Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
第9話 オールドテイルズ
エリシオン第3ニケ研究所へ向かう当日の朝、スノーホワイトは勝利の翼号の格納区画で、見るからに不満そうな顔をしていた。本来なら彼女も同行するつもりだったのだが、次の大規模作戦へ向けた装備点検が予定より遅れており、指揮官から自分の武器を放り出して他人の武器を見に行くなと釘を刺されている。さすがに正論すぎて反論できなかったらしく、代わりに輸送車へ乗り込もうとするネイトを捕まえ、端末へまとめた質問事項を次々と読み上げていた。
「ガラスの靴について、見られる範囲でいいので確認してきてください。展開方法と浮遊中の姿勢制御、それから推進方式がどうなっているのか、可能なら内部の――」
「待って。見学じゃなかったの?」
「見学です」
「質問事項が完全に研究者なんだよ」
ネイトが差し出された端末を覗くと、画面には十項目どころではない質問が並んでいた。どれもガラスの靴を見ただけで答えられるような内容ではなく、途中からは製作者本人へ設計図を見せてもらわなければ分からないものまで混じっている。
「これは本人か作った奴に聞いてくれ。初対面で『こんにちは、武器の内部構造を見せて』から入ったら嫌われるぞ」
「そんな聞き方はしません!」
「じゃあ、ガラスの靴を一個くらい持って帰ってくる?」
冗談半分で尋ねると、スノーホワイトの表情が一瞬だけ真剣になった。
「……可能なら」
「冗談だよ」
少し離れたところで一部始終を見ていたレッドフードが、とうとう堪えきれず笑い声を上げた。
「おちびちゃん、男前が帰ってきたらPip-Boyごと尋問する気だぞ」
「しません!」
「今の間は何だよ」
「分かっています!」
何が分かっているのかは怪しかったが、出発時刻も近づいている。ネイトは質問事項の入った端末だけを受け取り、まだ何か言いたそうなスノーホワイトへ手を振って輸送車へ乗り込んだ。
今回の訪問で本当に重要なのは、シンデレラやガラスの靴の見学ではない。Pip-Boyにはウルトラとの戦闘で記録した侵食時の信号が加工されない状態で残っており、遮蔽ケースには実際にレッドフードへ突き刺さっていた触手の破片も収めてある。研究所側には整理済みのデータとサンプルの一部がすでに送られているものの、記録を取った機械そのものを使って元データを比較できるなら、得られる情報は多いはずだった。
ゴッデスからの同行者はいない。Pip-Boyを扱えるのはネイト本人であり、ウルトラとの戦闘で何が起きたのかを最も詳しく説明できるのも彼なのだから、一人で十分だという判断だった。
研究所へ向かう車内で、ネイトは事前に渡された訪問資料を開く。
エリシオン第3ニケ研究所。第2世代フェアリーテールモデル開発施設。研究責任者はエイブで、実戦配備候補として資料へ記載されているニケはシンデレラ、レッドシューズ、リトルマーメイドの三機だった。
ひと通り目を通したところで輸送車が減速し、窓の外へ巨大な研究施設が見えてくる。ネイトは端末を閉じ、左腕のPip-Boyとサンプルケースを確かめてから席を立った。
◇
研究所へ到着したネイトが最初に会ったエイブは、想像していた人物とは少し違っていた。
研究責任者と聞いた時点で、白髪交じりの年配の人間でも無意識に思い浮かべていたのかもしれない。実際に受付の奥から現れたのは、セーターとスカートの上へ白衣を羽織った女性であり、外見だけを見れば巨大な研究施設を預かる人物だとは分かりにくかった。ただし、挨拶には一切の無駄がなかった。
「Pip-Boyを見せろ」
差し出しかけていたネイトの右手が止まる。
「……初対面だよな?」
「そうだ」
「俺はネイト・フォーリー」
「知っている。資料を読んだ」
「そっちはエイブ?」
「そうだ。だからPip-Boyを見せろ」
「初対面でそこまで言う?」
自己紹介へ割く時間さえ惜しいらしい。
ネイトは苦笑しながら左腕を差し出す。
「先に言っとくけど、外すのは無理だぞ」
「外せとは言っていない。元データを直接読みたい」
「それならいい」
エイブはすぐ接続機材を持ってきた。当然ながらPip-Boyと研究所側の規格はまったく異なるため、そのまま端子を差し込んで終わりというわけにはいかない。ネイトがPip-Boy側の出力形式を調整する間にも、エイブは表示される内部情報へ食い入るような視線を向けていた。
「古い」
最初に出た感想がそれだった。
「悪かったな」
「悪いとは言っていない。設計思想が古い。それなのに改修が多すぎる。メーカー標準の部分がほとんど残っていない」
「長く使ってるからな。壊れたら直すだろ?」
「直し方がおかしい」
「初対面の機械にまで駄目出しするのかよ」
抗議を聞いている様子はない。
やがてPip-Boyからウルトラ戦の記録が呼び出され、研究所側が保管していた侵食データと並べられた。触手がレッドフードへ接触する直前までは存在しなかった異常信号が、刺さった瞬間に急激に増大し、その後触手を引き抜いてからも低い水準で残り続けている。
そこからのエイブは、未知の機械を面白がる研究者ではなく、侵食を調べる責任者の顔になった。
「ここだ」
画面の一点を指す。
「刺さった瞬間?」
「そうだ。以前の侵食記録と似ている。ただし、完全に同じではない」
「どう違う?」
エイブは別の記録を表示した。過去に確認された侵食症例と、最近のものと思われる複数の波形が並ぶ。
「以前の侵食は、NIMPHへ比較的単純な行動命令を入れるものが多かった。動くな、特定の行動を取れ、その程度だ。NIMPH側が異常な命令だと判断できれば、時間とともに排除できる可能性もあった」
「最近のは?」
「複雑になっている。NIMPHへ作用するという基本部分は同じでも、より深く入り込む。ウルトラが使ったものは、その途中にあるように見える」
ネイトは医療区画で聞いた説明を思い返した。
「じゃあ、レッドフードから取り除ける?」
「分からない」
答えは即座に返ってきた。
「分からないものを治せるとは言えない。お前の記録で、侵入した瞬間の挙動は以前より見えるようになった。しかし、侵入した後に何をしているかを判断するには情報が足りない」
「正直で助かるよ」
「嘘を言っても治療法にはならない」
ネイトはその答えを気に入った。期待させるためだけに何とかなると言われるより、分からないことを分からないと答える研究者の方が信用できる。少なくとも、今のレッドフードに必要なのは根拠のない楽観ではなかった。
エイブは持ち込まれた触手片についても、研究所に保存されているサンプルとの比較を始める。ネイトには意味の分からない数値が次々と画面へ流れていったが、持ってきたものが無駄でなかったことだけは分かった。
「どれくらい掛かる?」
「数時間。お前のPip-Boyも必要だ」
「ってことは、俺もここにいろと」
「そうなる」
エイブはそこでようやく画面から顔を上げる。
「その間、研究所の中を見ていて構わない。ただし勝手に触るな」
「俺、そんなに信用ない?」
「昨日、ゴッデスから問い合わせが来た」
「誰から?」
嫌な予感がした。
「スノーホワイト。ガラスの靴を見せてほしいと書いてあった」
ネイトは額を押さえ、朝渡された端末を思い出した。それでも、少なくともスノーホワイトを研究所へ連れてこなかった判断についてだけは、初対面の二人で意見が一致したらしい。
「同行しないと聞いて安心した」
「……あいつ」
「そこは同感だよ」
◇
広い実験場へ足を踏み入れると、鏡の前に一人の少女が立っていた。
白を基調とした姿と、その周囲へ配置された四基の巨大な兵装。資料の画像でも十分大きく見えたガラスの靴は、実物を前にするとさらに存在感があり、それらを従える少女本人より先に目へ入るほどだった。少女は鏡に映る自分とガラスの靴の位置を何度も確かめていたが、近づいてきたネイトへ鏡越しに気づくと、ゆっくり振り返った。
「あなたがネイト?」
「そうだけど。俺のこと知ってる?」
「エイブから聞いたわ。ゴッデスと一緒にいる、人間の男でしょう?」
少女――シンデレラはそう答えたあと、当然のようにネイトの左腕へ視線を向けた。
「それから、変わった機械を腕につけている」
「説明としては合ってる」
また分解の話でもされるのかと少し身構えたが、シンデレラはスノーホワイトのように内部構造へ興味を示したわけではなかった。少し離れたところから外装を眺め、無数の細かな傷や修理跡を確認したあと、率直な感想を口にする。
「綺麗ではないわね」
「初対面で結構言うな」
「でも、美しいと思う」
今度はネイトの方が意外に思って彼女を見る。
「綺麗じゃないのに?」
「綺麗なものだけが美しいわけじゃないでしょう?」
シンデレラはPip-Boyをもう一度見た。
「大切に使ってきたことが分かるもの。傷がついて、壊れて、それでも直して捨てなかった。そういうものは美しいと思うわ」
言われてみれば、否定はできなかった。Vault 111を出た時から使い続け、撃たれ、爆発へ巻き込まれ、雨にも放射能にも晒され、それでも壊れるたび修理しながら老人になるまで手放さなかった端末である。メーカーが想定した寿命など、とっくに越えているに違いない。
「なるほど」
「気に入らなかった?」
「いや。褒められたなら悪くない」
シンデレラは満足そうに頷く。
その興味はすぐにネイト本人からゴッデスへ移った。
「リリーバイスは、本当にあんなに強いの?」
「あんなにって、どれくらい?」
「第1世代についての記録はたくさん見たわ。でも、映像では分からないことも多いでしょう?」
「大型のラプチャーを素手で殴って飛ばすくらい」
シンデレラの目が輝いた。
「美しい」
「即答だな」
「スノーホワイトは?」
「武器を見ると、時々周りが見えなくなる」
「そういうことを聞いたんじゃないわ」
「腕は確かだよ。俺も何度か助けてもらってる」
「ドロシーは?」
「真面目。レッドフードが絡むと大体怒ってる」
「レッドフードは?」
「大体怒らせてる側」
シンデレラが少し笑った。
「楽しそう」
「騒がしいよ」
「それでも、私は一緒に戦いたい」
最後の言葉だけは、それまでより真剣だった。
シンデレラは少しだけ鏡へ目を向ける。
「人間だった頃に、ゴッデスが戦う姿を見たの。あの人たちみたいになりたくて、私はニケになった」
そのために身体を変え、フェアリーテールモデルとなり、長い訓練を続けてきた。これから迎える作戦は、彼女にとって単なる初陣というだけではないらしい。
「緊張してる?」
ネイトが尋ねると、意外にも否定しなかった。
「少し。でも、それより楽しみ。私も勝利の女神になれるかもしれないから」
その言葉を聞き、ネイトはマレーンと交わした会話を思い出した。しかし、マレーンにはマレーンの生き方があり、シンデレラにはシンデレラの答えがある。自分が一度別の誰かへ言った言葉を、そのまま彼女にも押しつける必要はなかった。
「帰ってきたら教えてくれ」
「何を?」
「実際にゴッデスと一緒に戦ってみた感想。遠くから見てたのと同じだったか」
シンデレラは少し考え、微笑んだ。
「ええ。約束するわ」
◇
シンデレラと別れて研究区画を歩いていると、向こうから数人のニケがやってきた。
先頭にいるのは淡い金髪の女性で、その後ろには黒を基調とした服を着た少女と、白を基調とした服を着た少女が並んでいる。さらに少し遅れて、小柄な少女も姿を見せた。
「あなたがネイトさんですね?」
金髪の女性が先に声を掛けてきた。
「そうだけど」
「初めまして。レッドシューズです」
柔らかな物腰だった。警戒する様子もなく自然に距離を詰め、穏やかな笑顔を向けてくる。
「エイブから、レッドフードさんの侵食データを持ってきてくださった方だと聞きました。ありがとうございます」
「俺がやったのは記録しただけだよ」
「でも、その記録がなければ調べることもできなかったでしょう? 十分ありがたいことです」
そう言って笑う姿から受ける印象は、第2世代フェアリーテールモデルという仰々しい肩書きよりも、面倒見のいい年上の女性という方が遥かに強かった。
その背後から、黒い服の少女が顔を覗かせる。
「ヘンゼルは、この人が空から落ちてきた人だと思ってる。グレーテルもそう思ってる」
隣の白い少女が小さく頷いた。
「その話、ここまで来てるの?」
ネイトが思わず顔をしかめる。
「誰が広めたんだ……」
考える必要もなかった。
レッドフードである。
ヘンゼルは今度はネイトの左腕へ注目した。
「ヘンゼルは、その腕の機械からいろいろなものが出てくると聞いた。グレーテルも見たいと思ってる」
「何でも出てくるわけじゃないよ」
「食べ物も?」
「ある程度なら」
「武器も?」
「ある程度なら」
「爆弾も?」
「ある程度なら」
「質問の順番がおかしくない?」
そこで白い服の少女が、小さく呟いた。
「……困ってる」
ヘンゼルが驚いたように隣を見る。
「グレーテルが喋った」
「そこに驚くの?」
「ヘンゼルは困らせていないと思ってる。グレーテルもそう思ってる」
「ヘンゼル、グレーテル。初対面の方を困らせてはいけませんよ」
レッドシューズが苦笑しながら二人の間へ入り、それから少し後ろにいる少女へ顔を向ける。
「こちらはセイレーンです」
本人も小さく手を上げた。
「あう」
ネイトも同じように手を上げる。
「よろしく」
「あうー」
一瞬、これで会話として成立しているのか迷った。しかしレッドシューズが普通に頷いている以上、これでいいらしい。
その時、ネイトの頭の片隅へ小さな違和感が引っ掛かった。
シンデレラ。
レッドシューズ。
セイレーン。
ヘンゼル。
グレーテル。
ここにいるのは五人だ。
一方、輸送車の中で読んだ資料に、第2世代フェアリーテールモデルとして記載されていたのは、シンデレラ、レッドシューズ、リトルマーメイドの三機だった。セイレーンが資料上のリトルマーメイドに該当するなら、そこまでは数が合う。
では、ヘンゼルとグレーテルは何なのか。
双子はネイトが見ていることには気づいたらしく、ヘンゼルが首を傾げ、グレーテルも同じように小さく首を傾ける。その仕草を見る限り、自分たちが何かおかしな位置にいることを知っているようには見えなかった。
「どうしたの?」
「いや。よく似てるなと思って」
「双子だから当然」
ネイトはそれ以上、その場では聞かなかった。
本人たちが何も知らないのであれば、廊下の真ん中で突然問いただす話ではない。それでも違和感自体は覚えておくことにした。
◇
エイブによる解析が一区切りついた頃を見計らい、ネイトは彼女を研究室の外へ呼び出した。人通りのない廊下まで移動すると、Pip-Boyへ保存していた訪問資料を開く。
「一つ聞いていい?」
「何だ」
「第2世代のフェアリーテールモデルって、何機いる?」
ほんの一瞬だけ、エイブの表情が変わった。
それだけで、ネイトには十分だった。
「公式には?」
エイブは答えない。
ネイトは資料を彼女へ向けた。
「俺がもらった資料には三機しか載ってない。シンデレラ、レッドシューズ、リトルマーメイド。さっき会った双子はどこにもいない」
エイブは一度廊下の前後を確かめ、声を落とした。
「ヘンゼルとグレーテルは申請していない」
「やっぱり」
「私が勝手に作った」
あまりにも簡潔だったため、ネイトは数秒黙った。
「……勝手にニケ二人作れるの?」
「作った」
「できるかどうかじゃなくて、やっていいのかを聞いてるんだけど」
「許可を取れば却下される可能性があった」
「だから取らなかった?」
「そうだ」
ネイトは思わず額へ手を当てた。研究者として非常に優秀なのは、数時間一緒にいただけでも十分分かる。一方で、組織の手続きや規則に対する感覚には、技術力とは別方向の危うさがありそうだった。
「本人たちは?」
「何が」
「自分たちが無認可だってことを」
「知らない」
「教えていない?」
「そうだ」
「理由は?」
エイブは本当に理由を考えるように少し黙った。
「必要がなかった」
ネイトは先ほどの二人を思い出す。
Pip-Boyへ興味を示し、好き勝手に質問し、グレーテルが一言喋っただけでヘンゼルが驚いていた。自分たちの存在そのものが正式な記録から外れていることなど、知っているようには見えなかった。
「いつか本人たちには話した方がいいと思う」
「なぜだ」
「自分がどういう立場なのかを、知らない奴から突然聞かされるよりはいいだろ。それに、俺が一日で気づいたってことは、そのうち他の奴も気づく。書類に三人って書いてある研究所へ来て、五人並んでたら誰だって数えるよ」
エイブは答えない。
ネイトは続けた。
「お前は報告するのか?」
今度はネイトが黙る番だった。
軍人だった頃なら、無許可で製造された軍事用個体が二機存在するというだけで、すぐに報告すべき重大事項だと考えたかもしれない。しかし今日ネイトが会ったのは、帳簿上の「兵器二機」ではなく、ヘンゼルとグレーテルという二人の少女だった。
「今のところはしない」
エイブの目が僅かに動く。
「理由は?」
「危険だと思う理由がないから」
「それだけか」
「十分だろ」
それ以上、ネイトは踏み込まなかった。本人たちの知らないところで、他人が勝手にその人生を決めるということに、彼はいい思い出を持っていない。
「でも、俺が黙ってりゃ永遠に隠せるなんて思わない方がいい。それと、本人たちへ話すかどうかはちゃんと考えろ。あの二人自身の話なんだから」
エイブは長い間何も言わなかった。
自分が作ったニケたちを単なる兵器として扱っているだけなら、ここまで言う必要はないのかもしれない。しかし、ネイトには先ほどシンデレラについて話した時の声音も、双子へ向けていた視線も、そうは見えなかった。
やがてエイブが小さく頷く。
「考える」
「それでいいよ」
ネイトはPip-Boyの画面を閉じた。
◇
夕方近くになって、研究所全体へ一つの知らせが届いた。
シンデレラの実戦配備について、最終承認が下りたのである。次の大規模作戦へ投入する方針そのものは以前から決まっていたが、最後の適合検査と運用審査が終わるまでは正式な出撃許可が保留されていた。これで翌朝の最終メンテナンスに問題がなければ、シンデレラはゴッデスとの合流地点へ向かうことになる。
「シンデレラ」
知らせを聞いた本人は、最初すぐには動かなかった。
「……本当に?」
「本当だ」
エイブが答える。
「明日?」
「最終メンテナンスで問題がなければ」
シンデレラは表示された許可通知をもう一度確認した。
人間だった頃から憧れてきた部隊。その隣へ立つためにニケとなり、訓練を続け、自分自身を磨き続けてきた時間が、ようやく一つの形になろうとしている。
「やっと……」
その顔へ、少しずつ笑みが広がっていく。
「私、ゴッデスと一緒に戦えるのね」
「そうだ」
エイブの返事はいつも通り短かったが、その声音は普段より僅かに柔らかかった。
その隣では、レッドシューズが両手で口元を覆っている。
「レッドシューズ?」
シンデレラが気づく。
「ごめんなさい」
声を出した途端、目元を拭った。
「嬉しくて」
実際に涙が流れていた。
「ずっと待っていましたものね。シンデレラがゴッデスの皆さんと一緒に戦う日を」
「あなたまで泣くの?」
「いいでしょう、今日くらい」
レッドシューズは涙を拭いながら笑う。
ヘンゼルとグレーテルも二人なりに喜んでおり、セイレーンはいつもより少し大きな「あうー」で祝福していた。エイブだけは「明日がある。今日は早く休め」と現実的なことを口にしたものの、その表情もいつもより僅かに満足そうだった。
その日の夕食後、レッドシューズの提案で簡単なお茶会を開くことになった。
「ゴッデスのドロシーさんがお好きだと聞いている茶葉なんです」
茶葉の缶を見せられ、ネイトは笑う。
「もうゴッデス対策してるの?」
「対策ではありません。これから一緒に戦う方なんですから、好みを知っておいた方がいいでしょう?」
「それを対策って言うんじゃない?」
「違います」
レッドシューズも楽しそうに笑った。
せっかくなら紅茶だけでは少し寂しい。ネイトは研究所の調理設備を借り、Pip-Boyから取り出した食材でフィンガーサンドイッチとスコーンを作り始めた。ジャムとクリームを用意し、余った材料でショートブレッドまで焼いているうちに本人も少し楽しくなり、最終的には小さなケーキまで食卓へ並ぶことになった。
「ちょっと作りすぎたかな」
「ヘンゼルは問題ないと思ってる。グレーテルも問題ないと思ってる」
グレーテルも隣で頷き、セイレーンが「あう」と同意する。
最初は「そこまでする必要はない」と言っていたエイブまで普通に席へ着き、一つ目のスコーンを食べ終えると、何も言わず二つ目へ手を伸ばした。ネイトはそれを見逃さない。
「気に入った?」
「悪くない」
「それ、褒めてる?」
「褒めている」
そう言いながら三つ目へ手を伸ばす。
「相当気に入ってるじゃないか」
「研究に糖分は必要だ」
「便利な言い訳だな」
エイブは気にせず食べ続けた。
レッドシューズが淹れた紅茶は香りがよく、確かにドロシーが好みそうな上品な味だった。ヘンゼルはスコーンへジャムを多めにつけ、グレーテルはクリームを選んでいる。セイレーンもケーキを少しずつ食べながら、時折満足そうに「あう」と声を漏らしていた。
その中心で、シンデレラだけは明日のことで頭がいっぱいらしい。
「最初にリリーバイスへ何と言えばいいかしら」
「普通に挨拶すれば?」
「普通って?」
「『初めまして』とか」
シンデレラは真顔で首を横へ振る。
「美しくないわ」
「挨拶にまで美しさ求めるの?」
「当然でしょう?」
助けを求めるようにエイブを見ると、彼女はちょうど三つ目のスコーンを食べていた。レッドシューズも楽しそうに笑うだけで助けてくれそうにない。
シンデレラは紅茶へ口をつけ、それから少し遠くを見るような目をした。
「私も、勝利の女神になれるかしら」
今度は誰もすぐに冗談を返さなかった。
その願いを彼女がどれほど長く持ち続けてきたのか、この研究所にいる者たちは知っている。ネイトは昼間に交わした約束を思い出しながら、先に答えを決めつけないことにした。
「明日行って、帰ってきてから決めればいい」
「またそれ?」
「まだ一緒に戦ってもいないのに、先に答えを決めても仕方ないだろ」
シンデレラは少し考え、やがて微笑んだ。
「そうね。帰ってきたら、ちゃんと感想を教えるわ」
「ああ。待ってるよ」
お茶会はその後もしばらく続いた。研究の話も、侵食の話も、明日の戦争の話も、その時間だけは脇へ置かれ、ヘンゼルとグレーテルがどちらのスコーンの方が大きいかで揉め、セイレーンがその様子を見て楽しそうに声を上げる。レッドシューズは二人を宥め、エイブは気づけばさらに菓子へ手を伸ばし、シンデレラだけは最後まで「最も美しい挨拶」について真剣に考えていた。
明日出撃する兵士と、その出発を心から喜んでいる仲間たちが一緒に茶を飲んでいる。ただそれだけの時間だったが、ネイトにはそれで十分だった。
◇
お茶会が終わる頃には、Pip-Boyから取り出した侵食記録の比較作業もほぼ完了していた。
ただし、エイブは最後の部分だけ翌朝へ持ち越したいという。
「シンデレラの?」
「明日の最終メンテナンスと同時に比較したい」
「レッドフードのデータとの比較用?」
「そうだ。侵食された状態だけを見ても、何が異常なのか判断しづらい。正常な比較対象は多い方がいい」
エイブは翌朝の整備手順を表示した。
「正常なNIMPHが同じ設備へ接続された状態で、どういう信号を出すか直接取れる。お前のPip-Boyでも同時に記録しろ」
「理屈は分かった」
ネイトはそのまま翌朝まで研究所へ残ることにした。
「研究所にそんなのあるの?」
「客室を使え」
「外部の人間が来ることもある?」
「ある」
「じゃあ遠慮なく」
研究室を出たところで、ちょうど自室へ戻ろうとしていたシンデレラとすれ違った。
「ネイト」
「ん?」
「寝坊しないでね」
「爺さんだった頃から朝は早いんだ」
「今は若いでしょう?」
「中身は変わってない」
シンデレラは少し笑った。
「明日、ちゃんと見ていて」
「何を?」
「私が美しく出発するところ」
「分かったよ」
シンデレラは楽しそうに笑い、自分の部屋へ戻っていった。ネイトも割り当てられた客室へ向かいながら、翌朝の予定をPip-Boyで確認する。
最初に、シンデレラの最終メンテナンスへ立ち会い、正常なNIMPHの信号を記録する。その波形をレッドフードの侵食データと比較し、何か分かれば持ち帰る。メンテナンスに問題がなければ、シンデレラはそのまま長年憧れ続けてきたゴッデスとの合流へ向かう予定だった。
研究所の予定表にも、翌朝最初の項目として「シンデレラ――最終メンテナンス」と表示されている。
ネイトは開始時刻を確認すると、Pip-Boyの画面を消した。