DARK SOULS 〜AFTER STORY〜 作:OSPND
ある朝、宿無しが一階へ下りると、厨房ではすでにリゴルドとマリーが朝食の支度を始めていた。
店を開けるにはまだ少し早く、宿無しもいつものように掃除を手伝い、ひと通りの支度を終える頃には、酒場の中に焼いたパンと温かい料理の匂いが満ちていた。
宿無しが箒を片づけると、リゴルドがカウンターへ朝食の皿を置いた。
「ほら、先に食え」
「ああ」
パンと焼いた肉、それに豆を煮たものを食べ終えると、宿無しは空になった皿を厨房へ運んだ。
その頃には開店の支度もほとんど整っていた。マリーが入口の戸を開け、宿無しも卓や椅子の位置を最後に確かめる。
ほどなくして朝の客が入り始め、静かだった酒場にも少しずつ人の声が増えていった。
「何かすることは?」
「今のところはねぇな。昼前になりゃ多少忙しくなるだろうが、それまでは俺とマリーで足りる」
「ああ」
「仕事探すんならギルド見てこい」
することがないならそうする。
宿無しは外套を羽織り、剣を腰へ提げると、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
朝のギルドには、これから依頼へ向かう者たちが何人も集まっていた。掲示板の前では冒険者たちが依頼書を眺め、受付ではネネアが次々と手続きを進めている。
宿無しが列の端で待っていると、やがてネネアがこちらへ気づいた。
「おはようございます、宿無しさん。今日も仕事ですか?」
「ああ」
「ちょうどいい依頼がありますよ」
前の冒険者の手続きを終えたネネアは、手元の書類を何枚か確かめ、その中から一枚を抜き出した。
「北西にあるルーヴ村からです。村の西側に薬草を採る林があるんですが、三日ほど前から大型の獣が目撃されていて、村の人が近づけなくなっているそうです」
「何の獣だ?」
「それが、まだ分かっていません」
ネネアは依頼書へ目を落とした。
「熊ほど大きかったという人もいれば、牙が見えたという人もいます。夕方に遠くから見た人ばかりで、話がはっきりしないんです。幸い、今のところ襲われた人はいません」
「調べればいいのか?」
「はい。まず現地で痕跡を確認してください。村にとって危険な獣だと判断できれば、討伐して構いません。ただ、正体も分からない状態なので、今回は一人で向かってもらうつもりはありません」
そこでネネアが、少し離れた受付に立っていた人物へ顔を向けた。
「リリィさん」
「ん?」
別の依頼書を眺めていたリリィが振り返る。
「まだ今日の依頼、決めてませんよね?」
「うん。何かある?」
「宿無しさんと一緒に、ルーヴ村まで行ってもらえませんか? 大型の獣が出たという依頼です。種類が分からないので、二人で向かってほしいんです」
リリィはネネアから依頼書を受け取り、ざっと内容へ目を通した。
「北西か。ここからだと半日くらい?」
「そのくらいです。昼前には着けると思います。ただ、調査に時間が掛かれば今日中に戻れないかもしれません」
「村に泊まることはできる?」
「依頼主には話を通してあります。必要なら宿を用意してもらえます」
リリィはもう一度依頼書へ目を落とし、それから宿無しを見る。
「私はいいよ。宿無しは?」
「受ける」
「では、お二人でお願いします」
ネネアは依頼書を受付の上へ置き、二人の名前を書き込んだ。
正式な手続きを終えると、現地について分かっていることを改めて説明する。
「村の西に林があって、その奥に沢があります。薬草が採れるのはその周辺だそうです。獣もそこで何度か目撃されています」
「足跡とかは?」
「村の人が見つけてはいるそうですが、獣に詳しい人がいないので種類までは判断できなかったそうです」
「じゃあ、まず跡を見ればいいか」
「お願いします。危険だと思ったら無理はしないでください」
「ああ」
ネネアは宿無しへ視線を向けた。
「特に宿無しさんは、ですよ」
「分かった」
横でリリィが小さく笑う。
「大丈夫。私もいるから」
「そういうことです。お願いしますね」
手続きを終えてギルドを出ると、リリィは自分の荷物を取りに戻ると言った。
「一泊するかもしれないなら、私は一度準備してくる。宿無しも何かあるでしょ?」
「特にない」
「宿無しがそう言うと不安なんだよね。一回酒場に戻ってきなよ」
「そうか」
「じゃあ、北門で待ち合わせね」
「ああ」
二人はいったん別れ、宿無しは酒場へ戻った。
扉を開けると、店内は朝より客が増えていた。宿無しが戻ってきたことに気づいたマリーが、料理を運びながら声を掛ける。
「おかえりなさい。今日は仕事ありました?」
「ああ。北西の村へ行く」
「北西?」
「ルーヴ村だ。大きな獣が出たらしい」
カウンターの向こうで聞いていたリゴルドも顔を上げる。
「随分遠いな」
「半日くらいだ」
「今日中に帰ってくるのか?」
「分からない。遅くなれば村に泊まる」
それを聞いたマリーが宿無しのそばまで来た。
「また一人で?」
「リリィと行く」
その答えを聞くと、マリーの表情から目に見えて力が抜けた。
「それなら良かったです」
「何がだ?」
「一人じゃないことです」
「一人でも行ける」
「そういうところですよ」
間を置かず返されても、宿無しには何が問題なのか分からなかった。
横で聞いていたリゴルドが鼻を鳴らす。
「この前あれだけ怒られたばっかだろ」
「今回は正式に依頼を受けた」
「そういう問題でもねぇ気がするが……まあ、リリィが一緒なら少しはましか」
「何が違う?」
「お前が妙なことしようとしたら、止める奴がいる」
「ネネアにも同じようなことを言われた」
「じゃあ皆同じこと考えてんだよ」
宿無しには、そこまで心配される理由がまだよく分からなかった。野盗の件では勝手に依頼の範囲を越えたため、次からはギルドを通すようネネアに注意された。しかし今回は正式に依頼を受け、同行者までいる。そのとき指摘された問題は、すでに解消されているはずだった。
「荷を取ってくる」
宿無しは二階へ上がり、自分の部屋へ入った。
持っていくものを考えたものの、村までは半日ほどで、泊まることになっても宿は用意されている。結局、水筒と金の入った革袋を小さな荷袋へ入れただけで、一階へ戻った。
その荷袋を見たマリーが眉を寄せる。
「……それだけですか?」
「ああ」
「一泊するかもしれないんですよね?」
「村に泊まれる」
「そういう問題じゃないです」
マリーは小さく息を吐くと、そのまま厨房へ入っていった。
何が足りないのか分からないまま待っていると、ほどなく布で包んだものを手に戻ってくる。
「これ、お昼に食べてください」
宿無しが受け取ると、パンと燻製肉の匂いがわずかに布越しに伝わってきた。
「村で食べられる」
「着く前にお腹が空くかもしれないでしょう? パンと燻製肉、それに少しだけチーズも入れてあります」
「空いても歩ける」
「歩けるかどうかじゃありません」
マリーは宿無しの荷袋を指差し、そのまま入れるよう促した。
言われた以上は必要なのだろうと包みをしまうと、今度は水筒へ視線が向く。
「水は持ちましたね」
「ああ」
「ちゃんと飲んでくださいよ。それから、怪我もしないでください」
「ああ」
「あと――」
「おい」
横からリゴルドが止めた。
「それ以上言ってたら、出る頃には昼になるぞ」
「だって、この人、放っておくと本当に何も持っていかないじゃない」
マリーが宿無しの小さな荷袋を示すと、リゴルドもそれを見て眉を寄せた。
「……まあ、それはそうだな」
「だろ?」
「なんで宿無しさんが得意そうなんですか」
「必要なものは持った」
「だから、それを決める基準が怪しいんですよ」
宿無しにはよく分からなかったが、必要だと言われた昼食はすでに荷袋へ入っている。それなら問題はないはずだった。
リゴルドはそんな宿無しを見て短く息を吐くと、今度は自分から念を押した。
「夕方までに終わらなかったら、無理して帰ってくる必要はねぇからな。村で泊まれ。夜道を歩いて帰ろうとするなよ」
「ああ」
「……お父さんも大概じゃない」
「うるせぇ」
呆れたように呟くマリーを、リゴルドは追い払うように手で払った。
宿無しは荷袋を肩へ掛け、外套を整える。
扉へ手を掛けたところで、数日前にリゴルドから言われた言葉がふと頭に浮かんだ。
仕事が終わったら、帰ってこい。
宿無しは扉を開ける前に振り返った。
「行ってくる」
リゴルドもマリーも、一瞬だけ手を止めた。
「何だ?」
「……いや」
リゴルドは少しだけ口元を緩める。
「行ってこい」
「気をつけてくださいね、宿無しさん」
「ああ」
宿無しは二人に背を向け、朝の通りへ出た。
三年間、出掛けることなら何度もあった。そのたびに何も言わず扉を出て、仕事が終われば同じ場所へ戻ってきた。
以前にも「行ってくる」と口にしたことはあった。
それでも、仕事が終わればここへ帰るのだと意識して言ったのは、たぶん初めてだった。
北門へ着くと、すでにリリィが待っていた。
背には大剣を負い、一泊しても困らない程度の荷を肩から提げている。宿無しに気づくと、門脇の壁から背を離した。
「準備できた?」
「ああ」
リリィは宿無しの肩に掛かった荷袋を見て、少し笑った。
「食べ物も持ってきた?」
「マリーが入れた」
「やっぱり」
「何がだ?」
「何でもない」
二人はそのまま門を抜け、北西へ続く街道へ出た。
朝のモトはすでに動き始めており、商人が店先へ商品を並べ、荷車を引いた職人が道を横切り、街道へ向かう旅人たちが門の前を行き交っている。宿無しも何度となく見てきた光景だったが、今日はリリィと並んでその中を抜け、西街道ほど荷馬車の往来が多くない北西の道へ進んだ。
門を離れるにつれて家々は徐々に少なくなり、やがて道の両側には畑が広がった。遠くには緩やかな丘が重なり、そのさらに先には薄く霞んだ山並みが見えている。
二人はしばらく言葉を交わさず、畑の間を延びる街道を歩いていたが、モトの城壁が背後へ遠ざかり始めた頃、リリィがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、この間のサイラスって子、最近登録したばっかりなんだって」
「そうなのか」
「うん。真面目なんだろうね。まだ新人だから、規則とか依頼の決まりとか、ちゃんと守らなきゃって少し気負ってるみたい」
宿無しは先日、ギルドで声を荒らげていた青年の姿を思い返した。
「怒っていた」
「怒ってたね」
そのときの様子を思い出したのか、リリィは小さく笑った。
「まあ、言ってること全部が間違ってるわけじゃないし。私も新人の頃は、あそこまでじゃなかったけど、似たようなこと気にしてた気がする」
「今は?」
「今も規則は守るよ」
少し間を置いてから、リリィは肩を竦めた。
「全部が教わった通りにいくわけじゃないって分かっただけ」
宿無しはそれ以上尋ねず、リリィも話を続けなかった。
二人が再び黙って歩くうちに街道は低い丘の間へ入り、背後のモトも、振り返らなければ城壁が見えないほど遠くなっていた。
畑が途切れた先には草地が広がり、ところどころに小さな林が見える。道端には名も知らない白や黄色の花が咲き、風が吹くたびに細い茎を揺らしていた。
リリィは時折、道標や遠くの丘を確かめながら進み、やがてネネアから渡された簡単な地図を取り出した。
「この先で道が分かれるはず。北へ行くと別の村で、私たちは左」
「ああ」
「宿無し、この辺来たことある?」
「ない」
「即答だね」
「覚えがない」
「そっか」
それ以上尋ねることなく地図を畳んだ頃、街道の先に分かれ道が見えてきた。片方はそのまま北へ続き、もう一方は幅を狭めながら丘の間へ伸びており、分岐に立つ古びた石の道標には《ルーヴ》の文字と左向きの矢印が刻まれている。
二人がそちらへ入ると、道幅は荷馬車がすれ違えるほどではなくなり、左右には背の高い草が茂るようになった。人の往来はあるらしく轍は残っているものの、モトへ続く街道と比べれば辺りはずっと静かだった。
空を見上げたリリィは、日差しの位置から到着までの時間を見積もったらしい。
「昼前には着きそうだね。着いたらまず依頼主に話を聞いて、それから林を見る。日暮れまでに終わりそうなら戻るし、時間が掛かるなら村に泊まろう」
「ああ」
同じ返事しか返ってこないことに、リリィは横目で宿無しを見た。
「分かってる?」
「ああ」
「ネネアさんが何回も確認する気持ち、ちょっと分かったかも」
「なぜだ?」
「返事が全部同じだから」
宿無しは少し考えた。
「分かったと言っている」
「そうなんだけどね」
リリィは可笑しそうに笑い、そのまま歩き続けた。
丘を一つ越えると、それまで視界を遮っていた斜面の向こうに、小さな谷あいの土地が姿を現した。緩やかな傾斜に沿って畑がいくつか並び、その間を山側から引かれた細い水路が縫うように流れている。谷の中央には木と石を組み合わせた家々が二十軒ほど寄り集まり、少し離れた場所には家畜を囲う柵や、収穫した作物を納めるためらしい小屋も見えた。さらに村の西側には濃い緑の林が広がり、その奥を囲うように低い丘が連なっている。
「あれかな。ルーヴ村」
足を緩めたリリィが谷の中央を指し、宿無しもその先へ目を向けた。
地図で場所を確認しただけで、ここへ来た覚えはない。家々の並びにも畑の形にも、その向こうに続く丘にも見覚えはなく、宿無しの目にはモトの周辺にもいくつもある、ごく普通の農村として映った。
「思ったより小さいね。薬草採りができなくなるだけでも、このくらいの村だと困るか」
リリィは村の西に広がる林を眺めながらそう言い、再び坂道を下り始めた。
村の外れまで来ると、畑で鍬を振るっていた老人が仕事の手を止めた。剣を提げた見慣れない二人組へ初めは警戒したような視線を向けたものの、リリィがモトの冒険者ギルドから来たことを告げると、すぐに表情を緩める。
「やっと来てくれたか。昨日も林の近くで見たって奴がいてな。こっちだ、まず話を聞いてくれ」
老人は鍬を畑の脇へ立て掛け、二人を村の中へ案内した。
村には昼前の穏やかな時間が流れており、家の前では女たちが洗った布を干し、少し離れた場所では子供が二人、細い枝を振り回しながら走り回っている。軒先で道具を直していた男も老人と二人の冒険者を見て顔を上げ、そのあと西の林へちらりと視線を向けたことから、大型の獣が現れたという話は村中にすでに広まっているらしかった。
「採取場所は、あの林の中?」
歩きながらリリィが尋ねると、老人は西側へ広がる木々を指した。
「ああ。林を抜ける手前に沢があってな。その辺りに薬草がよく生える。今までは女や年寄りでも行ってた場所なんだが、三日ほど前から誰も近づかなくなった」
「襲われた人はいないんですよね?」
「まだな。最初に見た奴も遠くから姿を見ただけで逃げてきた。ただ、わざわざ確かめに行って怪我人を出すこともないだろう」
「それで正解だと思う」
リリィが頷く横で、宿無しも老人の示した方向へ目を向けた。
村の畑が終わるところから少し草地を挟み、その先に林が広がっている。遠目に見る限り特別深い森には見えず、日の光も枝葉の隙間から十分に入り込んでいるため、村人が日常的に薬草を採りに行っていたという話にも不自然なところはない。そのさらに向こうには丘の斜面が続き、ところどころ灰色の岩肌が草の間から覗いていた。
老人の後を歩きながらその景色を眺めていた宿無しは、林から視線を外そうとしたところで、ふと歩調を緩めた。
獣の姿が見えたわけでも、草むらの中で何かが動いたわけでもない。それでも、木々の奥から聞き慣れない音が届いたような気がした。
遠くで重いもの同士が擦れたような、低く鈍い音だった。
宿無しが足を止めて林へ目を凝らしたことに気づき、数歩先を歩いていたリリィと老人も振り返った。
「どうしたの? 何か見えた?」
「いや」
そう答えても、宿無しはすぐには歩き出さなかった。風に揺れる梢から葉の擦れる音が続いており、先ほど聞こえたものも、その中に紛れた枝の軋みだったのかもしれない。それでも同じ音が二度と聞こえてこないため、確かめることもできなかった。
「獣?」
「分からない」
「こっちからじゃ見えないか。あとで近くまで行けば分かるよ」
「ああ」
リリィと老人が再び歩き始めたあとも、宿無しは最後にもう一度だけ林へ目を向けた。
来たことのない土地であり、目の前の林にも見覚えはない。地図を渡されるまでルーヴという村の名すら知らなかったのだから、そうでなければおかしい。
それなのに木々の間を見つめていると、ごく一瞬だけ、林の奥へ進めばどのような道が続き、その先に何があるのかを以前にも見たことがあるような感覚が浮かんだ。何か具体的な景色を思い出したわけではなく、知っているものを思い出しかけたときのような曖昧な引っ掛かりだけが胸の内へ残る。
宿無しがその感覚を掴もうと眉を寄せた頃には、すでに輪郭は薄れ、あとには何の変哲もない見知らぬ林だけが残っていた。
「宿無し?」
少し離れたところからリリィに呼ばれ、宿無しはようやく林から目を離した。
「ああ」
二人へ追いつくように歩き出すと、老人が向かっているのは村の中央に建つ、周囲より少し大きな家だった。まずはそこで、実際に獣を目撃した村人から話を聞くことになっている。
今はそれが仕事だった。
先ほど胸に浮かんだ奇妙な感覚も、宿無しはそれ以上考えないまま村の中へ入っていった。