妖怪恋愛都市 〜怪異めいた美女たちに愛されすぎて帰れないハーレム生活〜 作:ガイコツ番付
零章 私
私の名前は、少し変わっている。
初対面の人には、だいたい一度聞き返される。
けれど今は、その話はいい。
この話で大事なのは、私の名前より、高代けまりちゃんのことなのだから。
一章 高代けまり
高代けまり。
私の意中の人の名前である。
最初に見た時、まず思ったのは、綺麗だとか、かわいいだとか、そういう普通の感想ではなかった。
大きい。
とにかく、大きい。
身長は二メートル近いのか、あるいは本当はもっとあるのかもしれない。
長すぎる手足。
白すぎる肌。
黒く長い髪。
前髪は重く、目元を半分ほど隠している。
その隙間からこちらを見下ろされると、暗い山道の奥から、誰かに覗き込まれているような気分になる。
ファンタジーの姫でも、御伽話の巨人でもない。
もっと近いものを挙げるなら、怪談だ。
夜道に立っていてはいけない女。
背の高すぎる女。上からすべてを覗き込む女。
見上げてはいけないのに、見上げずにはいられない女。
高女。
古い妖怪画に、下半身を蛇のように異様に長く描かれた女。
そして、もう一つ。
神隠し。
二つの言葉が、同時に頭へ浮かんだ。
もちろん、本人にそんなことは言えない。
彼女は、そういう目で見られることを嫌っていた。
実際、けまりちゃんはとても優しい。
人と話す時は、いつも少し腰を曲げる。
大きな体を申し訳なさそうに縮めて、できるだけ相手の目線に近づこうとする。
そのせいで、ただでさえ近い距離に、白い服越しにも隠しきれない存在感の大きなお山がふっと迫ってきて、私は視線の置き場に困る。
それを避けても、腰下に大きな曲線がある。
困る。
かなり困る。
いや、違う。
今はそういう話ではない。
かがみ込んだ彼女の顔は、不気味なほど整っている。
けれど、その表情はいつも少し不安そうで、誰かを怖がらせないようにしているようでもあった。
彼女の周りには、妙な噂が多かった。
夜道で見た。
大きすぎる女が立っていた。
目が合った気がした。
気づいたら道を間違えていた。
誰かが、彼女に似たものを見たあと、行方が分からなくなった。
そんな、あまり気分のいいものではない噂。
けまりちゃんは、その謂れのない噂を嫌っていた。
悲しんでいた。
少なくとも、私にはそう見えた。
けれど私は昔から、怪談に出てくる女性や、人間ではない女性に、どうしようもなく心を引かれるところがあった。
怖いのに見たい。
近づいてはいけないのに、声を聞いてみたい。
逃げるべきなのに、振り返ってしまいたい。
そういう、あまり人には言えない性質がある。
だから、彼女を見た時、私は思ってしまった。
怖い。
けれど、綺麗だ。
得体が知れない。
でも、目が離せない。
そしてたぶん、どうしようもなく好きだ。
一目惚れだった。
この時の私はまだ知らない。
彼女と出会ったことで、この街の夜が少しずつ形を変えていくことを。
この時の私は、ただの小さな会社員だった。
怖いものに惹かれやすくて。
逃げ足だけは少し速くて。
大きすぎる彼女に恋をしてしまった、ただの男だった。
二章 三回目のデート
三回目のデートは、静かな洋食屋だった。
駅から少し離れた、小さな店。
窓の外では、細い雨が降っていた。
向かいの席に、けまりちゃんが座っている。
座っていても、大きい。
それなのに、少しだけ肩をすぼめている。
店の中で目立たないように。
私と同じ高さに近づこうとするように。
##「けまりちゃん」
けまり「はい」
##「今日、言いたいことがあって」
けまりちゃんの手が止まった。
私は、息を吸った。
用意していた台詞はあった。
落ち着いたもの。
大人っぽいもの。
少し冗談を混ぜたもの。
全部、消えた。
##「好きです」
声が震えた。
##「付き合ってください」
さらに震えた。
##「お願いします」
気づいたら、ほとんど土下座みたいな角度で頭を下げていた。
けまり「……顔を上げてください」
恐る恐る顔を上げる。
けまりちゃんは、泣きそうな顔で笑っていた。
けまり「私も」
その声も、震えていた。
けまり「あなたのことが、好きです」
店を出る頃には、雨は少し弱くなっていた。
二人で軒下に立つ。
白い服。
長い黒髪。
背の高すぎる女。
夜道に立っていたら、普通は近づいてはいけないものに見える。
けれど、今は恋人だった。
けまり「##さん」
##「はい」
けまり「私といると、怖いことがあるかもしれません」
雨音が、少し近くなる。
けまり「私のことを、怖いと思うかもしれません」
けまり「大きすぎると思うかもしれません」
けまり「普通じゃないと思うかもしれません」
重い前髪の奥で、目が揺れている。
けまり「逃げたくなったら、追いません」
##「……」
けまり「でも」
大きな手が、そっと私の手を包んだ。
けまり「できれば、逃げないでください」
怖くないとは言えなかった。
逃げないと断言できるほど、強くもなかった。
だから、正直に言った。
##「怖くても、たぶん帰ってきます」
けまり「たぶん、ですか」
##「すみません。怖い時は普通に怖いので」
けまり「……はい」
##「でも、逃げても」
握られた手を、握り返す。
##「けまりちゃんのいる方向に、逃げます」
けまりちゃんの目が、少しだけ揺れた。
けまり「……ずるいです」
##「ずるいですか」
けまり「はい」
雨の中で、彼女は小さく笑った。
けまり「そんなことを言われたら、もっと好きになります」
その夜。
私は、生まれて初めて女性を自分の部屋に入れた。
狭い部屋に、白くて大きな彼女がいる。
それだけで、現実感がなかった。
つけっぱなしのテレビから、連続強盗殺人事件の続報が流れていた。
灰色のフードをかぶった痩せた男が、まだこの近くに潜伏している可能性があるらしい。
また被害者が増えた、という言葉だけが、やけに部屋の中に残った。
けまりちゃんは、そのニュースを一瞬だけ見た。
とても悲しそうな顔だった。
その時、テレビの音に混じって、どこか遠くで、かちり、と聞こえた気がした。
けれど私は、その意味を考える余裕がなかった。
緊張で、足が少し震えていた。
童貞だからだ。
けまり「怖いですか?」
##「怖いです」
けまり「嫌ですか?」
##「嫌じゃないです」
けまりちゃんは、ほっとしたように笑った。
それから、私の前に少し身をかがめる。
大きな手が、私の頬に触れた。
けまり「怖かったら、言ってください」
##「はい」
けまり「嫌なら、止まります」
##「はい」
けまり「でも」
そこで、けまりちゃんは少しだけ照れた。
けまり「今日は、逃げないでください」
##「……逃げません」
自分で言って、膝が震えた。
けまりちゃんは、それに気づいていた。
気づいたうえで、優しく笑った。
けまり「大丈夫です」
##「その“大丈夫”、すごく信用したいのに、すごく怖いです」
けまり「ふふ」
白い腕が、ゆっくり私を包んだ。
優しい。
本当に優しい。
なのに、逃げられない。
彼女の体が、私に重なる。
始まってしまった。
##「こ、こんなにすごいものなんですかー!!」
##「想像と違いましたー!」
腰が抜けた。
たぶん、本当に抜けた。
けまりちゃんは、私を支えながら、少し困ったように笑った。
けまり「……ごめんなさい」
その声は優しいのに、少しだけ熱を含んでいた。
けまり「あなたには、少し刺激が強すぎましたかね」
その言い方が、やけに妖艶で。
私は、もう何も言えなかった。
部屋の明かりが、白く滲む。
そして夜は、静かに暗転した。
彼女があのニュースを見て、なぜあんなに悲しそうな顔をしたのか。
その時の私は、まだ理解していなかった。
三章 会社の日常
翌朝。
体が重い。
腰も重い。
頭の中には、昨日の夜のけまりちゃんの声が残っている。
##「す、すごすぎます……」
隣で、けまりちゃんが少しだけ動きを止めた。
##「童貞じゃない人は、みんなこんなことしてるんですか……」
けまり「朝から何を言ってるんですか……」
けまりちゃんは耳まで赤くなっていた。
それから、私に聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ぼそっと言った。
けまり「……多分、みんなとは、ちょっと違うかもしれませんが」
##「違うんだ……」
けまり「忘れてください」
##「忘れられる情報量ではなかったです」
正式に付き合い始めた翌朝。
私とけまりちゃんは、職場が近いので、一緒に通勤することになった。
駅へ向かう道で、けまりちゃんは相変わらず目立っていた。
二メートル近い長身。
黒に近い長い髪。
少し猫背になって、それでも隠しきれない大きな存在感。
けまり「……見られてますね」
##「まあ、けまりちゃん大きいですから」
けまり「嫌じゃないですか……? 私と歩くの」
##「全然。むしろ嬉しいです」
けまりちゃんは、少しだけ俯いた。
けまり「……そういうこと、普通に言うの、ずるいです」
会社に着くと、いつものフロアがいつものように蛍光灯で白かった。
この白さだけは、恋愛も初めての夜も、浮ついた空気を何もかも許してくれない。
##「おはようございます」
間宮「おはよう。今日はちょっと顔が死んでるな」
コーヒー片手に近づいてきたのは、少し年上の先輩、間宮聡司さんだった。
妙に噂に詳しくて、だいたい余計な話を持ってくる人である。
##「死んでないです。社会人の顔です」
間宮「社会人ってゾンビなんだな」
##「昨日から、人生が少し薔薇色なんです」
間宮「お前、前から頭の中はお花畑だよ」
その後ろを、佐伯守彦部長が資料を抱えて通った。
疲れた中間管理職、年々薄くなる毛髪を心配する苦労人である。
佐伯「##君、朝から雑談が元気だな」
##「すみません」
佐伯「元気なのはいい。だが資料は午前中に見てくれ」
間宮「部長、今日なんか髪型キマってますね」
佐伯「髪型ではない。分け目のコンディションだ」
##「そこ、別物なんですか?」
佐伯「別物だ。あと頭を見るな。資料を見ろ」
部署の奥から、白石美津江さんのため息が聞こえた。
口は少しきついが、面倒見はいい古参事務職である。
白石「朝から部長の頭の話をしない。縁起が悪いでしょう」
佐伯「縁起の問題ですか」
白石「現実の問題です」
コピー機の前では、SNSに強い新人女子の春日井芽衣さんが笑いをこらえていた。
その横で、真面目な新人男子の三原拓斗くんが会釈する。
三原「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
間宮「三原くん、朝から真面目だねえ」
三原「普通です。会社なので」
##「私も今それを目指してる」
三原「目指すものなんですか?」
白石「あなたは、たまに会社に来ているのにどこかへ行きかけてる顔をするからね」
##「そんなにですか?」
白石「かなり」
間宮さんが、にやっと笑った。
間宮「そういえば、聞いた話だけどな」
##「出た」
三原「出ましたね」
春日井「今日は何ですか」
間宮「最近、雨の日に白い傘の女を見るって噂があるらしいぞ」
##「白い傘?」
間宮「その女と話すと、帰り道を忘れてしまうらしい」
春日井「え、それSNSで見ました。駅前とか歩道橋の下とかにいるってやつですよね?」
三原「やめましょう。朝から怖い話はやめましょう」
白石「そういう話、面白がって広げるものじゃないわよ」
間宮「面白がってませんよ。注意喚起です」
白石「あなたの注意喚起は、いつも少し楽しそうなの」
私は、何となくその話が気になった。
白い傘。
雨の日にだけ現れる女。
駅前。
歩道橋の下。
話すと、帰り道を忘れる。
明らかに怖い。
でも、怖い女という響きだけで、私の中の何かが少しだけ反応した。
三原「先輩、今ちょっと嬉しそうでしたよ」
##「してない」
間宮「してた」
春日井「してました」
白石「してたわね」
佐伯「何でもいいが仕事をしろ」
##「はい」
私は席に座り、パソコンを立ち上げた。
メール確認。
資料修正。
社内チャット。
会議。
上司への報告。
私はちゃんと仕事をしている。
しているはずだった。
窓の外では、昼前だというのに、空が少しずつ暗くなり始めていた。
その時、スマホが震えた。
けまり
『雨です』
少し間を置いて、もう一通。
けまり
『今日は、まっすぐ帰ってきてください』
さらに、もう一通。
けまり
『白い傘の人を見ても、ついていかないでくださいね』
私は、窓の外を見た。
雨の中に、白いものが一瞬だけ見えた気がした。
傘だった。
誰もいないはずの向かいの歩道で、白い傘だけが、こちらを向いていた。