妖怪恋愛都市 〜怪異めいた美女たちに愛されすぎて帰れないハーレム生活〜 作:ガイコツ番付
零章 雨の日に帰れない人
雨の日に、白い傘の女を見た。
そう言った人は、たいてい道を間違える。
駅前の高架下、コンビニの前、見慣れた信号。
全部そこにあるのに、なぜか帰り道だけが分からなくなる。
白い傘の下から、女が言う。
「入りますか?」
入ってはいけない。
間違った行いをしない人には、道を返してくれるかもしれない。
誰かを帰れない場所へ連れていこうとする人には、二度と道を返してくれないかもしれない。
雨の日は道に迷いやすい。
一章 雨の朝
非常階段の夜から、二日後。
私は、けまりちゃんの家で朝食を食べていた。
正確には、引っ越したというより、最低限の荷物を持って転がり込んだ、に近い。
私の部屋は、けまりちゃんには小さすぎた。
それに、あの夜から、けまりちゃんは私を一人で帰らせることに、少しだけ慎重になっていた。
窓を、雨粒が細かく叩いている。
夜明け前から降り続く雨は、街全体を少しだけ暗くしていた。
テレビでは朝のニュースが流れている。
アナウンサー『昨夜から今朝にかけて、駅周辺で女性へのつきまとい被害が相次いでいます。被害はいずれも雨の日に集中しており――』
続けて、別のニュースが短く流れる。
アナウンサー『また、連続強盗殺人事件の容疑者と見られる男は、依然として行方が分かっていません。警察は周辺住民に注意を呼びかけています』
私は、箸を持つ手を少し止めた。
つい先日のことを、完全に忘れたわけではない。
あの男の声。
途切れた悲鳴。
けまりちゃんの「もう、来ません」。
けれど、それ以上は考えないことにしていた。
##「最近、雨多いですね」
けまり「……今日は、まっすぐ帰ってきてください」
けまりちゃんは朝食の皿を置きながら、少し心配そうにこちらを見た。
##「大丈夫です。そんなにポンポン変な人に遭遇しないです。多分」
けまり「あなたの場合、怖そうなものに吸い寄せられそうなので」
##「虫みたいに言わないで!」
けまり「それと……ましろさんにも、気をつけてください」
その言い方には、ただの嫉妬とは違う響きがあった。
##「けまりちゃんも気をつけてください。不審者見たら呼んでくださいね」
けまり「不審者を見たら、あなたを呼びます」
##「お、頼られてますか?」
けまり「でも、あなたが来る前に逃げます。たぶん」
##「頼られてなかった!」
けまりちゃんは、小さく笑った。
けまり「今日は、ちゃんと帰ってきてください」
けまり「私の家に」
けまり「ただいま、聞きたいので」
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
##「……うん。いってきます」
玄関で靴を履く背中に、けまりちゃんの声が落ちた。
けまり「それから」
##「うん?」
けまり「もし、何か怖いことがあったら……ちゃんと逃げてください」
けまり「あなたは、戦わなくていいです」
##「えー。でも、彼女を守る彼氏ってかっこよくないですか?」
けまり「守られる彼氏でも、私は好きです」
##「そこは認められたいような、認められたくないような」
けまり「……無事に帰ってきてください」
その声が、朝の雨音よりも静かに残った。
二章 クエスト:定時退社
会社に着くと、私はいつも通りパソコンを立ち上げた。
##「そして仕事へ」
間宮「急にドラクエか?」
コーヒー片手に近づいてきたのは、間宮さんだった。
##「今日もクエストなんで」
間宮「何の?」
##「定時退社クエストです」
間宮「ラスボス強いな」
隣の席で、三原くんが真面目な顔を上げる。
三原「定時退社って、クエストなんですか」
##「三原くん、会社にはね、勇者でも倒せない敵がいるんですよ」
三原「普通に上司の前で言う話じゃないですよね」
その瞬間、佐伯守彦部長が資料を抱えて通りかかった。
佐伯「誰が敵だ」
##「いえ、社会の荒波が悪なのです」
佐伯「荒波より先に、この追加資料も見ておいてくれ」
間宮「クエスト更新されましたね」
##「受注しました」
佐伯「ゲーム感覚で仕事をするな。あと俺の頭を見るな。資料を見ろ」
##「見てません」
佐伯「今、目線が上に行った」
部署の奥から、白石さんのため息が聞こえた。
白石「朝から部長の頭の話をしない。雨の日はただでさえ空気が重いんだから」
佐伯「頭の話をしているのは俺ではないんですが」
白石「では資料の話に戻しましょう」
佐伯「はい」
部長が一瞬だけ白石さんに負けた。
コピー機の前では、春日井さんが笑いをこらえている。
最近は私の奇行をかなり冷静に観察している。
春日井「すみません、笑ってないです」
佐伯「笑ってから言うな」
メール確認、資料修正、電話対応。
午前中のクエストは順調だった。
少なくとも、最初は。
窓の外では、また雨脚が強くなっていた。
##「最近この辺、治安悪すぎじゃないですか?」
間宮「駅前もちょっと変だってよ。聞いた話だけどな」
##「出た」
間宮「雨の日に、傘を差してる女性に近づく男がいるらしい」
三原「傘を差してる女性?」
春日井「それ、SNSでも見ました。『傘を忘れたんで入れてください』って声をかけてくるやつですよね」
白石「声をかけるだけじゃないでしょう。人気のない方へ連れていこうとするって話もあるわ」
三原「普通に犯罪じゃないですか」
春日井「ホテル街の方へ引っ張られそうになった、って書き込みもありました」
##「最悪ですね」
間宮「まあ、雨の日限定の変質者だな」
##「雨の日に、傘の中へ入り込む変質者……」
三原「先輩も、怖い女の人を見ると吸い寄せられる変質者みたいなところありますけどね」
##「一緒にしないでください。私は同意と距離感を重んじる変質者です」
春日井「胸を張るところじゃないです」
白石「変質者を自称しない」
##「でも、嫌がる人を無理やり連れていくのは普通に最低です」
三原「今だけまともですね」
##「納得がいかないですね」
間宮さんは肩をすくめた。
間宮「まあ、普通に危ないやつだ。見かけても近づくなよ」
##「はい」
窓の外で、雨が少し強くなった。
その瞬間、スマホが震えた。
白傘ましろ
『今日も、雨ですね』
『駅前に、傘に入りたがっている人がいます』
『入れてはいけない困った人です』
『来ますか?』
『……けまりさんには、言いますか?』
続けて、けまりちゃんからも通知が来る。
けまり
『雨です』
『変なこと、してませんよね?』
##「……」
良心が痛い。
でも、駅前でましろさんが危ない目に遭っているかもしれない。
##「……噂の変質者が出たかもしれません」
三原「先輩には関係ないですよね?」
##「でも現場確認も大事です」
三原「行く気じゃないですか!」
白石「##くん」
白石さんが、少し低い声で呼んだ。
白石「余計なことをしないで、まず通報しなさい」
##「はい。通報はします」
間宮「通報は、って言ったな」
佐伯「おい、どこ行く」
私は席を立った。
##「外回り行ってきます!」
佐伯「お前営業じゃないだろ!」
##「不審者とのアポが!」
佐伯「何とアポ取ってんだ!」
三原「先輩、普通に通報でいいじゃないですか!」
春日井「え、走るの速っ」
間宮「……本当に行くのかよ」
私は雨の中へ走り出した。
##「俺が行かなきゃ誰が行くんだ」
##「かわいい女の子狙うならよ」
##「俺みたいに全速力でアタックだぜええ!」
##「部長!!不審者たくさん取ってきます!!」
背後で、佐伯部長の声が遠ざかる。
佐伯「お前、流石にその奇行は庇いきれんぞ!」
白石「部長、頭を押さえなくても抜け毛は減りません」
佐伯「そういう問題ではない!」
三章 駅前の白い傘
駅前の高架下。
雨音が、コンクリートに低く響いている。
そこに、白い傘が見えた。
傘の下に立つましろさん。
そのすぐ近くに、男がいた。
黒い傘を畳んで、手にぶら下げている。
男「すごい雨ですね」
男「傘、壊れちゃって」
男「少しだけ、入れてくれません?」
白傘ましろ「……」
ましろさんは何も言わない。
ただ、雨の中で静かに立っている。
男「駅まででいいんで」
男「そんな警戒しないでよ」
男は笑っていた。
けれど、その笑い方は、困っている人のものではなかった。
相手が断りにくいことを知っている人間の顔だった。
男「白い傘って、いいよなぁ」
男「雨の日に、そういう傘さしてる女ってさ」
男「なんか、色っぽいんだよ」
その声に、胃の奥が冷えた。
男は、ましろさんの白い傘の柄に手を伸ばす。
男「ちょっとだけ」
男「こっち来いよ」
白傘ましろ「……」
ましろさんは、困っているようにも見えた。
けれど、なぜか最初からそこで待っていたようにも見えた。
白い傘。
濡れていない黒髪。
雨に溶けるような白い肌。
##「おーい! 不審者だぞー!」
男「あ?」
##「みんなー!て俺じゃねえー!」
確かにこれでは私が不審者だ。
私は不届きものを指差しさらに大きな声で叫んだ。
##「あいつだ!綺麗なお姉さん追い回してるぞ、みんなで撮影してインプレ稼いだり再生数稼いだりしようぜー!」
通行人が振り返る。
高校生がスマホを構える。
会社員も足を止める。
##「撮るならあいつ! 俺は救助側!」
白傘ましろ「……そんな助け方、初めて見ました」
男「てめえ、ふざけんな」
##「雨の日激キモナンパ男、現行犯だろ!」
男がこちらへ近づく。
私が小柄なせいか随分と迫力がある。
私は正直、かなり怖かった。
でも、ましろさんの前に出た。
##「大丈夫!? 気持ち悪かったよね? 怖かったよね?」
群衆「ナンパか?」
##「俺じゃねえって!」
ましろさんは、傘の下からじっと私を見ていた。
白傘ましろ「あなた」
白傘ましろ「本当に、弱そうなのに前に出るんですね」
##「弱そうは余計!」
男は舌打ちし、角を曲がって逃げていく。
##「逃げたか……」
白傘ましろ「……雨、強くなりますよ」
その声と同時に、ざあっと雨音が濃くなった。
その雨音を、あの男はこのあと、嫌というほど聞くことになる。
頭の奥まで雨で満たされて、帰り道も、自分がどこにいるのかも分からなくなるほどに。
誰もまだ、それを知らなかった。
白い傘の下の女だけは、知っていた。