DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
翌朝、宿無しが一階へ下りると、酒場ではすでに開店前の準備が始まっていた。
リゴルドは酒樽の残りを確かめ、マリーは卓を拭いている。宿無しが階段を下りる音に気づくと、マリーが顔を上げた。
「おはようございます、宿無しさん」
「ああ」
昨夜、ギルドから戻ったあと、ルーヴ村で見つけた場所について二人にも話していた。
地図にはない川が林の奥に現れていたこと。周囲だけ木々の様子まで変わっていたこと。そしてギルドで、《幻跡》ではないかという話になったこと。
幻跡そのものは、リゴルドもマリーも知っていた。どこかの土地に突然現れ、国や軍が調査に入ったという話は、ときおり旅人や商人の口から酒場にも流れてくる。
宿無しだけが、その話にこれまで関心を持っていなかったらしい。
「昨日の場所、今日見に行くんですか?」
マリーが布巾を置いて尋ねた。
「軍が来るなら案内する」
「宿無しさんは中には入らないんですよね?」
「案内だけだ」
「なら、私はそれ以上言いません」
そう言いながらも、マリーの目にはわずかに心配が残っている。
リゴルドが樽から顔を上げた。
「軍が調べるってんなら任せとけ。お前の仕事はそこまで連れてくことだ」
「ああ」
「この前みたいに、目の前にあるからって全部自分で片づけようとすんなよ」
「分かっている」
リゴルドはそれ以上何も言わず、再び手元へ目を落とした。
宿無しはいつもの朝食を済ませると、剣を腰へ差し、小さな荷物を持って立ち上がった。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい。気をつけてくださいね」
「ああ」
リゴルドも片手を上げる。
宿無しは酒場を出て、朝の街をギルドへ向かった。
昨夜、領兵詰所から共和国軍へ送られた電信には、夜のうちに返答が届いていた。
折よく共和国軍の一隊が別の任務でモト近郊を巡回しており、幻跡の可能性があるという報告を受けて、現地確認へ回されることになったという。発見者である宿無しとリリィには、異変を見つけた場所までの案内が求められていた。
ギルドへ着くと、リリィはすでに来ていた。
「おはよう」
「ああ」
「やっぱり私たちも行くことになったね」
受付の前にはネネアがおり、その近くに見慣れない軍人が二人立っていた。
一人は四十代ほどで、肩幅の広い身体を共和国軍の軍装に包んでいる。腰には剣を下げ、胸元には所属を示す徽章が留められていた。
その隣には、少し若い男が立っている。
ネネアが宿無しを呼び、二人を紹介した。
「こちらが今回の現地確認を指揮するガーベラ隊長と、副隊長のラモンドさんです」
「ガーベラだ」
隊長は短く名乗り、宿無しへ視線を向けた。
「お前が発見者の宿無しだな」
「ああ」
「報告は読んだ。現地までは二人に案内してもらう」
「分かった」
ガーベラは今度はリリィへ向いた。
「昨日入ったのは、水辺までで間違いないな?」
「はい。そこから先には進んでません」
「なら、そこまででいい。その先はこちらで確認する」
「私たちは入らないんですか?」
「当然だ」
ガーベラは即答した。
「まだ中の状況が分からん。案内人まで連れて入る必要はない」
「分かりました」
リリィは素直に頷いた。
宿無しも何も言わなかった。
昨夜ネネアから説明を聞いたあとも、あの水辺のことは頭に残っていた。もう一度見れば何か分かるような気もする。
それでも、頼まれたのは案内だけだった。
しばらくして、残りの人員もギルドへ集まった。
調査内容を残すための記録係が一人。魔術師が一人。それに現地での警戒と補助のため、モトの領兵が四名同行する。
領兵のうち二名は調査隊とともに内部へ入り、残る二名は発見地点の外で警戒に当たる予定だった。
魔術師は三十代ほどの女性で、簡素な外套を身につけ、杖といくつかの道具を携えている。
「アロエです。よろしくお願いします」
「リリィです。こっちが宿無し」
「ああ」
宿無しが頷くと、アロエも軽く会釈を返した。
「報告では、林の植物まで変わっていたそうですね」
「そう。木も下草も、途中から違ってた」
「どこから変わったかは分かりますか?」
「それが、はっきりしないんです。境目があるわけじゃなくて、気づいたら周りが変わってた感じで」
「なるほど……」
アロエは考えるように頷いた。
その横では記録係が、すでに二人の話を簡単に書き留めている。
ガーベラが全員を見回した。
「続きは現地で確認する。出るぞ」
調査隊はモトの北門から街を出た。
昨日、宿無しとリリィが歩いたのと同じ北西への街道を進むが、今回は軍と領兵が用意した馬を使っている。宿無しとリリィにも馬が貸し出され、徒歩だった前日よりはるかに早く距離を稼いでいった。
午前のうちにルーヴ村へ着くと、軍人たちの姿を見つけた村人が何人も集まってきた。
昨日話を聞いた老人も、その中にいる。
「軍まで来たのか」
「昨日の場所を確認するそうです」
リリィが答えると、老人は西の林へ目を向けた。
「今朝は誰も入らせてねぇ。昨日言われた通りにしてある」
ガーベラが前へ出た。
「共和国軍のガーベラだ。昨日の件について、いくつか確認させてもらう」
老人や、前日に沢まで入った男から改めて話を聞いたが、内容は宿無したちが報告したものと変わらなかった。
沢の先には昔から林と丘しかない。
あの位置に川はない。
周囲と異なる木々がまとまって生えている場所も知らない。
前日に沢まで入った男も、そのときには何の異変にも気づいていなかった。
記録係が話を書き留める傍らで、ガーベラは村人から借りた地図を確認している。
「発見地点はこの辺りか」
指された場所をリリィが覗き込む。
「もう少し西です。牙猪を倒した場所から、さらに奥に入ったところ」
「沢からどのくらいだ?」
「歩いて十分か十五分くらいだと思います」
「分かった」
ガーベラは地図を畳んだ。
「これから現地を確認する。こちらから知らせるまで、村の者は林へ入らないでくれ」
「分かった」
老人が頷いた。
馬は村に預け、そこから先は徒歩になった。
昨日と同じ道を通って西の林へ入り、宿無しとリリィが先頭に立って一行を沢へ案内する。
林の入口付近には何も変わったところはない。村人が薪を集めるために使う踏み固められた道が続き、ところどころには切られた枝や木を引きずった跡も残っている。
「ここまでは昨日と同じです」
リリィが周囲を見ながら言った。
「異変に気づいたのは沢を越えてからか?」
ガーベラが尋ねる。
「もっと先です。最初は牙猪を追ってましたから」
沢を渡り、前日に牙猪を追った跡を辿る。
やがて、木々の間に血の染みた土と踏み荒らされた草が見えてきた。死骸はすでに村人によって運び出されていたが、そこに大きな獣が倒れていたことは十分に分かる。
「ここです」
リリィが足を止めた。
「昨日、牙猪を倒したのがこの辺。そのあと、向こうから別の水音が聞こえました」
ガーベラが西へ目を向ける。
見えているのは普通の林だった。
「川は見えんな」
「ここからは見えません。少し奥です」
「案内を続けてくれ」
二人は再び歩き出した。
しばらく進んだところで、宿無しは周囲へ目を向けた。
昨日と同じだった。
はっきりと何かを越えた感覚はない。それでも、いつの間にか目に入る木々の中に、幹の太いものが混じり始めている。
「この辺だ」
宿無しが言うと、一行が足を緩めた。
リリィも周囲を見回す。
「うん。昨日もこの辺からだったと思う」
アロエが近くの木へ歩み寄り、樹皮へ目を向ける。
「確かに違いますね」
「種類がか?」
ラモンドが尋ねた。
「ええ。さっきまで多かった木とは違います。それに、足元も少し変わってきています」
周囲を見れば、数歩後ろにはこれまで歩いてきた林がある。その先へ進むにつれて太い古木が少しずつ増え、地面を覆う草や苔の様子も変わっていた。
境界線のようなものはどこにもない。
アロエは少し戻って周囲を見比べてから、再び元の場所へ戻った。
「ここから先、と決めるのは難しそうですね」
「位置は残しておけ」
ガーベラが記録係へ言う。
「はい」
記録係が地図へ印を書き込んだ。
ガーベラは前方を見た。
「進むぞ」
一行はさらに林の奥へ入った。
進むほど幹の太い木々が増え、岩を覆う苔も厚くなっていく。気温が大きく変わったわけではないのに、周囲には先ほどまでより湿った空気が漂っていた。
やがて、前方から水音が聞こえてくる。
ラモンドが顔を上げた。
「さっきの沢とは別だな」
「昨日聞いたのもこれです」
リリィが答えた。
木々の間をさらに進むと、枝葉の向こうに水面が見え始めた。
そこまで来て、一行の足が止まる。
林の中を一本の水の流れが通っていた。
先ほど越えた沢より明らかに幅があり、岩の間を流れる水が木々の奥へ続いている。その脇には水に沿うように細い道が伸び、周囲を太い古木と苔むした岩が囲んでいた。
昨日、宿無しとリリィが見たものと同じ景色だった。
「……これか」
ガーベラが言った。
「はい」
リリィが頷く。
記録係は地図を開き、目の前の地形と何度か見比べた。
「合いませんね」
「どこがだ?」
「川だけではありません。この地図なら、本来この先から土地が高くなるはずです」
ラモンドが水の流れる先を見た。
そこには丘へ向かう斜面などなく、低い土地が水に沿ってそのまま林の奥へ続いている。
アロエも周囲を見回した。
「この水量なら、以前からここにあったと考える方が不自然ですね。周辺の沢や土地にも、何かしら影響が出ているはずです」
ガーベラはしばらく目の前の景色を眺めてから、宿無しとリリィへ振り返った。
「昨日来たのはここまでだな?」
「ああ」
「はい。先には入ってません」
「分かった。案内はここまででいい」
ガーベラは調査隊へ向き直った。
「ここから先は我々が確認する。ラモンド、人員を」
「了解」
内部へ入るのは、ガーベラ、ラモンド、アロエ、記録係、それに領兵二名の六人。
残る領兵二名は水辺の手前に残り、現地の警戒に当たる。
「誰も先へ入れるな。何かあれば一人を報告に走らせろ」
「了解しました」
ガーベラは宿無しとリリィにも目を向けた。
「二人もしばらくここに残っていてくれ。確認したいことが出るかもしれん」
「分かりました」
リリィが答え、宿無しも頷いた。
宿無しはそのまま川沿いの道へ目を向けた。
昨日と何も変わっていない。
水が流れ、古木が並び、その先は緩やかに曲がって木々の向こうへ消えている。
それでも再びここへ立つと、胸の奥に残っていた感覚が蘇った。
この先に何かがある。
何があるのかも、道がどこへ続くのかも分からない。ただ、初めて見る場所を眺めているという感覚だけが薄かった。
「宿無し」
ガーベラに呼ばれ、視線を向ける。
「昨日、お前はここを見て『行ったことがある』と感じたそうだな」
「ああ」
「今もそう感じるか?」
宿無しはもう一度、水沿いの道を見た。
「同じだ」
「……そうか」
ガーベラはそれだけ確認すると、隊列の先頭へ戻った。
「行くぞ」
六人の調査隊が水辺へ足を踏み入れる。
先頭のガーベラに続き、ラモンドたちが川沿いの細い道を進んでいく。誰かが何かを越えたようには見えず、歩く姿も声も、それまでと変わらない。
やがて木々が重なり、一人、また一人と姿が隠れていった。
最後には水音だけが残った。
リリィが隣で小さく息を吐く。
「……待つしかないね」
「ああ」
宿無しは答えたものの、川の奥から目を離さなかった。
調査隊が消えていった先を見ていると、昨日から胸の内に残っていたものが、またわずかに強くなったように感じられた。