妖怪恋愛都市 〜怪異めいた美女たちに愛されすぎて帰れないハーレム生活〜 作:ガイコツ番付
六章 ニュースと買い出し
その夜、けまりちゃんは私の部屋に来た。
正確には、また来た。
昨日の夜に来ているはずなのに、白くて大きな彼女が自分の部屋にいるという事実には、まだまったく慣れない。
それに、昼間の白い傘のことも、頭から完全には消えていなかった。
帰り道をなくすという噂、白い傘の女。
あの傘の下の雨音だけは、今でも少し背中に残っている。
テレビをつけると、ニュースが流れていた。
アナウンサー『続いて、連続強盗殺人事件の続報です』
この近辺で、連続強盗殺人の男が潜伏している可能性があるという。
画面には、灰色のフードをかぶった痩せた男の写真が映っていた。
右頬に小さな傷がある。
刃物を所持している可能性があり、発見した場合は決して近づかないように、という注意が繰り返された。
##「これ噂の?こわいね。けまりちゃん家からもウチからも近いですよ」
けまり「……はい」
けまりちゃんは、テレビをじっと見ていた。
その顔は、少し硬かった。
ましろさんの時とは違う。
今までに見たことのない表情だった。
##「しっかり用心しないとですね」
私は、小柄な身体で精一杯のマッチョポーズを取った。
##「俺が守りますから!」
けまりちゃんは、しばらく私を見下ろしていた。
それから、ふにゃっと笑った。
けまり「……はい」
けまり「頼りにします」
けまり「すごく……かっこいいです」
明らかに半分くらい、可愛いものを見る目だった。
##「今、ちょっと子犬を褒める目じゃなかったですか?」
けまり「そんなことありません」
けまりちゃんは少しだけ笑った。
でも、すぐにまた真面目な顔に戻る。
けまり「あなたも気をつけてください」
##「私は逃げ足には定評があるので」
けまり「それでもです」
けまり「危ない人を見たら、私に言ってください」
##「え?」
けまりちゃんは、私を見た。
その目は、さっきまでの照れた恋人の目ではなかった。
けまり「私も……あなたを守りたいので」
その言葉に、私は少し黙った。
けまりちゃんを守りたい。
そう思っていた。
でも、たぶんそれは私だけの話ではなかった。
部屋に二人。
雨の音。
怖いニュース。
それから、けまりちゃんの小さな声。
けまり「……少しだけ、一緒にいてもいいですか」
私は固まった。
##「……!?」
それって、そういうことだよな。
いや、そういうことじゃないかもしれない。
でも、そういうことかもしれない。
昨日の夜のことを思い出す。
けまりちゃんの手。
声。
優しいのに逃げられないあの圧。
そして、私は思った。
ゴムがない。
##「ち、ちょっと買い物行ってきます!」
けまり「えっ」
けまり「い、今からですか……?」
##「すぐ戻ります! すぐ!」
けまりちゃんは、何か言いかけて、口元を手で隠した。
たぶん、察した。
けまり「……あ」
けまり「そ、そういう……」
耳まで赤くなる。
けまり「べ、別に今日は、そういう意味だけじゃ……」
けまり「……でも」
けまりちゃんは、目を逸らしながら小さく言った。
けまり「用意してくれるのは……えらいです」
その言い方に、変なやる気が出た。
##「男として当然です!」
けまり「……さっきのマッチョポーズより、今の方が少しかっこいいです」
財布とスマホを掴んで、玄関へ向かう。
背中に、けまりちゃんの声が届いた。
けまり「すぐ帰ってきてくださいね」
##「もちろんです!」
けまり「知らない人についていかないでください」
##「もちろんです!」
けまり「危ないと思ったら、逃げてください」
##「もちろんです!」
私は、笑って振り返った。
##「けまりちゃんを待たせるわけにはいけませんからね」
けまりちゃんは、一瞬だけ固まった。
それから、少しだけ嬉しそうに笑った。
けまり「……はい」
けまり「待っています」
その声を背中に受けて、私は夜の路地へ出た。
雨上がりのアスファルトが、黒く光っていた。
コンビニの明かりは、すぐそこに見えている。
十分もかからない。
そう思っていた。
七章 コンビニと逃走
コンビニ店員「えあろっすみすー」
##「い、いらっしゃいませの言い方、絶対いま変だったろ……!」
店内は、夜の雨上がりとは別世界みたいに明るかった。
蛍光灯。
揚げ物の匂い。
冷蔵棚の音。
雑誌コーナーの無駄な安心感。
そして私は、人生で一番真剣な顔で棚を探していた。
##「ゴム、ゴム、ゴム……」
あった。
##「……あった」
あった瞬間、なぜか勝った気がした。
会計。
コンビニ店員「あじゃっしまたー」
##「なんて言いましたか?」
コンビニ店員「おあたため、あっすかー」
##「何を!? ゴムを!?」
私は無言で首を振った。
袋に入れられたそれを受け取り、妙に背筋を伸ばして店を出る。
外は雨上がりだった。
アスファルトが黒く濡れて、街灯をぬらぬら反射している。
さっきまで近くに見えた自分の部屋が、なぜか少し遠い。
スマホが震えた。
けまり
『まだですか……?』
『無事ですか……?』
『買えましたか……?』
少し間を置いて、もう一通。
けまり
『……何を買ったかは、聞かないでおきます』
##「聞いてるのと同じでは……」
私は返信した。
##
『買えた! 今帰る!』
その時だった。
コンビニの向かいの細い路地に、男が立っているのが見えた。
灰色のフードを深くかぶった、痩せた男。
右頬に、小さな傷。
テレビで見た顔に、かなり似ていた。
まさか。
そう思った瞬間、男の目がこちらを捉えた。
男「……兄ちゃん」
男「ちょっと、金貸してくんねえ?」
心臓が跳ねた。
私は浮かれて、油断していた。
##「だ、誰ですか。俺、コンドームしか持ってないっすよ……!」
必死で笑わせようとした。
男は笑わなかった。
男「……ふざけてんのか」
男「財布出せ」
男「スマホも」
声が低くなる。
コンビニの明かりが、急に遠くなった。
##「け、警察呼びますよ」
男「呼べよ」
男「その前に刺すから」
その言葉で、喉が固まった。
スマホが震える。
けまり
『今、どこですか?』
『……返事してください』
男の視線が、スマホに落ちた。
男「彼女か?」
男「呼べよ」
男「金持ってそうなら、そいつからも取る」
私の中で、何かが切れた。
##「呼ぶわけねえだろ……!」
私は走った。
コンビニ袋が、手の中でぐしゃりと鳴る。
今、この状況で一番どうでもいいはずのものを、私はなぜか必死に握りしめていた。
小柄な私は、よく絡まれる。
だから逃げるのが得意だ。
昔から、いつか本物の怪異に出会いたいと考えていた。
その時を楽しめるように、少しだけ走力を鍛えている。
こんなところで役に立つとは思っていなかった。
たぶん、あいつはニュースの男だ。
連続強盗殺人の男。
けまりちゃんを巻き込むわけにはいかない。
##「てめえなんかに追いつけねえだろ!」
##「そして彼女を巻き込むわけねえだろ! バカが!」
男「……待てや!!」
背後で怒鳴り声が跳ねた。
私は濡れた路地を全力で曲がった。
このまま警察まで突っ走ってやる。
追いかけてこいよ、クソが。
##「待てっつって待つと思ってんのか!」
##「頭わりーな!」
男「てめえ!」
##「おめえみたいなやつはよぉ、豚箱行きだ!」
##「被害者に詫びて、ぶち込まれてよぉ!」
##「一生かけて償え!」
男「生かしちゃおけねえ……!」
##「それはテメーだ……!」
角を曲がった。
その先に、見慣れない非常階段があった。
さっきまで、こんな場所に階段なんてなかった気がする。
雨に濡れた鉄の段が、上へ、上へ、妙に長く続いている。
スマホが震えた。
けまり
『……そこに入ってください』
##「……何で」
分からない。
でも、今の私は逃げるしかない。
##「俺なら逃げ切れる!」
私は非常階段へ飛び込んだ。
濡れた鉄の段が、足元でかん、と鳴る。
背後から男が追ってくる。
男「待て……殺してやる」
##「悔しかったら追いついてみろバーカ!」
階段を駆け上がる。
一段。
二段。
三段。
息が切れる。
でも、足は止めない。
けまりちゃんを呼ばない。
けまりちゃんを巻き込まない。
そう思っていた。
その時、下から男の声が変わった。
男「……なんだ……女……」
##「え?」
男「う、うわぁああ、た、たすけ……」
##「お、おい、なんだ!?」
途中で、男の声が消えた。
雨音も。
街の音も。
全部、遠くなる。
非常階段だけが、まだ上へ続いていた。
八章 階段が終わらなかった
――その少し前。
男は、非常階段を駆け上がっていた。
男「待て……殺す……殺す……」
濡れた鉄の段が、足の下で鳴る。
かん。
かん。
かん。
上には、小柄な男の背中があるはずだ。
すぐに追いつけるはずだった。
なのに、追いつけない。
男「なんだ、この階段……」
上を見ても、階段。
下を見ても、階段。
遥か頭上で、かちり。
錠前の閉じるような、硬く高い音がした。
男「……あ?」
下の踊り場に、白い服の女が立っていた。
男「なんだ……女……」
白い服。
黒く長い髪。
重い前髪。
異様に背が高い。
女が、ゆっくり一段上がる。
それだけで、天井が急に低くなったように見えた。
けまり「……やめてください」
声は静かだった。
怒鳴っていない。
脅してもいない。
だからこそ、怖かった。
男「なんだってんだよ……」
足元のさらに下で、かちり、と鳴った瞬間。
その声は、階段のどこにも響かなかった。
上から聞こえていた足音も。
車の音も。
雨上がりの街の匂いも。
全部、消えた。
非常階段だけが、夜から切り離されていた。
恐怖で男の喉が鳴った。
けまり「その人は、だめです」
男「なんだ……てめえ……」
けまり「私の、大事な人です」
男はナイフを握り直した。
男「邪魔すんな!」
駆け下りた。
はずだった。
次の瞬間、男はさらに上の踊り場にいた。
男「……は?」
下を見る。
女は、同じ場所にいる。
いや。
近い。
さっきより、大きい。
けまり「今なら……まだ戻れます」
けまり「警察に行ってください」
けまり「被害者の人に、ちゃんと謝ってください」
その声は優しかった。
けれど、目は優しくなかった。
重い前髪の奥で、黒い目だけが男を見ていた。
まだ帰すかどうか、見定める目だった。
男「うるせえ!!」
男は走った。
どこへ行っても、階段だった。
通ってきた扉が、ひとりでに閉まる。
かちり。
けまり「……だめですね」
今度は、女の声が上から聞こえた。
男「や、やめろ……来るな……」
白い影が、階段の壁いっぱいに伸びる。
女の背が、また伸びて見えた。
三メートルどころではない。
頭は、上の踊り場に届きそうだった。
それなのに、白い裾は下の階段まで続いている。
長い裾が踊り場で折れ、蛇のように、さらに下へ伸びていた。
女が伸びているのか。
階段が伸びているのか。
もう分からなかった。
大きな白い影が、階段の上と下を同時に塞ぐ。
遥か上で、最後の錠が下りた。
かちり。
けまり「あなたは」
けまり「こっち側にいていい人じゃありません」
男の足元から、出口だけが遠ざかっていく。
鉄の階段が、上にも下にも伸びる。
上の出口が消える。
下の出口も消える。
逃げ道が消える。
残ったのは、大きな白い女と、錠前の音だけだった。
男「来るな……!」
けまり「……向こうです」
その声で、階段の奥が開いた。
扉ではなかった。
道でもなかった。
ただ、帰ってきてはいけない暗がりが、階段の先に口を開けた。
男は後ずさった。
だが、背中に何かが触れた。
大きな白い手だった。
男は振り向きざまにナイフを振った。
もう一方の手が、その手首をつかむ。
男「っ!!」
男の両足が、鉄の段から浮いた。
からん。
ナイフが、踊り場に落ちる。
けまりは、男を暗がりへ向けた。
男「やめろ! やめ……やめて……」
乱暴ではなかった。
壊さないように。
迷子を戸口へ戻すみたいに。
けれど、その力は圧倒的で、男は指一本動かせなかった。
男「いやだ……」
男「死にたくない……」
女の表情は見えない。
その手つきだけが、ひどく慣れていた。
男「う、うわぁああ、た、たすけ……」
悲鳴は、途中で途切れた。
濡れた靴跡が、途中の段でぷつりと消えていた。
ひび割れたスマホの画面だけが、階段の隅で光っている。
けまりは、しばらくその先を見つめていた。
白い影は、少しずつ小さくなる。
長すぎた背も。
蛇のように見えた裾も。
階段を塞いでいた気配も。
錠前の音も。
全部、雨上がりの夜へ戻っていく。
けまり「……ごめんなさい」
それが誰に向けた言葉だったのか。
その場には、もう誰もいなかった。