Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
エリシオン第3ニケ研究所へ向かう当日の朝、スノーホワイトは勝利の翼号の格納区画で、見るからに不満そうな顔をしていた。
本来なら彼女も同行するつもりだったのだが、次の大規模作戦へ向けた装備点検が予定より遅れている。指揮官から「自分の武器を放り出して他人の武器を見に行くな」と言われてしまえば、さすがに反論するのは難しい。それでも諦め切れないらしく、輸送車へ乗り込もうとするネイトを捕まえて、端末にまとめた質問事項を次々と読み上げていた。
「ガラスの靴について、見られる範囲でいいので確認してきてください。展開方法と浮遊中の姿勢制御、それから推進方式がどうなっているのか、可能なら内部の――」
「待って。見学じゃなかったの?」
「見学です」
「質問事項が完全に研究者なんだよ」
スノーホワイトは一瞬だけ黙ったものの、すぐに端末そのものを差し出してきた。画面には十項目どころではない質問が並んでおり、ネイトは途中まで読んだところでそっと押し返した。
「これは本人か作った奴に聞いてくれ。初対面で『こんにちは、武器の内部構造を見せて』から入ったら嫌われるぞ」
「そんな聞き方はしません!」
少し離れたところで見ていたレッドフードが、堪えきれず笑い声を上げた。
「おちびちゃん、男前が帰ってきたらPip-Boyごと尋問する気だぞ」
「しません!」
「じゃあ、ガラスの靴を一個くらい持って帰ってくる?」
ネイトが冗談半分で尋ねると、スノーホワイトの顔が一瞬だけ真剣になった。
「……可能なら」
「冗談だよ」
「分かっています!」
返事までの間が長すぎた。
ネイトは笑いながら輸送車へ乗り込み、まだ何か言いたそうなスノーホワイトへ手を振った。
今回の訪問で本当に重要なのは、シンデレラやガラスの靴の見学ではない。Pip-Boyにはウルトラとの戦闘で記録した侵食時の信号が加工されないまま残っており、遮蔽ケースには実際にレッドフードへ突き刺さっていた触手の破片も収めてある。研究所側にはすでに整理済みのデータとサンプルの一部が送られていたが、記録した機械そのものを使って元データを比較できるなら、その方が得られる情報は多いはずだった。
ゴッデスは次の作戦準備を進めているため、同行者はいない。Pip-Boyを扱えるのはネイト本人であり、ウルトラとの戦闘で何が起きたのかを最も詳しく説明できるのも本人なのだから、一人で十分だという判断だった。
研究所へ向かう車内で、ネイトは事前に渡されていた訪問資料を開いた。
エリシオン第3ニケ研究所。
第2世代フェアリーテールモデル開発施設。
研究責任者――エイブ。
実戦配備候補として記録されているのは三機だった。
シンデレラ。
レッドシューズ。
リトルマーメイド。
ひと通り目を通したところで輸送車が減速し、窓の外へ巨大な研究施設が見えてくる。ネイトは端末を閉じると、左腕のPip-Boyとサンプルケースを確認してから席を立った。
◇
研究所へ到着したネイトが最初に会ったエイブは、想像していた人物とは少し違っていた。
研究責任者と聞いた時点で、勝手に年配の人間でも思い浮かべていたのかもしれない。実際に受付の奥から現れたのは、セーターとスカートの上から白衣を羽織った女性であり、外見だけを見れば巨大な研究施設を預かる人物だとは分かりにくかった。
ただし、挨拶には一切の無駄がなかった。
「Pip-Boyを見せろ」
差し出しかけていた右手が止まった。
「……初対面だよな?」
「そうだ」
「俺はネイト・フォーリー」
「知っている。資料を読んだ」
「そっちはエイブ?」
「そうだ。だからPip-Boyを見せろ」
自己紹介へ割く時間さえ惜しいらしい。
ネイトは苦笑しながら左腕を差し出した。
「先に言っとくけど、外せないぞ」
「外せとは言っていない。元データを直接読みたい」
エイブはすぐ接続用の機材を持ってきた。当然ながら規格はまったく異なるため、そのまま接続できるものではない。ネイトがPip-Boy側の出力形式を調整している間にも、彼女は表示される内部情報を食い入るように見つめていた。
「古い」
最初の感想がそれだった。
「悪かったな」
「悪いとは言っていない。設計思想が古い。それなのに改修が多すぎる。メーカー標準の部分がほとんど残っていない」
「長く使ってるからな。壊れたら直すだろ?」
「直し方がおかしい」
「初対面でそこまで言う?」
抗議を聞いている様子はなかった。
やがてPip-Boyからウルトラ戦の記録が呼び出され、研究所側が保管していた侵食データと並べられる。触手がレッドフードへ接触する直前には存在しなかった異常信号が、刺さった瞬間に急激に増え、その後触手を抜いても低い水準で残り続けていることが、同じ画面上で確認できた。
そこからのエイブは、未知の機械を面白がる研究者ではなく、侵食を調べる責任者の顔になった。
「ここだ」
画面の一点を指す。
「刺さった瞬間?」
「そうだ。以前の侵食記録と似ている。ただし、完全に同じではない」
「どう違う?」
エイブは別の記録を表示した。
「以前の侵食は、NIMPHへ比較的単純な行動命令を入れるものが多かった。動くな、特定の行動を取れ、その程度だ。NIMPH側が異常な命令だと判断できれば、時間とともに排除できる可能性もあった」
「最近のは?」
「複雑になっている。NIMPHへ作用するという基本部分は同じでも、より深く入り込む。ウルトラが使ったものは、その途中にあるように見える」
ネイトは医療区画で聞いた説明を思い出した。
「じゃあ、レッドフードから取り除ける?」
「分からない」
答えは即座に返ってきた。
「分からないものを治せるとは言えない。お前の記録で侵入した瞬間の挙動は以前より見えるようになった。しかし、侵入した後に何をしているかを判断するには情報が足りない」
「正直で助かるよ」
「嘘を言っても治療法にはならない」
ネイトはその答えを気に入った。
期待させるためだけに「何とかなる」と言われるより、分からないことを分からないと答える研究者の方が信用できる。少なくとも、今のレッドフードに必要なのは根拠のない楽観ではなかった。
エイブは触手の破片についても研究所に保存されているサンプルとの比較を始めた。ネイトには理解できない専門的な数値がいくつも画面へ流れていったが、持ってきたものが無駄ではなかったことだけは分かる。
「しばらく時間が掛かる」
「どれくらい?」
「数時間。お前のPip-Boyも必要だ」
「ってことは、俺もここにいろと?」
「そうなる」
エイブはそこでようやく画面から顔を上げた。
「その間、研究所の中を見ていて構わない。ただし勝手に触るな」
「俺、そんなに信用ない?」
「昨日、ゴッデスから問い合わせが来た」
嫌な予感がした。
「誰から?」
「スノーホワイト。ガラスの靴を見せてほしいと書いてあった」
ネイトは額へ手を当てた。
「……あいつ」
「同行しないと聞いて安心した」
「そこは同感だよ」
少なくとも、研究所へスノーホワイトを連れてこなかった判断については、初対面の二人でも意見が一致した。
◇
広い実験場へ足を踏み入れると、鏡の前に一人の少女が立っていた。
白を基調とした姿と、その周囲へ配置された四基の巨大な兵装。資料の画像でも十分大きく見えたガラスの靴は、実物を前にするとさらに存在感があり、それらを従える少女本人よりも先に目へ入るほどだった。
彼女は鏡に映る自分の姿とガラスの靴の配置を何度も確かめている。
ネイトが近づくと、鏡越しにこちらへ気づいた。
「あなたがネイト?」
「そうだけど。俺のこと知ってる?」
少女――シンデレラが振り返った。
「エイブから聞いたわ。ゴッデスと一緒にいる、人間の男でしょう?」
「説明としては合ってる」
「それから、変わった機械を腕につけている」
当然のように視線がPip-Boyへ向けられる。
またか、と身構えたネイトだったが、シンデレラはスノーホワイトのように内部構造へ興味を示したわけではない。少し離れたところから外装を眺め、細かな傷や修理跡を一通り確認してから、率直に感想を口にした。
「綺麗ではないわね」
「初対面で結構言うな」
否定はできない。外装には何度修理しても残った細かな傷が無数にあり、部品を交換した箇所によっては色合いまで僅かに違っている。
ところが、シンデレラは続けた。
「でも、美しいと思う」
ネイトは意外に思って彼女を見る。
「綺麗じゃないのに?」
「綺麗なものだけが美しいわけじゃないでしょう?」
シンデレラはPip-Boyをもう一度見た。
「大切に使ってきたことが分かるもの。傷がついて、壊れて、それでも直して捨てなかった。そういうものは美しいと思うわ」
ネイトも左腕へ視線を落とした。
Vault 111を出た時から使ってきた端末だ。撃たれ、爆発へ巻き込まれ、雨にも放射能にも晒され、それでも壊れるたび修理しながら老人になるまで手放さなかった。メーカーが想定した寿命など、とっくに越えているに違いない。
「なるほど」
「気に入らなかった?」
「いや。褒められたなら悪くない」
シンデレラは満足そうに頷いた。
そして、彼女の興味はすぐにネイト本人からゴッデスへ移る。
「リリーバイスは、本当にあんなに強いの?」
「あんなにって、どれくらい?」
「第1世代についての記録はたくさん見たわ。でも、映像では分からないことも多いでしょう?」
「大型のラプチャーを素手で殴って飛ばすくらい」
シンデレラの目が輝いた。
「美しい」
「即答だな」
「スノーホワイトは?」
「武器を見ると、時々周りが見えなくなる」
「そういうことを聞いたんじゃないわ」
「腕は確かだよ。俺も何度か助けてもらってる」
「ドロシーは?」
「真面目。レッドフードが絡むと大体怒ってる」
「レッドフード?」
「大体怒らせてる側」
シンデレラが少し笑った。
「楽しそう」
「騒がしいよ」
「それでも、私は一緒に戦いたい」
最後の言葉だけは、それまでより真剣だった。
シンデレラは少しだけ鏡へ目を向ける。
「人間だった頃に、ゴッデスが戦う姿を見たの。あの人たちみたいになりたくて、私はニケになった」
そのために身体を変え、フェアリーテールモデルとなり、長い訓練を重ねてきた。彼女にとって、これから迎える作戦は単なる初陣ではないのだろう。
「緊張してる?」
ネイトが尋ねると、意外にもシンデレラは否定しなかった。
「少し。でも、それより楽しみ。私も勝利の女神になれるかもしれないから」
その言葉を聞き、ネイトは少し前にマレーンと交わした会話を思い出した。
ただし、彼女へ同じ答えを押しつける必要はない。
マレーンにはマレーンの生き方があり、シンデレラにはシンデレラの答えがある。
「帰ってきたら教えてくれ」
「何を?」
「実際にゴッデスと一緒に戦ってみた感想。遠くから見てたのと同じだったか」
シンデレラは少し考えてから微笑んだ。
「ええ。約束するわ」
◇
シンデレラと別れて研究区画を歩いていると、向こうから数人のニケがやってきた。
先頭にいるのは淡い金髪の女性で、その後ろには黒を基調とした服を着た少女と、白を基調とした服を着た少女が並んでいる。さらに少し遅れて、もう一人の小柄な少女が姿を見せた。
「あなたがネイトさんですね?」
金髪の女性が先に声を掛けてきた。
「そうだけど」
「初めまして。レッドシューズです」
柔らかな物腰だった。
警戒する様子もなく自然に距離を詰め、穏やかな笑顔を向けてくる。
「エイブから、レッドフードさんの侵食データを持ってきてくださった方だと聞きました。ありがとうございます」
「俺がやったのは記録しただけだよ」
「でも、その記録がなければ調べることもできなかったでしょう? 十分ありがたいことです」
そう言って笑う姿から受ける印象は、「第2世代フェアリーテールモデル」という仰々しい肩書きよりも、面倒見のいい年上の女性という方が遥かに強かった。
その背後から、黒い服の少女が顔を覗かせる。
「ヘンゼルは、この人が空から落ちてきた人だと思ってる。グレーテルもそう思ってる」
隣の白い少女が小さく頷いた。
ネイトは思わず顔をしかめる。
「その話、ここまで来てるの?」
「面白いから」
「誰が広めたんだ……」
考える必要もなかった。
レッドフードである。
ヘンゼルは今度はネイトの左腕へ注目した。
「ヘンゼルは、その腕の機械からいろいろなものが出てくると聞いた。グレーテルも見たいと思ってる」
グレーテルがまた頷く。
「何でも出てくるわけじゃないよ」
「食べ物も?」
「ある程度なら」
「武器も?」
「ある程度なら」
「爆弾も?」
「質問の順番がおかしくない?」
レッドシューズが苦笑しながら二人の間へ入った。
「ヘンゼル、グレーテル。初対面の方を困らせてはいけませんよ」
「ヘンゼルは困らせていないと思ってる。グレーテルもそう思ってる」
そこで、白い服の少女が小さく呟いた。
「……困ってる」
ヘンゼルが驚いたように隣を見る。
「グレーテルが喋った」
「そこに驚くの?」
ネイトが思わず聞き返すと、少し後ろにいたもう一人の少女から小さな声が漏れた。
「あう」
レッドシューズが振り返る。
「こちらはセイレーンです」
「セイレーン?」
「あう」
本人も小さく手を上げた。
ネイトも同じように手を上げる。
「よろしく」
「あうー」
会話として成立しているのか一瞬迷ったが、レッドシューズが普通に頷いている以上、これでいいらしい。
ネイトも笑って手を下ろした。
その時だった。
頭の片隅に、ほんの小さな違和感が引っ掛かる。
シンデレラ。
レッドシューズ。
セイレーン。
ヘンゼル。
グレーテル。
ここにいるのは五人だ。
一方、輸送車の中で読んだ資料に、第2世代フェアリーテールモデルとして記載されていたのは三機だった。
シンデレラ。
レッドシューズ。
リトルマーメイド。
セイレーンが資料上のリトルマーメイドに該当するなら、そこまでは数が合う。
では、ヘンゼルとグレーテルは何なのか。
ネイトは双子へ視線を戻した。
二人とも見られていることには気づいたらしいが、理由までは分からないようだった。
「どうしたの?」
ヘンゼルが首を傾げる。
ネイトはすぐ視線を外した。
「いや。よく似てるなと思って」
「双子だから当然」
グレーテルも小さく頷いた。
本人たちは何も知らない。
少なくとも、ネイトにはそう見えた。
ならば、ここで尋ねるべき話ではない。
違和感だけを覚えておくことにした。
◇
エイブによる解析が一区切りついた頃を見計らい、ネイトは彼女を研究室の外へ呼び出した。
人通りのない廊下まで移動すると、Pip-Boyへ保存していた訪問資料を開く。
「一つ聞いていい?」
「何だ」
「第2世代のフェアリーテールモデルって、何機いる?」
エイブの表情が僅かに変わった。
ほんの一瞬だった。
しかし、それだけでネイトには十分だった。
「五機だ」
「公式には?」
エイブは答えなかった。
ネイトは資料を彼女へ向ける。
「俺がもらった資料には三機しか載ってない。シンデレラ、レッドシューズ、リトルマーメイド。さっき会った双子はどこにもいない」
エイブは一度、廊下の前後を確認した。
それから声を落とす。
「ヘンゼルとグレーテルは申請していない」
「やっぱり」
「私が勝手に作った」
あまりにも簡潔だった。
「……勝手にニケ二人作れるの?」
「作った」
「できるかどうかじゃなくて、やっていいのかを聞いてるんだけど」
「許可を取れば却下される可能性があった」
「だから取らなかった?」
「そうだ」
ネイトは思わず額へ手を当てた。
この女性が研究者として非常に優秀なのは、数時間一緒にいただけでもよく分かる。その一方、組織の規則や手続きに対する感覚には、それとは別方向の問題がありそうだった。
「本人たちは?」
「知らない」
「自分たちが無認可だってことを?」
「教えていない」
「何で?」
エイブは本当に理由を考えるように少し黙った。
「必要がなかった」
ネイトは先ほどの双子を思い出した。
Pip-Boyへ興味を示し、好き勝手に質問し、グレーテルが一言喋っただけでヘンゼルが驚いていた二人。自分たちの存在そのものが正式な記録から外れていることを知っているようには、とても見えなかった。
「いつか本人たちには話した方がいいと思う」
「なぜだ」
「自分がどういう立場なのかを、知らない奴から突然聞かされるよりはいいだろ」
エイブは答えない。
ネイトは続けた。
「それに、俺が一日で気づいたってことは、そのうち他の奴も気づく。書類に三人って書いてある研究所へ来て、五人並んでたら誰だって数えるよ」
「お前は報告するのか?」
今度はネイトが黙る番だった。
軍人だった頃なら、無許可で製造された軍事用の個体が二機存在するというだけで、報告すべき重大事項だったのかもしれない。
しかし、ネイトが今日見たのは「兵器二機」ではなかった。
ヘンゼルとグレーテルという二人の少女だった。
「今のところはしない」
エイブの目が僅かに動いた。
「理由は?」
「危険だと思う理由がないから」
「それだけか」
「十分だろ」
ネイトはPip-Boyの画面を閉じた。
「でも、俺が黙ってりゃ永遠に隠せるなんて思わない方がいい。それと、本人たちへ話すかどうかはちゃんと考えろ。あの二人自身の話なんだから」
エイブは長い間何も言わなかった。
自分が作ったニケたちを兵器として扱っているだけなら、ここまで考える必要はなかったのかもしれない。しかしネイトには、先ほどシンデレラを語った時の声も、双子へ向けられていた視線も、そうは見えなかった。
やがてエイブが小さく頷く。
「考える」
「それでいいよ」
それ以上は踏み込まなかった。
本人たちの知らないところで、他人が勝手にその人生を決めるということに、ネイトはいい思い出を持っていない。
だからこそ、知るべき時が来るとしても、それを今この場で自分が決めるつもりはなかった。
◇
夕方近くになって、研究所全体へ一つの知らせが届いた。
シンデレラの実戦配備について、最終承認が下りたのである。
次の大規模作戦へ投入する方針そのものは以前から決まっていたものの、最後の適合検査と運用審査が終わるまでは正式な出撃許可が保留されていた。これで翌朝の最終メンテナンスを終え次第、シンデレラはゴッデスとの合流地点へ向かうことになる。
知らせを聞いた本人は、すぐには動かなかった。
エイブが僅かに眉を寄せる。
「シンデレラ?」
「……本当に?」
「本当だ」
「明日?」
「最終メンテナンスで問題がなければ」
シンデレラは表示された許可通知をもう一度確認した。
その顔へ、少しずつ笑みが広がっていく。
「やっと……」
人間だった頃から憧れてきた部隊。
その隣へ立つためにニケとなり、訓練を続け、自分自身を磨き続けてきた。
ようやく、それが現実になる。
「私、ゴッデスと一緒に戦えるのね」
「そうだ」
エイブの返事はいつも通り短かったが、声音は普段より僅かに柔らかい。
その横で、レッドシューズが両手で口元を覆っていた。
シンデレラが気づく。
「レッドシューズ?」
「ごめんなさい」
声を出すと同時に目元を拭った。
「嬉しくて」
本当に泣いていた。
「ずっと待っていましたものね。シンデレラがゴッデスの皆さんと一緒に戦う日を」
「あなたまで泣くの?」
「いいでしょう、今日くらい」
レッドシューズは涙を拭いながら笑った。
ヘンゼルとグレーテルも二人なりに喜んでおり、セイレーンはいつもより少し大きな声で「あうー」と祝福している。エイブだけは「明日がある。今日は早く休め」と現実的なことを口にしたものの、その表情もいつもより僅かに満足そうだった。
その日の夕食後、レッドシューズの提案で簡単なお茶会を開くことになった。
「ゴッデスのドロシーさんがお好きだと聞いている茶葉なんです」
茶葉の缶を見せられ、ネイトは笑った。
「もうゴッデス対策してるの?」
「対策ではありません。これから一緒に戦う方なんですから、好みを知っておいた方がいいでしょう?」
「それを対策って言うんじゃない?」
「違います」
レッドシューズも楽しそうに笑った。
せっかくなら茶だけでは少し寂しい。
ネイトがPip-Boyを操作して保管していた食材を取り出すと、ヘンゼルとグレーテルがすぐ近くへ寄ってきた。
「ヘンゼルは食べ物が出てきたと思ってる。グレーテルもそう思ってる」
「だから、何でも出てくるわけじゃないって」
「何を作るの?」
「簡単なものだよ」
研究所の調理設備を借り、フィンガーサンドイッチとスコーンを作る。ジャムとクリームも用意し、余った材料でショートブレッドまで焼いているうちに少し楽しくなってしまい、最終的には小さなケーキまで食卓へ並んだ。
「ちょっと作りすぎたかな」
「ヘンゼルは問題ないと思ってる。グレーテルも問題ないと思ってる」
グレーテルが頷いた。
セイレーンも「あう」と賛成する。
最初は「そこまでする必要はない」と言っていたエイブまで普通に席へ着き、一つ目のスコーンを食べ終わると何も言わず二つ目へ手を伸ばした。
ネイトは見逃さなかった。
「気に入った?」
「悪くない」
「それ、褒めてる?」
「褒めている」
言いながら三つ目へ手を伸ばす。
「相当気に入ってるじゃないか」
「研究に糖分は必要だ」
「便利な言い訳だな」
エイブは気にせず食べ続けた。
レッドシューズが淹れた紅茶は香りがよく、確かにドロシーが好みそうな上品な味だった。ヘンゼルはスコーンへジャムを多めにつけ、グレーテルはクリームを選んでいる。セイレーンもケーキを少しずつ食べながら、時折満足そうに「あう」と声を漏らしていた。
その中心で、シンデレラだけは明日のことで頭がいっぱいらしい。
「最初にリリーバイスへ何と言えばいいかしら」
「普通に挨拶すれば?」
ネイトが紅茶へ口をつけながら答えた。
「普通って?」
「『初めまして』とか」
シンデレラは真顔で首を横へ振った。
「美しくないわ」
「挨拶にまで美しさ求めるの?」
「当然でしょう?」
冗談ではなかった。
助けを求めるようにエイブを見ると、彼女はちょうど三つ目のスコーンを食べていた。レッドシューズも楽しそうに笑うだけで助けてくれそうにない。
「じゃあ、自分で考えた方がいいな」
「そうするわ」
シンデレラは紅茶へ口をつけ、それから少し遠くを見るような目をした。
「私も、勝利の女神になれるかしら」
今度は誰もすぐに冗談を返さなかった。
その願いを彼女がどれほど長く持ち続けてきたのか、この研究所にいる者たちは知っている。
ネイトは昼間に交わした約束を思い出した。
「明日行って、帰ってきてから決めればいい」
「またそれ?」
「まだ一緒に戦ってもいないのに、先に答えを決めても仕方ないだろ」
シンデレラは少し考え、やがて微笑んだ。
「そうね。帰ってきたら、ちゃんと感想を教えるわ」
「ああ。待ってるよ」
お茶会はその後もしばらく続いた。
研究の話も、侵食の話も、明日の戦争の話も、その時間だけは脇へ置かれた。ヘンゼルとグレーテルがどちらのスコーンの方が大きいかで揉め、セイレーンがその様子を見て楽しそうに声を上げ、レッドシューズが二人を宥める。エイブは気づけばさらに菓子へ手を伸ばしており、シンデレラは自分がどんな挨拶をすれば一番美しいのか、最後まで真剣に考えていた。
ネイトも、その時間へ何か特別な意味を探そうとはしなかった。
明日出撃する兵士と、その出発を心から喜んでいる仲間たちが、一緒に茶を飲んでいる。
それだけだった。
だからこそ、悪くない時間だった。
◇
お茶会が終わる頃には、Pip-Boyから取り出した侵食記録の比較作業もほぼ完了していた。
ただし、エイブは最後の部分だけ翌朝へ持ち越したいという。
「明日の最終メンテナンスと同時に比較したい」
「シンデレラの?」
「ああ。正常なNIMPHが同じ設備へ接続された状態で、どういう信号を出すか直接取れる。お前のPip-Boyでも同時に記録しろ」
「レッドフードのデータとの比較用?」
「そうだ。侵食された状態だけを見ても、何が異常なのか判断しづらい。正常な比較対象は多い方がいい」
理屈は分かった。
ネイトはそのまま翌朝まで研究所へ残ることにした。
「客室を使え」
「研究所にそんなのあるの?」
「外部の人間が来ることもある」
「じゃあ遠慮なく」
研究室を出たところで、シンデレラとすれ違った。
もう休むところらしい。
「ネイト」
「ん?」
「明日、ちゃんと見ていて」
「何を?」
「私が美しく出発するところ」
ネイトは少し笑った。
「分かったよ」
「寝坊しないでね」
「爺さんだった頃から朝は早いんだ」
「今は若いでしょう?」
「中身は変わってない」
シンデレラは楽しそうに笑い、自分の部屋へ戻っていった。
ネイトも割り当てられた客室へ向かう。
翌朝の予定は単純だった。
シンデレラの最終メンテナンスへ立ち会い、正常なNIMPHの信号をPip-Boyへ記録する。今日持ち込んだレッドフードの侵食データと比較し、何か分かれば持ち帰る。
そして、メンテナンスを終えたシンデレラは、長年憧れ続けてきたゴッデスとの合流へ向かう。
研究所の予定表にも、翌朝最初の項目としてその作業が表示されていた。
シンデレラ――最終メンテナンス。
ネイトは開始時刻だけを確認し、Pip-Boyの画面を消した。
その予定が狂う理由など、この時点ではどこにもなかった。