DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
酒場を出た宿無しは、朝の人通りが増え始めた通りを東へ向かった。
リゴルドの店はモトの中央を走る街道から一本外れた場所にあり、周囲には職人の工房や小さな商店、二階建ての住居が軒を連ねている。表通りほど人通りは多くないが、朝になれば店先へ荷を出す者や仕事へ向かう職人たちが行き交い、荷車を引く馬の蹄が固く踏み締められた道を鳴らしていた。
「おはよう、宿無し」
通りの向かいから声を掛けられ、宿無しがそちらを見ると、籠を抱えた年配の女が片手を上げていた。名前までは知らないが、何度かリゴルドの酒場で見たことがある。
「ああ」
「今日も朝から仕事かい?」
「買い物だ」
「そうかい。リゴルドさんにこき使われてるねえ」
「そうでもない」
宿無しが答えると、女は楽しそうに笑い、そのまま通り過ぎていった。
少し歩けば、今度は店先で木箱を積んでいた男から「よう」と声を掛けられる。宿無しも短く返し、その前を通り過ぎた。
三年も同じ街にいれば、こうしたことは珍しくなかった。宿無し自身が積極的に誰かと付き合ってきたわけではないが、酒場の仕事で品物を運び、ギルドの依頼で街の者を手伝い、頼まれれば壊れた柵を直すこともある。そんな日々を繰り返しているうちに、宿無しが相手を知らなくても、相手の方が宿無しを知っていることが増えていった。
やがて道が広がり、モトの中央を通る街道へ出る。
往来を進む荷馬車を避けながら向かい側へ渡れば、通りの両側には食料品店や鍛冶屋、仕立屋が並び、その間を埋めるように露店が軒を連ねていた。近郊の村から運び込まれた野菜や果物、籠に積まれた卵、干した魚や燻製肉まで様々な品が並び、店主たちの呼び声が行き交う人々の話し声に混じっている。
モトは大きな街ではないものの、共和国西部へ続く街道沿いにあるため、旅人や商人が立ち寄ることは多かった。領内で採れた穀物や家畜が運び出される一方、地元では手に入りにくい香辛料や布、鉄製品などは外から来る商隊によって運び込まれる。今朝リゴルドが胡椒を見送ったのも、いつでも安く手に入る品ではないからだった。
宿無しは賑わい始めた市場を横目に通り過ぎ、その先にある道具屋へ向かった。
軒先に鍋や鋤、鎌などを吊した店の前まで来ると、店主がちょうど木戸を外しているところだった。
「お、宿無しじゃないか」
五十ほどの店主は、立て掛けた木戸から手を離して振り返る。
「リゴルドの使いか?」
「ああ。包丁と鍋を取りに来た」
「もうできてるよ。ちょっと待ってな」
そう言って店の奥へ引っ込み、ほどなく布で刃を包んだ包丁と、真新しい鉄鍋を持って戻ってきた。
「包丁は研ぎまで済ませてある。鍋は前のより少し厚いのにした。あいつ、また底を駄目にしたんだろ?」
「そう言っていた」
「火に掛けたまま忘れるからだよ。料理人のくせにな」
店主は呆れたように笑いながら鍋を宿無しへ渡し、包丁をその中へ収めた。
「それにしても、お前が使いに来るようになって助かるよ。昔は注文だけ寄越して、取りに来るのを忘れることが何度もあったからな」
「そうなのか?」
「本人に言うなよ。うるさいから」
「分かった」
「そこは律儀に返事するんだな」
店主が笑う。
宿無しがリゴルドから渡された革袋を取り出そうとすると、店主は片手を上げて止めた。
「代金はいつもの月締めだ。お前が持ってるのは市場の分だろ?」
「塩を買う」
「ならそっちに使え。ああ、鍋は熱いうちに水をぶっ掛けるなって、今度こそリゴルドに言っとけよ」
「ああ」
鍋を抱えて店を出た宿無しは、来た道を少し戻って市場へ入った。
先ほどより人は増え、通路には買い物籠を提げた者や荷を運ぶ商人が行き交っている。宿無しはその間を抜け、いつも酒場が利用している食料品の露店を探した。
麻袋に穀物や豆を並べた店の前では、恰幅のいい女主人が客と値段を巡って言い合っていた。
「昨日より高いじゃないか」
「昨日とは仕入れが違うんだよ。文句があるなら次の村まで買いに行きな」
「まったく、商売上手だねえ」
「褒めても安くならないよ」
客はぶつぶつ言いながら銅貨を払い、袋を抱えて去っていく。女主人はその背中を見送ったところで宿無しに気づいた。
「あら、今日はあんたかい」
「ああ。塩を一袋」
「リゴルドさんのところ?」
「そうだ」
「いつもの大きさでいいね」
宿無しが頷くと、女主人は店の後ろに積んであった袋を一つ引き寄せた。
「持てる?」
「ああ」
「聞くだけ無駄だったね」
小麦袋ほどではないにしても、片手で気軽に持ち歩ける重さではない。宿無しが鍋を片腕に抱えたまま塩袋を受け取ると、女主人は代金を告げた。
宿無しは革袋から銅貨を数えて渡す。
「ちょうど。ありがとよ」
女主人は銅貨をしまいながら、宿無しの抱えた鍋へ目をやった。
「また酒場の仕事かい?」
「ああ」
「それが終わったら?」
「ギルドへ行く」
「相変わらず働くねえ。リゴルドさん、ちゃんと給金払ってるのかい?」
「宿と食事がある」
「それだけ?」
「ギルドの仕事で金はある」
女主人は少し妙な顔をした。
「いや、そういう話じゃないんだけどね」
宿無しが何も返さずにいると、女主人はしばらくその顔を見たあと、諦めたように笑った。
「まあ、あんたがいいならいいけどさ。マリーちゃんがまた怒ってそうだね」
「さっき怒っていた」
「やっぱり」
女主人は声を上げて笑い、宿無しは塩袋を抱え直した。
「戻る」
「はいよ。リゴルドさんによろしく」
「ああ」
市場を離れ、宿無しは再び酒場へ向かった。
道の途中で知った顔を見かければ声を掛けられ、そのたびに短く返す。誰かと足を止めて長話をすることはなかったが、それを気にする者も今ではほとんどいない。愛想がないことも、必要以上に喋らないことも、三年も経てば宿無しという男の一部として受け入れられていた。
酒場へ戻ると、入口の扉はすでに大きく開け放たれている。
「戻った」
中へ入って声を掛けると、卓を拭いていたマリーが顔を上げた。
「おかえりなさい。早かったですね」
「ああ」
厨房から出てきたリゴルドが荷物を見て、宿無しから鍋を受け取る。
「ちゃんとあったか」
「あった。店主が、今度は熱いうちに水を掛けるなと言っていた」
リゴルドの手が止まった。
「……余計なことまで言いやがって」
「またやったの?」
「一回だけだ」
「この前も聞いた気がしますけど」
「気のせいだ」
マリーが疑わしそうな目を向ける中、宿無しは残った塩袋を厨房の入口へ置いた。
「他に何かあるか?」
リゴルドは鍋を抱えたまま店内を見回し、少し考えてから首を振った。
「いや、今はないな。昼前には客も来るが、こっちは俺とマリーで足りる」
「そうか」
「ギルド行くんだろ?」
「ああ」
「なら行ってこい。何もなきゃ、そのまま戻ってくればいい」
宿無しが頷くと、マリーは小さく息をついた。
「結局、休まないんですね」
「仕事があるかもしれない」
「分かってましたけど」
宿無しには、その返事に何を返せばいいのか分からなかった。
リゴルドが笑いながら宿無しの肩を軽く叩く。
「ほら、行ってこい。マリーがまた休め休めとうるさくなるぞ」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
「俺じゃないだろ」
「お父さんです!」
二人のやり取りを背に、宿無しは再び扉へ向かった。
酒場から冒険者ギルドまでは歩いてさほどかからない。今日はまだ、この先に何をするのか決まってはいなかったが、宿無しにとってそれは珍しいことでもなかった。ギルドへ行けば依頼を受け、何もなければ酒場へ戻る。戻ったなら、またリゴルドに何かすることはないかと尋ねればいい。
そうして三年間、日々は続いてきた。
宿無しは通りを行く人々の中へ混じり、冒険者ギルドへ向かって歩き出した。