Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
軌道エレベーターが大気圏へ戻ってから、窓の外に青空が見えるようになるまでには、思っていた以上に時間が掛かった。
往路で受けた損傷の影響もあり、下降速度は上昇時より抑えられている。スノーホワイトによれば、このまま新しい異常が起きなければ地上までは持つとのことだったが、「何も起きなければ」という条件が付いている時点で、安心できる状況とは言い難い。それでも高度表示は確実に下がり続け、黒かった観測窓の向こうにも少しずつ地上の色が戻り始めていた。
ネイトは壁へ背を預けながら、Pip-Boyへ保存された記録を確認していた。
クイーンの姿、周囲の砲台配置、攻撃が命中してから損傷箇所が再構築されるまでの時間、大出力攻撃の直前に急増したエネルギー反応。最後には、撤退途中でスノーホワイトと共に記録した宇宙ステーションと軌道エレベーターの接続構造まで残っている。
どれも完全な情報ではない。戦闘中に取った記録なのだから、見えていない場所の方が遥かに多いだろう。それでも、上へ向かう前とは決定的に違っていた。
人類は初めて、クイーンを直接見た。
そして少なくとも、今の方法では何が通用しないのかを知った。
「ネイトさん」
呼ばれて顔を上げると、スノーホワイトが隣へ来ていた。
「接続部の映像、もう一度見せてもらえますか?」
「これで何回目?」
「角度が違います」
「はいはい」
Pip-Boyの表示を切り替え、少女から見えるよう左腕を向ける。
画面には、破損した外壁の向こうから見えた巨大なリング状の構造が映っている。宇宙ステーションは軌道エレベーターの柱と完全に一体化しているわけではなく、複数の支持構造や配管、太い接続部によって固定されていた。
スノーホワイトは画像を拡大しながら小さく唸った。
「やっぱり、一つの建造物ではありません」
「そこはかなり確実?」
「少なくとも、最初からすべてを一つの構造として造った形には見えません。ただ、どこまでが人類側の元の設備で、どこからラプチャーが追加したものなのかまでは判断できません」
「外せる?」
その問いには、すぐ答えなかった。
スノーホワイトはしばらく画像を見つめてから、慎重に首を横へ振る。
「分かりません。接続されている以上、構造上の境界はあります。でも、整備のために分離できるよう造られているとは限りませんし、仮に切り離せたとしても、その後ステーションがどう動くのか分かりません」
「そのまま軌道に残るのか、落ちるのか」
「はい。姿勢を維持する推進機構があるのかどうかも分かりませんし、クイーンがステーションそのものとどの程度繋がっているのかも不明です」
分からないことばかりだった。
ネイトは表示を閉じる。
「なら地上で考えよう。考える時間を持ち帰るために逃げてきたんだから」
スノーホワイトは小さく頷いた。
少し離れた場所では、リリスが指揮官とドロシーの話を聞いている。いつもの柔らかな表情は残っているものの、クイーンとの戦闘が終わってから笑う回数は明らかに減っていた。
スノーホワイトも同じ方向を見た。
「……倒せませんでしたね」
「そうだな」
「リリスお姉ちゃんでも」
「あれは俺も驚いたよ。今までリリスが殴って、あそこまでどうにもならなかった奴なんて見たことなかったからな」
「私もです」
ネイトは一度だけ頷き、もう一度観測窓へ目を向けた。
「でも、傷は付いた」
「治りましたけど」
「だったら次は、どうして治るのかを調べる。治るのを止められないなら、別のやり方を考える。殴って駄目だったからって、無敵だと決まったわけじゃない」
スノーホワイトは少し考えたあと、何とも言えない顔をした。
「ネイトさんって、意外と前向きですよね」
「意外は余計じゃない?」
「もっと『もっと大きな爆弾を使おう』と言うかと」
ネイトは無言で少女を見る。
スノーホワイトもこちらを見る。
「……ヌカランチャーを出していましたし」
「しまっただろ?」
「そうですけど」
「俺を何だと思ってるんだ」
「世界一つ分ほど離れた場所に、核兵器を何発も保管している人です」
「言い返しにくいな……」
スノーホワイトが小さく笑った。
その声に気づいたのか、リリスもこちらを見る。
「楽しそうだね」
「クイーンに負けた帰り道で核兵器の話してる」
「やっぱり楽しそうじゃなかった」
リリスが困ったように笑う。
少し離れたところから、レッドフードも口を挟んだ。
「女王の目の前で核しまう男前が悪いだろ」
「撃った方が問題だろ!」
「あの場で一瞬期待したあたしが馬鹿みてえじゃん」
「期待するなよ!」
いつもの会話だった。
少なくとも、声だけなら。
しかしレッドフードが笑いながら観測窓へ視線を戻した瞬間、その表情から笑みが消えたことをネイトは見逃さなかった。
先ほどまでの戦闘も忘れてはいない。
一度目。
そして二度目。
避けられるはずの攻撃を、彼女は避けなかった。
◇
軌道エレベーターが地上へ近づくにつれて、外から伝わってくる振動が増えていった。
故障ではない。
戦闘だった。
やがて通信状態が改善し、地上側の音声が雑音混じりに入ってくる。
『こちら軌道エレベーター防衛線! ゴッデス、応答できますか!?』
指揮官がすぐ通信を開いた。
「こちらゴッデス! 全員生存している。そちらの状況は?」
返事より先に、別の声が割り込んだ。
『遅いわ!』
ネイトは思わず笑った。
「元気そうだな」
数秒の沈黙。
『ネイト?』
「いるよ」
『リリスは?』
「いるよ」
『みんな?』
今度は指揮官が答えた。
「全員いる」
通信の向こうが、ほんの僅かに静かになった。
『……そう』
シンデレラの声が柔らかくなる。
『なら、よかった』
直後、外から大きな爆発音が響いた。
『シンデレラ! 右前方、新規反応!』
『見えているわ。ガラスの靴、右へ。帰ってくる人たちの邪魔をさせないで』
少女の声音が一瞬で戦闘用へ変わる。
外部映像へ切り替えると、軌道エレベーターの基部周辺には、朝とは比べものにならないほど大量のラプチャー残骸が積み重なっていた。その上空をシンデレラが飛び、四基のガラスの靴から放たれる攻撃が、防衛線へ近づこうとする敵を次々と薙ぎ払っている。
地上では量産型ニケたちが複数方向からの攻撃を押さえ、後方の補給路にはブレイドガードの五人もいた。
紅蓮が観測窓へ近づく。
「姉さん」
その視線の先では、薔花が百日紅を手に補給車両とラプチャーの間へ入っている。距離があり、向こうからこちらの姿など見えるはずもない。
それでも紅蓮は腰の花無十日紅へ手を添えた。
「戻ったぞ」
誰へ聞かせるでもない、小さな声だった。
軌道エレベーターの速度がさらに落ちる。
やがて大きな衝撃とともに地上へ到着し、扉のロックが解除された。開いた隙間から流れ込んできたのは、土と火薬、それから焼けた金属の臭いだった。
宇宙ステーションにはなかった。
地上の臭いだった。
リリスが最初に外へ出る。
その直後、上空から白い影が急降下してきた。
「リリス!」
シンデレラだった。
四基のガラスの靴を周囲へ展開したまま着地し、真っ先にリリスの姿を確認する。それからドロシー、ラプンツェル、スノーホワイト、レッドフード、紅蓮、指揮官、ネイトへと、一人ずつ確かめるように視線を移していった。
「……本当に全員いる」
「言ったでしょ?」
リリスが笑う。
シンデレラは一度だけ目を伏せ、すぐ顔を上げた。
「クイーンは?」
誰も取り繕わなかった。
「倒せなかった」
リリスが答える。
「会えたんですか?」
「うん」
「戦った?」
「戦ったよ」
「それでも?」
「強かった」
その言葉を口にした時だけ、リリスの表情に悔しさが見えた。
「今の私たちじゃ、勝てなかった」
シンデレラはしばらく何も言わなかった。
自分が地上で待っている間に、憧れていたゴッデスがクイーンを倒して帰ってくる。そんな姿を想像していたとしても、不思議ではない。
しかし、彼女が最初に口にしたのは失望ではなかった。
「帰ってきたんでしょう?」
「うん」
「なら、約束は守ってるわ」
リリスが僅かに目を丸くした。
シンデレラは続ける。
「クイーンを倒したかったのは私も同じです。でも、倒せなかったからって、あなたたちまで帰ってこない方がずっと美しくないもの」
それからネイトへも視線を向ける。
「あなたも」
「俺?」
「帰るつもりで行くって約束したでしょう?」
「一応、自分の分は守ったつもり」
「なら合格ね」
「採点されてたの?」
「もちろん」
シンデレラが笑った。
その直後には再びガラスの靴を展開し、接近してくる敵へ顔を向ける。
「話の続きはあと。まずここを終わらせましょう」
「そうだね」
リリスも戦場へ向き直る。
女王は倒せなかった。
それでも地上へ帰ってきた者がいる。
そして、まだ帰還を終えていない者もいる。
戦いは、ここで終わってはいなかった。
◇
人類軍が軌道エレベーター周辺から完全に撤収できたのは、夕方近くになってからだった。
クイーン討伐そのものは失敗したものの、進撃時に軌道エレベーター周辺へ集結していたラプチャーへ与えた損害は大きい。さらにシンデレラと量産型ニケたちが、ゴッデス不在の間も防衛線を維持していたことで、帰還後は負傷者と補給部隊から順番に戦線を離脱させることができた。
ブレイドガードの五人も、最後まで後送支援に残った。
撤収準備の途中で、紅蓮はようやく薔花のところへ向かった。
「レン」
薔花が先に気づく。
服や装甲には細かな汚れが増え、百日紅にも戦闘の跡が残っている。それでも、自分の足で立っていた。
紅蓮も同じだった。
「おかえり」
「……ただいま」
交わした言葉はそれだけだった。
花無十日紅も百日紅も、まだ返さない。
紅蓮にはゴッデスでやるべきことがあり、薔花にもブレイドガードの隊長として続けたい仕事がある。借りた刀を返す日は、二人の役目が終わった時に来ればいい。
今はただ、返せる場所まで戻ってきた。
それだけで十分だった。
◇
勝利の翼号へ戻ると、休息より先に最初の作戦報告が始まった。
作戦室の中央には、クイーンの映像が表示されている。
巨大な女性型の上半身と、異様に長く伸びる腕。翼のような構造。そして周囲の設備へ接続された大量のケーブル。
地上へ残っていたシンデレラは、一言も口にせず映像を見つめていた。
「これが……クイーン」
「そう考えてる」
スノーホワイトが答える。
「断定できる証拠まではありません。でも、あのステーションの設備は、ほとんどすべてこの個体を中心に動いていました」
映像が進む。
リリスの拳が胸部へ入り、大きく外装を破壊する。そこへレッドフードやドロシーの攻撃が重なり、ネイトのガウスライフルも露出した内部へ到達した。
その直後、傷が消えていく。
シンデレラの目が細くなった。
「再生?」
「俺には、再構築に近く見えた」
ネイトが答える。
「壊れた部分を元へ戻してるというより、失った場所へ新しい構造を作ってた。どっちにしても速すぎる。一度壊すだけならできるけど、次の一撃を準備している間にはもう戻り始める」
「供給源は?」
「まだ特定できていません」
スノーホワイトが別の記録を表示する。
「太い接続を一本破壊しましたが、すぐ別の経路が使われました。さらに予備と思われる接続構造まで展開されています。少なくとも、『このケーブルを切ればクイーンが止まる』という構造ではありません」
シンデレラは画面を見たまま尋ねる。
「全部壊せば?」
ネイトが首を横へ振った。
「俺たちも同じステーションにいる」
スノーホワイトが補足する。
「生命維持や姿勢制御へ繋がっている可能性があります。壁や床の内部へ入っている接続も多くて、どれが何の機能を持つのか分かりません。全部切るなら、少なくともその前に構造をもっと知る必要があります」
次に表示されたのは、クイーンの大出力攻撃だった。
赤黒い光が集まり、発射された一撃が巨大な区画を何層も貫く。
シンデレラの表情が変わった。
「……これを受けたの?」
「受けてない」
ネイトは即座に否定した。
「ちゃんと隠れた」
「ネイトさんは、その直前にヌカランチャーを取り出しました」
スノーホワイトが余計な情報を追加した。
シンデレラがゆっくりこちらを見る。
「ネイト」
「撃ってないぞ」
「当然でしょう?」
「最近みんな俺への信用なくない?」
指揮官が腕を組む。
「クイーンの目の前で核兵器を取り出した男に言われてもな」
「だからしまっただろ!」
レッドフードが笑う。
「女王の目の前で核を出して、結局撃たずにしまう奴なんて初めて見たぜ」
「むしろ理性を褒めろよ!」
室内の空気が少しだけ緩んだ。
長くは続かなかった。
最後に、スノーホワイトが撤退直前の映像を表示する。
軌道エレベーター。
その上にある宇宙ステーション。
両者を繋ぐ巨大なリングと支持構造。
そこで、シンデレラの表情が変わった。
「これは?」
「撤退する直前に見つけました」
スノーホワイトが画像を拡大する。
「ステーションと軌道エレベーターは、完全な一体構造ではありません。こちらが元々一つだったものを途中で壊した形にも見えません。少なくとも、明確な接続部分があります」
シンデレラは映像へ近づいた。
角度を変え、別の画像へ移り、しばらく黙ったまま接続部分を追っていく。
やがて、ぽつりと口にした。
「……倒す必要、本当にあるのかしら」
リリスが彼女を見る。
「クイーンを?」
「ええ」
シンデレラはクイーンの画像と、接続部の映像を並べた。
「クイーン自身を壊しても元へ戻る。あの場所で戦う限り、周りの設備まで全部クイーンの味方になる。それなら……」
彼女の指先が、ステーション側を示す。
「クイーンを倒すんじゃなくて、クイーンがいる場所を切り離せない?」
部屋が静かになった。
ネイトも接続部の映像を見る。
スノーホワイトも、すぐには答えなかった。
シンデレラは続ける。
「このステーションが軌道エレベーターに繋がっているから、クイーンはあそこにいるのでしょう? なら、その繋がりを切ったらどうなるの?」
「分かりません」
スノーホワイトが率直に答えた。
「切断しただけで落下するのか、そのまま軌道へ残るのか、それともステーション自身に移動能力があるのか。それすら分かりません」
「じゃあ調べればいい」
シンデレラの返事は早かった。
「クイーンの身体そのものを壊すより、こっちの方が可能性があるなら」
指揮官は腕を組み、映像を見つめる。
「エイブにも繋げるか?」
「できます」
スノーホワイトが通信経路を確保する。
しばらくして、画面の一つに研究所側の映像が表示された。
『何』
開口一番、それだった。
ネイトは思わず笑う。
「久しぶりの相手への挨拶がそれ?」
『数日前に会った』
「確かに」
シンデレラはすぐ本題へ入る。
「エイブ。これを見て」
画像を送る。
エイブが黙った。
一枚。
次の画像。
さらに別角度。
やがて画面の向こうから声が返ってくる。
『もっとデータは?』
「今あるのはこれだけ」
『少ない』
「分かってるわ」
『接続部の内部構造は?』
「分からない」
『ステーションの質量』
「分からない」
『推進設備は?』
「それも」
エイブの眉間に皺が寄る。
『分からないことだらけ』
「だから調べるのよ」
シンデレラは引かなかった。
「切れると思う?」
『分からない』
「可能性は?」
エイブは再び映像を見る。
しばらくして、短く答えた。
『ある』
それだけで、シンデレラの表情が変わった。
しかし、エイブはすぐに続ける。
『ただし、接続部だけ壊せばいいとは限らない。軌道エレベーター側がステーションの位置を維持しているなら、切断後の運動を計算する必要がある。ステーション自身に推進機構があるなら話も変わる。構造強度も分からないし、どこを壊せば安全に分離できるかも分からない』
「なら、まずそこからね」
『そう』
ネイトは二人のやり取りを聞きながら、口を挟まなかった。
最初に接続構造へ気づいたのは自分とスノーホワイトだった。
だから記録した。
そして、その記録から「クイーンではなく、クイーンがいる場所そのものを切り離す」という答えへ手を伸ばしたのはシンデレラだ。
それでいい。
むしろ、その方がずっといい。
彼女は地上でゴッデスの帰り道を守っていた。
次に上へ行く時には、自分にしかできないことを持っていけばいい。
「エイブ」
『何』
「全部送るわ。今日の戦闘記録も」
『分かった』
「調べておいて」
『シンデレラもやる』
「もちろん」
通信が終わる。
指揮官は接続部の画像をしばらく眺めたあと、全員を見る。
「まだ作戦ではない」
シンデレラも頷く。
「分かっています」
「切り離せるかも分からん」
「それも」
「だが、調べる価値はある」
「はい」
シンデレラは画面へ視線を戻した。
今日の作戦では、ゴッデスと一緒に軌道エレベーターまで戦った。
しかし、最後まで同じことをする必要はない。
リリスと同じように殴れなくてもいい。
紅蓮のように斬れなくてもいい。
自分にしかできない方法で女王へ届けばいい。
「今度は私も上へ行きます」
リリスが彼女を見る。
「行きたい?」
「はい」
「怖くない?」
「怖いわ」
シンデレラは即答した。
「でも、今度は私にしかできないことがあるかもしれないもの」
その表情を見て、リリスが小さく笑う。
「そっか」
それ以上は何も言わなかった。
作戦室中央にはまだ、倒せなかったクイーンの姿が映っている。
しかし、その隣にはすでに、次に調べるべき場所も映っていた。
◇
作戦参加者の検査は、その夜まで続いた。
ゴッデスの面々も例外ではなく、宇宙ステーション内で受けた負荷や被弾、放射線、機体損傷を一人ずつ確認される。人間であるネイトと指揮官についても念入りな診察が行われ、ネイトが「Vault 81でもここまで検査されなかった」と口にしたところ、ラプンツェルから「どこですか、それは」と聞き返され、説明が長くなりそうだったので適当に誤魔化すことになった。
レッドフードの検査には、とくに時間が掛かった。
クイーン戦で二度、明らかに回避行動が遅れている。
侵食による身体制御への影響である可能性は、当然最初に疑われた。
ラプンツェルは検査結果を何度も確認し、以前のデータとも比較したあと、少し困った顔をした。
「分かりません」
レッドフードが眉を上げる。
「何が?」
「今回のことを、侵食の進行によるものだと断定できません」
同席していたネイトとリリスも顔を上げた。
「悪化してない?」
ネイトが尋ねる。
「侵食そのものは残っています。頭痛やノイズも以前から続いていますし、完全に同じ状態だとも言い切れません。ただ、今回の二度の反応遅延を説明できるような急激な変化は、少なくとも検査では確認できていません」
「じゃあ、ただの判断ミスだろ」
レッドフードがすぐに言った。
「疲れてたんだよ。戦ってりゃ一回や二回くらいあるって」
リリスが彼女を見る。
「二回だよ」
「細けえな」
「二回とも私が助けたんだけど?」
「礼なら言っただろ」
「言ってない」
「じゃあ、ありがとな」
軽い調子だった。
しかし、リリスは笑わなかった。
レッドフードもそれに気づいたらしく、一瞬だけ視線を逸らした。
ラプンツェルがさらに尋ねる。
「感覚がおかしくなったり、身体を動かしづらかったりはしませんでしたか?」
「別に」
「本当に?」
「本当だって」
「頭痛は?」
「いつもと同じ」
「ノイズも?」
「同じ」
ラプンツェルは完全には納得していない様子だったが、検査で確認できないことまで断定することはできない。
「何か変化があれば、必ず教えてください」
「分かってるって、聖女様。ほら、あたしはまだ元気」
レッドフードはいつものように笑った。
ネイトは、その言葉へ返事をしなかった。
もし侵食のせいなら、まだ説明はつく。
本人にはどうしようもない症状なのだと分かれば、次からその前提で対策を立てることができる。
しかし、そうではないのなら。
別の理由で、彼女はあの攻撃を避けなかったことになる。
◇
日付が変わる頃になっても、勝利の翼号の照明は完全には落ちなかった。
持ち帰ったデータの解析班はまだ作業を続けており、整備区画でも損傷した武器や機体の修理が行われている。ネイトもPip-Boyに保存した記録を研究所側へ送る作業を終え、ようやく自分の部屋へ戻ろうとしていた。
その途中、作戦室の前でリリスに呼び止められる。
「ネイト」
「まだ起きてたの?」
「それ、こっちの台詞」
「俺はデータ送ってた」
「私は考え事」
リリスは作戦室へ入り、ネイトにもついてくるよう手で示した。
室内にはもう誰もいない。
中央の投影も消され、昼間までクイーンの姿が映っていた場所には何も表示されていなかった。
リリスは椅子へ腰掛けず、作戦卓の端へ片手をつく。
「レッドフードのこと」
やはりそこだった。
ネイトも近くへ立つ。
「検査じゃ分からなかった」
「うん」
「侵食じゃないとは言えない」
「それも分かってる」
リリスは少し黙った。
「でも、私には……二回目、避けるのが遅れたんじゃなくて、避けるのをやめたように見えた」
ネイトも同じだった。
「俺も」
リリスが顔を上げる。
「見えてたよね?」
「ああ」
クイーンの指が向いた。
レッドフードはそれを見ていた。
射撃を止めれば避けられる距離だった。
それなのに、もう一度ウルフスベインを構えようとした。
「一回目は、まだ分からない」
ネイトは戦闘を思い返した。
「広範囲攻撃だったし、判断が遅れただけかもしれない。侵食が一瞬何かした可能性もある。でも二回目は……」
「うん」
リリスの声が低くなる。
「私が行かなかったら、たぶん当たってた」
「まともに食らってたら?」
「分からない」
リリスは少し目を伏せる。
「でも、試したくない」
「同感」
しばらく沈黙が続いた。
ネイトは、レッドフードが作戦開始前に言った言葉を思い出す。
今日で全部片付くのも悪くない。
さらに、軌道エレベーターで口にした言葉もあった。
ここから落ちたら、さすがに助からない。
その二つをリリスへ伝える。
彼女の顔から、残っていた柔らかさが消えた。
「それ、いつ言ったの?」
「最初のは地上で。二つ目は上がってる途中」
「どうしてすぐ言ってくれなかったの?」
「その時は、そこまでの意味だと思わなかった」
ネイトは言い訳をしなかった。
「戦争が終わればいい、くらいに聞こえたんだ。落ちたら死ぬって方も、あいつなら言いそうな冗談だった。でもクイーン戦の後だと……ちょっと違って聞こえる」
リリスも否定しなかった。
「最近、先の話をすると妙に流すことがあった」
「先の話?」
「作戦が終わったら何する、とか。戦争が終わったら、とか」
少し考える。
「前のレッドフードなら、適当なことでも答えてたんだよ。酒飲むとか、音楽聴くとか、どこか行くとか。でも最近、そういう話になると笑って終わらせる」
「クイーン討伐が決まった時は?」
リリスは目を伏せた。
「……安心してたように見えた」
二人とも、それ以上はすぐに言葉へしなかった。
死にたい。
そこまで決めつけるには、まだ材料が足りない。
レッドフード本人は何も話していない。
侵食という、本当に危険な問題も抱えている。
だからこそ、推測だけで答えを決めるわけにはいかなかった。
「明日、話そう」
リリスが言った。
「本人と?」
「うん。私もいる。ネイトもいて」
「ラプンツェルは?」
「必要なら呼ぶ。でも最初からみんなで囲んだら、絶対逃げるでしょ?」
「物理的に?」
「話から」
「それはありそう」
リリスは小さく息を吐いた。
「私、あの子のこと分かってるつもりだったんだけどな」
ネイトは少し考えてから答える。
「分かってるから、変だって気づいたんじゃない?」
リリスが顔を上げた。
ほんの僅かに、表情が和らぐ。
「ネイトって、たまにいいこと言うね」
「たまに?」
「普段は核兵器持ち歩いてるから」
「今それ関係ある?」
「ない」
少しだけ空気が緩んだ。
しかし、問題が消えたわけではない。
「朝になったら、ちゃんと話す」
リリスはもう一度、自分へ言い聞かせるように言った。
「これ以上、一人で決めさせない」
ネイトも頷く。
「分かった」
二人は作戦室を出る。
廊下には誰もいないように見えた。
リリスは自分の区画へ向かい、ネイトも反対方向へ歩き始める。
二人分の足音が十分に遠ざかったあと。
曲がり角の陰から、レッドフードが姿を現した。
手には飲み物の入ったボトルを持っている。
最初から会話を盗み聞きするつもりだったわけではない。
たまたま通りかかった。
自分の名前が聞こえたから足を止めただけだった。
「……ったく」
誰もいなくなった廊下を見ながら、小さく呟く。
男前も。
リリスも。
余計なところばかり見ている。
レッドフードはしばらくその場に立っていたが、やがて自分の部屋へ戻った。
扉を閉じる。
壁際にはウルフスベインがあり、小さな音楽プレイヤーもいつもの場所に置かれている。ベッドへ腰掛けたレッドフードは、その二つを順番に眺めてから、部屋の時計へ目を向けた。
明日の朝。
話をする。
何を聞かれるのかは、もうだいたい分かっている。
そして、自分が何と答えるのかも。
まだ夜は長い。
レッドフードはしばらく動かなかった。
やがて立ち上がると、部屋の隅に置かれていた小さな鞄へ目を向けた。
◇
クイーンを倒すことはできなかった。
それでも、ゴッデスは何も持たずに帰ってきたわけではない。
クイーンの姿と能力。
宇宙ステーションの構造。
軌道エレベーターとの接続部。
そして、次に試すべきかもしれない一つの可能性。
持ち帰ったものの中には、記録にも端末にも残らないものもあった。
クイーン戦で二度、攻撃を避けようとしなかったレッドフード。
その理由について、まだ誰も答えを知らない。
だが、朝になれば聞くつもりだった。
少なくとも。
本人以外は、そう思っていた。