「うし、掃除終わり!そっちも終わったか、リオ?」
コーヒーメーカーを雑巾で拭き終わったネルは爽やかな笑顔で、自分の背後で荷造りをしているリオに振り返った。
「えぇ、これを入れたらもう終わりよ。改めてありがとう、ネル」
小さな黒いスーツケースにノートパソコンをしまったリオは、ネルに微笑み返した。
「気ぃすんな。今日は大事な会長様の出所日だからな、この位の手伝いはメイドとして当然のご奉仕だぜ」
「出所って…私、ヴァルキューレの世話になっていた訳ではないのよ?」
「リオが矯正局に入れられたら、囚人番号はどんなんになるんだろうな?あ、それとも名札の代わりに囚人服に書けるだけ円周率書くってのはどうだ?それなら誰が見ても一発で…」
「止めてちょうだい、ネル」
ネルの悪い冗談に、リオはムッとした顔で釘を刺した。
「わりぃわりぃ、リオが冗談の分かるヤツになったのが嬉しくてつい、な?そしたら掃除道具はそのままで良いって言われたから、さっさと出ようぜ」
そう言って、ネルはパッキングの終わったスーツケースを持ってさっさと反省部屋の外に出て行った。ガサツな態度を取っていても、こういう気遣いは流石C&Cの部長だ。
(この部屋とも、今日でお別れね…)
リオはゆっくりと立ち上がると、綺麗になった反省部屋をぐるりと見回した。
ネルが出所と言った通り、今日はリオが反省部屋を出、セミナーとして正式に復帰する日だ。ユウカを始めとした現行セミナー組が彼女の釈放を許可したのは表向きは「横領に対する反省が十分に認められたから」というものであるが、本当のところは「罪と向き合い、それに対する罪悪感を乗り越えたから」「リオをゲームや遊びに誘う為に一々セミナーに許可を取らなければならないのが面倒だからさっさとシャバに出して欲しい、という要請が他の部活から上がっていたから」「リオ様はそろそろ私のお世話からある程度離れ、自立した生活を送るべきです。少なくとも洗濯と掃除、簡単な炊事程度は覚えて頂かないと、というパーフェクトメイドからの声があったから」等、理由は様々だった。
リオは部屋を概観しながら、柄にも無くここでの出来事を振り返り始める。
罪悪感でソファの上のクッションを幾度と無く濡らした、部屋に入ってからの数日間。けれどそこにアリスが来てくれたことで、全てが良い方向に向かい始めた。涙を吸い込んでいたクッションはいつの間にか、遊びに来てくれるゲーム開発部のお気に入りの座布団として機能していたし、テーブルの上にあるすりガラス製の大皿は、そんなゲーム開発部がゲームのお供として持ってくるポテチやらチョコレートやらを開けて皆で食べられるようにと、ユウカが置いてくれたものだ。
(結局、カーペットは新しいものになったわね。ヒマリが用意したこのカーペット、ふかふかしていて好きだったのだけれど)
様子のおかしいヒマリが炭酸水が吹き出したカーペットは結局ヒマリの意向で、クリーニングをするのではなく新品に交換されることになった。その理由も含めてヒマリが混乱していた訳をモモイから聞いた時、思考が一瞬停止したのを、リオは良く覚えている。冗談だったとはいえ、好意を真っすぐに伝えられたヒマリが胸の高鳴りによってあんな風になるとは、彼女と長い付き合いであるリオでも流石に予想外だった。
「う~いリオ、どうしたんだ?トイレ行きたくなったのか?」
そんな風に物思いにふけっていたせいで、外にいるネルに呼ばれてしまった。
「今出るわ」
そう告げて、リオは今度こそ部屋を後にした。
「到着したぜ。ほい、鍵だ。二次セキュリティのパスワードは初期化してあるから、あとで自分で設定しといてくれな」
広い校舎を歩き、リオの自室の前に着いたネルはスーツケースのハンドルを元に戻し、ポケットからカードキーを取り出してリオに渡した。
「ありがとう、ネル」
カードを受け取ったリオはドアノブにそれをかざしてロックを解除し、扉を開く。その瞬間―
『おかえりなさーいッ!!!』
突然部屋に明かりが灯ると共に、部屋中にクラッカーの小気味いい音が鳴り響く。飛んで来た紙吹雪とテープを頭から被ったリオは、目の前に広がる光景に、目を白黒させた。
部屋の中にはなんと、ユウカ、ヒマリ、エイミ、ウタハ、そしてトキの5人がリオの到着を待っていたのだ。更に部屋の中心に置かれたテーブルには、色とりどりのお菓子と軽食がところ狭しと並べられている。
「わりぃな、部屋の中勝手に上がって」
ネルがそう言って、リオの尻を軽く小突いた。
「ネル、これは…」
「言っただろ?今日は大事な会長様の出所日だって。これはそのお祝いだぜ。ほい、さっさと入った入った!」
ネルは両手でリオの尻をぺしぺしと叩きながら部屋の中に彼女を押し込み、テーブルの誕生日席に座らせた。その様子を5人はニコニコ笑顔で見守る。
「リオ様、これを」
リオが椅子に座ると、トキが「本日の主役」と書かれたパーティー用のタスキを彼女の肩にかけた。
「主役も到着したことだし、乾杯の音頭を頼むよユウカ」
ウタハの言葉でユウカは「ごほん…!」と小さく咳をすると共に、コーラが注がれた紙コップを持ち上げる。それに倣い、リオ達も自分のコップを手に取った。
「えぇ…今日は皆さんお忙しい中お集まりいただき大変ありがとうございます。本当はこの場にゲーム開発部もいる予定だったのですが、シャーレの当番とダブルブッキングしてしまったようで、どちらを優先するか悩んだ結果、現在エデン条約締結に向けて多忙を極める先生に失礼の無いようにと当番の方を優先した次第です。リオ会長のメンタルケアに最も貢献して来た者達が参加していないというのは何とも残念なことではありますが…」
「ユウカ先輩、話長い~」
堅いユウカの音頭に、エイミが早くも口を尖らせた。
「エイミの言う通りですよ。こういう場では始まりの挨拶は簡単に、楽しい食事とお喋りに多くの時間を割くべきです」
「そ、そうですか…?すいません、こういう宴会って慣れてなくて…で、では改めて…」
ヒマリからのアドバイスを受け、ユウカは再び咳をして息を整える。そして一息に
「乾杯ですッ!」
と告げた。
『乾杯ッ!!』
それに合わせ、6つのコップがリオのコップに次々と迫って来た。
「わわっ、こぼれちゃうわ…!」
「良いじゃないですか先輩!ほら、乾杯です!」
打って変わって砕けた調子になったユウカが、リオのコップに自分のコップをぶつける。
「改めて、復帰おめでとうございます。今日は自室でしっかり休んで、明日からまたバリバリ働いて貰いますからね!」
ユウカはリオにそう告げると、コップのサイダーに口をつけた。
「私からもお祝いの言葉を言わせて貰うよ。セミナーへの復帰、おめでとう。それと後でアバンギャルド君の構造について聞きたいことがあるんだけど、良いかな?キャタピラ部分のベアリングがどうにも調子悪いみたいなんだ」
「リオ様、おめでとうございます。以前お伝えした通り、反省部屋から出たリオ様にはこれから身の回りの世話はある程度ご自分でやって頂こうと考えています。セミナーの業務で忙しくなるとは思いますが、これも全てリオ様の為を思っての事です。どうかご容赦下さい」
「会長おめでと。ヒマリ部長がマイクロカラオケボックス持って来てるから、後で皆でカラオケ大会やろうね」
「おめでとうございます、リオ。まさか貴女とこうして宴会に同席する時が来るとは、この天才病弱美少女の慧眼を以てしても見抜くことは出来ませんでした。貴女に対して思う事は今でも色々ありますが、この場ではそれらを一旦忘れ、純粋な貴女の友として過ごしたいと思います」
「おめっとさん!!ほら、さっさと飲んだ飲んだ!」
ユウカに続き、他のメンバーもコップをぶつけながら、温かい祝いの言葉を投げかけてくれる。目頭が熱くなるのが、分かった。もしこの場にゲーム開発部がいたら、恐らく持たなかっただろう。
ネルに煽られ、リオは手にしていたコーラをグッと飲み干した。偶に半額弁当と一緒に買うペットボトルのコーラ。飲み慣れている筈のその味が、いやに美味しく感じられたのは、気のせいだろうか。
「うしっ!そしたら早速ケーキ切り分けていくぜ」
ネルはテーブルの中心にあるホールのショートケーキに手を伸ばした。雪原みたいな白いクリームの上に並ぶ、真っ赤に染まった大振りのイチゴ達が眩しい、美味しそうなケーキ。その上にはチョコペンで描かれた「出所おめでとう!」という文字があった。
「出所おめでとう…あくまで私は前科者って訳ね」
「えぇ、そうです。理由はどうあれ、横領という罪を犯したという事実は変わりませんからね。罪を償い、娑婆に出られたという喜びを文字通り噛み締めて貰おうと思い、私が描きました。中々上手だと思いませんか?この繊細で可憐な指にかかればハッキングだけでなく…あ」
「ん、どうしたヒマリ?」
ヒマリの自画自賛が始まるとほぼ同時に、ネルがケーキに包丁を入れ、真っ二つにしてしまった。
「…いいえ、なんでもありません」
「…?まぁいいや」
ネルは何食わぬ顔でケーキを切り分け続ける。繊細で可憐な指で描かれたチョコの文字があっという間に見る影もなくなる様子を、ヒマリは複雑な顔で見つめていた。
「あ、そうだ。リオ先輩、忘れないうちにこれ、渡しておきます」
7等分されたケーキが配られるのを見ていたユウカが不意に、リオに何かを渡して来た。
「これは、手紙?」
ユウカが渡して来たもの。それは淡いピンク色の封筒だった。中央にはゲーム開発部のカラフルなシールで封がされている。
「モモイ達からのお手紙です。今日の会に来られなくなったから、せめて手紙でおめでとうを伝えておきたいって。開けてみて下さい」
リオは丁寧に封を解き、中身を取り出す。中にはシンプルな便箋に可愛らしい丸文字で、リオへの言葉が綴られていた。
リオ先輩へ
反省終了お疲れ様!色々あったけど、今はもうリオ先輩は私達のゲーム仲間だよ!ということで今度発売されるモンスターバスターダブルエックス、一緒にやろうね!約束だよ! モモイより
パンパカパーン!大賢者リオが完全復活しました!これからも私達のパーティーとして、共に楽しい学校生活を送れることを心から願っています!これからのリオ先輩の旅路と人生に、どうか幸あれ! アリスより
おめでとうございます、リオ会長!私達のミスで今回のパーティーは参加出来なかったけど、このお手紙で私達のお祝いの気持ちが少しでも伝わったら嬉しいです!あ、それとこないだ私が反省部屋で失くしたかもしれないって言ってたジョイコン、部室にありました。一緒に探して貰ったのにごめんなさい。いつか絶対お礼します! ミドリより
反省終了おめでとうございます!ゲームを通じて先輩と仲良くなれたことは私にとって大切な思い出です!セミナーに戻ってからも私達と一緒に遊んで下さい! ユズより
4人からのメッセージに、また目頭が熱くなる。それに今度は涙が少し、滲んでしまったようだ。
「ふふっ、なんだかあの子達らしいです」
リオの肩越しに手紙を覗き込んだユウカはその内容を読んで、くすぐったそうに笑った。
「へぇ、偶にはこういうシンプルな手紙も良いね」
「そうですね、エイミ。デジタルによる情報伝達が当たり前の今、アナログでしか出せない良さというものは確かにあります。書き手が自らペンを握って綴るものは、その者の想いがありのまま投影されますから」
「私も今度、先輩方に何かしたためてみましょうか」
「お、良いじゃねぇか。アタシへの感謝と尊敬の気持ちなら幾らでも受け止めてやるぜ?」
ユウカに続き、他の4人もリオと手紙を囲ってワイワイと盛り上がり始める。だがその時エイミが
「でもこの手紙、レイクからのメッセージが無いね。あの子もゲーム開発部なのに、どうしたのかな?」
と呟いた。すると
ウィーン…ジジジジジ…
テーブルの奥から、モーターの駆動音のような音が響く。なんだろうと目線をやると、唯一リオの周りに集合していなかったウタハの手元から、小さな何かがテーブルの上を通ってこちらにやって来るのが分かった。
「それが、レイクのメッセージ代わりだよ」
ウタハはそう言って、冷たいミルクティーが注がれた自分のコップをまるでワイングラスのように揺らす。ウタハがリオに寄越したもの。それは体高が30センチ程の小さなアバンギャルド君だった。4本ある腕の内、下側にある2本で、アイスコーヒーの入った紙コップを乗せたお盆を持ち、残りの2本の腕にはそれぞれ、スティックシュガーとコーヒーフレッシュが握られている。
「それは市販のキットで作れる茶運び人形をレイクがアバンギャルド君の姿に改造したものさ。おめでとうを贈ろうにも、会長が反省部屋にいた理由を彼に伝えられない以上、彼にとって会長は偶に一緒にゲームをする先輩でしかないからね。でもガレージにあるアバンギャルド君の製作者が会長だと教えたら、以前から私達の監修の下で改造していたそれをプレゼントとして渡して欲しいって言って来たんだ」
茶運びアバンギャルド君はリオの前に辿り着くと、モーターの音をこれでもかと響かせながら、リオにお盆を差し出した。
「彼、アバンギャルド君のことが結構お気に入りみたいだよ。『こんなにケレン味溢れるデザインなのに動いたらメチャクチャ機敏で力強い、そのギャップが素晴らしいです!腕が4本あるのも攻撃と防御を両立する上でとても合理的ですよね!それに悪路も走破可能なクローラータイプの脚部!戦いに勝つ上でタンク脚は正義だよとモモイも言っていましたし、アバンギャルド君はセミナーの会長が造った戦闘ロボの名に相応しい姿です!』だそうだ」
リオは膝の上に手紙をそっと置くと、アバンギャルド君からコーヒーを受け取った。
「そう…彼は良いセンスをしているわね」
そう零したリオの表情は、この場にいる誰も見たことが無い程、穏やか且つ満足気だった。その表情を崩さず、今度はスティックシュガーとコーヒーフレッシュを差し出して来たアバンギャルド君を愛おしそうに見つめるリオを見て、一同はそれは仕方なさそうな溜め息を吐いたのだった。