Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
歴史とは、起きた出来事のすべてではない。誰かが残すことを選び、誰かが消すことを諦め、そして最後まで忘れられなかったもの。その集積を、私たちは歴史と呼んでいる。
人類が地上を失った日も、女神と呼ばれたニケたちが戦った日も、アークの扉が閉ざされた日も、公式の記録には残されている。英雄が死んだ日も、名もなき者たちが忘れられていった日も、少なくとも何らかの形では記録されてきた。
だが、記録されなかったこともある。
死んだはずなのに生きていた者がいる。生きていたにもかかわらず、死者として歴史へ残された者もいる。命令に従わなかった兵士、救われるはずのなかったニケ、そして、この世界の歴史には本来存在しなかった一人の男もいた。
彼が英雄だったのかと問われれば、私は否と答えるだろう。少なくとも本人は、最後まで自分をそう呼ばなかった。
彼はただ、目の前で死にかけている者を見れば手を伸ばし、理不尽な命令を聞けば悪態をついた。使える廃材を見つければ拾い上げ、必要とあらば、この世界の常識そのものへ喧嘩を売った。その結果として、歴史はいくつかの場所で、本来とは違う道を進むことになった。
もちろん、世界が救われたわけではない。戦争がなくなったわけでもなく、失われた命も、取り戻せなかったものも数え切れない。それでも、本来なら墓標に名前を刻まれていたはずの者たちのうち、何人かは今もここで笑っている。
だから私は、この記録を残すことにした。
これは中央政府の公式記録ではない。英雄を讃えるための英雄譚でもなければ、人類の勝利だけを書き連ねた歴史書でもない。灰に覆われた別の世界からやって来た一人の男と、人類のために戦うことを求められた女神たちが、何を見て、何を失い、それでも最後に何を選んだのかを残すための記録だ。
ただし、話を始めるなら過去からではなく、まず現在から始めるべきだろう。
一人の新人指揮官を乗せた輸送機が地上へ墜落した、あの日から。
彼らの物語と、彼の残したものが再び交わるまでには、まだ語らなければならない過去があまりにも多い。だからこそ、まずはこの世界の「現在」を見届けてもらいたい。
その後で、時計の針を巻き戻そう。
まだ女神たちが伝説ではなかった時代へ。そして、この世界に存在するはずのなかった男が、空から落ちてきたあの日へ。
――記録官
序章 墜落
最初に戻ってきたのは、音だった。
遠くで何かが燃えている。金属が爆ぜ、火が草木を舐める音に混じって、誰かが必死に自分を呼んでいた。身体は鉛でも流し込まれたように重く、胸の奥には鈍い痛みが残っている。指一本動かすことさえ億劫だったが、それでも声だけは妙にはっきりと聞こえた。
「指揮官。聞こえますか? 指揮官!」
閉じていた瞼をどうにか持ち上げると、視界いっぱいに一人の少女の顔があった。銀色の髪が頬へかかり、その向こうで青い瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。やがて何かを確認したらしく、少女は大きく息を吐いた。
「よかった……心拍が戻りました。意識もありますね」
指揮官は何か答えようとしたが、喉から出たのは掠れた息だけだった。頭の中がひどく混乱している。昨日、士官学校を卒業した。中央政府ニケ管理部へ配属され、ほとんど間を置かずに地上任務を言い渡された。そして輸送機に乗った。そこまでは覚えている。
その後、爆発があった。機体が大きく傾き、身体が座席へ叩きつけられた。警報が鳴り響き、何かが裂けるような音がしたところまでは記憶にあるが、その先が完全に抜け落ちている。
「私はマリアン。シルバーガン所属のニケです。今回の作戦では、あなたの護衛を担当しています。覚えていますか?」
少しずつ記憶が繋がった。輸送機の中にもいた。初任務を前に何を話せばいいのか分からず黙っていた自分へ、先に挨拶してくれた少女だ。
指揮官は身体を起こそうとした。途端に全身へ痛みが走り、思わず顔をしかめる。
「まだ無理をしないでください」
マリアンに肩を支えられ、ゆっくりと上体を起こしたところで、ようやく周囲の惨状が目に入った。
乗っていた輸送機は見る影もなかった。機体は地面を大きく抉って停止し、胴体部分が無惨に裂けている。大小の残骸が周囲へ散乱し、何か所からも黒煙と炎が上がっていた。その向こうには、青い空がどこまでも広がっている。
士官学校の教材で何度も見た地上の空だった。しかし映像で見るのとはまるで違う。頭上に天井がなく、人工照明でもない。果てが見えないほど広い青が続いている。
美しい――そう感じる余裕は、長く続かなかった。
マリアンが突然立ち上がり、表情を引き締めた。
「……来ます」
先ほどまでの柔らかな声とは違う。完全に兵士の声だった。
指揮官にも聞こえた。木々の向こうから低い機械音が近づいている。一つではなく、複数。地面を揺らしながら、それはこちらへ近づいてきていた。
「墜落時の爆発を感知したようです。ラプチャーが接近しています」
ラプチャー――人類から地上を奪った機械生命体。士官学校では嫌になるほど学ばされた。個体の分類、基本構造、火力、行動パターン、そしてニケ部隊を用いた対処方法。しかし本物を目にするのは、もちろん初めてだった。
木々を押し分けるようにして、異形の機械が姿を現した。
教本に載っていた静止画とはまるで違う。金属の脚が大地を踏みしめる音も、機械部品が擦れ合う音も、こちらへ向けられた武装の威圧感も、そのすべてが現実だった。
指揮官の身体が強張る。
「指揮官」
マリアンが振り返った。
「ご指示を」
自分が指示するのか。そう聞き返したくなった。昨日まで士官学校の学生だった。初めての任務へ向かう途中で輸送機が墜落し、つい先ほどまで心臓が止まっていた。そんな人間を、マリアンは当然のように指揮官として見ている。
けれど、それが自分の役目だった。
指揮官は無理やり頭を動かした。敵の位置、遮蔽物、射線、マリアンの武装。士官学校で何度も繰り返した訓練を、一つずつ現実へ当てはめていく。
「右の残骸を遮蔽物にして。近い敵から落とそう。全部を同時に相手にしないで、一体ずつ確実に」
声が少し震えているのが自分でも分かった。それでもマリアンは何も指摘せず、わずかに微笑んだ。
「ラジャー」
そして、初めての戦闘が始まった。
◇
実際の銃声は、訓練で聞いていたものより遥かに大きかった。
マリアンの機関銃が火を噴くたびに空気が震え、飛び交う弾丸がラプチャーの装甲を削る。敵から撃ち返された砲撃が地面を抉り、倒木と土砂を吹き上げた。
指揮官は輸送機の残骸に身を隠しながら戦場を見続けた。怖くないはずがない。あれが一発でもこちらへ直撃すれば、人間の身体など簡単に吹き飛ばされるだろう。それでも目を逸らすわけにはいかなかった。
マリアンは一人で戦っている。ならば、自分が彼女の目にならなければならない。
「左から二体!」
「確認しました!」
「中央の大きい奴を先に! 右はまだ距離がある!」
マリアンが敵の射線を避けながら撃ち返す。だが別方向から、砲口をこちらへ向けた個体が見えた。
「マリアン、下がって!」
彼女は迷わず地面を蹴った。直後、先ほどまで立っていた場所へ砲弾が落ち、爆風と土煙が周囲を覆う。その煙を突き破るようにして、マリアンが再び飛び出した。
「もらいました!」
集中射撃を受けたラプチャーの中枢部が火花を散らし、巨体が地面へ沈んだ。残る個体も間もなく動きを止め、辺りには再び炎の燃える音と耳鳴りだけが残された。
「終わりました」
マリアンが武器を下ろし、こちらへ歩いてくる。
その姿を見て安心しかけた指揮官だったが、ふと彼女の脚へ目が留まった。
「待って。脚、怪我してる」
「これですか?」
マリアンが自分の脚を見る。外装の一部が裂け、その下から機械部品が僅かに覗いていた。戦闘中に弾片でも受けたのだろう。
「この程度なら問題ありません。戦闘行動に支障は――」
言い終える前に、指揮官は救急キットを開いていた。
「指揮官?」
「包帯あるな」
「ありますけど……何をするんですか?」
「巻く」
マリアンが目を丸くする中、指揮官は彼女の前へしゃがみ込み、損傷した脚へ包帯を巻き始めた。
もちろん、包帯を巻いたところで修理にならないことくらい分かっている。ニケは人間の脳を機械の身体へ移植した存在であり、外装の損傷へ布を巻いたところで、人間の傷のように塞がるわけではない。そんなことは士官学校でも習っていた。
それでも、目の前で傷ついている相手を何もせず歩かせることには抵抗があった。
「……指揮官」
「痛くない?」
「痛覚はあります。でも、本当に大丈夫ですよ」
「なら、なおさら巻いとく」
「包帯では治りません」
「分かってる」
そこまで言うと、マリアンはそれ以上止めなかった。
指揮官が包帯を巻き終えるまで、彼女は静かにその様子を見つめていた。白い包帯で覆われた脚は、機械として見れば何一つ修理されていない。それでも先ほどより少しだけ、怪我を手当てしたようには見えた。
「これでよし」
指揮官が立ち上がると、マリアンは自分の脚を見た後、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
「でも、やっぱり意味なかった?」
少し気まずそうに尋ねると、マリアンは首を横に振った。
「いいえ。嬉しいです」
その言葉の本当の意味を、指揮官はまだ知らなかった。ニケを兵器としてではなく、傷つけば手当てをする一人の仲間として扱う人間が、この世界では決して当たり前ではないということを。
◇
二人は墜落した輸送機を離れ、予定されていたランデブーポイントを目指した。
マリアンは何度かアークとの通信を試みたが、応答はない。墜落による機器の故障なのか、それとも単純に地上の通信環境が悪いのかまでは判断できなかった。
「ランデブーポイントには別働隊がいるはずです」
歩きながらマリアンが説明する。
「ニケ二名と指揮官一名。合流できれば、今よりずっと安全になります」
「マリアン一人より、ってこと?」
「はい。少なくとも指揮官を守りやすくなります」
彼女は当然のように答えた。それを聞いた指揮官は、少しだけ首を傾げる。
「マリアン自身の安全は?」
「私ですか?」
「もちろん。俺だけ無事でも意味ないだろ」
マリアンは一瞬だけ黙った。
「ニケの最優先任務は指揮官の保護です」
「それは知ってる。でも、君も無事な方がいい」
「……そうですね」
どこか不思議そうな顔で、マリアンは答えた。
そのまま二人は歩き続ける。周囲には、かつて人間が暮らしていた痕跡がいくらでも残っていた。草木に呑まれた道路、錆びた自動車、崩れた建物。地上を奪われて長い年月が経っているというのに、人類がここで生活していた名残だけは簡単には消えていない。
「本当に、ここに人が住んでたんだな」
指揮官が呟く。
「はい。いつか取り戻します」
マリアンは迷わず答えた。
「地上を?」
「それが、私たちニケが作られた理由ですから」
その言葉に、指揮官は少しだけ引っかかるものを感じた。「作られた理由」という言葉を、彼女はあまりにも自然に口にしたのだ。
何かを尋ねようとした、その時だった。
遠くから複数の銃声が響いた。
マリアンが顔を上げる。
「ランデブーポイントの方向です!」
二人は走り出した。
◇
ランデブーポイントでは、二人のニケがラプチャーと交戦していた。
赤い髪の少女が遮蔽物から正確な射撃を繰り返し、その少し後ろでは金髪の少女が火力を集中させている。だが敵の数が多く、二人だけでは徐々に押され始めていた。
「味方です!」
マリアンが声を上げる。
赤髪の少女が一瞬だけこちらを見た。
「増援?」
「BA-01の指揮官です!」
「生きてたの?」
金髪の少女が驚いた声を出す。
「墜落したって聞いてたけど!」
「話は後です!」
マリアンがすぐに戦列へ加わった。
指揮官も周囲を確認する。敵は先ほどより多いが、こちらも今度は三人いる。正面、右側、左側。それぞれの位置を頭へ叩き込み、指示を飛ばした。
「正面を抑えて! 右は火力を集中、マリアンは左へ回り込んで!」
赤髪の少女――ラピが最初に動いた。
「了解」
金髪の少女――アニスもすぐに続く。
「新人指揮官にしちゃ決断早いじゃない!」
「アニス」
「分かってるって!」
三人がそれぞれの位置へ散った。ラピが正面から敵を引き付け、アニスが集中射撃を浴びせる。その隙にマリアンが側面へ回り込み、動きを止めた個体から順番に撃ち抜いていく。
「アニス、二歩下がって!」
「二歩!?」
「いいから!」
アニスが反射的に後退した直後、彼女がいた場所を敵弾が通過した。
「うわっ……なるほど! 助かった!」
「次、中央!」
戦闘は長く続かなかった。最後のラプチャーが地面へ崩れ落ちると、今度こそ周囲から機械音が消えた。
アニスは大きく息を吐き、肩の力を抜く。
「助かったぁ……。もうちょっと遅かったら、結構危なかったかも」
ラピは武器を下ろした後、指揮官へ向き直った。
「あなたがBA-01に乗っていた指揮官ですか?」
「ああ」
「任官は?」
「昨日」
ラピの表情が僅かに変わった。
「……昨日?」
アニスもこちらを見る。
「昨日士官学校を卒業したばっかり!?」
「そうだけど」
「中央政府、本気?」
「アニス」
「だってラピ、私たちの前の指揮官だって――」
そこまで言って、アニスは口を閉じた。僅かな沈黙だけで、先ほどまでとは空気が変わったのが分かった。
指揮官は二人の様子を見比べる。
「前の指揮官は?」
ラピが淡々と答えた。
「死亡しました。先ほどです」
「……そうか」
士官学校では、指揮官はニケを率いる重要な存在だと教わった。人類が地上を取り戻すために不可欠な人材であり、自分もその一員になるのだと思っていた。
しかし現実では、昨日まで学生だった自分が墜落事故から生還した直後に、既に一人の指揮官が死んでいる。
「現在、04-Fには指揮官がいません。この状況では、あなたが臨時で指揮を執るのが最も合理的です」
ラピが続けると、マリアンも迷わず頷いた。
「私も賛成です」
アニスは少しだけ考えた後、肩をすくめる。
「まあ、さっきの指揮は悪くなかったしね。少なくとも変なこと言って突撃するタイプではなさそう」
「アニス」
「褒めてるってば」
ラピは小さく息を吐き、改めて指揮官を見た。
「命令を」
あまりにも急な話だった。しかし思い返してみれば、今日起きたことは何もかも急だった。昨日士官学校を卒業し、初任務へ向かう途中で輸送機が墜落した。一度は心停止し、目を覚ませばラプチャーとの実戦。そして今度は、つい先ほど指揮官を失った部隊を預かることになった。
迷っている暇はない。
指揮官は周囲を見回した。ここは遮蔽物が少なく、いつ別のラプチャーが現れてもおかしくない。まず必要なのは、戦うことではなく生き残ることだ。
「ここを離れよう。安全な場所を確保してから、状況を整理する」
「賛成です。この場所は開けすぎています」
ラピが答え、マリアンも地図を確認する。
「ここから少し進んだところに市街地があります。建物が残っていれば、遮蔽物として使えるはずです」
「じゃあ、そこへ向かおう。移動中も周囲の警戒を続けて」
「了解」
三人の返事が重なった。
昨日まで自分は士官学校の学生だった。それが今は、名前を知ったばかりの三人のニケを率いて、人類が失った地上を歩こうとしている。不安がなくなったわけではない。むしろ、これから先に何が待っているのかを考えれば、怖いことばかりだった。
それでも今は、三人と一緒に生きて帰ることを考えればいい。
「行こう」
指揮官の言葉に、ラピ、アニス、マリアンが頷いた。四人は廃墟となった市街地へ向けて歩き始める。
昨日まで士官学校の学生だった一人の人間と、三人のニケ。その出会いが、人類とラプチャーの長い戦争へどれほど大きな影響を与えることになるのか、この時の彼らには知る由もなかった。
そして彼らは、もう一つ知らないことがあった。
今から遥か昔、人類がまだ地上で戦っていた時代にも、この世界の歴史には存在するはずのなかった一人の男がいた。その男もまた女神たちと出会い、共に戦い、そして公式の歴史には残らないものを数多く遺している。
新人指揮官たちが、その痕跡へ辿り着くのはまだ先のことだ。
だから今は、時計の針を巻き戻そう。
女神たちがまだ伝説ではなく、戦場を駆ける兵士だった時代へ。
そして、別の世界で一度人生を終えた男が、彼女たちの前へ空から降ってきた――あの日へ。