DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
その日の少し前。
モトの領兵詰所では、ルーヴの幻跡に関する後処理がまだ続いていた。共和国軍は領兵から建物の一室を借り受け、現地から持ち帰った記録の整理や、生還者への追加の聞き取りを行っている。
その一室で、宿無しの身元調査を任された共和国軍のリュイスは、ラモンドから渡された一冊の書類を開いた。
最初に目へ入ったのは、名前の欄だった。
《宿無し》。
「これは通称ですか」
「ああ。本名は分からん」
登録先はモトの冒険者ギルド。登録されたのはおよそ三年前で、出身地も年齢も不明。それ以前にどこかのギルドへ所属していた記録はなく、身元を証明するものも提出されていない。
リュイスは数頁を捲り、登録後の依頼履歴まで目を通した。
身元のはっきりしない冒険者そのものは珍しくない。故郷を失った者もいれば、過去を語りたがらない者もいる。何らかの事情で身分を示すものを持たずに街へ流れ着いた者でも、一定の条件を満たせば冒険者として受け入れられることは知っていた。
「……ギルドは、いつまでこういう者まで受け入れるつもりなんですかね」
「身元不明者のことか?」
「ええ。事情があるのは分かります。本名も出身地も分からない人間が登録して、そのまま各地の依頼を受けられるというのは、調べる側からするとあまり気持ちのいい制度ではありませんから」
ラモンドは机に肘を置き、リュイスの手元にある書類へ目を向けた。
「そういう奴を全部門前払いにしたら、仕事も寝床もない連中が街に溢れる。ギルドからすりゃ、目の届くところで働かせた方がましなんだろう」
「それも分かってはいるんですがね」
リュイスも制度そのものを議論しに来たわけではない。それ以上は続けず、書類を一枚戻した。
「それで、この男を調べる理由は?」
「そこからだ」
ラモンドが別の報告書を机の上へ滑らせた。
「身元が分からないだけなら、軍がわざわざ過去まで洗う話じゃない。問題はルーヴでの行動だ」
リュイスが報告書を開くと、ラモンドは調査の経緯を最初から説明する代わりに、宿無しに関係する箇所だけを拾っていった。
初めて入ったはずの幻跡で、一部の場所に覚えがあるような反応を示したこと。内部にあった小さな火にも見覚えがあるように感じていたこと。構造そのものを知っていたわけではないにもかかわらず、地下へ続く昇降機を前にすると、どこを操作すれば動くのか迷わなかったこと。
さらに最奥で遭遇した巨人を倒したあとには、以前にも同じ相手と戦ったことがあると話している。幻跡が消えたあとに残された《何かの鍵》へ触れた際には、崩れる前と思われる砦と、そこへ攻め込む複数の巨人まで一続きの光景として見ていた。
読み進めるにつれて、リュイスの手が止まった。
「本人は、その理由を説明できていない?」
「そうだ。そもそも幻跡について詳しかったわけでもないらしい」
「以前、別の幻跡へ入った可能性は?」
「それも分からん。だから調べてほしい」
リュイスは報告書の最初へ戻り、もう一度《宿無し》の名を見た。
「つまり、幻跡との接点があったと決めつけるんじゃなく、まずこの男が以前どこにいたのかを辿る、と」
「ああ。こいつがどこから来たのか、それ自体が分かっていないからな。足取りを洗って、その中に幻跡へ繋がるものがあれば拾ってくれ」
「本人は拘束しているんですか?」
「していない。調査が終わるまではモトを離れないよう頼んであるだけだ。敵性分子を洗っているわけじゃない。そのつもりで話を聞いてくれ」
「分かりました」
リュイスは二冊の書類を重ねて閉じた。
「まずギルドへ行きます。登録した時点まで戻れば、少なくとも三年前からは始められるでしょう」
書類を抱え詰所を出たリュイスは、その足で冒険者ギルドへ向かった。
受付で共和国軍から来たことを告げると、ほどなく奥から一人の女性が出てきた。
「共和国軍のリュイスです。ルーヴの件に関連して、《宿無し》という冒険者の身元調査を担当することになりました」
「ネネアです。宿無しさんの登録や依頼の受付を担当しています」
互いに名乗ったあと、リュイスはラモンドから預かった書類を示した。
「軍から一度、登録内容の確認は入っていると思います。今回は幻跡で起きたことそのものではなく、宿無しさんがモトへ来る以前の足取りを辿りたいんです」
「分かりました。でしたら、登録時の記録が必要ですね」
ネネアは受付の奥へ入り、しばらくして三年前の帳面と数枚の書類を抱えて戻ってきた。
登録された日付から後については、依頼を受けた記録が途切れず残されている。一方、最初の登録書類に書かれた個人情報は驚くほど少なかった。
登録名、《宿無し》。
出身地不明。年齢不明。以前の所属なし。
「登録名も《宿無し》なんですね」
「はい」
「本名ではないんですよね?」
「そうです。登録のときに、本人がそう名乗りました」
リュイスは書類から顔を上げた。
「本人が?」
「ええ。ただ、《宿無し》という呼び名自体はモトへ来てから付いたものです」
「誰が付けたんです?」
「今暮らしている酒場の娘さんです」
ネネアは少しだけ笑った。
「どうしてそう呼ぶようになったのかは、私より本人たちへ聞いた方がいいと思います。私が知っているのは、リゴルドさんに連れられて登録に来たとき、名前を尋ねたら宿無しさん自身が《宿無し》と答えたことくらいですから」
リュイスは名前の欄へ改めて目を落とし、その経緯を短く手帳へ書き込んだ。
「モトへ来る以前の話を聞いたことはありますか?」
「あります。でも、故郷がどこなのかとか、どこから旅を始めたのかといったことになると、分からないと答えていました」
「この街へ来る直前のことも?」
「西の街道を歩いてきたことは覚えているようでした。以前から各地を旅していたんだと思います。ただ、具体的な町や村の名前を本人から聞いた覚えはありません」
登録後の履歴も確認していくと、荷運びや採集、護衛、害獣の駆除と、仕事の種類は多い。遠方へ出る依頼もあるが、終われば必ずモトへ戻り、依頼上の問題を起こした記録もなかった。
三年前にギルドへ登録してからの足取りは、依頼記録を辿ればかなり詳しく分かる。一方で、登録書類に残されているのは、それ以前の経歴について本人から申告できることがほとんどなかったという事実だけだった。
「登録以前について、ほかのギルドへ照会したことは?」
「ありません。宿無しさんから探してほしいと言われたこともありませんでしたから」
「本人も、昔のことを知りたがらなかった?」
「少なくとも、これまでは」
ネネアは少し考えてから答えた。
「聞かれれば分からないと答えますけど、自分から調べようとしたことはなかったと思います」
リュイスはそこまで書き留めると、帳面を閉じた。
「宿無しさんがモトへ来たころを、一番よく知っている方は?」
「リゴルドさんとマリーさんですね。先ほどお話しした酒場の主人と、その娘さんです。最初に宿無しさんと会ったのはマリーさんだと聞いています」
リュイスが顔を上げる。
「その日からずっと酒場に?」
「ええ。場所をお教えします。宿無しさん本人も、軍から遠くに行くなと言われているので、今頃なら酒場にいると思いますよ」
教えられた場所を手帳へ書き留め、借りていた書類を返したリュイスは、ネネアへ礼を告げてギルドを出た。
昼を過ぎたモトの通りにはまだ多くの人が行き交い、市場から戻る者や荷を運ぶ人足の間を縫うようにして、リュイスは教えられた酒場へ向かった。
歩きながら、先ほど確認した登録書類の内容を頭の中で整理する。
三年前にギルドへ登録してからなら、宿無しがいつ依頼を受け、どこへ向かい、いつモトへ戻ったのかまで記録から辿ることができる。これから調べなければならないのは、その記録が始まる前に男がどこを歩いていたのかだった。
しかも《宿無し》という名前自体が、この街へ来てから付けられたものだという。過去の記録を探すのであれば、名前とは別の手掛かりを集めなければならない。
ネネアから教えられた通りを曲がると、少し先に酒場の看板が見えてきた。その辺りまで来たところで、閉じた扉の向こうから何人もの声が聞こえてくる。
「だから巨人なんだから、もっとでけえだろ!」
「お前は見てもいねえだろ!」
「見てなくても巨人くらい分かる!」
看板を確かめてから扉を開くと、酒と料理の匂いに混じって笑い声が流れ込んできた。
昼を過ぎたばかりの店内には、まだいくつかの卓に客が残っていた。若い女性が空いた皿を集め、その間を一人の男が酒瓶を持って歩いていた。
リュイスが店内へ足を踏み入れると、カウンターの奥にいた酒場の主人がこちらへ顔を向けた。
「客か?」
「いえ。宿無しさんはこちらに?」
「宿無し?」
主人は一度リュイスの制服へ目をやった。
「軍の人か」
そう言って店内を見回す。
「宿無し、お前に客だ」
「俺に?」
「共和国軍らしい」
先ほど酒瓶を運んでいた男が振り返った。
共和国軍から渡された特徴とも一致している。リュイスが探していた《宿無し》は、どうやらあの男らしい。
宿無しは近くの卓へ酒瓶を置くと、そのまま入口まで歩いてきた。
リュイスは身分を示すものを取り出した。
「共和国軍のリュイスです。あなたの身元について調べるよう命じられました」
「ラモンドが言ってたやつか?」
「ええ。その調査です」
「分かった」
宿無しは驚く様子もなく、それだけ答えて次の言葉を待った。
「いくつかお聞きしたいことがありますが……」
リュイスは改めて周囲を見回した。
近くの卓では先ほど聞こえていた巨人の話がまだ続いており、別の客が注文を求めて手を上げている。昼を過ぎてもこれだけ客がいるとは思っていなかった。
「まだ陽も高いのに、ずいぶん賑わっていますね」
「暇な連中が多いんだ」
酒場の主人が平然と答える。
「聞こえてるぞ!」
近くの卓からすぐに声が飛んだ。
「聞こえるように言ったんだよ」
店内に笑いが起き、リュイスもわずかに口元を緩めた。
「急ぎではありません。仕事が落ち着いてからで構いませんよ」
「そうか」
宿無しが頷いたところで、主人もカウンター越しに続けた。
「俺にも話があるんだろ?」
「ええ。宿無しさんがこの街へ来たころのことをお聞きしたくて」
「もう少しすりゃ客も減る。悪いが、それまで待ってくれるか?」
「構いません」
「なら、空いてるところに座っててくれ」
リュイスは客の邪魔にならない壁際の卓へ腰を下ろした。
共和国軍の人間が一人増えたところで、酒場の流れが変わることはなかった。宿無しは客に呼ばれれば酒を運び、空いた杯を回収していく。若い女性も卓の間を行き来しながら皿を片づけ、主人は厨房とカウンターを往復していた。
常連たちは相変わらず巨人の大きさについて好き勝手に言い合っており、宿無しが近くを通るたびに本人へ話を振っている。
リュイスは待つ間、その様子を眺めていた。
手元の書類だけを読んでいれば、本名も出身も経歴も分からない人物という印象ばかりが残る。ところが実際に酒場へ来てみれば、宿無しは客から当たり前のように名前を呼ばれ、頼まれたものを運び、ときには話の中へ引っ張り込まれている。
三年前より前の経歴が分からないことと、この街で誰にも知られていないことは、まったく別の話らしい。
やがて客が一人、また一人と席を立ち、騒がしかった店内にも空いた卓が増えていった。
若い女性が残った皿をまとめて厨房へ運び、主人もカウンター周りを片づけると、手を布で拭きながらリュイスのところへやってきた。
「待たせたな」
「いえ。こちらこそ仕事中にすみません」
「それで、何を聞きたい?」
リュイスは席を立ち、改めて身分証を示した。
「先ほども名乗りましたが、共和国軍のリュイスです。リゴルドさんで間違いありませんか?」
「ああ。俺がリゴルドだ」
そこで初めて、ネネアから聞いていた名前と目の前の酒場の主人が結びついた。
リゴルドが向かいの椅子へ腰を下ろす。
「宿無しさんがモトへ来たのは、およそ三年前だと聞いています」
「ああ。そのくらいだな」
「その日のことを知っているそうですね」
「最初に会ったのは娘だ」
リゴルドは、少し離れたところにいた若い女性へ目を向けた。
「マリー、ちょっといいか」
「なに、お父さん?」
「こっち来てくれ。宿無しと最初に会ったときの話を聞きたいんだとよ」
呼ばれた女性は片づけていた皿を置いてから、二人のいる卓へやってきた。
「マリーです」
「共和国軍のリュイスです。お仕事中にすみません」
「いえ。宿無しさんのことですよね?」
「ええ。できれば、この街で最初に会った日のことから聞かせてください」
そう頼むと、マリーはしばらく記憶を辿るように考え、それから口を開いた。
「三年前のことです。私、買い出しから戻る途中で――」
リュイスは手帳を開き、彼女が話し始めるのを待った。
《革表紙の軍用手帳》
共和国兵が持ち歩く、頑丈な革表紙の手帳。
持ち運びを考慮した小ぶりな造りながら、 紙面には水濡れを防ぐ加工が施され、雨中の行軍や泥濘の現場にも耐える。
街角の噂話から、過去の記録の断片まで。 職務に忠実な調査員が書き残した記録は、 曖昧な真実を留める確かな証左となるだろう。