魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ   作:折無堂

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14. 美樹さやかの契約

 マミの部屋で、キュゥべえはもう一度確認をした。

「美樹さやか。君の願いは、上条恭介の腕の治癒。対象は演奏に必要な肉体機能の回復。ただし、彼の感謝、恋愛感情、進路選択、君への評価は願いに含まれない」

「分かってる」

 さやかは、もう目を逸らさなかった。

 

「願いを叶えることはできる。けれど、それが君の幸せにつながるとも、上条恭介の幸せにつながるとも限らない。それは別の問題だ」

「そこは、あたしの問題」

 さやかは小さく息を吐いた。

 

「それでも、治したい。恭介がもう一度弾けるなら、それは……嘘じゃないから」

 キュゥべえは赤い目でさやかを見た。

「それでも契約するかい?」

「する」

 

 迷いは残っていた。

 怖さもあるし、期待もある。

 きっと、綺麗な気持ちだけではない。

 

 それでも、さやかは頷いた。

 

 キュゥべえはすぐには動かなかった。

「では、場所を移そう」

「え?」

 さやかが間の抜けた声を出す。

 

 杏子が窓際で菓子を噛み砕きながら、眉を上げた。

「ここでやんじゃねえのかよ」

「この方式は初回適用になる。周囲への魔力干渉が読めない。巴マミの居住空間で行うべきではない」

「急にまともなこと言うな」

「失敗した場合、家具や壁よりも、ここにいる君たちの精神状態に影響する可能性がある」

「そこは家具の心配から入ってよ」

 さやかが思わず突っ込むと、まどかが少しだけ笑った。

 

 マミはカップを置いた。

「なら、外へ行きましょう。……私も行くわ」

 

 ほむらは黙っていたが、壁から離れた。

 杏子は槍も出さずに肩をすくめる。

 

「逃げるなら今だぞ」

「逃げないってば」

「そうかよ」

 杏子は軽く笑った。

「じゃ、見届けてやる」

 

 キュゥべえは扉へ向かった。

「この方式では、初期安定に周囲の感情的接続が影響する可能性がある。君が信頼できる相手が近くにいた方がいい」

「感情的接続って言い方、ほんと最悪」

 

 さやかが言うと、キュゥべえは首を傾げた。

「仲間が近くにいた方がいい、という表現なら適切かな」

 

 まどかが頷いた。

「そっちの方がいいと思う」

「分かった。以後検討する」

「検討じゃなくて使いなさいよ」

 さやかはそう言って、マミの部屋を出た。

 

 夜の見滝原は静かだった。

 全員で歩くには、少し奇妙な距離だった。

 まどかはさやかの隣。マミはその少し後ろ。杏子は気楽そうにフェンスの上を歩き、ほむらは最後尾で周囲を見ている。キュゥべえは先頭を歩いていた。

 

 目的地は、住宅街から少し外れた公園だった。

 昼間なら子どもたちが遊んでいる場所。

 夜になると、街灯の輪だけが地面に落ち、ブランコが風でわずかに揺れている。

 日常の場所なのに、今は境界のように見えた。

 

「ここで行う」

 キュゥべえが言った。

「結界ではないのね」

 マミが静かに問う。

 

「結界内では周囲の魔力残滓が混ざる。今回は、美樹さやか本人と、ここにいる君たちの反応を優先したい」

「ほんとに、ずいぶん変わったわね」

 

 ほむらが言った。

「変わったかどうかは評価中だよ」

「それも聞き飽きたわ」

 

 さやかは公園の中央に立った。

 足元は普通の地面だった。砂と、少し湿った土。

 何も特別なものはないと思うが、心臓の音が大きい。

 

 まどかが、そっと言った。

「さやかちゃん」

「大丈夫」

 さやかは笑った。

 

「たぶん、あんまり大丈夫じゃないけど。でも、大丈夫」

 杏子が小さく鼻を鳴らす。

「そういうの嫌いじゃねえよ」

 

 マミは両手を胸の前で重ねた。

「美樹さん。あなたの願いを、私は否定しないわ。でも、あなたがあなたを失いそうになったら、止める」

「……はい」

 

 ほむらは何も言わなかった。

 さやかが視線を向けると、ほむらは少しだけ目を細めた。

「無茶をしないで」

「それ、あたしに言う?」

「あなたに言っているの」

 

 さやかは苦笑した。

「努力する」

 

 キュゥべえがさやかの前に座った。

「美樹さやか。最後にもう一度確認する。君は、上条恭介の腕の治癒を願う。その代償として、魔法少女になる。従来方式とは異なり、魂は肉体側に保持する。ソウルジェムは魂の容器ではなく、魔力制御端末、濁度計、非常時保護核として生成する」

「うん」

「肉体は変身時に強化される。ただし、攻撃力の増加よりも損傷耐性と自己同一性維持を優先する。仲間との信頼が一定条件を満たした場合、肉体強度に一時的な補助が発生する」

「それ、要するに」

 

 さやかはちらりと皆を見た。

「みんながいてくれた方が、あたしは折れにくいってこと?」

「かなり乱暴だが、概ね正しい」

 

 杏子が笑った。

「いいじゃねえか。折れにくいさやか」

「折れにくいって言うな」

 さやかの声は震えていたが、笑えた。

 

 キュゥべえは続ける。

「この契約は不可逆だ。魔法少女になった後、完全に元の人間へ戻る方法は、現時点では存在しない」

 

 その言葉で、公園の空気が重くなった。

 

 さやかは目を閉じた。

 

 恭介の手。

 落ちたディスク。

 荒れた声。

 

 もう一度弾けるなら。

 そして、自分の中にある、小さくて情けない期待。

 

 見てほしい。

 感謝してほしい。

 でも、それだけではない。

 

 目を開ける。

「それでも、願う」

 キュゥべえは言った。

「契約を開始する」

 

 白い獣の耳から伸びた輪が、淡く光った。

 さやかは身構えた。

 身体のどこかから、何かが失われるような感覚を予想していたわけではない。ただ、これから自分が変わるのだと思うと、無意識に息が止まった。

 

 ――最初に感じたのは喪失ではなかった。

 自分の鼓動だった。

 

 どくん。

 それは自分の身体の中から響いた。

 どくん。

 

 青い光が、胸の奥で灯る。

 宝石が外に生まれるのではない。

 身体の中心にあったものが、表面へ向かって形を取っていく。

 血管のように、あるいは神経のように。

 音楽の譜面に走る線のように。

 

 青い光が胸から肩へ、腕へ、指先へ流れた。

 腹部を通り、脚へ、足元へ届く。

 

 さやかは息を呑む。

 身体が軽くなるのではなかった。

 むしろ、重さがあった。

 

 足が地面を踏んでいる。

 膝に力が入る。

 指が開く。

 心臓が鳴る。

 

 自分の身体だ。

 そう思えた。

 

 光が皮膚の上でほどけ、衣装になる。

 白と青。

 

 それは確かに、さやからしい色だったが、どこか違う。

 布はただの飾りではなく、身体に沿って重なっていた。肩には薄い防護の輪郭があり、前腕には手甲のような青い装甲が生まれる。胸元の宝石は、外にぶら下がる核ではなく、身体と衣装の境目に埋め込まれたように光っていた。

 

 そこから細い青い線が、鎖骨、腕、腹、脚へと走っている。

 宝石だけが本体なのではない。

 

 全身が、その光につながっている。

 スカートは軽やかだったが、下には短い防護レイヤーが重なっている。

 

 足元にブーツが形作られる。それはきれいな靴というより、走るためのものだった。足首が固定され、踵が地面を捉え、つま先に力が逃げない。

 さやかは一歩踏み出し、砂を蹴った。

 軽いけど、ふわふわしていない。ちゃんと地面が返ってくる。

 

 最後に、右手の中で光が伸びる。

 剣が現れた。細く美しいだけの剣ではなかった。

 刃は少し厚く、受けるための重さがある。柄は手に吸い付くように馴染み、まるで最初からそこにあった骨の延長のようだった。

 

 さやかは剣を握る。

「……これ」

 声が出た。

「ちゃんと、あたしの手だ」

 

 まどかが目を見開いていた。

「さやかちゃん……」

 

 マミは息を呑んだ。

「違う……」

 

 それは否定ではなかった。

 驚きだった。

 

「私たちの時と、違うわ」

 杏子も黙って見ていた。

「硬そうだな」

 

 その感想に、さやかは思わず笑いそうになった。

「第一声それ?」

「いや、だってよ」

 杏子は真面目な顔で、さやかの姿を上から下まで見た。

「あたしが知ってる魔法少女って、もっと軽そうな格好してんだよ。お前のは……なんつうか」

 

 少し考えて、杏子は足元を見る。

「ちゃんと踏ん張れそうだ」

 

 ほむらは、何も言えなかった。

 彼女の知る美樹さやかの魔法少女姿は、もっと儚かった。

 青く、綺麗で、まっすぐで、そしてどこか壊れることを前提にしたような姿だった。

 

 目の前にいるのは、確かに美樹さやかだった。

 見慣れた顔も、剣を握る姿も、ほむらの記憶にあるものと大きくは変わらない。

 胸元だけが違う。ソウルジェムが、身体から切り離された核のように浮いていない。そこから広がる光は全身へ溶け込み、鼓動に重なるような間隔で、ゆっくりと脈打っていた。

 

 ほむらは小さく呟いた。

「これは……私の知っている契約じゃない」

 キュゥべえが答える。

「そうなるように設計した」

 

 さやかは自分の腕を動かした。

 軽い。けれど、軽すぎない。

 強い。けれど、人間でなくなった感じではない。

 

 さやかは一度、手を握って、開いた。

 それから剣を持ち上げる。試すように、軽く横へ振っただけだった。

 空気が裂けた。遅れて風圧が頬を打ち、少し離れた床の埃がまとめて払われる。

 

 さやか自身が、目を見開いた。

「……え」

 今の動きに、力を込めたつもりはなかった。

 それでも、剣先が通ったあとの空間には、まだ低い風鳴りが残っていた。

 

 次の瞬間、さやかの足元で青い光が跳ねる。

 彼女の身体が前へ出た。

 速いが、制御できないような感じはしない。

 

 自分の重心が分かる。

 どこに力を入れれば止まれるかが分かる。

 さやかは砂場の手前でぴたりと止まった。

 

「すごい……」

 思わず声が漏れる。

「でも、怖くない」

 

 まどかが両手を胸の前で握った。

「さやかちゃん、ちゃんとさやかちゃんだよ」

 

 その言葉が届いた瞬間、さやかの胸元の光が少し強くなった。

 青い線が白く瞬く。

 腕の手甲、ブーツの縁、スカートの裾。

 ほんの一瞬、薄い膜のような光が全身を包んだ。

 

 キュゥべえの耳がぴくりと動く。

「感情的接続による補助反応を確認」

「今それ言う?」

 杏子が呆れる。

「重要だよ」

 ほむらは、まどかとさやかを見ていた。

 まどかが名前を呼んだ。

 それだけで、さやかの身体が強くなった。

 

 ばかげている。

 理屈としては不安定すぎる。

 

 でも。

 

 ほむらは、ほんの少しだけ目を伏せた。

 もし、過去の時間のさやかにも、これがあったなら。

 そう考えそうになって、やめた。

 

 マミが一歩近づいた。

「美樹さん。気分は?」

「変です」

 さやかは正直に答えた。

 

「でも、嫌じゃないです。身体の中に、ちゃんと自分がいる感じがします」

 マミの表情が、少しだけ揺れた。

 それは、彼女が知らなかった感覚だった。

 

 杏子はキュゥべえを見る。

「おい」

「何だい」

「これ、あたしらにもできるか調べるって言ったな」

「言ったよ」

「絶対調べろ」

「調べる」

「失敗したら?」

「失敗しない方法を探す」

 

 杏子は少しだけ笑った。

「言うようになったじゃねえか」

 

 キュゥべえはさやかを見た。

「美樹さやか。契約は成立した。願いは実行される」

 

 その瞬間、さやかは病院の方角を見た。

 遠く離れた病室。

 包帯の巻かれた手。

 弦を失った指。

 その手に、光が届くのだと分かった。

 

 さやかは剣を握りしめた。

 

 嬉しい。

 怖い。

 泣きたい。

 笑いたい。

 全部が同時に来た。

 

「恭介……」

 小さく呟いたその声は、夜の公園に溶けた。

 まどかがそっと近づき、手を伸ばした。

 

「さやかちゃん」

 さやかは振り返る。

「うん」

 その返事と同時に、胸元の光がもう一度脈打った。

 

 どくん。

 それはソウルジェムの音ではなかった。

 さやか自身の鼓動のように聞こえた。

 

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