セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
先ほどのゾンビが消えていった方角を追って、四人はさらに地下へ降りた。
石造りの階段は思ったより長く、松明の光が届く範囲だけを頼りに、一段ずつ確かめながら進んでいく。下へ行くほど空気は冷たくなり、湿り気も増していったが、それでも通路や階段そのものは驚くほどしっかりしていた。
やがて階段を下り切る。
その先で、通路は不意に大きく開けた。
「……広い」
ミハイルが思わず呟いた。
地下とは思えないほどの大広間だった。
天井も高く、松明一本では反対側まで十分に照らしきれない。けれども、そこにあるのは城の大広間らしい家具でも、祭壇でも、立派な装飾でもなかった。
瓦礫だった。
ひたすら、大量の瓦礫。
崩れた石材。
土砂。
腐って形の崩れた木材。
錆びた鉄片。
割れた壺。
壊れた家具。
古い布。
人か獣かもわからない骨。
その他、もはや何に使われていたのか判別することさえ難しい雑多な残骸が、いくつもの山を作って積み上げられていた。
そして、その山々の間を、小柄な影が何匹も動き回っている。
「……なるほど」
ダリヤが小さく言った。
先ほど尾行してきたゾンビが、大きな籠を背負ったまま広間の一角へ歩いていく。
そこで籠を下ろす。
石や土砂、壊れた木片がばらばらと床へ落ちた。
ゾンビはそれで自分の仕事が終わったらしい。
空になった籠を再び持ち上げると、四人にもコボルドたちにも目を向けず、来た道をそのまま戻っていった。
代わって、数匹のコボルドが集まってくる。
一つ拾う。
石。
捨てる。
また拾う。
木片。
これも別の山。
錆びた鉄片は脇に寄せる。
古い硬貨らしきものを見つければ、小さな箱へ入れる。
装飾の残った金属片は、また別の箱。
中には、土を拭ってからしばらく眺め、価値があるのかどうか相談しているものまでいた。
「仕分けしてますね」
ヴァレリアが囁いた。
「上ではゾンビが掘って、ここまで運んで」
ミハイルも理解した。
「ここでコボルドが、使えるものと捨てるものを分けてるのか」
どうやら、地下の瓦礫は単に外へ捨てられているわけではない。
埋もれていた物を掘り出し、その中から使える物、価値のある物、あるいは何か特別な物だけを選び出している。
広間の奥には、すでに選別を終えたらしい箱や袋がいくつも積まれていた。
松明の光が届くたび、ときおり金属が反射する。
宝石らしきものが一瞬だけ光る。
古い装飾品。
小箱。
袋。
どう見ても、何もない場所ではなかった。
ミハイルが声を落とす。
「どうします?」
視線は、当然ながらそちらへ向いていた。
「ここを押さえれば、かなりありそうですけど」
ダリヤも、つられるように一度だけ宝の集積場所を見る。
少しだけ。
本当に少しだけだった。
だがヴァレリアは、すぐ首を横に振った。
「先に御方を見つけた方がいいと思います」
「やっぱり?」
「はい」
ヴァレリアは、広間のさらに奥へ続く暗い通路へ目を向けた。
「ここに集めている物が御方のためなら、私たちがこれを持ち出した時点で、たぶん気づかれます」
ダリヤもすぐに頷いた。
「そうですね」
そして今度は、宝の山からきっぱり視線を外した。
「宝を漁ってるところへ、後ろから魔法を撃ち込まれるのは嫌です」
ミハイルが苦笑する。
「それはそうだな」
セラリスも同じ結論だった。
ここまで見てきたものを並べれば、もう偶然とは考えにくい。
入口を管理するコボルド。
通路を守るスケルトン。
労働に使われるゾンビ。
埋もれた地下施設の発掘。
そして、掘り出された物を選別するための広間。
すべてが、誰かの意思によって組織的に動かされている。
その中心にいるのが、コボルドたちのいう御方。
強い魔法使い。
ここまで来れば、もう新人三人にできるだけ任せて様子を見る、という段階ではなかった。
相手の正体も力量もわからない。
それなら、最初から余裕を持って構えるべきだ。
セラリスは左手を上げ、チャームの腕輪へ指を触れた。
「もう、あまり加減してられないね」
ミハイルが振り返る。
「え?」
「武器を変える」
腕輪についた小さな飾りの一つが淡く光った。
それまで右手に握られていたメイス+1・ストライキングが、その光へ溶け込むように消える。
代わって、新しい光がセラリスの手の中へ集まっていった。
形を取る。
長い柄。
鍔。
刃。
現れたのは一本の長剣だった。
銀色の刀身には、金を使った装飾が施されている。華やかではあるが、儀礼用の飾り剣とは明らかに違う。
刃の厚み。
重心。
鍔の形。
柄の握り。
どれを見ても、実際に敵を斬ることを前提として作られた武器だった。
しかも、ただの剣ではない。
そのことは、剣自身が証明した。
「久しぶりの出番か、セラリス」
ミハイルの目が見開かれた。
ヴァレリアも完全に動きを止める。
ダリヤは声を上げる寸前で、自分の口を手で押さえた。
剣は構わず続けた。
「一人ではないのだな」
セラリスは、まるで昔からの知人へ返事をするような気軽さで答えた。
「そうだよ、ソーンウォッチ」
長剣の名は、ソーンウォッチ。
セラリスが以前から持つ、知性ある魔法剣だった。
ただ鋭いだけの武器ではない。
周囲の魔法的な異常や罠を探る力を持ち、必要とあれば短い時間ながら、通常とは比較にならないほどの破壊力を引き出すこともできる。
セラリスは三人を順番に示した。
「ミハイル」
「……」
「ヴァレリア」
「……」
「ダリヤ」
「……」
三人とも、まだ喋る剣から視線を外せないでいる。
セラリスは少し笑った。
「私の弟子」
ソーンウォッチは、何かを確かめるようにしばらく黙っていた。
やがて、
「ほう」
と一言だけ言った。
「弟子を取ったか」
「成り行きでね」
「お前の成り行きは、大抵、後になって長い付き合いになる」
「うるさいな」
そこでとうとうミハイルが我慢できなくなった。
「剣がしゃべった!」
ダリヤがものすごい勢いで振り返る。
「しーっ!」
「!」
ミハイルは慌てて自分の口を押さえた。
「ああ、すまん」
今度は囁く。
だが、声を小さくしても驚きまで消えるわけではなかった。
ヴァレリアは目だけをソーンウォッチへ向けたまま、信じられないような顔をしている。
「……本当に、しゃべるんですね」
「本当に、とは何だ」
剣が即座に返した。
ヴァレリアの目がさらに大きくなる。
「返事までした……」
「知性のある剣なんだから、返事くらいするよ」
セラリスだけが平然としていた。
ダリヤが声を抑えながら尋ねる。
「先生、そんなもの持ってたんですか」
「持ってたよ」
「今まで出さなかったじゃないですか」
「必要なかったから」
「必要なかった……」
ダリヤはそれ以上言わなかった。
キャリオンクローラー。
ハーピイ。
スケルトン。
それらを相手にしても、まだ必要ではなかった。
三人とも、その意味をなんとなく理解した。
そして今、セラリスはソーンウォッチを出した。
ここから先は、それまでと少し違う。
少なくとも、彼女はそう判断したのだ。
ミハイルの表情から驚きが消え、代わりに緊張が戻った。
「御方っていう魔法使いは、そこまで危険なんですか?」
「分からない」
セラリスは正直に答えた。
「だからだよ」
ソーンウォッチを軽く持ち上げる。
「分からない相手には、最初から安全側に寄せる」
「賢明だな」
ソーンウォッチが低い声で言った。
セラリスが剣を見る。
「珍しく褒めるね」
「お前が油断して死ねば、私が困る」
「そういうところだよ」
ダリヤが口元を押さえた。
どうやら笑いそうになったらしい。
ミハイルも一瞬だけ口元を緩めた。
そのとき。
「セラリス」
ソーンウォッチの声が変わった。
それだけで、セラリスの表情も即座に変わる。
「何?」
「前方」
「何がある?」
「まだ遠い」
剣は少し黙った。
何かを探っているようだった。
「魔法の反応がある」
三人の顔から完全に笑みが消えた。
セラリスは広間の奥へ視線を向ける。
コボルドたちはまだこちらに気づかず、黙々と瓦礫を分け続けている。
その向こう。
薄暗い通路。
さらにその先。
「罠かもしれん」
ソーンウォッチが言った。
「位置は?」
「ここからでは絞りきれない」
少し間を置く。
「だが、この先に何かある」
セラリスは頷いた。
それで十分だった。
ダリヤが小声で尋ねる。
「どうします?」
セラリスはまず、選別された財宝の集積場所を見た。
次に働いているコボルドたち。
そして最後に、奥へ続く通路。
「ここは触らない」
三人が頷いた。
「御方を先に探す」
「はい」
ヴァレリアが答える。
「それから、コボルドにもできればまだ気づかれないようにする」
ミハイルが広間を見る。
「回り込めますかね」
ダリヤはすでに遮蔽物を探していた。
瓦礫の山。
太い石柱。
暗がり。
身を隠せる場所はいくつもある。
「やってみます」
「無理そうなら戻る」
「はい」
セラリスはソーンウォッチの柄を握り直した。
銀色の刀身が、松明の光を冷たく反射する。
そのとき、ソーンウォッチがぼそりと言った。
「三人とも悪くない」
セラリスが横目で剣を見る。
「もう分かるの?」
「声と動きを見れば十分だ」
「評価が早いね」
「お前よりは人を見る目がある」
「本当に性格悪いわね、あなた」
ダリヤは今度こそ吹き出しそうになり、慌てて俯いた。
緊張は消えていない。
奥には魔法の反応がある。
強い魔法使いがいるかもしれない。
それでも、ほんの少しだけ空気が軽くなった。
四人と一振りは、瓦礫を仕分け続けるコボルドたちの視線を避けながら、遮蔽物の陰を選んで進み始めた。
宝はそこにある。
だが、今は触れない。
価値のわからない敵がこの先にいる。
だから、先にそちらを確かめる。
そして必要なら、何も取らずに帰る。
セラリスは、前を進む三人の背中を見ながら、その判断を誰一人として惜しんでいないことに気づいた。
最初の頃なら、目の前の財宝にもう少し引かれていたかもしれない。
今は違う。
宝より先に安全。
戦うより先に確認。
わからなければ、余裕を持って備える。
彼ら自身が、少しずつそれを選べるようになっている。
そして今回は、セラリス自身も同じだった。
知っているはずの廃城。
知っているはずのダンジョン。
けれども、その奥で動いているものは、もう前世の記憶だけでは測れなくなってきている。
だからこそ。
ソーンウォッチを抜いた。
この先に何がいるのかはわからない。
ただ一つ確かなのは、ここから先では、わからないということそのものが、十分に警戒すべき理由になるということだった。