妖怪恋愛都市 〜怪異めいた美女たちに愛されすぎて帰れないハーレム生活〜 作:ガイコツ番付
四章 市立図書館
市立図書館は、駅前の大通りから少し外れた場所にあった。
古い建物だった。
ガラス張りの新しい図書館、というより、昔からそこにある公共施設。
外壁は少し黄ばんでいて、入口の上には、年季の入った金属の文字で「市立図書館」と書かれている。
夕方の光の中で見ると、そこだけ時間が少し遅れているように見えた。
私は入口の前で立ち止まった。
思えば、図書館なんてほとんど来たことがなかった。
##「妖怪に会いたいとはいえ、歴史的なものに興奮しないからな……」
私は誰に言うでもなく呟いた。
##「やっぱり基本は空想の妖怪の女性に限るからな」
言ってから、自分で少し引いた。
##「……いや、違う違う」
私は咳払いをした。
##「郷土資料を見るだけ。郷土資料を見るだけだ」
怪異女子に会いに来たわけではない。
市立図書館の郷土資料コーナーに、祓い屋に関する記述があるかもしれないから来ただけだ。
非常に学術的。
非常に健全。
非常に社会人らしい。
スマホが震えた。
紅子
『入口で独り言?』
『気持ち悪いわね』
私は反射的に周囲を見回した。
##「見てるのか……?」
返信はすぐ来た。
紅子
『見てないわよ』
『でも、あなたなら言いそうだもの』
##「読まれている……」
その時、入口の自動ドアが開いた。
中から、ひとりの男が出てきた。
年齢は私より少し上か、同じくらいか。
肩掛けのバッグ。
首からぶら下がった小型カメラ。
片手にはスマホ。
もう片方の手には、コンビニで印刷したらしい地図のような紙。
男は図書館の外に出るなり、スマホに向かって小声で喋り始めた。
男「……ここ、ここ。市立図書館。例の“冷たい女”の目撃場所。閉館前に奥の資料室が冷えるってやつ」
私は思わず、足を止めた。
冷たい女。
その言葉が、あまりにもはっきり聞こえたからだ。
男は気づいていないのか、そのまま続ける。
男「白い髪の女が出るらしいんだよな。撮れたらデカいぞ、これ」
嫌な感じがした。
怖い噂を追っている、という意味では、私も同じかもしれない。
ただ、その男の声には、なんというか、妙に軽い熱があった。
怖いものを怖がる熱ではない。
見つけたら晒してやろう、という熱。
男は紙を見ながら、ぶつぶつ言った。
男「閉館後に残れればなぁ……職員、ちょっと固いんだよな。奥見せろって言ってもダメだし」
その言い方に、少しだけ引っかかる。
私は心の中で、自分に言い聞かせた。
私は違う。
私は郷土資料を見に来ただけだ。
白い髪の女が本当にいたら、見たいとは思っている。
思ってはいるが、追い回したいわけではない。
ここは大事だ。
追い回すのは、何か違う。
私は逃げたいのだ。
怖がりたいのだ。
できれば、向こうから来てほしいのだ。
##「……いや、これも相当ひどいな」
自分で言って、自分で反省した。
男は私の方をちらりと見た。
目が合う。
男は、私のスマホ画面と図書館を交互に見て、にやっと笑った。
男「あんたも?」
##「……何がですか」
男「冷たい女。見に来たんだろ」
##「郷土資料を見に来ました」
男「ああ、そういう言い方ね」
男は、分かったような顔で笑った。
その顔が、少し嫌だった。
男「奥だよ。郷土資料コーナー。あそこ、マジで空気違うから」
##「そうですか」
男「閉館前が狙い目らしい。職員の目を盗めば、もう少し奥まで行けるかもな」
##「規則は守った方がいいと思います」
男「真面目かよ」
男は鼻で笑って、再び図書館の中へ戻っていった。
私はその背中を見送る。
嫌な予感がした。
あの男とは、たぶんまた会う。
しかも、あまりいい形では。
スマホがまた震えた。
紅子
『変なのがいるでしょう?』
私は画面を見た。
##
『知り合いですか?』
紅子
『知らないわ』
『でも、白い人はああいうの嫌いよ』
『気をつけることね』
私は図書館の入口を見た。
古い建物。
静かな空気。
自動ドアの向こうに並ぶ本棚。
そのさらに奥に、白い髪の女がいるかもしれない。
##「郷土資料を見るだけだ」
私はもう一度そう呟いて、図書館の中へ入った。
自動ドアが閉まる音が、やけに静かに響いた。
五章 郷土資料コーナー
図書館の中は、思っていたより静かだった。
静か、というより、音が吸われている。
入口の自動ドアが閉まる音も、外の車の音も、すぐに本棚の間へ沈んでいく。
私は少しだけ背筋を伸ばした。
##「……図書館って、本当に静かなんだな」
来たことがないわけではない。
学生の頃、試験前に数回くらいは使った気がする。
ただ、大人になってからはほとんど来ていない。
本屋はまだ分かる。
漫画もある。
雑誌もある。
新刊の匂いもある。
でも図書館は、何というか、善良すぎる。
##「私のような人間が長居していい場所ではないな……」
小声で呟いたつもりだった。
近くの机で勉強していた女子高生が、ちらりとこちらを見た。
私は会釈して、そっと目を逸らした。
私は案内板を探した。
入口近くの掲示板には、イベントのポスターや貸出ランキングが貼られていた。
その横に、館内案内図。
一階。一般書。児童書。新聞雑誌。
二階。閲覧室。参考資料。
そして奥に、小さく。
郷土資料室。
##「奥だ」
言った瞬間、スマホが震えた。
紅子
『奥よ』
##「怖い」
続けて、もう一件。
紅子
『でも、行くんでしょう?』
私は返信しなかった。
返信したら負けな気がした。
いや、もう負けている気もする。
受付カウンターの女性職員に軽く頭を下げる。
##「すみません。郷土資料って、どこですか?」
受付職員「奥の階段を上がって、二階の右手です。郷土資料室は一部閲覧のみで、持ち出しできない資料もあります」
##「分かりました」
受付職員「閉館は七時ですので、それまでにお戻しください」
##「はい」
普通の会話だった。
普通の図書館。普通の職員。普通の案内。
なのに、私はどこかで期待していた。
階段を上がる。
古い建物らしく、階段の手すりは少し冷たかった。
蛍光灯の明かりは白く、壁には市の歴史を紹介する古い写真が並んでいる。
祭り。旧駅舎。川沿いの商店街。廃校になった小学校。
その中に一枚だけ、妙に暗い写真があった。
古い寺の門。
雪でも降っているのか、全体が白く霞んでいる。
写真の下には、小さく文字があった。
『旧白峰寺跡』
##「寺……」
古からの祓い屋。
間宮さんの言葉が頭をよぎる。
私は少しだけ足を止めた。
##「いや、まずは郷土資料」
二階の右手へ進む。
廊下の奥。
開架スペースから少し離れた場所に、郷土資料室はあった。
入口には小さな札。
『郷土資料室 閲覧可・一部資料持出不可』
扉は開いている。
中には背の高い本棚が並び、奥に閲覧用の机がいくつか置かれていた。
そして、入った瞬間。
空気が変わった。
##「……寒い?」
暖房は効いているはずだった。
廊下はむしろ少し暑いくらいだった。
なのに、この部屋だけ、冷えている。
冷房の冷たさではない。
地下室に降りた時のような、古い石の冷たさ。
長い時間、誰にも触れられていない本の背表紙からにじみ出るような冷気。
私は思わず、自分の息を確かめた。
まだ白くはない。
##「閉館後に、吐く息が白くなる場所……」
紅子さんのメッセージを思い出す。
私は本棚のラベルを見て歩いた。
市史。郷土誌。寺社仏閣。民俗。口承伝承。災害記録。
行方不明者記録。
##「行方不明者記録、図書館に置いてていいジャンルなのか……?」
小声で呟いた時だった。
ページをめくる音が、どこかで止まった。
空調の低い唸りも、廊下を歩く足音も消えている。
静かになったのではない。
この部屋だけが、音から切り離されたようだった。
奥の棚の前に、人影が見えた。
白い髪。
私は足を止めた。
細い指が、本の背をなぞっている。
黒に近い紺色のワンピース。
肩にかかる白い髪。
横顔は整っていて、冷たい。
数日前、電車の窓越しに見た女だった。
彼女は一冊の本を抜き取ると、静かに閉じた。
本を閉じる音が、部屋の中でやけに大きく聞こえた。
白い髪の女「その棚は、長く見ない方がいいですよ」
私は一瞬、返事が遅れた。
##「……私ですか?」
白い髪の女「他に誰かいますか?」
私は周囲を見た。
確かに、近くには誰もいない。
##「いません」
白い髪の女「では、あなたです」
声は小さい。
でも、はっきり聞こえる。
彼女はこちらを見ないまま、本を棚に戻した。
##「どうして、長く見ない方がいいんですか?」
白い髪の女「冷えます」
##「空調の問題ですか?」
白い髪の女は、そこで初めてこちらを見た。
整った顔。
感情の薄い目。
けれど、無表情ではない。
口元に、ほんの少しだけ笑みがある。
白い髪の女「そう思うなら、それでいいです」
私は何も言えなかった。
怖い、とは少し違う。
美人だ、というのとも少し違う。
こちらの熱を測られているような感じがした。
##「あの、郷土資料を見に来たんですが」
白い髪の女「ここは郷土資料室ですよ」
##「そうですね」
白い髪の女「よかったですね」
会話が冷たい。
だが、不思議と不快ではない。
むしろ、こちらが無駄に熱くなっているだけのような気がしてくる。
私は咳払いをした。
##「祓い屋について、何か資料があると聞いて」
白い髪の女の目が、ほんの少しだけ動いた。
白い髪の女「誰から聞いたのですか?」
##「会社の同僚です」
白い髪の女「会社で、そういう話を?」
##「します」
白い髪の女「変な会社ですね」
##「否定できません」
白い髪の女は、口元に手を当てた。
白い髪の女「くす」
笑った。
声は小さいのに、その笑い方だけで、部屋の温度が少し下がった気がした。
白い髪の女「寺社仏閣なら、その奥です」
彼女は細い指で、さらに奥の棚を指した。
白い髪の女「ただし、閉館時間には気をつけてくださいね」
##「はい」
白い髪の女「ここは、夜になると静かすぎますから」
##「静かすぎると、何かあるんですか?」
彼女は少しだけ首を傾げた。
白い髪の女「あなたは、静かな場所で大きな音を立てそうです」
##「そんなに騒がしい人間に見えますか」
白い髪の女「目が騒がしいです」
##「目が」
白い髪の女「はい」
白い髪の女「熱があります」
私はその言葉に、なぜか少しだけ息を飲んだ。
熱。
今朝、けまりちゃんが温かかったことを思い出す。
紅子さんに言われた「あまり熱っぽい顔をしないことね」という言葉も。
##「熱ですか」
白い髪の女「はい」
彼女は、私の前を静かに通り過ぎた。
すれ違う瞬間、ふっと冷たい匂いがした。
雪の匂い、というものを私は知らない。
でも、たぶん、雪が降る前の空気はこういうものなのだと思った。
白い髪の女「冷やした方が、よさそうですね」
小さく、そう言って。
彼女は郷土資料室の奥へ消えた。
私はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
スマホが震えた。
紅子
『会えた?』
私は、画面を見つめた。
返信するべきか迷っていると、さらに一件届いた。
紅子
『白い人、綺麗でしょう?』
私は小さく息を吐いた。
##「……郷土資料」
そうだ。
私は郷土資料を見に来たのだ。
祓い屋。
郷土資料。
健全な調査。
私は奥の棚へ向かった。
だが、指先は少し冷えていた。
六章 古い寺と祓い屋
郷土資料室の奥は、さらに静かだった。
棚のラベルには、古い文字でこう書かれている。
『寺社仏閣』
『民間信仰』
『怪談・口承』
『旧村落史』
『行方不明・災害記録』
##「最後の棚だけ、急に重いな……」
私はなるべく音を立てないように、棚の前に立った。
祓い屋。
間宮さんが言っていたのは、たぶんこの辺りだ。
私は背表紙を目で追っていく。
『白峰寺縁起』
『旧市域の寺社と祭祀』
『境界信仰と辻の神』
『怪異譚採録集』
##「……怪異譚採録集」
私は、その本を抜き取った。
古い本だった。
図書館の蔵書印が押され、表紙の端は少し擦れている。
ページをめくると、紙の匂いがした。
古い紙の匂い。
埃とインクと、長い時間の匂い。
##「こういうのは……正直、少しだけいいな」
古めかしいものには興奮しない。
そう思っていたはずなのに、古い怪談の本を開くと、少しだけ胸が高鳴った。
私は目次を追う。
青い灯火。
狐火と九尾。
白峰寺の祓い手。
神の御使。
##「白峰寺の祓い手……」
該当ページを開く。
そこには、短い記述があった。
白峰寺には、かつて怪異を祓う家系あり。
ただし、その者らはすべてを祓わず。
祓えるものと、祓わざるものを分けるべし。
悪意なき怪異を祓えば、境界を荒らす。
人を帰すものは、祓うにあらず。
曰く、祓うは断つこと。
帰すは繋ぐこと。
その二つを違える者、祓い手にあらず。
私は、思わず本に顔を近づけた。
##「祓えるものと、祓わないもの……」
ぞくりとした。
怖い、というより、妙にかっこいい。
なんでも祓うのではない。
祓うべきものと、そうでないものを分ける。
##「……祓い屋さん、倫理観まで強いのか」
背後から、静かな声がした。
白い髪の女「その本、気に入りましたか?」
私は肩を跳ねさせた。
白い髪の女が、いつの間にか少し離れた場所に立っていた。
音がしなかった。
##「……びっくりしました」
白い髪の女「図書館ですから。大きな音は立てません」
##「それはそうですが」
白い髪の女「熱心ですね」
##「祓い屋の話が気になって」
白い髪の女「そうですか」
彼女の胸元には、小さな名札があった。
『雪城』
##「雪城さん、ですか?」
白い髪の女「はい。雪城冴子です」
その声まで、少し冷たかった。
冴子さんは、私の手元の本を見た。
冴子「祓えるものと、祓わないもの」
##「はい」
冴子「気になりますか?」
##「かなり」
冴子「どうして?」
私は少し考えた。
どうして。
祓い屋がかっこいいから。
怪談っぽいから。
この世には、まだ説明できない何かがいる気がするから。
そして、もし祓い屋がいるなら。
##「祓い屋がいるなら、祓われる側もいるわけですよね」
冴子さんの目が、少しだけ細くなった。
冴子「そういう考え方をするのですね」
##「オカルトマニア的には」
冴子「マニアですか」
##「ということはですよ」
私は本を閉じ、少しだけ興奮を抑えながら言った。
##「やっぱり、そういう怖い存在も、あわよくば女性も、本当にいる可能性があるわけですよね」
冴子さんは黙った。
##「もちろん現実的には、噂とか見間違いとか、そういう話なんでしょうけど」
冴子「けど?」
##「でも、もし本当にいたら」
私は、言いながら自分で少し恥ずかしくなった。
##「……会ってみたいじゃないですか」
冴子さんは、口元に手を当てた。
冴子「くす」
笑った。
小さい笑い声なのに、背中のあたりが少し冷えた。
冴子「怖いのに?」
##「怖いから、というか」
冴子「追いかけたいのですか?」
その言い方に、少しだけ引っかかった。
私は首を振った。
##「追いかけたいわけではないです」
冴子「では?」
##「できれば、会って追いかけられたいんです」
言った瞬間、私は自分で頭を抱えたくなった。
##「すみません。今のはかなり」
冴子さんは、しばらく私を見ていた。
冴子「変な人ですね」
##「よく言われます」
冴子「怖がりなのに、近づくのですね」
##「はい」
冴子「見たいのに、追いかけないのですね」
##「追いかけるのは、何か違うので」
冴子「どう違うのですか?」
私は少し迷った。
でも、思ったままを言った。
##「怖いものって、こっちから暴きに行くものじゃない気がします」
冴子さんの表情が、ほんの少しだけ変わった。
##「見たいとは思います。たぶん、かなり思っています。でも、無理やり引っ張り出すのは違うというか」
私は自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
##「こっちは怖がって、逃げて、でも見てしまう側というか」
冴子さんは、じっと私を見ていた。
目が冷たい。
けれど、不快そうではなかった。
冴子「……目が騒がしい理由が、少し分かりました」
##「そんなに騒がしいですか」
冴子「はい」
##「すみません」
冴子「でも」
冴子さんは、少しだけ近づいた。
冷たい空気が、さらに近くなる。
冴子「あの人よりは、静かです」
##「あの人?」
その時。
郷土資料室の入口の方から、足音がした。
静かな図書館には似合わない、雑な足音。
続いて、聞き覚えのある声。
男「……お、やっぱ奥ここか」
入口で会った、あのカメラの男だった。
片手にスマホ。
首からカメラ。
もう片方の手には、さっきより増えた資料のコピーらしき紙。
男は私を見つけると、にやっと笑った。
男「あんた、やっぱ来てんじゃん」
私は本を閉じた。
##「郷土資料を見てるんです」
男「はいはい」
男の視線が、私から冴子さんへ移った。
そして、明らかに顔色が変わった。
男「……いた」
その声は、小さいのに、嫌な熱を持っていた。
男「白い髪」
男はスマホを持ち上げた。
冴子さんは、表情を変えなかった。
ただ、口元に手を当てたまま、静かに男を見ていた。
冴子「撮影は、ご遠慮ください」
男「あんたか?」
冴子「何のことでしょう」
男「冷たい女」
部屋の空気が、少しだけ下がった。
私は、嫌な予感がした。
さっき入口で感じたものより、ずっとはっきりと。