魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ 作:折無堂
病院からの帰り道、さやかは一人だった。
少なくとも、そう思っていた。
見滝原の住宅街から少し外れた歩道橋の下で、白い影が街灯の光を受けていた。
キュゥべえだ。
ただ、こちらを待っていたわけではなかった。
白い獣は、家電量販店のショーウィンドウに並んだテレビを見上げていた。閉店後の店内で、無音のままアニメが流れている。
色鮮やかな衣装の少女たちが、巨大な怪物を相手に跳び、殴り、蹴っていた。
「……何してるの」
さやかは思わず言った。
キュゥべえは振り返らない。
「観測している」
「テレビを?」
「そうだよ」
「いや、なんで」
「この子たち、強いよね」
背後から声がした。
さやかが振り返るより早く、ほむらが歩道橋の影から現れた。
「何が?」
ほむらの声は冷たかった。
キュゥべえは、画面の中で少女が敵を殴り飛ばすのを見ていた。
「武器に頼っていない」
「……それが?」
「魔法少女と言いながら、相手をよく殴る。蹴る。投げる。しかも、反撃を受けても即座に致命傷には至らない」
さやかは眉をひそめる。
「いや、それはそういうアニメなんじゃ……」
ほむらも同じことを言いかけたが、途中で口を閉じた。
キュゥべえが言いたいのは、作品の約束事ではない。
この白い獣は、本気で戦闘運用として見ている。
キュゥべえの声に、特別な抑揚はなかった。
「落下、打撃、衝突、吹き飛ばし。通常の人間なら即時行動不能になる衝撃を受けても、戦闘継続している。精神的高揚も見られる。チーム連携もある。マスコットとの信頼関係も、少なくとも僕と君たちの関係よりは良好だ」
「そこは比べなくていいわ」
ほむらの視線だけが、キュゥべえへ動いた。
「むしろ、比べるべきだと思っている」
キュゥべえは赤い目をほむらへ向けた。
「ソウルジェムを分離しない。それだけでは不十分かもしれない」
さやかの顔が強張る。
「……あたしの契約の話?」
「そうだよ」
キュゥべえは平然と答えた。
「魂を肉体側に保持し、ソウルジェムを制御端末にする。自己認識の破壊は軽減できる可能性がある。けれど、それだけでは肉体の脆弱性が残る」
「脆弱性って」
「人間の身体は脆い」
ほむらは黙っていた。
その言葉を否定できなかった。
「ソウルジェムも、思っていたより強くない。外装の強さも限定的だ。巴マミは保護できた。佐倉杏子も即時破壊を免れた。けれど、どちらも余裕があったわけではない」
「だから、肉体そのものを強化するつもり?」
ほむらが問う。
「検討している」
ほむらはすぐには続けなかった。
少しだけ視線を落とす。何かを確かめるように、自分の手を見た。
さやかは、その横顔をちらりと見る。
「……感情は耐えられるの」
今度の問いは、少し違って聞こえた。
強くなるかどうかではない。
その身体で戦い続けて、自分を自分だと思っていられるのか。
さやかは、ほんの少しだけ目を瞬いた。
この子、そんなことまで気にするんだ。
キュゥべえが、ほんの少しだけ首を傾げた。
「それが分からない」
「分からない?」
「肉体強度を上げれば、戦闘損耗率は下がる。あまりに人間離れした身体感覚を与えれば、自己認識に影響する可能性がある」
さやかは唇を噛んだ。
「つまり、強くなりすぎても、自分が人間じゃないって思うかもしれないってこと?」
「君たちの言葉で言えば、そうなる」
「……ほんと、面倒くさいね」
「感情というものは、思っていたよりずっと繊細だ」
キュゥべえは、画面の中で少女たちが笑い合うのを見た。
「正しく扱わないと、今までと同じになる」
ほむらの目がわずかに揺れた。
今までと同じ。
魔法少女が願い、戦い、濁り、壊れる。
その繰り返し。
「暁美ほむら」
キュゥべえは言った。
「君は、どちらがよいと思う?」
ほむらは眉をひそめた。
「なんで私に聞くのよ」
「分からないから聞いている」
あまりにも当然のように言われ、ほむらは一瞬答えに詰まった。
キュゥべえは続ける。
「君は複数の時間軸で魔法少女の戦闘と破綻を観測している。僕よりも主観的な情報を持っている可能性がある」
「主観的、ね」
「そうだよ。僕には不足している」
ほむらは、テレビ画面を見た。
少女たちは、敵を殴り飛ばし、倒れても立ち上がり、仲間に手を伸ばしている。
あれは物語であって、現実ではない。
けれど、キュゥべえが見ているものは分かる。
戦えること。
戦っても、簡単には壊れないこと。
たとえ傷ついても、その痛みの中で自分を失わずにいられること。
「……強くするなら」
ほむらはゆっくり言った。
「身体を武器にするためじゃない方がいい」
キュゥべえは黙って聞いている。
「殴れることが大事なんじゃない。痛みに耐えられることでもない。自分の身体が、まだ自分のものだと思えること。その感覚を壊さないこと」
さやかが、少し意外そうにほむらを見た。
もっと短く、必要なことだけを言う子だと思っていた。
こうして話していると、案外ちゃんと考えて、案外ちゃんと喋る。
ほむらは、その視線に気づいて眉を寄せた。
「何?」
「いや。別に」
ほむらは画面に目を戻した。
「身体が脆すぎれば怖い。強すぎても怖い。人間じゃないと思ってしまえば、結局同じよ」
「なるほど」
キュゥべえは短く答えた。
さやかが、わずかに目を瞬いた。
ほむらも何も言わなかったが、白い獣へ視線を向ける。
今の「なるほど」は、少しだけ妙だった。
分からないものを観察するときの言葉ではない。
聞いたことを、そのまま自分の考えへ組み込んだような。
「肉体強化の目的は、攻撃力の増加ではなく、自己同一性を維持できる範囲での損傷耐性向上」
「事務的にまとめないで」
「まとめないと設計に使えない」
「……そう」
ほむらは小さく息を吐いた。
「美樹さやかに適用するなら、再生能力に頼らせないことね」
さやかが顔を上げる。
「あたし?」
「あなたはきっと、無茶をする」
「何よ、それ」
「事実よ」
ほむらの声は淡々としていた。
「痛みに耐えられる身体を渡せば、あなたは痛みを無視する。壊れても治ると思えば、自分を使い潰す。だから、強くするなら、防御と制動を優先した方がいい」
さやかは言い返そうとして、言えなかった。
恭介の病室で思ったことが、まだ胸の奥に残っていた。
治したい。
でも、何を犠牲にしてもいいとは、まだ言えない。
キュゥべえは頷いた。
「有用な意見だ」
「褒められている気がしないわ」
「褒めてはいない。評価している」
「なお悪いわね」
画面の中で、少女たちが必殺技を放った。
光が広がり、敵が浄化される。
キュゥべえは、じっとそれを見ていた。
「このマスコットは、契約条件を十分に説明しているようには見えない。それでも信頼されている」
「またそこ?」
さやかが呆れる。
「わけがわからないよ」
キュゥべえは本当に不思議そうだった。
ほむらは少しだけ目を細めた。
「少なくとも、あの子たちを燃料にはしていないでしょうね」
「僕も、今はその運用を推奨していない」
「今は、ね」
「そうだよ」
さやかは、白い獣を見下ろした。
「キュゥべえ」
「何だい」
「あたし、契約するって言ったら、まだ待てって言われるの?」
キュゥべえは、さやかを見上げる。
「現時点では、少し待ってほしい」
「やっぱり」
「君の願いは否定しない。上条恭介の腕を治すことはできる。でも、契約方式を改修中だ。魂の分離を避けるだけではなく、肉体強度、自己認識、痛覚、再生、ソウルジェム外装の連携を調整する必要がある」
「なんか、すごく大げさになってない?」
「君を壊さないためには必要だ」
さやかは、息を止めた。
キュゥべえはすぐに付け加える。
「ただし、僕が君に優しくなったわけではない」
「分かってるよ」
さやかは少しだけ笑った。
「でも、今の言い方はちょっと優しかった」
「そうなのかい?」
「そうだよ」
キュゥべえは、何かを記録するように一瞬だけ黙った。
「今の表現は有効だった可能性がある。今後も使用を検討する」
「台無しだよ!」
ほむらは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
すぐに消えた笑みだった。
でも、さやかは見た。
キュゥべえも、見た。
「興味深い」
「言わなくていい」
ほむらが即座に言った。
「分かった」
キュゥべえはテレビへ向き直る。
画面の中の少女たちは、戦いが終わって笑っていた。
キュゥべえは、まるで理解できないものを見るように、それを見続けていた。
※マミを復元した時点で今さらですが、ここから改変の方向がだいぶ大きくなります。
キュゥべえが見ている魔法少女アニメは、プリキュアです。
ただしクロスオーバーではありません。
プリキュアのキャラクターが出てくることはなく、参考資料として見ているだけです。