魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ   作:折無堂

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8. 杏子の帰還

 杏子が戻ってきたのは、日が落ちてからだった。

 場所は、マミの部屋ではない。

 

 マミが一度、ここを誰かとの打ち合わせ場所にすることを拒んだからだった。

 代わりに選ばれたのは、人気の少ない公園の外れ。街灯の届きにくいベンチがあり、近くには古い自販機が一台だけ立っている。

 

 マミは立って待っていた。

 ほむらは少し離れた木の影にいる。

 まどかとさやかは、二人並んでベンチの近くにいた。

 キュゥべえは、当然のようにベンチの背に座っていた。

 

「佐倉杏子が近づいている」

 

 その声に、マミが顔を上げる。

 数秒後、赤い影がフェンスを越えて落ちてきた。

「いやー」

 杏子は槍を肩に担いだまま、軽い調子で言った。

「死ぬとこだったわ」

 

 さやかは一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 杏子は笑っていた。

 いつものように、からかうような顔で。

 

 近づいてきた彼女の頬には薄い擦り傷があり、制服の上着には何かに裂かれた跡があった。歩き方も、ほんの少しだけ重い。

 そして胸元。

 赤いソウルジェムの前に浮かぶ薄い外装には、細かい亀裂が入っていた。

 蜘蛛の巣のような白い線が、魔力の殻の上を走っている。

 

「……それ」

 さやかの声がかすれた。

 

 杏子は胸元を指で弾いた。

「これか? さっきの魔女にやられた」

「やられたって……」

「本体を狙われた。こいつがなかったら、たぶん一発だったな」

 

 さやかは言葉を失った。

 マミが静かに言う。

 

「大丈夫なの、佐倉さん」

「大丈夫だから戻ってきたんだろ」

 

 杏子は笑った。

「ま、ちょっと危なかったけどな」

「ちょっとじゃない」

 キュゥべえが言った。

 

「佐倉杏子は本来なら停止していた。保護外装が即時破壊を一度だけ防いだ。その後の反撃がなければ、戦闘継続は不可能だった」

「停止って言うな」

 杏子が睨む。

「死んでた、でいいんだよ」

 

 まどかが小さく息を呑んだ。

 さやかは、胸の奥が冷たくなるのを感じた。

 

 死んでいた。

 杏子が、自分でそう言った。

 あの軽い調子のまま。

 

 死にかけたのではない。

 死んでいたはずだった。

 

 マミも、昨日、食べられた。

 キュゥべえが何かをしていなければ、もう戻ってこなかった。

 

 杏子も、今日、ソウルジェムを壊されかけた。

 キュゥべえの外装がなければ、もうここにはいなかった。

 

 魔法少女は、強い。

 マミは綺麗で、杏子は強くて、ほむらは何でも知っているように見える。

 

 でも、死ぬ。

 本当に、あっさり死ぬ。

 

「……魔法少女って」

 さやかは、思わずつぶやいた。

 

「こんなに、危ないの」

 杏子が視線だけを向ける。

「今さらかよ」

 

 その言い方に、さやかは反射的に怒りかけたが、言い返せなかった。

 

 今さらだった。

 マミが一度死に、杏子も死にかけた。

 それを見て、ようやく自分は少しだけ分かった気になっている。

 

 キュゥべえが言う。

「魔法少女の戦闘能力は高い。けれど、ソウルジェムが破壊されれば停止する。肉体損傷への耐性も、従来方式では十分ではない。保護外装は、その欠陥を補うためのものだ」

「欠陥、欠陥って」

 

 さやかは唇を噛んだ。

「人が死にかけてるのに、欠陥って言うんだ」

「実際、欠陥だよ」

「そういう話じゃない!」

「そういう話でもある」

 

 杏子が言った。

 さやかは振り返る。

「あんたまで何言ってんのよ」

「こいつの言い方は最悪だ。でも、言ってることは分かる」

 

 杏子は亀裂の入った外装を見下ろした。

「これがなかったら、あたしはいなかった。なら、今までなかったのはおかしい。そういう話だろ」

「……それは」

「マミもそうだ。あいつが何かしてなきゃ、昨日で終わってた」

 

 マミの肩がわずかに揺れた。

 杏子はそれに気づいて、少しだけ声を落とした。

「悪い。言い方が悪かった」

「いいえ」

 

 マミは首を横に振る。

「事実だもの」

 

 その声が静かだったから、さやかは余計に苦しくなった。

 キュゥべえは杏子を見ていた。

 

「佐倉杏子。君が死を確信した直後に生還したことで、非常に大きな感情変動が発生していた」

「その話、今すんのか」

 杏子が低く言う。

 

「重要な観測結果だよ」

「人が死にかけた感想を数字にすんな」

「数字にしなければ本体へ報告できない」

「知らねえよ」

 

 杏子は顔をしかめた。

「まあ、いい。助かったのは事実だ」

 

 それから、少しだけ口の端を上げる。

「あいつ、本当に変わったかもな」

「僕のことかい」

「他に誰がいるんだよ」

「僕が変化したかどうかは、まだ評価中だ」

「……お前、本当に腹立つな」

 

 杏子はため息をつき、ベンチの前にしゃがみ込んだ。

 そのやり取りを、さやかは黙って聞いていた。

 

 軽い。杏子は軽く言っている。

 でも、軽く言わなければ、きっとやっていられないのだ。

 

 死ぬところだった。

 本当なら死んでいた。

 それを、菓子でも落としたみたいな調子で言う。

 

 さやかは、自分の手を見た。

 まだ何もしていない手だった。

 

 魔法少女ではない。

 戦えない。

 誰かを守れない。

 ただ、病室で何もできず、音楽を失った少年の隣に立っているだけの手。

 

「……あたし、行く」

 まどかが顔を上げる。

「さやかちゃん?」

「病院。恭介のところ」

 

 マミが心配そうに見る。

「今日は、もう遅いわ」

「少しだけ。顔見るだけです」

 

 さやかは笑おうとした。

 うまく笑えなかった。

「大丈夫です。契約するとか、そういう話じゃないから」

 

 キュゥべえが、さやかを見た。

「美樹さやか」

「何」

「今の君は、強い感情変動状態にある。契約判断には適さない」

 

 さやかは苦笑した。

「分かってるよ」

「本当に?」

 

 その問いに、さやかは少しだけ苛立った。

「本当に。今日は見るだけ」

 

 キュゥべえはしばらく黙った。

「なら、僕は同行しない」

「え?」

「僕がいると、君は契約という選択肢を意識しやすくなる。現在は望ましくない」

 

 杏子が目を丸くした。

「お前、ほんとにキュゥべえか?」

「僕はキュゥべえだよ」

「本物のキュゥべえは、そういう時に横から契約しろって来るもんだろ」

「従来方式ならね」

 

 ほむらは、黙ったままキュゥべえを見ていた。

 さやかも少しだけ戸惑った。

 

 キュゥべえがついてこない。

 契約を迫らない。

 それは、安心していいことのはずだった。

 なのに、妙に落ち着かなかった。

 

「……じゃあ、行ってくる」

 まどかが立ち上がる。

 

「私も」

「いいよ、まどかは」

「でも」

「大丈夫。ほんとに顔見るだけだから」

 

 そう言って、さやかは公園を出た。

 誰も、すぐには追わなかった。

 

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