Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
第1話 空から来た男
人間は死ぬ瞬間に、自分の人生を見るという。ネイト・フォーリーは、そんな話を昔どこかで聞いた覚えがあった。戦争へ行くより前だったのか、それとも退役してから誰かと酒を飲んでいる時だったのか、今となっては思い出せない。実際にその時を迎えてみれば、人生のすべてが一度に蘇るわけではなく、古い写真を箱から一枚ずつ取り出していくように、いくつもの顔や景色がゆっくりと浮かんでは消えていった。
最初に見えたのは、まだ世界が終わっていなかった頃のボストンだった。家の前を通り過ぎる車、テレビから流れるニュース、台所に漂う朝食の匂い。そして乳児用のベッドで泣いていたショーンを抱き上げ、こちらを振り返って笑ったノーラの姿は、二百年以上という途方もない時間を経た今でも、あの日とほとんど変わらないまま記憶に残っている。
その笑顔が消えると、次に浮かんだのは冷たいVault 111だった。凍結ポッドの向こう側で、何もできず見ているしかなかった光景がある。銃を持った男と、ショーンを守ろうと必死に抵抗する妻、奪われていく息子、そして一度しか聞かなかったにもかかわらず、生涯忘れることのできなかった銃声だった。
再び目を覚ました時には、世界そのものが二百年以上先へ進んでいた。アメリカも、自分が所属していた軍も、家も近所も、守るために戦ったはずの社会さえ核の炎の向こうへ消え、残されていたのは放射能に汚染された荒野と、その中でどうにか生き延びている人々だけだった。
その後の人生について、一晩で語り切ることなどできない。荒野を歩き、何度数え直しても足りないほど銃を撃ち、助けられた者がいる一方で、自分の手で命を奪った者もいた。ミニッツメンと肩を並べ、鋼鉄の装甲をまとった兵士たちとも関わり、地下深くへ潜り、人間によく似た機械と友人になった。敵と呼ばれた者にも心があり、味方の看板を掲げているからといって常に正しいわけでもないことを、連邦を歩くうちに嫌というほど思い知らされた。
軍人だった頃から、命令に従うことと正しいことをすることは同じではないと理解していたつもりだった。それでも、核戦争後の世界を生きる年月が兵士として過ごした時間より遥かに長くなる頃には、その違いをもっと複雑な形で考えるようになっていた。正解が最初から用意されていない場所で選び続け、その結果を抱えたまま、それでも次の日には歩かなければならない人生だった。
それでもネイトは、生きた。
世界が終わった日に三十代だった身体には、やがて深い皺が刻まれた。黒かった髪は白くなり、かつてパワーアーマーを着たまま瓦礫を駆け上がれた脚も、最後にはベッドから起き上がるために誰かの手を借りるようになった。それほど長く生きられたことを、ネイト自身は悪いことだとは思っていない。むしろ、もう十分だと思えるところまで辿り着けたことの方が、あの荒野では珍しい幸運だった。
ベッドの周囲には、人がいた。血の繋がりだけで結ばれた家族ではなく、二百年前の自分なら決して同じ場所へ集まるとは想像できなかった者たちもいる。笑い、喧嘩をし、時には意見を違え、それでも長い年月の末には同じ場所へ戻ってきた人々だった。
すでにこの世を去った友も多い。人間だった者たちは彼より先に老いて何人もいなくなったが、その一方で、何十年経っても外見がほとんど変わらない者たちもいた。少し離れたところでは、古びた帽子とコートを身につけた黄色い目の探偵が、こんな時でさえ煙草を咥えたそうな顔をしている。そのそばには、かつて所属していた組織の規則だけを考えれば、同じ場所で友人としてネイトを見送るなど考えにくかった男も立っていた。
ネイトはその顔を見つけ、薄く笑った。
「……ダンス」
呼ばれた男は、すぐにベッドのそばまで来た。ネイトがこれほど老人になるまで生きたというのに、目の前の男の顔立ちは昔とほとんど変わっておらず、そのことが少し腹立たしいくらいだった。
「ここにいる」
声まで昔と変わっていない。それを聞けただけで、ネイトには十分だった。
目を閉じかけたところで、もう一度だけ枕元を見る。小さな机には古びた写真立てが置かれており、そこにはノーラと自分、そしてまだ赤ん坊だったショーンが収まっている。その隣には、二百年以上手放さずに持ち続けた結婚指輪も置かれていた。
「長かったな……」
誰に聞かせるでもなく呟くと、自分でも少し可笑しくなった。戦前のアメリカで生まれて兵士になり、家族を持った直後に世界が核の炎へ沈み、二百年以上先の荒野へ放り出された。それから息子を探し、妻の仇を追い、連邦を歩き続け、それでも人生は終わらず、さらに何十年という時間を生きたのだから、長かったという言葉でも足りないくらいだった。
やり残したことがないとは言えない。もっと救えた者がいたかもしれず、違う選択をしていれば生き残った者もいただろう。それでも、最後まで生きてきた今になって思えば、最初から完璧な人生など存在しなかったし、自分にできたのは、その時その時で選んだ答えを抱えて次へ進むことだけだった。
ネイトはゆっくりと息を吐いた。若い頃なら意識さえしなかった一呼吸なのに、今では次の息を吸える保証がないことが分かる。
「ノーラ」
最後に妻の名前を呼んだ。
待たせた、とは言わなかった。死後の世界が本当に存在するのか、自分が死ねばノーラに会えるのか、そんなことは生涯分からなかったからだ。ただ、もし本当に再会できる場所があるのなら、まず謝らなければならないことが山ほどある。そのあとで、彼女が知らない二百年以上分の出来事を、気が済むまで話せばいい。
誰かが握っている手は温かかった。銃声も警報も聞こえず、レイダーもスーパーミュータントもデスクローも襲ってこない。長すぎるほど長い人生を送った男の最期としては拍子抜けするくらい静かだったが、それも悪くないとネイトは思った。
胸の上下が少しずつ小さくなり、最後の呼吸が身体から抜けていった。
◇
頬に、冷たい感触があった。
意識が戻り始めた時、ネイトはそのことをひどく不思議に思った。死後の世界について真面目に考えた経験はほとんどないが、少なくとも頬へ押しつけられているものが硬い金属製の床だとは想像していなかった。
身体の感覚が戻るにつれ、周囲の音も聞こえ始める。風が吹き、床の下から規則的な機械の振動が伝わり、遠くでは巨大な何かが回転しているような低い唸りが続いている。鼻につくのは油と金属の匂いで、天国と呼ぶにはどう考えても軍事施設じみていた。
「……そりゃ俺にはお似合いか」
掠れた声で呟きながら目を開けると、最初に見えたのは雲一つない青空だった。
ネイトはしばらくそれを見上げていたが、ようやく自分が屋外の金属床へ寝転がっていることを理解し、身体を起こそうとする。そこで最初の違和感に気づいた。力を込めただけで上体が驚くほど簡単に起き上がり、老人になってから当たり前のように付き合っていた腰の痛みがどこにもない。
「……冗談だろ」
立ち上がってみると、今度は身体そのものの軽さに戸惑った。膝を曲げても腰を落としても痛みはなく、肩にも長年付きまとっていた鈍い違和感がない。自分の両手へ目を落とせば、老人の皮膚に刻まれていた皺は消え、そこにあるのは軍で訓練を受け、長年ライフルを握っていた頃の手だった。
頬や顎へ触れてみても同じだった。白髪と共に伸びていた髭はなく、皮膚には若い頃の張りが戻っている。試しに何度か拳を握り、屈伸までしてみたものの、結果は変わらなかった。
「いやいやいや……」
自分でも何を確認しているのか分からなくなりながら左腕へ目を落とすと、そこには長年使い続けてきたPip-Boy 3000 Mark IVが変わらず装着されていた。画面を点灯させれば緑色の表示は正常で、故障警告も出ていない。身体状態を確認しても大きな異常は表示されず、むしろ数時間前まで老人だったことの方が嘘のように健康な数値を示している。
「死んで若返った?」
口にしてから、自分でも馬鹿げていると思った。
もっとも、二百年以上冷凍保存された後に目覚め、核戦争後のアメリカを何十年も歩いてきた身である。今さら「常識ではあり得ない」という理由だけで、目の前の事実を否定し続ける気にもなれなかった。
ネイトは一度深く息を吐き、ようやく自分以外の状況を確認することにした。寝ていた場所は巨大な金属製の甲板で、周囲には航空機の運用を想定しているらしい設備が並んでいる。遠方には複数の構造物があり、その上ではレーダーのような機器が回転していたが、どれも彼の知る軍事施設とは意匠も構造も違っていた。
甲板の端へ近づいたところで、さらに大きな違和感へ気づく。
遥か下方に、雲が浮かんでいた。
「飛んでるのか、これ」
その隙間から見える地表は、とても飛び降りて済むような距離ではない。空中を移動する巨大な軍事拠点という点だけなら、連邦で関わったBrotherhood of Steelのプリドゥエンを思い出すものの、眼前の構造は規模も設計もまるで違っている。少なくとも、自分が知っている何かと同一のものだと考える材料はなかった。
「……プリドゥエンじゃないな」
独り言を漏らしながら腰へ手を伸ばすと、そこには武器まであった。もう何十年も実戦では使っていなかった10mmピストルとナイフが身につけられており、それだけではなく、Pip-Boy上の保管情報には覚えのある装備や物資が多数認識されている。
死ぬ直前まで持っていたものとは明らかに違う。
若返った身体。
長年使っていたPip-Boy。
昔の装備。
そして、見たことのない巨大な飛行施設。
何一つ説明できない。
「死後の世界にしちゃ、サービスがいいな」
返事を期待して口にしたわけではなかった。
「へえ。あんた、喋れるんだな」
ところが、背後から女の声が返ってきた。
長年の習慣で、考えるより先に身体が動いた。ネイトは振り返りながら半身になり、相手の姿と両手を確認する。ただし、腰の10mmピストルへは触れなかった。向こうも武器を持っているものの、今のところ銃口はこちらへ向けていないからだ。
そこに立っていたのは、赤い髪と赤いコートが目を引く若い女だった。手にしているのは身体の大きさに似合わないほど巨大なライフルであり、それを構えても重心がほとんど崩れていない。武器を持ち慣れているのは明白だった。
「なんだよ。幽霊ってわけでもなさそうだな」
女はネイトを上から下まで眺め、妙に楽しそうな笑みを浮かべた。
「俺にはそっちの方が聞きたい」
「何を?」
「ここはどこだ」
女は目を瞬いたあと、堪えきれなくなったように声を上げて笑った。
「ハハッ! 勝手に人んちへ落ちてきて、最初の質問がそれか?」
「落ちてきた?」
「ああ。空から降ってきたようにも見えたけど、墜落って感じじゃなかったな。いきなり出てきて、そのまま倒れた。結構面白かったぞ」
「俺は面白くない」
女が、先ほどまでネイトが倒れていた場所を顎で示す。
「ああ。気付いたらそこにいた」
「経験者?」
「おすすめしない」
「そうか? あたしなら一回くらいやってみたいけどな」
奇妙な女ではあるが、少なくとも会話は通じる。ネイトは話を続けながら改めて相手を観察した。巨大なライフルを軽々扱う姿から普通の人間ではない可能性も考えたが、過去に似た存在をいくつも見てきたからこそ、外見や特徴の一部だけで正体を決めつける気はなかった。
「名前は?」
「質問するなら、先にそっちから名乗るのが礼儀じゃないか?」
「不法侵入してる男が礼儀を説くのかよ」
「好きで入った覚えはない」
「それもそうだな」
女は巨大なライフルを肩へ担いだ。
「あたしはレッドフード」
「それが名前?」
「そういう名前だ。そっちは?」
偽名を使わなければならない理由もなかった。
「ネイト。ネイト・フォーリー」
「ネイトね」
レッドフードは確認するように名前を繰り返し、そのあとネイトの顔をじっと見つめた。
「なんか変な感じだな、あんた。顔は若いのに、目だけ妙におっさん臭い」
「ついさっきまで本当に爺さんだった」
「ハッ?」
「たぶん死んだ」
今度は笑われなかった。
レッドフードは数秒ほどネイトを見つめ、本気で頭を心配するような顔になった。
「……頭打った?」
「その反応が正常だと思う」
「だよな?」
「俺だって逆の立場ならそう思う」
互いに顔を見合わせているうち、先に吹き出したのはレッドフードだった。
「いいな、男前。あんた面白いぞ」
「名前を教えた意味は?」
「気にすんな。そう呼ぶことにした」
「そうかよ」
勝手な女だった。
それでも、不思議と嫌いにはなれそうになかった。
「で、男前。そろそろ真面目な話しようか」
笑みこそ残しているものの、レッドフードの目つきが変わる。先ほどまでの雑談とは明らかに違い、軍人だった頃から何度も見てきた、武装した不審者を確認する側の目だった。
「ここ、軍の飛行船なんだよ」
「見れば分かる」
「その軍用飛行船に、所属不明の武装した男が突然現れた」
ネイトは状況を考え、肩をすくめた。
「俺がそっちなら拘束するね」
「話が早くて助かる」
「軍事施設へ勝手に入り込んだ奴が『俺を信用しろ』なんて言っても無理だろ。武器は腰のピストルとナイフ。他にも荷物はあるが、今すぐ使う気はない」
そう言いながら、両手を見える位置へ上げる。レッドフードは少し感心したような顔をした。
「素直だな。やっぱ軍人?」
「元な」
「どこの?」
「アメリカ陸軍」
その答えを聞いたレッドフードが、首を傾げた。
「アメリカ?」
「……知らない?」
「悪い。聞いたことねえな」
冗談を言っている様子はなかった。
二百年以上先へ目覚めた時でさえ、過去との繋がり自体は残っていた。国が滅びていても星条旗は各地にあり、道路標識にも企業名にも戦前の痕跡が残されていた。しかし今目の前にいる女は、アメリカという国の名前そのものを知らないと言う。
見たことのない飛行船。
知らない兵器。
若返った自分。
そのどれもが、単に連邦から遠く離れた場所へ運ばれただけでは説明しにくくなっていく。
「なるほど」
「何が?」
「面倒なことになった」
「今さら?」
「俺の人生、大体そうなんだ」
そこでレッドフードの通信機へ声が入り、会話が途切れた。彼女は短いやり取りの中で「生きてる」「ラプチャーじゃねえ」「人間……だと思う。男だよ」と答え、最後に相手から何か指示を受ける。
通信を終えると、甲板の奥へ顎を向けた。
「行くぞ、男前。うちの隊長たちにご挨拶だ」
「拒否権は?」
「欲しい?」
「いや。聞いてみただけ」
「やっぱ話が早いな、あんた」
「長生きしたからね」
「若いくせに」
レッドフードはまた笑い、ネイトもそれ以上説明せず、彼女に続いて甲板を歩き始めた。
◇
案内された区画には、すでに四人の女性が待っていた。
正面に立つ白髪の女性は穏やかな顔立ちをしており、表情だけを見れば威圧的ではない。しかし姿勢や重心には驚くほど隙がなく、こちらが妙な動きをすればすぐに制圧されるだろうという感覚が、長く戦場を歩いてきたネイトにはあった。
その少し後ろには、軍人というより上流階級の令嬢を思わせる金髪の女性がいる。立ち居振る舞いは優雅だが、こちらへ向ける視線には遠慮のない警戒が宿っていた。さらに穏やかな雰囲気を持つ長髪の女性と、全員の中で最も幼く見える白髪の少女が並んでおり、その少女だけはネイト本人よりも左腕のPip-Boyを気にしているようで、視線が何度もそこへ吸い寄せられている。
「連れてきたぞ」
レッドフードが軽い調子で報告する。
「ネイト・フォーリー。元軍人で、アメリカってところから来たらしい」
「説明が雑すぎる」
ネイトが思わず口を挟む。
「だいたい合ってるだろ?」
「俺が空から降ってきた部分は?」
「アメリカ陸軍、だったね?」
正面の女性が確認した。
「ああ」
「私はリリーバイス。ゴッデス部隊の隊長だよ。みんなからはリリスって呼ばれてる」
「ネイト・フォーリー。今聞いた通り、元軍人だ」
やはり彼女がこの場の中心らしい。
リリーバイスは他の面々へ一度だけ視線を向け、それからネイトへ戻した。
「さっき調べてもらったんだけど、その『アメリカ』という国に該当する記録は、私たちのところにはなかったよ」
「やっぱりか」
思ったほど驚かなかったネイトを見て、金髪の女性が訝しげに眉を寄せる。
「随分と落ち着いていらっしゃるのですね。自分が所属していた国家を誰も知らないと言われた直後とは思えません」
「一回、二百年後に目覚めた経験がある」
「……はい?」
「それ言うと余計怪しくなる」
「もう十分怪しいよ」
リリーバイスが笑い、レッドフードもすぐに吹き出した。それまで隙なく整っていた金髪の女性の表情まで、一瞬だけ崩れる。
「ほら、面白いだろ?」
「レッドフード、少し黙っていてください」
「お嬢サマこわーい」
「誰がお嬢サマですか」
短いやり取りを聞きながら、ネイトは少しだけ肩の力を抜いた。少なくとも、四六時中命令と敬礼だけで動いているような部隊ではなさそうだった。
「じゃあ、一つずつ確認しようか」
リリーバイスが話を戻す。
「まず、あなたは人間?」
「多分正常」
「多分を付けないでよ」
「俺もそこは説明できない」
「だって死んだって言ってるし」
「最後って?」
「死ぬ前」
リリーバイスが言葉を失い、レッドフードへ顔を向ける。
「頭は?」
「多分正常」
「だから多分を付けないで」
このままでは話が進まないと判断したらしく、それまで静かにしていた長髪の女性が一歩前へ出た。
「身体を確認してもよろしいでしょうか?」
「どうやって?」
「簡単なスキャンです。少なくとも、あなたが人間なのか、それとも別の存在なのかは確認できます」
ネイトは周囲を見回し、断る理由はないと判断した。
「いいよ」
検査そのものは数十秒ほどで終わった。結果を確認していた女性――ラプンツェルが、わずかに驚いた顔をする。
「人間です。少なくとも身体構造は完全に人間で、機械化された身体でもニケでもありません」
「本当に?」
金髪の女性が確認すると、ラプンツェルは頷いた。
「はい。ただ、健康状態が異様なほど良好です。外見年齢に対して身体能力の数値もかなり高いようですが……」
「昔から丈夫なんだ」
嘘ではない。そこから先を詳しく説明し始めれば、Pip-Boyより先に自分の人生そのものを一から分解して話さなければならなくなる。
「その機械は?」
リリーバイスの視線が、ネイトの左腕へ向いた。
「Pip-Boy」
「ピップボーイ?」
案の定、白髪の少女がすぐに反応した。
「ああ。携帯端末みたいなもんだよ。地図、通信、放射線量、身体状態、荷物の管理……他にも色々できる」
「このサイズで生体情報まで常時取得しているんですか?」
先ほどまでの警戒を忘れたように、少女がすぐ近くまで寄ってくる。
「見せてもらえますか?」
「見るだけなら」
ネイトが左腕を向けると、少女の目が明らかに輝いた。
「電源は? 内部構造はどうなっているんですか?」
「説明すると長いし、俺も全部知ってるわけじゃない」
「では、分解して――」
「駄目」
最後まで聞く必要はなかった。
少女は不服そうに顔を上げる。
「……まだ最後まで言ってません」
「目が言ってた」
横でレッドフードが声を上げて笑い、リリーバイスまで肩を揺らしている。
「壊しません」
「そう言って機械を分解する奴を何人も知ってるんだよ。信用してないわけじゃないが、これなしで知らない場所に放り出されるのは困る」
事情を説明されると、少女は渋々ながら引き下がった。
「分かりました。では、あとで外側だけでも」
「外側くらいなら好きなだけ見せるよ」
「本当ですか?」
「スノーホワイト」
リリーバイスが名前を呼んだ途端、少女は慌てて姿勢を正した。
「……すみません」
「まだ確認中だよ」
先ほどまでPip-Boyへ釘付けになっていたスノーホワイトが慌て、レッドフードがそれを見てまた笑う。金髪の女性――ドロシーだけは呆れたような顔をしており、ラプンツェルも小さく微笑んでいた。
ネイトには、その光景が妙に馴染み深く感じられた。軍の精鋭部隊で、見たところ全員が女性であり、そのうち少なくとも何人かは「ニケ」と呼ばれる存在らしい。それでも、こうして互いをからかい、興味を持てば夢中になり、腹を立て、笑っている姿は、連邦で知り合った多くの兵士や仲間たちと大して変わらなかった。
「今度はこちらから聞いていいか?」
「どうぞ」
「ニケって何だ?」
わずかに場の空気が変わった。
最初に答えたのはリリーバイスだった。
「人間の脳を機械の身体へ移植して作られた、人型兵器だよ」
「君たちも?」
「そうだよ」
ネイトは一人ずつ顔を見る。リリーバイスも、レッドフードも、ドロシーも、ラプンツェルも、スノーホワイトも同じ側に立っている。
人間の脳が入り、身体は機械。
その説明から連想したのは、ニック・バレンタインやキュリー、そしてダンスだった。彼らは目の前のニケと同じ存在ではなく、成り立ちも身体の仕組みもまるで違う。それでも、「人間とは何か」「機械の身体を持つ者を人として扱えるのか」という問いを巡って、多くの血が流れるところをネイトは見てきたし、自分自身も何度となく答えを選ばされてきた。
だから、目の前の彼女たちを見て出てきた答えは単純だった。
「人間の脳が入っていて、自分で考えて、自分で喋ってるんだろ?」
「ええ」
「なら今の俺には、それで十分だ」
しばらく誰も何も言わなかった。
その返答のどこが特別なのか、ネイト自身にはよく分からない。やがてレッドフードだけが口元を緩めた。
「やっぱり変な奴だな、男前」
「今日会ったばかりの女に言われたくない」
「褒めてるって」
「便利な言葉だな、それ」
ネイトは肩をすくめ、次の質問へ移った。
「じゃあ、ここはどこなんだ?」
今度は彼女たちから、この世界について聞く番だった。
説明された内容を整理すると、人類は突如現れた機械生命体――ラプチャーとの戦争状態にあり、その圧倒的な物量と戦力によって地上を失いつつあるという。人類側は地下への避難を進め、その間もニケたちは地上で戦い続けている。ゴッデスは、その中でも特に重要な戦力として各地を転戦している部隊だった。
「つまり、機械の軍隊が現れて、人類は地上を追われかけてる?」
「大雑把に言えば、そうだね」
「地下への避難は?」
「進められてるよ」
「戦況は?」
その質問にだけは、誰もすぐ答えなかった。
沈黙の意味を詳しく説明してもらう必要はない。前線へいた経験がある者なら、戦況が良い時の兵士と、そうではない時の兵士がどのような顔をするのかくらい分かる。
ネイトは椅子の背へ身体を預け、片手で目元を覆った。
「……また世界の終わりか」
レッドフードが笑う。
「経験あるみたいな言い方だな」
「あるんだよ」
ネイトは手を下ろし、彼女を見る。
ようやく終わったと思っていた。核戦争後の世界を二百年以上先まで生き抜き、老人になって銃を置き、最後には家族同然の仲間たちへ見送られて人生を終えた。今度こそ戦場とは縁のない場所へ行けると思っていたはずなのに、目を覚ませば若い身体へ戻り、知らない世界では知らない敵が人類を滅亡寸前まで追い詰めている。
あまりにも自分らしい巡り合わせだった。
その時、艦内へ鋭い警報が響き渡った。
先ほどまでの空気が一瞬で切り替わる。Pip-Boyへ目を輝かせていたスノーホワイトの表情も戦闘へ向かう兵士のものへ変わり、レッドフード、ドロシー、ラプンツェルも同時に動いた。艦内放送は接近するラプチャーを確認したことと、各員へ迎撃準備に入るよう告げている。
「話はあとだね」
リリスが立ち上がる。
ネイトも反射的に腰を上げた。
「あなたはここに残ってください」
その動きを見たドロシーがすぐ制止する。
「まだ身元も完全には確認できていませんし、ラプチャーについても何も知らないのでしょう?」
「妥当な判断だ」
素直に認めると、逆にドロシーが少しだけ拍子抜けした顔をした。
部屋の反対側には、甲板から移動する際に預けた10mmピストルとナイフが保管されている。ネイトがそれを一度見たところで、部屋を出ようとしていたリリーバイスが足を止めた。
「ネイト。一つだけ聞いていい?」
「どうぞ」
「戦える?」
ネイトはすぐには答えず、しばらく自分の手を見た。兵士だったのはもう遥か昔のことであり、正式に軍へ所属していた時間だけなら、その後の人生に比べて驚くほど短い。それでも、退役してから銃を握った年月の方が遥かに長く、荒野を歩き、戦争を生き延び、身体が老いて本当に武器を置くまで、戦うことから完全に離れていた時期はほとんどなかった。
「一応、兵士だった」
「どれくらい?」
「長いよ」
リリーバイスはしばらくネイトの顔を見ていた。
「リリス」
ドロシーが警戒するように名前を呼ぶ。
「私が見てるよ」
それだけ言うと、リリーバイスは保管されていた10mmピストルを手に取り、ネイトへ差し出した。
若返った手へ戻ってきた銃は、何十年ぶりなのか分からないほど久しぶりであるにもかかわらず、驚くほど自然に馴染んだ。重量もグリップの感触も記憶の中と変わらず、マガジンを確認してスライドを引けば、乾いた金属音が耳へ届く。
「お手並み拝見だな、男前」
レッドフードが楽しそうに笑う。
死んだと思ったら若返り、見覚えのない世界へ放り出され、そこで最初にすることがまた銃を握ることになるとは、どこまで行っても自分らしい人生だった。
「本当に変わらないな、俺の人生」
「なんか言った?」
「何でもない」
ネイトは銃口を床へ向けたまま、先に部屋を出ていくゴッデスの面々へ続いた。つい先ほどまで、彼は家族に見守られながら静かに人生を終えた老人だった。その記憶も、積み重ねてきた年月も失われてはいないのに、身体だけは再び戦場を走れる頃の姿へ戻り、その先では聞いたこともない敵が人類を追い詰めている。
二度目の人生が本当に始まったのかどうかは、まだネイトにも分からなかった。ただ、警報の鳴る軍用飛行船で銃を渡されてしまった以上、今やるべきことだけは昔と変わらない。
まず敵を見て、生き残る。そのあとで、この世界がどれほど面倒な場所なのかをゆっくり考えればよかった。