DARK SOULS 〜AFTER STORY〜   作:OSPND

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8.残されたもの

 昇降機へ戻ろうと歩き出しても、戦いの熱はすぐには身体から抜けなかった。宿無しは剣を収めたあとも痺れの残る右手を何度か開き、リリィも大剣を背負い直すまでに普段より時間をかけていた。振り返れば、あれほど広間を揺らしていた巨人はもう動かず、引き千切った左腕を右手に握ったまま石床へ横たわっている。

 

「隊長さん、大丈夫かな」

 

「急ごう」

 

「うん」

 

 二人が広間を横切り、昇降機へ続く通路へ向かい始めたところで、足元を通して低い軋みが伝わってきた。

 

 戦いの最中には何度も巨人の一撃が床を叩き、最後には巨体そのものが倒れ込んでいる。どこかが傷んだのかと足を止めたものの、天井から石が落ちてくる気配はなく、代わりに同じ音が遠い通路から壁の奥へと広がり、建物全体がゆっくり軋んでいるように響いた。

 

「……え、崩れる?」

 

「分からない」

 

「だったら、なおさら早く――」

 

 言葉の途中で、リリィの視線が広間の壁へ止まった。

 

 石積みが崩れているわけではない。ひびが走った様子もないのに、壁の輪郭だけが陽炎のように揺らぎ、その向こうへ細い木の幹が一瞬だけ透けて見える。

 

「宿無し……見えてる?」

 

「ああ」

 

 二人が見ている間にも揺らぎは床へ広がり、硬い石の下にあるはずのない湿った土と草が重なって見えたかと思えば、瞬きをする間に元へ戻った。

 

 もう一度、低い軋みが響く。

 

 今度は近い。

 

 振り返った宿無しの視界で、広間の中央に倒れていた巨人まで輪郭を失い始めていた。黒い血に濡れた巨体の向こうから木々が透け、その姿が少しずつ林の景色へ溶け込んでいく。

 

「……これ、幻跡が消えるのかも」

 

「昇降機まで急ぐぞ」

 

「うん!」

 

 二人は通路へ向かって走ったが、周囲の変化は待ってくれなかった。石床へ湿った土と草が重なり、壁を透かして現れた木々が進路を横切るように伸び、頭上の天井にも白い光が滲んで、その向こうから空の色まで見え始める。

 

 地下深くまで降りてきたはずなのに、走る先にあるのは森だった。

 

 靴底へ返っていた硬い感触にも、いつしか湿った土の柔らかな沈み込みが混じる。

 

「宿無し!」

 

 リリィの声とほとんど同時に、目の前の通路が大きく揺らいだ。その先にあるはずの昇降機はすでに見えず、代わりに木々の隙間から傾きかけた陽の光が差し込み、石壁も頭上の天井も、その景色へ重なるように薄れていく。

 

 建物を満たしていた反響が遠のき、重い軋みも消えていった。

 

 代わりに葉擦れの音が聞こえ、湿った土の匂いを含んだ風が頬を撫でる。

 

 気づけば、広間も通路もなくなっていた。

 

 二人が立っていたのは、木々の間に落ち葉と草の広がる林の中だった。頭上には枝葉の隙間から空が見え、あれほど巨大だった石造りの建物も、地下へ続いていた昇降機も、倒した巨人の姿もどこにもない。

 

 リリィはしばらく声も出さず辺りを見回し、やがて小さく息を吐いた。

 

「……ここ、林の中?」

 

「ああ」

 

「本当に、何も残らないんだ……」

 

 地下にいたはずなのに、足元には穴すらない。周囲にはどこにでもある林が続き、つい先ほどまで巨大な砦の奥にいたことの方が嘘のようだった。

 

「ここ、どの辺なんだろう」

 

 宿無しも木々の間を見回したが、見覚えのある場所はない。

 

「分からない」

 

「副隊長たちは、もう外に出られてるかな」

 

「先に戻ってるといいが」

 

 ラモンドは負傷したガーベラを連れて昇降機で上へ向かっていた。あれからどれほど時間が経ったのか正確には分からないが、増援が来ていれば、すでに外へ運び出されている可能性もある。

 

 戻る方向を探そうとしたところで、宿無しの足元に落ち葉とは違う鈍い光が見えた。

 

 湿った土の上に、古びた金属が一つだけ残されている。

 

 屈んで拾い上げると、掌に収まるほどの鍵だった。長い年月を経たように表面はくすんでいるものの腐食しきってはおらず、歯の形も頭に刻まれた意匠も、普段目にするものとはどこか違っている。

 

「それ……鍵?」

 

「みたいだ」

 

「そんなの持ってた?」

 

「いや、落ちてた」

 

 リリィも近寄り、宿無しの掌を覗き込んだ。

 

「じゃあ、これだけ残ったのかな?」

 

 その言葉に答えるより先に、指先から鍵の冷たさが遠のいた。

 

 林の色が薄れ、葉擦れの音まで消えていく。

 

 代わりに現れたのは、巨大な石造りの砦だった。

 

 城壁の上を武器を抱えた兵たちが駆け、怒号と鐘の音が入り交じる中、遠くから何かが石壁へ激突する。弾け飛んだ石片の向こうでは、人とは比べものにならない巨体がいくつも動き、兵たちが槍を突き出し、矢を放ちながら押し寄せるそれらを食い止めようとしていた。

 

 戦場を覆う煙の中から、さらに巨大な影が現れる。

 

 一体ではない。

 

 何体もの巨人が、砦へ攻め込んでいた。

 

 どこからその光景を見ているのかは分からなかった。ただ、飛び交う矢の下を進み、崩れた石壁の間を抜けながら、さらに戦場の奥へ近づいていく感覚だけが妙に鮮明だった。

 

 その先に何がいたのか。

 

 なぜそこへ向かっていたのか。

 

 確かめようとしたところで、遠くから声が混じった。

 

「……なし!」

 

 戦場の音に紛れて、もう一度聞こえる。

 

「宿無し!」

 

 肩を掴まれて強く揺さぶられた瞬間、煙と怒号に覆われていた砦が一気に遠ざかった。

 

 目の前には心配そうに覗き込むリリィの顔があり、握りしめた鍵の縁が掌へ深く食い込んでいる。

 

「宿無し、聞こえる?」

 

「……ああ」

 

「よかった……。急に返事しなくなるからびっくりした。大丈夫? 気分悪いとか、どこか痛むとかない?」

 

「違う」

 

「じゃあ、どうしたの?」

 

 宿無しはすぐには答えず、手の中の鍵へ目を落とした。光景そのものは消えているのに、崩れる前の砦も、城壁を走る兵士たちも、煙の向こうを進む巨人たちもまだ鮮明に頭へ残っている。

 

「……砦が見えた」

 

「砦?」

 

「たぶん、さっきまでいた場所だ。まだ壊れてなかった」

 

 リリィは戸惑いながら、鍵と宿無しの顔を見比べた。

 

「それが急に見えたの?」

 

「ああ。兵士が大勢いて、巨人が攻めてきてた」

 

「巨人って、さっきの?」

 

「分からない。一体じゃなかった。何体もいた」

 

「……あの砦を襲ってたのかな」

 

「ああ」

 

 誰が砦を守り、なぜ巨人たちが攻め込んできたのか、それどころか自分がなぜそんな光景を知っているのかまで辿ろうとしても、残っているのは断片ばかりで、その先へ記憶が続くことはなかった。

 

「その鍵を触ったから……?」

 

「分からない」

 

「だよね」

 

 リリィはもう一度鍵へ目を向けた。

 

「でも、なくさない方がいいよ。それも、今見たことも軍の人に話した方がいい」

 

「ああ」

 

 宿無しは鍵を革袋へ収め、改めて周囲へ耳を澄ませた。

 

 幻跡が消えた林には、あれほど巨大な砦が存在していた名残など何一つない。だが、風と葉擦れに混じって、かすかに水の流れる音が聞こえていた。

 

「沢だ」

 

 リリィも静かに耳を澄ませる。

 

「……ほんとだ」

 

「行ってみよう」

 

「うん。沢まで出れば、昨日の道が分かるかもしれない」

 

 二人は水音のする方向へ歩き始めた。

 

 巨人との戦いを終えたばかりの身体は重く、木の根や倒れた枝を越えるたびに脚へ疲労が返ってきたが、進むにつれて水音ははっきりし、やがて木々の間から浅い流れが見えてきた。

 

 リリィが足を止めて周囲を確かめる。

 

「これ……昨日渡った沢じゃない?」

 

 幻跡へ入る直前に見た地図にない大きな水の流れではない。村人が教えてくれた、林の奥を流れる小さな沢だった。

 

「ああ。たぶんここだ」

 

「なら、こっちに戻れば村だよね」

 

 二人は沢を目印にして歩き始めた。

 

 昨日はこの先で木々の様子が少しずつ変わり、その向こうに存在しないはずの水辺が現れた。けれど今はいくら歩いても林の景色に変化はなく、振り返っても、あの巨大な砦へ続く場所などどこにも見つからない。

 

「ほんとに消えちゃったんだね」

 

「ああ」

 

「昨日ここから入ったって言われても、今見たら信じられないかも」

 

 それでも革袋の中には鍵があり、二人の身体には巨人との戦いで負った痛みが残っている。

 

 さらに沢を辿っていくうち、葉擦れとは違う音が混じり始めた。

 

 人の声だった。

 

「聞こえた?」

 

「ああ」

 

 二人が足を速めると、今度は馬の嘶きも聞こえた。やがて木々の向こうに人影が見え、林を抜けた先には共和国軍の兵たちが集まっていた。

 

 幻跡へ入ったときより人数が増えている。

 

 新たに到着した兵たちの間にはアロエの姿もあり、少し離れた場所ではラモンドが何人かに指示を出していた。

 

「副隊長!」

 

 リリィの声にラモンドが振り返り、二人の姿を認めた途端、こちらへ歩いてくる。

 

「……戻ったか」

 

「副隊長も無事だったんですね」

 

「ああ。お前たちが下に残ったあと、増援が塔まで来た。アロエを連れ出して、隊長もそのまま外まで運んでもらった。幻跡が消え始めたのは、それからだ」

 

「じゃあ、中に残ってたの、私たちだけだったんだ……」

 

「そうなるな」

 

 ラモンドは二人の血と土に汚れた姿を見回したあと、宿無しへ視線を止めた。

 

「あの巨人はどうした」

 

「倒した」

 

 答えを聞いたラモンドの顔が固まった。

 

 自分もあの広間で目覚めた巨体を見ている。それだけに、何を倒したと言われているのか聞き返す必要はなかった。

 

「……二人でか」

 

「ああ」

 

 しばらく宿無しを見たあと、ラモンドは小さく息を吐いた。

 

「そうか。詳しい話はあとで聞く」

 

 リリィが周囲へ目を向ける。

 

「隊長さんは?」

 

 その一言で、ラモンドの表情が変わった。

 

「……こっちだ」

 

 兵たちの間を抜けた先、木陰に敷かれた外套の上へガーベラが横たえられていた。

 

 傷口には何重にも布が巻かれ、増援とともに来た兵が手当てを続けている。それでも幻跡の中で別れたときより顔色は悪く、胸は浅く上下するばかりだった。

 

「……隊長さん」

 

 リリィが足を止める。

 

 呼びかけが届いたのか、閉じていたガーベラの目がゆっくりと開いた。焦点の定まらない視線がわずかに動き、やがて戻ってきた二人を捉える。

 

 宿無しとリリィがそこにいることを確かめると、ガーベラはほんの少しだけ息を吐いた。

 

 幻跡は消えた。

 

 そこから生きて戻った者もいれば、失われた者もいる。

 

 そして、何も残らなかったはずの幻跡からは、小さな鍵と、誰にも説明できない過去の光景だけが残された。

 

 




《革の水袋》
水を運ぶために油でなめされた、頑丈な獣皮の袋。
街道を外れた深林に入る際、冒険者や兵士が必ず腰に下げる基本装備。

豊かな森であっても、湧き水や清流を呑み干すには知識を要する。
獣の死骸や不浄の草が混じる水は、時に剣よりも容易く人を殺めるため
熟練の旅人は、常に満たされた水袋を手放さない。
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