DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
翌朝、宿無しが一階へ下りると、酒場ではすでに一日の準備が始まっていた。
リゴルドは厨房で酒樽の残りを確かめ、マリーは開店前の店内を整えている。宿無しがカウンターまで来ると、リゴルドは手を止め、棚から一枚の紙を取り出した。
「昨日話した荷は、いつも酒を頼んでる商会の馬車だ。樽や箱にもこの焼き印が入ってるはずだ」
差し出された紙には簡単な印が描かれていた。宿無しにも見覚えがあり、これまで荷下ろしを手伝ったときに何度か目にしている。
「荷札には俺の名前も書いてある。それが残ってりゃ間違いねぇ」
「ああ」
紙を返した宿無しが外套を羽織ると、マリーも店の奥から顔を出した。昨夜のように父親へ食ってかかることはなかったものの、まだ心配は残っているらしく、腰の剣を確かめる宿無しをじっと見ている。
「気をつけてくださいね」
「分かった」
それだけ答え、宿無しは日が昇って間もないモトの街へ出た。
空には薄い雲が広がっていたものの雨の気配はなく、街を出入りする門には、すでに一日の仕事を始めた人々の姿があった。近隣の村へ向かう商人が荷馬車を進め、鍬や籠を担いだ農夫たちが畑へ向かっていく。その流れに逆らうことなく門を抜けた宿無しは、いつもの外套の下に剣を提げ、水と昼まで持つ程度の食料だけを持って西街道へ足を向けた。
昨夜、リゴルドから頼まれたのは、行方の分からなくなった荷馬車を探し、西街道に野盗がいるなら、その居場所と人数を確かめてくることだった。退治や荷の奪還を頼まれたわけではなく、確認したら戻るよう念を押されている。
宿無しも、その内容は覚えていた。
モトを離れてしばらくは、街道の両側に畑や牧草地が続いていた。風が吹くたびに麦の穂が一斉に傾き、その向こうには農家の屋根や家畜を囲う柵が点々と見える。道は長年荷馬車が行き交ってきただけあって広く、乾いた土には幾重もの轍が刻まれていた。
途中ですれ違った荷馬車の御者が、剣を提げて一人で西へ向かう宿無しをちらりと見たが、声を掛けてくることはなかった。宿無しも相手に用がなければ足を止めず、そのまま一定の歩調で進み続ける。
陽が高くなるにつれ、街道沿いの景色は少しずつ変わっていった。畑は途切れ、低い藪の向こうに広がっていた林が次第に道へ近づき、やがて左右を木々に挟まれるようになると、枝葉が陽を遮り、風の音に混じって鳥の声が聞こえるようになった。
リゴルドが聞いたという場所も、この辺りだった。
宿無しは歩調を緩め、街道だけでなく道の両脇にも目を向けながら進んだ。
人や馬が頻繁に行き交う道では、足跡そのものに大した意味はない。それでも、普段の往来によってできたものとは違う跡なら残る。
少し進んだところで、宿無しは道の端に深く抉れた轍を見つけた。
荷を積んだ馬車が進路を外し、そのまま片側を引きずったような跡が街道の外へ続いている。周囲の草は何かに押し潰され、低木の枝もいくつか折れていた。
宿無しは轍に沿って街道を外れた。
ほどなく木々の間に、傾いた荷馬車が見えてくる。
片方の車輪が浅い溝へ落ち、車体は大きく斜めになっていた。幌は刃物で裂かれたように破れ、荷台に残っているのは壊れた木箱と切れた縄、それに空になった小さな樽だけだった。馬を繋いでいた革紐も途中で切られ、御者の姿も見当たらない。
宿無しは荷台へ上がり、残されたものを確かめた。
板の隙間には干し肉を包んでいたらしい布が挟まり、床には割れた瓶から流れた酒の跡が乾いて残っている。その中から転がっていた樽を拾い上げると、側面には朝に確認したものと同じ商会の焼き印があり、結びつけられた荷札にはリゴルドの名が残っていた。
行方の分からなくなっていた荷馬車で間違いない。
宿無しは樽を戻し、今度は馬車の周囲を調べた。
街道を行き交う者が残したものとは別に、馬車の周囲にはいくつもの靴跡が重なっている。時間が経って輪郭の崩れたものも多かったが、一人や二人のものではない。さらに、森の奥へ向かう足跡の傍には草を擦った跡や、重いものを引きずった筋が残っていた。
野盗がここにいた可能性は高い。
宿無しは森へ続く跡を見つめた。
荷馬車を見つけるところまでは済んだが、リゴルドに頼まれたのはそれだけではない。野盗の場所と人数が分からなければ、ギルドへ持ち帰る情報としては足りなかった。
宿無しは荷馬車を離れ、その跡を追って森へ入った。
獣道ほどの細い通り道には、人が繰り返し歩いた痕跡が残っている。地面を覆う草はところどころ踏み潰され、邪魔になった枝は人の手で折られていた。荷を運び込むため何度も往復しているらしく、奥へ進むほど道筋は分かりやすくなる。
しばらく歩いたところで、湿った土と木々の匂いに別のものが混じった。
薪の燃える匂いだった。
宿無しは足を緩めると、やがて人の話し声も聞こえてくるようになった。
「次の便はいつだ?」
「知るかよ。昨日は何も来なかっただろ」
「おい! 開けた酒もあと一本しかねぇぞ!」
「お前らが飲み過ぎなんだよ。売れる分まで開けやがって……」
声のする方角へ近づき、太い木の陰から先を窺うと、森の中にぽっかりと開けた場所があった。
中央には古びた猟師小屋らしい建物が建っている。屋根の片側は崩れかけ、壁にも隙間が見えるものの、人が雨風を凌ぐには十分だった。その周囲には街道から奪ってきたのだろう木箱や麻袋、樽が乱雑に積み上げられ、少し離れた木には馬が二頭繋がれている。
焚き火の周囲に三人、小屋の壁際に一人。
宿無しはすぐには動かず、木の陰から周囲を見渡した。
ほどなく小屋の裏手からもう一人が現れ、手にした水桶を焚き火の近くへ置いた。五人目だった。
その後もしばらく待ったが、森の中から別の声が聞こえてくることはなく、小屋へ出入りする者もいない。見えている五人で全部と考えてよさそうだった。
一人は短弓を持っている。他にも剣や鉈、棍棒が見えた。
場所も人数も確認できた以上、ここで引き返せば、リゴルドに頼まれたことは済む。あとはモトへ戻り、ギルドへ知らせればいい。
宿無しはそう考えながら、もう一度野盗たちの周囲へ目を向けた。
小屋の壁際に積まれている荷の中には、街道で見つけた馬車と同じ商会の焼き印が入った樽があり、そのうちの一つにはリゴルドの名が記された荷札も残っていた。その隣には酒瓶の詰まった木箱が置かれ、さらに向こうにはまだ手を付けられていない麻袋が重ねられている。
リゴルドが待っていた荷だった。
ここで戻れば、ギルドが人を揃えて動くまで荷はこの場所に残る。その間に野盗が別の場所へ移すかもしれず、次の荷馬車が通れば、また同じように襲われる可能性もある。
昨夜、リゴルドは困っていた。今回の荷だけならまだしも、次の仕入れまで止まれば店にも支障が出ると言っている。
戻って人を呼ぶより、目の前にいる五人をここでどうにかした方が早い。
荷を一人で取り返そうとするなと言われたことも、宿無しは覚えていた。
しばらく野盗たちを見つめたあと、腰の剣へ手を掛けたまま森の陰から姿を現す。
「おい」
最初に宿無しへ気づいたのは、小屋の壁際にいた弓持ちの男だった。
その声に残る四人も一斉に顔を向け、森から一人で歩いてきた宿無しを見るなり、手近な武器へ手を伸ばした。
「誰だ、お前」
焚き火のそばにいた男が立ち上がる。
宿無しは男ではなく、その向こうに積まれた荷へ視線を向けた。
「その荷を返してもらう」
一瞬、誰も答えなかった。
やがて意味を理解したらしい一人が吹き出し、それにつられるように周囲から笑いが起こる。
「積み荷返せってよ」
「一人で来て何言ってんだ、こいつ」
「道でも間違えたんじゃねぇか?」
宿無しは笑わなかった。
弓を持つ男が、まだ半ば面白がるような顔で矢を一本抜いた。
「悪いことは言わねぇ。今なら見なかったことにしてやるから帰れ」
「それはできない」
「はぁ?」
宿無しは答えず、積み荷から男へ視線を戻した。
その態度が気に障ったのか、男の顔から笑いが消える。
「さっきから舐めてんのか?」
一人が腰の短剣を抜き、別の男も棍棒を手に取る。弓を持つ男は矢を番え、宿無しの胸へ向けた。
「これが最後だ。消えろ」
宿無しは動かなかった。
弦が鳴る。
放たれた矢へ身体をずらすのと同時に剣を抜き、宿無しは地面を蹴った。矢が背後の木へ突き刺さるころには、すでに先頭にいた短剣の男との間合いへ入っている。
「なっ……!」
男は、まさか矢を避けた直後に踏み込んでくるとは思っていなかったのだろう。腕を上げるより早く剣の柄で手首を打たれ、短剣を草の上へ落とした。そのまま宿無しが肩から身体をぶつけると、男は息を詰まらせて後ろへよろめき、焚き火の脇へ転がる。
横から棍棒が振り下ろされた。
宿無しは正面から受け止めず、軌道の外へ身体を運んだ。棍棒が地面を叩いて土を跳ね上げたところへ踏み込み、剣の腹で男の前腕を強く打つ。痛みに指が緩んで武器が落ちると、そのまま足を払って二人目を地面へ倒した。
その間に残る三人も動いていた。
「クソっ……! 囲め!」
鉈を持った男が正面から突っ込み、弓持ちは次の矢を取ろうと距離を空ける。もう一人は剣を抜き、小屋側から回り込もうとしていた。
宿無しは最も近い鉈の男へ向かった。
両手で振り下ろされた重い刃へ剣を斜めに合わせ、その勢いを横へ逸らす。鉈に引かれて男の身体が流れたところへ一歩踏み込み、柄頭を顎の下へ叩き込むと、呻き声とともに膝が崩れた。
その背後から再び弓弦の鳴る音がした。
宿無しが身を沈めると、矢は頭上を抜け、小屋の壁へ突き刺さる。
弓持ちが次の矢を取ろうとしたときには、すでに宿無しは間合いを詰めていた。慌てて弓そのものを振り回そうとした腕を掴み、手首を返す。弓が落ち、男が痛みに身体を折ったところへ腹を一撃すると、その場に崩れ落ちた。
残った男は、そこでようやく足を止めた。
剣を構えてはいるものの、その視線は宿無しではなく、周囲に倒れた仲間たちの間を忙しなく動いている。戦いが始まってから大した時間は経っておらず、誰一人として刃で斬られてはいないが、四人ともすぐに立ち上がれる状態ではなかった。
「……何なんだよ、お前」
男が掠れた声で言った。
「冒険者か?」
「ああ」
「討伐依頼で来たのか?」
そこで宿無しは少し考えた。
「依頼は出ている」
「ふざけやがって!」
男は何をどう受け取ったのか、叫びながら踏み込んできた。
恐怖と焦りの混じった剣筋は大きく、振り上げた腕が下りるより先に宿無しは懐へ入った。男の手首を掴んで身体ごと捻ると剣が地面へ落ち、そのまま体勢を崩した身体を押し倒して背中へ膝を置く。
「離せ!」
暴れる男を押さえたまま周囲を見ると、荷をまとめるために使っていたらしい縄が小屋の脇に置かれていた。
宿無しはそれを取った。
「おい、やめろ!」
男の抗議には答えず、両手を後ろへ回して縄を掛ける。結び終えるころには、先に倒した男たちの何人かも呻きながら起き上がろうとしていた。
宿無しは順番に武器を遠ざけ、同じように縄を掛けていった。抵抗する者はもう一度地面へ伏せさせ、しばらくすると五人全員が小屋の前に並んで座ることになった。
そこでようやく宿無しは剣を鞘へ戻した。森へ入った頃にはまだ高かった陽も、いつの間にか頭上を越えていた。
周囲には、野盗たちが集めた荷が残されている。酒や干し肉だけではない。穀物の袋、布、金属製の道具、陶器の入った箱など、複数の商人から奪ったらしい品が小屋の周囲へ無造作に積まれていた。荷札や焼き印もばらばらで、その中にはリゴルドの店へ届くはずだったものも混じっている。
宿無しは一つずつ確認しながら小屋の脇へ回り、裏手に積まれた荷にも目を向けた。
そこで足を止める。
木々の間に浅く窪んだ場所があり、枯れ枝と落ち葉の下から人の脚が覗いていた。
宿無しは斜面を下り、被せられていた枝を退けた。
一人の男が倒れている。
服は泥と乾いた血で汚れ、死んでからすでに何日か経っているらしく、近づけば腐敗の始まった臭いも分かった。街道で見つけた馬車には御者の姿がなく、ここに繋がれている二頭の馬も、その馬車から外されたものと考えれば辻褄が合う。
宿無しは男の衣服や持ち物を確かめたあと、枝を元のように戻して立ち上がった。
何があったのか、すべてを知ることはできない。
ただ、荷を奪われた馬車の御者が、この場所で死んでいた。
それだけは分かった。
小屋の前へ戻ると、縛られた野盗たちの何人かが宿無しの顔を窺ったが、誰も何も言わなかった。
宿無しも尋ねなかった。
改めて荷を確かめると、酒や食料の一部はすでに消費されていたものの、未開封の樽や箱もまだ多く残っていた。
「なぁおい」
縛られた男の一人が、荷を調べる宿無しへ声を掛けた。
「まさか、それ全部持って帰る気か?」
「運べる分は」
宿無しは木に繋がれた二頭の馬へ目を向けた。
馬はいるが、ここには使える荷車がない。
街道へ戻れば、先ほど見つけた馬車が残っている。片側の車輪は溝へ落ちていたものの、軸そのものが折れているようには見えなかった。
宿無しは小屋を離れて街道へ戻った。
馬車を確認すると、幌や縄は壊されているものの、車体はまだ使える。溝へ落ちた側を持ち上げながら何度か位置を変え、車輪の下へ石と折れた枝を噛ませて押し上げると、重い車体は軋みながら少しずつ傾きを戻していった。
やがて車輪が地面へ乗る。
宿無しは軸や車輪を確かめ、ゆっくりなら走らせられると判断すると、再び森へ戻って二頭の馬を連れてきた。
馬具を付け直して荷馬車へ繋ぎ、今度は小屋と街道を何度も往復して荷を運んだ。
奪われていた品のすべてを一度に積むことはできなかったため、持ち主の印が確認できるものと、雨に晒せないものを優先して荷台へ載せる。残りは小屋の中へまとめ、後からギルドや領兵が回収できるようにしておいた。
最後の箱を積み終えたところで、宿無しは縛られた野盗たちを見た。
このまま森へ置いていけば、時間を掛ければ縄を解くかもしれない。かといって、ここで解放する理由もなかった。
「乗れ」
宿無しが荷馬車を示すと、五人が揃ってそちらを見る。
「……荷物と一緒にか?」
「縛られたまま歩くのか?」
「……乗ります」
男は呆れたように言ったが、宿無しが何も返さず待っていると、やがて諦めたように立ち上がった。
結局、野盗五人は荷物の隙間へ座らされることになった。
木々の間から差し込む陽もだいぶ傾き、長い影を落としていた。
昨夜、リゴルドから言われたことを忘れていたわけではなかった。荷馬車を探し、野盗の場所と人数を確かめたら戻る。荷が残っていても、一人で取り返そうとはしない。
それでも、探していた荷も、それを奪った五人も目の前にいた。戻ってギルドが動くのを待つより、自分で片づけた方が早いと考えただけだった。
そうすれば荷は戻り、次に街道を通る馬車が同じ連中に襲われることもない。リゴルドも、仕入れが止まることを心配せずに済む。
宿無しには、それで十分だった。
手綱を軽く引くと、二頭の馬がゆっくりと歩き始めた。荷を積み直した馬車は重たげに軋みながら向きを変え、木々の間から街道へ出る。
その後ろでは、荷物の隙間に押し込まれた野盗たちが小声で何かを言い合っていたが、宿無しは振り返らなかった。
荷を積んだ馬車では、モトへ着くころには日も暮れかけているだろう。それでも、頼まれた仕事は終わったと宿無しは考え、ゆっくりと東へ馬車を進ませた。