境界記録帯(ゴーストライナー)×ストーンワールド 作:ターミナル カフェ
・本作品は『Fate/Grand Order』×『Dr.STONE』のクロスオーバー二次創作です。
・原作には存在しないオリジナルキャラクター、オリジナル設定が登場します。
・原作キャラクターの設定や関係性に、独自解釈・改変があります。
・原作とは異なる歴史、展開、世界観が存在します。
・読みやすさや文章表現の統一を目的として、既存話の文章・構成を一部改稿しています。そのため、以前公開していた内容と表現や描写が異なる場合があります。
・今後の展開によっては、複数のFateシリーズ作品および関連作品の設定を扱う予定です。
以上の点をご了承いただいた上で、お楽しみください。
【涼音side】
色が戻る。白く霞んでいた部屋の境目が現れ、照明がひとつずつ点いた。作業台の工具、図面の端を押さえる重し、目盛り。見覚えがないはずなのに、必要なものがどこにあるか考えるより先に分かる。先ほど見た人影にも輪郭が戻り始めた。ただし顔にはまだ砂嵐が残り、名を呼ぼうとすると視界が黒く欠ける。
作業台の前には幼い私がいた。十歳にもなっていないその子は、背伸びをして装置の奥を覗き込み、隣の小柄な少女へ何度も問いかけている。目に映るものすべてが不思議でたまらないらしい。落ち着きのない後ろ姿に、恥ずかしさより懐かしさが込み上げた。
「もう一回見せて! さっきは途中で見失っちゃった」
『三回目だよ? 同じものを見ても、答えが勝手に出てくるわけじゃないんだけどなぁ』
「今度は最初に動くところを見たいの。そこが分かれば、後も分かるかもしれないから」
少女は笑って場所を空け、装置の一部を動かした。離れた場所の小さな表示が変わる。彼女は先に答えを教えず、図面の一箇所を指で示す。幼い私は間違えては図面へ戻り、また動きを見つめた。その繰り返しに嫌な顔をする人は誰もいなかった。
『分からないところが見つかったなら、それだけ先へ進んだってことさ。さあ、何が足りない?』
胸の奥が強く脈打つ。知らないことは調べ、できないことは試して覚える。それは自分で決めた生き方だと思っていた。今の私が積み重ねた努力は私のものだが、最初の一歩を踏み出す時、背中を押してくれた人がいたのだ。幼い私が図面に顔を寄せるほど、忘れていた時間の温度が戻ってくる。
作業台の向こうでは、雷を纏うような男と声の大きな男が言い争っていた。名前も議論の結論もノイズに消える。静かな目をした錬金術師が少し離れて見守り、ほかの人影もこちらを振り返る。私は一人でこの部屋に通っていたわけではない。それだけで、知らないはずの場所に親しみを覚えた。
「……この人たち、私が失敗しても見ていてくれたんだ」
幼い私が図面の読み違いに気づき、頬を膨らませる。少女はからかうでも責めるでもなく、間違えた箇所に小さな印をつけた。そこで砂嵐の隙間から、その横顔が一瞬だけ鮮明になる。見つめていた目と、答えを急がせない笑い方を私は知っていた。最初に思い浮かんだ音を逃さないように、息を整える。
「ダ・ヴィンチ……ちゃん?」
ノイズは来なかった。頭の中で何かが爆発するような劇的な感覚もない。ただ、ずっと空いていた棚に一冊だけ本が戻ったような、小さく確かな変化があった。彼女の名前をもう一度心の中で呼んでも消えない。だからこそ、ほかの人たちの名前や、この施設で何をしていたのかまで一度に掴もうとしてはいけないと分かった。戻った一つを手放さないためにも、今見えているものを丁寧に確かめたい。
記憶の中のダ・ヴィンチちゃんがふいに顔を上げた。幼い私へ向けた言葉なのか、ここに立つ私が昔の声を拾っただけなのかは分からない。それでも、声は不思議とはっきり届いた。
『答えだけ先に聞いたら、君はきっとつまらないだろう? 君の速度で確かめておいで』
「……うん。ちゃんと、自分で確かめる」
図面の上に置かれていた幼い私の指が、次の線を辿る。その先に何があるのか見届けようとした瞬間、照明が一斉に白く滲み、部屋の輪郭がゆっくりほどけていった。私は追いすがらなかった。名前を一つ持って帰れるのなら、今日のところはそれで十分だった。
【達人side】
幼い俺と涼音を追って歩くうちに、灰色だった通路は白い壁と床を取り戻していた。等間隔に続く照明の下を、顔の見えない職員たちが忙しそうに行き来する。角を曲がるたびに「ここを知っている」と身体のどこかが告げるのに、頭は何一つ説明してくれない。幼い俺の歩幅に合わせて駆けてくる涼音を見れば、それが自分たちの日常だったらしいことだけは分かった。
さっき幼い俺は「涼音に一生をかけて懺悔し、後悔して生きなくてはならない」と言った。理由も分からない言葉を否定したいのに、胸の底に沈んだ重さが邪魔をする。今の涼音が自分で判断できることは知っている。それでも何か起きるたび、俺は前に出ようとしてしまう。
「お兄ちゃん、早く! 置いていっちゃうよ!」
『置いてくなよ。そっちは人が多いんだから、ちゃんと待ってろ』
幼い俺がそう返すと、幼い涼音は立ち止まり、得意げに胸を張った。何でもないやり取りだ。少なくとも、その瞬間までは。二人が駆け寄った扉の脇に、一人の男が立っていた。白い服の襟元も、差し出しかけた手も見える。なのに顔と名だけが黒く乱れ、記憶の中から切り抜かれたみたいに分からない。その姿を見た途端、俺は足を止めた。
『達人。涼音を頼む』
「あんた、誰なんだ。俺たちとどういう関係なんだよ」
返事はなかった。男が見ていたのは今の俺ではなく、幼い俺のほうだ。その子は頼まれごとに慣れた様子で頷き、涼音の手が届くところに立つ。大人に言われたからというより、自分がそうしたいからそこにいる。昔の俺の表情には、少なくともこの時点ではまだ曇りがなかった。
『分かってる。何があっても守る。俺がお兄ちゃんだから』
頭の奥に痛みが走った。自分の声で聞いたはずの言葉が、知らない誰かの約束みたいに響く。俺はこの後に何かが起こると知っていた。理由は思い出せない。それでも扉に近づく足を止めたいという気持ちだけが、やけにはっきりしている。
白い通路に赤い光が差した。警報が響き、人々の足音が重なる。何が起きたかを示す表示だけが塗り潰されていた。幼い涼音は誰かに抱えられ、泣きながらこちらを見ている。幼い俺はその前で何かを握っていたが、手元だけが影に覆われて形が分からない。
『お兄ちゃん……』
『ごめん、涼音』
謝った理由を知りたくて、俺は記憶の中の自分に近づいた。すると景色が一瞬だけ揺れ、幼い俺が正面から見返してくる。あいつが本当に当時の俺なのか、今の俺の不安が姿を借りたものなのかも判別できない。だが、問いかける声だけは逃げ場を塞ぐように届いた。
『本当に守れたのか。何を選んだのか、忘れたままでいいのか?』
「よくねぇよ。だから見せろ。あの時何が起きたのか、俺自身に確かめさせろ!」
答えの代わりに壁が揺れ、黒い部分が広がる。苛立ちと、知った後で今の涼音をどう見ればいいのかという不安がせめぎ合った。それでも幼い涼音へ手を伸ばす。今の涼音なら、誰かが勝手に結論を出すのを嫌がるだろう。その考えが浮かび、俺の足は止まった。
《警告。記憶の同期率が危険域へ接近しています》
「フォウ、止めんな。ここまで来たら、せめて俺が何を謝ったのかだけでも……」
《今の状態では情報を安定して受け取れません。記憶解凍を中断します》
通路の奥から順に色が失われ、幼い俺も涼音も赤い警報の向こうへ遠ざかる。引き留めようとしても手は届かない。最後に、扉の脇にいた男の声だけが残った。
『達人。守ることと、閉じ込めることは違う』
何か言い返そうとして、できなかった。過去に俺が何を選んだのかはまだ分からない。けれど、今の俺が涼音の代わりに決めようとしたことはある。男の言葉が指しているのは過去だけではないのかもしれない。そう考えたところで、記憶の世界は消えた。
【現実/涼音side】
目を開けると簡易テントの天井が見えた。外からかすかに人の声が聞こえ、土の匂いがする。ついさっきまでいた部屋には滑らかな床も明るい照明もあったのに、手のひらに触れるのは敷いた布のざらつきだった。今いる場所を確かめてから隣を見ると、お兄ちゃんもほぼ同時に身体を起こし、額の汗を拭っていた。
「お兄ちゃん、大丈夫? ずいぶん苦しそうな顔をしてた」
「お前の顔を見たら落ち着いた。そっちは何か分かったのか」
「一人だけ名前を思い出した。ダ・ヴィンチちゃん。昔、私にいろいろ教えてくれた人だと思う」
口にしても名前は消えない。けれど思い出せたのは作業台でのわずかな時間だけだ。記憶にあるものと想像を混ぜないように気をつける。お兄ちゃんは、よかった、と頷いた後で何かを言いかけ、口を閉じた。
「お兄ちゃんは?」
「……まだ、ちゃんとは分からねぇ。けど、俺とお前が子供の頃、同じ場所にいたのは確かみたいだ」
嘘ではない。でも、見たことを全部話したわけでもない。私自身、記憶の途中で立ち止まったばかりだ。お兄ちゃんは私を守ろうとして、よく先回りする。今回も何かを一人で抱えようとしているのかもしれない。
「分かった。話せることが増えたら、その時に聞く。でも私の記憶のことは、私にも考えさせてね」
「……ああ。お前が決めることまで、俺が取るつもりはねぇよ」
普段ならすぐ返ってきそうな言葉を、お兄ちゃんは少し考えてから言った。何があったかはまだ聞かない。ただ、その間が私には妙に大事なものに思えた。いつか互いに思い出したことを持ち寄れたらいい。今は、それぞれ一つずつ持ち帰れただけで十分だ。
《記憶解凍率の上昇を確認しました。今後も人物との再会や危機、英霊との共鳴をきっかけに、同様の現象が生じる可能性があります》
「できれば、次はもう少し落ち着いて思い出したいんだけど」
《発生時期と内容の予測は困難です。ただし、無理に解凍を進める必要はありません》
フォウくんの返答を聞き、私は胸の中でダ・ヴィンチちゃんの名前をもう一度確かめた。焦らなくていい、という声もまだ覚えている。その時、外からクロムくんの弾んだ声が聞こえた。
「達人! 涼音! 起きてんなら広場へ来い! すっげえもんができた!」
テントを出ると、村はすっかり夜だった。焚き火を離れれば、月と星を頼るしかない。広場には千空先輩とクロムくん、コハクちゃん、ゲンがいて、見慣れない装置の両側に金狼くんと銀狼くんが立っていた。村の人たちも成り行きを見守っている。
「よう、ちょうどいいところに来たな。文明復活の一歩目、見逃すなよ」
千空先輩が合図すると、金狼くんと銀狼くんが装置を回し始めた。二人の息が合うまで少しかかり、その間クロムくんは落ち着きなく装置と千空先輩の顔を見比べている。回転が安定すると、磁石と銅線を組み合わせた仕組みが働き、目には見えない電気が生まれる。小さな竹の繊維に変化が現れ、やがて夜の中に淡い光が浮かび上がった。炎の揺らめきとは違う、まっすぐな光だった。
誰もすぐには声を上げなかった。コハクちゃんは目を細めて光の形を確かめ、ゲンも珍しく言葉を探している。クロムくんは自分たちの手で起こしたことを信じられないように装置を見つめ、回し続ける二人は村のみんなの表情を見てから、ようやく笑った。やがて驚きが歓声へ変わり、広場のあちこちから声が重なる。小さな光を囲む人の輪が、少しずつ大きくなっていった。
私はその輪の外で足を止めた。記憶の中には、明るい部屋も精巧な機械もあった。それらを作った人の顔も名前も、今はほとんど思い出せない。一方ここには、何もないところから磁石を手に入れ、手を動かし、人を集めて夜に光をともす千空先輩たちがいる。失われたものを惜しむだけでなく、分からないことを一つずつ調べて進んだ結果が、目の前にあった。
「……やっぱり、科学っていいな」
「あたりめぇだ。こっから先も一歩ずつ積んでくぞ」
千空先輩の言葉に、昔ダ・ヴィンチちゃんが私へ向けてくれた声が重なった。お兄ちゃんは隣に立ち、私が光を見ている間は何も言わない。二人の過去について分からないことは山ほどある。両親のことも、カルデアという場所のことも、なぜ記憶を失ったのかも、まだ暗闇の中だ。けれど今日、私には一つ名前が戻り、お兄ちゃんには私と話すための時間ができた。急いで答えを作らなくても、明日また確かめればいい。
竹の繊維が灯す光を囲んで、村の人たちの歓声は続く。三千七百年の夜を照らし始めたその小さな明かりは、私が持ち帰った一つの記憶と同じように、確かにここにあった。