稀代の術師ルリベナが研究へ没頭する隠し小屋に、妙な男が突然押しかけてから実に半月が経過した。
ルリベナは、そのエドワルドと名乗った男の監視を続けていた。体に取り付けた魔道具によってエドワルドの自由意思を奪いながら、妙な行動をしないかを判断している。
単なる囚人として扱うわけにもいかない。学院や隠し小屋に被害が出れば、面倒この上ないからだ。そのため殺傷性のある魔道具は付けないことにしていた。
研究のための素材を採取に行かせては、休ませることなく『月』を学ばせる。途中で死ぬならその程度。
ルリベナは最初、そうするつもりだった。だがある程度時間が経ったところで、エドワルドの異常性が浮き彫りになっていく。一番ルリベナの心を揺らしたのは、彼が二つ月の初歩「月映し」を、半月も経たず会得したという事実である。
月の崇高を、平民の凡俗が理解できるはずもないとして、ルリベナは指導らしきことを一切しなかった。理論書だけ与え、後は監視に徹したというのに。
ルリベナは再認識した。この男の本質を。
カネや技術を奪うだけの賊ではなく、ひたすら力を求める復讐者なのだ。得た情報もその認識を補強していた。
巨大組織において、最も抜け穴の多い組織が「越境」である。登録さえしてしまえば誰でも組織の一員になれること、ランカーである「束ねられた腕」の腐敗が年々悪化していることが理由だ。後者は、金さえ積んでしまえば喜んで尻尾を振る。どれだけ地位を向上させても、貴族の権力に敵わない平民なのだ。
ルリベナは学院の息がかかった者から、独自のルートで情報を手に入れていた。しかしわざわざ仕入れずとも、出自はすぐに分かった。少し前、リシディア教団の上層部が騒いでいた事象に関わっているからだ。
兜を取ったとき、その者と同一の人相をしていることをルリベナは確認している。
学院の第三学舎も、聖都の依頼を受けて少人数駆り出されたという話を、ルリベナは耳に挟んでいた。
「盾狩り」エドムンド。リシディア騎士団の、第七十一番隊司令官だった者。聖都へ「騎士の任を全うし、天へ身を殉じる」という文言を送ったという。
死ぬまで教義に従い、民草を守るのが騎士。自ら棄教を選択するなど、あってはならないことだ。
しかし制度としては問題ない。名誉ある老兵が、足腰も満足に動かないというのに自死させるのはそれこそ問題だからだ。
リシディア騎士を名乗らないならば、許されるべきだ。そういった話が出てきてから、また雲行きが変わった。
エドムンドが育った廃孤児院に、遺書と大量の流血跡が見つかったからだ。特に遺された兜に付着した血液は、とても生存しているとは思えない量だったという。
聖職者も術師も、一様に思った。これも「裂け目」から出でる上位種の仕業か。
ウィスプマリナでの調査は、生死の判別がつかない不可解な事件として記録されることになったのだ。上位種による怪死なら、尚更公にすべきではないと。
越境組織への登録は、町によって杜撰な対応を行うところもある。エドワルドはそういった場末を狙ったのだろうと、ルリベナは軽く考えた。
(世を捨て、命も投げ打つ……正に亡霊か)
そう思いながらもルリベナは、その不気味さにより好奇心を刺激されていた。常人の感情の動きと比較すれば微々たるものであったが、それでさえルリベナにとっては珍しい事象だ。並び立つ術師のいない才女が心を動かすことは、「月」の美しさに魅了されたとき以来だ。
彼が、ルリベナの作り出そうとしている技を知っている理由も、吐かす事ができていない。それに観察しているだけで謎が深まる男の正体を暴きたいとも。
記述された過去で、全容を掴むことは出来ない。
そのとき、小屋の戸が軽く叩かれる。彼女は、エドワルドについての情報がまとめられた書類を一枚だけ手に取り、その他は筒状に丸めて破棄した。
小屋の入口に立つ前に、エドワルドは鎧と体を清める。薄汚い鎧も洗い流せば、白銀が顔を出す。マントの土汚れも、少々吹く風を防いだからであって臭うほどではなかった。
「ルリベナ様、お望みの薬草と異相付きの血肉を持ってまいりました。後者は小屋の外に分別しています」
「……入れ」
小屋の戸が開かれる。エドワルドはルリベナと一定の距離を保ったうえで、与えられた水盆に向かった。
「ふう……『月映し』」
理論書をめくりながら、彼は圧縮された理論を唱える。しばらくすると水面が波打ち、偽りの二つ月が浮かび上がった。
月灯りを反射したのではない。エドワルドの魔力によって、彼の頭にある情景を投影しているのだ。
(毎夜、行使する速度が上がっている……。たかがリシディア騎士の司令官如き、しかも血筋は大した爵位でもないというのに)
ルリベナは、エドワルドの成長具合を見る度僅かに心を動かす。
爵位と魔力量はある程度相関性がある。高貴なる血の濃さが、そのまま生涯の栄華を決めるのだ。
稀に身分に見合わない才が生まれることもあるが、平民上がりの騎士などは「学院」に所属できるような由緒ある少年少女と比較しても一段劣るのが基本だ。
体捌きと魔法が習得できるかは全くの別物なのである。
成人を過ぎて五年、二十にもなれば魔力量が上がる者は非常に限られてくる。伸び幅がおかしいのだ。
加えて、第二学舎は月の魔法を会得できるかを条件としているため、更に才能は選別される。初歩でさえ、センスと魔力量の両方がなければいけない。その基準を、目の前の男は容易く潜り抜けた。
水盆に両手を翳し続けるエドワルドへ、ルリベナは高圧的に言葉を投げる。一枚の紙とペンを共に。
「おい貴様。ここに己の名前を書いてみろ」
「はい。しかしそれはどういった意図で……」
「口答えをするな」
エドワルドはそれらを落とさないように握ると、ルリベナの表情を窺いながら記入していく。そして直接手渡すことはせず、距離をとりながら机に置いた。
「訓練を続けろ。理論書を完成させることも忘れるな」
「はっ……」
(……この間抜けで、筆跡の偽装は完璧とはな。あるいは……)
ルリベナは、証拠物の写しと今エドワルドによって書かれたそれを見比べる。このような小細工で誤魔化すよりも、なりを変えるのが常人だ。
やはりいかれているのだとルリベナは結論付けようとし、他にも証拠を集めてからだと考え直す。
学院の所蔵する書物には、ルリベナの曽祖父が生まれるよりも昔に製本された物もある。女神教の、真か定かではない聖典とは違う、此の世の理を探究した賢人が遺した成果の山だ。
俗人と会話するより、古い知見を取り入れることを選択した幼き日の彼女は、幾つか興味深いと思わせる書物を発見していた。
その内の一つにあった「魂の滴り」理論と、エドワルドは一致しているのではないか。
貴き血の濃さでは基準にならない限られた才、霊視の力。それを持つ一部だけが知覚できる「魂の運河」は、魂を回収し地上に配る性質を持っている。だが絶対量は増減しており、エネルギーを確保する通路が他にもあるのではないかと言われている。
「魂の運河」とは、真理に近しいながら研究を進めるのが難しい分野なのだ。研究者当人がその才を持っている必要があるからだ。
従者を飼っていたとして、それだけでは足りないのである。
その希少な「霊視」を持った先人の著作においては、魂の運河から滴る魂があると断言している。
落下地点に様々な物質を配置したところ、生物の遺骸にのみ変化が起きた。また保存状態の良い遺骸は、まるで眠っていただけかのように再び動き始めたという。
この研究に後追いは十数人いたが、理論の補強と垂れ落ちるまでに数月を要するという事実しか加えられることはなかった。
そしてその滴る魂を、亡骸ではなく生者が受けたならばどうなるか。
それこそが時代の変わり目に此の地へ産み落とされる、特別な存在なのだ。
理を生まれ持って知る「雫」だと。
「月」を狩りの武器として研ごうと試みる執念と、ルリベナのみが知る情報を持つ謎。一リシディア騎士とは思えないような言動の違和感。それらを一つで解決できる説に、ルリベナは早くも絞り始めていた。
二人が言葉を交わしてから、三時間。
かかと、ルリベナの持つペンが紙を叩く。エドワルドは周囲を警戒しながら、水盆に半分意識を向けたまま息を潜めている。
一度研究を始めると、隠し小屋から第二学舎の執務室に戻ることは稀だ。一月以上一人で生活することもある。
だがそれは、平常通りであった場合だ。細いルリベナの身体のどこに入るのかと第三者から思われるだろうというほどに、食事量が明らかに増えている。
エドワルドに与えることが無くとも、小屋に貯蔵していた食料はもう空っぽであった。
(思索を中断することになるとは……その間、こいつをどうするか)
ルリベナが、エドワルドの様子を盗み見ると、気づいた彼も首を傾ける。
視線こそ交差したが、エドワルドは己の知識にある魔法の実在と、それを会得するプロセスに夢中になっていた。
口を突いて出た問いも、この半月でルリベナに躾けられた結果である。
「何か、入用でしょうか。すぐにでも採取してまいります」
「必要ない。……貴様の次の修練を、決めてやったぞ」
「何……本当ですか! 心より感謝します」
「そうだ、貴様は痛みというものを理解できないようだからな。……我輩が如何に寛大だったかも知ると良い」
「……?」
理論書の半ば、魔法「月光伝播」*1についての理論が書かれたページが倒れ、パラパラと戻っていく。
ルリベナは無表情で続ける。学院の術師と訓練をし「月」の高尚を思い知れと。理論や感覚が合おうと、そこに憧憬が無ければ月を扱うものとして相応しくない。
その相手は、ルリベナが現在、最も気にかけている少女だ。はねっ返りだが、貴族としての精神は勿論、魔力の伸びも同世代と比較して著しい。ルリベナなりのしごき、無理難題を押し付けても平然と達成してくるこの男に、別のアプローチが出来るだろうと考えていた。
己の中にある説を確定させるためにも、試す価値はある。
「――貴様は夕方まで採取をしていろ。明日の夜、呼び出してやる」
「はい。訓練は、術のぶつけ合いだけでしょうか?」
「当たり前だ。剣を振るおうなら、我輩が首を跳ね飛ばしてやる。もっとも、近付くことさえ叶わんだろうが」
「それほどの使い手とは……楽しみだ」
掌を握っては開き、エドワルドは剣呑な雰囲気を露にする。何者が現れるのか、彼は知識にあるネームドを一から並べ始めていた。
そのとき、彼の首元からちゃらと音が鳴る。
それはロケットペンダントだった。金細工で作られたそれの内には、人物画が飾られている。エドワルドはそれをぐっと握ると、息を整えてから作業を再開した。
己が行いを、ただ一人に背かないように。
血気盛ん、貪欲に力を求める戦士は、次の夜を待つ。