『ブルーアーカイブ』の非公式二次創作SSです。

【あらすじ】
ミレニアムの技術力を示すため、ゲーム開発部が制作したフルダイブ型MMORPG。その試遊会に参加した先生たちは、バグによってログアウト不能となってしまう。

脱出条件は、魔王に囚われた勇者アリスを救い、ゲーム世界をクリアすること。

しかし、ログインしたはずのユウカが見当たらない。
それどころか魔王城から聞こえてきた声は、妙に聞き覚えがあって――。

会話中心の長編コメディです。
キャラクターの口調や関係性には注意していますが、独自解釈および原作未登場のフルダイブ技術に関するif設定を含みます。

【注意】
・メインストーリー進行後を想定したケイの登場
・原作未登場のゲーム技術、仮想空間に関する独自設定
・軽度の戦闘表現
・アロナ、プラナは先生以外から認識されず、先生以外とは会話しません

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第1話

 

モモイ「先生! 死んでも装備は落とさないから、安心して死んでね!」

 

 ゲーム開発部の部室へ足を踏み入れた瞬間、モモイから物騒な歓迎を受けた。

 

 部屋の中央には、棺桶にも宇宙船の脱出用ポッドにも見える大型カプセルが十台並んでいる。

 

 床を覆う大量のケーブル。その先に積まれた演算装置。壁一面を埋め尽くすモニターには、剣と魔法の世界を思わせる風景が表示されていた。

 

 古城の上空を飛ぶドラゴン。

 

 深い森に隠された遺跡。

 

 雪に覆われた山脈。

 

 そして、黒い王冠が浮かぶ魔王城。

 

先生「死なない方向で安心させてもらえると嬉しいな」

 

モモイ「大丈夫だよ。痛覚は二パーセントしか再現されないから!」

 

ミドリ「お姉ちゃん。その言い方だと、九十八パーセントは死んでも平気みたいに聞こえるよ」

 

モモイ「じゃあ、一回くらい死んでも大丈夫!」

 

ミドリ「もっと悪くなってるから」

 

ユズ「あの……死亡時は、最後に触れたセーブポイントで復活します。ゲーム内の身体が消えてしまうわけではないので……」

 

ケイ「そもそも、正常に復活できるという保証はあるのですか?」

 

ユズ「テ、テストでは……たぶん……」

 

ケイ「最後に試したのは?」

 

ユズ「三日前です」

 

ケイ「その後、更新は?」

 

ユズ「百四十七回……」

 

ケイ「それは三日前のテスト結果を無効とみなすべきでは?」

 

 ユズの顔がみるみる青ざめていく。

 

 その肩に、モモイが勢いよく手を置いた。

 

モモイ「大丈夫! バグは百四十七回の更新で、だいたい直したから!」

 

ミドリ「お姉ちゃん。その更新で新しいバグが増えてる可能性もあるよ」

 

モモイ「バグは叩けば減るんだよ!」

 

ケイ「分裂する種類もあります」

 

 ケイの淡々とした指摘に、モモイは唇を尖らせた。

 

 少し離れた場所では、エイミがカプセル内部の温度を確かめている。その傍らに、いつもの車椅子へ腰かけたヒマリがいた。

 

 ヒマリは大型端末から伸びたケーブルを一本つまみ、満足そうに頷く。

 

ヒマリ「実に見事です。世界に名高き超天才清楚系病弱美少女ハッカーである私が基本設計へ協力しただけあって、外観は完璧ですね」

 

エイミ「外観だけ?」

 

ヒマリ「中身の大部分はゲーム開発部に一任しました」

 

エイミ「じゃあ、不安だね」

 

モモイ「そこは期待するところでしょ!?」

 

ヒマリ「期待と不安は両立します。特にゲーム開発部の場合、期待五割、不安八割ほどですね」

 

ミドリ「合計が百を超えてますけど……」

 

ヒマリ「超天才ですので」

 

 説明になっているようで、まったくなっていない。

 

 カプセルの一台を点検していたトキが、静かに蓋を閉じた。

 

トキ「接続装置に明確な異常はありません。緊急切断機能も待機状態です」

 

先生「トキも参加するんだね」

 

トキ「はい。先生を含む参加者の護衛、および仮想空間における安全性の確認を担当します」

 

エイミ「ゲームの中でも護衛するの?」

 

トキ「仮想空間であろうと、先生が不用意に危険へ接近する可能性は変わりません」

 

先生「信用がないなあ」

 

トキ「理解がある、と表現してください」

 

 反論できない。

 

 視線を感じて振り返ると、部屋の入り口でユウカが腕を組んでいた。

 

 書類の束を胸元に抱え、こちらをまっすぐ見ている。

 

ユウカ「トキの判断が正しいです。先生はテストプレイヤーなんですから、勝手に裏道を探したり、NPCの家へ入ったりしないでくださいね」

 

先生「でも、民家の壺に薬草が入っているかもしれないよ」

 

アリス「先生の言う通りです! 勇者は、住民の家にある壺や箪笥を調査する義務があります!」

 

ユウカ「そんな義務はありません!」

 

アリス「ですが、入手した物資が世界を救うこともあります」

 

ケイ「住民から見れば、ただの窃盗です」

 

アリス「勇者には厳しい現実です……」

 

 アリスは両手を握り、深刻そうに俯いた。

 

 もっとも、数秒後には壁面モニターに映る光の剣へ目を輝かせている。

 

先生「それにしても、ずいぶん本格的だね」

 

 私は近くのカプセルへ手を置いた。

 

 表面には、ミレニアムの校章とともに仰々しい名称が刻まれている。

 

 次世代多人数同時接続型・完全没入式仮想空間体験装置。

 

 説明書によると、五感に加えて平衡感覚や身体動作まで仮想空間へ同期させるらしい。

 

先生「ゲーム開発部って、もっとレトロゲームを作る部活じゃなかった?」

 

モモイ「先生、それは偏見だよ!」

 

ミドリ「否定しきれないのがつらいけどね」

 

ユズ「今回は、依頼された作品なので……」

 

先生「依頼?」

 

 ゲーム開発部の視線がユウカへ集まる。

 

 ユウカは露骨に嫌そうな顔をした。

 

ユウカ「私を見ないで。決めたのは会長です」

 

先生「リオが?」

 

ユウカ「はい。ミレニアムの技術力を、学外の人にも分かりやすく示せる成果物が必要だから、と。実用化できる作品を一つ完成させれば、ゲーム開発部の来期予算を増額してもいいそうです」

 

モモイ「今までの三倍だよ、三倍! 高性能な機材も買えるし、部室に最新の冷蔵庫も置ける!」

 

ユウカ「冷蔵庫はゲーム開発に必要ないでしょう」

 

モモイ「飲み物を冷やすのに必要だよ!」

 

ユウカ「部室に備え付けのものがあります」

 

モモイ「あれ、アイスを入れるとユズが凍るんだよ!」

 

ユズ「わ、私は冷蔵庫に入らないよ……」

 

ミドリ「お姉ちゃん。『アイスを入れるとスペースが埋まって、ユズちゃんの飲み物を冷やせなくなる』って言いたかったんだよね?」

 

モモイ「そうとも言う!」

 

ケイ「それ以外にどう言うのですか」

 

 ユウカは眉間を押さえた。

 

ユウカ「こんな調子だから、私は最後まで反対したんです。そもそも、企画書の表紙に書かれていた題名が――」

 

モモイ「『剣と魔法と涙と友情! 全キヴォトスが震撼する超絶究極完全無欠オンラインゲーム計画』!」

 

ユウカ「長いのよ!」

 

ヒマリ「私が参加を決めたのは、その勇気だけは評価したからです」

 

エイミ「面白そうだったからじゃないの?」

 

ヒマリ「もちろん、それもあります」

 

ユウカ「ヒマリ先輩まで面白半分で協力しないでください!」

 

ヒマリ「失礼ですね。七割ほどは善意です」

 

ユウカ「残りの三割が不安なんです!」

 

 ヒマリは口元へ手を添え、優雅に笑った。

 

ヒマリ「それに、リオの提案を横から改良する好機を逃すわけにはいきません」

 

ユウカ「やっぱりそこが目的じゃないですか!」

 

先生「リオには伝えてあるの?」

 

ヒマリ「設計書の提出は求められましたので、目次だけ送っておきました」

 

ユウカ「中身も送ってください!」

 

ヒマリ「本文は三千二百八十六ページあります。リオも忙しいでしょうから、私なりに気を遣ったのです」

 

エイミ「部長。目次だけでも百ページあったよね」

 

ヒマリ「はい」

 

先生「それは気遣いなのかな?」

 

ヒマリ「超天才の思考を理解するには、相応の努力が必要です」

 

 つまり、リオは詳しい中身を知らないらしい。

 

 その事実に一抹の不安を覚えたところで、ポケットの中のシッテムの箱が振動した。

 

 私の視界にだけ、青い画面が浮かび上がる。

 

 画面の向こうで、アロナが勢いよく手を上げていた。その隣には、すでに警戒するような表情を浮かべたプラナがいる。

 

アロナ「先生! 私もゲームをやりたいです!」

 

プラナ「私たちは接続者ではありません。シッテムの箱を介した監視に留めるべきです」

 

アロナ「では、先生の右手を私が、左手をプラナちゃんが操作しましょう!」

 

プラナ「先生の身体を分割統治しないでください」

 

アロナ「足が余りますね」

 

プラナ「余ったからといって担当を増やす必要はありません」

 

 アロナとプラナの声は、私以外には届いていない。

 

 こちらから声に出して返事をすると、周囲には独り言にしか聞こえない。私は黙ったまま、視線だけで二人に挨拶した。

 

アロナ「先生が目で『任せましたよ、アロナ様』と言っています!」

 

プラナ「『静かに見守っていて』だと思います」

 

 プラナが正しい。

 

ユウカ「先生。急に何もないところを見つめないでください」

 

先生「接続前の精神統一だよ」

 

ユウカ「そういうことにしておきます」

 

 少し怪しまれた。

 

 ユズが全員へヘッドギアを配り始める。半透明のバイザーを装着すると、接続者情報が表示された。

 

ユズ「今日は基本動作と、序盤エリアの負荷試験をします。接続時間は一時間を予定していて……何か異常を感じたら、すぐにログアウトしてください」

 

ユウカ「いいですか、先生。これは正式な安全性試験です。変なことを思いついても実行しないでください」

 

先生「善処するよ」

 

ユウカ「約束してください」

 

先生「変なことを実行しないよう、前向きに検討するね」

 

ユウカ「政治家みたいな逃げ方をしないで!」

 

トキ「先生。必要であれば、ゲーム内で常時監視します」

 

先生「トキに見られていたら、壺を調べにくいな」

 

トキ「壺を調べる予定なのですか?」

 

先生「予定はないよ」

 

トキ「信用できません」

 

 全員がそれぞれのカプセルへ横たわる。

 

 私の右隣はユウカ。左隣はトキだった。

 

 ヒマリの車椅子は、接続装置の横に固定されている。本人はカプセルへ入る必要がなく、専用の座席から接続できるらしい。

 

ヒマリ「仮想空間でなら、この儚くも美しい身体を重力の制約から解放できます。皆さん、私の華麗な歩行姿を目に焼きつけてください」

 

エイミ「歩くだけで大げさだね」

 

ヒマリ「エイミ。雰囲気は重要です」

 

アリス「ヒマリ先輩。アリスも一緒に歩きます!」

 

ヒマリ「ええ。仮想世界を救う華麗なる超天才と勇者の並び立つ姿を、歴史へ刻みましょう」

 

ケイ「今日は基本動作の確認だけです」

 

モモイ「でも、何か起きたほうが面白いよね!」

 

ミドリ「お姉ちゃん。それだけは言っちゃ駄目」

 

 カプセルの蓋が閉じる。

 

 外の声が遠のき、バイザーの内側にカウントダウンが表示された。

 

 十。

 

 九。

 

 八。

 

 青い光が視界を満たしていく。

 

アロナ「先生、異世界転生です!」

 

プラナ「転送です」

 

アロナ「今度こそ異世界転生です!」

 

プラナ「先生は一度も死亡していません」

 

アロナ「では、異世界へ普通に転生です!」

 

プラナ「転生の意味を調べてから出直してください」

 

 最後に聞こえたのは、アロナの不満そうな声だった。

 

 次の瞬間、私は柔らかい草の上へ投げ出された。

 

 青空が広がっている。

 

 白い雲が流れ、暖かな風が頬を撫でた。身体を起こすと、遠くに城壁で囲まれた町が見える。

 

 草の匂い。

 

 風の音。

 

 足元を歩く小さな虫まで、現実と区別がつかないほど精密に再現されていた。

 

先生「すごいな……」

 

アロナ「先生、草です!」

 

プラナ「見れば分かります」

 

アロナ「食べてみましょう!」

 

プラナ「食べないでください」

 

アロナ「異世界の草ですよ?」

 

プラナ「草であることに変わりはありません」

 

アロナ「もしかすると、メロン味かもしれません」

 

プラナ「何を根拠に?」

 

アロナ「緑色です!」

 

プラナ「根拠が色だけです」

 

 アロナは視界の端で、草を一本つまむ動作をしている。

 

 私は聞かなかったことにした。

 

 周囲では、生徒たちが次々と起き上がっている。

 

 モモイは二本の短剣を装備した盗賊。ミドリは弓を持った狩人。ユズは大きな帽子を被った魔術師だった。

 

 エイミは氷の結晶をまとった青いローブ姿で、満足そうに袖を触っている。

 

エイミ「涼しい」

 

ユズ「氷術師は、周囲の体感温度が常に低くなる設定だから……」

 

エイミ「このまま現実へ持って帰りたい」

 

 トキは白銀の軽装鎧に、細身の剣。職業表示は守護剣士となっていた。

 

 余計な耳も尻尾も生えていない。トキは手足の感覚と装備を確認し、私の前へ移動する。

 

トキ「動作に問題ありません。先生の護衛を開始します」

 

先生「まだ敵は見えないよ」

 

トキ「先生の周辺だけ、危険が自発的に発生する可能性があります」

 

先生「そんな特性はないと思いたいな」

 

 ケイは黒と白のローブを重ね、鍵を模した杖を持っていた。

 

ケイ「鍵術師……。あまりに安直な職業選択ですね」

 

モモイ「ランダムだよ!」

 

ケイ「ランダムに見せかけて、接続者の情報を読み取っているのでは?」

 

ユズ「そ、そんな設定は……ないはず……」

 

ケイ「今の間は何ですか」

 

ユズ「確認しておきます……」

 

 その横で、ヒマリが両足を地面につけて立っていた。

 

 長い白衣を羽織り、手には星の装飾が施された杖。頭上には、天才大賢者という職業名が輝いている。

 

ヒマリ「ふふ……見なさい、エイミ。これぞ重力の楔から解き放たれた、完全なる私の姿です」

 

エイミ「うん。立ってるね」

 

ヒマリ「それだけですか?」

 

エイミ「歩くの?」

 

ヒマリ「もちろんです」

 

 ヒマリは杖を掲げ、優雅に一歩を踏み出した。

 

 続いて二歩目。

 

 三歩目で、体力ゲージが半分になった。

 

ヒマリ「…………」

 

 四歩目。

 

 体力ゲージが赤くなる。

 

 五歩目で、ヒマリはその場へ膝をついた。

 

エイミ「疲れた?」

 

ヒマリ「不具合です」

 

モモイ「病弱ステータスが反映されたんだよ!」

 

ヒマリ「誰が反映を許可したのですか?」

 

ユズ「接続者の個人情報を元に、職業特性を自動調整する機能が……」

 

ヒマリ「即刻削除しなさい」

 

ユズ「ログアウトしたら……」

 

ヒマリ「では、当面の移動手段を要求します」

 

 言い終わると同時に、ヒマリの背後へ木製の車椅子が出現した。

 

 ファンタジー世界へ合わせたのか、車輪には金色の翼がついている。

 

ヒマリ「…………」

 

エイミ「いつも通りだね」

 

ヒマリ「せめて魔導浮遊椅子など、夢のある名称にしてください」

 

モモイ「アイテム名は『病弱な大賢者のいつもの車椅子』だよ」

 

ヒマリ「モモイ」

 

モモイ「はい」

 

ヒマリ「ログアウト後、私の部屋へ来なさい」

 

モモイ「どうして!?」

 

 ミドリがヒマリの車椅子を押しながら、周囲を見回した。

 

ミドリ「そういえば、先生の職業は?」

 

先生「村人Bみたいだね」

 

 私の服は、何の装飾もない茶色の布地だった。

 

 装備品は木の棒が一本。

 

 能力値を確認すると、攻撃力、防御力、素早さ、知力がすべて一。運だけが百ある。

 

先生「運がいい村人だね」

 

ケイ「それ以外が壊滅的です」

 

トキ「先生。私から五メートル以上離れないでください」

 

先生「少し厳しくない?」

 

トキ「三メートルへ変更しますか?」

 

先生「五メートルでお願いします」

 

アリス「大丈夫です、先生! アリスが勇者として守ります!」

 

 アリスの声がした。

 

 しかし、どこにも姿が見えない。

 

モモイ「アリス?」

 

ミドリ「さっきまで近くにいたよね?」

 

ケイ「アリス、返事をしてください」

 

 ケイの声に、返事はない。

 

 全員が辺りを見回す。

 

 草原には私たちしかいなかった。

 

先生「それと、ユウカは?」

 

 その言葉で、空気が固まった。

 

モモイ「あれ?」

 

ミドリ「ユウカ先輩もいない……?」

 

ユズ「接続者一覧には……いる。アリスちゃんもユウカ先輩も、ログイン状態になってる……」

 

トキ「現在位置は特定できますか?」

 

ユズ「アリスちゃんは魔王城。ユウカ先輩は……」

 

 ユズの指が止まる。

 

ユズ「管理者領域?」

 

モモイ「何で?」

 

 その瞬間、空が暗くなった。

 

 青空を赤黒い雲が覆い、遠くの山へ雷が落ちる。

 

 大地が揺れた。

 

 草原の向こうに、巨大な魔王城が浮かび上がる。

 

 城の上空には黒い王冠。その中央へ、一人の少女の姿が映し出された。

 

 黒い鎧に、赤い外套。

 

 片手には巨大な帳簿。もう片方には、数字を入力するための端末。

 

 長い髪が風になびいている。

 

 顔は影になって見えない。

 

 けれども、両側に結ばれた髪型には見覚えがあった。

 

魔王「よく来ましたね、浪費を続ける愚かな冒険者たち」

 

 声には低い加工が施されている。

 

 それでも、聞き覚えがありすぎた。

 

 全員が黙った。

 

魔王「勇者アリスは、私が預かりました」

 

アリス「みなさん! アリスはここです!」

 

 空へ映し出された魔王の背後で、透明な檻に閉じ込められたアリスが両手を振っている。

 

アリス「アリスは囚われの勇者になりました! 重要なメインイベントです!」

 

ケイ「楽しそうに報告しないでください」

 

アリス「ですが、自力では檻から出られません。助けてください!」

 

魔王「勇者を救いたければ、七つの会計聖印を集め、魔王城へ来なさい」

 

モモイ「会計聖印?」

 

魔王「ただし、予算申請書に一か所でも不備があれば、入場を却下します」

 

ミドリ「予算申請書?」

 

魔王「領収書の紛失、私的利用、用途不明金も認めません。すべて一クレジット単位で明細を提出してください」

 

モモイ「この魔王、言ってることがユウカみたいだね」

 

ケイ「声もユウカによく似ています」

 

エイミ「髪型も」

 

トキ「身長と体格も一致しています」

 

ヒマリ「手に持っている帳簿も、普段ユウカが使用しているものですね」

 

先生「ユウカ本人じゃないかな?」

 

 空の魔王が、びくりと肩を揺らした。

 

魔王「違います!」

 

 一瞬だけ、声の加工が外れた。

 

 今のは完全にユウカだった。

 

魔王「私は冷酷非情なる帳簿の魔王、ユー・カです! 早瀬ユウカとは何の関係もありません!」

 

モモイ「名前!」

 

ミドリ「ほとんどそのままです!」

 

魔王「黙りなさい! 全員の来期予算をゼロにしますよ!」

 

 空に巨大な赤い判子が出現した。

 

 却下。

 

 文字が草原全体へ叩きつけられ、地面が激しく揺れる。

 

 そして映像は唐突に消えた。

 

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 

エイミ「ユウカ、いなかったね」

 

先生「そうだね」

 

モモイ「魔王はユウカじゃないって言ってたね」

 

ミドリ「信じるの、お姉ちゃん?」

 

モモイ「ううん」

 

ケイ「本人でしょう」

 

ヒマリ「疑う余地もありません」

 

トキ「ユウカを敵対対象として認識しますか?」

 

先生「まだ駄目だよ。ユウカが自分の意思で魔王をしているとは限らないから」

 

ユズ「たぶん、中核AIがユウカ先輩をゲームマスターだと誤認識して……魔王NPCと混ぜちゃったんだと思います」

 

モモイ「どうしてユウカがゲームマスターなの?」

 

ユズ「予算管理と不正利用防止のために、最高承認権限を渡してたから……」

 

ケイ「その権限を、世界の支配者と解釈したのですか」

 

ユズ「たぶん……」

 

先生「魔王というより、管理責任者だね」

 

ヒマリ「権限を手に入れたユウカが、日頃の鬱憤から自主的に魔王となった可能性も残っています」

 

エイミ「ありそう」

 

先生「ヒマリ」

 

ヒマリ「冗談です。七割ほどは」

 

 冗談の割合が低い。

 

 ユズがメニューを開き、慌ただしく操作を始めた。

 

ユズ「一度ログアウトして、外から修正を……」

 

 その手が止まった。

 

 メニューの終了ボタンは灰色に染まっている。

 

ユズ「ログアウトできない……」

 

モモイ「え?」

 

 全員が自分の画面を開く。

 

 どのメニューでも、ログアウトボタンは反応しなかった。

 

トキ「緊急切断を試行します」

 

 トキが空中へコマンドを入力する。

 

 応答はない。

 

エイミ「外から止めれば?」

 

ヒマリ「外部からの通信が遮断されています。緊急停止信号も、中核AIによって却下されました」

 

ケイ「却下?」

 

ヒマリ「理由は『予算不足』だそうです」

 

モモイ「緊急停止にも予算がいるの!?」

 

ユズ「そんな設定、してない……」

 

ヒマリ「ユウカの会計管理データと、魔王の敵対行動が混ざり合っていますね。私たちの操作を、すべて未承認の支出として弾いているようです」

 

先生「外へ出る方法は?」

 

ユズ「エンディング後には、全参加者を自動切断する処理があります。でも、そのためには……」

 

 全員の前に、メインクエストが表示された。

 

 囚われの勇者アリスを救い出せ。

 

 帳簿の魔王ユー・カを倒し、世界を救え。

 

 想定クリア時間、七十二時間。

 

モモイ「増えてる!」

 

ミドリ「昨日までは四十八時間だったよね?」

 

ユズ「会計聖印を集めるクエストが追加されてる……」

 

ヒマリ「ユウカの承認手順が混ざった結果でしょう。七十二時間も同じ場所へ閉じ込められれば、この華麗なる病弱美少女の精神が暇で衰弱してしまいます」

 

エイミ「身体じゃなくて暇で衰弱するんだ」

 

ヒマリ「退屈は大敵です」

 

ケイ「アリスの状態は?」

 

ユズ「接続は安定してる。意識も消えてない。でも、檻から出すには魔王城を攻略しないと……」

 

ケイ「なら、進みます」

 

 ケイは遠くに浮かぶ魔王城へ視線を向けた。

 

先生「心配だね」

 

ケイ「当然です。アリスはまた、本人の意思と関係なく勇者という役割を押しつけられている」

 

先生「うん」

 

ケイ「魔王も同じでしょう。ユウカが望んであそこにいるとは思えません」

 

 ケイは杖を強く握った。

 

ケイ「二人とも連れ戻します」

 

先生「そうしよう」

 

モモイ「よーし! 勇者アリスと魔王ユウカを救出して、このクソゲーをクリアするよ!」

 

ユズ「ク、クソゲー……」

 

モモイ「あっ」

 

 ユズの目に薄く涙が浮かぶ。

 

モモイ「違うよ、ユズ! 愛すべきクソゲー! バグは多いけど、根っこは神ゲーって意味だから!」

 

ミドリ「今は励まさないほうがいいと思う」

 

ユズ「だ、大丈夫……。私も、かなりクソゲーだと思うから……」

 

 ユズ本人の認定が出てしまった。

 

 視界の隅で、アロナとプラナがシステム画面を広げている。

 

プラナ「先生。シッテムの箱から内部状態の観測は可能です。ただし、参加者の意識と仮想空間が同期しているため、強制切断には危険が伴います」

 

アロナ「つまり、ゲームをクリアすればいいんですね!」

 

プラナ「現状では、それが最も安全です」

 

アロナ「簡単です! 魔王のお城へ一直線に走りましょう!」

 

プラナ「七つの会計聖印が必要です」

 

アロナ「門を壊せば入れます!」

 

プラナ「発想が蛮族です」

 

 アロナは両手で門を押し倒す動作を始めた。

 

 参考にしないでおこう。

 

先生「まずは、何ができるか確かめよう。ユズ、最短経路は分かる?」

 

ユズ「は、はい。最初の町で冒険者登録をして、会計聖印の場所を聞くのが本来の流れです。でも、開発用の移動経路やバグを使えば、かなり短縮できると思います」

 

ヒマリ「不具合を積極的に利用して、不具合を攻略する。美しくはありませんが、合理的ですね」

 

モモイ「クソゲーにはクソゲーなりの攻略法があるんだよ!」

 

ケイ「誇らしげに言うことではありません」

 

トキ「隊列を決めます。私が前方、エイミが後方を警戒。先生は中央へ」

 

先生「私は村人だけど、戦わなくていいのかな?」

 

トキ「攻撃力一です」

 

先生「木の棒はあるよ」

 

トキ「敵を刺激するだけなので、使用しないでください」

 

 町へ向かって歩き始める。

 

 ヒマリは車椅子に乗り、エイミがその背を押している。仮想空間でも、普段と変わらない組み合わせだ。

 

ヒマリ「エイミ。もう少し優雅に押してください」

 

エイミ「優雅に?」

 

ヒマリ「風景が流れていく速度から、超天才の余裕を感じられる程度に」

 

エイミ「分かった」

 

 エイミが勢いよく車椅子を押した。

 

 金色の翼が展開し、ヒマリの車椅子が猛烈な速度で加速する。

 

ヒマリ「速すぎます、エイミ!」

 

 ヒマリは草原の向こうへ消えた。

 

 数秒後、遠くで爆発音が響く。

 

モモイ「ヒマリ先輩が何かにぶつかった!」

 

エイミ「優雅じゃなかった?」

 

先生「少し速かったかもしれないね」

 

 全員で追いかける。

 

 丘を越えた先で、車椅子が巨大なスライムに突き刺さっていた。

 

 透明な青い身体を持つ、先生の身長を越えるほどのスライムだ。

 

 ヒマリは車椅子ごと半分ほど飲み込まれながら、平然と腕を組んでいる。

 

ヒマリ「想定外の接触事故です」

 

エイミ「大丈夫?」

 

ヒマリ「少し冷たくて、少しべたつきます」

 

モモイ「ボススライムだ! 序盤の草原には出ないはずなのに!」

 

ユズ「敵の出現位置も混ざってる……」

 

 スライムが震え、ヒマリを完全に取り込もうとする。

 

トキ「救出します」

 

 トキが剣を抜き、スライムへ踏み込んだ。

 

 横一閃。

 

 青い身体が真っ二つに切れる。

 

 ヒマリと車椅子が地面へ落ち、スライムの体力ゲージが消滅した。

 

 ところが、青い粒子は消えなかった。

 

 粒子が空中へ集まり、人の輪郭を作っていく。

 

 長い黒髪。

 

 鋭い眼差し。

 

 見慣れた制服の上半身。

 

 ただし、腰から下は半透明のスライムだった。

 

 その姿が完成した瞬間、全員が固まった。

 

リオ「……これは、どういう状況?」

 

モモイ「会長!?」

 

ミドリ「リオ先輩!?」

 

トキ「会長」

 

 スライムの身体になったリオは、自分の下半身を見下ろした。

 

 半透明の塊が、ぷるんと揺れる。

 

リオ「なぜ私は、スライムになっているの?」

 

 いつもと変わらない冷静な声だった。

 

 ただし、目元には明確な困惑がある。

 

 ヒマリが車椅子の向きを整え、口元へ手を添えた。

 

ヒマリ「ふふ」

 

リオ「明星ヒマリ」

 

ヒマリ「ふふふふ」

 

リオ「説明して」

 

ヒマリ「緊急時に備え、このゲームには外部監督者を内部へ招集する機能を仕込んでおきました」

 

リオ「初耳ね」

 

ヒマリ「説明書の二千九百七十四ページに記載しています」

 

リオ「あなたが送ってきたのは目次だけよ」

 

ヒマリ「ならば、見落としても仕方ありませんね」

 

リオ「本文を送らなかったあなたの責任でしょう」

 

 ヒマリは聞こえなかったように髪を払う。

 

ヒマリ「最高管理者権限を持つ人物を、付近で最も生成コストの低いNPCへ一時的に接続する仕組みです。おかげで、外にいるリオを無事に召喚できました」

 

リオ「それがスライムだったのね」

 

ヒマリ「はい」

 

リオ「ほかの候補は?」

 

ヒマリ「妖精、子猫、村の少女などがありました」

 

リオ「なぜスライムを選んだの?」

 

ヒマリ「ランダムです」

 

リオ「本当に?」

 

ヒマリ「はい」

 

 リオは無言でヒマリを見る。

 

 ヒマリも優雅な笑みを崩さない。

 

 数秒間、二人の視線がぶつかり合った。

 

エイミ「部長、楽しそうだね」

 

ヒマリ「超天才として緊急事態へ適切に対処しただけです」

 

リオ「では、なぜ私のスライムだけ、ヒマリの車椅子を優先して捕食するよう設定されていたの?」

 

ヒマリ「細かなバグでしょう」

 

リオ「解除して」

 

ヒマリ「管理権限が不足しています」

 

リオ「あなたを吸収すれば、権限を取得できるかしら」

 

ヒマリ「できません。エイミ、三メートル離れてください」

 

 エイミが車椅子を後ろへ引いた。

 

 リオのスライム部分が伸び、ヒマリの足元を狙う。ヒマリは寸前で回避した。

 

モモイ「会長がスライムで攻撃してる!」

 

ミドリ「止めたほうがいいのかな……」

 

ケイ「放置しても大きな危険はないでしょう」

 

先生「二人とも、それくらいにしようか」

 

 リオの動きが止まる。

 

 ヒマリも、何事もなかったように姿勢を正した。

 

リオ「先生も接続していたのね」

 

先生「うん。いろいろあって、ログアウトできなくなったんだ」

 

リオ「外部からも確認したわ。緊急停止命令が、予算不足という理由で拒否されている」

 

ヒマリ「やはり、仮想世界のユウカが管理権限を握っていますね」

 

リオ「ユウカ?」

 

モモイ「会長、びっくりしないでね。ユウカが魔王になったんだよ!」

 

リオ「そう」

 

モモイ「あれ? あんまり驚かない」

 

リオ「ユウカが不在で、代わりに会計処理を行う魔王が出現したのでしょう。推測は容易よ」

 

先生「本人はユー・カって名乗ってたよ」

 

リオ「そう」

 

エイミ「帳簿を持ってた」

 

リオ「そう」

 

トキ「来期予算をゼロにすると宣言していました」

 

 リオのスライム部分が大きく波打った。

 

リオ「それは困るわね」

 

ヒマリ「驚いたのはそこですか?」

 

リオ「ミレニアム全体の予算に関わる問題よ」

 

ヒマリ「本人が魔王へ変えられたことよりも?」

 

リオ「ユウカなら、魔王になっても会計処理は正確でしょう」

 

先生「リオなりの信頼なんだね」

 

リオ「評価よ」

 

 リオの視線がわずかに逸れた。

 

 その間にも、スライムの下半身は無意識に周囲の草を吸収している。

 

 草を取り込むたび、頭上に小さな通知が出る。

 

 薬草を入手しました。

 

 薬草を入手しました。

 

 雑草を入手しました。

 

 虫を入手しました。

 

リオ「……この通知を止める方法は?」

 

ユズ「な、ないです……」

 

リオ「そう」

 

 リオは少しだけ遠い目をした。

 

 町の入り口には、重厚な鎧を着た門番が立っていた。

 

 その背後には高さ十メートルほどの巨大な門があり、固く閉ざされている。

 

門番「止まれ。町へ入りたければ、入場料を支払え」

 

モモイ「いくら?」

 

門番「一人一万クレジット」

 

モモイ「高っ!」

 

ミドリ「初期所持金は一人百クレジットしかないよ」

 

門番「支払えぬ者は、入場申請書を提出せよ」

 

ユズ「申請書はどこにありますか?」

 

門番「町の役所で配布している」

 

ケイ「役所は?」

 

門番「門の中だ」

 

 全員が黙った。

 

門番「入場料を支払え」

 

モモイ「入れないから申請書が取れないんだって!」

 

門番「入場料を支払え」

 

モモイ「話を聞いて!」

 

門番「入場料を支払え」

 

 門番の表情は動かない。

 

 モモイが地面を踏み鳴らす。

 

ヒマリ「見事な循環参照です。ユウカの申請手続きを正確に再現しようとして、入口と出口を同じ場所へ配置したのでしょう」

 

リオ「ユウカの手続きは、ここまで非合理的ではないわ」

 

ヒマリ「庇うのですか?」

 

リオ「事実を訂正しただけよ」

 

先生「別の入口はないのかな?」

 

トキ「城壁を越えることは可能です。ただし、先生を抱えた状態では着地精度が下がります」

 

先生「どれくらい?」

 

トキ「成功率は六十八パーセントです」

 

先生「残りの三十二パーセントは?」

 

トキ「先生が城壁へ衝突します」

 

先生「ほかの方法を探そうか」

 

トキ「賢明です」

 

 視界の端でアロナが門を指差す。

 

アロナ「先生、やはり破壊しましょう!」

 

プラナ「門の耐久値は一千万です。先生の攻撃力では、一千万回殴る必要があります」

 

アロナ「一日十回なら、たった千日です!」

 

プラナ「計算が間違っています」

 

アロナ「先生は運がいいので、途中で何か起きます!」

 

プラナ「攻略法を運任せにしないでください」

 

 私は門の横にある壁へ目を向けた。

 

 そこには、町の住民向けらしい小さな通用口がある。

 

 扉には、村人専用と書かれていた。

 

先生「私なら、あそこを通れるかもしれないね」

 

トキ「先生一人で入ることになります。推奨できません」

 

先生「中から門を開けるだけだよ」

 

ケイ「何かあれば、すぐに戻ってきてください」

 

先生「分かった」

 

 通用口の前へ立つ。

 

 頭上の村人Bという職業表示が光り、扉が自動的に開いた。

 

 中へ一歩入ると、目の前に小さな操作盤があった。

 

 開門。

 

 閉門。

 

 門を持ち帰る。

 

 選択肢が三つ並んでいる。

 

先生「どうして、門を持ち帰れるんだろう」

 

アロナ「お土産です!」

 

プラナ「門を土産にする人物はいません」

 

アロナ「シャーレの入口につけましょう!」

 

プラナ「サイズを考えてください」

 

 普通に開門を選ぶ。

 

 巨大な門が、音を立てながら上昇した。

 

モモイ「先生、すごい!」

 

ケイ「村人が最も強い権限を持っているのは、設計として正しいのですか?」

 

ユズ「町の住民なら、門を使うから……」

 

ヒマリ「非常時において、最も地味な権限が突破口となる。興味深いですね」

 

リオ「不正侵入であることに変わりはないわ」

 

先生「門番には内緒にしておこう」

 

門番「入場料を支払え」

 

 門番は開いた門の横で、まだ同じ台詞を繰り返していた。

 

 町の広場に入ると、掲示板へ七枚の依頼書が貼られている。

 

 七つの会計聖印の場所を示すクエストだ。

 

 第一の聖印は、領収書の洞窟。

 

 第二の聖印は、凍結決算の雪山。

 

 第三の聖印は、複式簿記の迷宮。

 

 第四の聖印は、用途不明金の沼。

 

 第五の聖印は、予備費の塔。

 

 第六の聖印は、減価償却の墓場。

 

 第七の聖印は、監査竜の巣。

 

モモイ「何一つ冒険したくなる名前がない!」

 

ミドリ「ユウカ先輩の影響が強すぎるよ……」

 

エイミ「雪山は行きたい」

 

ヒマリ「複式簿記の迷宮には、私も興味があります」

 

エイミ「私はない」

 

ケイ「すべて回る時間はありません。短縮方法は?」

 

ユズ「最初の聖印を取るときに、所持品画面を高速で開閉すると……取得処理が重複するバグがあって……」

 

リオ「なぜ修正していないの?」

 

モモイ「大量にアイテムが増えるの、楽しいでしょ?」

 

リオ「予算の増額について、再検討が必要ね」

 

モモイ「まだ完成前だから! 今直してる途中だから!」

 

リオ「現在進行形で参加者が閉じ込められているけれど」

 

モモイ「返す言葉がない!」

 

 最短の領収書の洞窟は、町の地下にあった。

 

 入口には受付用の机が置かれ、無数の用紙が積まれている。

 

受付「洞窟へ入るには、探索許可申請書を記入してください」

 

モモイ「今度は中に入る前に申請書がある!」

 

ミドリ「少し成長したね」

 

受付「記入項目は九百九十九個です」

 

モモイ「成長してない!」

 

 申請書を開く。

 

 氏名、年齢、所属、職業から始まり、洞窟内で転倒した際の責任所在、発見した鉱石の所有権、松明使用時の二酸化炭素排出量まで記入を要求されている。

 

ユズ「これ、全部書くの……?」

 

ヒマリ「私なら二分です」

 

エイミ「全員分お願い」

 

ヒマリ「超天才を単純作業へ使わないでください」

 

リオ「管理者権限で省略できないか試すわ」

 

 リオがスライム部分を伸ばし、受付の机に触れた。

 

 青い身体が机と用紙をまとめて包み込む。

 

 書類を入手しました。

 

 受付台を入手しました。

 

 受付NPCの椅子を入手しました。

 

 受付NPCを入手しました。

 

受付「洞窟へ入るには、探索許可申請書を記入してください」

 

 リオのスライムの中で、受付が同じ台詞を繰り返している。

 

リオ「……今のは意図していないわ」

 

ヒマリ「管理者権限ではなく、スライムの捕食能力ですね」

 

リオ「出す方法は?」

 

ユズ「取得物一覧から……」

 

 リオがメニューを操作する。

 

 受付NPCだけが排出され、地面に転がった。

 

受付「洞窟へ入るには、探索許可申請書を記入してください」

 

リオ「申請書は、私の所持品にある」

 

受付「記入済み申請書を提出してください」

 

リオ「あなたも私の所持品に入っていた」

 

受付「記入済み申請書を提出してください」

 

リオ「私が受付を所有しているのなら、申請は不要では?」

 

受付「…………」

 

 受付NPCが固まった。

 

 頭上に処理中という文字が表示される。

 

 数秒後。

 

受付「申請を承認しました」

 

 洞窟の扉が開いた。

 

ヒマリ「スライムが法制度を破壊しましたね」

 

リオ「所有権に関する矛盾を指摘しただけよ」

 

先生「理屈で突破するところはリオらしいね」

 

 リオは少しだけ胸を張った。

 

 その下でスライムがぷるんと揺れたため、威厳は長く続かなかった。

 

 洞窟内部には、紙でできたコウモリが飛び回っていた。

 

 奥からは、脚の生えた領収書の群れが迫ってくる。

 

領収書「宛名がありません!」

 

領収書「但し書きが空欄です!」

 

領収書「提出期限を過ぎています!」

 

モモイ「うわっ、嫌な敵!」

 

ミドリ「お姉ちゃん。普段からちゃんと提出してれば怖くないよ」

 

モモイ「ゲームの中まで追いかけてこないでよ!」

 

 領収書の一枚がモモイの顔へ貼りついた。

 

モモイ「前が見えない!」

 

領収書「用途不明!」

 

モモイ「ゲーム機の部品だよ!」

 

領収書「私的利用の疑い!」

 

モモイ「部活動だってば!」

 

 トキが剣の腹で領収書を払い落とす。

 

トキ「モモイ。後退してください」

 

モモイ「助かった!」

 

トキ「帰還後、現実の領収書も整理することを推奨します」

 

モモイ「敵が増えた!」

 

 エイミの氷魔法が放たれる。

 

 冷気が洞窟全体を走り、領収書の群れをまとめて凍結させた。

 

エイミ「倒した」

 

ユズ「威力が……想定の十倍になってる……」

 

モモイ「数字を入力したの、誰?」

 

ユズ「モモイちゃん」

 

モモイ「昔の私、豪快だね!」

 

ミドリ「昨日のことだよ」

 

 洞窟の奥には、巨大な金庫が置かれていた。

 

 その前で、全身を紙幣に覆われた巨人が立ち上がる。

 

 頭上に表示された名前は、経費精算の守護者。

 

守護者「領収書を提出せよ」

 

モモイ「持ってない!」

 

守護者「却下」

 

 巨大な赤い判子が飛んでくる。

 

 トキが前へ出て斬り払う。判子は二つに割れたが、分裂したそれぞれに却下の文字が浮かび、左右から襲ってきた。

 

トキ「分裂を確認しました」

 

ケイ「ケイが動作を止めます」

 

 鍵を模した杖を振る。

 

 守護者の胸元へ光の鍵穴が現れ、その両腕が固定された。

 

ケイ「今です」

 

ミドリ「エイミ先輩、足元を!」

 

エイミ「分かった」

 

 床が凍る。

 

 トキが滑る氷の上を駆け、守護者の懐へ入った。

 

 剣が紙幣の鎧を切り裂く。

 

 モモイとミドリの攻撃が続き、ユズの炎魔法が胸元へ命中した。

 

 紙幣の巨人が炎上する。

 

モモイ「お金が燃えてる!」

 

リオ「仮想データよ」

 

モモイ「それでも心が痛い!」

 

ヒマリ「ユウカが見たら、魔王形態でなくとも激怒しそうですね」

 

 守護者が最後の力で腕を振り上げる。

 

 大量の申請書が、鋭い刃のように降り注いだ。

 

ユズ「避けて!」

 

 トキが私の前へ立ち、剣で紙の刃を弾く。

 

 エイミの氷壁が後方を守った。

 

 ヒマリが杖を掲げる。

 

ヒマリ「超天才の前で、紙面による情報攻撃とは浅はかですね」

 

 空中に巨大な光の画面が出現した。

 

 申請書の文章が読み取られ、すべての不備へ赤い印がついていく。

 

ヒマリ「誤字二百七件。書式不統一百四十二件。論理矛盾四百八十六件。これでは私の眼前へ提出する価値もありません」

 

 申請書の群れが空中で停止した。

 

 それぞれが自分の不備を確認するように震え始める。

 

申請書「再提出……」

 

申請書「修正が必要……」

 

申請書「自信がない……」

 

 書類の群れが力なく床へ落ちた。

 

 守護者の体力もゼロになる。

 

エイミ「倒したの?」

 

ヒマリ「文書としての存在意義を失わせました」

 

ケイ「精神攻撃ですか」

 

ヒマリ「査読です」

 

 守護者の身体が消え、金庫の扉が開く。

 

 中には、一枚の領収書が浮かんでいた。

 

 金額、ゼロクレジット。

 

 品名、会計聖印。

 

 宛名、勇者一行様。

 

モモイ「これ、領収書なの?」

 

リオ「形式上は問題ないわ」

 

モモイ「金額ゼロでも?」

 

リオ「無料で取得したのでしょう」

 

ヒマリ「魔王ユウカの影響を受けながら、最終的には無料配布。会計思想が揺れていますね」

 

先生「ユウカ自身が抵抗してるのかもしれない」

 

ケイ「可能性はあります。先ほどの魔王も、私たちを本気で排除するより、手続きへ従わせようとしていました」

 

モモイ「魔王になってもユウカだね」

 

ミドリ「お姉ちゃん。だからって、油断しないでね」

 

 私は金庫へ近づき、領収書へ手を伸ばした。

 

 触れると同時に、所持品画面を開く。

 

 会計聖印を入手しました。

 

 画面を閉じ、もう一度開く。

 

 会計聖印を入手しました。

 

 開閉を繰り返すたび、取得通知が増えていく。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 四つ。

 

 五つ。

 

 六つ。

 

 七つ。

 

 成功した。

 

 しかし、そこで通知は止まらなかった。

 

 八つ。

 

 九つ。

 

 十。

 

 百。

 

 千。

 

先生「画面が止まらないね」

 

ユズ「バグが暴走してます!」

 

 金庫から領収書が噴き出した。

 

 紙の奔流が洞窟を満たし、全員を押し流していく。

 

モモイ「増えすぎーっ!」

 

ミドリ「先生、画面を閉じて!」

 

先生「閉じても開くんだよね」

 

アロナ「先生、連打です!」

 

プラナ「連打した結果が現在の状況です」

 

アロナ「では、もっと速く!」

 

プラナ「悪化させないでください」

 

 領収書の山が膝の高さを越える。

 

 トキが私の腕を掴み、紙の波から引き上げた。

 

トキ「先生、こちらへ」

 

先生「ありがとう」

 

 リオのスライム部分が、流れてきた領収書を次々と吸収する。

 

 所持品の取得通知が猛烈な速度で表示されていた。

 

リオ「処理が追いつかないわ」

 

ヒマリ「会計聖印を一万二千個所持したスライム。実に縁起がよさそうです」

 

リオ「あなたも取り込めば、少しは容量が増えるかしら」

 

ヒマリ「エイミ、後退してください」

 

 エイミが車椅子を押す。

 

 今度は適度な速度だった。

 

 ユズが杖を操作し、何とか取得処理を停止させた。

 

 紙の波が消える。

 

 リオの所持品には、会計聖印が一万三千六百二十四個入っていた。

 

リオ「七つだけ残して、破棄するわ」

 

モモイ「待って! 売ればお金になるかも!」

 

リオ「一つゼロクレジットよ」

 

モモイ「一万個あれば?」

 

リオ「ゼロクレジット」

 

モモイ「夢がない!」

 

 七つの会計聖印を所持した瞬間、魔王城への転送門が開いた。

 

 黒い渦の向こうに、燃え上がる城が見える。

 

エイミ「雪山は?」

 

ユズ「最短経路だと行かなくていいです」

 

エイミ「残念」

 

ヒマリ「凍結決算の雪山へ寄る必要はありません」

 

エイミ「少しだけ」

 

ケイ「アリスとユウカの救出が先です」

 

エイミ「分かった。魔王城を凍らせる」

 

モモイ「代わりになるの!?」

 

 転送門をくぐる。

 

 強い光の後、私たちは魔王城の前へ降り立った。

 

 城門には、七つの窪みが並んでいる。

 

 リオがスライムの身体から七つの会計聖印を取り出し、一つずつ窪みへ収めた。

 

 城門が開く。

 

 しかし、その先には壁しかなかった。

 

モモイ「入口がない!」

 

ユズ「城門と城の座標が、ずれてる……」

 

ミドリ「どれくらい?」

 

ユズ「本当の入口は……城の反対側」

 

モモイ「反対側!?」

 

 城は巨大な溶岩の湖に囲まれている。

 

 反対側へ回るには、かなりの距離を歩かなければならない。

 

ヒマリ「私の華麗なる頭脳はともかく、病弱な身体には負担ですね」

 

エイミ「押すよ」

 

ヒマリ「先ほどの速度はやめてください」

 

リオ「私の身体なら、溶岩の上を進める可能性があるわ」

 

ヒマリ「スライムは火に弱いのでは?」

 

リオ「これは最高管理者用のアバターよ。耐性を持っているはず」

 

ヒマリ「試してみましょう」

 

 ヒマリが杖の先でリオの背中を押した。

 

リオ「待ちなさ――」

 

 リオが溶岩へ落ちた。

 

 じゅっ、と音が鳴る。

 

 半透明の身体が赤くなり、勢いよく膨張した。

 

 次の瞬間、風船のように空へ浮かび上がる。

 

リオ「…………」

 

 スライムのリオが、ゆっくり上昇していく。

 

モモイ「会長が浮いた!」

 

ミドリ「熱膨張……?」

 

ヒマリ「予想通りです」

 

リオ「あなた、今考えたでしょう」

 

ヒマリ「超天才は結果から逆算して発言できます」

 

リオ「降ろして」

 

ヒマリ「このまま城の反対側まで運んでもらいましょう」

 

 リオのスライム部分から、細長い触手が伸びる。

 

 ヒマリの車椅子へ巻きついた。

 

ヒマリ「何をしているのですか?」

 

リオ「同行者を確保しているだけよ」

 

 車椅子ごとヒマリの身体が持ち上がる。

 

ヒマリ「エイミ、助けてください」

 

エイミ「部長、楽しそう」

 

ヒマリ「楽しんでいません!」

 

 浮遊するリオにヒマリが吊り下げられ、その後を全員で追う。

 

 ゲーム世界を救う勇者一行には、到底見えない光景だった。

 

 城の反対側には、確かに入口があった。

 

 ただし、扉は高さ一メートルほどしかない。

 

先生「小さいね」

 

モモイ「しゃがめば通れるよ!」

 

 モモイが先にくぐる。

 

 ミドリ、ユズ、ケイ、エイミも続いた。

 

 トキは入口の前で膝をつき、内部を確認してから入っていく。

 

 リオは身体を液状に変形させ、難なく通過した。

 

 残ったヒマリが、小さな扉と自分の車椅子を見比べる。

 

ヒマリ「通れません」

 

エイミ「歩く?」

 

ヒマリ「五歩で力尽きます」

 

エイミ「引きずる?」

 

ヒマリ「清楚な美少女へ提案する方法ではありません」

 

リオ「私が吸収して運びましょうか」

 

ヒマリ「遠慮します」

 

リオ「最も合理的よ」

 

ヒマリ「あなたの所持品欄で受付NPCと同じ扱いを受けたくありません」

 

先生「車椅子を折り畳めないかな?」

 

ヒマリ「仮想装備ですので、収納は可能です。しかし収納すると、私の足場がなくなります」

 

先生「私がおぶろうか?」

 

ヒマリ「先生が?」

 

先生「入口を通る間だけなら」

 

ヒマリ「なるほど。超天才清楚系病弱美少女を背負うという、非常に名誉ある役割を先生へ――」

 

トキ「却下します」

 

 扉の向こうから、トキだけが戻ってきた。

 

トキ「先生の筋力は一です。ヒマリ先輩を背負った場合、移動不能になる可能性があります」

 

ヒマリ「私は軽量です」

 

トキ「先生の所持品にある木の棒より、わずかに重い程度でしょうか」

 

ヒマリ「比較対象が失礼ですね」

 

 結局、トキがヒマリを抱え、私が収納された車椅子を運んだ。

 

 城内へ入って車椅子を出すと、ヒマリは何事もなかったように座り直した。

 

ヒマリ「先生に抱えられる機会を逃しました」

 

トキ「安全を優先しました」

 

ヒマリ「ええ。実に正しい判断です」

 

 そう言いながらも、ヒマリは少しだけ残念そうだった。

 

 城内は、巨大な会計事務所になっていた。

 

 廊下の左右に机が並び、骸骨の職員たちが猛烈な勢いで書類を処理している。

 

骸骨職員「残業……」

 

骸骨職員「締め切り……」

 

骸骨職員「差し戻し……」

 

モモイ「魔王城というより職場だよ!」

 

リオ「適切な労働管理が必要ね」

 

ヒマリ「リオが言うと趣がありますね」

 

リオ「どういう意味?」

 

ヒマリ「深い意味はありません」

 

 廊下を進むと、巨大な改札が道を塞いでいた。

 

 上には、経費精算済みの者だけ通行可能と表示されている。

 

 私たちの頭上には、未精算という赤い文字が浮かんでいた。

 

モモイ「ここまで来て、また申請!?」

 

ユズ「会計聖印を持ってるから、どこかに承認処理が……」

 

リオ「聖印を改札へ接触させてみるわ」

 

 リオが一つ差し出す。

 

 改札が聖印を読み取った。

 

 承認されました。

 

 リオが通過する。

 

 その直後、改札が閉じた。

 

モモイ「一人一枚必要なの?」

 

リオ「聖印は残っているわ」

 

 スライムの中から同じ聖印を取り出す。

 

 どうやら所持数が減っていない。

 

ユズ「消費処理が、リオ先輩の身体に吸収されてる……」

 

ヒマリ「無限会計聖印ですね」

 

リオ「全員分を処理するわ」

 

 リオが改札の反対側から聖印を差し出す。

 

 ヒマリが通過。

 

 エイミが通過。

 

 トキ、ケイ、ミドリ、ユズ。

 

 モモイの番になる。

 

 改札へ聖印が触れた。

 

 警告音が鳴る。

 

 未提出の領収書が百二十七件あります。

 

モモイ「現実の情報まで読んでる!」

 

ミドリ「お姉ちゃん……」

 

モモイ「今は関係ないでしょ!」

 

 改札から大量の赤い腕が伸び、モモイを取り囲む。

 

モモイ「何これ!?」

 

改札「精算が完了するまで、通行できません」

 

モモイ「待って、今は世界を救う途中なんだよ!」

 

改札「領収書を提出してください」

 

モモイ「部室にある!」

 

改札「原本を提出してください」

 

モモイ「ログアウトできないんだってば!」

 

改札「原本を提出してください」

 

 赤い腕がモモイを掴んだ。

 

 そのまま壁の中へ引きずり込もうとする。

 

モモイ「助けてーっ!」

 

ミドリ「お姉ちゃん!」

 

 ミドリが腕を引き、トキが赤い手を斬り払う。

 

 しかし、改札からさらに多くの腕が生えてくる。

 

ユズ「領収書の代わりになるものがあれば……!」

 

ヒマリ「リオ。先ほど取り込んだ書類を」

 

リオ「一万三千枚の会計聖印しかないわ」

 

ヒマリ「金額ゼロの領収書でしたね」

 

リオ「ええ」

 

ヒマリ「束にすれば、金額も増えるでしょう」

 

リオ「ゼロは何枚束ねてもゼロよ」

 

ヒマリ「融通が利きませんね」

 

リオ「算数よ」

 

 モモイの身体が半分ほど壁へ引き込まれる。

 

モモイ「先生! 私、会計の壁に食べられる!」

 

先生「モモイ。現実の領収書は、本当に全部部室にある?」

 

モモイ「たぶん!」

 

先生「なくしたものは?」

 

モモイ「三枚くらい……」

 

改札「虚偽申告を検知」

 

モモイ「七枚!」

 

改札「虚偽申告を検知」

 

モモイ「十五枚!」

 

改札「虚偽申告を検知」

 

モモイ「分かんないよーっ!」

 

 赤い腕がさらに力を強めた。

 

 私は改札へ近づく。

 

先生「正確な数が分からないなら、分からないって申告しよう」

 

モモイ「それで通れるの!?」

 

先生「通れないかもしれない。でも、ここで数字を適当に言い続けても、たぶん状況はよくならないよ」

 

 モモイは壁と私を見比べる。

 

 やがて、観念したように息を吐いた。

 

モモイ「領収書、ちゃんと整理してませんでした! なくした枚数も分かりません! 帰ったら全部確認します!」

 

 赤い腕が止まった。

 

改札「反省文を受理しました」

 

 承認音が鳴る。

 

 腕がモモイを解放した。

 

 床へ転がったモモイを、ミドリとユズが引き起こす。

 

モモイ「本当に通れた……」

 

先生「ユウカは、間違えたことより、隠したままにされるほうが困ると思うからね」

 

リオ「その通りよ。誤差の存在が分かれば、調査できる。存在しないと報告されれば、調査の対象にもできない」

 

モモイ「会長まで真面目な話を……」

 

リオ「当然でしょう」

 

 リオが腕を組む。

 

 スライムの中で、先ほど取り込んだ受付台が浮かび上がった。

 

モモイ「全然真面目に見えない!」

 

リオ「この身体はヒマリが選んだものよ」

 

ヒマリ「ランダムです」

 

 改札を抜けると、大広間へ出た。

 

 中央には巨大な天秤が置かれている。

 

 片方の皿には「世界」。もう片方には「予算」と書かれていた。

 

天秤「世界を救うには、相応の予算が必要です」

 

モモイ「急に現実的!」

 

天秤「支払いますか?」

 

 要求金額は、一億クレジット。

 

 一行の所持金を合計しても、千クレジットに届かない。

 

エイミ「足りない」

 

ヒマリ「正面からの支払いは不可能ですね」

 

リオ「管理者権限で予算を追加できないか試すわ」

 

 リオが天秤へ触れる。

 

 警告。

 

 最高財務権限者ユー・カの承認が必要です。

 

モモイ「魔王に会うために、魔王の承認がいるの!?」

 

ユズ「ユウカ先輩の承認フローが、全部の扉に設定されてる……」

 

ケイ「本人が奥にいる以上、正規の方法では進めませんね」

 

先生「この天秤、本当にお金の価値を見てるのかな」

 

 私は皿を覗き込んだ。

 

 表示されているのは予算という文字だけで、通貨を投入する穴はない。

 

 試しに木の棒を置いてみる。

 

 予算、一クレジット。

 

先生「木の棒も予算になるね」

 

モモイ「じゃあ、アイテムをいっぱい置けばいいんだ!」

 

 全員が所持品を確認する。

 

 薬草。

 

 短剣。

 

 矢。

 

 魔法薬。

 

 受付台。

 

 受付NPCの椅子。

 

 雑草。

 

 虫。

 

 大量の会計聖印。

 

 主にリオが道中で吸収した物ばかりだった。

 

 それらを天秤へ載せる。

 

 予算額が少しずつ増えていく。

 

受付台、三百クレジット。

 

椅子、五十クレジット。

 

薬草、十クレジット。

 

雑草、一クレジット。

 

虫、二クレジット。

 

モモイ「虫のほうが雑草より高い!」

 

ケイ「重要なのはそこではありません」

 

 会計聖印を一つ載せる。

 

 価格、ゼロクレジット。

 

 何枚載せてもゼロだった。

 

リオ「当然ね」

 

ヒマリ「融通の利かない天秤です」

 

リオ「先ほどから、ゼロを何だと思っているの?」

 

 すべて載せても、一億には遠く及ばない。

 

 私は自分の装備欄を確認した。

 

 茶色い服。

 

 木の棒。

 

 その下に、村人Bの家という項目がある。

 

先生「家を持ってるみたいだね」

 

トキ「先生の所有物ですか?」

 

先生「職業特典らしいよ」

 

モモイ「売ろう!」

 

トキ「先生の家です」

 

先生「仮想空間の家だから大丈夫だよ」

 

 天秤へ家を載せる。

 

 実物があるわけではないが、所有権だけが移動したらしい。

 

 価格表示が回転する。

 

 九千九百九十九万九千クレジット。

 

 残り、千クレジット。

 

モモイ「惜しい!」

 

ミドリ「あと千だけ……」

 

 全員の所持品は空だった。

 

 リオのスライムの中にも、値段のつくものは残っていない。

 

 視界の隅でアロナが手を上げた。

 

アロナ「先生! 私を売ってください!」

 

プラナ「自分を商品にしないでください」

 

アロナ「高く売れる自信があります!」

 

プラナ「そもそもゲーム内アイテムではありません」

 

アロナ「プラナちゃんとセットなら、さらにお得です!」

 

プラナ「私まで含めないでください」

 

 却下だ。

 

 私は自分の職業欄を見る。

 

 村人B。

 

 この役割そのものを天秤へ載せられないだろうか。

 

 選択すると、確認画面が表示された。

 

 職業を売却しますか。

 

 売却後は、無職になります。

 

先生「村人の職業が千クレジットで売れるみたい」

 

トキ「先生。職を失います」

 

先生「仮想空間だからね」

 

ヒマリ「現実で行えば大問題ですが、ここでは合理的です」

 

ケイ「先生の戦闘能力は、すでに無職と大差ありません」

 

先生「少し寂しい言い方だね」

 

 村人Bを売却する。

 

 予算額が一億へ到達した。

 

 天秤が釣り合い、大広間の奥に階段が現れる。

 

 同時に私の服装が変化した。

 

 茶色い服が消え、白いシャツと黒いズボンだけになる。

 

 頭上の職業表示は、無職。

 

モモイ「先生が無職になった!」

 

先生「今日から頑張って就職先を探すよ」

 

ミドリ「先生にはシャーレの仕事がありますから!」

 

トキ「ゲーム内の表示です。現実の職務に影響はありません」

 

ヒマリ「ですが、先生の頭上に無職と表示され続けるのは、少々面白いですね」

 

リオ「記録しないように」

 

ヒマリ「すでに保存しました」

 

先生「削除してもらえる?」

 

ヒマリ「検討します」

 

 階段を上るにつれて、魔王の声が近づいてきた。

 

魔王「来ないでください!」

 

 城全体に、ユウカの声が響く。

 

 もう加工はほとんど外れていた。

 

魔王「これは警告です! ここから先へ進んだ場合、装備費、移動費、回復薬代をすべて自己負担にします!」

 

モモイ「ユウカ! 聞こえてるんでしょ!」

 

魔王「私はユウカではありません!」

 

モモイ「じゃあ、私の未提出の領収書は何枚!?」

 

魔王「四十二枚です!」

 

モモイ「やっぱりユウカだ!」

 

魔王「しまった……!」

 

 魔王城の奥から、悔しそうな声が聞こえた。

 

先生「ユウカ。今、そっちへ行くから」

 

魔王「来ないでください、先生!」

 

先生「それは魔王としての命令?」

 

魔王「…………」

 

先生「それとも、ユウカの言葉かな?」

 

 返事はない。

 

 代わりに、廊下の奥から大量の鎧が現れた。

 

 胸元には、予算削減と書かれている。

 

ヒマリ「本人の意思と魔王の命令が衝突していますね」

 

ケイ「ユウカは私たちを近づけたくない。おそらく、自分が何をするか分からないからでしょう」

 

トキ「敵性反応多数。迎撃します」

 

 トキが剣を抜く。

 

 予算削減の鎧が、一斉に槍を構えた。

 

 戦闘が始まった。

 

 トキが先頭へ飛び込み、敵の槍を弾く。モモイとミドリが左右へ展開し、ケイの鍵が鎧の関節を封じた。

 

 エイミが杖を振る。

 

 巨大な氷柱が廊下を貫き、敵をまとめて凍結させる。

 

エイミ「魔王城を凍らせた」

 

先生「雪山の代わりになった?」

 

エイミ「少しだけ」

 

 鎧が砕け、経験値の代わりに赤い数字が飛び出す。

 

 マイナス百。

 

 マイナス二百。

 

 マイナス五百。

 

ユズ「経験値が減ってる!」

 

モモイ「倒すほど弱くなるの!?」

 

ヒマリ「予算削減の名に恥じない敵ですね」

 

 モモイのレベルが五から四へ下がった。

 

 ミドリも四。

 

 トキは三。

 

 エイミの魔法が一つ使用不能になる。

 

エイミ「氷が小さくなった」

 

リオ「戦闘を続ければ不利になるわ」

 

ヒマリ「ならば、倒さずに無力化しましょう」

 

 ヒマリが杖を構えた。

 

 光の文字列が、凍結した鎧へ流れ込む。

 

ヒマリ「敵対行動を、予算執行として再定義。承認者を魔王へ変更します」

 

 鎧の頭上に、新たな表示が現れた。

 

 攻撃には魔王の個別承認が必要です。

 

 魔王へ申請中。

 

 承認待ち。

 

 鎧の動きが止まった。

 

モモイ「動かなくなった!」

 

ヒマリ「ユウカが一件ずつ確認しているのでしょう。数百体分の申請が同時に届けば、処理には相応の時間がかかります」

 

リオ「ユウカの事務処理能力なら、長くは持たないわ」

 

ヒマリ「では、さらに一万件追加します」

 

 ヒマリが指を鳴らした。

 

 同じ申請が複製され、魔王へ送信される。

 

 鎧の頭上に、待機時間推定三時間と表示された。

 

魔王「ヒマリ先輩! 同じ申請を複製しないでください!」

 

ヒマリ「聞こえませんね」

 

魔王「明らかな業務妨害です!」

 

ヒマリ「魔王が随分と常識的な苦情を言いますね」

 

リオ「先へ進みましょう」

 

 停止した鎧の間を抜ける。

 

 玉座の間へ続く大扉が見えた。

 

 その直前で、今度は巨大な計算機が天井から降ってくる。

 

計算機「最終監査を開始します」

 

モモイ「まだ何かあるの!?」

 

計算機「勇者一行が、ここまでに消費した経費を計算してください」

 

 空中に数字が表示された。

 

 移動費。

 

 装備費。

 

 回復費。

 

 洞窟修繕費。

 

 門の不正開放による損失。

 

 ヒマリの車椅子がスライムへ衝突したことによる治療費。

 

 リオの熱膨張による魔王城外壁への接触損害。

 

リオ「最後の項目はヒマリへ請求して」

 

ヒマリ「外壁へ接触したのはリオです」

 

リオ「押したのはあなたよ」

 

ヒマリ「因果関係の立証が必要ですね」

 

計算機「制限時間は十秒です」

 

モモイ「今、揉めてる場合じゃない!」

 

 数字が猛烈な速度で加算されていく。

 

 桁はすぐに億を超えた。

 

ミドリ「こんなの暗算できないよ!」

 

ヒマリ「私なら可能です」

 

リオ「私も計算できるわ」

 

ヒマリ「では、競争しましょう」

 

リオ「なぜ?」

 

ヒマリ「先に正解したほうが、今回の技術協力において優位だったと証明されます」

 

リオ「緊急事態よ」

 

ヒマリ「自信がないのですか?」

 

リオ「……いいでしょう」

 

先生「二人とも、目的を忘れないでね」

 

 ヒマリとリオが同時に計算を始める。

 

 ヒマリの周囲には無数の数式が展開され、リオのスライム部分には表計算画面が浮かび上がった。

 

計算機「残り五秒」

 

モモイ「間に合う!?」

 

ヒマリ「答えは、三億二千八百七十四万六千五百二十一クレジットです」

 

リオ「三億二千八百七十四万六千五百二十クレジットよ」

 

 二人の答えが、一だけ違った。

 

計算機「残り三秒」

 

ヒマリ「リオ。最後の一クレジットを見落としましたね」

 

リオ「いいえ。ヒマリが余計に加算している」

 

ヒマリ「私の計算は完璧です」

 

リオ「私もよ」

 

計算機「残り二秒」

 

 私は計算画面の端を見た。

 

 そこには、小さな項目が一つある。

 

 村人Bの木の棒使用料、一クレジット。

 

 木の棒は天秤へ置いたが、最初から所持していた装備だ。使用料というのはおかしい。

 

先生「最後の一クレジットは、請求自体が間違ってるんじゃないかな」

 

計算機「残り一秒」

 

リオ「三億二千八百七十四万六千五百二十クレジット」

 

 リオが答えを入力する。

 

 時間が止まった。

 

計算機「正解です」

 

 巨大な計算機が左右へ割れ、道を開く。

 

ヒマリ「…………」

 

リオ「私の勝ちね」

 

ヒマリ「先生の補助がありました」

 

リオ「指摘を反映して正答を選んだのは私よ」

 

ヒマリ「私が先に計算式を整理したから、先生も誤りへ気づけたのです」

 

リオ「負けを認められないの?」

 

ヒマリ「超天才に敗北はありません」

 

 ヒマリは頬を膨らませ、顔を背けた。

 

エイミ「部長、悔しい?」

 

ヒマリ「私は常に冷静です」

 

エイミ「そっか」

 

ヒマリ「ですが、帰還後に再計算します」

 

 十分に悔しそうだった。

 

 玉座の間の扉が開く。

 

 広間の中央には、黒い玉座が置かれていた。

 

 その上に、魔王ユー・カが座っている。

 

 黒い鎧。赤い外套。巨大な帳簿と端末。

 

 姿は完全にユウカだった。

 

 玉座の後ろには、透明な檻が浮かんでいる。その中でアリスがこちらへ手を振った。

 

アリス「先生! みなさん!」

 

モモイ「アリス!」

 

ミドリ「無事だったんだね!」

 

アリス「はい! 食事として毎日、回復薬が三本支給されました!」

 

ユズ「回復薬を飲んでたの……?」

 

アリス「イチゴ味でした!」

 

ケイ「後で身体に異常がないか確認します」

 

 魔王が帳簿を閉じる。

 

 その表情は険しい。

 

魔王「ここまで来てしまったんですね」

 

先生「迎えに来たよ、ユウカ」

 

魔王「私はユー・カです」

 

リオ「ユウカ」

 

魔王「何ですか、会長」

 

 即答だった。

 

 本人も気づき、顔を引きつらせる。

 

モモイ「やっぱりユウカじゃん!」

 

魔王「違います!」

 

リオ「その主張に合理性はないわ」

 

魔王「会長はどうしてスライムになっているんですか!?」

 

リオ「ヒマリに聞いて」

 

ヒマリ「緊急時の合理的判断です」

 

魔王「全然合理的に見えません!」

 

 魔王ユウカの声が、完全に普段の調子へ戻っている。

 

 けれども、黒い王冠は彼女の頭上に浮かんだままだ。

 

 赤い光が王冠から降り、ユウカの身体へ絡みつく。

 

 ユウカの表情が苦しげに歪んだ。

 

魔王「……これ以上、近づかないでください」

 

先生「ユウカ?」

 

魔王「私が皆さんを倒さなければ、この世界は終わらない。ログアウト処理も実行されません」

 

ユズ「魔王の敗北が、クリア条件になってるから……」

 

魔王「ですが、私は管理権限を持っています。皆さんの能力値も、装備も、予算も、すべて変更できる」

 

 端末へ数字が入力される。

 

 トキの剣が消えた。

 

 エイミの杖が消え、モモイとミドリの武器も光になって消滅する。

 

 ヒマリの車椅子から金色の翼が失われ、リオのスライム部分が一回り小さくなった。

 

リオ「なぜ私まで?」

 

魔王「維持費が高いからです」

 

リオ「妥当な判断ね」

 

ヒマリ「納得するのですか?」

 

 ケイの鍵杖にも赤い鎖が巻きついた。

 

 アリスの檻は、さらに高い場所へ持ち上げられる。

 

魔王「戦わずに戻ってください」

 

モモイ「戻れないから来たんだよ!」

 

魔王「なら、ここで待っていてください。私が外へ出る方法を探します」

 

先生「一人で?」

 

魔王「管理者は私です。私が責任を取るべきです」

 

先生「それは違うよ」

 

 ユウカの目がこちらへ向く。

 

先生「ユウカ一人の責任じゃない。ゲーム開発部も、依頼した側も、設計へ協力したヒマリも、最終確認に参加した私たちもいる」

 

魔王「でも、最後に承認したのは私です」

 

先生「それでも、一人で全部を背負っていい理由にはならないよ」

 

魔王「私がもっと厳しく確認していれば、こんなことにはならなかった!」

 

 ユウカが帳簿を強く握る。

 

魔王「危ないかもしれないと思っていたのに、会長からの指示だから、成果が必要だからって……最後は進行を認めました。テスト時間も短縮しました。私が止めていれば、アリスも、先生も、みんなも閉じ込められなかった!」

 

 黒い王冠が大きく脈打つ。

 

 ユウカの足元から、赤い数字が溢れ出した。

 

 未承認。

 

 予算超過。

 

 責任。

 

 損失。

 

 文字列が鎖となって、ユウカの身体へ巻きついていく。

 

リオ「ユウカ」

 

魔王「会長もです!」

 

 ユウカがリオを睨んだ。

 

魔王「どうして、ゲーム開発部へこんな指示を出したんですか! 技術力を示すなら、もっと安全で、確実な方法があったはずです!」

 

 リオは黙ってユウカの言葉を受け止める。

 

 スライムの身体が、静かに揺れていた。

 

リオ「そうね」

 

 短い返事だった。

 

リオ「私の判断にも問題があった。成果を求めることを優先し、実際に管理するあなたたちの負担を十分に考慮していなかった」

 

魔王「会長……」

 

リオ「ごめんなさい、ユウカ」

 

 ユウカの瞳が揺れる。

 

 まさか、すぐに謝罪されるとは思っていなかったのだろう。

 

ヒマリ「私も、ゲームの完成度へ関心を向ける一方、安全機能の最終確認をゲーム開発部へ任せすぎました」

 

エイミ「部長も謝るんだ」

 

ヒマリ「私も自分の判断を誤ることはあります。超天才は間違いを認識する速度も超一流なのです」

 

リオ「今は普通に謝ればいいでしょう」

 

ヒマリ「……申し訳ありませんでした、ユウカ」

 

 ヒマリは車椅子の上で、真っすぐユウカを見る。

 

モモイ「私も。面白くなるからって、見つけたバグを残した。テストも、ちゃんとやってなかった」

 

ミドリ「私も、お姉ちゃんを止めきれなかった」

 

ユズ「私も……不安だったのに、言えなくて……」

 

ユウカ「みんな……」

 

 ユウカの声が戻りかける。

 

 しかし、王冠から赤い光が降り注ぎ、再び表情を歪めた。

 

魔王「それでも……誰かが責任を取らないといけません」

 

先生「責任を取ることと、一人で罰を受けることは同じじゃないよ」

 

魔王「先生……」

 

先生「帰ってから、原因を全部確認しよう。誰が何を見落としたのか。どうすれば、同じ事故を起こさないで済むのか。予算も計画も、安全基準も、みんなで考え直そう」

 

 私は一歩前へ出る。

 

 トキが止めようとしたが、視線を送ると静かに手を下ろした。

 

先生「でも、ここに一人だけ残るのは駄目だよ」

 

魔王「私は魔王です」

 

先生「ユウカだよ」

 

魔王「違います」

 

先生「違わないよ」

 

魔王「私は、みんなを閉じ込めて、装備を奪って、襲わせて……」

 

先生「それはユウカが望んでしたことかな?」

 

 ユウカは答えない。

 

先生「私はそう思わない。だから、まず王冠を外そう。それから、ユウカがどうしたいのか聞かせてほしい」

 

 黒い王冠が警告音を鳴らした。

 

 魔王の役割を放棄しようとするユウカを、システムが押さえつけている。

 

 大量の文字列が空中へ広がった。

 

 魔王は勇者一行を全滅させなければならない。

 

 魔王は敗北するまで解放されない。

 

 勇者アリスは魔王を倒さなければならない。

 

 役割からの離脱は認められない。

 

ケイ「また、役割を押しつけるのですか」

 

 ケイが赤い鎖へ手をかけた。

 

 鍵杖は封じられている。

 

 それでも、指先で鎖を強く掴む。

 

ケイ「アリスが勇者だから、魔王を倒さなければならない。ユウカが魔王だから、私たちを傷つけなければならない。くだらない規則です」

 

アリス「ケイ!」

 

ケイ「アリス。あなたはどうしたいのです?」

 

アリス「アリスは、ユウカを倒したくありません!」

 

 檻の中で、アリスが光の壁を叩く。

 

アリス「アリスはユウカも助けたいです! みんなと一緒に帰りたいです!」

 

ケイ「なら、それが答えです」

 

 ケイの手の中で、赤い鎖へ亀裂が入る。

 

ケイ「与えられた役割ではなく、自分で選びなさい」

 

アリス「はい!」

 

 アリスが拳を握る。

 

 透明な檻へ、何度も打ちつける。

 

 光の壁に亀裂が広がった。

 

 魔王が端末を掲げる。

 

 赤い光弾が生成され、アリスへ向けられる。

 

ユウカ「駄目!」

 

 ユウカが自分の腕を押さえた。

 

 魔王の命令と、本人の意思がぶつかっている。

 

先生「ユウカ。一人で止めなくていいよ」

 

ユウカ「先生……!」

 

先生「みんなを信じて」

 

 トキが地面を蹴った。

 

 武器はない。

 

 それでも光弾の前へ飛び込み、両腕で軌道を逸らす。

 

 赤い光が壁へ衝突し、爆発した。

 

トキ「攻撃の回避に成功しました」

 

エイミ「杖がなくても、これは使えるみたい」

 

 エイミが床へ手を置く。

 

 薄い氷が広がり、ユウカの足元を固定した。

 

 モモイとミドリが左右から走る。

 

 モモイは玉座へ飛び乗り、魔王の帳簿を奪った。

 

モモイ「ユウカ! これ、借りるよ!」

 

ユウカ「モモイ!?」

 

ミドリ「ユズちゃん!」

 

ユズ「う、うん!」

 

 ユズが帳簿へ触れ、内部のシステム画面を開く。

 

 魔王権限。

 

 勇者封印。

 

 強制戦闘。

 

 ログアウト禁止。

 

 複雑に絡み合った命令が表示される。

 

ユズ「解除できない……。全部、魔王の敗北条件に繋がってる……」

 

モモイ「だったら、魔王を倒さないエンディングを作ろう!」

 

ユズ「今から?」

 

モモイ「今までなかったなら、今作るんだよ!」

 

ミドリ「私も手伝う。設定の接続先を探すね」

 

ヒマリ「システムへの侵入経路は私が開きましょう」

 

リオ「管理者権限を使うわ」

 

 ヒマリがリオのスライム部分へケーブルのような光を接続する。

 

 リオの身体の中で、無数の管理画面が展開された。

 

リオ「最高管理者権限を申請」

 

システム「最高財務権限者ユー・カの承認が必要です」

 

リオ「ユウカ」

 

ユウカ「無理です! 身体が勝手に拒否を――」

 

先生「承認しなくていいよ」

 

リオ「先生?」

 

先生「リオの身体にある聖印、まだ増やせるかな?」

 

 会計聖印を取得したとき、処理が暴走した。

 

 管理画面で同じことをすれば、承認申請を複製できるかもしれない。

 

ヒマリ「なるほど。承認そのものではなく、承認待ちの処理を飽和させるのですね」

 

リオ「やってみる価値はあるわ」

 

 リオが一枚の会計聖印を取り出し、管理画面へ接触させる。

 

 ユズが取得処理を反転。

 

 モモイとミドリが画面を高速で開閉する。

 

 承認申請が増殖した。

 

 百。

 

 千。

 

 一万。

 

 十万。

 

システム「最高財務権限者ユー・カの承認が必要です」

 

システム「承認が必要です」

 

システム「承認が――」

 

 同じ音声が重なり、玉座の間を満たす。

 

 ユウカの端末に申請が殺到した。

 

ユウカ「ちょ、ちょっと! こんな数、処理できるわけないでしょう!」

 

ヒマリ「ユウカでも不可能ですか?」

 

ユウカ「十万件を一秒で処理できる人なんていません!」

 

リオ「なら、システムのほうが先に停止する」

 

 黒い王冠から火花が散った。

 

 処理中。

 

 処理中。

 

 処理中。

 

 承認系統が応答しなくなる。

 

 王冠の拘束が弱まった。

 

ケイ「今です、アリス!」

 

アリス「はい!」

 

 アリスが檻の亀裂へ拳を打ち込む。

 

 透明な壁が砕け散った。

 

 空中へ放り出されたアリスを、ケイが両腕で受け止める。

 

ケイ「無事ですか?」

 

アリス「はい、ケイ!」

 

 アリスはケイの腕から降りると、床に落ちていた光の剣を拾った。

 

 しかし、その切っ先はユウカへ向けない。

 

 頭上に浮かぶ黒い王冠だけを見据える。

 

アリス「ユウカ。アリスが王冠を壊します!」

 

ユウカ「待って! 王冠を壊したら、アリスのデータまで消えるかもしれない!」

 

アリス「大丈夫です!」

 

ユウカ「根拠は!?」

 

アリス「みんながいます!」

 

ユウカ「根拠になってない!」

 

ケイ「私が王冠とアリスの接続を切り離します」

 

 ケイが赤い鎖を引きちぎる。

 

 鍵術師の力が戻り、杖が手元へ現れた。

 

 無数の鍵穴が、王冠とアリス、王冠とユウカの間に浮かぶ。

 

ケイ「勇者と魔王の役割を、施錠します」

 

 光の鍵が回る。

 

 アリスの頭上から勇者という表示が消えた。

 

 ユウカの頭上から魔王という表示が薄くなる。

 

 王冠が激しく揺れた。

 

システム「役割からの離脱を認めません」

 

ケイ「認めてもらう必要はありません」

 

アリス「アリスは、勇者でなくても戦えます!」

 

 アリスが剣を構える。

 

アリス「ユウカも、魔王でなくてもユウカです!」

 

 光の斬撃が放たれた。

 

 黒い王冠へ命中する。

 

 大きな亀裂が走った。

 

 それでも王冠は壊れない。

 

 赤い光がアリスへ反撃しようとする。

 

 トキとエイミが左右から押さえ、ヒマリとリオが管理権限を王冠へ集中させた。

 

ヒマリ「世界に名高き超天才清楚系病弱美少女ハッカーの前で、いつまでも不正な権限を保持できると思わないことです」

 

リオ「不要な修飾語は省いて」

 

ヒマリ「必要です」

 

リオ「処理速度が落ちるわ」

 

ヒマリ「私の美しさに演算能力は無関係です」

 

リオ「今は集中して」

 

 モモイ、ミドリ、ユズが帳簿のシステムを書き換える。

 

モモイ「魔王を倒すんじゃなくて、魔王を仲間にする!」

 

ミドリ「勇者の救出条件を、檻の破壊に変更!」

 

ユズ「全参加者が生存した状態で、王冠を破壊すれば……新しいエンディングへ……!」

 

 新たなクエストが表示された。

 

 囚われの勇者と魔王を救え。

 

 全員でゲーム世界から帰還せよ。

 

モモイ「できた!」

 

 王冠の体力ゲージが出現する。

 

 残り一。

 

アリス「先生! 最後の一撃を!」

 

先生「私?」

 

トキ「先生の攻撃力は一です」

 

ケイ「必要な数値と一致しています」

 

 床には、最初から持っていた木の棒が落ちていた。

 

 天秤へ売却したはずなのに、なぜか戻ってきている。

 

 運が百あるからだろうか。

 

 私は木の棒を拾った。

 

 王冠へ近づく。

 

アロナ「先生、今です!」

 

プラナ「攻撃を補助します」

 

アロナ「必殺技の名前を叫びましょう!」

 

プラナ「不要です」

 

アロナ「『先生のすごい棒アタック』!」

 

プラナ「絶望的な名称です」

 

 アロナの提案は無視した。

 

 木の棒を、王冠へ軽く当てる。

 

 こつん。

 

 とても魔王との最終決戦とは思えない音が鳴った。

 

 黒い王冠が粉々に砕けた。

 

 赤い光が消える。

 

 ユウカの黒い鎧が粒子となってほどけ、普段の制服姿へ戻っていく。

 

 力を失ったユウカの身体が傾いた。

 

 私は腕を伸ばし、その身体を受け止める。

 

ユウカ「先生……?」

 

先生「おかえり、ユウカ」

 

ユウカ「私……みんなに……」

 

先生「大丈夫。全員ここにいるよ」

 

 ユウカが周囲を見る。

 

 アリス。

 

 ケイ。

 

 モモイ、ミドリ、ユズ。

 

 トキ、エイミ、ヒマリ。

 

 そして、スライム姿のリオ。

 

ユウカ「……会長?」

 

リオ「ええ」

 

ユウカ「どうしてスライムに?」

 

リオ「ヒマリに聞いて」

 

ヒマリ「ランダムです」

 

ユウカ「絶対に違いますよね?」

 

 ユウカの声に、少しだけ力が戻った。

 

 アリスが駆け寄り、ユウカへ抱きつく。

 

アリス「ユウカ! 無事でよかったです!」

 

ユウカ「アリス……ごめんなさい。私が閉じ込めて……」

 

アリス「ユウカではありません。悪い王冠です!」

 

ユウカ「でも……」

 

アリス「ユウカは、アリスに毎日イチゴ味の回復薬をくれました!」

 

ケイ「一日も経っていません」

 

アリス「体感では三日でした!」

 

ユズ「アリスちゃんだけ、時間加速が強く設定されてたのかも……」

 

アリス「そして、ユウカは一時間ごとに『体調に異常はない?』と聞きに来ました!」

 

ユウカ「そ、それは魔王として捕虜を管理するためで……」

 

モモイ「心配だったんでしょ?」

 

ユウカ「違うわよ!」

 

ミドリ「ユウカ先輩らしいです」

 

ユウカ「違うったら!」

 

 ユウカの耳が赤くなっていく。

 

 勝利の音楽が玉座の間へ流れ始めた。

 

 世界を救いました。

 

 勇者アリスを救出しました。

 

 魔王ユウカを救出しました。

 

 全参加者の生存を確認。

 

 特別エンディングを開始します。

 

 城の壁と天井が消え、青い空が広がる。

 

 草原の町から、無数のNPCが現れた。

 

町人「勇者様!」

 

町人「魔王様!」

 

町人「無職様!」

 

先生「私だけ呼び方が寂しいね」

 

トキ「先生は先生です」

 

ヒマリ「現在のシステム上、先生の職業は無職ですが」

 

トキ「先生です」

 

 トキが少し強い声で訂正した。

 

 ヒマリは楽しそうに笑う。

 

 空から光が降り注ぎ、全員の身体を包み始めた。

 

 ログアウト可能まで、あと十秒。

 

ユウカ「やっと帰れる……」

 

モモイ「クリアしたーっ!」

 

ユズ「本当に……帰れるんだ……」

 

ミドリ「外に戻ったら、まず安全確認をしようね」

 

ケイ「アリス。身体に異常は?」

 

アリス「ありません! アリスは元気です!」

 

エイミ「現実は暑い?」

 

ヒマリ「おそらく」

 

エイミ「帰りたくなくなってきた」

 

ユウカ「帰るの!」

 

 カウントが減っていく。

 

 五。

 

 四。

 

 リオのスライム身体が、不安定に揺れ始めた。

 

リオ「外部接続者である私も、同じ場所へ切断されるようね」

 

ヒマリ「その姿のまま現実へ戻れたら面白いのですが」

 

リオ「最初にあなたを吸収するわ」

 

ヒマリ「冗談です」

 

 残り三秒。

 

 ユウカが私の袖を掴んだ。

 

ユウカ「先生」

 

先生「うん?」

 

ユウカ「外に戻っても、少しだけ……そばにいてください」

 

 声は小さかった。

 

 周囲の騒がしさに紛れ、私にしか届かなかったかもしれない。

 

先生「もちろんだよ」

 

 ユウカの指から、わずかに力が抜ける。

 

 残り一秒。

 

先生「みんなで帰ろう」

 

アリス「はい!」

 

 世界が白い光に包まれた。

 

 目を開ける。

 

 ゲーム開発部の部室だった。

 

 カプセルの蓋が開き、機械の駆動音が聞こえる。

 

 身体を起こすと、隣でユウカも目を開いた。

 

 全員が次々と現実へ戻ってくる。

 

 トキ、エイミ、ヒマリ、ゲーム開発部、ケイ。

 

 そして部室中央のモニターには、外部接続を解除されたリオの顔が表示された。

 

リオ『全員の帰還を確認したわ』

 

ユウカ「会長。身体は?」

 

リオ『問題ない。スライムの後遺症もないわ』

 

ヒマリ「残念ですね」

 

リオ『明星ヒマリ』

 

ヒマリ「何でしょう」

 

リオ『後で話があるわ』

 

ヒマリ「奇遇ですね。私も、リオの計算速度について話があります」

 

リオ『話題を逸らさないで』

 

 ユウカはカプセルから降り、一人ずつ状態を確認した。

 

ユウカ「アリスは?」

 

アリス「元気です!」

 

ユウカ「ケイ」

 

ケイ「異常ありません」

 

ユウカ「モモイ、ミドリ、ユズ」

 

モモイ「平気!」

 

ミドリ「大丈夫です」

 

ユズ「わ、私も……」

 

ユウカ「トキ、エイミ、ヒマリ先輩」

 

トキ「問題ありません」

 

エイミ「暑い」

 

ヒマリ「体調は正常です。精神的には、スライム姿のリオを記録できたことで非常に満たされています」

 

リオ『その記録を削除して』

 

ヒマリ「お断りします」

 

 最後に、ユウカが私の前へ来る。

 

 顔や腕を確認し、安堵したように息を吐いた。

 

ユウカ「先生も、無事ですね」

 

先生「うん。無職じゃなくなったよ」

 

ユウカ「現実では最初から仕事があります!」

 

先生「よかった」

 

ユウカ「まさか本気で心配してたんですか?」

 

先生「少しだけ」

 

ユウカ「シャーレの業務が山積みなんですから、無職になる暇なんてありません」

 

先生「それはそれで複雑だなあ」

 

 ユウカの口元に、小さな笑みが浮かぶ。

 

 しかし、その笑みはすぐに消えた。

 

 ゲーム開発部の三人へ視線を向ける。

 

 モモイ、ミドリ、ユズが一斉に姿勢を正した。

 

ユウカ「さて」

 

モモイ「はい」

 

ユウカ「原因調査を始めます」

 

モモイ「はい」

 

ユウカ「残したバグ、実施しなかったテスト、未提出の領収書。全部確認します」

 

モモイ「魔王じゃないのに、魔王より怖い!」

 

ユウカ「誰が魔王ですって?」

 

モモイ「何でもありません!」

 

ユウカ「それから会長。正式な依頼内容と、安全性確認の体制についても見直しをお願いします」

 

リオ『分かったわ。私も責任を持って参加する』

 

ユウカ「ヒマリ先輩もです」

 

ヒマリ「超天才である私が参加すれば、原因の究明など瞬く間でしょう」

 

ユウカ「リオ会長をスライムにした理由も確認します」

 

ヒマリ「ランダムです」

 

リオ『ランダムではないでしょう』

 

ヒマリ「証拠は?」

 

リオ『あなたが私のアバター名を『ねばねば会長一号』に変更した記録が残っているわ』

 

 部室が静まり返る。

 

 エイミがヒマリを見る。

 

エイミ「部長」

 

ヒマリ「…………」

 

エイミ「してやったり、って顔してる」

 

ヒマリ「気のせいです」

 

リオ『明星ヒマリ』

 

ヒマリ「不可抗力です」

 

リオ『後で直接そちらへ行くわ』

 

ヒマリ「エイミ。帰りますよ」

 

エイミ「原因調査は?」

 

ヒマリ「明日でも可能です」

 

ユウカ「逃がしません!」

 

 ユウカがヒマリの車椅子を掴む。

 

 エイミが反対側を持ち、どちらへ動かすべきか迷ったまま停止した。

 

 そのとき、操作卓から警告音が鳴った。

 

 全員の動きが止まる。

 

ユズ「ま、まだ何か……?」

 

 モニターに大量の通知が表示された。

 

 外部接続申請。

 

 百。

 

 千。

 

 一万。

 

 十万。

 

 数字が猛烈な速度で増えていく。

 

ユウカ「どうして外部から接続申請が来てるの?」

 

ユズ「一般公開はしてないはずなのに……」

 

 モモイが不自然に口笛を吹いた。

 

 音は出ていない。

 

 ユウカがゆっくり振り返る。

 

ユウカ「モモイ」

 

モモイ「何かな?」

 

ユウカ「何をしたの?」

 

モモイ「何もしてないよ!」

 

ミドリ「お姉ちゃん。目が泳いでる」

 

モモイ「これはフルダイブの後遺症!」

 

ケイ「視線だけ扉へ逃げています」

 

 ユウカが一歩近づく。

 

 モモイが一歩下がる。

 

ユウカ「説明しなさい」

 

モモイ「完成したらすぐに遊んでもらえるように、事前登録ページを作っただけ!」

 

ユウカ「一般公開前でしょう!?」

 

モモイ「宣伝は大事だよ! 登録人数に応じて、ゲーム内通貨がもらえるキャンペーンも用意したんだ!」

 

ユズ「登録者数、二十万人を超えた……」

 

ミドリ「いつの間にそんなに?」

 

モモイ「『魔王ユウカを倒して、囚われの勇者アリスを救え』って宣伝したら、すごく反応がよくて……」

 

ユウカ「私の名前を使ったの!?」

 

モモイ「正確には『謎の帳簿魔王ユー・カ』だから!」

 

ユウカ「同じよ!」

 

 別の警告音が鳴る。

 

 画面に、サーバー自動拡張中と表示された。

 

 請求予測額の数字が、ものすごい勢いで増えていく。

 

ユウカ「ちょっと待って。この自動拡張機能は?」

 

モモイ「アクセスが増えても落ちないように、サーバーを自動で増やす機能だよ!」

 

ユウカ「上限は?」

 

モモイ「人気に上限はないよ!」

 

ユウカ「費用の上限を聞いてるの!」

 

 請求額が一桁増える。

 

 ユウカの顔から血の気が引いた。

 

モモイ「だ、大丈夫! アイテム課金で回収できるから!」

 

ユウカ「課金機能までつけたの!?」

 

モモイ「勇者アリス救出記念パック、魔王ユー・カ衣装、リオ会長スライムスキン――」

 

リオ『待ちなさい』

 

ヒマリ「リオ会長スライムスキン」

 

エイミ「売れるかな」

 

モモイ「事前予約だけで五万件!」

 

ヒマリ「人気ですね、リオ」

 

リオ『販売を中止して』

 

ユウカ「全部中止! 今すぐサーバーを止めなさい!」

 

モモイ「管理画面のパスワードを忘れた!」

 

ユウカ「はぁ!?」

 

モモイ「ランダム生成したから覚えてないの!」

 

ミドリ「保存してないの?」

 

モモイ「ゲームの中に隠した!」

 

ユズ「ど、どこに?」

 

モモイ「領収書の洞窟にあった金庫の、二重底……」

 

 沈黙が落ちた。

 

 再びログインしなければ、パスワードは分からない。

 

 九台のカプセルが、何事もなかったように青白い光を放っている。

 

 ユウカの肩が小刻みに震え始めた。

 

 モモイが扉へ視線を向ける。

 

 トキが無言で進路を塞いだ。

 

モモイ「トキ?」

 

トキ「逃走は推奨しません」

 

モモイ「私たち、一緒に世界を救った仲間だよね?」

 

トキ「はい」

 

モモイ「だったら、ここを通して?」

 

トキ「それとこれは別問題です」

 

 モモイが反対側へ走る。

 

 そこにはケイが立っていた。

 

モモイ「ケイ!」

 

ケイ「領収書は正しく管理するべきです」

 

モモイ「正論で殴らないで!」

 

 ヒマリの車椅子の後ろへ隠れようとする。

 

 しかし、ヒマリは優雅な動作で進路を譲った。

 

ヒマリ「勇者は、自分の選択へ責任を持つものです」

 

モモイ「さっきまで責任はみんなでって言ってたじゃん!」

 

ヒマリ「もちろん、私たちも原因調査へ参加します。ですが、逃げる者を匿うとは言っていません」

 

 モモイは最後の希望を求め、私を見る。

 

モモイ「先生!」

 

先生「まずは、ちゃんと話し合おうか」

 

モモイ「先生まで!」

 

ユウカ「先生には、もう一度ログインしてパスワードを取ってきてもらいます」

 

先生「私も?」

 

ユウカ「元村人Bなら、金庫を開けられるでしょう!」

 

先生「今は無職だけど」

 

ユウカ「現地で再就職してください!」

 

 視界の端にアロナとプラナが現れた。

 

アロナ「先生、二周目です!」

 

プラナ「二度目の接続です」

 

アロナ「今度は草を食べましょう!」

 

プラナ「まだ諦めていなかったのですか」

 

アロナ「メロン味かもしれません!」

 

プラナ「可能性は限りなくゼロです」

 

 私はカプセルを見る。

 

 その横では、ユウカがゆっくりモモイへ近づいていた。

 

 笑顔だった。

 

 目だけがまったく笑っていない。

 

ユウカ「モモイ」

 

モモイ「はい」

 

ユウカ「私が魔王じゃないって、証明してあげる」

 

モモイ「どうやって?」

 

ユウカ「現実の私のほうが、もっと厳しいって教えてあげるわ」

 

モモイ「やっぱり魔王だーっ!」

 

 モモイが走り出す。

 

 ユウカが追う。

 

 部室の扉が勢いよく開き、二人は廊下へ飛び出していった。

 

モモイ「ごめんなさーい!」

 

ユウカ「待ちなさぁぁぁい!」

 

 遠ざかる足音。

 

 その間にも、請求予測額は増え続けている。

 

 リオの映るモニターへ、新たな通知が出た。

 

 リオ会長スライムスキンの予約数、十万件突破。

 

ヒマリ「おめでとうございます」

 

リオ『何もめでたくないわ』

 

エイミ「人気者だね」

 

リオ『販売を止めて』

 

ユズ「パスワードがないと……」

 

リオ『先生』

 

先生「うん?」

 

リオ『申し訳ないけれど、もう一度ゲーム内へ入ってもらえる?』

 

先生「今度こそ、一時間で帰れるかな」

 

 ユズ、ミドリ、ケイが同時に視線を逸らした。

 

 トキだけが真っすぐ私を見る。

 

トキ「先生。二度目の潜入にも、私が同行します」

 

アリス「アリスも行きます! 今度は囚われず、最初から勇者として冒険します!」

 

ケイ「私も同行します。アリスを一人にはできません」

 

エイミ「雪山へ行ける?」

 

ヒマリ「パスワードの回収が先です」

 

エイミ「帰りに寄る」

 

リオ『私は外部から監視するわ』

 

ヒマリ「スライムでは来ないのですか?」

 

リオ『二度と御免よ』

 

 私はカプセルへ横たわった。

 

 帰還直後より、参加者が増えている気がする。

 

 蓋が閉じる。

 

 外の音が遠ざかる寸前、廊下の奥からユウカの怒声が響いた。

 

ユウカ「モモイぃぃぃぃぃっ!」

 

 続いて、モモイの悲鳴。

 

モモイ「魔王より怖いよーっ!」

 

 カウントダウンが始まる。

 

 十。

 

 九。

 

 八。

 

 私は目を閉じた。

 

先生「じゃあ、もう一度だけ世界を救いに行こうか」

 

アロナ「はい! 今度こそ異世界転生です!」

 

プラナ「転送です」

 

 青い光に飲み込まれる直前、今度はユウカの声が部室のすぐ近くまで戻ってきた。

 

ユウカ「待ちなさい、モモイーっ!」


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