目が覚めて1週間が経過し、付き添いがつくという条件で館内の散歩を許された彼。本人曰く、回復に時間がかかりすぎていると言うが、彼の担当医であるミレニアムの医学科の子からすれば異常の一言に尽きるらしい。
今も杖をぶら下げた彼は軽やかに少し前を歩いていて。
「ゴクモンってさ」
「うん?」
薄水色の病衣から、Tシャツとスラックスに着替えたゴクモンが不思議そうにこちらを振り返る。
補習授業部の子達が買ってきてくれたいくつかの普段着。細身で背の高い彼に似合うシンプルなもの。それを受け取った時、彼は感動で号泣したんだとか。
「背、すごく高いね」
「……あぁ」
入院後、計測された身長は180cm。18歳の男の子の中でも背が高い方だ。
ゴクモンは私の言葉に目を伏せると、そっと低い声で。
「─────みんなより、いいものを食べさせてもらっていたからかな」
「……へ?」
「愚鈍な者に罰を、優秀な者に蜜を。失敗が少なく、従順だった僕は、みんなよりも食事の内容がよかった」
「あ……」
「監視されていたから、わけてやることは出来なかったが……。だから、うん。俺の身体はみんなの苦しみから出来ているんじゃないかと不安で─────」
「ご、ごめんっ。話題変えよっか!」
思わぬところに埋まっていた地雷。音がするほどに杖を握り絞める彼の姿に、私は静かに肩を沈ませた。
「ご、ゴクモンってさ、ミサキのことすごく大切にしてる?」
「いや、みんな大切にしているつもりだが……」
「ミサキにはゴクモンからハグしにいくでしょ」
「あぁ……」
少し気まずくなる空気。ミサキ、彼の妹の話題なら少しは明るくなるかもしれない。そう期待して話し出す。しかし、とうの彼は肩を落とすばかりで。
「当時ヒヨリに教えて貰ったんだが、オキシトシン、というものがあるらしいね」
「うん。幸せホルモンってやつだね」
「あれをすると、ミサキが手首を切るのをやめてくれたんだ。うん、自ら死のうとするのを、やめてくれたんだ」
「あ……」
「だが、俺が目覚めた時、間違いなくミサキの傷は増えていた」
「……そ、それは……」
知らないわけじゃない。彼が眠り、アリウスがバラバラになった時、ミサキが酷く荒れていたのを覚えている。アリウス分校の再出発に伴って徐々に落ち着いているようには見えたが、それでも確実に傷は増えていた。
「もしかしたら、あのころの僕は余計なことをしたのかもしれないね。その場しのぎでハグをして。してやれなくなった時の事を考えていなかったんだ。うん、愚かだね……」
「ぜ、全然そんなことないよ」
「……ありがとう」
振り返らずに歩き出した彼の背中に、思わず頬が引きつった。きっと、声も震えている。
「な、ならさっ。ゴクモンって話すとき、うんって1拍置くじゃん。あの癖って」
「……これか」
何を話しているにしても、うんと1拍を作る癖。口癖が無自覚な人も多い中、彼はそのことを自覚しているようだ。
「─────本当に口に出してもいいのか、考えるためかもしれない」
「く、口下手じゃないから大丈夫だって!」
「そういうのじゃなく、下手を言ってみんなに仕置がいかないか。そう、不安になってしまうんだ」
「─────」
「僕の一言で、チームのみんなの処遇が決まる。うん、少しでもミスをほのめかす発言をしてしまえば、きっとその子は酷い目にあう。だから、癖づいてしまったのかな」
「─────」
もしかすると、私は地雷を踏み抜くスペシャリストにでも転職したのかもしれない。そうじゃなきゃ、たった3つのやり取りで、どうしてここまで彼からどんよりとしたオーラを放たせることができるのだろうか。
もはや、どこを進んでも地雷なのではないか。先生としては情けがないが、補習授業部の到着を待った方がいいのかもしれない。
無言で歩く廊下。窓から覗く空がどんどんと暗くなってゆく。
「………………」
「………………」
「曇ってきたね」
「そ、そうだねー」
「アズサとみんなは、傘を持ってきているだろうか。うん、濡れたら風邪をひいてしまう」
「も、モモトークで聞いてみるのとかどう?」
「それは名案だ」
再び立ち止まり、右手に杖を持っている都合上、左手でスマホを取り出そうとするが。
「─────ないんだったね、そういえば」
「………………」
「うん、慣れないね」
右のポケットに持っていかれた左手は、しかし手首から先が無いために何も掴むことはできやしない。彼らしくないうっかりミスに、彼は静かに苦笑した。
「先生、杖を持ってて貰ってもいいかな」
「ううん、私がスマホ取るよ。杖は持っておかないと、危ないからね」
「うん、すまない、先生」
「ありがとう、でいいんだよ」
「……ありがとう、先生」
微笑む彼に頷き、そっと彼の前にまわる。彼のポケットに手を入れ、スマホを取り出そうとして。
「─────何をしているんですか、こんな往来で」
「う、うわぁ……」
「わっ、2人とも!?」
△
─────スバルとマイアが来てくれるのは、目が覚めた日以来だ。
「スバル、マイア。おつかれさま」
「お疲れ様です。兄さん」
「お兄ちゃん、おつかれさま」
左側に寄り添うようにして歩くマイアが、先生と僕の間を隔てるようにして位置取るスバルが微笑む。声色も、あの頃に比べて柔らかいものだ。
「えへへ、元気そうでよかったぁ」
「あぁ、すこぶる好調だ」
「うん、今にも走り出しそうな程に。ですか」
「よくわかるね、スバル。僕の言おうとすることが」
「兄さんの言いそうなことぐらい、すぐに分かりますよ」
「だ、だめだよ、まだ走っちゃ」
「走らないよ。うん、セリナさんからも念押しされているからね」
不安そうにこちらを見上げるマイアの頭を、左手首の先っぽでぽんと撫でる。髪を梳いてやることは出来ないが、このくらいなら造作もない。
30分かけて歩いた館内。病室にたどり着いた僕は、ふたりの介助を受けながらベッドへと腰掛ける。
「どうしてふたりがここに?」
「アズサさんから連絡があったんですよ。なんでも、お仲間さんの再テストが急遽今日になったから行けなくなったとか」
「それで、私たちが代わりに来たの」
「そうだったのか」
そういえば、補習授業部のひとりであるコハルさんが再テストになったと、先日モモトークで聞いた気がする。
僕も勉学に励まなければ。そう思いつつ、少し汗ばんだ体に襟元をバタつかせた。
「あっ、空調の温度下げるね」
「お水を持ってきましたから、よかったら」
「ありがとう、ふたりとも」
とてとてと机上にあるリモコンを手にするマイア。ラベルレスのペットボトルのキャップを開け、それを差し出してくれるスバル。2人の気遣いが沁みるようだった。
右手でペットボトルを受け取り、一口。想定よりも疲弊している身体を休ませるようにゆっくりと水を飲んでいく、使い方が分からないのか必死にリモコンを操作するマイアを眺めていると。
「私たちは兄さんに尽くしに来たのですから、こんなことは気にしないでください。そこでぬぼーっと突っ立っているだけの先生とはちがって、ね」
「ふえっ!?」
嫌味ったらしく先生を揶揄うスバル。やはり
「あんなにも兄さんと距離を詰めて」
「いや、スマホを取ろうとしてただけで……」
「……あぁ、もっとも先生の
「そういうこと言う?そういうこと言っちゃうの?」
「えぇ、事実ですので」
「……スバル、よくわからないが、言い過ぎじゃないのか」
「言いましたよね兄さん、事実ですから」
そう胸を張るスバルだが、その横でニヤリとほくそ笑む先生がスマホを取りだし。
「じゃあこの間の写真、ゴクモンに見せちゃおっかなぁ」
「─────なぁ!?」
「ほら、コレ見て!」
「うん?」
「ちょっと、まっ─────」
隣に腰を下ろしたマイアと身を寄せていると、先生が目の前にスマホを突き出す。横向きにされた画面には、どこかファンシーな内装にハートマークのオムライス。そして。
「─────メイド服姿の、スバル先輩……!?」
写真の中心には、黒と紫を基調とした露出度の高い、マイアが言うメイド服を着たスバル。彼女が少し頬を赤らめ、満面の笑みを浮かべながら指でハートマークを作っている姿があって。
「─────それは、ダメでしょぉ!?」
「スバルがぁ、尽くしに来たって言うからさぁ、せっかく御奉仕するならメイド服の方がいいんじゃないかと思ってぇ」
「だからって、それを兄さんに見せるなんて……っ」
「前にサオリの見せたら喜んでたよ!」
「そういう問題じゃない!」
頭を抱えて唸り、絶叫するスバル。僕はその写真をしばらく眺め、脳裏に焼き付けると。
「先生、その写真は消してやってくれないか」
「へ?」
「に、兄さん……っ」
「そんなに恥ずかしがっているのを見ると、あまり僕には見られたくないもののはずだ」
「兄さん……」
「それに、うん。脳裏にバッチリ焼き付けたからね」
「兄さん……?」
「あと、出来ればモモトークで送っておいてくれないだろうか。スバル用フォルダに保存しておきたい」
「兄さんっ!?」
なんならスマホの壁紙も今のスバルでいいかもしれない。笑みこそ作り物だが、強制されている訳ではなく、心底楽しそうに勤めていたのがわかった。
「わかったよ。送った後に消しとくね」
「助かる」
「たまに見せてよ?結構お気にの1枚だから」
「うん、もちろんだよ」
「あっ、私も欲しい!」
「なら、スバルに許可を貰いなさい」
「スバル先輩、貰ってもいいですか……?」
「─────もう、好きにしてください」
「……ナース服あるけど、着る?」
「やっぱり、先生の好きにはさせませんよ……っ」
「うわっ、ちょっと引っ張らないでぇ」
肩を怒らせ先生を引っ張っていくスバル。病室から出ていくふたりを見送って、僕とマイアは顔を見合せて笑った。
「いつも、あんな調子なのかい」
「うん。先生だけじゃなくて、サオリさんたちともあんな感じで……」
「……喧嘩じゃ、ないよね」
「邪険な感じじゃないから、違うとは思うけど…」
「ふっ、賑やかそうだね」
「……すごく、賑やかだよ」
暫定的とはいえ、アリウスの生徒会長になったアツコ。彼女の統治は上手くいっているようで。時々、スバルがサオリに因縁つけることはあっても、基本的にまたかで済まされる程度のこと。
だから、以前よりうんと平和だよ。そう言ってにこにことドアの方を笑って眺めるマイア。
「だから、お兄ちゃんはゆっくり休んでね」
「そうさせてもらおう」
「でも、早く帰ってきてね!」
「みんなを、待たせているかな」
「みんながみんな、お見舞いに行きたいってすごい勢いだよ。みんな、お兄ちゃんのこと大好きだから」
「……スバルも、かな」
「きっと、そうだと思うよ」
「そうか─────」
ならば、頑張ってきた甲斐があった。今夜はスバルにハーモニカの演奏でも頼もうか。そんなことを思いつつ、味気のない、しかしどこか甘く感じる水を飲み干した。
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