セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
西側の部屋でも、四人は東側と同じように暖炉を調べることにした。
廃城の一階がかなり左右対称に造られていることがわかってきた以上、反対側と似た位置に、同じような隠し場所があってもおかしくはない。
ダリヤは今度、セラリスに言われるより先に荷物から小さな鏡を取り出した。
「先に上ですね」
「うん」
セラリスが頷く。
東側の暖炉で、大量の瓦礫が煙突から崩れ落ちるのを見たばかりである。もう誰も、暖炉の奥を確かめるために不用意に頭を差し入れようとは思わなかった。
ダリヤは暖炉の真正面を避け、少し横へ立つ。
棒の先に鏡を固定し、それだけをゆっくり煙突の中へ入れていった。
東側では、その先に瓦礫があり、その奥には小箱が隠されていた。
今度はどうか。
「……ん?」
鏡の角度を変えながら、ダリヤが小さく声を漏らした。
「何かある?」
ヴァレリアが尋ねる。
「ありますけど……」
ダリヤは、少し嫌そうな顔をした。
「宝じゃないです」
「何?」
「糞です」
一瞬、誰も反応しなかった。
ミハイルが、聞き間違えたのかと思ったように尋ねる。
「……糞?」
「たぶん、蝙蝠の糞です」
鏡に映った暖炉の奥には、煤の積もった床の上に黒っぽい小さな塊がいくつも落ちていた。
セラリスが言う。
「それなら、上にいるかもしれないね」
「見てみます」
ダリヤはさらに鏡を奥へ進めた。
松明の位置を少し調整してもらい、その光を鏡で反射させる。煙突の内側を少しずつ映しながら、角度を変えて上方を探る。
そして。
「あ」
今度は声が低くなった。
「います」
「蝙蝠?」
「はい」
「何匹?」
「……一匹です」
そこで、わずかに間が空いた。
「大きいです」
煙突の内側。
少し崩れた石組みの部分へ、逆さになった大型の蝙蝠がぶら下がっていた。
翼を畳み、じっと眠っている。
それでも普通の蝙蝠と比べれば、明らかに大きい。
ダリヤはすぐに鏡を引き戻した。
「これは」
暖炉を見ながら言う。
「そっとしておきましょうか」
セラリスは即答した。
「そうだね」
ミハイルが少し意外そうに彼女を見る。
「倒さなくていいんですか?」
「なんで?」
「いや……怪物ですよね?」
「寝てるだけでしょ」
「まあ、そうですけど」
「こっちに襲いかかってきてもいないし」
セラリスは暖炉からさらに少し離れた。
「それに、こんなところで暴れさせたら、煙突の中がどう崩れるかわからない」
ダリヤは強く頷いた。
「それが一番嫌です」
東側で見たばかりだった。
人が頭を入れていたら、ただでは済まなかった量の石とレンガが、一気に落ちてきた。
「財宝もなさそうですし」
ダリヤが付け加える。
ミハイルが笑う。
「結局そこか」
「大事です」
「それはそうだね」
セラリスも普通に同意した。
ヴァレリアが、少し笑いながら言う。
「蝙蝠も、起こされなくて済みますしね」
そうして、西側の暖炉はそれで探索終了となった。
何も取らない。
何も倒さない。
何も起こさない。
けれども、それでよかった。
むしろ、無用な戦闘を一つ増やさなかったのだから、それだけで十分に成功と言えた。
冒険というと、怪物を見つければ倒し、扉を見つければ開け、奥へ進めば進むほど正しいように思ってしまいがちである。
だが、本当に必要なのはそうではない。
戦う必要のない敵とは戦わない。
触る必要のないものには触らない。
自分たちが危険を増やすだけの行動なら、最初からしない。
それも、生きて帰るための立派な技術だった。
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一階の探索をほぼ終えると、四人は再び、西側の寝室近くにある石階段の前へ戻ってきた。
下へ続く階段。
松明の光は数段先までは届く。
だが、そこから下は暗闇だった。
階段は地下へ伸び、その先がどこまで続いているのかはわからない。
全員の頭には、コボルドの言葉が残っていた。
地下深く。
御方。
強い魔法使い。
死んだ冒険者たち。
ゾンビ。
スケルトン。
セラリスは右手のメイス+1・ストライキングを握り直した。
ここから先へ進むのであれば、わざわざハンドアクスへ戻す理由はない。
相手になる可能性が高いのは、骨と死体。
ならば打撃武器の方が向いている。
「それで」
セラリスは三人を見る。
「どうする?」
少しだけ間を置いた。
「地下、探索してみる?」
ミハイルの返事は早かった。
「行きましょう!」
剣と盾を構え、ほとんど即答だった。
セラリスは少し笑う。
「頼もしいね」
ミハイルも笑った。
ただし、セラリスはすぐに指を一本立てた。
「でも」
「はい」
「回復薬を一本使ったら撤退」
ミハイルは腰の薬瓶へ手をやった。
「はい」
「ヴァレリアの癒しを使った場合も」
ヴァレリアが少し驚いた顔をする。
「一回でも?」
「一回でも」
セラリスは頷いた。
「分かりました」
ダリヤが尋ねる。
「怪我して、治したらすぐ帰るんですか?」
「その時点で、一度戻ることを考える」
「前より厳しくないです?」
「地下だからね」
セラリスは階段へ目を向けた。
「逃げ道が長くなる」
地上なら。
大広間を抜ける。
正面扉を出る。
城門を抜ける。
それで外へ出られる。
だが地下へ降りれば、帰るときにはまず階段まで戻り、そこを上り、一階を抜け、さらに城の外まで走らなければならない。
深く潜れば潜るほど、その距離は長くなる。
「それに」
セラリスは続けた。
「アンデッドは疲れない」
三人が黙って聞く。
「私たちは走れば疲れる。でも、ゾンビやスケルトンは、たぶん同じようには疲れない。足が遅くても、ずっと追ってくる可能性がある」
ミハイルの表情が少し引き締まった。
「だから、地下では撤退を上より早めに考える」
ダリヤが確認するように言った。
「余裕があるうちに帰る」
「そう」
ヴァレリアも考えながら続ける。
「治せるから進む、じゃなくて」
「治療が必要になった時点で、もう最初より危険が増えたと考える」
セラリスが答えた。
三人は揃って頷いた。
それでいい。
今考えるべきなのは、どこまで進めるかではない。
どこまでなら、安全に帰ってこられるか。
その線を見失わないことの方が大事だった。
「あと」
ダリヤが自分の荷物を確かめ始めた。
「油瓶」
「ある」
ミハイルが答える。
「松明」
「予備もあります」
ヴァレリアが言う。
「ロープ」
「あります」
「杭」
「あります」
「十フィート棒」
ダリヤが棒を掲げた。
「もちろん」
セラリスも自分の装備を確認する。
メイス+1・ストライキング。
チャームの腕輪。
指輪。
魔法。
だが、それら以上に大事なのは、危険だと判断したときに帰る意思だった。
「じゃあ」
セラリスが言う。
「隊列」
ダリヤが十フィート棒を持って先頭へ出た。
ただし、一人で大きく離れたりはしない。
そのすぐ後ろにミハイル。
盾と剣。
さらにヴァレリア。
メイスと盾。
そして最後尾がセラリス。
松明の明かりが、地下へ続く石壁にゆらゆらと影を作っていた。
ダリヤはまず一段目を十フィート棒で突いた。
こん。
異常なし。
二段目。
こん。
三段目。
さらに下。
急がない。
一段ずつ。
確かめてから足を置く。
四人はゆっくり地下へ降り始めた。
背後から差し込む地上の光が、少しずつ薄くなっていく。
夏の暖かい空気も遠ざかり、代わりに下からはひんやりした湿気が上がってきた。
古い石の匂い。
濡れた土。
長いこと陽の光が届いていない場所特有の、重い空気。
そして。
その中に。
ほんのわずかに。
別の臭いが混じっていた。
ダリヤが足を止める。
「……臭います」
ヴァレリアが鼻を少し押さえた。
「死体?」
「分からない」
セラリスは答えた。
断定はしない。
湿った地下なら、腐った木でも、古い布でも、淀んだ水でも、似たような臭いはする。
けれども、今はコボルドから聞いた話がある。
死者。
ゾンビ。
スケルトン。
地下を歩く、かつて冒険者だったものたち。
セラリスはメイスを少し持ち上げた。
「でも、コボルドの話が本当なら」
その言葉だけで、全員が武器を持ち直した。
「そろそろ、本当にアンデッドが出てもおかしくないよ」
誰も返事をしなかった。
けれども足も止まらなかった。
ダリヤがもう一度、十フィート棒を前へ出す。
次の段。
その次。
石の階段はまだ続いている。
背後の光はさらに細くなり、松明だけが頼りになっていく。
先に何がいるのかはわからない。
だが、少なくとも今の四人は、最初にこの廃城へ入ったときの四人ではなかった。
進むと決めても、急がない。
怖いと感じても、走り出さない。
分からないものがあるなら、まず確かめる。
そして危険だと思えば、帰る。
その約束を全員で共有したまま、四人はさらに慎重に、ミスタメア城の地下へ降りていった。