魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ   作:折無堂

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12. 三クールは864分

 さやかは、自分の手を見ていた。

 まだ魔法少女ではない。恭介の腕を治すこともできないし、杏子みたいに槍を振るうことも、マミみたいに銃を出すこともできない、ただの自分の手だった。

 

 何も知らなかった頃と同じだとも、もう思えなかった。

 恭介の病室で、自分が何を願いたいのか考えた。

 

 杏子は死にかけて、それでも戻ってきた。

 マミはもっとひどい目に遭って、それでも今は紅茶を淹れている。

 ほむらは、そんなことを一度や二度ではなく、何度も何度も見てきたのだという。

 

 少し前までなら、どれも別々の話だった。

 怖い話。信じられない話。自分にはまだ関係のない、魔法少女たちの話。

 

 でも、今はそう思えない。

 恭介を治したいと思うことも、そのために自分が何になるのかということも、壊れた身体が戻ることも、戻ったから何もなかったことになるわけではないことも、全部どこかでつながっている。

 

 さやかにはまだ、それをうまく説明できなかった。

 ただ、自分がこれから何かを選ぶなら、もう何も知らなかった頃みたいには選べない。

 そんなことだけは、なんとなく分かり始めていた。

 

 恭介の腕を治したい。

 それは変わらない。

 

 でも、それが自分の幸せにそのままつながるとは限らない。

 恭介が自分を見てくれるとは限らない。

 

 感謝してくれるかもしれない。しないかもしれない。

 また音楽の方だけを見て、自分の方を見ないかもしれない。

 

 それでも治したいのか。

 

 さやかは、もう一度自分に聞いた。

 

 答えは、完全には綺麗ではなかった。

 でも、前よりは少しだけ、自分の言葉に近づいていた。

 

「……で」

 さやかは顔を上げた。

 

 マミの部屋には、いつもの顔ぶれが揃っていた。

 マミ、まどか、ほむら、杏子。

 

 ただ一匹、白いのがいない。

「キュゥべえは?」

 まどかが少しだけ苦笑した。

「私の家でアニメ見てるよ」

 

 部屋の空気が止まった。

 

「……は?」

 さやかが、素で聞き返す。

 

 まどかは困ったように笑った。

「今、いいところなんだって」

「何が?」

「プリキュア」

 

 さやかは、しばらく何も言えなかった。

「……あいつ、自分が何をしに来てるか分かってるの?」

「分かってる、とは思うんだけど」

 まどかは言いにくそうに続けた。

「あと三クールだから、まだ待ってほしいって」

「三クール!?」

 

 さやかの声が裏返った。

 マミは口元に手を当てた。こらえきれなかったらしい。小さく、ふふ、と笑いが漏れた。

 杏子は不思議そうに眉を寄せる。

 

「あいつ、アニメなんて見るんだな」

「見るというより、観測しているらしいよ」

 

 まどかが言うと、杏子はさらに分からない顔になった。

「アニメを観測?」

「うん。魔法少女の肉体強化と感情維持と、マスコットとの信頼関係がどうとか」

「何言ってんだ、あいつ」

「私にも全部は分からないかな……」

 

 ほむらは横を向いていた。

 肩が、ほんの少し揺れている。

 さやかはそれに気づいた。

 

「転校生、笑ってる?」

「笑っていないわ」

 ほむらは即答したものの、片手で口元を押さえている。

 

「絶対笑ってるじゃん」

「笑っていない」

「今の顔、ちょっと面白がってる顔だよね」

「違うわ」

 

 マミがまた小さく笑った。

「暁美さん、少し楽しそう」

「あなたまで」

 ほむらは不服そうに目を細めた。

 

 杏子が腕を組む。

「で、三クールってどれくらいなんだ?」

 

 マミも首を傾げた。

「私も、正確には分からないわ。暁美さん、分かる?」

 

 ほむらは一瞬だけ黙った。

 それから、妙にきちんとした声で答えた。

「一話が二十四分前後。一クールを十二話とすれば、三クールは三十六話。二十四分を三十六話だから、八百六十四分ね」

 

 少しだけ得意げだった。

 さやかは、ますます笑いそうになった。

 

 杏子は真面目な顔で考え込む。

「八百六十四分って、一日より長いのか?」

「一日は千四百四十分よ」

 ほむらはまた即答した。

 やっぱり少し得意げだった。

 

 杏子は感心したように頷いた。

「へえ。意外とあるんだな、一日」

「そこに感心するの?」

 さやかが突っ込む。

 

 杏子は肩をすくめた。

「普段、分単位で数えねえし」

「まあ、それはそうだけど」

 さやかは、そこでとうとう笑ってしまった。

 

 大きな笑いではない。胸の奥で固まっていたものが、少しだけほどけるような笑いだった。

 マミも笑っていた。

 ほむらは不本意そうにしながらも、まだ口元を隠している。

 杏子は、何がおかしいのか分からないという顔をしながら、少しだけ口の端を上げていた。

 

 まどかは、みんなの様子を眺めていた。

 マミさんが笑っていて、さやかちゃんは、とうとう堪えきれなくなって笑っている。

 杏子ちゃんは、一日が千四百四十分あることに妙に感心して、まだ少し考えている。

 ほむらちゃんは何でもない顔をしているけれど、さっきから時間の計算を答えるたび、ほんの少しだけ得意そうに見える。

 

 みんな、別々だった。

 笑っている人もいる。

 感心している人もいる。

 少し得意になっている人もいる。

 

 キュゥべえはいない。

 

 それなのに、まどかはふと、キュゥべえのことを思い出した。

 あの子はずっと、人の気持ちがどう動くのかを見ている。

 怖いとき。苦しいとき。誰かを失ったとき。

 そういう大きな感情ばかりではなくて、誰かと一緒にいて、笑ったり、呆れたり、少し嬉しくなったりすることまで、最近は気にしている。

 

 まどかは、もう一度みんなを見た。

 

 今は、誰も絶望していない。

 誰かが傷ついたわけでもない。

 何かを失ったわけでもない。

 それでも、気持ちはこんなに動いている。

 

 さやかちゃんは笑っているし、杏子ちゃんは本気で感心しているし、ほむらちゃんはたぶん少し得意になっている。マミさんは、そんなみんなを見てまた笑っている。

 それだけなのに、さっきより部屋の中が少し明るくなったように感じた。

 

 もしかすると、キュゥべえが探しているのは、こういうものなのかもしれない。

 絶望しなくても、人の気持ちは動く。

 壊れなくても、誰かの心は大きく揺れる。

 それどころか、一度壊れそうになったものまで、こうして誰かと一緒に笑っているうちに、少しずつ元の形を思い出すことがある。

 

 キュゥべえは、ずっと新しい方法を探している。

 でも、まどかにはふと思えた。

 探しているものの一部は、もうここにあるんじゃないかな、と。

 

 まどかは、膝の上で手を重ねた。

「どうしたの、鹿目さん?」

 マミが優しく聞く。

 

 まどかは首を横に振った。

「ううん。なんでもないです」

「なんでもない顔じゃないけど?」

 さやかが覗き込む。

 

 まどかは少し笑った。

「キュゥべえが見たら、きっと記録したがるだろうなって思って」

 杏子が顔をしかめる。

「やめろ。あいつに見られてると思うと気分悪い」

 ほむらは静かに言った。

「もう見ているかもしれないわ」

 

 全員が一瞬、部屋の隅を見た。

 そこに白い獣はいない。

 

 沈黙。

 

 そして、さやかが言った。

「……いや、今はプリキュア見てるんでしょ」

 

 マミがまた笑った。

 杏子も今度は声を出して笑った。

 ほむらは、今度こそ口元を隠しきれなかった。

 まどかも笑った。

 

 少しだけ、ほんの少しだけ。

 この部屋の空気は、昨日より軽かった。

 

 さやかは窓の外を見た。

 恭介のことは、まだ何も解決していない。

 契約のことも、これからだ。

 

 キュゥべえが本当に何を作っているのかも分からない。

 それでも、今は少しだけ待てる気がした。

 

「まったく」

 さやかはため息をついた。

「あいつが戻ってきたら、絶対文句言ってやる」

 まどかは笑う。

「うん。たぶん、キュゥべえはこう言うと思う」

「何て?」

 まどかは少しだけ白い獣の声を真似した。

 

「待機中の感情変動も、観測価値があるね」

 

 さやかは顔をしかめた。

「言いそう!」

 部屋に、また笑いが起きた。

 

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