魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ 作:折無堂
ワルプルギスの夜から、数日が過ぎた。
見滝原の街には、まだ嵐の跡が残っている。折れた街路樹や割れた窓があちこちに残り、一部の道路は今も通行止めになっていた。避難所から自宅へ戻る人たちの顔にも、数日前の疲れがまだ薄く残っている。
ニュースでは、観測史上まれに見る局地的な暴風被害だったと報じられていた。専門家が気象図を指し、いくつもの条件が偶然重なったのだと説明している。
まどかは、鹿目家のリビングでそのニュースを見ながら思った。
偶然ではない。
でも、そういうことになったのなら、それでいいのかもしれない。
今日は、いつものマミの部屋ではなかった。
作戦会議をするわけでも、誰かのソウルジェムを調べるわけでもない。
まどかが「今日はうちに来ない?」と言って、誰も反対しなかった。それだけだった。
広いリビングには五人いて、白い獣が一匹いる。さやかはソファの前の床に座り、杏子は菓子の袋を手元に置いている。ほむらは大きな窓のそばにいて、マミはいつの間にか紅茶を配る役を引き受けていた。
そしてキュゥべえは、ソファの上にいた。
ニュースが一区切りついたあと、テレビに映っているのはもう被災した見滝原ではない。
色鮮やかな衣装の少女たちが、怪物を相手に飛び回っていた。
「キュゥべえ」
「なんだい、まどか」
「また見てるの?」
「観測している」
テレビの中では、色鮮やかな衣装の少女たちが、怪物を相手に飛び回っていた。
さやかが床に座ったまま、呆れた顔をする。
「ほんと好きだね、プリキュア」
「好きという感情はない」
「でも見てるじゃん」
「観測価値が高いからね」
杏子が菓子をくわえながら言う。
「出世した主任端末様が、朝からアニメ観測かよ」
「朝ではない。もう昼だよ」
「そこじゃねえ」
マミは紅茶を配りながら、少し困ったように笑った。
「でも、キュゥべえがこうしていると、本当に戻ってきたんだなって思うわ」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ静かになった。
キュゥべえは振り返らない。
「僕は厳密には死んでいたわけでは――」
「死んでたよ」
さやかが即座に言った。
「ぼろ雑巾だったぞ」
杏子も言った。
「生き物じゃないとかいう問題ではないわ」
マミが静かに続けた。
ほむらは窓際で腕を組んでいた。
「あなた、本当に一度死んでいた方が少し静かだったわ」
「それは困る」
キュゥべえは、ようやくテレビから目を離した。
「僕は、まどかに生き返らせてもらったばかりだからね」
まどかは少しだけ笑った。その言い方なら、もういいと思った。
キュゥべえはソファから降りると、紅茶や菓子の並んだリビングテーブルへ軽く飛び乗った。その前の空中に、薄い光の板が開く。
さやかがすぐに嫌そうな顔をした。
「また報告書?」
「報告書ではないよ。通知だ」
「その言い方で安心できたこと、一回もないんだけど」
杏子が菓子を口へ放り込みながら言う。
キュゥべえは気にした様子もなく、光の板へ目を向けた。
そこに並んでいる文字が、何度か組み替わる。
「……興味深いね」
「ほら来た」
さやかが額を押さえた。
「今回は嫌な話ではないよ。別の地域にいる端末から連絡が来た」
杏子の手が止まる。
「別のキュゥべえ?」
「そうだよ。その端末が、見滝原で行った改善方式の一部を参照して、契約方式を変更したらしい」
マミがカップを置いた。
「もう?」
「完全な移行ではない。まだ初期段階だ。ただ、従来方式なら肉体損壊の時点で戦闘不能になっていた魔法少女が、そのまま生存して戦闘を継続した。ソウルジェムの濁度上昇も、従来予測より低い」
しばらく、誰も言葉を挟まなかった。
最初に口を開いたのは、さやかだった。
「……それって」
少しだけ言葉を探す。
「助かった子がいるってこと?」
「君たちの言葉なら、そうなる」
まどかの表情がふっと明るくなった。
「そっか」
胸元の小さな桃色の光へ、無意識に指が触れる。
「よかった」
その言葉に、キュゥべえは何も付け加えなかった。
少なくとも、すぐには。
「ただし、その端末は僕の方式を一部誤解している」
「やっぱり続くんだ……」
「肉体強度補助を、単純な戦闘出力の増加として扱いかけている。目的は攻撃力を上げることではなく、自己同一性を維持したまま損耗率を下げることだ。そこは修正する必要がある」
ほむらが窓際から静かに聞いた。
「もう他の端末へ指示を出しているの?」
「指示というより、改善情報の共有だね。極東観測圏については、僕に取りまとめる権限が与えられている」
杏子がにやりとする。
「やっぱ上司じゃねえか、主任端末様」
「君たちの組織でいう上司とは少し違う」
「本体は?」
ほむらが聞く。
キュゥべえが、ほんのわずかに黙った。
それを見て、まどかが首を傾げる。
「ちゃんと本体にも言ったの?」
「もちろんだよ」
「いつ?」
「今送った」
部屋が静かになった。
さやかがゆっくり額へ手を当てる。
「それ、今まで勝手に進めてたってことじゃん」
「結果が出てから報告した方が、改善案としての説得力は高い」
「順番!」
杏子が吹き出した。
「お前、主任端末っていうか、勝手に現場で全部決めるやべえ中間管理職だろ」
「中間管理職ではない。極東観測圏改善主任端末だよ」
「肩書きだけ立派になってんじゃねえよ」
マミも困ったように笑った。
まどかは少し考えてから言う。
「キュゥべえ」
「なんだい」
「お母さんがね、仕事は報告と連絡と相談が大事だって言ってたよ」
「報告、連絡、相談」
「うん。あと、大きなことを変えるときは、ちゃんと順番を守らないと後で大変になるって」
キュゥべえは少し黙った。
ほむらの口元が、ほんのわずかに緩む。
杏子はもう隠さず笑っていた。
「まどかの母ちゃん、こいつに効きすぎだろ」
「参考になる意見だね」
「反省しなさいよ」
さやかが言う。
「検討する」
「そこは反省するって言え!」
笑い声が、鹿目家のリビングに広がった。
テレビの中では、相変わらず色鮮やかな魔法少女たちが怪物と戦っている。
キュゥべえはその声を聞きながら、もう一度光の板へ目を戻した。
別の街。名前も顔も知らない魔法少女。本来なら、そこで失われていたかもしれない一人。その少女が、今も生きている。
見滝原で始まったことが、もうここだけの話ではなくなっている。
まどかは胸元の光へ触れたまま、少しだけ笑った。
ワルプルギスの夜を越えたことより、ずっと小さな出来事なのかもしれない。
その小さな出来事が別の場所でも起きたことの方が、今は嬉しかった。
本人に言わせれば、きっと反逆ではない。目的を変えたわけでもない。
ただ、今までのやり方より良い方法を見つけて、それを広げているだけだ。
――業務改善。
キュゥべえなら、そう言う。
それでも、その改善はもう見滝原の外へ届き始めていた。
⸻
これにて完結です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
いただいた感想については、すべて拝読していました。
ただ、本作の性質上、「キュゥべえとはどういう存在なのか」「インキュベーター自身の目的をどう捉えるのか」「このキュゥべえは原作からどこまで逸脱しているのか」といった、作品解釈そのものに関わる感想もある程度予想していました。
このあたりは、作者と読者が感想欄で正解を決めたり、互いの解釈を言い合ったりするものではないだろうと考えています。
また、どの感想には返して、どこからを「解釈に関わるので返さない」とするのか、その境界を作者側で選別することにも違和感がありました。
そのため本作については、その境界の判断も含め、個別の感想返信はすべて行わない方針としました。
返信はしていませんでしたが、感想そのものはすべて読んでいます。
本文を見直すきっかけになったものもありましたし、どう読まれているのかを見るのも含めて、とても参考になりました。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。