四月の大学には、入学式とはまた別の緊張感がある。
建物は何もかも新しく見えるし、学生証はまだ傷一つない。学内ポータルを開けば、何に使うのか分からない項目が大量に並んでいる。
そして廊下には、どう見ても教室を探している新入生がたくさんいる。
ただし、誰も迷っている顔はしない。
スマホを確認しています、みたいな顔で地図を見ている人。同じ渡り廊下をさっきも通った気がする人。中には明らかに同じ場所を三周している人までいるのに、三周目になると「私は最初からここを歩く予定でした」みたいな顔になっている。
人間には、道順より先に体面を修正する力があるらしい。
私もさっき同じ階段を二回上ったので、人のことはあまり言えない。
そして大学で自分で決めなければならないのは、教室までの道だけではなかった。
履修登録である。
高校までなら、時間割は学校が勝手に決めてくれた。
月曜一限に数学があろうが、金曜六限に体育があろうが、私たちに拒否権はない。「嫌だなぁ」と思っても翌週には同じ授業がやってくるし、その次の週も普通に来る。
今思えば、あれはずいぶん親切な制度だったのかもしれない。
ところが大学へ入った途端、
『それでは一年間に何を学ぶか、自分で決めてください』
である。
急に投げ出さないでほしい。
ついこの間まで先生に渡された時間割をそのまま使っていた人間へ、数百個の授業を並べて「好きに選んでね」は自由というより、今まで学校が引き受けていた判断をまとめて返却された感じがする。
自由。
響きはすごくいい。
でも選択肢が数百個になると、その大部分は検索作業だった。
そして私は、その自由を与えられて開始十分で困っていた。
「……これ、本当に自分で決めていいの?」
学生ラウンジの丸テーブルには、五台のノートパソコンと履修要項が広がっている。
周囲では新入生らしい学生たちが友達と喋ったり、サークルの新歓情報を眺めたりしていた。
楽しそう。
大学生っぽい。
なのに私たちのテーブルだけ、なぜか国家予算の編成会議みたいな空気になっている。
履修を決めているだけなのに。
私は履修登録画面の『追加』ボタンにカーソルを置いたまま、押せずにいた。
ボタン一個なのに重い。
押した瞬間、一年間の何かが確定してしまいそうで怖い。
「いいんじゃない? 自分で決めるのが自由だよ。失敗したら自己責任っていう、おまけ付きの」
さやかちゃんは軽い調子で言った。
「おまけの方が大きくない?」
「大学のセット販売はそういうもんなの。まず必修、あとは面白そうな授業」
「面白そうってどうやって分かるの?」
「授業名」
即答だった。
そんな決め方ある?
「『音楽史』は面白そう。『統計学入門』は入り口で帰りたい」
「入門は退出口じゃないよ……」
入門なのに入る前から帰ろうとしている。
でも『統計学入門』という文字列がちょっと怖そうなのは、なんとなく分かる。
……いや、分かっちゃ駄目な気もする。
大学へ入ってまだ一週間も経っていないのに、私たちはもう授業内容ではなく、授業名から受ける第一印象で学問を選別し始めていた。
というか、さやかちゃん、授業内容じゃなくて完全に題名から受ける印象だけで決めてるよね?
なんだか面白くなってきて、私も一覧をスクロールする。
「『音楽史』」
「取る」
「『宗教学概論』」
「ちょっと面白そう」
「『線形代数学』」
「何それ」
そこで二人そろって画面を見る。
線形。
代数。
学。
分からない言葉を三つ並べられても、分からないものは分からない。
授業選択というより、タイトルを見た第一印象で商品を仕分けしているだけな気もしてきたけれど、少なくとも選考速度だけはものすごく速かった。
私はさっきの『現代社会とメディア』をクリックしてみる。
すると授業概要、到達目標、参考文献、評価方法――授業名だけでは分からなかった情報が一気に表示された。
大学のシラバス、容赦がない。
「あ、期末試験百パーセントだって」
「やめよう」
「早いよ」
「情報は充分だった」
まだ授業内容、一行目すら読んでないよ?
画面の下には説明が何行も続いているのに、さやかちゃんの中ではすでにこの授業は死んだらしい。
「授業内容、一行も読んでないよ」
「試験百パーセントって書いてある」
「興味は?」
「試験百パーセントの前では一旦無になる」
なるほど。
大学に入ってまだ一週間も経っていない。
それなのに早くも「学問への興味」が「評価方法」に敗北した。
大学って怖いところかもしれない。
そんな私たちの向かい側では、ほむらちゃんがもっと別の意味で怖いことになっていた。
パソコンの画面に表示されているのは履修登録ページ――ではない。
巨大な表計算シートだった。
履修登録の前に、何かの研究発表でも始めるつもりだろうか。
科目名。
曜日。
時限。
担当教員。
教室。
出席点。
小テスト回数。
レポート文字数。
期末試験の有無。
うん。そこまでは分かる。
私だって、ちゃんと履修を考えるならそのくらい確認した方がいいと思う。
問題はその右だった。
『昨年度単位取得率』
『予想自習時間』
『教室移動距離』
『食堂到達時間』
『雨天時補正』
そして最後に、
『履修効率指数』
……何?
最後の何?
「……何してんの?」
さやかちゃんが聞いた。
「履修登録よ」
「いや違うでしょ」
「何が?」
本当に分かっていない顔だった。
ほむらちゃんは一度だけさやかちゃんを見ると、すぐ画面へ戻る。
本人の中では、これが履修登録の正規手順らしい。
違うと思う。
たぶん。
「これ履修登録の画面じゃないよね?」
「まだ登録する段階ではないわ」
「段階?」
「現在は分析段階よ」
履修登録に分析段階ってあるんだ。
知らなかった。
いや、たぶんない。
さやかちゃんがしばらく黙ったあと、画面の右端を指差した。
「この『履修効率指数』って何?」
「一単位を取得するために必要と推定される総学習時間を、評価方式と昨年度の単位取得率で補正したものよ」
「大学を攻略サイトみたいにするな」
ほむらちゃんの説明はものすごく分かりやすかった。
分かりやすいからこそ嫌だった。
なんでそんなものがもう完成してるの?
「感覚だけで授業を選ぶ方が危険でしょう」
「そこは正論なのが腹立つ」
「他にも条件を入れているわ」
「もう増やさなくていいよ」
さやかちゃんの願いは届かなかった。
ほむらちゃんが別のシートを開く。
今度はキャンパス全体が、点と線になっていた。
……点と線になっていた。
「これは何?」
「移動経路」
「なんで校舎が点と線になってんの?」
「グラフよ」
グラフ。
たしかにグラフなんだろうけど。
キャンパスの建物が点になっていて、その間を通路らしい線が結んでいる。たぶん授業と授業の間に、どの道を通れば一番早く次の教室へ行けるか計算するためのものだ。
履修登録でそこまでやる人、初めて見た。
まあ私、大学入って一週間経ってないんだけど。
「グラフなのは分かるよ。なんで作ったの?」
「昨日、実測したわ」
「何を?」
「各棟間の移動時間」
さやかちゃんの顔が、少しずつ引きつっていく。
私もたぶん似たような顔をしていた。
「昨日ずっと何してたの?」
「歩いていたわ」
「友達作れよ」
ほむらちゃんは聞こえなかったことにした。
私は表を眺めてみる。
よく分からない数字がいっぱい並んでいるけれど、どうやら上にあるほど「効率がいい授業」らしい。
「あれ?」
その中でも、かなり上位にある授業が目に入った。
数字は高い。色分けもされているし、素人の私が見ても明らかに優秀そうだった。
「ほむらちゃん、この授業すごく効率いいんじゃない?」
「そうね」
「じゃあ取るの?」
「取らないわ」
……ん?
私はもう一度数字を見る。
高い。
やっぱり高い。
ほむらちゃん自身が作った基準で、ものすごく高評価になっている。
「どうして?」
「一限だから」
「そこだけ感情じゃん」
「違うわ」
さやかちゃんの指摘に、私も心の中で頷いた。
今までの表は何だったんだろう。
単位取得率。
自習時間。
移動距離。
雨天時補正。
それらすべてを計算して出した数字が、「一限」というたった二文字に殴り倒された。
「何が違うの?」
「一限は感情ではなくリスクよ」
「何の?」
「継続可能性」
継続可能性。
朝起きられるかどうかを、そんな経営会議みたいな言葉で表現する人を私は初めて見た。
さやかちゃんも一度口を閉じたあと、諦めたように肩を落とす。
「朝起きたくないって言えよ」
ああ。
全部分かった。
ほむらちゃんは「効率よく単位を取る」ために、こんな表を作ったわけじゃない。
「朝早く大学に来ない」という絶対条件を守りながら、最大効率で単位を取るために作ったんだ。
合理的という言葉は便利だけれど、何を目的に合理化しているのかで、だいぶ意味が変わるらしい。
「一限ってそんなに嫌?」
「嫌ではないわ。ただ、時間割上に存在する必要性を感じないだけ」
「嫌いな人の言い方だよ」
「朝八時五十分という時刻に講義を開始する合理的根拠が見当たらないわ」
ほむらちゃんは時間割の一番上を見ながら、本気で大学制度そのものを疑っていた。
たぶん一限を履修するより、大学側に一限を廃止させる方を選びそうだ。
「大学側にも事情があるでしょ」
「こちらにもあるわ」
「何?」
「睡眠」
一瞬、沈黙した。
さやかちゃんが少し感心した顔になる。
「潔くなってきたな」
私もそう思った。
そこへ、小さな笑い声が入った。
「一年生の頃は、そういうところで悩むものよ」
マミさんだった。
この場にいる五人の中で、マミさんだけは二年生。去年すでに一度この履修登録という儀式を乗り越えて、自分で組んだ時間割に従って一年間大学へ通っている。
つまり経験者。
今の私たちにとっては、それだけでかなり強い。
一年生になってみて分かったけれど、二年生って妙に何でも知っているように見える。
教室の場所を知っている。学食が混む時間も知っている。コピー機の使い方も知っているし、学内ポータルが落ちても「ああ、またね」みたいな顔ができる。
そして何より――一限を経験している。
たった一年。
されど一年。
履修登録を前にした今だけは、その一年がものすごく大きかった。
「マミさん、自分の履修登録は?」
「もう終わってるわ」
「早い」
「二年目だもの」
余裕だ。
私たち四人がさっきから一科目入れるたびに悩んで、一科目消すたびに人生の選択みたいな顔をしているのに、マミさんにとって履修登録はもう終わった作業らしい。
これが二年生。
来年の私もこんな顔ができるんだろうか。
「慣れるんですか?」
「慣れるわよ」
「履修登録に?」
「諦めることに」
え。
私たちはそろってマミさんを見た。
本人は何事もなかったみたいに紅茶を飲んでいる。
「今なんか怖いこと言いませんでした?」
「気のせいよ」
気のせいかなぁ。
大学生活一年分の何かが、今の一言に圧縮されていた気がするんだけど。
「ちょっと見てもらっていいですか?」
「もちろん。まず必修を入れて、そのあと卒業要件を確認するといいわ。共通科目や語学も必要だから、専門だけで埋めないようにね」
「なるほど」
「あと評価方法と出席条件も確認した方がいいわ」
すごい。
ちゃんとしたアドバイスだ。
さっきまで「授業名が面白そう」「試験百パーセントだからやめる」「一限だから取らない」で履修を決めていた私たちとは違う。
これが経験。
私はありがたく頷きながら、ふとシラバスの教室欄が目に入った。
「教室も見た方がいいですか?」
「絶対見る」
「急に強くなった」
声が一段階変わった。
さっきまで優しい先輩だったのに、教室の話をした瞬間だけ経験者の目になった。
「去年、二限が一号館六階で、三限が体育館だったことがあるの」
……。
私たちは黙った。
大学の校舎配置はまだ完全には覚えていないけれど、その二つが近くないことくらいは分かる。
「間に合うんですか?」
「間に合わせたわ」
「どうやって?」
「走ったわ」
短い。
なのに、すごく重い。
たぶん詳しく聞けば何かある。何かあった。だけどマミさんは語らない。
「マミさんが?」
「ええ」
「廊下を?」
「階段も」
マミさんが階段を走る姿が、いまいち想像できない。
いや、魔女と戦っていた頃を考えれば走るくらい普通なんだけど、大学の講義に間に合うために教材を抱えて全力疾走するマミさんは、なんというか……別方向に切迫感がある。
さやかちゃんも同じことを考えたらしい。
「ティロ・フィナーレで壁を破壊しながら進んだ?」
「大学でそんなことしないわよ」
それはそう。
履修移動で必殺技を解禁したら、大学側も困る。
「エレベーターは?」
「混んでたの」
「だから走った?」
「そう」
さやかちゃんが遠い目をした。
「大学って戦場なんですね」
「あなたたちの基準で言われると、少し困るわね」
私もちょっと困る。
私たちの場合、本当に戦場を知っているので例え話になっていない。
マミさんが自分の時間割を画面に出した。
月曜日は二限から。
火曜日も二限から。
水曜日だけ一限。
木曜日は三限まで。
なるほど。これが二年生の時間割――と見ていたところで、私はある場所に気づいた。
金曜日。
何もない。
授業名もない。
教室番号もない。
開始時刻もない。
白い。
完全に白い。
「……全休」
「ええ」
「本物だ」
「何が?」
さやかちゃんが金曜日の列を見つめている。
分かる。
ただ何も書いていないだけなのに、妙に綺麗に見える。
月曜から木曜までには文字が詰まっているのに、金曜日だけ大学という概念そのものから解放されていた。
これが、全休。
名前だけは聞いたことがある。
まさか実在したとは。
「金曜全休」
「見れば分かるでしょう?」
「マミさん」
「何、佐倉さん?」
それまであまり履修会議に参加していなかった杏子ちゃんが、急に身を乗り出した。
顔が真剣だった。
「どうやった?」
「何を?」
「金曜を消した方法」
「授業を他の日に入れただけよ」
杏子ちゃんは納得しない。
「違う。そういう一般論じゃなくて」
「一般論しかないわよ」
「絶対二年生しか知らない裏技あるだろ」
「ないわ」
気持ちはちょっと分かる。
目の前に「毎週金曜日が休み」という結果だけ置かれると、何か秘密の方法があるように見えてしまう。
私たちが知らないチェックボックスとか。
秘密の申請フォームとか。
二年生以上しか入れない地下の教務課とか。
いや最後のはない。たぶん。
「先生に菓子折りとか」
「ない」
「教務課と話つけるとか」
「犯罪みたいに言わないで」
マミさんが少し呆れた顔をした。
残念ながら秘密はなかったらしい。
ちゃんと必要単位を確認して、授業を他の日へ寄せて、空きを作る。
それだけ。
地味だ。
ものすごく地味だけど、たぶん大学ではこういう地味な確認が一番強い。
でも今の私たちから見たマミさんは、もうただの二年生ではなかった。
一年間大学へ通った人。
一限を経験した人。
校舎間を走った人。
そして――金曜日を消した人。
大学における権威って、案外こういうところから生まれるのかもしれない。
そんなことを考えている間に、今度は杏子ちゃんが別のものを発見した。
「なあ、マミ」
「何?」
「このオンデマンドって何だ?」
「動画を見て受講する授業よ」
杏子ちゃんが画面を見る。
私も横から覗き込んだ。
オンデマンド授業。
決められた教室に行って授業を受けるのではなく、配信された動画などを見て受講する形式らしい。
「教室は?」
「ないわ」
「大学来なくていい?」
「その授業だけならね」
杏子ちゃんの動きが止まった。
……あ。
この止まり方、絶対によくないことを思いついている。
杏子ちゃんは数秒間じっと画面を見つめると、無言で検索欄にカーソルを合わせた。
入力。
『オンデマンド』
曜日指定、解除。
時限指定、解除。
検索。
四十三件。
「ちょっと待って」
「なんだよ」
「なんでオンデマンドだけ検索してんの?」
「大学来なくていいんだろ?」
本気だ。
新しい選択肢を知った学生の顔じゃない。
鉱脈を見つけた人の顔だ。
「全部それにする気?」
「できるなら」
「大学来いよ」
「なんでだよ」
さやかちゃんが口を開いて――止まった。
「……」
たぶん今、「大学生なんだから大学に来るのは当然」という話をしようとしたんだと思う。
でも、改めて「なぜ大学へ来なければならないのか」と聞かれると、意外と説明が難しい。
「大学だから」
「動画で単位取れるんだろ?」
「取れるけど」
「じゃあいいじゃん」
理屈は通っている。
困ったことに、すごく通っている。
「大学生活ってそういうもんじゃないでしょ」
「じゃあ何なんだよ」
「友達と学食行ったり、空きコマに喋ったり」
さやかちゃんが反論する。
うん。
それは私も大学生活っぽいと思う。
杏子ちゃんは少し考えて、
「単位になる?」
核心を刺した。
さやかちゃんの顔が固まる。
「……ならない」
「じゃあ後でやればいい」
「大学を単位製造工場として見ないで」
でも、杏子ちゃんは納得していない。
たぶん杏子ちゃんの中では、
大学に来る。
授業を受ける。
単位を取る。
卒業する。
という目的と手段がものすごく綺麗に整理されている。
途中に「キャンパスライフを楽しむ」が入っていないだけで。
単位を取ることだけが目的なら、確かに杏子ちゃんの考え方は合理的なのかもしれない。
問題があるとすれば一つ。
私たち、まだ入学して一週間も経っていない。
大学生活を満喫するより先に、大学へ来ない方法を探し始めるのは早すぎると思う。
マミさんが杏子ちゃんの画面を覗き込んだ。
「オンデマンドが楽とは限らないわよ」
「そうなのか?」
「毎週課題が出たり、動画を見る期限が決まってたりするから」
「……詐欺じゃん」
杏子ちゃんの顔から、さっきまでの「すごいものを見つけた」みたいな輝きが消えた。
どうやら杏子ちゃんの中では、
『大学へ来なくていい』
イコール、
『楽』
だったらしい。
そんな都合のいい話、大学にもなかった。
「詐欺ではないわ」
「大学来なくていいって」
「言ったわ」
「楽だとは?」
「言ってないわ」
完全に正論だった。
なのに杏子ちゃんは、ものすごく裏切られた顔をしている。たぶん契約書の隅に小さく注意事項を書かれていた人って、こんな顔をするんだと思う。
「じゃあ課題少ないオンデマンド探す」
「授業内容は?」
「その次」
「興味は?」
「その次」
マミさんが少し呆れた顔をした。
「何が最初なの?」
「課題量」
「大学入学一週間で優先順位が完成しすぎてるよ」
さやかちゃんのツッコミが早い。
でも杏子ちゃんはまったく気にせず、一つずつシラバスを開いて課題欄を確認し始めた。
さっきまでは授業名と「大学へ来なくていいか」しか見ていなかったことを考えれば、一応進歩なのかもしれない。
教育的効果はあった。
方向はかなり怪しいけど。
しばらくして、杏子ちゃんがまた手を上げた。
「なあ」
「今度は?」
さやかちゃんの声に、もう若干の警戒が混じっている。
「四十八単位になった」
「何が?」
杏子ちゃんは自分の時間割を指差した。
「これ」
「四十八?」
全員の動きが止まった。
四十八が多いのか少ないのか、私にはまだ分からない。
でもマミさんだけは、すぐに履修要項を開いた。
「佐倉さん、年間履修上限は四十四単位よ」
「なんだそれ」
「上限」
「なんで上限なんかあるんだよ」
杏子ちゃんは本気で納得していなかった。
普通は「上限なんだ」で終わるところだと思うんだけど、杏子ちゃんの場合、まず制度の存在意義から疑う。
「取りすぎを防ぐためでしょうね」
「でも授業料同じだろ?」
「うん?」
「だったら取れるだけ取った方が得じゃん」
あ。
そういう発想なんだ。
大学の授業を、食べ放題と同じ考え方で見ている。
料金が同じなら一皿でも多く食べた方が得、みたいな。
「単位を元取るために取る人初めて見た」
「一単位あたりの授業料考えたら――」
「計算しなくていい」
さやかちゃんが止めた。
その瞬間、杏子ちゃんがほむらちゃんを見る。
「ほむら、計算できる?」
「できるわ」
「やめろ」
遅かった。
ほむらちゃんはもう電卓を開いている。
「参考値としてなら――」
「出さなくていい!」
さやかちゃんが全力で止めた。
危なかった。
たぶんここで一単位あたりの金額が出たら、杏子ちゃんは今後すべての授業を金額換算し始める。
『この講義一回で何円分だ』
とか言い出す。
嫌だ。
知りたくない。
このテーブルでは、情報が増えれば増えるほど賢くなるとは限らないらしい。むしろ余計な知識を与えると、人間の判断がおかしな方向に精密化される。
「じゃあ四単位削る」
「何削るの?」
「一限」
「早い」
迷いがなかった。
一限という言葉に、ほむらちゃんがほんの少しだけ反応する。
「朝早いのは効率悪いから」
「ほむらみたいになってきた」
「一緒にしないで」
「そっちが嫌がるんだ」
ほむらちゃんにはどうやら、一限を避けることにも自分なりの理論と誇りがあるらしい。
同じ「朝起きたくない」でも、杏子ちゃんと一緒にされるのは違う、と。
違いが私にはよく分からない。
その頃、私は私で別の問題にぶつかっていた。
『心理学入門』
『現代社会論』
二つとも面白そう。
そして、曜日も時限も完全に同じ。
大学は自由だと言ったのに、こういうところでは急に二択を迫ってくる。
自由にも時間割はあるらしい。
「マミさんならどっちにします?」
「鹿目さんが興味のある方ね」
「正論しか言わない」
「美樹さん」
マミさんが軽くたしなめるように、さやかちゃんの名前を呼んだ。
「でも困るじゃないですか」
「ほむらちゃんは?」
「心理学入門」
「即答なんだ」
ほむらちゃんは、もう二科目のシラバスを確認していた。
早い。
私はまだ授業名を見比べている段階なのに。
「どうして?」
「現代社会論は期末レポート四千字」
「四千字……」
「毎週リアクションペーパー」
……毎週。
四千字。
私の視線が、ゆっくり心理学入門の方へ移動した。
「心理学かな」
「判断が終わった」
さやかちゃんに即座に見抜かれた。
「いや、内容も興味あるんだよ?」
「今レポートって聞いた瞬間、目が死んだよ」
「死んでないよ」
そんなに顔に出てたかな。
出てたんだろうな。
マミさんが私を見る。
「鹿目さん」
「はい」
「内容も読みましょうね」
「はい……」
微笑んでいる。
優しい。
優しいけど、たぶん去年一年間で同じ反応を何度も見てきた人の笑顔だ。
私は大人しく二つのシラバスを読み始めた。
その横で、今度はさやかちゃんが、最初に授業名だけ見て「取る」と即決した音楽史の詳細を開いていた。
「やっぱりこれ取る」
「火曜一限」
ほむらちゃんが言った。
さやかちゃんの指が止まる。
「……」
「取る?」
「取る」
「声小さくなってるよ」
さっきまであんなに元気に「取る」と言っていたのに。
画面には『音楽史』。
その横には『火曜・一限』。
興味と睡眠。
人間の知的好奇心と生理現象が、ものすごく身近な場所で戦っている。
しかも今のところ睡眠が少し押している。
「本当に興味があるなら、取っていいと思うわ」
「そうですよね、マミさん」
「ただ」
「ただ?」
さやかちゃんの顔に警戒が走った。
マミさんが少しだけ遠い目をする。
「火曜一限は、月曜の夜から始まるわ」
「何そのホラー」
さやかちゃんの顔が引きつった。
私も意味が分からなかった。
火曜日の授業なのに、月曜日から始まる?
「月曜の夜十時くらいに『明日一限だ』と思うでしょう?」
「はい」
「その瞬間から少し一限なの」
「一限の時間的領域を広げないでください」
ああ。
そういう意味か。
分かりたくなかった。
でも、なんとなく分かる。
次の日早く起きなきゃ、と思った瞬間から、夜の自由時間がちょっとだけ削られる。
いつもより早く寝た方がいいかな、と考える。
目覚ましを確認する。
寝坊したらどうしようと思う。
まだ授業は始まっていないのに、もう一限に生活を侵食されている。
……怖い。
「去年学んだの」
「二年生の知識が全部嫌だ」
さやかちゃんが頭を抱えた。
大学生活の先輩が教えてくれることって、もっとこう、便利な学食とか、楽しいイベントとか、そういうものだと思っていた。
今のところ教わっているのは――
一限は朝だけでは終わらない。
そんな、できれば知りたくなかった事実だった。
そのとき、テーブルの下から白い生き物がぬるっと現れた。
「ずいぶん非効率的なことをしているね」
「なんで大学まで来てんだよ」
「君たちがいるからさ」
「学生証は?」
杏子ちゃんが反射的に聞いた。
「持っていないよ」
「帰れ」
「どうしてだい?」
「不審者だから」
キュゥべえだった。
……いや、何を当然のように大学へ侵入してるんだ、こいつ。
「僕は人間ではないよ」
「もっと駄目だろ」
正論だった。
近くの学生が杏子ちゃんを見る。
キュゥべえが見えていなければ、杏子ちゃんは床に向かって学生証の提示を要求したあと、「人間じゃない方が駄目だろ」と怒っていることになる。
誰も何も言わなかった。
説明して改善する種類の状況ではない。
キュゥべえはそんなことなど気にも留めず、机の上へ飛び乗ると、五人分の時間割を順番に眺め始めた。
「君たちは随分たくさんの条件を考えているね。興味、曜日、評価方法、移動時間、それに朝起きられるかどうか」
「最後は重要よ」
「起きればいいだけじゃないか」
「あなたには分からないでしょうね」
ほむらちゃんの声に、ほんの少しだけ敵意が混じる。
「僕は睡眠を必要としないからね」
「だから分からないと言っているの」
なるほど。
睡眠を必要としない生物に、「朝起きるのがつらい」という人類最大級の問題を理解しろという方が無理なのかもしれない。
キュゥべえは納得した様子もなく、今度はほむらちゃんの異常に詳細な表計算シートへ視線を移した。
「僕ならもっと効率的な時間割を作れるよ」
「条件は?」
「条件?」
「代償」
ほむらちゃんの警戒は、一切緩まない。
「履修相談に代償なんて求めないよ」
「信用できないわ」
「ひどいなあ」
「過去の観測結果よ」
さやかちゃんが横から口を挟んだ。
「統計取れるくらい付き合ってるの嫌だな」
「サンプル数は充分よ」
「何件?」
「美樹さん、聞かなくていいと思うわ」
マミさんが止めた。
聞かない方がいいことは、世の中に結構ある。
キュゥべえは三人の反応を理解できないまま、再び時間割へ目を戻した。
「簡単だよ。月曜から金曜まで、一限から五限を全部埋めればいい」
「嫌」
「却下」
「無理」
三人の回答が、ほとんど同時に重なった。
「私も勧めないわ」
「私はオンデマンドにする」
杏子ちゃんだけが、問題そのものから別方向へ逃げた。
「佐倉さんだけ問題の解決方法が違うね」
キュゥべえが首を傾げる。
「どうしてだい?」
「死ぬから」
「その程度では死なないよ」
「比喩だよ」
さやかちゃんは、もう説明すること自体が面倒になっているらしい。
「君たちは以前もっと過酷な――」
「大学でその比較しないで」
さすがに、それは私が遮った。
大学の大変さを魔女との戦いで測り始めたら、もう何の話か分からない。
マミさんは少し考えてから、説明役を引き受けた。
「空きコマも必要なのよ」
「なぜだい?」
「課題をしたり、昼食を取ったりするでしょう」
「昼食なら短時間で済ませられる」
マミさんが一度、口を閉じた。
効率だけを目的にしている相手へ、大学の昼休みを説明する。
考えてみると、これは意外に難題だった。
「そこを最適化しなくていいの」
「でも、それなら授業を詰めた方が――」
「それに、大学生には何もしない空き時間も必要なのよ」
キュゥべえが首を傾げる。
「何もしないのに?」
「何もしないための時間なのよ」
「説明が循環しているよ」
正論だった。
マミさんは少し考えた。
「空きコマに意味を求め始めたら負けなの」
「何に?」
「そこまでは知らないわ」
「巴マミまで投げた」
二年生にも説明できないものはある。
「意味がない時間に意味を見出すのは非合理的だね」
「キュゥべえ」
「なんだい?」
「空きコマに意味を求め始めたら負けよ」
キュゥべえが、さらに首を傾げた。
「何に?」
「分からないわ」
「もう何も分からないよ」
そういうものだった。
大学という場所は、効率だけで攻略しようとすると、途中から何を攻略しているのか分からなくなる。
しばらくすると、杏子ちゃんがまた授業を見つけた。
「お、食品文化論」
「内容見てからね」
「試食ある?」
「まだ何も見てないでしょう」
杏子ちゃんは授業名を指差した。
「食品文化論だぞ?」
「だから?」
「食うだろ」
マミさんが数秒黙った。
「どういう論理?」
マミさんが代わりにシラバスを開く。
内容は食文化史、食品流通、地域社会と食生活の変化について学ぶという、かなり真っ当な社会科学系の授業だった。
少なくとも、食べる授業ではない。
「試食は?」
「書いてないわ」
「やめる」
「三秒で学問捨てた」
杏子ちゃんは本気で不満そうだった。
「食品って書いてあるのに食えないのかよ」
「『宇宙論』取ったら宇宙行けると思ってる?」
「行けないのか?」
さやかちゃんが顔を上げた。
「そこから?」
杏子ちゃんの中では、まだ何かを学ぶという概念と、授業名に書かれている単語を現実に体験することの区別がついていないらしい。
その横では、ほむらちゃんがスポーツ実習のシラバスを見ていた。
「ほむらちゃん、体育取る?」
「取らないわ」
「体育嫌い?」
「体育館が遠い」
私は体育館の方向を見る。
「何分?」
「十二分」
「即答」
「昨日測ったもの」
……昨日?
なぜ測った。
ほむらちゃんの大学生活は、どうも普通の大学生とは違う方向から始まっている。
マミさんがほむらちゃんの時間割を眺めて、別の問題に気づいた。
「暁美さん、昼休みは?」
「三十五分確保したわ」
「四十分あるでしょう?」
「食堂まで五分」
嫌な予感がする。
「食堂が混んでたら?」
「第二候補がある」
「何?」
「購買」
さやかちゃんが横から口を挟んだ。
「それも混んでたら?」
「第三候補」
「何?」
「持参」
数秒の沈黙。
さやかちゃんが言った。
「最初から弁当持ってきなよ」
ほむらちゃんは少し考えた。
「確かに」
「そこ今気づくんだ」
合理性にも盲点はある。
しかも本人は、かなり真面目にそれを見落としていた。
そんなことを続けているうちに、窓の外は少しずつ夕方になっていた。
履修登録って、最初はもっと簡単なものだと思っていた。
授業を十個とか十五個とか、そのくらい選ぶだけ。
はい終わり。
そういう作業だと。
でも実際には、時間割を決めるということは、一年間の生活をかなり具体的に決めることだった。
何曜日に早起きするのか。
いつ大学へ来るのか。
何千字のレポートを書くのか。
昼ご飯をどこで食べるのか。
場合によっては、食品文化論で何か食べられるかどうかまで判断材料になる。
……最後のは杏子ちゃんだけだけど。
そんなことを考えながら、私は最後の科目を登録した。
「できた」
「見せて」
「うん」
パソコンをテーブルの中央へ動かす。
みんなが覗き込んだ。
ほむらちゃん。
さやかちゃん。
杏子ちゃん。
マミさん。
そして私。
しばらく、誰も喋らなかった。
……え。
何、この沈黙。
完成したんだから、もう少しこう、「いいんじゃない?」とか「お疲れ」とか、そういう空気にならない?
最初に口を開いたのは、さやかちゃんだった。
「まどか」
「なに?」
「全部一限」
「え?」
私は画面を見る。
月曜、一限。
火曜、一限。
水曜、一限。
木曜、一限。
金曜、一限。
「……ほんとだ」
綺麗に並んでいた。
月曜日から金曜日まで、一切の隙なく。
変なところで完成度が高い。
「どうしたのこれ?」
「必修入れて、興味ある授業入れてたら」
「一限コンプリートしてるじゃん」
「コンプリートって言わないで」
急に収集要素みたいになるから嫌だ。
五曜日すべて集めても何ももらえないし、むしろ睡眠時間が減る。
そこで、ほむらちゃんが立ち上がった。
「まだ間に合うわ」
「何が?」
「修正」
「ほむらちゃん?」
ほむらちゃんはもう私の時間割を見ながら、火曜日と木曜日の科目を確認している。
「この二つを消しましょう」
「取りたい授業なんだけど」
「一限よ」
「知ってるよ」
聞こえてない。
いや、聞こえてはいるんだろうけど、情報として処理されていない。
「五日連続」
「うん」
「朝八時五十分」
「うん」
「毎週」
「追い込まないで」
一個ずつ言われると、すごく嫌になってくる。
五日連続。
朝八時五十分。
毎週。
……やめようかな。
いやいや。
まだ始まってもいない。
マミさんが間に入った。
「鹿目さんが受けたいなら、いいんじゃない?」
「マミ」
「何?」
「五日連続一限よ」
ほむらちゃんの声には、自分の履修登録のとき以上の危機感があった。
「聞こえてるわ」
「二年生として許容できるの?」
「何の権限が私にあるの?」
確かに。
いつからマミさんは履修登録審査委員長になったんだろう。
でも私たちが勝手にそう扱っているだけで、本人はただ一学年上なだけだ。
マミさんが私の時間割を確認する。
「月曜、水曜、金曜は必修ね」
「はい」
「火曜は心理学入門」
「はい」
「木曜は異文化コミュニケーション」
「はい」
マミさんは少しだけ考えてから聞いた。
「本当に受けたい?」
私は画面を見る。
心理学入門。
異文化コミュニケーション。
どっちも、授業名だけじゃなくてシラバスも読んだ。
面白そうだった。
「受けたいです」
「じゃあ、一度やってみればいいと思うわ」
ほっとした。
ような。
でも少し怖い。
「無理だったら?」
「来年から一限を避けるようになる」
「教育が実地すぎる」
さやかちゃんが顔をしかめた。
「去年私も学んだもの」
「何を?」
マミさんは、すごく普通の顔で言った。
「人は一限を取って初めて、一限を取らない技術を身につけるの」
さやかちゃんがしばらくマミさんを見る。
「そんな武道みたいに言われても」
分かる。
なんだろう。
一限を経験した者だけが、一限を避けられる。
ちょっと強そう。
でも身につけたい技術ではない。
私はもう一度、自分の時間割を見る。
五日連続一限。
確かに大変そう。
でも、心理学入門も受けたい。
異文化コミュニケーションも受けたい。
だったら、一回くらいやってみてもいい。
たぶん。
……たぶん。
「じゃあ、このままでやってみようかな」
「いいと思うわ」
「まどか」
ほむらちゃんの声。
振り返ると、ものすごく心配そうな顔をしていた。
「ほむらちゃん、心配しすぎだよ」
「していないわ」
「してる」
「してない」
いや、してる。
絶対してる。
ほむらちゃんは黙ったけれど、視線だけが私の時間割を上から下へ追っている。
月曜一限。
火曜一限。
水曜一限。
木曜一限。
金曜一限。
なんというか。
敵戦力を確認している目だった。
「ほむらちゃん」
「何?」
「一限は倒さなくていいんだよ」
「知っているわ」
怪しい。
「今ちょっと倒そうとしてたよね」
「していないわ」
していたと思う。
少なくとも、火曜一限と木曜一限はさっき消そうとしていた。
履修変更という名前の討伐だった。
キュゥべえだけは、最後まで何が問題なのか理解できていないらしい。
「僕には分からないな。朝八時五十分に授業があるなら、八時四十五分に来ればいいじゃないか」
「通学時間って知ってる?」
「早く出ればいいだろう?」
「睡眠時間は?」
杏子ちゃんが少し苛立ちながら聞き返す。
「早く寝ればいい」
「こいつ全部正論で殴ってくる」
「何か問題があるのかい?」
「お前、大学生向いてないよ」
キュゥべえは不思議そうに首を傾げた。
「僕は大学生じゃないよ」
杏子ちゃんが黙った。
「……そうだった」
負けた。
何に負けたのかは分からないけれど、確実に負けていた。
履修登録が終わる頃には、窓の外はもうすっかり暗くなっていた。
四月の初めに聞く「大学生活」という言葉は、まだすごく大きい。
専門知識を身につける。
将来について考える。
四年間で成長する。
入学式でも、そういう話をたくさん聞いた。
でも実際に始めてみたら、目の前にある問題はもっとずっと小さい。
一限を取るか。
金曜日を空けるか。
四千字のレポートを受け入れるか。
体育館まで十二分歩くか。
オンデマンドの課題は少ないか。
食品文化論で何か食べられるか。
そして昼食の第三候補まで決める必要が、本当にあるのか。
たぶん大学生活って、大きな決断だけでできているわけじゃない。
むしろ一年の大半は、こういう小さい選択の積み重ねでできているんだと思う。
だから時間割って、ただの表なのに、完成すると妙にその人の性格が出る。
ほむらちゃんの時間割は、移動距離まで管理されている。
杏子ちゃんは、できるだけ大学へ来なくていいようになっている。
マミさんは金曜日が消えている。
そして私の時間割は――
五日連続一限。
……性格、出てるのかなこれ。
荷物を片付け始めた頃、さやかちゃんがふと思い出したみたいに聞いた。
「そういえば、みんな明日一限ある?」
「あるよ」
「私はないわ」
「オンデマンド」
三人の返事を聞きながら、マミさんが履修要項を鞄へしまう。
「私は二限からよ」
さやかちゃんの動きが止まった。
「……マミさん」
「何?」
「二年生ってずるくないですか?」
マミさんが少しだけ笑った。
「一年経てば、美樹さんたちも二年生よ」
「金曜全休できます?」
「それは努力次第ね」
「やっぱり技術なんじゃん」
さやかちゃんはすぐにほむらちゃんを見る。
「ほむら」
「何?」
「来年、金曜全休作れる?」
「可能よ」
即答だった。
さやかちゃんの顔が一気に明るくなる。
「頼む」
「自分でやりなさい」
「冷たい!」
マミさんは、残っていた紅茶を飲み干した。
その姿が、なんだか妙に余裕があるように見える。
二年生。
一限を知る人。
金曜日を消した人。
月曜の夜から火曜一限が始まることを知っている人。
私たちよりたった一年長く大学にいるだけなのに、今はものすごく先を歩いているように見えた。
大学では、たぶんこういうものが権威になる。
少なくとも、四月のうちは。