Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ―   作:記録官

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第7章 壊れないということ
第17話 壊れないということ


 レッドフードが勝利の翼号を離れてから、数日が経っていた。格納区画に響く声が一つ減っただけで艦内そのものが静かになるはずもなく、スノーホワイトの工具音も、ドロシーが誰かを注意する声も、紅蓮が訓練場で刀を振る音も以前と変わらず続いている。それでも食堂の席が一つ空いていることや、何か騒ぎが起きた時に真っ先に余計な一言を挟む人物がいないことには、誰もが少しずつ気づいていた。

 

 その日の朝も、食堂にはいつもの面々が集まっていた。ネイトが焼いたパンをマレーンが興味深そうに眺め、スノーホワイトは食事をしながら昨日の整備記録を端末で確認している。ドロシーはそれを行儀が悪いと注意し、紅蓮は我関せずと茶を飲み、リリスはそんな全員を見渡しながら楽しそうに笑っていた。

 

「スノー、ご飯の時くらいそれ閉じたら?」

 

「あと少しです。昨日の出力記録だけ確認したら閉じます」

 

「昨日も同じこと言ってなかった?」

 

「昨日は別の記録です」

 

「だから毎日やってるんでしょ」

 

 リリスは笑いながらテーブルの上へ手を伸ばし、少し離れた皿からパンを取ろうとした。右手の指先が皿の縁へ触れる直前、その動きが不自然に止まる。本人も最初は何が起きたのか分からなかったらしく、指を開こうとして数秒だけ眉を寄せた。

 

 次の瞬間には、何事もなかったように手が動いた。

 

「……ん?」

 

 小さな声だったが、隣にいたスノーホワイトは聞き逃さなかった。端末から顔を上げ、リリスの右手へ視線を向ける。

 

「今、どうしました?」

 

「何が?」

 

「右手です」

 

「ちょっと止まっただけ」

 

 リリスは実際に指を何度か開閉し、今は問題なく動くことを示した。握る、開く、手首を回すという動作にも目立った異常はなく、痛みも痺れも感じていないらしい。

 

「寝起きだからかな」

 

「リリスお姉ちゃんは、もうだいぶ前から起きています」

 

「じゃあお腹空いてたから」

 

「関係ありません」

 

「厳しい」

 

 スノーホワイトは笑わなかった。

 

 ラプンツェルもすぐに右手を取ったが、触診だけで分かるような異常はない。感覚も正常で、指示された方向へ手を動かすこともでき、握力も本人が抑えている範囲ではいつもと変わらなかった。

 

「一度だけですか?」

 

「うん。本当に一瞬」

 

「昨日や一昨日にも、似たことはありませんでしたか?」

 

「ないと思うよ」

 

 そこでリリスは少し考えた。

 

「……たぶん」

 

「その『たぶん』が気になります」

 

 ラプンツェルの声は穏やかなままだったが、すぐに忘れていいものとは考えていないらしい。朝食後に一度詳しく診ることを約束させ、ようやく手を離した。

 

 ネイトは向かいの席からその様子を見ていた。レッドフードの侵食を経験しているせいで、身体が一瞬言うことを聞かなかったと聞けば嫌でも身構えてしまう。しかしリリスには侵食反応が確認されておらず、症状も右手が一度止まったというだけで、今の段階から原因を決めつけられる材料はなかった。

 

「無理してない?」

 

「ネイトまで?」

 

「全員から聞かれる前に答えた方が早いぞ」

 

 リリスは周囲を見た。

 

 ドロシーも、紅蓮も、マレーンもこちらを見ている。指揮官まで食事の手を止めていたため、さすがに逃げられないと悟ったらしい。

 

「してないよ。昨日も普通の訓練だけ。クイーン戦の後はちゃんと休んでるし、ラプンツェルにも診てもらってる」

 

「なら、何もなければそれで終わりです」

 

 スノーホワイトは端末を閉じた。

 

「でも、確認はします」

 

「はいはい」

 

「返事が軽いです」

 

「はーい」

 

「もっと軽くなりました!」

 

 ようやく周囲に少し笑いが戻ったものの、スノーホワイトだけは最後までリリスの右手を気にしていた。

 

◇

 

 朝の検査では、明確な異常は見つからなかった。

 

 関節の反応、駆動系、信号伝達、出力制御のいずれも通常範囲に収まり、昨日までの記録と比較して急激に悪化した箇所もない。ラプンツェルは念のため予定されていた訓練負荷を少し下げるよう求め、スノーホワイトもそれに賛成した。

 

 ところが、その日の午後にはもう一度似たことが起きた。

 

 大規模な戦闘ではなく、近隣地域へ現れた小規模なラプチャー群を排除する通常任務だった。リリス、ドロシー、スノーホワイト、紅蓮が前へ出て、ネイトと指揮官は少し後方から状況を確認している。クイーン戦に比べれば脅威度も敵数も遥かに低く、ゴッデスへ大きな負担が掛かる作戦ではないはずだった。

 

 最後の一体が紅蓮へ狙いを定めた時、リリスが横から距離を詰めた。敵の砲撃を避けながら右脚で地面を蹴り、普段なら一息で届く距離を踏み込もうとする。しかし、その一歩目で右脚だけが僅かに遅れた。

 

 上半身は前へ出ているのに、脚がついてこない。

 

 ほんの一瞬だった。

 

 それでも、リリスほどの速度で動いている最中には十分なずれだった。身体が僅かに傾き、そのままなら体勢を崩していたところへ紅蓮が横から割り込み、ラプチャーの砲身を花無十日紅で斬り落とす。

 

「リリーバイス!」

 

「大丈夫!」

 

 リリスはすぐ立て直し、そのまま敵の胴体へ拳を叩き込んだ。ラプチャーは正面装甲を大きく凹ませながら後方へ吹き飛び、そこへドロシーの射撃が入り、内部機構を破壊して動きを止める。

 

 戦闘自体は、それで終わった。

 

 誰も怪我をしていない。

 

 リリスも普通に立っている。

 

 だからこそ、先ほどの一瞬だけが余計に目立った。

 

「今のは何だ」

 

 紅蓮が花無十日紅を収めながら、真っすぐリリスを見る。

 

「ちょっと足が遅れただけ」

 

「今朝は手であったな」

 

「……うん」

 

 スノーホワイトはすでにリリスの右脚へ近づいていた。

 

「帰ります」

 

「スノー、敵はもう――」

 

「帰ります」

 

 今度は有無を言わせない声音だった。

 

 ドロシーも反対しない。

 

「私も賛成です。二度目ですから」

 

「でも、戦えるよ?」

 

「戦えるかどうかを確認するために帰るのです」

 

 リリスは少し困ったようにネイトの方を見た。

 

「助けて?」

 

「無理」

 

「即答?」

 

「俺まで止める側だから」

 

「裏切り者」

 

「今朝、全員から聞かれる前に答えろって言っただろ」

 

 最後にはリリスも諦め、帰還命令を受け入れた。

 

◇

 

 今度の検査には、朝よりずっと時間が掛かった。

 

 勝利の翼号へ戻ると、ラプンツェルは単純な動作確認だけではなく、リリスの全身へ負荷を掛けた際の反応まで調べた。スノーホワイトも整備設備を持ち込み、関節だけでなく、肩から腕、腰から脚へ力が伝わる時にどこへ負担が集中するのかを、一つずつ記録していく。

 

 最初に見つかったのは、壊れた部品ではなかった。

 

「ここ」

 

 スノーホワイトが画面を拡大する。

 

 肩から腕へ力を伝える接続部。

 

 腰部の支持構造。

 

 大腿部から下肢へ繋がる部分。

 

 どれも今すぐ機能しなくなるほど破損しているわけではない。それでも、通常のニケと比較すれば極端な負荷を受けた痕跡があり、細かな変形や応力の蓄積が複数箇所で確認できた。

 

「これ、いつから?」

 

 ネイトが尋ねる。

 

「分かりません」

 

 スノーホワイトは画面から目を離さず答えた。

 

「少なくとも今日一日でできたものではありません。クイーン戦だけが原因とも言い切れません」

 

 ラプンツェルも別の検査記録を開く。

 

「以前から少しずつ蓄積していた可能性があります。これまではリリス自身の調整機能で補えていたものが、最近になって動作へ出始めたのかもしれません」

 

「何で今まで分からなかったの?」

 

 リリス自身が尋ねると、スノーホワイトは少し考えてから答えた。

 

「リリスお姉ちゃんが強すぎるからです」

 

「それ、褒めてる?」

 

「褒めてません!」

 

 珍しく強い声だった。

 

 スノーホワイトは端末を握り直す。

 

「普通のニケなら、こんな負荷を掛ける前に出力側で限界が来ます。でもリリスお姉ちゃんは、身体を壊せるくらいの力を普通に出せるんです」

 

 リリスの笑みが少し消えた。

 

「身体が、力についてきてない?」

 

「……そういう可能性があります」

 

 スノーホワイトはさらに過去の戦闘記録を並べる。

 

 大型ラプチャーを殴り飛ばした時。

 

 ウルトラの装甲を拳で破壊した時。

 

 クイーンへ何度も全力に近い打撃を叩き込んだ時。

 

 単純に拳だけへ力が掛かっているわけではない。地面を蹴り、脚から腰へ、腰から胴体へ、肩から腕へと力を伝えるたび、全身の支持構造と接続部が巨大な反力を受けている。

 

 通常なら壊れないよう身体側が出力を制限するところを、リリスはその制限を遥かに超えた力まで扱えてしまう。

 

「つまり、殴った相手だけじゃなくて自分にも返ってきてる」

 

 ネイトが言う。

 

「橋に重い車を通すみたいなものか。車は走れる。でも橋の方が、その重さを何度も受けるようには作られてない」

 

「近いです」

 

 スノーホワイトが頷く。

 

「ただ、もっと複雑です。リリスお姉ちゃんの場合は全身で力を作っているので、どこか一箇所だけ強くしても別の場所へ負担が移る可能性があります」

 

「じゃあ全部強くすれば?」

 

 リリスが尋ねる。

 

 スノーホワイトはすぐ答えなかった。

 

 その沈黙だけで、簡単ではないことが分かる。

 

「今すぐ同じ性能の身体を、もっと頑丈に作れるかは分かりません」

 

 ラプンツェルが補足する。

 

「少なくとも、今の身体へ部品を足せば解決するような問題ではなさそうです」

 

 リリスは自分の右手を見た。

 

 朝は数秒だけ動かなかった手。

 

 午後には、自分の意識より僅かに遅れた右脚。

 

 どちらも今は正常に動いている。

 

 しかし「今動く」ことと、「これからも同じように動く」ことが同じではないことを、レッドフードの件で全員が嫌というほど知っていた。

 

「だったら出力を下げればいいんじゃない?」

 

 リリス自身がそう言った。

 

 スノーホワイトの目が動く。

 

「できます」

 

「何割?」

 

「まだ決められません。まず安全な範囲を――」

 

「じゃあ半分くらい?」

 

「勝手に決めないでください!」

 

「でも、それなら壊れないんでしょ?」

 

 スノーホワイトは答えられなかった。

 

 出力を落とせば負荷が減る可能性は高い。しかし、どこまで落とせば十分なのかは分からず、それでもクイーンへ再び挑むなら、単に力を削るだけでは別の問題が生まれる。

 

「クイーン相手に、リリスお姉ちゃんの力を減らすんですか?」

 

 スノーホワイトが小さく呟く。

 

 リリスも黙った。

 

 クイーンには、全力に近い拳ですら決定打にならなかった。次に挑むなら少なくとも同等以上の力が必要になる可能性が高いのに、自分の身体を守るために出力を大幅に落とせば、その戦力を自分たちから捨てることにもなる。

 

 ネイトは二人の間へ口を挟んだ。

 

「出力を下げるのは、一番簡単な方法なんだろ?」

 

「はい」

 

「なら、それだけで決める必要はないんじゃないか」

 

 スノーホワイトがこちらを見る。

 

「どういう意味ですか?」

 

「力そのものを減らすんじゃなくて、身体へ返ってくる負担を減らせない?」

 

 ネイトは自分の腕を動かしてみせる。

 

「同じ重さを持つにしても、腕一本で持つのと身体全体で支えるのは違う。車だってエンジンだけ強くしても、フレームや足回りがついてこなきゃ壊れる。でもエンジンを弱くする以外にも、力の伝え方を変える方法はあるだろ」

 

 スノーホワイトはすぐ否定せず、画面に表示された負荷分布へ視線を戻した。

 

「力の伝達経路を変える……」

 

「できる?」

 

「分かりません。でも、調べる価値はあります」

 

 そこで少女は自分の言葉を繰り返すように、もう一度画面を見る。

 

「今の身体のままで、どこまで負荷を逃がせるか。別の支持構造を使えるか。外へ一部を受け持たせられるか……」

 

 考え始めると、先ほどまでの不安だけではなく技術者としての集中が表情へ戻ってきた。

 

 それでもリリスの状態そのものが軽くなったわけではない。

 

◇

 

 夕方、研究所のエイブを交えた通信会議が開かれた。

 

 接続構造の解析についてシンデレラと連絡を取り合っていたところへ、リリスの検査結果が追加で送られたため、予定を変更してそちらも同時に確認することになった。画面の向こうにはエイブとシンデレラがおり、エイブは届いた記録を読み始めてからしばらく口を開かなかった。

 

「……以前の検査記録も送って」

 

「全部?」

 

 スノーホワイトが尋ねる。

 

「全部。クイーン戦だけ見ても意味がない」

 

「分かりました」

 

 データの転送が始まる。

 

 シンデレラは画面越しにリリスを見つめていた。

 

「痛いんですか?」

 

「今は何ともないよ」

 

「本当に?」

 

「本当」

 

「レッドフードみたいに隠してない?」

 

 予想外の名前が出て、リリスが一瞬言葉に詰まった。

 

「……あの子、悪い見本として便利になってない?」

 

「今のところは」

 

 シンデレラは真顔だった。

 

「だから、何かあったらちゃんと言ってください」

 

「分かった」

 

 今度はリリスも軽く流さず頷いた。

 

 エイブは転送された古い記録と今日の検査結果を並べ、特に力が身体を通る部分へ注目している。肩、腰、股関節周辺、脚部支持構造と順番に拡大し、やがてクイーン戦以前の記録にも細かな兆候が存在したことを確認した。

 

「急に壊れたわけじゃない」

 

 エイブが言う。

 

「前からある」

 

「やっぱり?」

 

 スノーホワイトが尋ねる。

 

「小さい。以前なら誤差で済ませる程度。でも並べると増えてる」

 

 画面上へ時系列が表示される。

 

 古い記録ではほとんど見えなかった負荷痕が、戦闘回数とともに少しずつ増えていた。大出力を使った任務の後には特に変化が大きく、休息や整備である程度は戻っても、完全に元の状態へ戻り切っていない箇所がある。

 

「このまま同じ使い方を続けたら?」

 

 指揮官が尋ねる。

 

 エイブは少しも言葉を濁さなかった。

 

「壊れる」

 

 室内が静かになった。

 

 スノーホワイトが自分の端末を強く握る。

 

「どのくらいで?」

 

「分からない。戦い方で変わる。大出力をどれだけ使うかでも変わる」

 

「クイーン戦みたいな出力を、また使ったら?」

 

「悪化する可能性が高い」

 

 そこでスノーホワイトが堪えきれなくなったように声を上げた。

 

「壊れます!」

 

 リリスが少し驚いて少女を見る。

 

「スノー」

 

「本当に壊れるんです! 今は手と脚が少し止まっただけです。でも同じ負荷が続いたら、次も同じ程度で済む保証なんてありません!」

 

 普段のスノーホワイトなら、技術的に確定していないことへ強い言い方をするのを避ける。しかし今は、画面の向こうのエイブが否定しない程度には、その危険を実感しているのだろう。

 

「じゃあ、やっぱり力を抑える?」

 

 リリスが尋ねる。

 

 スノーホワイトの顔が曇る。

 

「それだけなら、一番簡単です」

 

「なら――」

 

「でも!」

 

 また遮った。

 

「私は、リリスお姉ちゃんを弱くしたいんじゃありません」

 

 リリスが目を瞬く。

 

 スノーホワイトは俯きかけたが、そのまま本人を見る。

 

「壊したくないんです」

 

 その一言だけは、技術者の報告ではなかった。

 

 幼い頃から「リリスお姉ちゃん」と呼び、誰より強い存在として追いかけてきた少女自身の言葉だった。

 

「強いままでも、壊れない方法を探したいです」

 

 リリスはすぐには返事をしなかった。

 

 その時、医療区画の入口付近から別の声がした。

 

「壊れるの、そんなに変?」

 

 全員が振り返る。

 

 マレーンが立っていた。

 

「マレーン?」

 

「ごめん。入っていいって言われたから」

 

 彼女は自分の新しい身体を確かめるように片手を上げた。見た目だけなら普通に動いており、以前保存装置の中で維持されていた損傷だらけの身体を想像させるものはほとんどない。

 

「私は壊れたよ」

 

 声は穏やかだった。

 

「昔の身体。ずっと強くなりたくて、強い身体になればちゃんと役に立てると思ってた。でも結局、身体の方がもたなかった」

 

 リリスが黙って聞いている。

 

「それで、壊れた私は本物じゃなくなったのかなって、最初ちょっと思った」

 

「そんなことないよ」

 

 リリスの返事は早かった。

 

 マレーンは小さく笑う。

 

「うん。ネイトにも似たこと言われた」

 

「俺、そんな良いこと言ったっけ?」

 

「『まず生きろ』って」

 

「ああ、それなら言った」

 

 マレーンはもう一度リリスへ顔を向けた。

 

「本物なら壊れないって、誰が決めたの?」

 

 リリスが僅かに目を見開く。

 

「強いから壊れちゃ駄目なの? リリスだから、ずっと同じ強さでいないといけないの?」

 

「それは……」

 

「私は壊れたけど、今ここにいるよ」

 

 マレーンは自分の胸へ手を置く。

 

「前の身体より弱い。でも、生きてる。歩けるし、話せるし、これから何をするかもまだ決められる」

 

 自分の身体を壊した経験があるからこそ、言葉には妙な重さがあった。

 

「だから、壊れるかもしれないって分かったなら、壊れない方法を探せばいいと思う」

 

 スノーホワイトが小さく頷いた。

 

「はい」

 

「強くなくなるって決めるんじゃなくて?」

 

「はい」

 

 リリスは二人を見た。

 

「私、そんなに心配されてる?」

 

「されます」

 

 スノーホワイトの返事は即座だった。

 

 マレーンも頷く。

 

「されるよ」

 

「そっか」

 

 今度のリリスは、少し困ったように笑った。

 

◇

 

 会議は、そのままクイーンと宇宙ステーションの話へ移った。

 

 シンデレラとエイブは接続部の解析を進めているが、現時点で「どこを壊せば安全に分離できる」という答えまでは出ていない。ステーションの質量、姿勢制御、軌道エレベーター側との荷重分担、内部の生命維持設備、クイーンとステーションの接続関係など、確認しなければならない項目が多すぎた。

 

「次の作戦は?」

 

 指揮官が尋ねると、エイブは首を横へ振った。

 

「まだ決めない」

 

「でも、切断案は?」

 

「候補。作戦じゃない」

 

 シンデレラも頷く。

 

「だから今は作戦を決めない。必要な情報を決める」

 

 その言葉に、指揮官も表情を変えた。

 

 前回は、クイーンがいる可能性が高いという情報を頼りに軌道エレベーターを上り、実際に遭遇して初めてその能力を知った。次も同じように「行ってから考える」では、今度こそ全員が帰れなくなるかもしれない。

 

「次に知るべきことは?」

 

 ネイトが尋ねる。

 

 エイブが項目を表示する。

 

「接続部の内部構造。ステーション側の推進機構。切断後の軌道変化。クイーンがステーションから離れられるか。あと、切断時に軌道エレベーター側へどれだけ負荷が掛かるか」

 

「結構あるな」

 

「まだある」

 

「聞かなきゃよかった」

 

「聞いたから答えた」

 

 相変わらずだった。

 

 シンデレラは苦笑しながら別の画面を開き、今度はリリスの検査結果へ視線を移す。

 

「それから、リリスの身体」

 

「私も作戦項目?」

 

「もちろん」

 

 シンデレラの答えは迷いがなかった。

 

「クイーンへもう一度行くなら、一番強い人が途中で壊れる前提の作戦なんて美しくないわ」

 

「それはそう」

 

「だから、そっちも調べないと」

 

 ネイトがスノーホワイトの端末へ目を向ける。

 

「単純に出力を下げるだけじゃなくて、身体の使い方そのものを変えられないかな」

 

「さっきの話ですね」

 

「同じ力でも、身体の中を通る道を変える。あるいは、身体だけで全部受けない方法を探す」

 

 スノーホワイトは考え込む。

 

「外部の支持装置を使う方法もあります。全部を身体の中だけで完結させる必要がないなら、負荷を一部外へ逃がせるかもしれません」

 

 エイブが画面越しに反応した。

 

「面白い」

 

「本当ですか?」

 

「できるとは言ってない」

 

「エイブさん……」

 

「でも試す価値はある」

 

 スノーホワイトの表情が少し明るくなる。

 

 指揮官もそれを見て頷いた。

 

「なら、クイーンへの次の突入は保留だ。まずステーションの追加情報と、リリスの身体を調べる。必要なら作戦そのものを変える」

 

「分かった」

 

 リリスは自分の右手を開き、もう一度握った。

 

 今は普通に動く。

 

 それでも、以前と同じように何も考えず全力を使い続ければ、いつか動かなくなる可能性がある。その事実を知った以上、「まだ使えるから」と無視することはできなかった。

 

◇

 

 会議が終わったあとも、リリスは医療区画に残っていた。

 

 スノーホワイトはすぐに作業室へ向かい、過去の戦闘記録から負荷分布を作り直すと言っている。ラプンツェルも検査記録を整理し、エイブへ送る追加資料の準備を始めた。マレーンは自分の昔の身体について使える記録があるなら提供すると申し出てから、先に居住区へ戻っていった。

 

 ネイトが帰ろうとしたところで、背後から声が掛かる。

 

「ネイト」

 

「何?」

 

 リリスは検査台へ腰掛けたまま、自分の両手を眺めていた。

 

「私、強いよね」

 

「自分で聞く?」

 

「いいから」

 

「強いよ。嫌になるくらい」

 

「クイーンには勝てなかったけど」

 

「俺たち全員で勝てなかっただろ」

 

「でも、私がもっと強ければって思った」

 

 その言葉は、クイーン戦から何度も考えていたのだろう。

 

「だから、もっと出さなきゃって思ってた」

 

「力を?」

 

「うん」

 

 リリスは右手を握る。

 

「でも、それやったら壊れるんだって」

 

「今のままなら、な」

 

「怖い?」

 

 ネイトが聞くと、リリスは少し考えた。

 

「うん」

 

 意外なほど素直だった。

 

「動かなくなるのも怖いし、みんなを守れなくなるのも嫌。それに……スノーにあんな顔させるのも嫌だな」

 

 ネイトは隣の壁へ背を預けた。

 

「なら、次は違う方法を探せばいい」

 

「強くない私になっても?」

 

「それ決めるの早くない?」

 

 リリスがこちらを見る。

 

「出力落とすのは一つの方法だ。でもスノーもエイブも、もう別の方法を考え始めてる。身体を強くするのか、力を逃がすのか、出し方を変えるのか、外から支えるのか。まだ何も決まってない」

 

「そっか」

 

「マレーンも言ってただろ。壊れるかもしれないって分かったなら、壊れない方法を探せばいい」

 

 リリスは少し黙った。

 

 やがて両手を膝の上へ置く。

 

「私、弱くなりたくない」

 

「うん」

 

「みんなを守れるくらい強いままでいたい」

 

「うん」

 

「でも、壊れたくもない」

 

「それでいいんじゃない?」

 

 どちらか一つを選ばなければならないと、まだ誰も決めていない。

 

 リリスはその言葉を自分の中で確かめるように、しばらく黙っていた。やがて少しだけ笑う。

 

「じゃあ、壊れないようになりたい」

 

「そっちで行く?」

 

「うん」

 

 そして、いつもの明るさを僅かに取り戻しながら胸を張る。

 

「最強だからね」

 

 ネイトも笑った。

 

「そこは譲らないんだな」

 

「もちろん」

 

 右手を開き、握る。

 

 今度は止まらなかった。

 

 それでもリリスは、動いたから問題ないとはもう言わなかった。強さを捨てず、身体も壊さず、その両方を欲しがることができるなら、まずはその方法を探してみればいい。

 

 勝利の翼号の別区画では、スノーホワイトがすでに過去の負荷記録を並べ始めている。研究所でもエイブが同じ資料を受け取り、リリスの身体がどのように力を伝えているのかを調べ始めていた。

 

 次にクイーンへ挑む方法を決める前に、まず知るべきことが増えた。

 

 その一つが、最強と呼ばれる力を持つ身体を、どうすれば壊さずに使い続けられるのかという問いだった。

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