DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
昇降台が下るにつれて、頭上に残っていた光は次第に小さくなった。太い鎖の軋む音だけが四方の石壁を伝い、何度も反響する。どれほど下ったのか分からなくなった頃、ようやく暗闇の底から石造りの床が近づき、昇降台は重い振動を三人の足元へ残して止まった。
地下はひどく薄暗く、石壁に挟まれた通路の先はすぐに闇へ沈んでいた。湿った土と古い石の匂いが淀む中、リリィが足元へ目を向ける。
「血がある」
昇降台から通路へ続く血の跡は、上で見つけたものより明らかに新しく、量も多かった。点々と落ちているだけではなく、大きく滲んだ跡もあり、ガーベラがここへ着いた時点ですでにかなりの血を失っていたことが窺える。
ラモンドはすぐに剣を抜いた。
「近いはずだ。急ぐぞ」
三人は血痕を追って、真っ直ぐ伸びる通路を進んだ。長い年月をかけて伸びた太い根が石壁を押し割り、ところどころ床へまで這い出している。敵の姿はなかったが、血の跡には足を引きずったような擦れが混じり、途中の壁にも手を押し当てた形で赤黒い跡が残っていた。
「隊長!」
ラモンドが何度か声を張ったものの、しばらく返事はなかった。
奥へ進むにつれて床の血は濃くなり、壁際にも大きな染みが目立ち始める。その先の暗がりから、ようやく掠れた声が届いた。
「……ラモンドか」
「隊長!」
ラモンドが駆け出した。
通路の先は少し広くなっており、その壁際にガーベラが背を預けて座り込んでいた。鎧は何か所も裂け、左脇から腹へ染み込んだ血はすでに黒ずみ始めている。片脚にも深い傷があり、傍らへ置かれた剣の柄まで赤く汚れていた。
ここまで一人で歩いてきたこと自体が信じ難い状態だった。顔を上げた目にはまだ意識が残っていたが、呼吸は浅く、ラモンドの姿を確かめるだけでも時間が掛かっている。
「来たか……」
ラモンドはすぐに膝をついて傷へ手を伸ばしたが、ガーベラは力なくその手を制した。
「待て……傷は、深い」
「増援を呼んであります。入口にも一人残してあります。アロエも上の塔にいました。もう戻りましょう」
「……そうか」
「どうして一人でここまで」
ガーベラはしばらく答えず、自分が来た通路の先へ視線だけを向けた。
「出口を……探していた」
それだけ言うと、苦しげに息を吐く。
ラモンドはそれ以上聞かなかった。
「もういいです。帰りますよ」
ガーベラは一度目を閉じたが、すぐに何かを思い出したように薄く開いた。
「……記録係は?」
ラモンドの返事がわずかに遅れる。
それだけで察したらしく、ガーベラは目を伏せた。
「……そうか」
リリィも傍へ寄り、持っていた布を傷口へ当てる。
「隊長さん、立てますか?」
「ああ……支えて、くれれば」
声は途切れがちだった。
ラモンドがガーベラの腕を肩へ回そうとした、その傍らで、宿無しだけが別の方向を見ていた。
ガーベラが休んでいた場所の先には、それまでの狭い通路から一転して広い空間が口を開けている。高い天井から太い根が垂れ下がり、石壁を突き破って床へまで伸びていた。光は入口付近にしか届かず、奥のほとんどは暗がりへ沈んでいる。
その中に、何か巨大なものが横たわっていた。
初めは倒れた大木に見えた。地下へ入り込んだ根が幾重にも重なり、そのまま朽ちて横倒しになっているようにしか見えない。
「……あれは?」
宿無しの声に、ガーベラが重そうに顔を動かした。
「分からん……動いては、いなかった」
「生き物でしょうか」
ラモンドも暗がりへ目を凝らしたが、ガーベラは答えず、再び目を閉じた。
「今はいい。隊長を上へ運ぶぞ」
その判断に異論はなかった。目的はガーベラを連れ帰ることであり、正体の分からないものへわざわざ近づく理由などない。
ラモンドがガーベラを支えて身体を起こそうとしたが、宿無しはその場を動かなかった。
「宿無し?」
リリィが振り返る。
声は聞こえていた。それでも、暗がりに横たわるものから目を離せない。
昨日、水辺を見たときにも似た感覚はあった。川沿いに倒れていた人型や、巨大な木の下にいた白い鎧にも、知らないものをどこかで知っているような引っ掛かりがあった。
目の前のものは、それよりもずっと近い。
何なのかは分からない。名前も浮かばない。それでも巨大な影を見ていると、胸の奥深くへ沈んでいた何かが、今にも浮かび上がろうとしているように強く揺れた。
「宿無し、戻るよ」
もう一度呼ばれても、宿無しは広い空間へ一歩踏み込んだ。
「おい、どこへ行く」
ラモンドの声を背に、さらに近づく。
大木にしか見えなかったものは、距離が縮まるにつれて少しずつ異様な輪郭を見せ始めた。表面は樹皮のように乾ききり、深い皺と節めいた隆起が幾重にも走っている。地面へ投げ出された太い塊も、朽ちた根のように見えた。
だが、その先には細長いものが五つ並んでいる。
別の塊も途中で不自然に折れ曲がり、左右にはよく似た形が伸びていた。
宿無しは足を止めた。
目が暗さに慣れるにつれ、それまで根や幹にしか見えなかったものが、ひとつの輪郭へまとまっていく。
人の形をしている。
それほど巨大なものが、まるで朽ちた木のように地下へ横たわっていた。
そう認識した瞬間、宿無しの頭の奥を何かが掠めた。大地を震わせるほどの衝撃と、頭上を覆い尽くす巨大な影。その下から逃れるように身体を動かした感覚まで続きかけたが、何も掴めないまま消えてしまう。
「……宿無し?」
すぐ後ろまで来ていたリリィの声と重なるように、広間の奥から地を擦る低い音が響いた。
横たわっていたものの先端が動き、足元の小石をゆっくりと押し退けていく。
「二人とも、離れろ!」
ラモンドの声に宿無しとリリィが後ろへ退くと、それまで地面へ投げ出されていた太い塊が持ち上がった。長いあいだ積もっていた土や小石が乾いた表面から滑り落ち、折り重なっていた下半身が石を押し退けながら伸びていく。
「……嘘」
リリィが大剣へ手を掛けた。
巨大な頭が持ち上がり、その全貌が暗がりから現れる。二本の腕と二本の脚を持ち、胴の上には頭がある。形だけなら人間と大きくは変わらないのに、そのすべてが人の尺度から外れていた。
完全に立ち上がった巨体が、宿無したちをはるか上から見下ろす。
「生きてるぞ!」
ラモンドがガーベラを支えたまま剣へ手を伸ばしかけると、ガーベラがその腕を掴んだ。
「……よせ。俺を……上へ」
「二人に任せるんですか」
「倒さなくて、いい……離れるまででいい」
そこまで話すだけで息が続かなくなったのか、ガーベラはラモンドへ身体を預けた。
巨人が一歩踏み出すと、腹の底まで響く震動が広間を走り、天井から細かな砂や小石が降ってきた。
「宿無し、下がって!」
リリィが大剣を抜いて横へ並ぶ。
「俺は隊長を上へ運ぶ! 二人とも無理に倒そうとするな! 俺たちが離れたら戻れ!」
「分かりました!」
「ああ」
ラモンドがガーベラを支えながら昇降台へ向かうと、巨体もその動きを追うように身体を向けた。
「あんたの相手はこっち!」
リリィが大剣の腹を石床へ打ちつけると、甲高い音が広間へ響き、巨大な顔がゆっくりこちらへ戻る。
「見てる?」
「ああ」
巨人は二人を見下ろしたまま長い腕を振り上げた。
宿無しとリリィが左右へ散った直後、巨大な手が石床へ叩きつけられ、砕けた破片が周囲へ飛び散った。宿無しはその腕の脇を抜けて足元へ入り、振り下ろした直後なら動きは鈍ると考えて足首へ剣を入れる。
刃は深く肉へ沈んだ。
人間なら立っていられない傷だったが、巨人は声すら上げず、斬られた脚をそのまま持ち上げた。宿無しは引かれそうになった剣を抜いて退いたものの、続けて横から払われた長い腕の先が背中を掠め、それだけで身体ごと石床へ弾き飛ばされた。
「宿無し!」
肩から転がった宿無しが起き上がろうとすると、リリィが反対側から巨人の脚へ大剣を叩き込んだ。重い刃が肉へ沈み、初めて巨体がわずかに揺れる。
「こっち見て!」
巨大な顔がリリィへ向き、そのまま長い腕が横薙ぎに迫った。彼女は咄嗟に大剣を立てたが、宿無しが「受けるな」と叫んだときには、すでに巨腕が刃へぶつかっていた。
金属の震える音とともにリリィの身体が横へ押し流される。数歩は踏みとどまったものの支えきれず、とうとう足が床を離れ、肩から石床へ叩きつけられた。
「……平気!」
そう答えて起き上がったものの、両腕には痺れが残っているらしく、大剣を握り直すまでに少し時間が掛かった。
「受けたら駄目だね……。人間相手のつもりでやったら、腕ごと持ってかれる」
宿無しも立ち上がり、巨体へ向き直った。
近づけば踏み潰されるうえ、距離を取っても長い腕が届く。剣を深く入れてさえ人間を斬ったときのようには止まらず、これまで身につけてきた距離の取り方がそのままではほとんど通用しなかった。
「これ……どうするの?」
荒い呼吸を整えながらリリィが巨人を見上げる。
「分からない。とにかく、ラモンドたちを行かせる」
「それしかないか」
リリィは大剣を構え直し、ちらりと宿無しを見る。
「死なないようにね」
「ああ」
二人は無理に斬りかからず、まず巨人の動きを見ることにした。腕が振り下ろされれば避け、その間にもう一人が横へ回る。巨体が向きを変えれば反対側から足元へ入る――考え方そのものは単純だったが、実際に合わせるとなるとそう簡単にはいかなかった。
宿無しが足へ向かったところへ、反対側からリリィも同じ場所へ踏み込んできた。
「待って!」
二人が互いを避けた直後、間へ巨足が叩きつけられた。砕けた石が跳ね、慌てて距離を取ったリリィが宿無しを睨む。
「同じところ狙うなら言ってよ!」
「悪い」
それからもしばらく、二人の動きは噛み合わなかった。注意を引いたつもりでも巨人が予想とは違う方へ腕を伸ばし、攻撃できずに退くだけに終わることもあれば、宿無しが深く入りすぎて逃げ場を失い、リリィが石を投げて巨人の注意を逸らすこともあった。
それでも何度も攻撃をかわすうちに、二人は少しずつ巨体との距離を掴み始めた。足が持ち上がったときにどこまで離れればいいのか、横へ伸ばされた腕がどこまで届くのか、そして巨体が向きを変えるまでにどれだけの時間があるのか。動きを読めるようになったわけではない。ただ、失敗するたびに身体で測ったものが少しずつ積み重なっていった。
「宿無し、右!」
リリィの声に従って身を退くと、長い腕が目の前を通り過ぎた。宿無しはその隙に足元へ入り、浅く一撃だけ加えてすぐに離れる。
巨人がこちらへ向きを変えた。
「リリィ、反対だ」
「分かった!」
入れ替わるようにリリィが回り込み、大剣を脚へ叩き込む。巨体が揺れ、刃の抜けた傷から黒い血が流れ落ちた。
宿無しが最初につけた傷の近くへ、今の一撃も入っている。
「同じところに入ってる」
「じゃあ、そこを狙う?」
「ああ」
そこからは互いに追撃を欲張らなかった。宿無しが浅く斬って注意を引けば、巨人が向きを変えた隙にリリィが一撃を加える。今度は彼女へ注意が向けば、宿無しが反対側から踏み込む。最初は互いの邪魔をしていた二人が、ようやく相手の位置まで見ながら動けるようになっていた。
「宿無し!」
リリィの声が飛ぶ。
巨人の注意が彼女へ向いている間に、宿無しは傷の重なった右脚へ踏み込み、剣を深く入れた。黒い血が刃を伝り、巨体がこちらへ捻れ始めたところで追わずに離れる。
その脇をリリィが駆け抜けた。
振り抜かれた大剣が膝の裏へ深く食い込み、低い唸り声とともに巨体が大きく傾いた。右膝が石床へ落ち、広間全体が揺れる。
「効いてる!」
何度斬っても止まらなかった巨人が、初めてはっきりと片膝をついていた。
リリィがそのまま追撃しようと踏み込んだとき、宿無しは巨人の様子がおかしいことに気づいた。
「待て」
「え?」
巨人は立ち上がろうとしていなかった。
俯いたまま荒い息を吐き、右手をゆっくりと自分の左腕へ伸ばしている。
「……今度は何?」
太い指が左腕を掴んだ。
初めは傷でも押さえているように見えたが、指はそのまま乾いた皮膚へ沈み込み、やがて表面を押し破って肉へ食い込んでいく。握り込む力が強くなるにつれて、指の間から黒い血が溢れ出した。
リリィの表情から、それまでの勢いが消える。
「ちょっと……何してるの……」
巨人が掴んだ腕を引いた。
肩の肉が引き伸ばされ、身体の奥から骨の軋む音が響く。何をしようとしているのか察したのか、リリィは構えていた大剣をわずかに下げた。
「やめ……」
巨体は構わず、さらに力を込めた。
肉の裂ける湿った音とともに左肩が大きく開き、黒い血が噴き出した。それでも手は止まらず、腕を引くたびに肩口の肉が裂けていき、やがて骨が砕ける鈍い音まで広間へ響いた。
「――っ」
リリィが息を詰まらせ、反射的に片手で口元を押さえる。
巨人は自分の身体に起きていることなど意に介さず、もう一度、掴んだ腕を強く引いた。
左腕が肩から引き千切られた。
大量の黒い血が胸から腹を伝って石床へ降り注ぎ、引き裂かれた肩口から肉が垂れる。その一方で、千切れた腕そのものは右手に固く握られたままだった。
リリィは一歩、さらにもう一歩と後ろへ下がった。口元を押さえたまま浅い呼吸を繰り返し、込み上げたものを飲み込むように喉を鳴らす。
「自分の……腕を……」
人を斬ったことも、死体を見たこともある。
それでも、自らの肉を裂き、骨を砕いて腕を引き千切る姿など見たことがない。理解するより先に身体が拒絶したのか、口元から手を離して大剣を握り直そうとしても、一度では指に力が入らなかった。
リリィは強く息を吐き、震えを押さえ込むようにもう一度柄を握った。
宿無しも剣を構えたまま、片膝をついた巨人を見ていた。
その右手には、引き千切った左腕がまだ握られている。