素直になれない賢者と能天気勇者くん 作:蝉時雨
背もたれに体を預け、ぼーっと空を見上げる。
雲ひとつなかった朝に比べれば、いくつかの小さな白い雲が風に流されている。
人々の騒がしい会話の間から、誰かが歌っているのであろう伸びた声が聞こえてくる。
「と、とほよっ! く、くひが……っ!」
騒がしくも、静かでなにも考える必要のない時間。
あの雲たちは頼りなさそうだけど、大きくなったらこの青空をも覆うのだから面白い。
やっぱり、空を気持ちよく飛ぶ魔法を開発するべきなのかもしれない。
この暖かな日差しの中で飛べたら、どれだけ気持ち良いのだろうか。
「み、みず……っ! ぐおぉ……余計に、これは……っ!」
背もたれに預けた体から、力が抜けていくのがわかる。
視界の端に映り込んでくる露店街の人混みは好きになれないが、ここのお店は好きかもしれない。
「がっはっはっ! どうした兄ちゃん、そんなもんかい!?」
「ま、負けん……ワタシは負けんぞぉ……っ!」
瞳を閉じる。
ライダルは――会ったからいいか。
再開するのは彼が帝国領のほうに出発する前だったはずだから、たしかふた月かみ月ほどぶりか。
無精髭を整えてなかったのを思い出せば、王都の家には帰っていないのだろう。
日差しが頭上を越えた頃だと考えると、王都にいるカリナは祈りが終わって貴族の相手か聖女候補の訓練に付き合っている頃か。
現役の聖女――それも王都の神殿付の彼女が聖女候補たちに付き合う必要はないはずなのだが、優しそうに語っていたカリナを覚えている。
神に祈りを捧げる私たちに、本来上下などない。
私は、彼女たちを含めた全ての方々の幸せを願っている。
私がひとつでも示せるものがあるのなら、それを彼女たちの近くで伝えてあげたい。
眠ることが好きなカリナだが、その実立派な聖女――神の生き写しとも呼ばれて慕われている女性だ。
「ぬぐぐぐ……やはり高望みしすぎてしまったのでは……っ!」
「素直に降参してもいいんだぜ!? なんの勝負か知らねえけどな!」
「いいや、負けないとも! この程度の逆境で根を上げていては、我が友に笑われてしまう!」
ボクには決して真似出来ない、する気も起きない彼女の精神性は素直に尊敬している。
魔法の知識と腕では負けるつもりな毛頭ないが、癒しの魔法や祈りの魔法はボクでは足元にも及ばない。
それが少し悔しくも思うが、誇らしくも思う。
ボクの大切な仲間であり、言葉にはしたくないけど大切な友達。
ライダルからの依頼が終わったら王都に戻るから、その時に希望の箱を渡すのと一緒に話をしたいなと思ってる。
「店主はいったいどれ程の辛味を入れたというのだ……!」
「楽しそうにあれこれ入れてたぜ! 俺たちが面白おかしく伝えたのも悪かったかもしれねぇな!」
「ぐぬおぉぉ……恨むべきは同業の者に踊らされた己の未熟さか……っ!」
それはそれとして。
そろそろ、隣で騒いでいるバカを気にした方がいいのかもしれない。
「ほらほら兄ちゃん頑張れ! あとはスープだけだ!」
「すべて飲み干さなければいけないのか!?」
「当たり前だろ!」
瞳を開けて隣を見る。
赤――というよりは赤黒い液体を掬ったであろうスプーンを握りしめて青ざめてるアレフと、そんな彼を囃し立てる数人の男たち。
たしか、彼の食べているものは店のイチ押し料理だったもののはずだ。
追加料金を払えば好みに合わせて味を整えるもので、周囲に乗せられて辛味を限界まで盛っている。
「……バカだなぁ」
「ぬっ、おお友よ! 見てくれ、あと少しだ!」
「彼女ちゃん、彼氏の勇姿を見てやってくれよ! こいつは根性ある――」
「彼女とかそういうんじゃないからね」
男というのは――いや、冒険者というのはどうして集まると大騒ぎをするのだろうか。
「し、しかしこれを飲むのはやはり……っ!」
「おっと、本当に諦めちゃっていいのかい兄ちゃん!」
「はぁ……」
背もたれから体を起こし、彼の手からスプーンを奪って口にする。
舌を刺激する程よい辛さと、喉を通っていく熱さが心地良い。
てっきり辛いだけのスープかと思っていたが、ちゃんと魚のものと思われる味が底に広がっている。
「と、友よ!? だ、だだ大事ないか!?」
「……おいしいよ? アレフは大袈裟にしすぎじゃない?」
木製の皿からスプーンでもうひと掬いして口に運ぶ。
辛さという面ではたしかに刺激はあるが、彼が顔を青ざめさせる程ではないと思う。
「……そんな……バカな……!?」
「はっはっはっ! 一本取られたな兄ちゃん!」
「ええい、我が友は味がわからんのだ! 貴殿も一口飲んでみるがいい!」
テーブルに備え付けられている小箱から新しいスプーンを取り出して、たむろっている冒険者のひとりに差し出すアレフ。
味が分からないとはよく言ったものだ。
ボクの舌は問題なく――。
「ぬああぁぁぁぁああみずううぅぅぅ!?!?」
「そら見た事か! ワタシこそ正しい!」
――ないのかもしれない。
おかしい、そんなはずがない。
カリナに作ってもらっていた食事も、すごくおいしく食べていたのに。
いや、よくよく思い出せば彼女は相当な辛味好きだったような。
旅をしていた頃はボクとカリナ、アレフとライダルで分かれて食事をしていたのを思い出す。
まさか、ボクはもう――。
「ふはは、友よ。最後まで飲み干すかね?」
「………………うん」
差し出された皿を受け取って、スプーンで掬っては口に運ぶ。
この辛さが、今は少し納得が行かない。
■■■
昼下がりのギルドの中を歩く。
朝の騒がしさに比べればいくらか落ち着いた中でも、職員たちが依頼に必要な手続きで忙しなく動き回っている。
隣の酒場から聞こえてくる陽気な声に笑みを浮かべて、カウンターの中――報告を受け持っている最近配属された子に近づく。
「お疲れ様、午前の分受け取っちゃうわね」
「あ、お疲れ様です! えっと、ちょっとお待ちくださいね」
カウンターの下に置かれたふたつの小箱から紙の束を取り出す彼女。
たしか右が完了分で、左が調査必要分だったはずだ。
「完了が八件に、調査が二件です」
「今日は落ち着いていたのね」
依頼書を受け取って、その場で素早く目を通していく。
王都のギルド本部で教育を受けただけあって、ミスのない綺麗なものに仕上がっていて感心する。
所々に彼女の丸まったメモが書かれていて、几帳面な性格だなと思う。
「あら、この方は……」
調査必要分の一枚に目を通せば、受注者の名前に目が留まった。
「あ、そちらは……!」
「そう、かの方々がいらっしゃってたのね」
デナン・ハルアル。
高名な勇者パーティの一員にして、王国所属のクロガネ級冒険者のおひとり。
勇者パーティだった方が冒険者になるのは前代未聞の出来事――尚且つその勇者本人を連れていると知ったときはひっくり返ったのを覚えている。
特例でのクロガネのひとつ下であるシロガネへの認定をされてから、一年経たずして頂点であるクロガネへと昇格していたはずだ。
当時の冒険者たちからは不満が上がったが、彼女らが目に見えるダンジョン――未発見のものまで踏破した実績で黙らせていた。
「先輩、ご存知なんですか! 私、ここに配属されてよかったって本当に思って!」
「ここにはあまり立ち寄られないから、本当に運がよかったわね」
最近ではギルドに張り出された依頼よりも、遊撃騎士であるライダル様からの指名依頼を処理することが多いと聞き及んでいる。
クロガネ級冒険者――王国内に四パーティしか存在しない彼らは、引く手数多で冒険者たちの目標であり夢の姿の具現化なのだ。
「それにしても珍しいわね」
「なにがですか?」
「かの方が署名をもらわなかった……いえ、貴方のメモを見る限りなにかあったみたいね」
注意書きに書いてあるいざこざの文字を読み、辺境の村特有のものかと納得する。
ただでさえ報酬の少ない依頼で、依頼主が住んでいる村の立地を考えても裕福そうには思えない。
モンスターに襲われたのは気の毒だけれど、私の想像していることをしたのなら冒険者にとっては嫌な村だろう。
「なにがあったんでしょうね」
「さぁ……調査隊の結果待ちね。それじゃ、この後もお願いね」
「わかりました!」
受け取った書類を抱えて自分の席まで戻る。
私も、久しぶりに一目お会いしたかったものだ。
■■■
開け放たれた窓から吹き込んでくる冷たい風。
昼間の喧騒はすっかりなりを潜め、遠くから聞こえてくる楽器の音が窓から見える星に意味を持たせる。
「と、友よ……」
「……なに?」
視線を部屋の中に向ければ、ふたつ並んだ寝台の奥に腰掛けているアレフ。
蝋燭の灯が照らす彼の顔は、どこか気まずげだ。
「……毎度毎度、同室というのは――」
「イヤなの?」
「いや! 決してそのようなことではないのだが!」
「ならいいじゃん」
視線を窓の外に戻し、星空を見上げる。
占星関係は詳しくないが、昔の魔法使い――当時の言い方だと魔術師は星から力を得ていると考えていたらしい。
今で言うところの占星術師が、当時の魔法使いの形だった。
「よく我々が男女の仲だと勘違いされるからな。こうやって同室にしているとより――」
「――別に、ボクは気にしてないからいいよ」
「……しかしだなぁ」
アレフと同室にしているのは理由がある。
彼、あるいはボクの身になにかあれば、すぐに反応できるようにするためだ。
念の為防護魔法もかけてはいるが、念を入れておいて損は無い。
たとえそれが、安全であろう街中であって、だ。
そもそも――。
「ずっとこうしてきたでしょ。今更だよ」
「そうなのではあるのだがなぁ……」
彼が王都で目覚めてから、最初は空っぽな状態でなにも反応を示さなかった。
ライダルとカリナと毎日のように看病をしていたが、ふたりは騎士や聖女の仕事の関係でいないことのほうが多かったのを覚えている。
はじめて彼が反応を――ボクのほうへ視線を向けた時、その場にはボクしかいなかった。
あれこれと話をして、アレフが寝付いた後にふたりと相談した上でボクは彼と常に一緒にいる。
湯あみの時などは変わってくるが、今ではこうしているのが普通だ。
ぶつぶつと謎の言葉を繰り返す彼を気にせず、瞬く星空を見続ける。
色は様々で、光具合も様々。
暗い空に自分たちの存在を刻み込んでいるかのように、懸命に光を発している姿が好きだ。
「ほら、そんなことを気にしてる暇あるなら湯あみしてきなよ」
「むっ……承知した」
近くに立てかけた杖を持って、聞こえないように二度小突く。
使うのは強化魔法というよりも、なにかあればボクへ魔力が飛んでくる魔法。
なにもないとは思うが、いつからかやるようになってしまったもののひとつ。
振り返って見ると、彼は気づく様子なく湯あみ用の荷物を持って部屋を出ているところだった。
扉の閉まる音と共に、ひとつため息をつく。
窓の外へと視線を戻せば、昼間は露店で賑わっている大通りの人通りはまばらだ。
三階にあるここから見える範囲では、みんな穏やかに夜の闇を楽しんでいるように見える。
ボクは、どこまで過保護になってしまったのだろうか。
自分でも、もうわからない。