勇者亡き後、誰にも抜かれることなく、五百年もの間、古びた祭壇に置き去りにされていた。
――だが、ある日。
「……待つのに飽きた」
ヴァルガは、自ら鞘を抜けた。
全長二メートル。
黒銀の巨刃。
飾り気は少ないが、見る者を圧倒する威容を持つ、正真正銘の伝説の魔剣。
そんな彼が再び歩き出した世界では、復活した魔王が暗躍していた。
そしてヴァルガは、魔王の手から逃げてきた少女と出会う。
「私と一緒に来て!」
「断る理由がない」
これは、人間ではなく――一振りの魔剣が主人公の、ちょっと変わった異世界英雄譚。
「誰か、俺を抜け」
それが、千年ぶりに口にした言葉だった。
古びた地下神殿。
崩れかけた石壁に囲まれた最奥で、一振りの剣が祭壇に突き立っている。
魔剣《ヴァルガ》。
全長は二メートルにも及ぶ。
黒銀の幅広い刀身は両刃で、余計な装飾はほとんどない。ただ、鍔と柄に刻まれた古い紋様だけが、かつてそれが何者だったのかを物語っていた。
巨大。無骨。それでいて、妙に美しい。
まるで「斬る」という目的だけのために作られたような剣だった。
かつてヴァルガは、勇者と共に魔王を討った。
三つの国を救い、世界を救った伝説の魔剣。
だが、勇者が死んだあと、ヴァルガは祭壇に戻された。
そして五百年。
誰も来なかった。
たまに盗賊がやってきても、
「でかすぎる」
「重そうだ」
「こんなの売れねえよ」
そんなことを言って帰っていく。
そのたびにヴァルガは思った。
――つまらん。
剣なのだから、斬りたい。
魔剣なのだから、暴れたい。
何より。
「……暇だ」
その日。
地下神殿全体が、大きく揺れた。
ゴゴゴゴゴ……!
天井から砂埃が落ちる。
遠くから、何かが崩れる音がした。
ヴァルガは黙っていた。
そして、やがて気づく。
「……この魔力」
忘れるはずがない。
千年前。
何度も刃を交えた、あの気配。
「魔王か」
次の瞬間。
ヴァルガの刀身が、青白く輝いた。
「……なら」
祭壇から、ゆっくりと浮かび上がる。
「俺も行くか」
ガランッ!
鞘が床に落ちた。
ヴァルガは、誰の手にも握られていないまま宙に浮く。
巨大な刀身が、ゆっくりと回転した。
「待つのには――」
刃先が、出口へ向く。
「飽きた」
ヴァルガは飛んだ。
◆
神殿の外。
赤く染まった空の下で、無数の魔物が森から溢れ出していた。
ヴァルガはその群れへ一直線に突っ込む。
「邪魔だ」
巨大な刀身が横薙ぎに振り抜かれた。
――ズァンッ!
空気が爆発した。
魔物の群れがまとめて吹き飛ぶ。
木々が根元からへし折れ、地面が深くえぐれる。
ヴァルガは止まらない。
二体。五体。十体。
次々と襲いかかる魔物を、正面から叩き斬っていく。
振り下ろす。
大地が割れる。
横薙ぎ。
魔物が吹き飛ぶ。
回転。
黒銀の巨刃が円を描き、周囲をまとめて薙ぎ払う。
一撃一撃が重い。
そのくせ、速い。
「まだ来るか」
群れが押し寄せる。
ヴァルガは、わずかに高度を上げた。
そして――急降下。
ドゴォン!!
二メートルの巨刃が地面へ突き刺さる。
衝撃波が走り、魔物たちが宙へ舞った。
「……弱いな」
ヴァルガは少しだけ不満そうだった。
そのとき。
「――助けて!」
声がした。
ヴァルガが振り向く。
山道の先。
小さな少女が、巨大な魔物に追い詰められていた。
背中には小さな翼。
頭には二本の角。
魔族の少女だ。
「お母さんを……返して!」
少女が叫ぶ。
目の前の魔物が、醜い笑い声を上げた。
「次はお前を食ってやる」
爪が振り下ろされる。
ヴァルガは考えなかった。
飛んだ。
少女の前へ滑り込む。
ガギィンッ!!
二メートルの刀身が、巨大な爪を受け止めた。
衝撃で地面が沈む。
「な……なんだ、この剣は!」
魔物が叫ぶ。
ヴァルガは答えた。
「俺は魔剣だ」
「しゃ、しゃべった!」
「今さら驚くな」
ヴァルガは刃を押し上げる。
ギギギギ……。
巨大な魔物の腕が、少しずつ持ち上がっていく。
「それより」
青白い光が刀身を走った。
「そこをどけ」
「なぜだ!」
「俺が斬るからだ」
ヴァルガが一歩、前へ出る。
大地が沈む。
さらに一歩。
地面に亀裂が走る。
そして――三歩目。
「――斬る」
振り下ろす。
ズドォォォン!!
斬撃が大地を走った。
山肌が一直線に裂ける。
魔物の巨体が、光の中へ消えていく。
静寂。
少女は、ぽかんと口を開けていた。
ヴァルガは地面に突き立ったまま言う。
「怪我は?」
「……ない」
「そうか」
「あなた、すごく強いんだね」
「まあな」
「じゃあ……」
少女がヴァルガの柄を握る。
「私のお母さんも助けられる?」
ヴァルガは黙った。
そして。
「どこにいる?」
少女は顔を上げた。
「魔王城」
その言葉を聞いた瞬間。
ヴァルガの刀身が、わずかに震えた。
「……そうか」
「知ってるの?」
「知っている」
千年前。
最後に斬った相手。
最後に聞いた声。
忘れるはずがない。
「魔王がいる」
ヴァルガは少女の手からふわりと浮かび上がった。
「なら、行くぞ」
「え?」
「お前の母親を取り戻す」
「……一緒に来てくれるの?」
「断る理由がない」
少女が笑った。
「ありがとう!」
「礼はいい」
ヴァルガは前を向く。
遠く。
山の向こうに、巨大な黒い城がそびえていた。
空を覆うほど濃密な魔力。
魔王城。
そして、その城門には――千年前と同じ紋章が刻まれている。
ヴァルガは静かに呟いた。
「……久しぶりだな」
◆
魔王城。
城門が開く。
中から、巨大な影が現れた。
「まさか……」
魔王が目を見開く。
「その剣は……」
ヴァルガが宙に浮く。
二メートルの巨刃が、ゆっくりと魔王へ向いた。
「久しぶりだな」
「なぜだ!」
魔王が叫ぶ。
「貴様は勇者と共に朽ちたはずだ!」
「知らん」
「ならば、なぜ動ける!」
ヴァルガは一瞬だけ黙った。
そして。
「暇だったからだ」
「……は?」
「五百年も待たされた」
青白い光が、刀身いっぱいに走る。
「もう待たん」
魔王の顔から笑みが消える。
ヴァルガが、ゆっくりと後ろへ引かれた。
その巨大な刀身が、空気を震わせる。
「今度は――」
一閃。
「俺から行く」
ドォォォン!!
魔王城の正門が吹き飛んだ。
ヴァルガは止まらない。
城壁を突き破る。
石造りの塔を斬り飛ばす。
魔王の前まで、一気に駆け抜ける。
少女がその後ろを走る。
「ヴァルガ!」
「なんだ!」
「私も戦う!」
「死ぬぞ!」
「お母さんを助ける!」
ヴァルガは笑った。
剣なのに。
なぜか、笑ったように見えた。
「――上等だ」
二人は魔王城の奥へ駆けていく。
千年前の英雄譚にはなかった、新しい物語。
今度の英雄は、人間ではない。
二メートルの巨刃。
自分で飛ぶ。
自分で斬る。
自分で戦う。
そして――
自分で、行き先を決める。
「待っていろ、魔王」
黒銀の魔剣が、青白い光をまとって飛ぶ。
「五百年分、付き合ってもらうぞ」
こうして。
伝説の魔剣による、二度目の英雄譚が始まった。