ユラがサガタの依頼により、カーチを預かってそろそろ1週間が経とうとしていた頃。朝起きた彼女は冷蔵庫から水分を摂ると小型端末を取り出してサガタに連絡を取ってみる事にした。
「通話でもいいかな、あ…でも用事してたらアレだし、メッセージを送るだけでもしておこっと」
通話のボタンを押す手を止め、液晶画面をタップしてサガタへのメッセージを残すと、まだ寝ているカーチを起こさないようにゆっくりと隣に腰掛けて寝顔を観察する。ここ最近は命を懸けるような依頼も多く、年頃の子供に経験させるような内容では無いものばかりだった為、ユラは少しだけ彼のことを心配していた。尻尾も彼に寄り添うように、しかし寝るための邪魔にならないよう腰のあたりに置いている。
「…まだ子供なのに、キャラバンズに入って危ない目に遭って…カーチ、貴方は凄いよ」
短いオレンジ色の髪を優しく撫でると、まるで母親のように微笑む。自分がもしこの年頃の子だったら絶対に怖がって居ただろう。だがカーチは自分の父を探す為に自分の意思でキャラバンズに入った。それはとてもこの歳の子供には出来ない事であり勇気ある行動だと、ユラは思った。
父親の消えた原因を知りたいという強い思いが彼を突き動かしているのも1つだろう。しかしそれだけでは前へ進めないような…何か強い信念を感じた。
「(きっと本当にお父さんのことを愛してるんだろうな、この子は)」
頬や頭を撫でる手を止めると、軽く背伸びをしてベッドからゆっくりと立ち上がる。
「…さてと、おじさんから返事が来るまで今日はのんびりしてようかな。あ、いや待てよー確か冷蔵庫の中どうなってたかな?」
『オーナー、冷蔵庫の中身はほぼ補充しておりません。買い出しに向かうことを推奨します』
「えっ、ほんと?」
もう一度冷蔵庫を開けると、中に殆ど食材が無いことに気付く。保存食料も無ければ喉を潤すための飲料や小腹を満たすためのお菓子も尽きていた。間食を常にしないといけない(別にしなくても良いのだが、口寂しい時がある為)ユラにとってこれは危機的状況である。
「あ、もう食事が無かったか…。買い出しに行かないとダメね。カーチ君が起きて私が居なくなったらびっくりするだろうし、書き置き残しておこっと」
机に置いてあるペンで買い出しに出掛けることを書いておき、ユラは家から出る。ついでにカーチにお土産の3つか4つを買ってこようと思いながら今日の新しい一歩を踏み出すと。
けたたましい通知音が、端末から鳴り響く。
それは警告音のようなアラームで、それを聞いた途端ユラの顔は若干疲弊したような顔色になった。
「…げっ、このアラーム。まさかアイツ…?」
『オーナー、心拍数の上昇を確認しました』
恐る恐るユラは懐から端末を取り出し確認すると、宛先には「アイツ」という文字が浮かび上がっており、メールボックスに1件のメッセージが来ている事を知らせている。
「絶対アイツの事だし、碌でもない依頼の手伝いをして欲しいなんて言ってるんじゃないでしょうねー…」
メールボックスをタップして内容を確認するユラ。内容を見ていくとみるみるうちにその顔が呆れたような感じに変わっていく。
「…しーらないっと」
まるで悪いものでも見たような顔をしながら、メールボックスを閉じて懐に端末を仕舞うと市場へと足速に向かうのであった。
『オーナー、アイツとは誰の事でしょう。先程のバイタルサインから察するにあまり良い関係を築けていないと思われます』
「そうよ。…ナツメ、アイツからのメールだったわ」
『ナツメ様とはどういう関係なのでしょう』
「ライバルみたいな関係って言えば良いのかな。腐れ縁かもしれないけど…うーん、一言じゃ説明出来ないから、道すがら説明するわ」
ドアを開けて外に出たユラは、歩きながらエレと話を進める。
「アイツは昔、えーと2年前くらいかな?私がまだ駆け出しのスウェイラーしてた頃なんだけど…その時ね、やけに調子こいてるヤツと依頼を一緒に組んだのよ。それがナツメ」
『ナツメ様とは因縁のようなものがあるのですか?』
「因縁ってほどじゃないけど…ある依頼が終わった時に、1回アイツに勝負を挑まれた時があるの。強そうだなとかなんか言われてだったかな?結果は…私がギリギリで勝ったの。それから変に突っかかってくるようになって、しつこいから連絡先も交換しちゃったんだけど、ミスったな〜…」
肩を落としてユラは面倒くさそうにため息を吐いた。
────────────────
数分後…市場へ着いたユラは、奇妙な噂を耳にした。
しかし自分からどうのこうのと聞いた訳ではなく、市場を行き交う人々の口から自然と聞こてきた内容を頭の中で組み合わせただけのものだ。
「ねえ聞いた?最近ここらで噂になってる凄腕のスウェイラーの噂」
「ああ、聞いたことあるぜ。なんでも2本のブレードを使ってどんなターゲットでも始末するって噂の奴だろ?そいつはこの地区に住んでるらしいじゃないか」
またある場所では
「オレの友人から聞いたんだけどよ、人喰い狼ってスウェイラーと何度も何度も殺り合ってるらしいぜ?100回闘って100回引き分けだってよ」
「なんでも人喰い狼ってヤツは、マジに人を食べちまうらしいじゃねえか…おっかねえ〜!」
と、まるで確証のない噂話があちこちで漂っていた。だが幸いに人喰い狼が自分だと知ってる人間はサガタやカーチを除くとそう多くないのだが、自分の見た目が伝達していないのが幸いだとユラはほっと胸をなで下ろした。
『オーナー、根も葉もない噂話が蔓延しているようです』
「ここじゃその類は珍しくないけど、ちょっと耳にしすぎるというか…うーん」
エレが周囲の目を気にして端末を介しメッセージにて伝えて来たのを見ると、眉を顰めてうーんと困ったような顔をして腕を組む。
確かに人喰い狼、とは勝手に独り歩きしている名前であり自分がその人だと言う事もこの先無い。この業界で大きく目立つと大手からの仕事も舞い込んで来るが、反面同業者の嫉妬を買いかねないからだ。別に成り上がりを目的としていないユラにとって、人喰い狼という名前は徐々に大きくなる風船のようなものであった。
…が、他者がまるで虎の威を借る狐のようにその名を使って悪事を働くような事は看過できない。だがどこの誰がその噂をばら撒いたのか、そこが気になったものの…先ずは買い物を済ませてからにしようと大通りを歩いていた。
「おいゴラァ!!!テメェ今なんつったぁ!?」
「ひいぃっ!だから悪かったって!アンタにさっき言ったことは謝るからよ…」
「ん?」
何やら市場の奥の方から喧騒の声が聞こえるので、野次馬気分になったのか人だかりに近づき、後ろからこっそりと様子を見守ることにしたユラ。勿論大事になる前には自分が止めようと準備はしている。
「さっきの言葉ぁ、我慢ならねぇぞ!もっぺん言ってみろ、あぁ!?」
周囲の視線が気にならないほど怒っているのか、レザージャケットを着た男は屈強な腕を振り上げ、その手には硬く握り拳を作っている。胸ぐらを掴まれている相手の男は数発殴られた後なのか、顔にアザを作っており泣きそうな顔をしている。今止めなければまた殴られそうだ。燃えるような赤髪の男が拳を振り下ろそうとした──。
が、それは振り下ろされる事は無く。割って入ったユラによって止められたのだった。
「ちょっとアンタ。こんな人の多い場所で何し、て…!?」
「あ?…おお、ユラじゃねえか!」
男は相手の胸ぐらを離し、しっしと手を振って逃がすとユラへ向き直った。ユラも反射的に男の手を離してはいるものの、その顔は若干…いやかなり曇っていた。俗に言うしまったという感じの顔だった。だが反対に男の顔は先ほど怒りに塗れた表情とは打って変わって明るいものに変わっていた。
「どうしてここに居るのよ、アンタ確か他の地区に住んでたでしょ…!?」
「残念ながら最近引っ越してな、最近仕事の稼ぎが良いもんでヤーラが溜まってきたからこの階層に引っ越したんだよ。オマエはまだあのオッサンと一緒に居るのか?」
「オッサン言うな!…じゃ、これでいい?私買い物しなきゃいけないんだけど」
「おい待てよ、少しだけ話聞けって!」
「…少しだけね?」
身振り手振りで大げさな動きをする男へ呆れたようにしつつも、人目に付かないような目立たない場所に向かう2人。ユラは身長170cm程だが隣を歩く男は180cm以上はありそうな体格差った。その左右の腰にはブレードが揺れている。
「オイ、ここらで噂聞いたことあるんじゃねーか?オレは今二刀流のスウェイラーとして、ちょっとここいらじゃ噂になってるんだ。腕が立つって事でよ、オマエより知名度は上なんじゃないか?」
「私は別に有名になろうとしてないから。…で、アンタあそこで何してたの?出てきた所って確か酒場でしょ、また何か面倒事起こしたんじゃないでしょーね?」
イカ耳をして不機嫌そうに尋ねるユラに向けて、男は首を横に振る
「人をトラブルメーカーみたいに言いやがって…。オレは普通に酒飲んでただけだ、テメェから返事が来るかも知れなかったからその間までの暇潰しにな。んで普通にしてたらいきなりあの男がオレに突っかかって来たんだよ!」
語気を強めて怒りを顕にする男に、ユラはため息を吐きながら話す。
「喧嘩ふっかけた訳じゃないのね…。大方名が売れたから嫉妬で噛み付いてきたんじゃないの?」
「ンなの嫉妬する奴らのほうがショボいってもんだぜ。この世界でスウェイラーとして生きていくんだったら自分の腕1つでどーにかやってかなきゃならんのによ、ケッ」
「…所でアンタ、人喰い狼って知ってる?」
はぁ?と男は口を開けて全く知らないような顔をした。
「人喰い狼ぃ?あー、ちょっと前に悪徳スウェイラーの事務所かなんかを襲撃して独りで壊滅させたって野郎の話か。そいつ等は数十人規模で大きめの事務所を構えてたらしいが、全く歯が立たなくて全員お縄になったってよ」
噂に尾ひれが付いてしまった事について、ユラは気まずそうな顔をしている。記憶では事務所なんて規模ではなく、廃ビルを根城にした傭兵崩れを相手にした程度のものだったからだ。
「(そんなに居なかったと思うんだけどね〜。あと私が相手してたのは傭兵にもなれなかったゴロツキみたいな奴らだし…)まあ今はそんな事どうでも良いわ。そういう訳だから、なんだか変な噂を吹聴されてると思うし気をつけなさいよ…アンタ」
「オマエに心配されるような腕前はしてねーよ」
「(コイツ…!心配して損したじゃない…)」
何か言いたげなユラをよそに、ナツメは腕組みをして
「オレはこれからもどんな依頼でも受けてやる。そしてヤーラを稼いで稼いで稼ぎまくって、いつか上層の住民になってオレを見下してた連中を上から見下ろしてやるんだよ」
と自分の野望を宣言している。
「…前も言ってたけど、それがアンタの原動力なのね?」
「ったりめーだ。オマエもオレに追い抜かれないようにちゃんと依頼を受けて熟しておけよ?てかオマエはなんでスウェイラーやってんだよ。成り上がりたいのか?金稼ぎか?それとも…」
ニヤニヤしながら、ナツメは上体を前に倒して囁やくようにユラへ言い放つ。
「人殺しも出来ない臆病者なのか?あぁ?」
その言葉にムッとしたユラは、なんとか怒りを抑えてナツメへ言い返す。
「…私は身を守る時以外では人を殺さないようになるべくしてるの。人を殺すのは私の趣味じゃないわ。例えどのくらい金を積まれようたってやらない」
「フン、今時珍しいぜ?殺しの依頼を受けないスウェイラーなんてよ。それよりまだアイツの元で働いてるのか?キャラバンズなんてしょぼい所であくせくと」
わざとこちらを挑発するような言い方をするナツメに、腹を立てるが殴り飛ばしたい衝動を何とか封じ込めてユラは話す。
「私はね、恩人に報いたいからキャラバンズに所属してるのよ。あの人…サガタおじさんに拾って貰ったから今の私が存在してるから、出来るだけ恩返ししていきたいの。そっちみたいに高みを目指すなんてこれっぽっちも考えてないわけ」
「だから、アンタの夢になんか興味無いわ!」
安い挑発には乗らないぞ、という意思を感じたナツメはユラの言葉を鼻で笑う。
「ハッ、そうかよ…なら言うだけ無駄だな。だが─」
そう言いながらナツメは、振り上げた拳をユラに叩きつけるようにして打ち下ろした。
「!!」
ユラは咄嗟に手をガードするように前に出して交差させ、その拳を受け止めようとする。丸太のような腕を持つ拳が振り下ろされ、ユラの腕に当たるとメキメキという音を立てた。
「あん、た…何すんのっ!!(この前より腕力が強くなってる、あれから鍛えたのねコイツ…!)」
「次こそ、オマエと勝負して必ず勝つ…!あれから死ぬほど鍛えて強くなったからな、もうあの時みたいなヘマはしねえ!叩き潰してやるよ!」
「…あはははっ、ヘマ?あの時の負けはアンタがこっちの力量差を見抜けなかっただけで、しょっ!」
「ぐっ!?」
ガードしたまま軸足を入れ替え、跳ねるように右足を上げて鋭い蹴りを腹に当ててナツメを吹き飛ばすユラ。先程食らった振り下ろしの一撃の重さと痛みに軋んだ腕を振って、起き上がろうとしているナツメに近寄る。
「て、めぇ…!」
「ちょっとちょっと。まさか市場でやり合う気?こんな所で闘っちゃうと保安官が飛んで来るわよ?まあ私は…取り押さえられてムショにぶち込まれるアンタが見れて良いけど、せっかく有名になってきたのに勿体ないんじゃない?」
さっきのお返しと言わんばかりの煽りを口にし、わざとらしく笑みを見せるユラに殴り掛かろうとはせず、ナツメはふつふつと湧き上がる怒りを腹に込めて立ち上がる。
「じゃ、私買い物に戻るから…アンタなんかに構ってる暇は無いの。あとそれから、さっさと逃げたほうが良いわよ?」
「テメェ、待ちやがれ!」
「行商区で暴力行為を確認しました。即座に鎮圧します」
起き上がってユラを追跡しようとするナツメのその後ろに、恐らく先程の騒ぎを誰かが通報したのであろう保安官がホバーバイクで駆け付けていた。腰のホルスターに手を伸ばしピストルを抜こうとしているのが見える。
「クソが…誰か通報しやがったな、おいユラ!次会ったらオレと勝負してもらうからなぁ!首を洗って待ってろ!」
「嫌よ!お断りだっての!」
保安官が追いつくよりも先に走り去るナツメにあっかんべーをしたユラは、やれやれと言った感じで肩を落として疲れた顔をしている。
『先程の方が、ナツメ様ですか?』
「まあそうよ。分かったでしょ?私に負けた事で変に噛みついてきてるの…でもさっきの一撃はムカつくけど普通に痛かった。アイツの実力、前より上がってると思うから私も鍛えないといけないなー」
『オーナーは、鍛えるよりも先にダイエットを目的とした運動メニューを組み込む必要があるかと思います』
「大きなお世話よ、エレ!…てかやばい、ホントに買い物しないとカーチが心配しちゃう!」
ナツメと関わったことで割かれた時間を取り戻すように、マーケットで買い物を終えたユラはカーチの待つ家に急いで戻るのだった。買い物袋を両手に下げて急いで階段を駆け上がる。
「もう夕方になっちゃってる…あの子待たせちゃってるよね。──ただいま!」
スライドドアを開けると、予想外の光景が目に飛び込んできた。
「おう、すまんな。勝手にお邪魔してるぜ」
「あ、ユラさんお帰りなさい!」
イスに座っているのはカーチと、まだもう少し帰ってくるのが先な筈のサガタだった。ユラの目は見開かれてまん丸になっている。
「さ、サガタおじさん!?帰ってくるの早くない…?」
「ちょっと野暮用が思ったより早く済んでな。ついでにいい仕事も持ち帰ってきたぜ?安心してくれ、今回は又聞きの噂じゃなくて"マジ"の情報だ」
「変に美味しい話とかじゃなくて?そういうのには裏があるから警戒したほうが良いってこの前話してたじゃん…」
買い物袋を下ろし、もう一つの席に座り話だけは聞こうと耳を傾けるユラ。しかしサガタの表情は自信に満ちていた。
「キャラバンズのメンバー何人にも聞いて裏取りはしてある。聞いて驚けよ、なんと…遺物回収の依頼が来てんだ。キャラバンズ宛にな」
サガタが懐から取り出した端末には、遺物回収の文面が書かれたキャラバンズ宛の依頼が載っている。
「遺物回収ってかなり儲けるでしょ!?それを一番乗りで受けたって、やるじゃんおじさん!…ん?でも待って、この依頼に書いてる場所って─」
「俺もなんで一番乗り出来たか疑問だったんだが…依頼内容を見たら納得しちまったよ。こんな場所じゃあ誰も行かないだろうさ」
依頼場所には封鎖区域、と記されていた。
封鎖区域─それは爆心地付近からは離れているのの、群を抜いて強力なフォージ個体が出現、縄張りとしている一定の区域を指す言葉である。