妖怪恋愛都市 〜怪異めいた美女たちに愛されすぎて帰れないハーレム生活〜 作:ガイコツ番付
四章 白い傘の女
昼前に見えた白いものは、結局それきりだった。
気のせいだった。
そう思うことにした。
というより、そう思わないと仕事にならなかった。
白い傘。
雨の日にだけ現れる女。
話すと帰り道を忘れるという噂。
そんなものを昼から考えていたら、社会人としてかなり終わっている。
そして夕方。
定時を少し過ぎた頃、スマホが震えた。
けまり
『お仕事……終わりましたか?』
続けて、もう一通。
けまり
『外、雨です』
『傘、ありますか……?』
窓の外を見ると、昼にはまだ明るかった街が、いつの間にか細い雨に沈んでいた。
##「傘ない……けまりちゃん迎えに来てくれる?」
少し間が空いた。
けまり
『……はい』
『迎えに行きます』
『でも……知らない白い傘の人には、ついていかないでくださいね』
冗談のはずなのに、文面は少しだけ硬かった。
##「……なんで会社の噂とリンクするんだよ」
間宮「ん? 何か言ったか?」
##「いや、何でもないです」
間宮「帰り、気をつけろよ。白い傘の女に連れていかれんなよ」
##「フラグみたいに言わないでください」
間宮「止めたからな。俺は一応止めた」
白石「寄り道しないで帰りなさいよ。最近、物騒なんだから」
佐伯「そうだぞ。強盗殺人のニュースもある。会社員は無事に出社して、無事に帰宅するまでが仕事だ」
三原「先輩、本当に変なところ行かないでくださいね」
春日井「白い傘、見ても動画撮りに行っちゃだめですよ」
##「私は何だと思われてるんですか」
間宮「オカルトマニア」
##「否定しづらい」
私は鞄を持って、会社を出た。
細い雨だった。
傘を差すほどではない、と言いたくなる程度の雨。
けれど、街灯をにじませて、歩道を薄く濡らすには十分な雨。
##「……けまりちゃん、迎えに来るって言ってたし」
会社の前で待てばいい。
そう思いながら、私は少しだけ歩いた。
駅へ向かう道ではない。
ただ、雨を避けられる歩道橋の下まで。
##「……これは寄り道ではない」
自分に言い聞かせる。
そのはずだった。
人通りの少ない歩道橋の下。
白い傘を差した、背の高い女が立っていた。
##「……」
思わず、足が止まった。
白い傘。
その下にいる女は、細く、静かで、雨の中に溶けるような雰囲気をまとっていた。
長い黒髪は、雨に濡れているわけでもないのに、しっとりと重く見える。
肌は白く、輪郭はやわらかい。
けれど、目元だけが妙に寂しそうで、こちらを見ているのか、もっと遠くの雨を見ているのか分からなかった。
けまりちゃんとは見た目も違う。
それなのに、どこか似ている。
怖いけれど、優しそうで。
優しそうなのに、近づいてはいけない感じがある。
私の性癖を刺激する、怪異的な気配だった。
ふと、足元を見た。
街灯は確かにある。
私の影は、濡れた歩道に薄く伸びている。
けれど、白い傘の下だけは妙に白かった。
影がない。
雨に洗われたみたいに、そこだけが薄く浮いていた。
##「けまりちゃん……じゃないよね……?」
白い傘の女は、きょとんと瞬きをした。
雨音だけが、急に近くなる。
白い傘の女「けまり……ちゃん?」
女は、少しだけ笑った。
白い傘の女「ふふ。違います」
白傘ましろ「私は、白傘ましろです」
白傘ましろ「雨の日にだけ、少し親切な女です」
##「……親切?」
白い傘が、ほんの少し傾く。
白傘ましろ「傘に入れてあげます」
白傘ましろ「帰り道も、教えてあげます」
白傘ましろ「……忘れてしまっても、大丈夫です」
その言い方に、背筋が少し冷えた。
スマホが震える。
けまり
『返事してください』
『その人と、話してますか?』
『……白い傘ですか?』
読まなければいけない。
そう思うのに、目はましろさんから離れなかった。
白傘ましろ「けまりさんのこと、知ってるんですね」
白傘ましろ「ふふ……あの人に、恋人」
白傘ましろ「本当だったんだ」
##「けまりちゃんの、知り合い?」
白傘ましろ「はい。少しだけ」
白傘ましろ「怖いけど、優しい大きい人」
白い傘の下で、ましろさんの目が少し細くなる。
白傘ましろ「……あなたも、怖い人が好きなんですか?」
その声が、雨に混じって近づいた。
一歩も動いていないはずなのに、白い傘の下が、すぐ近くにある気がした。
白傘ましろ「雨の日に立ってる女から、目を離せないなんて」
白傘ましろ「だめですよ」
雨音が、ざあ、と濃くなる。
白傘ましろ「帰れなくなります」
それでも、私は白い傘の下に入ってしまった。
白い傘の内側には、骨が妙に多かった。
一本、二本、三本。
数えているうちに、雨音が遠くなる。
四本目を数えたあたりで、自分が何本まで数えたのか分からなくなった。
肩が近い。
けまりちゃんとは違う、細くて冷たい気配。
けれど、雨の匂いごと包まれるようで、妙に心地よかった。
白傘ましろ「濡れちゃいましたね」
白傘ましろ「けまりさんに怒られますよ?」
##「……怒るかな」
白傘ましろ「怒ります」
白傘ましろ「でも、たぶん……泣きそうな顔で」
スマホがまた震えた。
けまり
『お願いです』
『傘に入らないでください』
『今すぐ、私の名前を呼んでください』
『私が行きます』
読んだ瞬間、胸がざわついた。
なのに、ましろさんの傘の下では、雨音があまりにも優しかった。
白傘ましろ「……読まない方がいいですよ」
白傘ましろ「帰り道を思い出してしまいますから」
ふと気づく。
さっきまでいた歩道橋が、もう見えない。
駅前へ向かっていたはずなのに、目の前には知らない細い路地が続いていた。
古い塀。
濡れた電柱。
閉じたシャッター。
見覚えのない細い道。
雨の中で、街の形が少しだけ変わっていた。
##「……あれ?」
白傘ましろ「どうしました?」
##「ここ、さっきの道でしたっけ」
白傘ましろ「雨の日は、道を間違えやすいですから」
ましろさんは、静かに笑った。
その笑い方が、優しいのに怖かった。
スマホを見る。
地図アプリを開いたつもりはなかった。
なのに、画面には勝手に現在地が表示されている。
青い点だけが、道路のない白い余白に浮かんでいた。
駅も。
会社も。
私の部屋も。
全部、地図の外に押し出されたみたいだった。
##「そ、その、さ」
##「君といたら、帰れなくなったりしない?」
白傘ましろは、少しだけ目を丸くした。
それから、傘の下でくすっと笑った。
白傘ましろ「帰れなくなる……?」
白傘ましろ「ふふ。そういう風に見えましたか?」
白傘ましろ「怖がってるのに、逃げない人は珍しいです」
白傘ましろ「けまりさんが好きになるの、少し分かります」
その言葉に、頭の奥がぐらついた。
けまりちゃん。
私の初めてを受け止めてくれた、愛しい人。
でも、私は思ったよりスケベなのかもしれない。
心の声が、気づかぬうちに口から漏れた。
##「けまりちゃん、どうしよう……」
その名前を口にした瞬間、雨音が一拍だけ途切れた。
白傘ましろ「……あ」
ましろさんの白い傘が、かすかに揺れる。
白傘ましろ「呼んじゃいましたね」
遠くで、重い足音がした。
けまり「……見つけました」
路地の向こう。
雨の中で、けまりちゃんが立っていた。
長い髪を濡らして、息を切らして。
白い服の裾が、雨に濡れて重くなっている。
それでも、彼女はまっすぐこちらを見ていた。
けまり「そこから……離れてください」
けまり「私の恋人です」
私は慌てた。
##「け、けまりちゃん!! こ、これは違くて……と、友達なんだってねこの人! 何もしてないよ!」
必要以上にべらべら言い訳している。
完全にラブコメの主人公だった。
けまり「……まだ、何も聞いてないです」
白傘ましろ「ふふ」
白傘ましろ「すごく喋りますね」
白傘ましろ「やましいこと、あるんですか?」
##「な、ないです!」
けまり「……本当ですか」
声は優しい。
でも、少しだけ低かった。
けまり「私を無視して、知らない女の人の傘に入るのは……だめです」
けまり「私、心配しました」
少しだけ間を置いて。
けまり「……ちょっと、妬きました」
白傘ましろ「雨、強かったですから」
白傘ましろ「私は親切にしただけですよ?」
けまり「……親切で、道をなくすのはだめです」
その言葉のあと。
細い路地が、急に普通の距離に戻った気がした。
駅前の明かりも、会社のビルも、人の気配も。
帰り道が、戻ってきた。
地図アプリの青い点も、いつの間にか道路の上に戻っている。
けまり「帰ります」
けまり「……一緒に」
それから、私を見下ろして小さく言った。
けまり「言い訳は、帰り道で聞きます」
五章 彼女だから
帰り道。
私は、正直に話した。
##「けまりちゃん、ごめん……正直俺はちょっとスケベかもしれません」
雨は少し弱くなっていた。
##「あんまり今まで女性に興奮したことないんだけど……けまりちゃんとか白傘さんになぜか惹かれている……かもしれません」
言ってから、自分でもだいぶ最低だと思った。
初めての彼女に。
付き合い始めた翌日に。
知らない白い傘の女に惹かれました、と報告している。
社会性が死んでいる。
##「でも! ほんとにけまりちゃんが一番です!」
##「いや、モテるタイプでもないし何を自意識過剰にって感じでしょうけど」
けまりちゃんは、しばらく黙って歩いた。
大きな手は、私の袖をつかんだままだった。
けまり「……知ってます」
##「え」
けまり「あなたが、そういう人だって……少し、知ってます」
その声は、責めてはいなかった。
でも、少し拗ねていた。
けまり「怖いものとか……大きい人とか……不思議な人に、弱いんですよね」
##「……はい」
否定できなかった。
けまり「でも」
けまり「私は、あなたの彼女です」
胸の奥が、少し痛くなった。
大きな手が、私の頭をゆっくり撫でる。
けまり「だから……好きなら」
けまり「怖いところだけじゃなくて」
けまり「寂しいところも、面倒くさいところも、ちゃんと見てください」
私は、何も言えなくなった。
怖い女。
大きい女。
怪談みたいな女。
そういう言葉の奥にいる、高代けまり。
怖がられることを嫌って。
大きな体を小さく見せようとして。
それでも、私の前では少しだけ甘えてくれる人。
##「ほ、褒めるところはたくさんあります!! 優しくてかっこよくて、すこしおっちょこちょいで」
私は、怪異みたい、と言いかけてやめた。
それはただの性癖開示だし。
もしかしたら、怖がられるのが嫌いな彼女を傷つけるかもしれない。
けまりちゃんは、私の言葉が途中で止まったのに気づいた。
けまり「……今、何か言いかけました?」
##「い、いや、なんでもないです」
けまり「なんでもない顔じゃないです」
彼女は少しだけ身をかがめた。
けまり「……でも」
けまり「言わないでくれたんですね」
##「え」
けまり「私が、傷つくかもしれないって……思ったんでしょう?」
雨上がりの街灯の下で、けまりちゃんは少しだけ笑った。
けまり「そういうところも……好きです」
その言い方が、ずるかった。
けまり「でも、褒めるなら」
けまり「かっこいいより……かわいいも、欲しいです」
##「か、かわいい」
素直に出た。
自分よりずっと大柄な女性が、少しいじけている姿。
好きすぎた。
けまり「……今」
けまり「ちゃんと、かわいいって言いました?」
##「言いました……」
けまり「……もう一回」
##「けまりちゃん、かわいい」
けまり「……はい」
けまりちゃんは、口元を隠すように俯いた。
耳まで赤い。
けまり「それなら……今日は少し許します」
##「けまりちゃんはかわいい。けまりちゃん大好き。けまりちゃん愛してる」
けまりちゃんは、完全に固まった。
けまり「……い、言いすぎです」
そう言いながら、耳まで赤い。
けまり「そんなに言われたら……怒れなくなります」
大きな手が、私の頭にそっと乗る。
けまり「……私も」
少しだけ間を置いて。
けまり「あなたのこと、大好きです」
そして、さらに小さな声で続けた。
けまり「でも……愛してるは、ずるいです」
けまり「帰ったら、ちゃんともう一回言ってください」
その時点で、私はもう完全に負けていた。
ましろさんの白い傘は、まだ頭のどこかに残っていた。
でも、帰る場所は分かっていた。
雨の中で、私の手を握っている。
白くて、大きくて、少し面倒くさくて。
怖いくらい優しい、私の彼女のところだった。
少し離れた歩道橋の下。
白い傘は、まだ開いていた。
ましろさんは、私たちが消えた雨の道をじっと見ていた。
白傘ましろ「……ちゃんと帰れたんですね」
少し寂しそうに。
少し楽しそうに。
白傘ましろ「けまりさんの恋人」
傘の内側で、雨粒が一つ、上へ落ちた。
白傘ましろ「次は、もう少しだけ」
白傘ましろ「迷ってくれるかな」
雨音が、白い傘の下だけで小さく笑った。