ぱちぱちと何かが弾ける音がして、目が覚める。起き上がろうとしたが、何やら引っかかるものがあって腕が動かない。
視界が元に戻ってくると、俺の手足がどうなっているのか分かった。手足が、縄で拘束されている。体から離れないように胴にも何本もの分厚い縄が括り付けられていた。
そして顔を上げた先には、美しい女性の姿があった。椅子に座り、こちらを観察している。
(く……確かに騒ぎ過ぎたとは思うが、ここまでぐるぐる巻きにされるとは……)
ゲームで見た衣装に、リアルに寄ってはいるが顔の特徴も知識に合致している。氷のように冷たい目と、眉間に寄った皺が為す神経質そうな表情は紛れもなく、あの敵役だ。作中年齢にしては若作りだったが、今は年齢相応の若々しさと言えるか。
「月環の監」ルリベナ。月の魔法を最も知り、若くして独自の体系まで築き上げた稀代の天才。
名ばかりではなく、学舎の歴代総長は早くとも四十を過ぎた頃に就任しているのに対し、ルリベナは二十と少しで座を引き継ぐに至ったのだ。
「下郎が、動くな」
俺は何とか上体だけでも起こそうと身じろぎする。すると、凄まじい殺気が俺の喉元まで迫った。魔力濃度の高い、青白い魔法の鋭さが迫る。
殺しまでやるか。俺は甘く見過ぎていたようだ。過去であっても性根は変わらない。
それもそうだ。唯我独尊の果てに化物へ魂を売った女が十数年で人格を変化させるわけもない。精神性が常人とは違うのだ。
俺は乾燥した喉を必死で震わせ、理論を唱える。瞬間、俺の前面に黄みがかった光が形を為した。
「――『聖光の盾』!」
「…………ほう」
貫こうとする魔法とリシディア騎士団の守りの術が肉薄し、同時に壊れる。
咄嗟に唱えていなければ、命はなかっただろう。危なかった。俺は、悠然と足を組むルリベナから次の攻撃が来るか、身構える。
しかし意外なことに、ルリベナは俺を眺めているだけだった。
「……『
「賊風情が、群れる白銀どもの技を扱うとはな。騎士団も人材過多と見える」
「……貴女様からのご依頼の品を、直接お渡しに参りました」
「黙れ、まだ口を動かすか……! 骸を森の獣に食い荒らされたくなければ、静かにしろ。それとも、そういった趣味があるのか? 装備と相まって惨めな奴だ」
こいつは人の話も聞けないのか。それでいて嘲る言葉だけは一丁前である。
あまりにも作中通りな態度に、俺は一旦口を閉じ、付け入る隙がないかを考える。室温は丁度良く、魔力も少しは回復した。ここから脱出するのは容易いが、わざわざ接触した意味がない。
部屋の中には、少なくとも一階には上位種の影はない。見回していると、テーブル上に俺が摘み取ってきた花束が置かれていることに気づいた。依頼自体は認識しているのだろう。天才とも呼ばれた奴が、その程度も忘れるなら笑い種だ。
しばらく考えてみて不可解に思う。わざわざ俺を小屋に入れた理由が分からない。ルリベナのことだ、勝手に小屋前で死ぬのは迷惑だと思ったにせよ、結局殺すなら同じだ。興味があること以外は冷淡でしかない女が、縛り上げる労力までかけたのは何故なのか。
じっと見て彼女の意図を探る。俺の視線に気が付いたのか、ルリベナは表情をさらに険しくした。そしてローブの内側から、丸い金属を地面に投げる。暖炉の火が反射したのは、大金貨二枚の輝きだった。
「貴様……いつまで転がっているつもりだ。それを持って、さっさと消えろ」
「……この報酬は要りません。代わりに、僭越ながらお聞き届け願いたいことがございます。どうか……」
「何を言っている……」
やはり、依頼は認識している。依頼書に書かれていた通りの額だ。ここまでの高額なのに誰も手をつけなかったのは、パーティーを組むことを禁じられていたからだろう。越境職員に聞いたら、受注した冒険者は皆消息不明となっていた。
森に立ち入る許可は一人にしか渡されず、期間内に達成できなければ失効する。条件を破りでもすれば、個人に学院の強権が振るわれるのだ。
ルリベナほどの貴族にとってははした金なのかもしれないが、市井の民には余りある。鎧も直せれば、余った金で飢えた子どもたちも大勢、しばらく食事にありつけるだろう。
しかし俺はそれを棄てる。縄を解かないことが本気の交渉である理由だ。
俺は以前から練っていた交渉事を伝える。俺がというよりエドムンドが習得していたリシディア騎士団の魔法を、理論書としてまとめ提供する。その代わりに、月の魔法の初歩を学びたいと。
リシディア教徒の魔法習得には、女神への信仰心が鍵だと内外に思われている。故に既存の理論書は分かりづらい。女神教徒以外は理論を学ぼうとせず、教団内でも聖典の内容や術者を見て覚えることがまかり通っている。
だがそんな不確かな精神性は関係ないのだ。抜粋された理論と、体内魔力の流れを感じ取れば習得できるのだから。
「信仰を棄てて所構わず垂れ流そうとはな……愚かしい。リシディア教徒の理論など、既に学院の知恵に組み込まれている。使い物にならない、そんなものが交渉になると思うか」
「……そうであったとしても、現代の術師が書けば比較研究になります」
「見苦しいぞ……! 賊が、我輩の「月」の高尚を理解できるものか」
「できる! 貴女の作り出した霊月の輝き、牙の鋭さは……!」
「貴様……! さっさと消えろ!」
ルリベナが俺へ魔法を放つ。俺は再び「聖光の盾」で防いだが、華奢なその足が獣の相を纏った。振り上げられた足で押しのけられる。
この色味も特徴も「二つ月」ではない、ルリベナの「霊月」だ。小屋から追い出された俺は、最後にルリベナの頭から立った湯気のようなものを見る。
「……今のは、『霊月の前脚』か……」
時間軸で言えば少し遠い未来。異形と化したルリベナが振るった高速の連撃は、名称がつけられていた。突進だけでなく、近接にも扱えるものだとは。
俺はばたりと閉まった戸を見て、息を整える。拒絶されこそしたが話はできた。作中常に冷淡で、感情を動かさず嘲ることしかしなかった女が、あそこまで剥き出しにしたのだ。
傍から見て気色悪かろうと、まだ待つべきだ。俺は息をついて、小屋から少し離れた場所で時が過ぎるのを待った。冬の寒さも魔力さえ回復すれば、どうにでもなる。
◆
「ちいい……! あの男、いつまで我輩を邪魔する気だ……!」
数時間後、月が傾いた夜明け前。二階の書斎にてルリベナは、魔法「観測」を行使しては、いつまで経っても小屋の近くから離れない男に頭を抱えていた。
綺麗に束ねられた濡羽色の髪が、手でぐちゃぐちゃと触ったせいで少々乱れている。外に行って追い出そうにも、面倒だった。
(日が出たならば、兵どもを集わせればよい……!)
だがルリベナの中には疑問が多くあった。いや疑問だらけであった。
まず、何故この隠し小屋を見つけられたのかだ。学院の教導役が漏らしたのか。だが位置を特定し不自然な空きがあると思ったとしても、結界の中に入ることは不可能だ。術式を解除できるだけの知識がなければ。
あの襤褸の鎧男に知恵があるとは認め難かった。突然押しかけ、小屋の戸を叩くだけで入ろうとしない。強盗をするわけでもなく、その上交渉とは到底言い難い稚拙な提案をする。立ち回り方があまりに愚かすぎると。
次に、騎士団の魔法を交渉事に選んだことだ。リシディア騎士はその光を程度の差こそあれ神聖なものとして考えているはずで、学院の考え方とは真反対である。学院からすれば魔法とは手段であり、研究材料。決して理外のものではないからだ。
それを、理論と感覚さえ合えば誰でも行使できるものと言うのは、価値観から外れすぎている。だからこそ背教者となったのかもしれないが。
「……ええい! あの男の素性など、考えている場合ではない……! 時間を割いてたまるか」
そこまで考えてから、ルリベナは机を両拳で叩く。筋肉を鍛えていない女性の腕力では、僅かに机が揺れるだけであった。
そしてルリベナは止められず、考えないようにしていた言葉を思い浮かべる。
戸を閉める前聞こえた、圧縮された理論を。それはルリベナが今正に開発している魔法だった。教導役であろうと得ることもできないはずの、ルリベナの頭の中にしかない魔法。
認めたくなくとも、彼女の内側からはじわじわと興味が湧いてきてしまっていた。
何もかもがおかしな、不気味な男への恐ろしさと共に。
それから研究は上手く行かず、夜明けがやってくる。ルリベナはどんよりとした眼で窓を見上げ、もう一度「観測」を行使してみた。変わらず男の反応があり、頭を押さえる。
彼女は階段を降り、戸から様子を覗く。途端に頭へ血が上った。今夜ルリベナを苦しめたその男は、ふてぶてしい態度で焚火をしていたのである。
厳密にはルリベナからの反応が無くなったため、数日かかるものだと思い、一人の時と同じく脱力していただけであった。
また彼の認識においては、ルリベナは人類の敵となる者だ。必死で頭を下げている中で、冷静な部分が疑問を呈したのである。
ここまでして月の魔法を習得する意義はある。しかし見ていないところまでは、頭を下げる必要はないじゃないかと。
「ああっ……こいつめえ……っ!!」
だが傲慢であり、下々は皆己に頭を下げ続けるものだと考えるルリベナには知ったことではない。更に男は、認めはしていないが己に教えを乞うた人間だ。
わなわなと拳を震わせ、魔力を左掌に集める。そのとき、船を漕いでいた男がぴくりと跳ね、おおと声を漏らした。
「失礼しました。ルリベナ殿……今一度ご一考いただけないでしょうか」
「…………ふうう。ここまで我輩を苛つかせる者は、未だかつてなかった……頭を地面につけて罪を償え」
「……はい」
男が静かに雪の中で座り込み頭を下げると、ルリベナは大きく息を吐きだす。なるほど、命じたことには従順ではないか。
真っすぐに言い放った、「できる」という言葉。どこからその自信が湧き出るのかルリベナには理解不能であるが、守りの術は次第点であった。寸でのところで止めるつもりだった技をも打ち消したのだ。単なる賊とは言い難い。
「……貴様、名は?」
「……? エド、ワルドと名乗っております」
「……襤褸の下郎。さっさと火を消せ。早くしないと、もう二度と話は聞かん」
「な……はい、すぐに……!」
ルリベナの許しを聞いた瞬間俊敏に動き、すぐさま火を消す。そして小屋の前に走って来て、深々と頭を下げた。その兜の裏側が、疑問符で埋め尽くされているとは思わず、ルリベナは頷く。
「我輩の時間を奪うというなら、相応のものを。理論書を持ち込むだけで、足りると思うな。そんなもの、我輩の一分にも満たん」
「はっ……」
「そうだ。……こうして時間をどんどんと無駄にしている。分をわきまえろ」
高圧的にルリベナは伝え、それからエドワルドと名乗った男を観察することに決めた。
面倒だが、衛兵に突き出すのも更に面倒だ。疑問が晴れてからなら、研究の進みも良くなるに違いないと。
心情の変化はおくびにも出さず、ルリベナはエドワルドを小屋の中に入れる。
そしてその不可思議さを試すため、半月の猶予を与えた。
しかしエドワルドはまだ知らない。ルリベナが行う修練がどれだけの地獄か。修練とは名ばかりの痛めつけ、無償でのこき使いを。
現在冒険者で元リシディア騎士らしい以外は素性が知れない男など、当然の扱いだと才女は考える。
敵役でもまだ優しい時期はあったのだな。エドワルドのそんな能天気な思いは、早くも三日で消し飛ぶことになった。