素直になれない賢者と能天気勇者くん 作:蝉時雨
静寂の音が、世界を包み込む。
王都は昼の活気が嘘のように静まり返り、大通りですら人の姿が少ない。
「お、やっとお帰りか。待ちくたびれたよ」
「あら、ライダル。このような時間に乙女の部屋にいるなんて、よくない噂が立ちますよ?」
「聖女様がなに言ってやがるんだよ」
夕方あたりにカリナの部屋に通されてから、それなりの時間が経っていた。
嗜好品を吸おうかとも思ったが、ここは神聖なライア大神殿の中にある一室。
それもカリナは嫌っているのもあって、さすがに自重した。
代わりに、カリナ付きの見習い聖女の入れてくれた紅茶をこれでもかと飲んでしまった。
何度用を足しに行ったか覚えていない。
「ふふ、冗談です。なにか飲まれますか?」
「いや、結構だ。お前さんのお付きからこれでもかとご馳走してもらったよ」
大神殿の上部に位置し、東向きの窓からは貴族の豪邸の数々が見える。
俺はそのすぐ側にある椅子に座り、部屋の扉へと視線を投げかけていた。
カリナは白を基調とした祭服を身につけ、その上から複雑な装飾が施された手触りの良さそうな細長い肩掛け――ストール。
頭には、所々に金の総称がある丸い輪のような頭冠を乗せている。
「今日はどのような御用で?」
「なに、昔の仲間と雑談しに来たんだよ」
カリナは淡く微笑みながら、俺の向かい側にある椅子へと腰掛けた。
この時間――寝るには早いが、床についてもおかしくない夜――まで公務であったはずなのに、その顔に疲れはない。
「聖女様は今日も元気に居眠りしてたようで」
「あらっ、ちゃんと起きてましたよ?」
「ほーう?」
机に乗り出し、彼女の薄黄色の瞳を見る。
さすがは聖女と言ったところか、そこからは嘘をついているような雰囲気は感じ取れない。
「そんなに見つめたってなんにも出ませんよ」
「なに、相変わらず綺麗な瞳だと思ってな」
「ふふふ、もう。聖女をたらしこもうだなんて、貴族連中と同じことをするだなんて」
「正直すまんかった」
カリナは変わらず微笑んでいるが、黒い。
あまりにも、黒い。
湧き上がる黒い魔力のようなものまで見えてきそうだ。
どうやら王城内の派閥争いやらは、俺が近衛騎士だった頃と変わりはないらしい。
「苦労してるみたいだな」
「変わりませんよ。強いて言うなれば、居眠りが難しく……あっ」
慌てるように口元を手で隠すカリナ。
しっかりしているようで、俺たちには気を許してくれているのか、時たまこうして失言をする。
「ほーん、難しくなってきたけどしてると?」
「し、してません」
部屋の中に俺の笑い声と、つられたのかカリナの笑い声も静かに広がる。
彼女に会いに来る時はもっぱら夜だが、こうして気兼ねなく肩の力を抜けるのがなによりも心地良い。
「ん、んんっ。私の糾弾――というよりも、雑談が本題ではないでしょう?」
「んー、まぁそうだな」
窓の外へと視線を向ける。
空を数々の星々が彩り、その下の貴族街の街並みは魔石の灯りで仄かに照らし出されている。
豪邸の窓にもそれぞれ明かりが灯り、夜の静けさの中でも人の営みを感じさせていた。
「王都への帰還、喜ばしく思います。こうしてまた顔を――」
「――アレフが聖剣を抜いた」
部屋の中に広がるのは外の景色と同じ静寂。
「――えっ?」
「少しだが、記憶も戻った」
視線を窓の外に固定したまま、簡潔に告げる。
「ほんと、う……に?」
「事実だ」
静けさの中に、微かに聞こえる嗚咽の音。
俺も同じだったからこそ、彼女の気持ちが痛いほどわかる。
魔王を討伐してから、かれこれ五年の月日が流れた。
その間、空っぽになってしまったアレフの傍にはデナン嬢が共に歩き、空虚だった彼は人間に戻った。
それまでデナン嬢が様々なものを作成していき、俺とカリナとで協力しながらアレフの記憶と力を戻そうともがいて来た。
しかし、この期間の中で出来たことと言えば、精々が彼の名前をカリナの祝福といった形で戻せた程度。
カリナが保管しているアレフの記憶と力は、どれも断片的であり小さなものばかりで、とてもではないが彼へと戻せない。
出来ることと言えば、無理やり彼に戻して混乱を招くことにならないよう、カリナが保有している魔石の中に保管する程度のこと。
それが、まさかこのような形で一気に前進したのだ。
俺たちがやったことではないが、嬉しいに決まっている。
「……失礼、いたしました」
少しの時が過ぎた頃、彼女の微かに震える声に視線を戻す。
部屋を照らす魔石の中、カリナの顔はどこか清々しく見えた。
「お心遣い、感謝いたします」
「なぁに、俺ぁ外の景色にうっとりして他はなーんにも知らねぇよ」
「……ふふっ、ライダルらしい」
彼女の微笑む顔には雫はなく、ほんのりと赤い目元だけが自己主張をしている。
明日には響かないとは思うが――仮に響いたとしても、カリナならばおくびにも出さなずに自然と過ごすことだろう。
「本当に喜ばしいことで胸がいっぱいです。今日は良い眠りになりそう」
「あー、実はまだあるんだ」
アレフが記憶を取り戻したのは手放しで喜ぶべきことだ。
だからこそ――。
「浄化前の勇者たち――死者の思念をも取り込んじまいやがった」
「――それは」
カリナの顔に影が落ちる。
「ああ、そうだ。最悪の事態だ」
かつて旅をしていた頃に立ち寄った古宿。
そこにあった、一冊の本。
それは古代語で書かれていたのもあって、完全にすべてを読めたのはデナン嬢だけだった。
解読してから翌日、彼女の様子がおかしいことが引っかかり続け、数年前に古宿の店主に無理を言って王都へと持ち込んだ。
俺は古代語に対して学がないから読めないが、カリナは違う。
デナン嬢程ではないが、彼女も時間さえかければ読めるのだ。
「……あの本に書かれていたことが事実とすると」
「……ああ」
デナン嬢も、間違いなく知っている事実。
俺たちにも告げず、ひとりで背負い込んでいやがること。
勇者は闇に呑まれ、魔王へと堕ちる。
「彼女の心を乱さないよう伝えて来ませんでしたが、そろそろ私たちも知っているということを……」
「……ああ、どこかで伝えた上で話し合いをしないといけないよな」
しかし、どこで伝えればいい。
彼女はアレフと常に共にいる。
出来ることなら三人で時間を取りたいが、デナン嬢はアレフをひとりにするなんてことは出来ないだろう。
「今まではカリナが浄化していたから気にしていなかったが、まさかこうなるとはな」
「……表に、出しましたか?」
「出すわけないだろう。俺を誰だと思っていやがる」
机に視線を落とす。
これは、今まで秘密にしてきたツケだろう。
そして――。
「――アレフの光に、俺も焼かれすぎていたってわけだな」
「ライダル……」
少し考えればわかることだったはずだ。
アレフは――当代の勇者は、あまりにも優しすぎる。
涙を流し、下を向く者を決して放っておけない性分なのだ、あいつは。
間違いなく、彼が吸収したと話した死者の思念が泣いているとでも思って手を差し伸べたのであろう。
どこまでも救いようのなくて、どこまでも眩しすぎる光だ。
俺にカリナ、そしてデナン嬢は、その光に魂の隅々まで焼かれた者たちだ。
世界を救うという大義のために、燃えたぎって空回りしていた俺を導いてくれた光だ。
大義のためなら小を捨てる判断をした俺を、殴ってでも止めてくれた光だ。
俺よりも若くて頼りなかったはずの背中で、俺がどれだけ奔走した所で救えなかっただろう人たちを救ってきた光だ。
そんな光の間近で見続けた俺たちはもう、引き返すことが出来ない。
火に飛び込む虫が如く、闇雲に進むしかないのだ。
それがわかっていたからこそ、冷静に俯瞰してきたつもりだった。
だが、所詮は俺も虫のひとりだったわけだ。
「デナンのことを思うと……きっと、あの子は今も……」
「まったくだ」
彼女らと行動していた時は、できる限り明るく振舞ったつもりだ。
デナン嬢の抱えるものが少しでも軽くなればと思っていたが、本当に彼女を想うのならば伝えるのが一番だっただろう。
過ぎたことを後悔するのは良くないとは思うが、考えずにはいられない。
「……デナンは、アレフをひとりにしないでしょうね」
「……ああ、手詰まりだ」
「…………」
室内には、ただただ沈黙が満ちる。
はじめから伝えておけば、もっと彼女にもアレフにも寄り添うことが出来ただろう。
年長者として振舞ってきたつもりだが、裏目に出てしまった。
「明日、大神殿に来るらしいからよ。アレフの件もそうだが、デナン嬢のこともいつも以上に気にかけてやってくれ」
「ええ、もちろんです」
夜の帳が落ち、心地良いはずの静けさが広がっている。
しかし、この胸には。
たしかな痛みが、広がっていた。
■■■
開けた窓から見えるのは、王都を守る堅牢な壁。
王都は夜になると昼間の喧騒が嘘のように静まり返るが、ボクたちのいる北西街は異なる。
冒険者が集う場所であるからこそ、昼間に比べてより一層騒がしい。
その日の稼ぎで一杯呑んでから帰る者。
仲間と分配金で揉め、血と血で洗う喧嘩をはじめる者。
昼から変わらず大騒ぎしながら呑み続ける者。
窓の外からは、そういった様々な声が漏れ聞こえてくる。
ボクとアレフの定宿である猟犬の庭は、外の喧騒とは売って代わり夜は静かなものだ。
ほかの宿で泊まれば、酒場から漏れ聞こえてくる音や振動で過ごせたものではないが、比較的ここは落ち着いている。
――寝台の上で座り、小刻みに膝を揺すっているアレフを除いて。
「……はぁ、アレフ。本に集中できないんだけど」
「友よ……ワタシは怖いのだ……っ!」
窓際の机に広げた魔導書から顔を上げて彼を見れば、その瞳はどことなく血走っている。
己の中にある思念のことかと一瞬頭を過ぎったが、様子を見るに違うと判断する。
「なにかあったっけ?」
「…………部屋に来る時に、店主殿になにを告げたのだ……っ!」
「……? 食べたいもの、だけど」
「そうかそうか、食べたいものを告げたのか」
先程まで悲壮感に満ちていた顔をしていたアレフは、どこまでも優しげに微笑む。
「友も知っている通り、ワタシは店主殿の料理が好きだ」
「うん、おいしいよね」
「ああ、とても美味い。香りを嗅ぐだけで腹が減ってくるというものだ。しかしな――」
言葉を区切ったかと思えば、組んでいた腕を解いて勢いよく扉を指し示す彼。
その顔は、また先程のように悲壮感をありありと浮かべていた。
「三階にいるにも関わらず漂ってくるこの刺激的な香り! いったいなにをお願いしたというのだ、友よ!!」
涙まで流すのではないかと思うほどの咆哮。
ボクの頼んだ料理が、そんなにイヤなのだろうか。
「……そんなに叫ばないでよ。ふつうのご飯をお願いしたよ?」
「それでここまで刺激的な香りになるだろうか!? ワタシは――っ!」
「大丈夫だよ。アレフのは普通にって頼んであるし」
「…………それを早く言いたまえ」
感情の爆発が嘘だったかのように、アレフは真顔で寝台に座り直した。
ボクの味覚は壊れているらしいことは、オーパルの街でよくわかった。
いつもはアレフの食べるものを一緒に食べていたが、今日はどうしても辛いものが食べたくてお願いしていたのだ。
めいいっぱい辛くして欲しい、と。
それを聞いたライラは顔をひきつらせていたが、食べたいのだから仕方ないだろう。
それはそれとして――。
「……ボクは味がわからないらしいからね」
「あいやその、友よ」
「知らない」
視線を机の本に戻す。
古代語は変わらず読みずらいが、新しい知識を得るのは楽しい。
寝台のほうで騒ぐアレフを無視しつつ、手元の本と外の喧騒に耳を澄ませた。
誠に申し訳ございません。
書き溜めが底を尽きました。
次回以降は不定期更新となりますが、
引き続きよろしくお願いいたします。