※「裏切りや絶望が溢れるゲーム世界で、鬱展開全てぶっ壊す」の番外編になります。
少し重たいですが、今まで読んで下さった方、一巻を購入してくださった方の、お話の補完になればと思っております。
失われた記憶。
純白に彩られた天から、襤褸が落ちる。此の地の有様を表するように。
それは正に窮鼠だった。噛みついて抗った後がどうなるか考えない。
魔力が尽きて絹のごとき糸が解け、四肢から凝固した血が零れた。象徴としてを意識された白金の鎧は、見る影もない。取り付けられたマント同様、みすぼらしく壊れ汚れている。
落下した距離は相当なもので、地に潰れ、沈むように倒れ伏す。常人なら原型を留めていなくてもおかしくない。
だが、彼は特別だった。それでも尽きぬ執念が、痛覚を麻痺させたまま生を維持していた。束の間の、吹けば飛ぶ命であるとも、人を越えるほどに鍛え上げられた肉体は一瞬でも永らえようとする。
白み始めた視界の先には、その者の現状よりも酷な地獄が映っていた。まだ生きている者たちの大小様々な金切り声。生命が脅かされることより、築き上げた人同士の繋がりを無理矢理絶たれることの恐怖が、そのまま音になっている。
煉瓦造りだろうが獣道だろうが悉く、血の黒赤と骨の黄色みがかった灰色に汚される。土に染み込んだ土を吸い取る黒一色の蔦たち。意地汚く屍を食い漁る獣皮の群れに、蠅のように飛ぶ蝙蝠羽。
そして、ぽつぽつと襤褸の後を追うように雲の隙間から現れた豆粒のようなモノは、急速に地上に接近する。顔面以外取り繕わない、異形と称するほかない醜い姿を晒し、祈る者たちへ現実逃避の時間さえ与えない。
大陸を蹂躙するのは、強大な上澄みの化物ではなく、大量の下卑た群れだ。そこから、次の頂が現れる。リシディアと同じような怪物が。
群れの一体でも、力無き者には対抗する術はない。ただ身勝手な腹いせに殺されていく。
つまり、何もかも失敗したのだ。
憤りが心臓をまだ動かし、虚脱感を覚えるやるせなさが無駄だと首を振る。
だが選べるのは一つだ。どちらを選ぶかはもう決まっていた。己に与えられ自分の意思で選んだ使命を、片時も忘れず刻んでいる。
数少ない勇者の中からただ一人選ばれ、繋がれてきた命を無駄にするものか。
だからこそ白から黒へ変わる視界の中でも焦点を合わせ、感覚のない顎で奥歯を噛み砕けた。全ての人が死なない限り、木漏れ日はあると信じている。
体から白光が迸った。最期に、燃え尽きる前にばっと勢いを増す。彼の髪が、真っ白に染まった。
(……『踏みしめる虚空』)
口内や四肢、負った傷を塞ぐことは不可能だ。口で理論を唱えることは出来ない。
足りない魔力を全身からかき集め、攻撃のためだけに回す。襤褸の、もはや誰にも望まれない英雄は空に浮かんだ。白糸で紡いだ剣を口に、マントに縫い付ける。
そして放たれた矢の如く飛び、その最も近くで悦に浸る殺戮者の喉元を、噛み千切るように裂いた。
勇者は数百を殺した。その後、指の一本も――四肢そのものが存在しないが、動かせずただ映るものを見る。これだけ殺しても全体からすれば微々たる量で、状況は何も変わらない。
(何が、いけなかったんだろう……)
走馬灯が、駆け巡る。築いた絆は現在に向かっていくまでに、身を裂くような悲しみと共に消えていく。冗談を言って笑い合った日々も、各々の大切なモノが失われた時点で無為に帰す。言葉を話すだけの屍になって、勇者に恨み言を吐いた。
『ここまで連れてきて……バカでありがとうよ。ずっと気味悪かったぜ……!』
『……もうどうだっていいんです。母さんをもう一度殺すというなら、貴方には死んでもらわなくては!』
『そんなに必死になって、何になるの? ……はっ、まだ邪教徒の方が筋が通ってる。もう好きなようにやらせてもらうよ。あんたは死んで』
残ったのは憎悪と、喉を掻きむしっても止まらないような苦痛だけ。感情だけが膨らみ、己の無力をも憎む。空虚になり切れはしない。
己を構成した全てが裏切られ、奪われても尚決して折れなかった信念が、砂のように既に砕け散っていてこれ以上壊れることが無いと思っていた心が、今はっきりと舞い散った。
脈拍が止まり、しばらく経ってそれは為った。一つでは何もできず、呆然と絶望を眺めるだけの亡霊。あるいは怨霊に。
亡霊は自由に動くことは出来ない。遺体と結びついているからだ。
本来、生者と別れを告げるための名残でしかない。その者も、亡霊をよく知り視てきたため分かっている。
未練が次の生に向かうための枷になり、いつまでも終わらない懺悔となることも。都市が廃墟となり、廃墟が緑もない砂漠になったとして、若しくは別の生命が此の地で栄えるとしても、絶望が残った思考に巡るだろう。
すんなりと当然のことのように訪れた死は、生きていた時以上の苦痛をその者に齎した。何もできないということが、最も悍ましい罰だった。
怨霊は叫び続ける。
死が静寂を形作ったとき。白骨化した襤褸の前に、足を引き摺りながら何者がやってきた。一歩歩くごとに血が垂れ、ぜえと息を漏らしている。防具の下の傷は致命的で、そう長くは持たないことを物語っている。
そしてその真っ黒な影は、そっと遺体を抱え、倒壊した教会にまで運んだ。割れたステンドグラスを腕を使って祭壇からどかし、横たえる。
もはや澄み切った青は望めない、黒赤の空から一筋光が零れた。黒いフードの中身が一瞬だけ照らされる。それは割れた鼬の面だった。
「ふうう……。やはり、だめだったようだな。『救世主』ともあろうものが、無様にそこらで転がっているとは……」
苦し気に息を漏らしながら腹を押さえ、祭壇に寄りかかるように座る。彼の耳には、乾いた風のような声が聞こえ続けていた。世論に望まれ旗印となり、最期は誰にも望まれなかった戦士の末路である。
「黙れ……叫ぶのをやめろ。お前はその程度の、凡俗だったのか? 担ぎ上げられただけの……無能か? ……違うだろう」
狂った霊に囁きかける。彼もまた人類のため黒い血を絶つために存在し、組織を率い、今や意味を失った。
彼は、一つの可能性を提示する。力が失われていく手から、遺体の方へ「鍵」を転がしたのだ。
鍵というには禍々しく、正に心臓の形をしている。それは肉塊のような石板だった。刻まれた名前は一つを除き、爪痕のような荒々しい横線を引かれている。
怨霊はそれを捉え、元よりあった強靭な精神が引き戻す。始まりの記憶が導く。怨霊から亡霊へ、木漏れ日を求める孤独な少年へと。
「まだ終わっていない……。抗う気持ちさえ継げば……」
『本当に……? どうやったって、勝てはしなかったじゃないか!』
「……お前はもう、その方法を、知っているはずだ――」
彼の震える手が、新しく刻まれた名前を金属製の爪で裂き、なけなしの生命力を全て奪われたが故に直後ぱたりと落ちる。
誰かの器であり続けた彼は、亡霊になる事さえ無かった。
儀式は成功した。砕け、再現されただけの碑が輝き、紡がれた糸の法則に勇者の亡霊は取り込まれた。真っ暗な空間で、勇者の目の前で巨大な光が温かな愛を求めている。冷えきった此の地では、望めない。
ならばと手を取り、探しにいく。もっとより良い選択を、都合の良い救いを。
決して諦めない。朽ち果て、意思ある最後の一つになろうとも。
◆
丑三つ時。別室で家族が眠る中、狭い一室で一人の男性が机にしがみつくようにしていた。カタカタとタイプ音が連なる。これは彼にとっての趣味だ。
机の隣には、モニターとキーボードの他に色々なグッズが並ぶ。
最も多いのが、西洋ファンタジー風の模型だ。キャラクターのスタンドもある。共通してそれらは、とあるゲームの登場人物だった。
非公式のファンメイド作品ばかりだ。投げっぱなしの公式からはグッズが供給されることは無かった故に、彼はあるもの全てをかき集めたのである。
モニターに映るのは、荒廃した世界。魑魅魍魎が跋扈し、この世の地獄のような有り様が画面に広がっている。
しかし彼は顔色一つ変えず、ゲーム内をくまなく探索していく。読み取れる資料や得られるアイテムの効果・テキストまでをメモし、ゲーム攻略用のサイトの新規ページに書き込む。
その後、別のウィンドウで文書作成ソフトを開いては、文章を連ねていった。
その行いは誰のためでもなく、自分自身のためと男性は思っている。コンセプトの非道さを強く否定しつつも、ネットにその負の感情をぶちまけることはせず、淡々と望む通り「もしも」を書き続ける。
瞬間的に話題となったゲームは数年経てば斜陽となり、対戦型でもないためプレイ人口は縮小して久しい。
そこに留まり続ける自分は奇人の類であると自覚しつつも、その行いに満足感を得ていた。趣味とは他人に理解してもらうために行うものじゃない。
こうやって自分の中のわだかまりが解消されて、「もしも」の世界で好きな登場人物たちは生き続ける。騙しているようなものだが、楽しかった。
登場人物は好きで、話の内容は大嫌いだ。当人がそう話し思っていても第三者から見れば、彼は熱心なファンと言えた。名前は知られていないが、コミュニティの中ではよく見る顔だなと思われるほどには。
「……今日はここまでにするか。明日も早いし……」
結びの句点を打った彼は、呻き声と共に伸びをしてから、別室と隔てる襖を見やる。
健やかに育て生きるために、必要な物は多々ある。深夜に捻出しなければいけないくらいには趣味に使う時間はないが、幸い経済的な逼迫は気にしなくていい。
それに今日は彼の生涯で、最も幸せな日かもしれない。
貯金は目標にしていた額までもう少しで、尚且つ明日から大切な人は自分の足と翼で社会を生きていく。それを昨晩祝い、見届けることができた。
多少の無理が必要だったのだ。これからは肩の力を抜ける。更に大きな幸せが待っているだろうと、彼は確信していた。
ただそういったとき、浮かぶ感情がある。幸せの絶頂にあるとき恐ろしくなるものだ。この男性はふと、ゲームを終了せず画面をじっと見た。初めてプレイした時と同じように、目を逸らさずありのままの惨状を捉える。
フィクションは、ずっと幸せを願っても結末は変わらない。主人公を痛めつけ、その様に歪んだ愛をぶつけることを主目的にする作品を、純粋に愛し続けられる者はいるのだろうか。
彼はそのような人に出会ったことが無い。フィクションへ過剰に感情移入する者は少なく、露悪的な作品となればさらに減る。そもそも表に出てこない。
同好の士がいなければ、少しずつ熱が冷め、別の作品に気持ちが向かうのだ。
「……独り相撲にしか思えなくても、最期まで戦って……すごいよな」
祝うため、少し酒を入れていた彼は画面に語り掛けるように独り言つ。主人公の少年の背中は小さくとも逞しく、装備の摩耗がここまでを生き抜いた証そのものだった。
ゲーム以外に、油絵や文字書きなど創作を趣味とする彼は、確かに人とは違っている。自作品にも没入して、己が如く考えるからこそ、フィクションも一つの世界だと思っていた。描いた風景も、キャンバスの先にその世界があるのだと。
死なせたくない。結末が分かっているからこそ、このデータでは先に進ませたくなかった。
「どうにかならないものかな……」
いつものぼやきと共にじっと画面を眺めていると、ふと障子の隙間から射しこむ光が一際眩しくなった。
徐々に強くなっていく。月に雲がかかっていたからとは言い表せない光量である。
もしや、迷惑な人間が懐中電灯か何かを照射しているのではないか。バイクの音などは聞こえなかったため、血気盛んな若者は除外する。
思考に水を差された彼は我に返り、襖をもう少しだけ開いた。次に薄目で覗き見るも、近くの道には誰もいない。眩しさとは無縁の暗闇だ。
「何だ……? ……え」
突如上の方からばっと灯りが降ってくる。見上げれば、二つ目の月が浮かぶ。
そのとき、宙と目が合った。