DARK SOULS 〜AFTER STORY〜   作:OSPND

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10.林の奥

 老人に案内されたのは、村の中央にある集会所を兼ねた家だった。ほかの家より一回り大きく、入口の脇には農具や薪が積まれている。中へ入ると、すでに数人の村人が二人を待っており、その中には実際に獣を見たという四十代ほどの男もいた。

 

「モトのギルドから来たリリィです。こっちは宿無し。獣を見た場所について聞かせてもらえますか?」

 

 リリィがそう告げると、男は卓の上へ一枚の紙を広げた。村と周囲の畑、それに西側の林を大まかに描いただけの簡単な地図だったが、普段使っている道や沢の位置まで書き込まれている。

 

「最初に見たのはここだ」

 

 男が林の中ほどを指した。

 

「三日前の夕方だ。薬草を採って戻ろうとしたとき、沢の向こうで何かが動いた。最初は熊だと思ったんだが……」

 

「違った?」

 

「暗くなりかけてたから、はっきりとは見えなかった。ただ、身体が低かった気がする。それに、頭のところに牙みたいなものが見えた」

 

「牙猪じゃないの?」

 

「俺もそう思ったさ。だが、あんなでかい牙猪は見たことがねぇ」

 

 男は両腕を広げ、大きさを示した。

 

「少なくとも、この卓よりでかかった。背中も俺の腰より高かったと思う」

 

 リリィが宿無しへ目を向ける。

 

「牙猪にしては大きいね」

 

「ああ」

 

「翌日に別の者も足跡を見つけてる」

 

 老人が話を継いだ。

 

「沢の近くだ。そいつは姿までは見てねぇが、いつもの牙猪よりずっとでかい跡だったらしい。それからは誰も林へ入ってない」

 

「家畜が襲われたりは?」

 

「今のところはない。畑にも降りてきてねぇ。ただ、あそこで採れる薬草を使う家が多くてな。このまま近づけないのも困る」

 

 リリィは地図を眺めながら頷いた。

 

「分かりました。まず沢まで行って足跡を確認してみます。まだ近くにいるようなら探しますけど、ずっと奥まで追うことになるなら一度戻って相談します」

 

「頼む」

 

 宿無しは隣で話を聞きながら、卓の上に広げられた地図へ目を落としていた。

 

 村から西へ伸びる小道は畑を抜けて林へ入り、途中で二つに分かれている。北側は薪を集める場所へ向かい、もう一方は薬草の採取場所を通って沢まで続いているが、その先には木々と低い丘を示す線があるだけで、人の使う道は描かれていない。

 

「ここから先は?」

 

 宿無しが沢の向こうを指すと、老人も地図を覗き込んだ。

 

「林が続いてるだけだ。少し行けば丘になってる。越えた先にも村はねぇし、わざわざ入る奴もいない」

 

「道は?」

 

「獣道くらいならあるだろうが、人が使う道はないな」

 

 宿無しは地図から指を離した。

 

 ただそれだけの話であるはずなのに、何も描かれていない沢の向こうを見ていると、村へ入る途中で林を眺めたときと似た引っ掛かりが胸の奥に残った。

 

「宿無し?」

 

 リリィに呼ばれて顔を上げる。

 

「何?」

 

「いや」

 

「さっきから変だよ。林の方見て止まったり、地図眺めたり」

 

「そうか?」

 

「そう」

 

 何が気になっているのかと聞かれても、宿無し自身にも説明できなかった。見覚えがあるわけでも、何かを思い出したわけでもない。それなのに、何も知らないはずの場所を完全に知らない場所として見ることができず、言葉にできない違和感だけが残っている。

 

「行けば分かる」

 

 宿無しが言うと、リリィは少し眉を寄せた。

 

「……獣を見に行くんだからね」

 

「ああ」

 

「無茶はしないでよ」

 

「分かった」

 

 村人からもう少し詳しい話を聞き、水を補充してから、二人は林へ向かった。

 

 村の外れを抜ける頃には陽も高くなり、朝方に残っていた涼しさはすでに消えていた。畑の脇を通る細い道を進み、背の高い草地を越えると、やがて頭上を枝葉が覆い始める。

 

 林の中は村から眺めた印象よりも明るかった。太い木ばかりが密集しているわけではなく、ところどころに陽の差し込む空間があり、地面には低い草や苔が広がっている。村人が薪を拾うために使っているらしく、入口に近いところでは下草も刈られ、踏み固められた道がはっきり残っていた。

 

林へ入ってからしばらく経った頃、リリィが足を止めた。

 

「今のところ何もいないね」

 

「ああ」

 

「ちょっと休もうか。もう昼も過ぎてるし」

 

 近くの倒木へ腰を下ろしながら、リリィが宿無しの荷物へ目をやる。

 

「マリーが入れてくれたの、まだ食べてないでしょ?」

 

「ああ」

 

「やっぱり。今のうちに食べときなよ」

 

 宿無しは荷物から布包みを取り出した。開けば、パンと燻製肉が収められており、朝に酒場で受け取ったときと同じ香りがわずかに立つ。

 

「ちゃんと肉まで入ってる」

 

 隣から覗き込んだリリィが笑った。

 

「マリー、宿無しが放っておいたら昼ご飯も食べなさそうって思ってたんじゃない?」

 

「そうなのか?」

 

「そうだよ。じゃなきゃ出かける直前に、わざわざ厨房まで取りに戻らないでしょ」

 

 言われてみればそうなのかもしれない。宿無しはパンを割り、燻製肉と一緒に口へ運んだ。

 

 少し硬くなったパンに肉の塩気がよく合う。

 

「おいしい?」

 

「ああ」

 

「帰ったら言ってあげなよ。たぶん喜ぶから」

 

 宿無しはもう一口食べながら、小さく頷いた。

 

 リリィも持ってきた食事を取り出し、二人はしばらく木陰で休んだ。ここまで獣らしい痕跡は何度か見つけたものの、どれも新しいものとは言い難い。食事を終える頃には、歩き続けていた足の疲れもいくらか抜けていた。

 

「足跡も見ながら行こう。大きいならすぐ分かると思う」

 

 二人は立ち上がり、今度は地面にも注意を向けながら林の奥へ進んだ。

 

 柔らかい土の上には鳥や小動物のものらしい跡がいくつも残り、ときおり鹿と思われる細長い蹄の跡も混じっている。雨が降ってから何日か経っているらしく、古いものは輪郭が崩れ、周囲の土へ溶け込むように薄くなっていた。

 

 やがて道が二つに分かれた。北へ向かう方には木を引きずった跡が残っており、もう一方は緩やかな下りになっている。地図で見た通りなら、こちらが薬草の採取場所を通って沢へ続く道だった。

 

 しばらく進むと水の流れる音が聞こえ始め、その少し手前でリリィが足を止めた。

 

「宿無し」

 

 指された先の湿った地面には、人の足よりもはるかに大きな窪みが残っていた。二人がその場へしゃがみ込むと、先端には二つに割れた蹄の形がはっきり見える。少し離れたところにも同じ跡が続き、周囲の草は重い身体に踏みつけられたように倒れていた。

 

「牙猪だね」

 

 リリィが跡の輪郭へ手を添えた。

 

「でも確かに大きい。普通のやつより一回り……いや、もっとあるかも」

 

「新しい」

 

「分かる?」

 

「ああ。昨日か、今日だ」

 

 宿無しが周囲を見回すと、足跡は沢の方から現れ、一度道を横切ってから林の奥へ続いていた。途中では木の根元の土が大きく掘り返され、樹皮にも泥が擦りつけられている。

 

「まだ近くにいそうだね」

 

 リリィは立ち上がり、足跡の続く先を見た。

 

「沢まで見よう。そこにいなかったら、この跡を少し追ってみる」

 

「ああ」

 

「少し、だからね」

 

「ああ」

 

 沢へ近づくと、林の間に細い水の流れが見えてきた。川と呼ぶほどの幅はなく、石の間を澄んだ水が流れ、その周囲には背の低い植物が群生している。村人たちが採取していたのはその一部なのだろう。切られた茎や、作業の際に踏まれたらしい跡もところどころに残っていた。

 

 獣の足跡は沢を渡っており、宿無しとリリィも滑りやすい石を選びながら対岸へ移った。

 

 そこから先は、村人が使っていた道とは明らかに様子が違っていた。踏み固められた地面は途切れ、木々の間には低木や蔓が増えている。それでも巨大な牙猪が通った痕跡は分かりやすく、折れた枝や押し潰された草を辿れば見失うことはなかった。

 

「結構奥へ行ってるな」

 

 リリィが周囲を見ながら言う。

 

「村から離れている」

 

「そうだね。これ以上先なら、わざわざ追わなくてもいいかもしれないけど……」

 

 言いかけたところで、前方の藪が大きく揺れた。

 

 二人はほぼ同時に武器へ手を掛け、低い唸り声とともに押し分けられる枝の向こうへ視線を向けた。黒褐色の巨体が姿を現したのは、その直後だった。

 

「……でか」

 

 リリィが思わず漏らした。

 

 現れたのは牙猪だった。形そのものは珍しくないものの、村人の話は決して誇張ではない。目の前の個体は通常のものより明らかに大きく、肩から背中にかけて盛り上がった筋肉を硬そうな毛が覆っている。宿無しの腹近くまである背丈の下では、口の両脇から伸びた太い牙が大きく湾曲していた。

 

 牙猪はこちらを見つけると、前脚で地面を掻きながら低く鼻を鳴らした。

 

「宿無し、横に」

 

 リリィが大剣を抜き、宿無しも剣を鞘から抜いて正面から少しずれた位置へ動く。

 

「私が右に避ける。突っ込んできたら――」

 

 リリィが言い終えるより先に、牙猪が地面を蹴った。

 

 巨体に似合わない速度で一気に距離を詰めてきたため、リリィは右へ跳び、宿無しも反対側へ身体をずらした。二人の間を牙猪が駆け抜け、そのまま数歩先で土を巻き上げながら身体を反転させる。

 

「速っ……!」

 

 リリィが体勢を立て直す一方で、宿無しは牙猪から視線を外さなかった。身体は大きく、突進も速い。それでも動きそのものは、これまで相手にしてきた牙猪と大きく変わらない。

 

 二度目の突進が始まっても宿無しは寸前まで動かず、牙が届く直前になって半歩だけ身をずらした。

 

「宿無し!」

 

 リリィの声が飛ぶのとほぼ同時に、宿無しの剣がすれ違う牙猪の首と肩の境へ振り下ろされた。

 

 刃を深く受けた牙猪は悲鳴に似た声を上げ、勢いのまま数歩走ったものの、やがて前脚が崩れて地面へ倒れた。なおも立ち上がろうとする巨体へ宿無しが近づき、首元へもう一度剣を突き入れると、しばらくして完全に動きを止めた。

 

 荒れていた枝葉が静まり、林には再び沢の流れる音が戻ってくる。

 

「……相変わらずだね」

 

 大剣を構えていたリリィが息を吐いた。

 

「何がだ?」

 

「いや。私、いらなかったかなって」

 

「一人でもできた」

 

「それを言うなって」

 

 リリィは苦笑しながら大剣を収め、倒れた牙猪のそばへしゃがみ込んだ。

 

「これなら村の人が怖がるのも分かるなぁ。こんなの畑に出たら柵なんて簡単に壊される」

 

「一頭だけか?」

 

「どうだろ。近く見てみようか。同じくらい大きい足跡が他にもあったら厄介だし」

 

 二人は周囲を調べ始めた。牙猪が寝床にしていた場所でもあるのか、少し奥には草を押し潰した跡があり、木の実の殻や掘り返された土も残っている。しかし確認できる足跡はほとんどが同じ大きさで、別の大型個体が頻繁に出入りしている様子はなかった。

 

「たぶん、こいつだけかな」

 

 リリィは立ち上がり、額の汗を腕で拭った。

 

「村まで戻って報告しよう。場所教えれば、肉も取りに来るでしょ」

 

「ああ」

 

 大型の獣の正体を確認し、危険な個体は討伐した。ほかに同程度の獣がいる痕跡も見つからない以上、依頼された仕事はこれで終わっている。

 

 宿無しが剣についた血を草で拭っていると、沢とは反対側の林から、低く鈍い音が届いた。

 

 石か、太い木がどこかで軋んだような音だった。

 

 宿無しが顔を上げると、リリィも同じ方角を見ている。

 

「今の聞こえた?」

 

「ああ」

 

「枝でも折れたのかな」

 

 しばらく待ってみたものの、同じ音は続かなかった。

 

 リリィは少しだけ耳を澄ませたあと、牙猪へ目を戻した。

 

「まあ、いいか。戻ろう」

 

 宿無しも剣を鞘へ収め、来た方角へ向き直ろうとした。

 

 そのときだった。

 

 先ほど音のした方から風が抜け、周囲の枝葉が一斉に揺れた。その奥から、これまで聞こえていた沢とは明らかに違う水音が届いてくる。

 

 宿無しは足を止めた。

 

「どうしたの?」

 

「水がある」

 

「水?」

 

 リリィも耳を澄ませる。

 

 細い沢のせせらぎとは違い、もう少し幅のある流れが岩へ当たりながら続いているような音だった。

 

「……ほんとだ」

 

 リリィは来た道の方を振り返り、それから音のする林の奥へ目を向けた。

 

「でも、こっちに水なんてあったっけ?」

 

「地図にはなかった」

 

「だよね」

 

 村で見せられた地図には、薬草の採取場所を通る沢が一本描かれていただけだった。その沢はすでに越えている。さらに西側は林から低い丘へ続くと聞いており、別の水の流れがあるという話もなかった。

 

 それだけなら、村人が知らない小さな流れがあっただけとも考えられる。

 

 しかしリリィは、林の奥を見つめたまま首を傾げた。

 

「……あれ?」

 

「何だ?」

 

「木、違わない?」

 

 言われて宿無しも目を向ける。

 

 すぐ近くに生えている木々と、その先に見える木々では、確かに様子が違っていた。

 

 ここまで林を覆っていたのは、比較的細い幹を持つ背の高い木が多かった。それに対して水音のする方角には、幹の太い古木が目立ち、枝の広がり方も違っている。地面を覆う草は低くなり、岩肌には厚い苔が張りついていた。

 

 長い距離を歩いてきたわけではない。ほんの少し先に見えている景色だけが、同じ林の続きとは思えないほど変わっている。

 

「こんなだった?」

 

 リリィが尋ねる。

 

「違う」

 

「私もそう思う」

 

 二人はその場からしばらく奥を眺めた。

 

 木々の間に境目が引かれているわけではなかった。手前の林から向こうの景色へ少しずつ混じり合っており、どこから違うのかと問われれば答えられない。それでも、気づいてしまえば同じ場所には見えなかった。

 

「少しだけ見てみる?」

 

 リリィが言った。

 

「戻るんじゃないのか?」

 

「戻るつもりだったよ」

 

 そう答えながらも、リリィは水音のする方から目を離さない。

 

「でも、地図にない水があって、木までこんなに違うってなると、村に一言伝えた方がいいでしょ。近くまで行って確認するだけ」

 

「ああ」

 

「本当に近くまでだからね」

 

 二人は牙猪の死骸の位置を覚え、その場を離れた。

 

 水音のする方へ進んでいくと、林の変化はさらに分かりやすくなった。

 

 幹の太い木が増え、その根は土の上へ大きく張り出している。落ち葉の色も、地面を覆う草の形も、先ほどまで歩いていた場所とは少し違っていた。岩には古びた苔が厚く付き、日の光が枝葉の間を抜けても、周囲にはひんやりとした湿気が残っている。

 

 それでも、そこだけ別の森が突然現れたような明確な境界はなかった。振り返れば今まで歩いていた木々も見えており、数十歩も離れていない。

 

「変だね」

 

 リリィの声から、先ほどまでの軽さが消えていた。

 

「ああ」

 

 宿無しはそう答えながら、周囲を見ていた。

 

 初めて来た場所であることに変わりはない。それなのに、太い木々の間を進むにつれて、村へ来る途中から感じていた引っ掛かりが少しずつ強くなっていった。

 

 水音が近づき、やがて二人の前方で地面が緩やかに下り始めた。

 

 枝葉の向こうに水面が見える。

 

 そこまで来たところで、リリィが足を止めた。

 

「……待って」

 

 林の中を、一本の水の流れが横切っていた。

 

 先ほど越えた沢よりも明らかに幅があり、岩の間を水が絶えず流れている。片側には木々と岩に挟まれた細い道が水に沿って奥へ続き、反対側には苔むした斜面が立ち上がっていた。

 

 それだけなら、山間の林では珍しくもない景色だった。

 

 問題は、それがここにあることだった。

 

 リリィはしばらく水の流れを眺めたあと、後ろを振り返る。

 

「これ、村の人が知らないってある?」

 

「地図にもなかった」

 

「うん。それに……」

 

 リリィは周囲の地形へ視線を巡らせた。

 

「ここまで来る途中、こんな水が流れ込む谷なんて見えなかったよね」

 

「ああ」

 

 水はどこからか突然湧き出しているわけではない。林の奥から流れてきて、そのまま木々の向こうへ続いている。

 

 にもかかわらず、村で見せられた地図にも、六十年以上この土地で暮らしているという老人の話にも、この流れは存在していなかった。

 

「もう少し先、見える?」

 

 リリィが水沿いの道へ目を凝らす。

 

 左右を岩と古木に挟まれた細い道は、その先で緩やかに曲がっており、枝葉に遮られて奥までは見通せない。建物も、人の姿も見えず、ただ水と森だけが続いているように見えた。

 

 宿無しはその景色を見つめたまま動かなかった。

 

「宿無し?」

 

 呼ばれても、すぐには答えなかった。

 

 流れる水の位置も、岩の形も、奥へ続く道も、記憶の中にあるわけではない。どこへ行けば何があるのかと問われても答えられず、この場所の名さえ知らなかった。

 

 それなのに、その道を見ていると、知らない場所を眺めているという感覚だけがどうしても薄れていく。

 

「……行ったことがある」

 

「え?」

 

 リリィが宿無しを見る。

 

 口にしてから、宿無し自身もなぜそんな言葉が出たのか分からなかった。

 

「ここに?」

 

 しばらく水沿いの道を見つめたあと、宿無しは首を振った。

 

「分からない」

 

「分からないって……」

 

 リリィは戸惑ったように眉を寄せた。

 

「でも、行ったことがあるって思ったんだよね?」

 

「ああ」

 

「何か昔のことでも思い出したの?」

 

「いや、何も」

 

 記憶を探ろうとしても、浮かぶ景色はなかった。誰かとここを歩いたことも、この水辺で何かをしたことも思い出せない。

 

 ただ、目の前にあるものを初めて見た気がしなかった。

 

 リリィもそれ以上は問い詰めず、改めて奥へ続く道へ目を向けた。

 

「……今日はここまでにしよう」

 

「ああ」

 

「これ以上は入らない。獣のことと一緒に、村の人にもこの場所を確認してもらおう」

 

 宿無しは頷いた。

 

 二人は水辺から離れ、来た道を戻り始めた。

 

 数十歩も進むと、周囲には再びそれまで歩いてきた林の木々が増えていく。振り返れば太い古木もまだ見えているというのに、水の流れる音は枝葉のざわめきに紛れ、次第に聞こえなくなっていった。

 

 宿無しは一度だけ足を止め、背後へ目を向けた。

 

 見えているのは木々だけだった。

 

 その向こうに地図にはない水の流れと、見覚えのないはずの道が続いている。

 

 何を思い出しかけているのかは分からない。場所の名も、そこへ来た理由も、頭の中には何一つ浮かんでこなかった。

 

 それでも、胸の奥に残った感覚だけは消えなかった。

 

 宿無しは、あの場所を知っている。

 

 

= 第一章 宿無し 終 =

 




はじめまして。OSPND(おすぱんだ)です。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
本作が処女作品なのですが、たくさんの方に読んでいただけてとても励みになっています。
これにて第1章は完結となります。

もし少しでも「面白い」「続きが読みたい」と思っていただけたら、ページ下部からお気に入り登録や評価をいただけると、今後の執筆の大きな力になります!
引き続きどうぞよろしくお願いします!
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