好きね、あんたも」

 

「うるさいわね。やってみたいと思ったの、悪い?」

 

「別に、悪くはないけど」

 

紫苑はそう言いながらも、天子のその意気込みに、どこか微笑ましいものを感じていた。これまで、傘作りという一つの技術に没頭してきた天子が、また新しい何かに手を伸ばそうとしている。それは、悪くない兆しのように思えた。

 

その日の夕方、天子は早速、静葉から分けてもらった端切れと、道具一式を畳の上に広げていた。

 

「――さて、と」

 

天子は、静葉の手つきを思い出しながら、布切れを手に取った。花弁の形に切り出し、糊を薄く伸ばし、指先で丸みをつける――見ていた時は、いとも簡単そうに見えた作業だった。

 

「こう、かしら」

 

布切れに鋏を入れる。だが、出来上がった形は、花弁というより、ただの歪んだ布の切れ端にしか見えなかった。

 

「まあ、最初だしね」

 

天子は気を取り直し、次の一枚に取りかかった。だが、二枚目も、三枚目も、思うような形にはならなかった。糊のつけ方も、静葉のように薄く均一にはいかず、べたりと厚く乗ってしまう。乾かしてみれば、案の定、皺だらけの、不格好な花弁が出来上がっていた。

 

「なんで…?」

 

傘作りの時は、こんなに苦労しなかったはずだった。むしろ、体が勝手に動くような感覚さえあった。それなのに、この造花という作業だけは、まるで勝手が違った。指先が、思うように、その繊細さについていかない。

 

天子は、何度も何度も、同じ工程を繰り返した。だが、出来上がるのは、歪な花弁ばかりだった。畳の上には、失敗作の山が、次第に積み上がっていった。

 

「何、これ」

 

夕餉の支度を終えた紫苑が、部屋に戻ってきて、その光景に目を丸くした。畳の上に散らばった、無残な布の切れ端たち。とても、花と呼べる代物ではなかった。

 

「見りゃ分かるでしょ。造花よ」

 

天子は、むきになったようにそう答えた。だが、その声には、隠しきれない疲労と、苛立ちが滲んでいた。

 

「全然、花に見えないけど」

 

「うるさいわね!今、練習中なのよ!」

 

天子は声を荒げながら、また新しい布切れに手を伸ばした。だが、手元は、すでに疲れからか、震え始めていた。糊の量を間違え、布地がべったりと崩れる。

 

「あーもう!」

 

天子は、その失敗作を、投げ出すように畳に叩きつけた。

 

「なんでよ、こんなの!傘の時は、あんなに簡単だったのに!」

 

紫苑は、その様子をしばらく黙って見ていたが、やがて、静かに口を開いた。

 

「あんた、力み過ぎよ」

 

「は?」

 

「傘の時は、糊を伸ばす動きも、紙を張る動きも、大きくて単純だったでしょう。でも、これは違う。もっと繊細な、指先だけの動きが要るのよ」

 

紫苑は、天子の手から、失敗した布切れを、そっと取り上げた。

 

「見て。あんた、力任せに糊を押し付けてるだけ。静葉さんは、もっと軽く、撫でるみたいに伸ばしてたでしょう」

 

紫苑の指摘に、天子は一瞬、言葉を詰まらせた。

 

「そんなの、見りゃ分かってるわよ」

 

「分かってるなら、なんでできてないのよ」

 

紫苑の物言いは、決して意地悪なものではなかった。ただ、率直で、どこまでも現実的だった。それが、かえって天子の苛立ちを、余計に煽った。

 

「うるさいわね!得意なことと不得意なことくらい、誰にでもあるでしょ!」

 

天子は、そう吐き捨てるように言うと、道具を乱暴に脇へと押しやった。

 

「もう、いいわ。これは、やめる」

 

その一言に、紫苑は少し驚いたような顔をしたが、それ以上、何も言わなかった。ただ、畳に散らばった失敗作を、静かに片付け始めた。

 

天子は、そっぽを向いたまま、しばらく黙り込んでいた。悔しさと、苛立ちと、そして、思うようにいかない自分自身への、名状しがたい不甲斐なさが、胸の中で渦を巻いていた。

 

その夜、二人は、それ以上、造花の話をすることはなかった。畳の隅には、失敗作の山が、静かに積まれたまま、取り残されていた。

 

それから数日、天子は造花のことを、意識して口にしないようにしていた。傘作りの内職に、いつも通り精を出し、それなりの成果も上げていた。

 

だが、ある晩のことだった。

 

傘作りの手を止め、一息ついた時、天子の視線が、部屋の隅に片付けられたままの道具箱に、ふと向いた。静葉から分けてもらった端切れの残りが、まだそこに、そのまま入っていた。

 

「別に、いいでしょ、ちょっとくらい」

 

誰に言い訳するでもなく、天子は道具箱を引き寄せていた。気づけば、指先は、布切れを一枚、つまみ上げていた。

 

あの日のような苛立ちは、なぜか湧いてこなかった。ただ、静かに、糊を薄く伸ばし、花弁の形を整えていく。それは、練習というよりも、なんとなく手が動いてしまう、というような感覚だった。

 

出来上がったものは、やはり歪だった。だが、以前ほどの無残さは、少しだけ薄れているようにも見えた。

 

「ふうん」

 

天子は、その出来を、しばらく眺めた。悪くない、とまでは言えなかったが、少なくとも、投げ捨てたくなるほどの出来でもなかった。

 

翌日、紫苑は、朝の水汲みから戻ってきて、部屋の片隅に、また新しい布の切れ端が積まれていることに気づいた。

 

「あんた、これ」

 

「べ、別に。ちょっと、暇だっただけよ」

 

天子は、明らかに気まずそうな顔で、視線を逸らした。紫苑はその様子に、思わず小さく笑ってしまった。

 

「やめるって言ってなかった?」

 

「言ったわよ。言ったけど……なんか、気づいたら、やってたのよね」

 

天子は、決まり悪そうに頭を掻きながら、そう答えた。その物言いには、自分でも説明のつかない、素直な戸惑いが滲んでいた。

 

「別に、上手くなろうと思ってるわけじゃないのよ。ただ、なんとなく、手が動くというか」

 

「――ふうん」

 

紫苑は、それ以上、深く追及しなかった。ただ、畳の隅に積まれた、まだまだ拙い出来の造花を、一つ手に取ってみた。

 

「これ、前よりは、少しましね」

 

「でしょう?」

 

天子は、少し得意げに顔を上げた。その表情には、以前の苛立ちも、投げやりさも、もう見当たらなかった。ただ、何かに夢中になっている者特有の、素直な熱が宿っていた。

 

紫苑は、その様子を眺めながら、ふと思った。

 

こういうのを、趣味って言うのかしらね。

 

やめるつもりだったはずのものに、いつの間にか手を伸ばしてしまう。上達しているかどうかも、まだ分からない。それでも、続けてしまう。それは、切実な生活の必要からくる内職とは、また少し違う、何か別の種類の営みのように、紫苑には思えた。

 

「まあ、いいんじゃない。好きにやれば」

 

紫苑がそう言うと、天子は照れ隠しのように、また道具箱に向き直った。

 

「言われなくても、そうするわよ」

 

部屋の隅では、あの小さな魚が、変わらず気ままに、茶碗の中を泳ぎ続けていた。その傍らに、少しずつ数を増やしていく、拙くも確かな、天子だけの造花が、静かに並び始めていた。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

やめたはずなのに、気づけばまた手を伸ばしてしまう――そんな感覚を、天子を通して書いてみました。共感していただける部分があれば嬉しいです。

更新は引き続き不定期になりますが、気長にお付き合いいただければ幸いです。感想やコメント、いつでも励みになります。
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