ボロい長屋、欠けた茶碗。その中で泳ぐ一匹の魚を、天子と紫苑がただ黙って見つめている。

「食えるのか」という天子の問いから始まる回想は、遠く天上の記憶へと繋がっていく。何不自由ない暮らしの中で、天子はいつからか自分の輪郭を見失っていた。招かれた茶会での、聞こえよがしの陰口。示し合わせたような話題の転換。そして、庇うように向けられる衣玖の優しさが、かえって天子の心に影を落とす。

眠れぬ夜、天子は衣玖の抱える苦労を、図らずも耳にしてしまう。何度も繰り返された家出、そのたびに磨り減っていった誰かの想い。「驚かれない」ことの意味に気づいた時、天子の中で何かが静かに決まった。

その夜のうちに、天子は天上を後にする。当てもなく彷徨い、遠くに見えた家並みを頼りに人里へ。骨董品屋で財布の紐を緩める天子――その懐から零れ落ちた小銭の音は、遠い路地裏で、ある少女の耳にも届いていた。
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