素直になれない賢者と能天気勇者くん 作:蝉時雨
まるで暗闇の中を宛もなく歩いている感覚だった。
頼れるものがなにもなくて、ただ漠然と進んでいることはわかった。
アレフはどこに行ってしまったのだろう。
ボクになにも言わずに、またどこかへひとりで行ってしまったのか。
「――ナン嬢――事……か……」
微かに聞こえてくる、ライダルの声。
そうだ、彼ならなにか知っているかもしれない。
「……ライダル……アレフは?」
「……大丈夫だ、すぐに会える」
返ってくるのは、優しげな彼の声。
ライダルが嘘をつくのを聞いた事がないから、きっと本当のことだ。
まったく、ボクに一言も告げずにどこかに行くなんてアレフも能天気過ぎてダメな男だ。
どうせまた、思いつきで誰かを助けに行ってしまったのだろう。
ボクを連れ出した時もそうだ。
山小屋で、平和に暮らしていたのに彼が来てから全部が変わった。
本を読みたかったのに、外に出て景色を見ようと言ってきた日。
簡単な食事で済ませようと思ってたのに、カリナを焚き付けてこれでもかと料理を用意された日。
山小屋の壊れそうな部分を喧しく修繕していた日。
全部、ボクの了解を取らずにやっていたのを覚えている。
お義母さんと一緒に暮らしていたボクの山小屋は、すっかり綺麗になっていた。
嬉しかったけど、どうしてここまでしてくれるのだろうと聞いたことがある。
彼は、ただ一言。
『キミが泣いていたから』
そう答えて、優しそうに笑っていた。
別にボクは泣いていなかったのに、彼はそれでもなにかを感じたのだろう。
麓の人たちにボクのことを聞いてやってきただけだっていうのに、アレフを筆頭にどこまでもお人好しのひとたち。
結局、ボクは彼らに流されるまま、一緒に旅をすることになった。
一番最初に連れていかれた麓の村は、お義母さんに連れて行ってもらった頃よりも栄えていたのを覚えている。
木製の家ばっかりのはずだったのに、いつの間にか石造りの街並みになっていて驚いた。
『どうだい、キミの知らないことなんてすぐ近くにもあるだろう?』
そうやってボクに聞いてきた彼に、なんと答えたのかは覚えていない。
悔しいことにその通りだと思ってしまったのは、唯一覚えていることだ。
村の人たちはボクを含めた全員を歓迎してくれて、あたたかい食事も出してくれた。
カリナがボクの隣でお世話をしてくれて、ライダルはお酒を飲んで騒いでいたはずだ。
ボクを連れ出した張本人のアレフは、村の人と難しい顔で話をして、翌日になるとあれよあれよと村から離れた大きな街まで連れていかれた。
名前は忘れたけれど、隣の帝国との間にある一番大きな街だったはずだ。
そこにある領主の館で、見たことのない数の本が置いてある書庫に入り浸っていたのを覚えている。
魔導書から各地の歴史書、果てには料理の本までなんでも揃っていた。
仕方なくそこで時間を潰していた時、彼はよくボクの隣で時間を過ごしていた。
『デナンは本を読むのが本当に好きなんだね』
思い出――いや、記憶の中の彼は、いつも笑っている。
それは、旅の終着点でもあった魔王との戦いでも――。
「――――ぁっ」
記憶の海で泳いでいるその時、光が見えた。
眩しくて、思わず目を瞑ってしまいたくなるような、光。
すぐに、アレフだとわかった。
「――アレフが、呼んでる」
「おい、デナン!」
ライダルの声が聞こえた気がしたけれど、そんなことは今関係ない。
彼が、呼んでいるんだ。
ボクにはそれだけわかれば、あとはなにもいらない。
■■■
光を目指してただ走る。
息をするのも苦しいが、それでも無心で走る。
「はぁ……はぁ……アレフ……アレフ……っ!」
いっつもボクを振り回して笑っている困った人。
なにかに困ってたり泣いてたりすると、必ず駆けつけてしまう人。
それと心から認めたくはないけど、ボクの光、隣に居ないと不安で不安で仕方ない人。
「ぜぇ……どこにんな体力、あったんだ……たくっ!」
別に彼がいなかろうが、笑っているなら――いや、アレフのことだから笑っているはずだ。
でも、本当に笑っているかどうか確認しなければいけない。
だから、こうして走っているんだ。
ボクが握っていたはずの杖はどこかにいってしまって魔法は使えない。
それでも、この辺りのモンスターくらいなら関係ない。
魔力で吹き飛ばせば、走るための道が出来る。
本当に、どれだけ走ったかわからない。
気がつけば歩くよりも少し遅いくらいで歩いていた。
「デナン嬢、水飲むか? 大丈夫か?」
「はぁ……ふぅ……大丈夫」
「ほんとかよ……」
ボクのことを気にかけてくれているライダルがくすぐったい。
水を飲みたい気持ちがないと言えば嘘になるが、今は前に進みたいのだ。
たぶん、もうすぐ。
そこの角を曲がった先に、光が――。
「――むっ!? おお、我が友に騎士殿! 無事であったか!」
――ほら、いた。
いつもみたいに笑って、なんならこちらに手まで振っている。
黒い手に引きずり込まれたのなんてなかったかのように、元気に歩いている。
ふらふらと彼に近づいていく。
でも、ここまで走りっぱなしだったボクの足は限界だったようで、少し歩いたらその場に崩れ落ちてしまった。
おかしい、すぐそこにアレフがいるのに足が動いてくれない。
「はっはっはっ! 友よ、随分とお疲れの様子だなぁ!」
「……うるさいなぁ」
呑気なその態度が腹立たしい。
どうしてボクがこんなに頑張ったっていうのに、アレフはあんなに元気なのか。
もっとボロボロになって、息も絶え絶えな状態になってしまえばいいのに。
なんとか手を支えにして起き上がろうとするも、体はもう動きたくないと駄々をこねる。
それでもと抵抗を続けていると、頭になにかが乗る感触がした。
「すまなかったな、友よ。騎士殿も、ここまで我が友を守ってくれてありがとう」
「はぁ……なぁに、お互いが無事ならそれでいいさな」
不服だ。
すごく、不服だ。
なんだ、その優しい声は。
なんだ、その優しい手つきは。
ボクが頭を撫でられたら納得するとでも思っているのか。
頭へと置かれた手に、己の手を重ねる。
いつもの革手袋も外され、素手の感触が伝わってくる。
だから――。
「――いだだだだ!? と、友よ!?」
――思いっきりつねる。
そんなに力は入っていないはずなのに、アレフは大袈裟だ。
「はっはっ! まぁ、なんにせよだ。おじさん、もう疲れたから今日はこの辺りで野営でもしないか?」
「ふぅ……ふぅ……赤く腫れてしまったぞ友よ……。野営については同意しよう」
「ざまぁみろ、バカアレフ」
あんなに沈み込んでいた心は、いつの間にか晴れ渡っまでいた。
なんだか、不思議な感覚。
「まったく、我が友と来たら……」
「仲が良いこっておじさんは微笑ましいよ。さて、野営はそこの鍋際で――」
「いや、このあたりは危険であろう。実は先程小部屋を見つけてな」
「……なに?」
立ち上がれず、ぼーっと話すふたりを見上げているとアレフが得意げに笑ったのが見えた。
やっぱり、なぜだか腹立たしいことこの上ない。
「はーっはっはっはっ! ワタシの勘は驚くほど当たるのだ!」
「…………はぁ、相変わらずだよお前」
「ふっふっふっ。兎にも角にも、我が友はワタシが背負おう」
アレフがボクの前にしゃがんで背中を見せてくる。
おずおずと手を伸ばして肩に捕まると、背後からライダルが持ち上げてくれた。
本当はイヤではあるのだが、足が言うことを聞いてくれないのだから仕方ない。
「我が友は軽いな。もっと食事を摂らなければ倒れてしまうぞ」
体を預ければ、硬い軽鎧の感触。
それと、彼の香り――これは少しだけ安心するように――。
「そういえばな、鉄剣が折れてしまったのだ」
「……はぁ!?」
驚きの声を上げたのは、ボクかライダルか。
「むっ、そこまで驚くようなことか? 使っていれば、どのようなものでも壊れるというのに」
「いや、そういう問題じゃねえだろう!? おまっ、今までどうやって――っ!」
「どうとは……ほら、ワタシの腰にもう一本あるだろう?」
たしかに、アレフの腰にはもう一本ある。
彼が抜けなくなっても、それでも肌身離さず身につけていた聖剣――たしか名前は、ミアルダル。
でもそれは、抜けないはずで。
「こちらもこちらで色々とあってな。ボロボロの我が友と騎士殿に比べれば大したこと――」
「――いや、大したことあるだろうがよ」
肩越しに見える彼の横顔はどこまでも涼しげで、進む道を真正面から見据えている。
「ねぇ、アレフ」
「むっ、なにかな我が友よ」
抜けたかどうかは、あとで見せてもらえばわかる。
一番大事なのは――。
「――なにか、思い出したりした?」
「うむっ! そういえば我が友は時たま思い出して、と言っていたな。幼少の頃の思い出が頭に浮かんできたぞ」
――やっぱり。
「あとで見せてね」
「もちろんだとも! 小部屋に宝箱はなかったのが残念だが、広さはだけは保証――」
「――お宝はもう、見つかったよ」
「むっ? まぁたしかに我が友が好む本は、入口近くの小部屋にあったが……ぅごごご、友よ! 首、首がっ!」
彼の首に回した腕へ、力を入れる。
アレフの悲鳴が聞こえるが、そんなことは今だけ聞こえない。
ずっとボクやライダルを振り回したんだから、これくらいは当然なのだ。
■■■
胸の前で組んだ手を解き、ゆっくりと立ち上がって目の前の像を見上げる。
背中に羽根が生え、ローブのような服を身にまとった慈悲深き女神の像。
王都での信仰の対象であり、世界を見渡すと言われる女神ライア。
「……今日の祈りも、これで終わりね」
一息つき、己の中に祈りの影響でなくなった魔力を感じる。
毎日、陽の光が天の中心になったのを合図に行うこととなっている祈りの時間。
見習いの頃は女神像の前で、祈りを捧げる当時の聖女様へ憧憬の念を抱いていたのを覚えている。
どこまでも透き通り、神聖に見えていた。
しかし、いざ同じ立場になってみると――。
「神よ、慈悲深き主よ。なぜ、かの方に試練を与え続けるのですか」
答えは、見つからない。
当代最高――歴史上で最も光に愛されし勇者、私たちの希望であり、世界に光を齎した救い主。
古の習わしから勇者に同行するのは当代の聖女との決まりがあったが、指名されたのは見習いであった私。
とても光栄なことで、身に余ることではあったが、今では心から旅をしてよかったと思っている。
かの勇者と――アレフと共に歩む時間は、何物にも代えがたい特別なものであったのだ。
光の化身といっても過言ではない、当代の勇者アレフ。
きっと、己もまたその光に焼かれてしまったひとりなのだろう。
万人を惹き付けて、なお歩みを止めることのない彼は、どこまでも眩しく世界を照らしている。
たとえそれが、彼自身をこの世界から奪い去ったとしても止まることはない。
勇者と魔王は表裏一体。
この事実は、私に――私たちに今でも重くのしかかっている。
「ふぅ……いけないわね」
大きく息を吸ってから、そのすべてを吐き出す。
祈りの時間は聖女以外の立ち入りが許されていないのもあって、大神殿の祈り場は静かなものだ。
吐き出した息は、静寂の中に呑み込まれていく。
この後もまだまだ予定が詰まっている。
王城の会議で居眠りをするとしても、このまま聖女にあるまじき思考をするのはよくないとわかる。
「……みんなに会うのが、待ち遠しいわ」
女神像に一礼し、その場をあとにした。
今日も、世界には光が溢れている。