DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
―三年前―
買い出しを終えたマリーは、酒場へ戻る途中の路地で三人の男に道を塞がれていた。
夕方にはまだ少し早く、表通りには人も多い。両手に荷物を抱えていたこともあり、少しでも早く店へ戻ろうと近道を選んだのがよくなかった。
男たちは最初、壁際に寄って道を空けるような素振りを見せていた。マリーも深く考えず、その脇を通り抜けようとしたところで一人が前へ回り込み、避けようとしたところを別の男に腕を掴まれた。
抱えていた荷物がその拍子に崩れ、袋の中身が石畳へ散らばった。野菜が転がり、包んでいたパンまで地面へ落ちたが、拾う余裕などない。
「離してください!」
「そんな急ぐことねえだろ。ちょっと付き合えって」
「嫌です! お店に戻らないといけないんです!」
腕を引いても男の手は離れず、むしろ強く掴み直されて指が食い込んだ。
「痛い! 離して!」
「騒ぐなって」
掴まれていない方の手で男の腕を押したが、びくともしない。足元へ散らばった野菜の一つを、別の男が靴の先で止めて笑った。
「ほら、買い物まで落としちまったじゃねえか」
「あなたたちのせいでしょ!」
「元気だなあ。ますます好みだ」
もう一度腕を引いたところで、身体ごと路地の奥へ引かれた。逃げなければと思うのに、後ろには壁があり、前には二人いる。どうにもならないと分かった途端、胸の奥から怖さが込み上げる。
「やめて!」
表通りまで届いてほしいと声を張り上げたところで、路地の向こうに人影が見えた。
土のついた外套を羽織り、腰に一本のロングソードを下げた男がこちらへ歩いてくる。旅人なのだろうか。大きな荷物はなく、騒ぎに気づいているのかも分からないまま、一定の足取りで近づいていた。
助けてくれるとは限らない。それでも、その人しかいなかった。
「すみません!」
思うように声が出ず、少し裏返った。
「助けてください!」
男が足を止めると、三人のうち一人が振り返り、露骨に顔をしかめる。
「関係ねえだろ。行けよ」
旅人は答えず、マリーの腕を掴んでいる手へ目を向けた。
「離してほしいそうだ」
「あ?」
「その手を離せ」
脅すような言い方でもなければ、腰の剣へ手を掛けることもしない。その態度がかえって気に障ったらしく、一人がマリーたちから離れて旅人へ歩み寄った。
「格好つけてんじゃねえぞ」
肩を突こうと伸ばされた手を、旅人は半歩身体をずらして避けた。
勢いを余らせた男の身体が前へ流れる。その腕を取って身体を捻ると、次の瞬間には男が石畳へ転がっていた。
「え……?」
マリーだけでなく、倒された本人も何をされたのか分かっていないようだった。
「野郎!」
もう一人が殴りかかる。
旅人は拳が届くより早く懐へ入り、腕を取りながら体勢を崩すと、そのまま相手を背中から地面へ落とした。
鈍い音が路地へ響き、それまでマリーの腕を掴んでいた男の指から力が抜ける。マリーはすぐにその手を振り払い、壁際まで下がった。
「てめえ……!」
最後の男が腰へ手を伸ばした。短刀でも持っているのかもしれない。
マリーの身体が強張ったが、旅人は動かなかった。ただ相手の手元を見ているだけで、自分の剣には触れてすらいない。
男の手が止まった。
その間に先ほど倒された二人も起き上がり、互いに顔を見合わせる。
「行くぞ」
「ちっ……覚えてろよ」
三人はそれ以上向かってくることなく、悪態をつきながら路地の反対側へ去っていった。
姿が見えなくなっても、マリーはしばらくその場を動けなかった。掴まれていた腕が痛み、自分でも気づかないうちに握り締めていた指先が震えている。
ようやく終わったのだと息を吐いたところで、旅人が足元に転がっていた野菜を拾った。
「落ちた」
「あ……ありがとうございます」
「ああ」
受け取ったマリーが散らばった荷物を拾い始めると、男も近くに落ちていた野菜を袋のそばへ置いた。それだけ済ませると、そのまま歩き出そうとする。
「待ってください!」
慌てて呼び止めると、男が振り返った。
「何だ?」
「その……助けてもらったのに、このまま帰すわけにはいきません。うち、すぐそこなんです。酒場なんですけど、せめてご飯くらい食べていってください」
「飯?」
「はい。お礼です」
少し考えたあと、男は頷いた。
「分かった」
「……え?」
「飯を食っていく」
「あ、はい」
断られるかもしれないと思っていたマリーは、あまりにも素直な返事にかえって戸惑った。
「じゃあ、こっちです」
荷物を抱え直して歩き始めると、男は何も尋ねずその後ろについてきた。
途中で何度か振り返っても、先ほど三人を倒した男とは思えないほど大人しく歩いている。助けたあとに礼を求めることもなく、そのまま立ち去ろうとしていたことを思えば、乱暴な人間には見えなかった。
「そういえば……」
マリーは男の腰に提げられた剣へ目を向けた。
「剣、使わなかったんですね」
「ああ」
「三人もいたのに、怖くなかったんですか?」
男は少し考えた。
「使う必要はなかった」
聞きたかったこととは少し違う答えだったが、マリーはそれ以上尋ねなかった。
◇
酒場へ戻ると、夕食の仕込みをしていたリゴルドが厨房から顔を出した。
「おう、遅かったな」
「お父さん、ちょっといい?」
「何だ?」
マリーの後ろに立つ見知らぬ男へ気づき、すぐに表情を変える。
「……誰だ、そいつ」
「さっき助けてもらったの」
「助けてもらった?」
三人の男に絡まれたことを話すと、リゴルドは途中から包丁を置いた。
「お前、怪我は?」
「大丈夫。腕掴まれただけ」
「見せろ」
「平気だって」
「いいから」
袖を少しまくると、掴まれていた場所が赤くなっている。リゴルドは眉間へ皺を寄せた。
「どこの奴らだ」
「知らない。見たことない人たちだった」
「後で領兵に話しとく」
「うん」
娘に大きな怪我がないことを確かめてから、リゴルドは改めて男へ向き直った。
「三人いたらしいが、お前が追い払ったのか?」
「ああ」
腰のロングソードは使った様子もなく、本人にも目立った怪我はない。
「……腕は立つみてえだな」
男から返事はなかった。
リゴルドはしばらく相手を見たあと、マリーへ目を向けた。
「それで、飯を食わせるために連れてきたのか?」
「うん。助けてもらったお礼くらいしたいし」
「……まったく」
リゴルドは小さく息をつくと、男へ厨房を顎で示した。
「まあいい。娘が世話になったんだ。座ってくれ」
「分かった」
「まだ店で出す前だから、味は見てないぞ」
「ああ」
リゴルドは煮込みの皿を差し出すと、男は匙を取り、そのまま食べ始めた。
空腹ではあったらしく、急いで掻き込むような食べ方ではないものの手はほとんど止まらない。煮込みを食べ、パンをちぎり、また匙を取る。
「そんなにお腹空いてたんですか?」
「多分」
「多分?」
「空いてたと思う」
「自分のお腹のことなのに」
男は答えず、パンを食べた。
リゴルドが呆れたように笑う。
「変な奴連れてきたな」
買ってきたものを片づけ終えたマリーは、男の卓へ水を置いた。
「旅の途中だったんですか?」
「ああ」
「どこから来たんです?」
男の手が少し止まる。
「西から歩いてきた」
「西のどこから?」
「それは分からない」
厨房で聞いていたリゴルドも、手を拭きながら近くへ来た。
「あんた、旅してたんだろ? なら途中で町くらい通ったんじゃねえのか」
「ああ」
「どこだ?」
「分からない」
リゴルドは椅子を引いて腰を下ろした。
「行き先は?」
「決めてない」
「モトに用があったわけじゃねえのか?」
「ああ」
「じゃあ、何でここに来た?」
男は匙を止め、今度は少し長く考えた。
「道が続いてた」
「……そうか」
リゴルドも、それ以上どう聞けばいいのか分からなくなったらしい。
冗談を言っている様子はなく、質問を理解できていないわけでもない。分かることには答え、分からないことはそのまま分からないと言っているだけなのに、話せば話すほど男のことが分からなくなる。
「そういやまだ聞いてなかったな。名前は?」
そう尋ねると、男は今までより長く黙った。
何かを探すように視線を落とし、やがて首を横へ振る。
「分からない」
「……分からないって、自分の名前が?」
「ああ」
マリーも男の顔を見た。
「呼ばれるとき、困りません?」
「今は困ってない」
「今はって……」
確かに、ここまで名前を呼ぶ必要はなかった。
本人はそれを特別困ったこととも思っていないようで、答え終わるとまたパンへ手を伸ばした。
「今日、泊まるところはあるんですか?」
「ない」
「この街に知り合いは?」
「いない」
「これからどこへ行くかも?」
「決めてない」
名前が分からず、知り合いもいない。泊まるところも、この先の行き先も決まっていない。
マリーはしばらく考えてから口を開いた。
「じゃあ……宿無しさんですね」
男の手が止まる。
「宿無し?」
「おい、マリー……」
「だって、行く当てもなく泊まるところもないんですよね?」
「ああ」
「お前、助けてもらった相手にもう少し何かなかったのかよ」
リゴルドに言われ、マリーも改めて自分が付けた呼び名を考え直した。
「……やっぱり失礼でした?」
「それでいい」
「え?」
「宿無しでいい」
「いいんですか?」
「ああ」
「もっと普通の名前とか考えません?」
「普通の名前?」
「せっかくなら、もう少し格好いいのとか」
男は少し考えたものの、首を横へ振った。
「宿無しでいい」
「本人がいいって言ってんだったら、もう知らん」
リゴルドは呆れたように席を立った。
「泊まるところがないなら、今日は上の空いてる部屋を使え。娘を助けてもらった礼だ」
「分かった」
「飯も朝までは面倒見る。それから先は自分で考えろよ」
「ああ」
話が終わると、男――宿無しは残っていた食事へ戻った。
「宿無しさん」
マリーが試しに呼ぶと、男はすぐ顔を上げた。
「何だ?」
「……いえ。呼んでみただけです」
「そうか」
また食事へ戻る姿を見て、マリーは妙な人だと思った。
その日、彼を《宿無し》と呼んだのは、マリー一人だけだった。
◇
翌朝、リゴルドが店へ降りると、宿無しはすでに一階にいた。
「もう起きてたのか」
「ああ」
「飯ならその辺のパン食っていいぞ。昨日の礼に入れとく」
「分かった」
リゴルドが厨房へ向かおうとしたところで、宿無しが呼び止めた。
「何かすることはあるか?」
「何か?」
「泊めてもらった。飯も食った」
「昨日、娘を助けた礼だって言っただろ。別に何もしなくていいぞ」
宿無しはそれでも動かなかった。
「何もすることはないのか?」
しばらく相手を見ていたリゴルドは、裏口へ目を向けた。
「なら、薪でも割るか?」
「ああ」
宿無しはそのまま裏へ向かい、ほどなく一定の間隔で斧の音が聞こえ始めた。
遅れて起きてきたマリーが裏を覗くと、宿無しは慣れた手つきで薪を割っている。節の多い木は向きを変え、一度で割れなければ刃を入れる場所を変えていた。
「上手ですね。やったことあるんですか?」
「多分」
「誰かに教わったとか?」
「覚えてない」
名前も分からず、どこから来たのかも分からないのに、薪の割り方だけは身体が覚えているらしい。
「変な人ですね」
「そうか」
気を悪くするでもなく新しい薪を台へ置く姿がまた妙で、マリーは思わず笑った。
その日は薪を割り終えると樽を運び、倉庫の片づけまで手伝った。
夜になっても行き先を決めていない宿無しを見ると、リゴルドは呆れたように「もう一晩だけ使え」と二階を指した。
翌朝も宿無しは一階へ降りてきて、同じことを尋ねた。
「何かすることはあるか?」
「昨日やっただろ。もう必要はねえぞ」
「ああ」
「じゃあ何で聞くんだ」
「することがない」
リゴルドはしばらく黙ったあと、脚のぐらついた椅子を指した。
「あれ、直せるか?」
「やってみる」
道具を渡せば、宿無しは接合部を確かめ、昼前には再び使えるようにしていた。
それからも似たような日が続いた。
朝になれば仕事を尋ね、頼まれれば薪を運び、倉庫を片づけ、市場から荷を持ち帰る。店が忙しければマリーに言われるまま皿を下げ、酒瓶の場所を覚えれば客から頼まれたものを運ぶようにもなった。
「宿無し、こっちの樽頼む」
「ああ」
「宿無しさん、そのお皿もお願いします」
「分かった」
何度も呼ばれるうちに、《宿無し》という名前はマリーだけのものではなくなった。リゴルドも、常連客もそう呼ぶようになり、本人も呼ばれれば当たり前のように振り返った。
数日が過ぎても、宿無しはどこかへ向かおうとはしなかった。
かといって、この酒場に置いてほしいと頼むこともない。何も頼まなければ店の隅で座り、自分から何かを始めようとすることもなかった。
ある日の夜、最後の客が帰ったあとで、リゴルドが尋ねた。
「お前、この先どうするつもりなんだ?」
「決めてない」
「行きたいところは?」
「ない」
「やりたいことは?」
宿無しは少し考えた。
「特にない」
マリーを助けたときの話を聞く限り、腕は立つ。店で頼む仕事も大抵こなし、知らないことも教えればすぐ覚える。それなのに、何をしたいのかと聞けば何も出てこない。
「お前、仕事が欲しいのか?」
「頼まれればやる」
「そうじゃなくてな……」
リゴルドは額を掻いた。
「冒険者ギルドってのは知ってるか?」
「いや」
「護衛や害獣退治、荷運びなんかの仕事を受けられるところだ。お前みたいに剣が使えるなら、酒場で樽運んでるより向いてる仕事もあるだろ」
「仕事を頼まれるのか?」
「ああそうだ。ここなんかよりもっとな」
「なら行く」
「決めるの早えな」
「行けば仕事があるんだろ? なら行く」
宿無しの中では、それで十分らしかった。
翌朝、リゴルドが宿無しを連れて冒険者ギルドへ向かうと聞き、マリーもついてきた。
朝から何人もの冒険者が出入りするギルドへ入ると、リゴルドが職員へ事情を話し、やがて登録を担当する若い女性が書類を持って現れた。
「初めまして。ネネアです」
宿無しは軽く頷いた。
「冒険者登録をご希望なんですね」
「ああ」
「では、順番に確認します。先ず、お名前をお願いします」
「宿無しだ」
隣にいたマリーが思わず宿無しを見る。
「……それで登録するんですか?」
「ああ」
「だから、もう少しまともなのを考えろって言っただろ」
「だって、ギルドに登録するとは思わなかったし……」
「最初に呼び始めたのはお前だ」
「それはそうなんだけど……」
ネネアは三人を見比べた。
「本名ではないんですね?」
「ああ」
「元のお名前は分かりますか?」
「分からない」
筆が一度止まった。
「出身地は?」
「それも分からない」
「以前、別の冒険者ギルドに所属していたことは?」
「ない」
「身元を証明できるものはありますか?」
「ない」
さすがにネネアも困った様子でリゴルドへ目を向けた。
「訳あって数日前からうちにいる。素性については俺も聞いたが、答えはずっと同じだ」
「そうですか……」
ネネアは少し考えたあと、身元を確認できない者でも登録自体はできることや、当面は受けられる依頼に制限があること、仕事を重ねて信用を得れば受けられる依頼も増えていくことを説明した。
宿無しは最後まで聞き、頷いた。
「分かった」
「それでも登録しますか?」
「ああ」
ネネアは改めて最初の欄へ筆を戻した。
「では、登録名は《宿無し》でよろしいですね」
「ああ」
数日前まで、この街には《宿無し》という名の男はいなかった。
マリーが何気なく付けた名前は、本人にもそのまま受け入れられ、冒険者として残る最初の記録にその名が記された。
手続きが終わると、ネネアは初心者でも受けられる依頼が並ぶ場所を示した。
「今日は登録だけにしますか? 何か受けていきます?」
宿無しが依頼書へ目を向ける。
「仕事があるのか?」
「もちろんありますよ」
「ならやる」
「待て待て」
リゴルドが横から口を挟んだ。
「まず説明をちゃんと聞け。何でもその場で受けりゃいいってもんじゃねえぞ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
マリーが笑った。
「これから覚えていけばいいんじゃないですか?」
「そうか」
その隣で、マリーは登録簿に書かれた名前を見た。
たった数日前、自分が思いつきで口にした名前だった。
「宿無しさん」
呼ぶと、男がこちらを見る。
「何だ?」
「いえ」
呼べば、ちゃんと振り返る。
その名前を気に入っているのかどうかは分からない。それでも本人がそれでいいと言い、この街で仕事を始めるための名前として受け入れたのなら、それでいいのかもしれない。
少なくともそのときのマリーは、そう思った。
《カルディア銅貨》
カルディア共和国で広く流通する、ありふれた銅貨。
表には共和国の紋章が刻まれ、
裏には鋳造地を示す小さな印が打たれている。
酒一杯、温かな食事、粗末な寝床。
人が一日を生きるための多くは、この小さな貨幣で購われる。
長く人の手を渡ったものほど角は丸く、刻印も薄い。
人の暮らしが続く限り、
擦り減った銅貨にもまだ行き先はある。