DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
西街道の野盗を捕らえてから、三日が過ぎた。
翌日までは酒場でもギルドでもその話を聞かれることが多かった。酒場へ降りれば、顔馴染みの客から本当に一人で五人も捕まえたのかと尋ねられ、ギルドへ行けば、普段ほとんど話したことのない冒険者まで宿無しのところへ寄ってきた。
何人いたのか、どんな武器を持っていたのか、本当に怪我をしなかったのか。聞かれるたびに宿無しは覚えている範囲で答えたが、二日、三日と経つうちに、それを口にする者も少なくなっていった。
奪われた荷は持ち主の確認が取れたものから返され、森の小屋に残されていた分も領兵とギルドによって回収されたという。捕らえた男たちについても、領兵へ引き渡されたあとは宿無しの関わることではなかった。
宿無しにとっても、あの一件はすでに終わったことだった。
朝になれば一階へ降り、厨房から漂ってくる匂いの中で朝食を済ませてから、リゴルドに何かすることがあるかと尋ねる。樽を動かしてほしいと言われれば運び、裏口に積まれた薪を片づけてほしいと言われれば片づけた。店で急ぎの用がなければ冒険者ギルドへ向かい、頼める仕事があれば引き受ける。何もなければ酒場へ戻り、夕方になって客が増えれば空いた皿を下げ、酒樽を運び、マリーに呼ばれれば厨房から料理を運んだ。
三年間続けてきた日々が、また戻っていた。
その日も朝食を済ませた宿無しは、使い終えた皿を厨房へ運んだ。仕込みをしていたリゴルドが、その姿を見て声を掛ける。
「今日は店はいいぞ。ギルド行くんだろ」
「ああ」
「だったら行ってこい。昼まではこっちも暇だ」
宿無しが頷き、壁に立てかけていた剣を腰へ下げると、近くで野菜を刻んでいたマリーが顔を上げた。
「宿無しさん。今日はちゃんと依頼を受けてから仕事してくださいね」
「ああ」
マリーは疑うような目を向けた。
「分かってる」
「ならいいです」
少しだけ笑ったマリーは、再び手元へ目を戻して包丁を動かし始めた。そのやり取りを見ていたリゴルドが何も言わずに肩を揺らす中、宿無しは酒場を出た。
朝の通りには、店を開け始めた商人や仕事へ向かう人の姿があった。荷を積んだ車が音を立てて石畳を進み、通りの向こうではパン屋が焼き上がったばかりのパンを店先へ並べている。宿無しはその間を抜け、いつもの道を冒険者ギルドへ向かった。
中へ入ると、掲示板の前にはすでに何人かの冒険者が集まっていた。依頼書を読みながら相談する者もいれば、受付で出立の手続きをしている者もいる。まだ朝早いせいか酒を飲んでいる者は少なく、普段なら話し声に紛れてしまう紙をめくる音や椅子を引く音までよく聞こえた。
受付ではネネアが朝の依頼を整理していた。宿無しが近づくと、手元の書類から顔を上げる。
「おはようございます、宿無しさん」
「ああ。仕事はあるか?」
「ありますよ。ちょうど宿無しさんでも問題なさそうなものが一件あります」
ネネアは机の上に積まれた依頼書を何枚か確かめ、その中から一枚を抜き出した。
「南の農村から頼まれている害獣駆除です。畑の周りに牙猪が出ているそうなので、まず周辺を見てください。見つけた場合は、仕留められるならそれで構いません。難しければ追い払うだけでもいいそうです」
「ああ」
宿無しが依頼書へ手を伸ばしたところで、ネネアは渡す直前にわずかに手を止めた。
「念のため確認しますけど」
「なんだ?」
「今回はきちんと、この依頼を受けて行くんですよ?」
「ああ」
「途中で別の問題を見つけても、一人で勝手に片づけに行ったりしませんね?」
宿無しは少し考えた。
「依頼と関係なければ戻って報告する」
ネネアはその顔を数秒見つめたあと、ようやく納得したように頷いた。
「はい。それではお願いします」
依頼書を受け取った宿無しは、いつもの手順で受付を済ませた。
「場所は分かりますか?」
「ああ。南の道を行った先の村だろ」
「そうです。村に入ったら依頼主の方を訪ねてください。名前はそこに書いてあります」
「ああ」
「では、お願いします」
ギルドを出た宿無しは、そのまま南門を抜けて街道へ出た。
目的の農村までは歩いてもそれほど時間は掛からない。街から離れるにつれて道の両側には畑が増え、さらに進むと家々の間隔も広くなっていった。行き交う人の姿も徐々に少なくなり、ときおり荷車や農作業へ向かう者とすれ違う程度になる。
昼前には目的の村へたどり着いた。
依頼書に書かれていた家を訪ねると、日に焼けた顔の農夫が出てきた。宿無しがギルドから来たことを伝えると、男はほっとしたように表情を緩めた。
「助かった。こっちだ」
農夫は宿無しを連れ、そのまま村の外れにある畑へ向かった。
何本も並んだ畝のうち、端に近い一角だけが大きく荒らされていた。掘り返された土の間には食い散らされた作物の葉が残り、畑を囲う簡単な柵も一か所だけ押し倒されている。
「昨日の夕方に気づいたんだ。朝までは何ともなかったから、昼過ぎにでも入ったんだと思う」
「毎年来るのか?」
「いや。この辺で見ることはあるが、畑まで入ってきたのは久しぶりだ。山の方で餌でも減ったのかもしれん」
宿無しは倒れた柵のそばへしゃがみ込み、湿った土に残る跡を確かめた。二つに割れた蹄の跡がいくつも重なっているものの、大きさにはほとんど違いがない。何頭もの牙猪が出入りしたというより、一頭が行き来した跡に見えた。
「何頭見た?」
「俺が見たのは一頭だけだ。そんなに大きくはなかった。ただ、追い払おうと近づいたら向かってきてな」
農夫は自分の腿ほどの高さを手で示した。
「鍬一本で相手する気にはならなかった」
「ああ」
「仕留めるなら仕留めてくれて構わん。畑に戻ってこなけりゃ、それでいい」
宿無しは立ち上がり、倒れた柵の向こうへ視線を向けた。
「見てくる」
「ああ。気をつけてくれ」
農夫を畑へ残し、宿無しは柵から続く足跡を辿った。
畑の外は草地になっていたため、土の上ほどはっきりと跡が残っているわけではない。それでも、ところどころ踏み倒された草や地面の窪みを確かめていけば、牙猪が進んだ方向を見失うことはなかった。
やがて足跡は林へ入り、宿無しも歩みを緩めた。落ち葉に残ったわずかな乱れや、まだ乾ききっていない泥、新しく折れた細い枝を見ながら先へ進む。木の根元には牙で削ったらしい新しい跡もあり、牙猪がこの辺りを通ってからそれほど時間が経っていないことが分かった。
しばらく進んだところで、前方の茂みから枝葉の擦れる音が聞こえた。
宿無しが足を止めて様子を窺うと、低い茂みの向こうに黒褐色の牙猪がいた。農夫が言っていた通り、成獣としてはそれほど大きな個体ではない。こちらにはまだ気づいていないのか、地面へ鼻を押しつけるようにして何かを探していた。
宿無しが少し距離を詰めると、牙猪は顔を上げた。
すぐには逃げず、こちらを見たまま動かない。
宿無しは剣へ手を掛けず、一歩前へ出た。
「向こうへ行け」
牙猪は短く鼻を鳴らした。
さらに一歩近づけば森の奥へ逃げるかと思ったが、牙猪は背を向けなかった。頭を低くし、前脚で地面を掻き始める。
その動きを見て、宿無しは腰の剣へ手を伸ばした。
直後、牙猪が地面を蹴った。
宿無しへ向かって一直線に突っ込んでくる。宿無しは横へ身体をずらすのと同時に剣を抜き、すれ違う瞬間に首元へ刃を走らせた。
牙猪はそのまま数歩先まで走ったものの、やがて前脚を崩して土の上へ倒れた。しばらく身体を動かしていたが、ほどなくして静かになる。
宿無しは近づいて動かないことを確かめ、剣についた血を拭って鞘へ戻した。
依頼された牙猪は片づいたが、畑を荒らしていたのが本当にこの一頭だけとは限らない。宿無しはそのまま帰らず、林の奥にある獣道や浅い水場の周辺まで歩いて確かめることにした。
古い蹄跡はいくつか見つかったものの、畑から続いていたものと同じ程度に新しい足跡はほかになかった。何頭もの牙猪が近くに居着いているような跡も見られず、ひと通り周辺を確かめた宿無しは、それ以上探す必要はないと判断して来た道を戻った。
畑へ戻ると、農夫は倒れていた柵を起こしているところだった。宿無しの姿に気づくと、作業の手を止めて振り返る。
「どうだった?」
「一頭いた。仕留めた」
「やっぱりいたか。……もう?」
「ああ」
「ほかには?」
「周りも見たが、新しい跡はなかった。たぶん一頭だけだ」
それを聞いた農夫は目に見えて肩の力を抜き、大きく息を吐いた。
「そうか。助かったよ。子供も畑の近くを通るから、しばらく出られなくてな」
「牙猪は林の中に置いてある」
「場所を教えてくれるか? 肉が傷んでなければ村で使える」
「ああ」
宿無しは牙猪を倒した場所を伝えた。農夫は何度も礼を言いながら、宿無しを村の入口まで見送った。
「ギルドにも終わったって伝えておくよ」
「ああ」
宿無しは頷き、モトへの道を戻った。
夕方には再びギルドへ着き、そのまま受付へ向かった。
「終わった」
ネネアが手元の書類から顔を上げる。
「早かったですね。どうでした?」
「牙猪が一頭いたから仕留めた。周りも見たが、ほかにはいなかった」
「分かりました」
ネネアは宿無しの外套や服へ目をやった。裾や靴に多少土がついている程度で、傷らしいものは見当たらない。
「怪我もなさそうですね」
「ない」
「では、農村から確認が取れたら完了にしておきます。今日はちゃんと、頼まれたことだけで帰ってきましたね」
「ああ」
「よろしいです」
宿無しには何がよろしいのかよく分からなかったが、ネネアが満足しているようなので何も言わなかった。
そのとき、少し離れた卓から笑い声が聞こえた。
「サイラス、お前すっかり宿無しの監視役だな」
「違う!」
聞き覚えのある大声に宿無しが振り向くと、広間の卓の一つにサイラスがほかの冒険者たちと座っていた。どうやら彼らも依頼を終えて戻ってきたところらしく、背負っていたパルチザンは壁際に立てかけられている。
「じゃあ、なんで宿無しが戻ってきた途端そっち見てんだよ」
「先日のことがあるから、ちゃんと戻ってきたか確認しただけだ!」
「それを監視って言うんじゃないのか?」
「違うと言っている!」
数日前と同じようにサイラスの大声が広間へ響き、受付にいたネネアが顔を上げた。その視線に気づいたサイラスは、さらに言い返そうと開きかけた口を閉じる。
周囲からまた笑いが起こった。
「……何がおかしい」
「いや、学習したなと思って」
「何の話だ!」
反射的に声を上げかけたサイラスは、途中で気づいたようにネネアへ目を向けた。
ネネアは何も言わなかった。
サイラスも何も言わずに座り直した。
宿無しには、何をしているのかよく分からなかった。
「宿無し。依頼は終わったのか?」
「ああ」
「……そうか」
それだけ確かめると、サイラスは腕を組んだ。すかさず隣にいた男がにやりと笑う。
「やっぱり気にしてんじゃねぇか」
「違う!」
今度は言った直後に自分で声の大きさに気づいたらしく、サイラスは眉を寄せたまま黙り込んだ。向かいにいた冒険者が、その様子を見て肩を揺らしている。
宿無しはしばらく彼らを見ていたが、やはり何がおかしいのか分からず、受付へ視線を戻した。
「ほかに仕事はあるか?」
「今日はもういいです」
「まだ時間はある」
「ありますけど、朝から一件終わらせてきたでしょう」
「ああ」
「だったら十分です。毎日、一日中働く必要はありませんよ」
「まだ働ける」
「働けるかどうかの話ではありません」
ネネアは少し呆れたように笑った。
「明日も仕事はあります。今日は酒場へ帰って休んでください」
宿無しは少し考えた。
「そうか」
「そうです」
その日はそれ以上仕事を探さず、宿無しは言われた通りギルドを出た。
それからも日々は大きく変わらなかった。
護衛を頼まれれば街の外まで商人について行き、荷運びの手が足りないと言われれば荷車を押した。近くの村から害獣の相談が来ればそこへ向かい、何も仕事がなければ酒場へ戻る。ある日は昼前に仕事を終え、戻った途端にリゴルドから倉庫の整理を頼まれ、別の日にはギルドへ行っても宿無しに回せる依頼がなく、酒場へ戻ったところでマリーから椅子を外へ運んで干してほしいと頼まれた。
宿無しにとってはどれも同じだった。頼まれたことをして、それが終われば次を待つ。リゴルドは以前と変わらず店の仕事を頼み、マリーも客が増えれば宿無しを呼んだ。ギルドへ行けばネネアが仕事を選び、リリィと顔を合わせることもある。仕事へ出るところなら短く言葉を交わし、戻ってきたところならその日の依頼について話すこともあった。
サイラスもあれ以来、宿無しを見つけると時折こちらを気にするようになった。何をしているのか尋ねてきたり、依頼から戻ると無言でこちらを見ていたりするが、少なくとも野盗の一件について説教を繰り返すことはなくなった。
朝が来て仕事をし、夕方になれば酒場へ戻る。宿無しにとって、それはこれまでと何も変わらない日々だった。
酒場の扉を開ければ、リゴルドが厨房にいて、マリーが客の間を歩いている。顔馴染みの客が酒を飲み、空いている席から宿無しへ声を掛けることもある。
宿無しは以前から毎日そこへ戻っていた。特別そこへ帰りたいと思っていたわけではなく、三年前から仕事が終われば酒場へ戻ることを繰り返してきただけだった。
それでも最近は、扉を開けるたびに、数日前にリゴルドから言われた言葉がときどき頭のどこかに浮かぶようになっていた。
「仕事が終わったら、帰ってこい」
何かが変わったわけではない。
宿無しは以前から同じ場所へ戻っていた。今日もいつも通り扉を開け、いつも通り中へ入り、頼まれればいつも通り店を手伝う。
それでも、そこへ戻ることを以前より少しだけ意識するようになっていた。