Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
シンデレラに出発許可が下りたのは、翌日の昼近くになってからだった。前日の最終メンテナンスで検出された未承認コードがNIMPH本体へ到達する前に隔離されたこと自体はすでに確認されていたが、エイブはそれだけで安全とは判断しなかった。研究所内の設備とは別系統の機器でも再検査を行い、運動制御、感覚入力、記憶と認識、ガラスの靴との同期まで最初から洗い直したうえで、長時間観察しても前日のような異常信号が再び現れないことを確認して、ようやく出発を認めたのである。
レッドシューズが書き込もうとしていたコードは、少なくとも現在確認できる範囲ではシンデレラの中に残っていない。しかし、それで今後も永久に安全だと保証できるわけではなく、研究所の外へ放たれた侵食がどのように変化しているのかも分かっていなかった。ましてレッドフードの身体には、別の侵食が今も残り続けている。
「本当に、行っていいのね?」
結果を告げられたシンデレラは、喜ぶより先にエイブへ問い返した。
「いい」
「昨日から何度も止めていたのに?」
「必要だった」
「それは分かっているわ」
そう答えながらも、シンデレラの表情には隠しようのない明るさが戻っていた。一日しか経っていないとはいえ、その一日の間に起きたことはあまりにも多い。家族のように思っていた相手が、自分の知らない場所で二百人を超えるニケを実験へ使い、自分自身へまで侵食を入れようとしていたことを知ったのだから、気持ちの整理などできているはずもなかった。
それでも、何年も抱き続けてきた願いそのものまで奪われたわけではない。
「シンデレラ」
「何?」
「もう一回」
エイブが念を押すように指を立てる。
「頭痛、視覚異常、自分の意思と違う動き、聞こえるはずのない音。少しでも変だと思ったら報告」
「昨日から何度も聞いたわ」
「向こうでも検査は続けて」
「分かっているわ」
「絶対」
「分かった。ちゃんと言うわ」
「絶対」
「……絶対」
そこまで聞いて、エイブはようやく満足したらしい。
ネイトは少し離れたところから二人を眺めていた。昨日までとまったく同じ関係へ戻ったわけではなく、秘密研究室で見つかったものも、レッドシューズのことも、一晩眠っただけで片付く話ではない。それでも、エイブがシンデレラを守ろうとすることも、シンデレラがその心配を鬱陶しがりながら受け入れることも変わっていなかった。
「ネイト」
「何?」
今度はシンデレラから呼ばれた。
「あなたも一緒に来るのでしょう?」
「ああ。レッドフードの件も含めて、こっちで分かったことを持ち帰らないといけないからな」
「ならちょうどいいわ」
シンデレラは鏡の前へ立ち、自分の髪を最後に整える。
「私がゴッデスへ行くところを、ちゃんと見ていてと言ったでしょう?」
「覚えてたのか」
「約束したもの」
「じゃあ、最初から最後まで見届けるよ」
シンデレラは満足そうに頷いた。その返事には、前日より僅かに強い響きがあった。
◇
出発前の格納区画には、ヘンゼル、グレーテル、セイレーンも集まっていた。昨日までなら、その輪の中にはレッドシューズもいたはずであり、誰もわざわざ空いた場所へ目を向けようとはしなかったものの、彼女がいないことだけは嫌でも分かる。ヘンゼルとグレーテルは普段より静かで、セイレーンもシンデレラのそばからなかなか離れようとしなかった。
「あう……」
心配そうな声に、シンデレラが振り返る。
「大丈夫よ」
「あうー……」
「本当に」
セイレーンはまだ納得していないらしい。シンデレラは少し考えたあと、その手を取った。
「昨日のことがなかったことになったわけじゃない。私もまだ、全部をどう思えばいいのか分かっていないわ。でも、今日ゴッデスへ行きたいと思っていることも本当なの」
セイレーンは黙って彼女を見上げていたが、やがて小さく頷いた。
「あう」
「だから、行ってくるわ」
今度の声は、誰かに許可を求めるものではなく、自分で出発すると決めた者の声だった。
その横からヘンゼルが前へ出る。
「ヘンゼルは、シンデレラが帰ってくると思ってる。グレーテルもそう思ってる」
隣のグレーテルも頷いた。
「だから、ちゃんと帰ってきて」
「ええ」
「ガラスの靴も」
シンデレラの眉が少し上がる。
「私より先にそっちを心配した?」
「ヘンゼルは両方大事だと思ってる。グレーテルもそう思ってる」
「ならいいわ」
そのやり取りを見ていたネイトは思わず笑った。
「似たようなのが向こうにもいるぞ」
「スノーホワイト?」
「ああ。多分、本人へ挨拶した次の瞬間にはガラスの靴を見てる」
シンデレラの顔が僅かに険しくなる。
「それは美しくないわね」
「先に挨拶するようには言ってある」
「なら、ぎりぎり許すわ」
本当にぎりぎりらしい。
輸送機の準備が整った頃、エイブも格納区画へ入ってきた。その一言で全員の空気が変わり、シンデレラも今度こそ本当に出発するのだと悟ったように、背筋を僅かに伸ばした。
エイブは彼女の姿をしばらく眺めていた。
「綺麗」
シンデレラが目を瞬く。
「……美しい、でしょう?」
エイブはすぐに言い直した。
「美しい」
「そうね」
横でネイトが笑う。
「言えるじゃないか」
「黙って」
「はいはい」
エイブには他にも言いたいことがいくらでもあったのだろう。レッドシューズのことも、秘密研究室について自分が気づけなかったことも、出発した後の検査も、これからの研究も、口にしようと思えば際限なく続けられたはずだった。
しかし、今ここでその全部を背負わせる必要はない。
「気を付けて」
少し間を置き、さらに言葉を続ける。
「帰ってきて」
シンデレラの表情が柔らかくなった。
「ええ」
そしてエイブへ向き直り、はっきり答える。
「行ってくるわ」
シンデレラが輸送機へ乗り込み、ネイトもその後へ続いた。タラップの途中で振り返ると、エイブも、ヘンゼルも、グレーテルも、セイレーンも同じ場所に立っている。昨日までならそこにいたもう一人の姿だけはないが、シンデレラはしばらくその光景を目へ焼きつけるように眺めたあと、何も言わず機内へ向き直った。
レッドシューズとの思い出を消すために出ていくのではない。
今はただ、自分で選んだ場所へ向かうために、研究所を離れるのだった。
◇
勝利の翼号では、ゴッデスの面々が格納区画へ集まっていた。
シンデレラの出発が一日延期された理由については、すでに概要が共有されている。侵食と疑われる未承認コードがNIMPHへ書き込まれる直前に発見されたこと、その経路を調査した結果としてレッドシューズの秘密研究が見つかり、多数のニケが犠牲になっていたことまで知らされているため、待っている者たちの空気は単純な歓迎一色というわけではなかった。
「で、本人は本当に大丈夫なんだな?」
壁へ背を預けたレッドフードが腕を組んだまま尋ねる。
ラプンツェルが頷いた。
「研究所から届いた検査結果では、異常は確認されていません。独立した設備でも再検査を行い、経過観察もしています」
「侵食は?」
「成立する前に止められています」
「男前が見つけたんだっけ?」
「違います」
スノーホワイトが即座に訂正した。
「正確には、Pip-Boyで比較記録を取っていたネイトさんが異常な挙動へ気づき、エイブさんがNIMPHへの書き込みを確認して停止しました。ネイトさんが侵食そのものを解析したわけではありません」
ドロシーも横から口を挟む。
「そこは重要です。もしネイト一人で未知の侵食コードを見抜けるのであれば、今後の対処もずっと容易になります。しかし今回は、レッドフードの侵食時データが比較対象として存在し、さらに研究設備へ接続した状態だったからこそ発見できたのでしょう」
「同じようなもんじゃね?」
「違います」
スノーホワイトの返事は早かった。
レッドフードは少し考えたあと、別のところへ思考が飛んだらしい。
「じゃあ、あたしがウルトラに刺されたのも多少役に立ったってこと?」
誰もすぐには答えなかった。
「何だよ。ちょっとくらい褒めろよ」
ラプンツェルが困ったように笑う。
「刺されたことを褒めるわけには……」
「じゃあ、耐えてること」
少し考え、ラプンツェルは柔らかく微笑んだ。
「それなら。よく頑張っていますね」
レッドフードの顔が微妙なものになる。
「何か子供扱いされてねえ?」
「自分から褒めてほしいとおっしゃったのでしょう?」
ドロシーが呆れたように指摘する。
「お嬢サマは褒めてくれねえの?」
「定期検査から逃げなくなったら考えます」
「厳しい!」
そんなやり取りから少し離れたところで、スノーホワイトだけは格納区画の入口からほとんど目を離していなかった。
リリスが隣へ並ぶ。
「楽しみ?」
「はい!」
「シンデレラに会うのが?」
「もちろんです!」
即答したあと、ほんの僅かに間を置く。
「……ガラスの靴も」
「やっぱり」
リリスは笑った。
「ちゃんと本人に先に挨拶します!」
「まだ何も言ってないよ」
「ネイトさんにもレッドフードにも同じことを言われたので……」
「じゃあ、頑張ってね」
何を頑張るのかは、本人にしか分からなかった。
少し離れたところでは、紅蓮も腕を組んで入口を眺めている。それに気づいたレッドフードが、すぐ楽しそうな顔になった。
「センセイも楽しみ?」
「貴様には聞いておらぬ」
「強いらしいぞ」
「第2世代とやらであろう」
紅蓮の目が僅かに鋭くなる。
ドロシーはその表情を見るなり、すかさず釘を刺した。
「手合わせは禁止です」
「まだ何も言っておらぬ」
「顔に書いてあります」
「貴様らは私を何だと思っているのだ」
「強い奴を見るとすぐ戦いたがる人」
レッドフードが答える。
「貴様には聞いておらぬ!」
リリスが楽しそうに笑っていると、格納区画へ着陸誘導の信号が入った。
その瞬間、全員の視線が同じ方向へ向いた。
◇
輸送機のハッチが開いても、シンデレラはすぐには降りなかった。
タラップの上で足を止め、眼下にいる者たちを見る。
リリーバイス。
ドロシー。
ラプンツェル。
スノーホワイト。
レッドフード。
資料ではまだ詳しく知らなかった紅蓮もいる。その少し横には、昨日から研究所で行動を共にしていたネイトも立っていた。
何年も記録や映像の中でしか見ることのできなかった者たちが、今は自分の目の前にいる。ようやくここまで来たのだという実感が込み上げたのと同時に、昨日の出来事も否応なく思い出された。
何も知らないまま、自分の身体を別の意思へ明け渡すところだった。もし未承認コードが成立していれば、その身体で憧れ続けた者たちの前へ立ち、本人が望まない行動を取っていた可能性さえある。
しかし今は違う。
ここへ来ることを決めたのは自分であり、自分の脚で立ち、自分の目で彼女たちを見ている。
「シンデレラ?」
リリスの声で我に返った。
シンデレラはゆっくりとタラップを下りる。
リリスが一歩前へ出て、穏やかに笑いながら手を差し出した。
「初めまして」
シンデレラは、その手を見た。
昨日まで何度も考えていた。ゴッデスと対面したら最初に何を言うのか、どんな言葉なら美しく聞こえるのか、完璧な挨拶を用意したつもりだった。
実際にその瞬間が来ると、全部飛んだ。
「……美しい」
口から出たのは、それだけだった。
本人も一瞬で何を言ったのか理解したらしく、目を見開く。
リリスも少し驚いたように瞬きをしたが、すぐ楽しそうに笑った。
「私?」
「はい」
シンデレラは差し出された手を取った。
「ずっと、あなたたちを見ていました。ラプチャーと戦って、人類を守って、どれだけ苦しい状況でも前へ進む姿を見て……私はゴッデスを、とても美しいと思ったんです」
声は少し震えていたが、もう取り消そうとは思わなかった。
「だから私も、あなたたちのようになりたかった。それでニケになりました」
リリスは静かに聞いていた。
「そっか」
握った手へ少し力を返す。
「じゃあ、やっと会えたね」
その声は、シンデレラが想像していたよりずっと柔らかかった。
「はい」
胸の奥から何かが急に込み上げ、目元が僅かに熱くなる。泣くのは美しくないと思ったものの、そんな考えも今は少しどうでもよくなった。
「やっと会えました」
「うん」
リリスも笑った。
何年も思い描いていた光景の一つが、ようやく本物になった。
◇
「初めまして、シンデレラ。ドロシーです。今回の作戦では、同じ戦場で戦うことになりますね」
ドロシーは、シンデレラが想像していた通り礼儀正しかった。
「あなたがドロシー」
「私をご存じなのですか?」
「ええ。紅茶を飲んだわ」
さすがのドロシーも、予想していなかったらしく一度瞬きをした。
「紅茶?」
「あなたが好きだと聞いた茶葉を、レッドシューズが淹れてくれたの」
その名前を口にした瞬間、周囲の空気がほんの僅かに静まった。
シンデレラ自身も、その変化には気づいている。昨日までと同じ意味では響かない名前になったことも分かっていたが、それでも続けた。
「おいしかったわ」
ドロシーはしばらく彼女を見てから、表情を和らげた。
「そうでしたか」
「本当に好きなの?」
「ええ。香りが気に入っています」
「よかった」
シンデレラは小さく笑う。
「あの時間まで嫌な思い出にしたくなかったから」
事情を知っていれば、その言葉が何を意味するのかは分かる。
ドロシーの表情が少し変わった。
「でしたら、次は私がお淹れしましょう」
「本当に?」
「もちろんです。ほかにも何種類かありますから、気に入っていただけそうなものを選びます」
「楽しみにしているわ」
少し離れて見ていたネイトも、それを聞いて内心で安堵した。良かった記憶まで裏切りによって全部汚れたことにする必要はなく、それを残すのか捨てるのかもシンデレラ自身が決めればいい。
次に前へ出たのはラプンツェルだった。
「ラプンツェルです。お会いできて嬉しいです」
「あなたが聖女と呼ばれている人?」
ラプンツェルの笑顔が固まった。
「……どなたから聞きました?」
自然と全員の視線が一人へ集まる。
レッドフードは自分を指差した。
「何だよ」
「あなたですね」
「いいじゃん。似合ってんだから」
「そうなのでしょうか……」
ラプンツェルは困ったように笑ったあと、すぐ医療担当としての顔に戻った。
「体調はいかがですか?」
「問題ないわ」
「頭痛でも視界の違和感でも、本当に小さなものでも教えてくださいね」
「エイブと同じことを言うのね」
「大切なことですから」
シンデレラは少し笑った。
「分かったわ。逃げずにちゃんと診てもらう」
その瞬間、レッドフードが露骨に目を逸らした。
ネイトは見逃さない。
「いい見本が来たぞ」
「何のだよ」
「検査から逃げない」
「おい、男前」
シンデレラがそちらへ顔を向ける。
「あなたがレッドフード?」
「おう」
「ネイトから聞いているわ」
「何を?」
レッドフードの声が少し警戒する。
シンデレラは思い出すように指を折った。
「うるさい。下品な冗談が好き。検査から逃げる。人の話を聞いているようで、あまり聞いていない」
「……そこまで言ったのか?」
「全部事実だろ?」
「もっといいことも言えよ!」
ネイトが笑った。
「言ったよ」
シンデレラも続ける。
「仲間が危険なら、自分が傷つくと分かっていても真っ先に身体を張る人だって」
レッドフードの声が止まった。
ネイトを見る。
それからシンデレラを見て、気まずそうに頭を掻いた。
「何だよ……」
「褒められてその反応する?」
「男前に真面目に褒められんのが気持ち悪いんだよ」
「ひどいな」
「急にやるからだろ」
シンデレラは不思議そうに二人を眺めてから、改めてレッドフードを見る。
「あなたも綺麗な人ね」
「……あたし?」
「外見もそうだけれど、今の話の方。自分より誰かを先に守れるのは、美しいと思うわ」
本気で驚いたらしく、レッドフードからしばらく言葉が出なかった。
やがて、少し照れたように笑う。
「……変な奴が来たな」
「俺も最初そう思った」
「聞こえているわよ」
「悪口じゃない」
「ならいいわ」
レッドフードも今度こそ普段どおりの笑顔になった。
「気に入ったぜ。よろしくな、シンデレラ」
「ええ。よろしく」
そこまでは、かなり順調だった。
◇
「スノーホワイトです! よろしくお願いします!」
「え、ええ。シンデレラよ」
勢いが強すぎて、シンデレラが僅かに身を引いた。
それでもスノーホワイトは確かに本人へ先に挨拶した。約束は守られている。
しかし、その直後だった。
スノーホワイトの視線がシンデレラの顔から背後へ滑り、四基のガラスの靴へ完全に吸い寄せられていく。
シンデレラの目が細くなった。
「ネイト」
「だから言っただろ」
「本当に私から目を逸らしたわ」
「一応、挨拶は先だったから許してやってくれ」
スノーホワイトはもう止まらない。
「これがガラスの靴なんですね! 四基それぞれ独立制御が可能なんですか? この鏡面構造は実際に射撃を反射できるんでしょうか。それにシンデレラ本体からの出力を――」
「スノーホワイト」
リリスに名前を呼ばれた瞬間、動きが止まった。
「あっ」
リリスは笑顔のまま、シンデレラを指す。
「本人」
「あ……」
ようやくスノーホワイトが彼女へ向き直る。
「すみません……」
シンデレラはわざと少し厳しい顔をした。
「私には興味がないの?」
「あります!」
「本当に?」
「本当です!」
「ガラスの靴と、どちらが?」
スノーホワイトが固まった。
横からネイトが小声で助言する。
「即答しないと駄目な奴だぞ」
「ネイトさんは静かにしてください!」
シンデレラはしばらく真面目な顔を保っていたが、本気で悩み始めたスノーホワイトを見ているうちに耐えられなくなり、ようやく笑った。
「冗談よ」
「……びっくりしました」
「でも、勝手に分解するのは禁止」
「しません!」
「工具を持って近づくのも?」
「整備するなら必要です!」
「私、整備を頼んでいないでしょう?」
「それは……」
「今迷ったわね」
「しません!」
「外装を開けるのも?」
「しません!」
ネイトも口を挟む。
「この前も『見るだけ』って言ってたな」
「今回は本当に見るだけです!」
「今回は?」
「言葉の綾です!」
シンデレラもつられて笑う。
「あなた、本当にネイトから聞いた通りね」
スノーホワイトの顔が僅かに赤くなった。
「どんな説明をしたんですか……」
「優秀な技術者。でも機械を見ると周りが見えなくなる」
「後半はいりません!」
「事実じゃないか」
「ネイトさんは黙っていてください!」
レッドフードが腹を抱えて笑い出した。
シンデレラとスノーホワイトが今後どのような付き合いになるかまでは分からないが、少なくとも仲良くなること自体については、それほど心配しなくてもよさそうだった。
◇
最後に残った紅蓮は、少し離れたところからシンデレラを観察していた。
当然、シンデレラも気づいている。
「あなたが紅蓮?」
「そうだ」
「剣を使うのね」
「ああ」
シンデレラの視線が、紅蓮の腰にある花無十日紅へ向く。
「綺麗な剣」
紅蓮の表情が僅かに柔らかくなった。
「姉さんのものだ」
「あなたのではないの?」
「借りておる」
「大切なのね」
「ああ」
短いやり取りだけで、シンデレラにはその刀が単なる武器ではないことが伝わったらしい。薔花がどのような人物なのかも、姉妹がなぜ刀を交換したのかも知らないが、「姉から借りた」という言葉だけで十分だった。
問題は、その次に紅蓮の視線が四基のガラスの靴へ移ったことだった。
そこから本人へ戻る。
ネイトには、それだけで何を考えているのか大体分かった。
「紅蓮」
「何だ」
「やめとけ」
「まだ何も言っておらぬ」
「センセイ、顔に書いてあるぞ」
レッドフードも笑い始める。
「貴様らは黙れ」
シンデレラが不思議そうに三人を見る。
「私と戦いたいの?」
紅蓮は誤魔化さなかった。
「興味はある」
ゴッデスの指揮官が呆れたように息を吐く。
「正直だな、お前は」
「第2世代の中でも特に優れた性能を持つと聞いておる。ゴッデスを超える可能性すらあるともな」
「資料上ではね」
「ならば、実際に確かめたい」
シンデレラは少し考えたあと、首を横へ振った。
「嫌よ」
「なぜだ」
「私は今日、ゴッデスと一緒に戦うために来たの。それに、その剣は大切な人から借りたものなのでしょう?」
花無十日紅へ視線を向ける。
「興味本位の手合わせで傷つけるのは、美しくないわ」
紅蓮の顔が僅かに変わった。
「それがどうした。作戦が終わればよかろう」
「今日はね」
「今日は?」
シンデレラは少し考え、ネイトへ一瞬だけ視線を向ける。
「まずリリスに勝ったら」
格納区画が静かになった。
最初に吹き出したのはレッドフードだった。
「ハハハハッ! 新人にもう言われてんぞ、センセイ!」
紅蓮の顔が引きつる。
「ネイト!」
「何?」
「貴様が教えたのか!」
「聞かれたから答えただけだよ!」
「斬る!」
「初日に仲間を斬るな!」
そこでリリスが、ごく自然に口を挟んだ。
「これから一緒に戦うんだから、もう仲間でいいんじゃない?」
紅蓮の動きが止まる。
シンデレラも少し驚いた。
何かの儀式をしたわけでも、大げさな歓迎の言葉があったわけでもない。リリスはいつもと変わらない笑顔のまま、当然のことを言うようにシンデレラを仲間と呼んだ。
「……そう」
シンデレラの表情がゆっくり柔らかくなる。
「なら、嬉しいわ」
◇
歓迎だけで一日を終えることはできなかった。
しばらくして全員が作戦室へ移動すると、中央の作戦卓へ巨大な構造物が投影された。地上から雲を貫き、そのさらに上まで伸びている塔を、ネイトは初めて見る。
「これが?」
「軌道エレベーターだ」
指揮官が頷く。
表示範囲が広がり、その周囲に示された敵反応の密度を見たネイトの表情が変わる。
「……何体いるんだ?」
「正確な数は分かりません」
スノーホワイトが答えた。
「推定だけでも、周辺一帯へ非常に多数のラプチャーが集まっています」
シンデレラは黙って作戦図を見ていた。研究所ですでに概要は聞かされているものの、ここからは実際に共に戦う部隊として説明を受けることになる。
人類軍による長距離攻撃。
多数の量産型ニケ。
そして、殲滅戦能力に優れた第2世代フェアリーテールモデルであるシンデレラ。
作戦ではまず長距離攻撃によって軌道エレベーター周辺の敵を可能な限り削り、その後、地上部隊が防衛網へ突入する。シンデレラはガラスの靴の射程と火力を使って敵の密集地帯を崩し、ゴッデスが軌道エレベーターへ辿り着くための道を作る役割を担う。
「私の役目は、道を作ること」
「そうだ」
指揮官が頷いた。
「ガラスの靴の射程と殲滅能力を使い、地上部隊と共に密集地帯を突破する。ゴッデスが軌道エレベーターへ到達した後は、戦況を見て判断する」
シンデレラの顔へ、ほんの僅かに物足りなさそうな色が浮かんだ。
リリスはすぐ気づいた。
「一緒に戦えないわけじゃないよ」
シンデレラが彼女を見る。
「地上では同じなんだから、まずそこを一緒に勝とう」
少し間を置き、シンデレラが頷いた。
「はい」
ネイトも作戦図へ目を落とす。敵の数、補給路、長距離攻撃の範囲、進撃ルート、そして人間である自分がどこまで同行できるのかを順番に考えた。
指揮官がこちらを見る。
「お前は?」
「何?」
「まだ来るつもりなのか?」
「そのつもりでここまでいるんだけど」
「人間だぞ」
「知ってるよ」
横でレッドフードが笑った。
「男前にそれ言っても無駄だって」
「お前は止める側に回れ」
「何であたし!?」
「似たような無茶をするからだ!」
そこだけは反論できなかった。
ドロシーが冷静に付け加える。
「これまでの行動を思い返してください」
「信用ないな」
「本当に分かっているかは、少々不安ですが」
「分かってる」
ネイトは作戦図の後方を拡大する。
「リリスたちと同じ場所で殴り合う必要はない。補給や装備の調整、人間側の救助でも仕事はある。Pip-Boyの保管庫だって使える」
スノーホワイトも頷いた。
「通常の補給部隊では運びきれない弾薬や部品を、現地で即座に取り出せるのは大きいです」
指揮官はしばらく考えた末、最後には了承した。
「参加は認める。ただし、リリスたちと同じつもりで前へ出るな」
「分かってる」
「信用ないな」
自分で先ほどと同じことを言いながら、ネイトは苦笑した。
その横から、シンデレラが彼を見る。
「あなたも来るのね」
「ああ」
「なら、私がゴッデスと一緒に戦うところも、ちゃんと見ていて」
「注文多いな」
「約束したでしょう?」
「したよ」
シンデレラは少し笑った。
作戦卓の中央には軌道エレベーターがそびえ、その遥か上には、人類がまだ直接辿り着いていない敵の中枢が存在すると考えられている。昨日まで研究所で自分の門出を待っていたシンデレラにとって、次に向かう場所は初陣という言葉だけでは済まない戦場だった。
「シンデレラ」
リリスが声を掛ける。
「怖い?」
不意の質問に、シンデレラはすぐには答えなかった。
昨日、自分の身体を奪われかけたばかりである。それでも今日は、憧れ続けてきたゴッデスの隣に立ち、その次には人類の存亡を左右する作戦へ向かおうとしている。
怖くないはずがなかった。
「……怖いです」
正直に答える。
「でも、行きたい」
「どうして?」
シンデレラは目の前のゴッデスを見た。その周囲には四基のガラスの靴が静かに浮かび、磨かれた鏡面には自分だけではなく、長年遠くから見続けてきた女神たちの姿も映っている。
「そのために、私はここまで来たから」
そして、言葉を続けた。
「人類を守って、勝利を見せる。それが、私が選びたい物語です」
昨日、別の誰かが勝手に書こうとした物語を拒絶したからこそ、今度は自分自身の言葉で選ぶ。
リリスはその答えを聞くと、嬉しそうに頷いた。
「うん」
そして特別なことでもないように、もう一度手を差し出す。
「じゃあ、一緒に行こう」
シンデレラはその手を見た。
今度は迷わず、しっかりと握り返す。
「はい」
昨日まで、ゴッデスは遠くから見上げる存在だった。今日はもう同じ場所に立っており、次は同じ戦場へ向かう。
侵食に身体を奪われることも、誰かが決めた役割を演じることもなく、シンデレラ自身が選んだままの姿で。
四基のガラスの靴が、作戦卓の光を静かに映していた。