Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
シンデレラに出発許可が下りたのは、翌日の昼近くになってからだった。
前日の最終メンテナンスで検出された未承認コードが、NIMPH本体へ到達する前に隔離されたこと自体はすでに確認されている。それでもエイブは研究所内部の検査結果だけで安全と判断せず、別系統の設備による再検査と長時間の経過観察まで要求した。運動制御、感覚入力、記憶や認識、ガラスの靴との同期状態を一から洗い直し、前日のような不審な信号が再び現れないことまで確認して、ようやく結論を出したのである。
少なくとも、現在確認できる範囲に異常はない。
レッドシューズが書き込もうとしていたコードも、シンデレラの中には残っていなかった。
もちろん、それだけで今後の安全を永久に保証できるわけではない。すでに研究所の外へ放たれた侵食がどのように変化しているのかも分からず、レッドフードの体内では別の侵食が現在も残り続けている。それでも、シンデレラ自身が今まさに侵食されているわけではないことだけは、何度確認しても変わらなかった。
結果を告げられた本人は、喜ぶより先にエイブへ問い返した。
「行っていいのね?」
端末から顔を上げたエイブが頷く。
「いい」
「本当に?」
「昨日から行きたいって何度も言ってたのはそっち」
「あなたが何度も止めたからでしょう?」
「必要だった」
「それは分かっているわ」
そう答えながらも、シンデレラの表情は隠しようもなく明るかった。
たった一日。
だが、その一日であまりにも多くのことが起こった。家族のように思っていた相手が、自分の知らないところで二百人を超えるニケを実験に使い、自分の身体にまで侵食を入れようとしていたことを知った。それでも、シンデレラが何年も抱き続けてきた夢そのものまで奪われたわけではない。
「シンデレラ」
エイブが呼ぶ。
「何?」
「向こうでも検査は続けて」
「分かっているわ」
「頭痛、視覚異常、自分の意思と違う動き、聞こえるはずのない音。少しでも変だと思ったら報告」
「昨日から何度も聞いたわ」
「もう一回」
シンデレラは呆れたように小さく息を吐いたものの、拒まなかった。
「分かった。ちゃんと言うわ」
「絶対?」
「絶対」
そこまで聞いて、エイブはようやく満足したらしい。
ネイトは少し離れたところから二人を眺めていた。昨日までとまったく同じ関係へ戻ったわけではない。地下研究室で見つかったものも、レッドシューズのことも、今日になったからといって整理できるような話ではなかった。それでも二人とも、立ち止まり続けるつもりはないらしい。
「ネイト」
今度はシンデレラに呼ばれた。
「何?」
「あなたも一緒に来るのでしょう?」
「ああ。レッドフードの件も含めて、こっちで分かったことを持ち帰らないといけないからな」
「ならちょうどいいわ」
彼女は鏡の前へ立ち、自分の髪を最後に整えた。
「私がゴッデスへ行くところを、ちゃんと見ていてと言ったでしょう?」
ネイトは少し笑う。
「覚えてたのか」
「約束したもの」
「じゃあ、最初から最後まで見届けるよ」
「ええ」
その返事には、前日より僅かに強い響きがあった。
◇
出発前の格納区画には、ヘンゼル、グレーテル、セイレーンも集まっていた。
昨日までなら、その輪の中にはレッドシューズもいたはずだった。
誰もわざわざ空いた場所へ目を向けようとはしなかったが、それでも彼女がいないことは嫌でも分かる。ヘンゼルとグレーテルは普段より静かで、セイレーンもシンデレラのそばからなかなか離れようとしなかった。
「あう……」
心配そうな声を聞き、シンデレラが振り返る。
「大丈夫よ」
「あうー……」
「本当に」
それでも納得していないらしい。
シンデレラは少し考えると、セイレーンの手を取った。
「昨日のことがなかったことになったわけじゃない。私もまだ、全部をどう思えばいいのか分かっていないわ。でも、今日ゴッデスへ行きたいと思っていることも本当なの」
セイレーンは黙って彼女を見上げている。
「だから、行ってくるわ」
少し間を置き、セイレーンが小さく頷いた。
「あう」
今度の声は、引き留めるためではなく送り出すためのものに聞こえた。
ヘンゼルも前へ出る。
「ヘンゼルは、シンデレラが帰ってくると思ってる。グレーテルもそう思ってる」
隣のグレーテルも頷いた。
「当然でしょう?」
「だから、ちゃんと帰ってきて」
「ええ」
「ガラスの靴も」
シンデレラの眉が少し上がった。
「私より先にそっちを心配した?」
「ヘンゼルは両方大事だと思ってる。グレーテルもそう思ってる」
「ならいいわ」
そのやり取りを見ていたネイトは思わず笑った。
「似たようなのが向こうにもいるぞ」
「スノーホワイト?」
「ああ。多分、本人へ挨拶した次の瞬間にはガラスの靴を見てる」
シンデレラの顔が僅かに険しくなる。
「それは美しくないわね」
「先に挨拶するようには言ってある」
「なら、ぎりぎり許すわ」
本当にぎりぎりらしい。
やがてエイブも格納区画へ入ってきた。
「時間」
その一言で、全員の表情が変わる。
輸送機の準備はすでに終わっている。
今度こそ、本当に出発する。
シンデレラはエイブへ向き直った。
「行ってくるわ」
「うん」
「それだけ?」
エイブは少し考えた。
「気を付けて」
「他には?」
さらに少し考える。
「帰ってきて」
シンデレラの表情が柔らかくなった。
「ええ」
エイブは何か言いたそうにしていた。
昨日のこと。
レッドシューズのこと。
秘密研究室のこと。
自分が気づけなかったこと。
口にしようと思えば、いくらでもあったのだろう。
しかし、今ここでそれらを全部背負わせる必要はない。
エイブはシンデレラの姿をしばらく眺め、それから短く言った。
「綺麗」
シンデレラが目を瞬いた。
「……美しい、でしょう?」
「美しい」
すぐに言い直す。
シンデレラは満足そうに笑った。
「そうね」
横でネイトも笑う。
「言えるじゃないか」
「黙って」
「はいはい」
シンデレラが輸送機へ乗り込み、ネイトも後に続いた。
タラップの途中で振り返る。
エイブ。
ヘンゼル。
グレーテル。
セイレーン。
皆がいる。
ただ一人だけ、昨日までならそこにいた人物がいない。
シンデレラも同じ光景を見ていた。
けれど何も言わなかった。
輸送機のハッチが閉じる。
レッドシューズとの思い出を消すためではない。
今はただ、自分で選んだ場所へ向かうために。
◇
勝利の翼号では、ゴッデスの面々が格納区画へ集まっていた。
シンデレラの出発が一日延期された理由については、全員すでに概要を知らされている。侵食と疑われる未承認コードがNIMPHへ書き込まれる直前に発見されたこと、その経路を辿った結果レッドシューズの秘密研究が見つかったこと、多数のニケが犠牲になっていたことも含めて共有されていた。
そのため、待っている者たちの空気も単純な歓迎一色ではない。
壁へ背を預けたレッドフードが、腕を組んだまま尋ねた。
「で、本人は本当に大丈夫なんだな?」
ラプンツェルが頷く。
「研究所から届いた検査結果では、異常は確認されていません。独立した設備でも再検査を行い、経過観察もしています」
「侵食は?」
「成立する前に止められています」
「男前が見つけたんだっけ?」
スノーホワイトが即座に訂正した。
「正確には、Pip-Boyで比較記録を取っていたネイトさんが異常な挙動に気づき、エイブさんがNIMPHへの書き込みを確認して停止しました。ネイトさんが侵食そのものを解析したわけではありません」
「同じようなもんじゃね?」
「違います」
ドロシーも横から口を挟む。
「そこは重要です。もしネイト一人で未知の侵食コードを見抜けるのであれば、今後の対処もずっと容易になります。しかし今回の場合、レッドフードの侵食時データが比較対象として存在し、さらに研究所の設備へ接続した状態だったからこそ異常を発見できたのでしょう」
レッドフードはしばらく考え込んだ。
「じゃあ、あたしがウルトラに刺されたのも多少役に立ったってこと?」
誰もすぐには答えない。
「何だよ。ちょっとくらい褒めろよ」
ラプンツェルが困ったように笑う。
「刺されたことを褒めるわけには……」
「じゃあ、耐えてること」
「それなら」
ラプンツェルは少し考え、柔らかく微笑んだ。
「よく頑張っていますね」
レッドフードの顔が微妙なものになる。
「何か子供扱いされてねえ?」
「自分から褒めてほしいとおっしゃったのでしょう?」
ドロシーが呆れた。
「お嬢サマは褒めてくれねえの?」
「定期検査から逃げなくなったら考えます」
「厳しい!」
そんな会話から少し離れたところで、スノーホワイトだけは格納区画の入口からほとんど目を離していなかった。
リリスが隣へ並ぶ。
「楽しみ?」
「はい」
「シンデレラに会うのが?」
「もちろんです!」
即答したあと、僅かに間を置く。
「……ガラスの靴も」
リリスは笑った。
「やっぱり」
「ちゃんと本人に先に挨拶します!」
「まだ何も言ってないよ」
「ネイトさんにもレッドフードにも同じことを言われたので……」
「じゃあ、頑張ってね」
「はい!」
何を頑張るのかは、本人にしか分からなかった。
少し離れたところでは紅蓮も腕を組み、入口を眺めている。
今度はレッドフードが気づいた。
「センセイも楽しみ?」
「何がだ」
「新人」
「第2世代とやらであろう」
「強いらしいぞ」
紅蓮の目が僅かに鋭くなった。
ドロシーがすかさず釘を刺す。
「手合わせは禁止です」
「まだ何も言っておらぬ」
「顔に書いてあります」
「貴様らは私を何だと思っているのだ」
「強い奴を見るとすぐ戦いたがる人」
レッドフードが答える。
「貴様には聞いておらぬ!」
「でも当たってんじゃん」
「斬るぞ!」
「新人来る前から仲間斬ろうとすんなって!」
リリスが楽しそうに笑っていると、格納区画へ着陸誘導の信号が入った。
一瞬で空気が変わる。
輸送機が降りてくる。
全員の視線が、同じ方向へ向いた。
◇
輸送機のハッチが開いても、シンデレラはすぐには降りなかった。
タラップの上で足を止める。
眼下にいる。
何年も、記録や映像の中にしか存在しなかった者たちが。
リリーバイス。
ドロシー。
ラプンツェル。
スノーホワイト。
レッドフード。
資料ではまだ詳しく知らなかった紅蓮もいる。
そして少し横には、昨日から研究所で行動を共にしていたネイトが立っていた。
シンデレラは無意識に息を止めていた。
ようやく来た。
ここまで。
昨日。
何も知らないまま、自分の身体を奪われるところだった。
別の意思を自分の中へ植えつけられ、その身体でこの人たちの前に立っていた可能性さえある。
だが今は違う。
自分の脚で立っている。
自分の目で彼女たちを見ている。
ここへ来ると決めたのも、自分自身だ。
「シンデレラ?」
リリスの声がした。
その瞬間に我へ返る。
シンデレラはゆっくりタラップを下りた。
リリスが一歩前へ出る。
「初めまして」
穏やかに笑って、手を差し出した。
「リリスだよ」
シンデレラは、その手を見た。
昨日まで何度も考えていた。
ゴッデスと対面したら、最初に何を言うのか。
どんな言葉なら美しいのか。
完璧な挨拶を用意していたはずだった。
実際にその瞬間が来ると、全部消えた。
そして口から出たのは、たった一言だった。
「……美しい」
リリスが瞬きをする。
「私?」
シンデレラも一瞬で自分が何を言ったか理解した。
それでも取り消そうとは思わなかった。
「はい」
差し出された手を取る。
「ずっと、あなたたちを見ていました。ラプチャーと戦って、人類を守って、どれだけ苦しい状況でも前へ進む姿を見て……私はゴッデスを、とても美しいと思ったんです」
声が少し震えている。
それでも続けた。
「だから私も、あなたたちのようになりたかった。それでニケになりました」
リリスは静かに聞いていた。
やがて、握った手へ少し力を返す。
「そっか」
その声は、シンデレラが想像していたよりずっと柔らかかった。
「じゃあ、やっと会えたね」
胸の奥から急に何かが込み上げる。
泣くのは美しくない。
そう思ったはずなのに、目元が僅かに熱くなった。
「……はい」
それでも笑う。
「やっと会えました」
リリスも笑った。
たったそれだけのやり取りで。
何年も思い描いていた光景の一つが、本物になった。
◇
ドロシーは、シンデレラが想像していた通り礼儀正しかった。
「初めまして、シンデレラ。ドロシーです。今回の作戦では、同じ戦場で戦うことになりますね」
「あなたがドロシー」
思わず嬉しそうな声になる。
「私をご存じなのですか?」
「ええ。紅茶を飲んだわ」
さすがのドロシーも予想していなかったらしく、一度瞬きをした。
「紅茶?」
「あなたが好きだと聞いた茶葉を、レッドシューズが淹れてくれたの」
名前を口にした途端、周囲の空気がほんの僅かに静まった。
シンデレラ自身も気づいている。
昨日までと同じ意味では響かない名前だ。
それでも続けた。
「おいしかったわ」
ドロシーはしばらく彼女を見て、それから表情を和らげた。
「そうでしたか」
「本当に好きなの?」
「ええ。香りが気に入っています」
「よかった」
シンデレラは小さく笑う。
「あの時間まで嫌な思い出にしたくなかったから」
ドロシーの表情が少し変わった。
事情を知っていれば、その言葉が何を意味するのか理解できる。
「でしたら、次は私がお淹れしましょう」
シンデレラが顔を上げる。
「本当に?」
「もちろんです。ほかにも何種類かありますから、気に入っていただけそうなものを選びます」
「楽しみにしているわ」
少し離れて見ていたネイトも、内心で安堵した。
良かった記憶まで、裏切りによって全部汚れたことにする必要はない。
それを残すか捨てるかも、シンデレラ自身が決めればいい。
次に前へ出たのはラプンツェルだった。
「ラプンツェルです。お会いできて嬉しいです」
「あなたが聖女と呼ばれている人?」
ラプンツェルの笑顔が固まった。
「……どなたから聞きました?」
自然と全員の視線が一人へ集まる。
レッドフードは自分を指差した。
「何だよ」
「あなたですね」
「いいじゃん。似合ってんだから」
「レッドフード……」
シンデレラは二人を交互に見てから、小さく笑った。
「仲がいいのね」
「だろ?」
「そうなのでしょうか……」
ラプンツェルは困ったように笑ったあと、すぐ医療担当としての顔に戻った。
「体調はいかがですか?」
「問題ないわ」
「頭痛でも視界の違和感でも、本当に小さなものでも教えてくださいね」
「エイブと同じことを言うのね」
「大切なことですから」
シンデレラは少しだけ笑った。
「分かったわ。逃げずにちゃんと診てもらう」
その瞬間、レッドフードが露骨に目を逸らした。
ネイトは見逃さない。
「聞いた?」
「何が?」
「いい見本が来たぞ」
「何のだよ」
シンデレラがそちらへ顔を向ける。
「あなたがレッドフード?」
「おう」
「ネイトから聞いているわ」
「おい、男前」
レッドフードが即座にネイトを睨む。
「何言った?」
「色々」
「その答えが一番怖えんだけど」
シンデレラは思い出すように指を折った。
「うるさい。下品な冗談が好き。検査から逃げる。人の話を聞いているようで、あまり聞いていない」
「男前ぇ!」
「全部事実だろ?」
「もっといいことも言えよ!」
「言ったよ」
ネイトが笑う。
シンデレラも続けた。
「仲間が危険なら、自分が傷つくと分かっていても真っ先に身体を張る人だって」
レッドフードの声が止まった。
ネイトを見る。
それからシンデレラを見る。
「……そこまで言ったのか?」
「ああ」
「何だよ……」
気まずそうに頭を掻く。
「急に気持ち悪いな」
「褒められてその反応する?」
シンデレラが不思議そうに尋ねると、レッドフードは視線を逸らした。
「男前に真面目に褒められんのが気持ち悪いんだよ」
「ひどいな」
「でも」
シンデレラが改めてレッドフードを見る。
「あなたも綺麗な人ね」
「……あたし?」
本気で驚いたらしい。
「外見もそうだけれど、今の話の方。自分より誰かを先に守れるのは、美しいと思うわ」
しばらくレッドフードから言葉が出なかった。
やがて、少し照れたように笑う。
「……変な奴が来たな」
「俺も最初そう思った」
ネイトが同意する。
「聞こえているわよ」
「悪口じゃない」
「ならいいわ」
レッドフードは今度こそ普段どおりの笑顔になった。
「気に入ったぜ。よろしくな、シンデレラ」
「ええ。よろしく」
そこまでは、かなり順調だった。
問題は次だった。
◇
「スノーホワイトです!」
勢いが強かった。
シンデレラが少し身を引く。
「え、ええ。シンデレラよ」
「よろしくお願いします!」
「よろしく」
「それから――」
挨拶はした。
確かにした。
だから約束そのものは守られている。
しかし、その直後。
スノーホワイトの視線が、シンデレラの顔から背後へ滑っていった。
四基のガラスの靴へ。
完全に吸い寄せられた。
シンデレラの目が細くなる。
「ネイト」
「だから言っただろ」
「本当に私から目を逸らしたわ」
「一応、挨拶は先だったから許してやってくれ」
スノーホワイトはもう止まらない。
「これがガラスの靴なんですね! 四基それぞれ独立制御が可能なんですか? この鏡面構造は実際に射撃を反射できるんでしょうか。それにシンデレラ本体からの出力を――」
「スノーホワイト」
リリスに名前を呼ばれた瞬間、動きが止まる。
「あっ」
リリスは笑顔のまま、シンデレラを指した。
「本人」
「あ……」
ようやくスノーホワイトが彼女へ向き直る。
「すみません……」
シンデレラはわざと少し厳しい顔をした。
「私には興味がないの?」
「あります!」
「本当に?」
「本当です!」
「ガラスの靴と、どちらが?」
スノーホワイトが固まった。
横からネイトが小声で助言する。
「即答しないと駄目な奴だぞ」
「ネイトさんは静かにしてください!」
しばらくシンデレラは表情を崩さなかった。
しかし、真剣に悩み始めたスノーホワイトを見ているうちに耐えられなくなったらしい。
「冗談よ」
ようやく笑った。
スノーホワイトが大きく息を吐く。
「……びっくりしました」
「でも、勝手に分解するのは禁止」
「しません!」
「外装を開けるのも」
「しません!」
「工具を持って近づくのも」
「それは……」
「今迷ったわね?」
「整備するなら必要です!」
「私、整備を頼んでいないでしょう?」
ネイトも口を挟む。
「この前も『見るだけ』って言ってたな」
「ネイトさん!」
「今回は本当に見るだけ?」
「本当です!」
「今回は?」
「言葉の綾です!」
レッドフードが腹を抱えて笑い出した。
シンデレラもつられて笑う。
「あなた、本当にネイトから聞いた通りね」
スノーホワイトの顔が僅かに赤くなった。
「どんな説明をしたんですか……」
「優秀な技術者。でも機械を見ると周りが見えなくなる」
「後半はいりません!」
「事実じゃないか」
「ネイトさんは黙っていてください!」
シンデレラとスノーホワイト。
この二人が今後どういう付き合いになるかはともかく、少なくとも仲良くなること自体に大きな心配はなさそうだった。
◇
最後に残った紅蓮は、少し離れたところからシンデレラを観察していた。
当然、シンデレラも気づいている。
「あなたが紅蓮?」
「ああ」
「剣を使うのね」
「そうだ」
彼女の視線が紅蓮の腰へ向く。
花無十日紅。
「綺麗な剣」
紅蓮の表情が僅かに柔らかくなった。
「姉さんのものだ」
「あなたのではないの?」
「借りておる」
「大切なのね」
「ああ」
短いやり取りだったが、それだけでシンデレラは何かを理解したらしい。
「似合っているわ」
「そうか」
紅蓮も満更ではない様子だった。
そこまではよかった。
次に紅蓮の目が、シンデレラの周囲へ浮かぶガラスの靴へ移る。
そして本人を見る。
ネイトには、その視線だけで何を考えているのか大体分かった。
「紅蓮」
「何だ」
「やめとけ」
「まだ何も言っておらぬ」
レッドフードも笑い始める。
「センセイ、顔に書いてあるぞ」
「貴様は黙れ!」
シンデレラが不思議そうに二人を見る。
「私と戦いたいの?」
紅蓮は誤魔化さなかった。
「興味はある」
ゴッデスの指揮官が呆れたように息を吐く。
「正直だな、お前は」
「第二世代の中でも特に優れた性能を持つと聞いておる。ゴッデスを超える可能性すらあるともな」
「資料上ではね」
「ならば、実際に確かめたい」
シンデレラは少し考えた。
そして首を横へ振る。
「嫌よ」
「なぜだ」
「私は今日、ゴッデスと一緒に戦うために来たの」
それから花無十日紅へ視線を向けた。
「それに、その剣は大切な人から借りたものなのでしょう?」
「それがどうした」
「興味本位の手合わせで傷つけるのは、美しくないわ」
紅蓮の顔が僅かに変わった。
シンデレラは薔花を知らない。
姉妹が刀を交換した詳しい事情も知らない。
ただ、紅蓮がその刀を「姉から借りた」と言ったことだけで、大切なものなのだと判断した。
しばらく黙ったあと、紅蓮が笑う。
「なるほど」
「諦めた?」
「今日はな」
「今日は?」
「作戦が終わればよかろう」
「その時に決めるわ」
「逃げるでないぞ」
シンデレラは少し考え、ネイトへ一瞬だけ視線を向けた。
それから紅蓮へ戻す。
「まずリリスに勝ったら?」
格納区画が静かになった。
最初に吹き出したのはレッドフードだった。
「ハハハハッ! 新人にもう言われてんぞ、センセイ!」
紅蓮の顔が引きつる。
「ネイト」
シンデレラが呼ぶ。
「何?」
「これでいいのよね?」
「完璧」
紅蓮が勢いよく振り返った。
「貴様が教えたのか!」
「聞かれたから答えただけだよ!」
「斬る!」
「初日に仲間を斬るな!」
「お前はまだ正式な仲間では――」
そこでリリスが自然に口を挟んだ。
「これから一緒に戦うんだから、もう仲間でいいんじゃない?」
紅蓮の動きが止まる。
シンデレラも少し驚いた。
リリスはいつもと変わらず笑っている。
大げさな歓迎の言葉でもない。
何かの儀式をしたわけでもない。
ただ当然のように、仲間だと言った。
シンデレラの表情がゆっくり柔らかくなる。
「……そう」
リリスを見る。
「なら、嬉しいわ」
◇
歓迎だけで一日を終えることはできなかった。
しばらくして全員が作戦室へ移動すると、中央の作戦卓へ巨大な構造物が投影された。
地上から雲を貫き、その先まで伸びる巨大な塔。
ネイトは初めて見る。
「これが?」
指揮官が頷いた。
「軌道エレベーターだ」
表示範囲が広がる。
その周囲へ現れた敵反応の密度を見て、ネイトの表情が変わった。
「……何体いるんだ?」
「正確な数は分かりません」
スノーホワイトが答える。
「推定だけでも、周辺一帯へ非常に多数のラプチャーが集まっています」
シンデレラは黙って作戦図を見ていた。
彼女は研究所ですでに概要を聞いている。
人類軍による長距離攻撃。
大量の量産型ニケ。
そして殲滅戦へ特化した第2世代フェアリーテールモデル――シンデレラ。
その圧倒的な火力で軌道エレベーター周辺の敵を崩し、ゴッデスが突破するための道を作る。
さらにその先。
クイーンが存在すると考えられている場所まで。
「私の役目は、道を作ること」
シンデレラが確認する。
指揮官が頷いた。
「そうだ。ガラスの靴の射程と殲滅能力を使い、地上部隊と共に密集地帯を突破する。ゴッデスが軌道エレベーターへ到達した後は、戦況を見て判断する」
「ゴッデスと一緒に戦える?」
「地上では同じ戦場だ」
シンデレラの顔に、ほんの少しだけ物足りなさそうな色が浮かぶ。
リリスはすぐ気づいた。
「一緒に戦えないわけじゃないよ」
シンデレラが彼女を見る。
「地上では同じなんだから、まずそこを一緒に勝とう」
少しの間を置き、シンデレラが頷く。
「はい」
ネイトも作戦図へ目を落とした。
敵の数。
補給路。
長距離攻撃の範囲。
進撃ルート。
そして人間である自分が、どこまで同行できるのか。
「俺は?」
指揮官がこちらを見る。
「まだ来るつもりなのか?」
「そのつもりでここまでいるんだけど」
「人間だぞ」
「知ってるよ」
横でレッドフードが笑った。
「男前にそれ言っても無駄だって」
「お前は止める側に回れ」
「何であたし!?」
「似たような無茶をするからだ!」
ネイトは作戦図を拡大する。
「リリスたちと同じ場所で殴り合う必要はない。補給や装備の調整、人間側の救助でも仕事はある。Pip-Boyの保管庫だって使える」
スノーホワイトも頷いた。
「通常の補給部隊では運びきれない弾薬や部品を、現地で即座に取り出せるのは大きいです」
指揮官はしばらく考え、最後には了承した。
「参加は認める。ただし、リリスたちと同じつもりで前へ出るな」
「分かってる」
「本当に分かっているかは、少々不安ですが」
ドロシーが冷静に付け加える。
「信用ないな」
「これまでの行動を思い返してください」
反論できなかった。
その横から、シンデレラがネイトを見る。
「あなたも来るのね」
「ああ」
彼女は少し笑った。
「なら、私がゴッデスと一緒に戦うところも、ちゃんと見ていて」
「注文多いな」
「約束したでしょう?」
「したよ」
作戦卓の中央には軌道エレベーターがある。
その遥か上。
人類がまだ辿り着いていない場所に、クイーンが存在すると考えられている。
リリスがシンデレラへ声を掛けた。
「シンデレラ」
「はい」
「怖い?」
不意の質問だった。
シンデレラはすぐには答えなかった。
昨日、自分の身体を奪われかけた。
そして次は、人類の存亡を左右する戦場へ向かう。
怖くないはずがない。
「……怖いです」
正直に答えた。
「でも、行きたい」
「どうして?」
シンデレラは目の前のゴッデスを見た。
「そのために、私はここまで来たから」
周囲には四基のガラスの靴が静かに浮かんでいる。
磨かれた鏡面には、自分の姿だけではなく、何年も遠くから見続けてきた女神たちも映っていた。
「人類を守って、勝利を見せる。それが、私が選びたい物語です」
昨日。
別の誰かが勝手に書こうとした物語を拒絶した。
だからこそ今度は、自分自身の言葉で選ぶ。
リリスはその答えを聞くと、嬉しそうに頷いた。
「うん」
そして特別なことでもないように、もう一度手を差し出す。
「じゃあ、一緒に行こう」
シンデレラはその手を見た。
今度は迷わない。
「はい」
しっかりと握り返した。
昨日まで、ゴッデスは遠くから見上げる存在だった。
今日は同じ場所に立っている。
そして次は、同じ戦場へ向かう。
侵食に身体を奪われることもなく、誰かが決めた役割を演じるのでもない。
自分が選んだままのシンデレラとして。
四基のガラスの靴が、静かに光を反射していた。
彼女が明日の戦場で何を成すのかは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、シンデレラがようやく、自分自身の意思で憧れ続けた女神たちの隣へ立ったということだった。