数話構成でのお話になります。よろしくお願いいたします。
1
せせらぐ渓流に、紅葉がはらりと舞い落ちる。向かいで睨みをきかせる古傷だらけの熊は、いつでも食い殺せるとばかりに爪を持ち上げている。
その背中からは、巨大な毛むくじゃらの真っ黒な腕が生えていた。異形の器官が、歪められた魔力によって形成される異相付き、「腕付き」と呼称される個体だ。
幾度も人を襲い、人肉の味を覚えた獣だ。依頼を受けた村からも十人以上被害が出ている。格好の標的を前に待つわけもなかった。
腕付きは巨体を揺らし、凄まじい速度で浅瀬を越えてくる。
相対する鎧姿の騎士は、周囲に誰もいないことを再度確認してから左腕を突き出す。
心臓から腕へと魔力の流れを感じ、次の瞬間黄みがかった光が放たれた。
「……『聖光撃ち』!」
『グウウウウ! オオオォッ!』
「くそ、威力が足りないな……」
一発程度では、異形の熊にとって掠り傷だ。大振りの薙ぎ払いを屈んで避け、男は魔法を連続で行使しながら後退する。
木々の隙間を抜けていき、それすらも突進で破壊していく熊へ剣を叩きつけることを狙う。
腕付きが、食らいつくために首をぐいと伸ばした。
男は倒壊した樹を思い切り蹴って背後に回り、逆手に持った直剣を首へ突き刺す。何度も、腕付きの動きが鈍くなるまで。
しかし異相付きとは、通常の獣よりしぶといものだ。瀕死であるはずなのに、異形の腕は速く騎士を捕えた。獣の握力はみしみしと骨を軋ませる。
彼を前まで持ってきて、前脚で胴を引き裂こうと立ち上がった。
受ければ意識が飛ぶどころでは済まない威力である。目を閉じかけていた騎士は、すんでのところで異形の器官を切り払いそれを回避した。
潰されて咳き込みながらも唱える。その肉体の主の、軌跡の始まりを。
「ごほ……ぐくっ……! 『象牙の光』」
異相付きはゾンビではなく、情報は目から取り入れる。
男は掌を開き、全力で魔法を行使した。眼球を焼くほどの眩い光を、直接腕付きの目に放射したのである。
『オオオオオッ……』
「……これで、終いだ。うおおっ――!」
異形の腕が動きを止める。その瞬間、足のばねを使って再び首元に飛び掛かった。
歯を食いしばって、両手で剣に魔力を注ぎ込めば「聖光撃ち」よりも魔力濃度が高く。魔法「聖光宿し」を伴った刃は頑丈な骨の隙間を通り、ついに首を切断する。
巨体が重い音を立てて伏せ、次に首がぼとりと転がる。ようやく、彼は依頼を終えたのだ。
体を庇いながらよろよろと後ろに下がる。爪撃は受けていないとはいえ骨が何本か折れており、しばらくしたら激痛に苦しむことになるだろう。
「……よし、よし! やり遂げたぞ……!」
しかし、ナイーブな考えを彼はしなかった。ガッツポーズを取ってから、へなりと座り込む。
騎士の胸に、小さな達成感が浮かぶ。彼は地道に特訓し、獣を狩ったり賊を追い払ったりを繰り返して鍛えてきた。
これは村を助けるのと同時に、今の実力を測るうえで必要だったのだと彼は考えていた。如何に他者から見て、愚かしい行為であろうとも。
この世界の人々を弄ぶ人面の化物「上位種」、その殆どは異相付きよりも強い。
それでも異相付きとしては上澄みにいるだろう、熊の腕付きを単独で倒すことができた事実は、着実に成長出来るということだと心奥で歓喜する。
ここまで攻撃を受けてしまっては、まだまだ修行不足であるとも思いながら。
「はあ、は……。自力じゃあ、このあたりが限界だな……」
騎士は木に寄りかかって、回らない頭で今後を考える。
実戦で体を鍛えて、立ち回り方は格段に良くなったと思う。だが今習得している魔法では、火力不足だと。
理由として、リシディア騎士団の魔法が属性に偏らず均一な威力であるためだ。
基本的に少なくとも十数人単位での戦闘が想定された技だ。彼は独自の知識から、魔法の出来を磨いたとしても伸びが悪いと考えていた。
だからといって解術魔法を覚えていったとしても、大して改善されないだろうとも。大元の古い魔法なら兎も角、扱いやすいように簡略化された魔法だからだ。
威力の高い魔法を覚えるための手段。殆どは「学院」が身内だけで回している。
腕付きの亡骸を運搬するのは至難の業である。村の依頼主に運んでもらうとしてまずは討伐したことを伝えに行こうと、彼は腹に力を込める。
一歩また一歩と。並ぶ木々に手をつきながら、力尽きる前にと足を前に動かした。
リシディア騎士、エドムンドの遺体に入り込んだ男は、つい一月前冒険者として登録したばかりであった。
荒事をこなすにも、ある程度実績がいる。そのため専ら無名の傭兵として路銀を稼ぎ飯を食っていたが、登録の際エドワルドと名乗ってからは、「越境組織」の依頼もこなすようになっていた。
荒くれからやっかみを受ける前に別の町へと渡り、怪物と戦った夜は死にかけになりながら裏路地で意識を失う生活。
受け取る報酬も、装備は壊れるばかりで手元にほとんど残らない。接触をはかってから何度も向かっていた鍛冶屋にも、支出を工面するために少し足が遠のいていた。
戦に突き詰めたその日暮らしを続け、ついに彼は現状を変えるために大きく動き出す。
どんな突飛な行動であっても、やるしかない。もう冬になって雪の降り積もる馬車道にて、エドワルドは覚悟を決めていた。
「――ではあっしは、ここで。リフォニアまでの道中、ありがとうごぜえやした」
「こちらこそ、ありがとう。お気をつけて」
エドワルドは壊れた鎧を、黒のマントで覆い隠すと報酬の路銀を受け取り、荷馬車を降りる。それから越境の施設へ真っすぐに向かった。条件にあう依頼があるかを探しては、別の町へと向かう。
「……これだ」
騎士が「学院」からの依頼を見つけ出したのは、リフォニアの三つ目の町だった。
冒険者でごった返すカウンターをかき分け、誰にも取られていなかった紙をばんと机に叩きつけた。
彼が最も有用だと信じる魔法を習得する手段、偉大なる術師との接触の機会をはかるために。
◆
雪がしんしんと降り積もる、暗色の森を進んでいく。俺の懐に入れた、温めた石だけが冷えた空気から守ってくれていた。
受けた依頼は、この森のどこかにある花を採取すること。それも夜の間にしか開かないため、夜行性の獣たちが徘徊する中を探索しなければならない。
届けるのも夜しかない。閉じた状態では、難癖をつける奴らだからだ。
このように、「学院」が越境組織に依頼を出す時は、冒険者を使い捨てるような高難度である場合が多い。
依頼が達成されることを想定していないのだ。流石は「バックスタブレイブ」の世界の貴族である。意地が悪い。
(だがこれで、立ち入る理由はできた。納品は後回しだ。本命を……)
俺は左腕を胸に当てて、心臓から頭頂まで魔力が上る感覚を掴む。そして理論を唱えた。周囲の自分以外の魔力を感じるための魔法。そのままの名「感知」を。
すると、俺の肩に引っ張られるような感覚があった。本当に微細だが反応がある。
学院の中にある多数とは違う、巨大な魔力の断片だ。
「……離れていてこれだけ感じるなら、当たりか?」
俺は懐の石を握ってから、魔法「感知」を何度も行使して進む。遠すぎるが故に、方向を微調整しなければいけなかったのだ。
その度魔力が減って、肌寒さが増していった。
魔力が欠乏してくると、体温さえ奪われる。そもそも気温が氷点下に近いため、体温を保つのは困難なことだ。
しばらく歩くと、不自然に何も無い空間があった。周りは木々が生えているのに、四角くぽっかりと開かれている。近づけばその正体が何か分かった。木造の小屋だ。
小屋の周辺には魔力の結界が張り巡らされており、その前後を往復すれば姿を隠す効果が書き込まれていると分かる。
それに、俺の知識にあるボロ屋と作りが似ている。これは当たりだ。
「……よし。次が肝心だぞ……」
俺は外気を必要以上に肺に入れないよう浅い呼吸で動き、小屋の入口に立つ。そして手の甲で叩いた。
「…………」
何度かノックしてしばらく待ってみたが、まあ反応はない。俺は一度座り込み、この寒さを乗り越える方法を考えることにした。
どれだけ不審がられようと、これしかない。「月」の魔法を最も知る術者は正規の手段で、下々に顔を見せることは無いのだから。
寒さで眠気が襲い来る。俺はそれに必死で耐えた。
うつ伏せになって、熱を逃がさないようにも。また戸を叩いて、その術者の名を呼び、依頼されていた花についても声を張り上げて伝えもした。
だが、戸が開くことはない。瞼が徐々に降りて、意識が失われるほんの一瞬前かちゃりと音がしたような気がした。
「何だこの、みすぼらしい鎧は……。ちっ……衛兵にでも突き出してやる」