深夜、柏木さんを見送った俺は帰宅せずに組織の拠点へ足を運ぶ。
他の人達は狩りに出かけているのか、人の気配がない廊下を進み、番場さんの執務室である部屋の扉をノックする。
「入れ」
いつも通りの冷たく、無機質な声が聞こえたので、若干躊躇しつつも中へ入る。
「失礼します」
室内は重苦しい空気で包まれており、緊張してしまう。
番場さんのデスクに置かれているワイングラスには赤い液体が入っており、強烈な鉄の香りから血であると理解できる。
「感染はしていないようだな」
開口一番、発せられた言葉は叱責ではなく心配だった。
「……はい。問題ありません」
一瞬、志臥の事を報告すべきか悩んだが、口を噤んだ。
彼の人間体を告げれば組織は昼夜を問わず捜索し、見つけ出すだろう。そして自分の知らないところで討たれる事に嫌悪感を抱いてしまった。
俺は、あの男にまだ答えを伝えられていないし、勝ててもいない。
自身の胸の内に渦巻くこの感情に、折り合いを付けられないでいた。
「友人とは上手くいったか?」
「ええ。心配されましたけど、最後は笑って帰れました」
そう答えると番場さんは微かに笑ってグラスを呷り、タバコに火をつけた。
照明に照らされ、室内の空気が少し白んだ。
「その友人とは何をして遊んだんだ?」
「えっと……その……」
言い淀む俺を鋭く睨む視線に耐えきれず、カラオケへ行ったことと最近はよく昼食を共にしている事を話した。
俺の話を聞いている間、番場さんはタバコを吸いながら、適度に相槌を打つ。
「本来であれば命令違反として罰するが、不問にする。学生としての生活を守る上であの行動は避けられなかったとしてな」
俺が帰還命令を無視した事は、番場さんが上へ上手く説明してくれるらしい。
「迷惑をかけてすみません」
俺の謝罪を番場さんは気にするなと軽く流す。
「学校に馴染めたようで何よりだ。学生時代に出来た同性の友人は宝だ。大事にしろよ」
「え?柏木は女子ですよ」
「……なに?」
ピシッと握っていたグラスに罅が入り、中の血が零れてデスクを汚す。
「あの、番場さん?」
番場さんは俺とグラスを交互に見た後、グラスを置いて居住まいを正した。
無音の中、零れた血がデスクから床へ落ちる音が響く。
「気にするな。先に異性の友人が出来るとは予想外でな」
話を切り上げて清掃道具を取りに行くべきか悩む俺を他所に、番場さんの質問は止まらない。
「それで、その柏木さんについてお前はどう思っている?」
いくら疎い俺でも、質問の意図は理解している。
ただ、この感情を声に出して形にする資格を俺は持ち合わせていないように感じた。
「番場さんや有栖は家族のように思っています。でも、柏木は、なんというか、その、本当に初めての存在で上手く言葉にできなくて……」
しどろもどろになる俺を見て番場さんはまた僅かに微笑むとタバコを吸い始めた。
「そうか。なら、その感情に答えを出せるようになれ」
「はい」
「直感だけで安易な言葉に落とし込まず、納得できるまで悩むんだ。その権利がお前にはある」
話は終わったと言わんばかりに椅子を回転させ背を向ける番場さん。
とても掃除を申し出る空気ではなかったので。大人しく部屋を後にする。
「反射でもなく、直感でもなく。納得できるまで悩む」
これから暫くは、安眠できなさそうだな。
一方その頃、どこかの下水道。
ネズミと虫が動き回る中を大柄な男が歩いていた。
「ったく、匂いを辿れないようにするのも限度があるだろうが。こちとら鼻がもげそうだぜ」
志臥は、同じ道を何度も行き来しながら、目的地へ向かう。
「よぉ、着いたぜ」
そこは下水道から地上へ出た先にある廃車置場。
積み上げられた車に囲まれた一画で、男が一人、焚火をしながら晩酌をしていた。
「遅かったから先に始めているよ」
「ケッ。血をワインみたいに飲むんじゃねぇ。気色悪い」
志臥からの厳しい言葉にカラカラと笑いつつも男は血を呑むのを止めはしない。
「ボスは消え、有象無象が暴れる今。連中の戦力は分散している」
ゴミ山の中に居ても尚、男の所作から気品が感じられる。
しかし、志臥はそんな彼に遠慮することなく地べたへ胡坐をかく。
「で?お前のお目当ては出てくるのかよ」
「ああ。ハンターが減れば自ずとね」
「そうかい。ボスを殺すまでの契約だったが、気が変わった。若い人狼に手を出さないなら、ハンター狩りも手伝ってやるぜ?」
志臥の言葉に男は目を丸くする。
「驚いた。君から契約の更新を申し出てくれるなんて。どう口説こうか必死に考えていたのに」
志臥の「で、どうする?」という問いかけに、男は笑みを浮かべグラスを呷った。
「勿論、了承するよ。若くても人狼だ。半端な眷属じゃ相手にならないし、好きにして良いよ」
「ハハッ。契約成立だな」
焚火に照らされ理知的な男と獰猛な男の笑みが浮かび上がる。
今宵、ハンターと獲物の立場が入れ替わる。