Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
Vault-Nの建設が始まってから、ひと月余りが過ぎていた。最初に足を踏み入れた時には古い支柱と仮設照明しかなかった地下空間も、今では入口から医療区画まで床が整えられ、壁には電力線と換気設備が収められている。まだ完成には程遠かったが、少なくとも「穴の中に設備を置いている」段階は抜け、誰かが長く滞在することを前提にした施設へ変わり始めていた。
作業速度を上げたのは、ネイトやスノーホワイトだけではなかった。アンダーソンの手配で資材運搬用の作業機械が増え、スノーホワイトが修理した小型ロボットも通路を行き来するようになったほか、ブレイドガードの薔花たちも警戒任務の合間に建設を手伝っている。重量物を運ぶニケが増えたことで、人間用の搬送機だけでは何時間も掛かっていた作業が一気に進み、ネイトは「最初から呼んでおけばよかった」と何度も口にした。
「それを最初から言ったのは私ですよ」
資材一覧を確認していたスノーホワイトが、こちらを見もせずに答える。
「でも警備の仕事があるだろ」
「交代制なら問題ありません。薔花さんたちからも、手が空いているなら手伝いたいと言われています」
「助かってるよ。俺一人だったら、まだあの辺に壁作ってる」
「ネイトさん一人に建設させる計画ではありません」
「分かってるって」
そう言いながら、ネイトは通路の先を指した。以前は地盤確認のために閉鎖されていた区画が開通し、奥には新しい居住室が並び始めている。まだ家具も入っていない部屋が大半で、扉を開ければベッドのない空間が続くだけだったが、数だけなら現在使う予定の人数を遥かに上回っていた。
「やっぱり多くない?」
見学に来ていたリリスが、一室の扉から顔を出した。
「今の人数ならな」
「これ全部埋まるの?」
「埋まらない方が平和だろ」
「それはそうだけど」
リリスはもう一度室内を見回した。必要最低限の広さしかない簡素な個室だが、一人で休み、荷物を置き、扉を閉められるだけの空間は確保されている。
「でも、空いてる部屋があるのってちょっと変な感じだね」
「俺は逆に安心する」
ネイトは壁へ背を預けた。
「誰か連れて帰ってきた時に、『寝る場所がありません』って言わなくて済むからな」
「またそれ?」
「使う奴が来てから増築するんじゃ遅いだろ」
その返事に、リリスは少し笑った。最初の図面を見た時から、ネイトは必要人数ぎりぎりで施設を作ろうとはしなかった。医療ベッドも、ニケ用の整備設備も、備蓄庫も、最初から余裕を持たせている。
その考え方が、単に彼の世界で地下施設を見慣れていたからではないことも、今ではリリスには分かっていた。
◇
Vault-Nの中で最も早く完成した重要区画は、居住区でも食堂でもなかった。
分厚い隔壁を二枚通った先に、外部通信線を一切持たない小さな区画がある。通常の施設電源からも切り離せる独立電源を備え、保存媒体は同一内容を複数へ分けて記録する。片方が壊れても他方が残るよう配置場所まで離し、さらに読み出し装置と保存装置の間にも、必要時以外は物理的に接続されない隔離機構が設けられていた。
「ここまで必要?」
リリスが分厚い扉を叩く。
「必要です」
スノーホワイトの答えは即座だった。
「一応聞くけど、何で?」
「人の頭の中を保存する場所だからです」
「分かりやすい」
リリスが納得した横で、ネイトは室内に置かれた椅子を見ていた。見た目は医療用の診察椅子に近いが、頭部を囲むように複数の接続器が配置され、ニケのNIMPHへ必要な範囲だけアクセスできるよう調整されている。
エイブは最後の検査を終えると、椅子側から伸びた接続線を一本ずつ確認した。
「書き込み側は?」
ネイトが尋ねる。
「切った」
「設定で?」
「物理的に」
エイブは椅子の背面を開き、内部を見せた。読み出しに必要な回路だけが残され、NIMPHへ情報を送り返すための系統は途中で外されている。
「今の装置は、読むだけ」
「戻したくなっても?」
「できない」
「いいね」
「書き戻しを試す段階になったら別の装置を作る。これを改造はしない」
ネイトは満足そうに頷いた。便利だからと同じ設備へ機能を継ぎ足していけば、いずれ誰かが誤操作するか、目的そのものが曖昧になる。読むための機械なら、読むことしかできない方が安全だった。
「それで」
リリスが椅子を指す。
「今日やるんだよね?」
「やる」
「私が最初?」
「まだ嫌なら変えられる」
エイブはいつもと変わらない調子で言ったが、リリスが断る可能性も含めて確認していることは明らかだった。
「変えないよ」
「なら説明する」
テーブルには、翼会議で決めた同意書が置かれていた。そこには読み出す範囲、保存期間、閲覧権限、本人が判断できなくなった場合の扱い、そして本人が希望すれば削除できることまで記されている。実験だからと曖昧に済ませず、一項目ずつ確認してから開始するのが条件だった。
「保存範囲は今回、最近の記憶だけ」
「どのくらい?」
「数日分から始める。全部一気には読まない」
「昔のことは?」
「今日は触らない」
エイブが項目を指していく。
「保存された記憶はお前が第一閲覧者。私たちは装置が正常に読み出したか確認するため、内容そのものじゃなく構造情報を先に見る。ただし、お前が許可した範囲は確認用として一緒に閲覧する」
「分かった」
「途中で嫌になったら止める」
「分かった」
「頭痛、吐き気、違和感、知らない記憶が混ざった感覚が出たら即終了」
「分かったって」
「返事を急ぐな」
リリスは少し口を閉じ、それから一項目ずつ改めて読み直した。最後まで確認した後、自分の名前を書き込む。
「これでいい?」
「いい」
そのやり取りを見ていたネイトは、少し離れた壁際へ移動した。最初の試験とはいえ、本人の記憶を読む場面へ必要以上に立ち会うつもりはなかった。
「ネイトは見ないの?」
「見ていいって言われたところだけ」
「別に全部見てもいいけど」
「そういうのを軽く言うな」
「信用してるよ?」
「信用されてるからこそ、勝手に見ないんだよ」
リリスは少し意外そうに彼を見たあと、ゆっくり笑った。
「じゃあ、終わったら面白かったところだけ見せる」
「思い出を娯楽にするな」
軽口を交わしたことで緊張が少し抜けたのか、リリスは椅子へ腰掛けた。スノーホワイトが頭部接続器の位置を調整し、ラプンツェルが身体側の状態を確認する。
装置が起動しても、大きな音はしなかった。
表示されるのは、NIMPHから読み出された情報量と、保存媒体へ書き込まれていく進行表示だけである。リリス自身も目を閉じて静かに座っているだけで、外から見れば何も起きていないように見える。
それでも、スノーホワイトは一度も画面から目を離さなかった。
◇
最初の読み出しは、予定より短い時間で終了した。
「気分は?」
接続器を外しながらラプンツェルが尋ねる。
「普通」
「頭痛は?」
「ないよ」
「記憶が抜けた感じは?」
「それもない」
リリスは立ち上がり、両手を開いたり握ったりしてから身体を伸ばした。読み出しただけなので身体能力へ影響が出る理由はないものの、本人としては何か変化がないか確かめたかったらしい。
「保存できた?」
「データはある」
エイブが保存媒体を確認する。
「でも、読める形かはこれから」
「私が見る?」
「先に私たちが構造を確認する」
それからしばらく、リリスは待たされた。保存された情報には欠損や異常な重複は見つからず、少なくとも装置がNIMPHへ損傷を与えた形跡もない。問題は、人間が理解できる形へ再構成した時に、それが何として見えるのかだった。
最初の閲覧には、リリス本人とエイブ、スノーホワイトだけが入った。ネイトとラプンツェルは外で待っていたが、十分ほどすると扉が開き、リリスが何とも言えない表情で出てくる。
「どうだった?」
ネイトが尋ねる。
「変な感じ」
「失敗?」
「違う。ちゃんと覚えてることが出てきた」
「じゃあ成功?」
「たぶん。でも、映像じゃなかった」
詳しい説明のため、全員で再び室内へ入った。エイブがリリスの許可を得た部分だけを表示し、再構成された記憶を共有する。
映し出されたのは、数日前に勝利の翼号でゴッデスが休憩していた時の記憶だった。
しかし、カメラで撮影した映像とはまるで違う。
リリスが正面を見ていた時の情報は比較的鮮明だが、視界の端にいた人物の顔や動きは曖昧で、背景に置かれていた物の一部は形すらはっきりしない。音声も全員の会話を均等に記録しているわけではなく、リリスが意識して聞いていた声だけが明瞭で、他の音は遠く混ざり合っていた。
「本当に記憶だな」
ネイトが呟く。
「録画じゃない」
エイブも頷いた。
「本人が注意を向けてた部分ほど情報が多い」
その記憶の中で、ドロシーがテーブルへ紅茶を置く場面だけは妙に細かかった。カップの位置、立ち上る湯気、ドロシーが一度だけ眉を寄せた様子まで残っている。
「何でここだけこんなに鮮明なの?」
スノーホワイトが尋ねる。
リリスは少し気まずそうに目を逸らした。
「その時、ドロシーが私の分だけ砂糖を入れ忘れたから」
「そんなことありました?」
「本人は入れたって言ってた」
「それを疑って見てたのか」
ネイトが笑いを堪える。
「だって味が違ったんだもん」
「後で本人に確認する?」
「やめて。絶対怒る」
その日のうちに本人へ確認することになった。
◇
「入れました」
夕方、勝利の翼号で記録の話を聞いたドロシーは、即座に否定した。
「絶対?」
「絶対です」
「記憶だと入れてないんだよね」
「リリス、あなたは私の給仕を疑うために記憶を保存したのですか?」
「違うよ!」
リリスが慌てて弁解する横で、ネイトとスノーホワイトは笑いを堪えていた。ラプンツェルも口元へ手を添え、薔薇色の瞳を僅かに細めている。
「では確認しましょう」
ドロシーは妙に真剣だった。
保存記憶を全員へ公開するわけにはいかないため、リリスが許可した当該部分だけを再生する。記憶の中では、ドロシーが茶葉を確認し、カップへ注ぎ、順番に砂糖を加えていく。
そしてリリスのカップだけ、そのまま通り過ぎた。
室内に沈黙が落ちた。
「……入れてないね」
リリスが言う。
「……」
ドロシーは画面を見つめたまま動かなかった。
「ドロシー?」
「機械の誤りでは?」
「そこまで否定する?」
「記憶は不完全だと説明されたのでしょう?」
「でも私、その時味がおかしいって思って見てたから、そこだけすごくはっきりしてるんだって」
ドロシーはもう一度記録を見た。
確かに、自分の手は砂糖壺へ伸びていない。
「……次からは気を付けます」
ようやく認めた声が普段より少し低かったため、ネイトは顔を背けた。笑えば後が怖い。
「記憶庫の最初の成果が、砂糖の入れ忘れ証明になるとはな」
「ネイト」
「はい」
「何か?」
「何でもありません」
この一件のおかげで、少なくとも記憶保存装置が本人の主観に沿った細部を残せることは分かった。客観的な監視記録として使うには不完全だが、「本人が何を見て、何へ注意を向けていたか」という意味では、通常の映像とは別の価値がある。
そして同時に、記憶が絶対的な真実ではないことも明確になった。
見ていないものは曖昧で、聞いていない言葉は残らない。
人が覚えていなかったことまで、機械が勝手に補ってくれるわけではない。
◇
翌日、エイブは試験結果を翼会議へ正式に報告した。
技術的には、限定範囲の記憶読み出しと保存に成功した。保存した内容を本人が閲覧しても重大な異常は見られず、書き戻し系統を物理的に切断しているため、今回の装置からNIMPHへ記憶を流し込むことはできない。
ただし、それ以上の意味を持たせることにはエイブ自身が強く反対した。
「人格の保存じゃない」
画面に並んだ結果を前に、彼女ははっきり言った。
「これを全部残しても、もう一人のリリーバイスができるわけじゃない」
「記憶が全部あっても?」
リリスが尋ねる。
「全部は保存できない。そもそも何が『全部』か分からない」
エイブは続ける。
「感情も、そのままファイルにはならない。記憶の中に『この時怖かった』『嬉しかった』という情報が結び付いてることはある。でも、当時の感情そのものを別の身体へ入れられるわけじゃない」
「写真みたいなものか」
ネイトが言った。
「写真?」
「見れば、その時何してたか思い出す。でも写真自体がその日の俺じゃない」
リリスは少し考え、頷いた。
「記憶も、そういうもの?」
「もっと情報は多いだろうけどな」
「近い」
エイブもその説明を認めた。
「記録は記録。本人の代わりじゃない」
ネイトにとって、その区別は重要だった。記憶を保存できるから死んでも構わない、身体が壊れても記録から作り直せばいい、という考えへ繋がれば、最初にこの設備を作ろうとした理由そのものが逆転してしまう。
「保険って言ったけど」
ネイトは机へ手を置いた。
「命の替えじゃない。失くした時に手掛かりを残すための保険だ」
「うん」
リリスも静かに答えた。
「私もそう思う」
アンダーソンは通信越しに記録を確認し、翼会議で作った利用規則を正式な暫定規定として保存することを承認した。本人の同意なしに保存しないこと、本人が第一アクセス権を持つこと、閲覧履歴を残すこと、本人が判断不能になった場合の閲覧者を事前指定すること、そして記憶保存を軍務上の義務にしないことまで、最初に決めた内容はそのまま維持された。
「リリス以外にも希望者はいるのか?」
アンダーソンが尋ねる。
「スノーが興味あるって」
リリスが答える。
「興味だけじゃありません」
スノーホワイトが少しむっとした。
「自分でも試した方が、装置の違いを確認できます」
「技術者らしい理由だな」
ネイトが言う。
「それに……」
スノーホワイトは少し言葉を止めた。
「残しておきたいものもあります」
それ以上は誰も尋ねなかった。
保存したい記憶を説明する義務は、最初から規則の中にない。
◇
マレーンがVault-Nを訪れたのは、その二日後だった。
記憶保存装置の試験が成功したと聞き、興味を持ったらしい。彼女自身もモデルナンバー1だった頃の記録を提供したことで、この施設の研究に関わっているが、今回は研究対象としてではなく、一人の利用希望者として説明を受けていた。
「私もできる?」
「できる」
エイブが答える。
「でも、やる必要はない」
「リリスはやったんでしょ?」
「それは理由にならない」
「分かってる」
マレーンは同意書を見ながら、少し考えた。
「私、昔のこと全部覚えてないんだよね」
部屋が静かになる。
「No.1だった時の?」
ネイトが尋ねる。
「うん。でも今は、前より気にならない」
彼女は自分の胸へ手を置いた。
「最初は、忘れてるなら本当の私じゃないのかなって思った。でも、壊れた身体を直してもらって、リリスたちと話して、今の私ができたから」
エイブは黙って聞いていた。
「だから昔を戻したいんじゃない。今を残したい」
「今?」
「次に何かあった時、また全部なくなるのは嫌だから」
リリスが最初に「未来の自分が昔の考えを知れればいい」と言ったのとは、似ているようで少し違う。マレーンにとっては、すでに一度「自分が何者だったのか分からない」状態を経験しているからこそ、今の自分が確かに存在した証拠を未来へ残す意味が大きかった。
「いいと思う」
リリスが言った。
「でも無理して私と同じ範囲にしなくていいよ」
「うん」
「好きなところだけでいい」
「分かった」
その日の試験では、マレーン自身が選んだ短い期間だけを保存した。結果はリリスと大きく変わらず、彼女の注意が向いていた相手や物ほど情報量が多く、背景は曖昧だった。
ただ一つ違ったのは、本人が記録を見た時の反応だった。
「これ、私だ」
マレーンは静かに言った。
画面の中に映っているのは、自分の目から見た世界であり、自分自身の姿はほとんど存在しない。それでも、誰へ目を向け、何を聞き、どこで立ち止まったのかを見れば、その時そこにいた自分が分かる。
「変?」
リリスが尋ねる。
「ううん」
マレーンは首を横へ振った。
「嬉しい」
それだけで十分だった。
◇
同じ日の夕方、スノーホワイトの通信端末へ一本のメッセージが届いた。
地上作業からVault-Nへ戻った彼女は、工房へ向かう途中で足を止めた。発信元は軍の正式な通信網ではなく、複数の中継地点を経由して届いた簡易通信で、送信位置も大まかな地域しか残されていない。
それでも、誰から来たものかは最初の一行だけで分かった。
『おちびちゃん、ちゃんと飯食ってるか』
スノーホワイトはしばらく画面を見つめた。
続きには、長い報告などなかった。故郷に近い地域まで来たこと、道中で大きな問題は起きていないこと、食料はまだ十分あること。最後には「こっちは生きてる。そっちもちゃんと生きろよ」とだけ書かれている。
「レッドフード?」
隣を歩いていたネイトが、立ち止まったスノーホワイトに気づいた。
「……はい」
「無事か?」
「はい」
スノーホワイトは短く答えたが、画面から目を離さなかった。
「故郷の近くまで行ったみたいです」
「そっか」
ネイトもそれ以上は覗き込まなかった。本人宛ての通信なら、本人が見せると言わない限り読むものではない。
「返事する?」
「します」
「なら先に飯食えよ」
「何でですか?」
「向こうから確認されてるだろ」
スノーホワイトが画面の一行目を見直す。
少しだけ頬を膨らませた。
「食べています」
「俺じゃなくて本人に言え」
その時、通路の奥からリリスとマレーンが戻ってきた。二人はスノーホワイトの表情を見ただけで何かあったと気づいたらしく、リリスが首を傾げる。
「どうしたの?」
「レッドフードからです」
「本当?」
リリスの顔が一気に明るくなった。
「元気?」
「故郷の近くまで来たって」
「そっか」
リリスはそれ以上尋ねなかった。
「帰ってるんだね」
その言葉に、スノーホワイトも静かに頷いた。
◇
夜になると、Vault-Nは日中よりずっと広く感じられた。
建設作業員の多くが地上拠点へ戻り、稼働音が減ると、完成したばかりの通路には足音だけが響く。居住区の大半はまだ空室で、食堂に置かれた机や椅子も使用人数に比べれば多すぎるほどだった。
「やっぱりちょっと寂しいね」
リリスは食堂の入口から中を見ながら言った。
「前も言ってたな」
「だって広いんだもん」
「そのうち文句言うくらい人が増えるかもしれないぞ」
「それはそれで大変そう」
「いいんだよ。使うために作ってる」
二人は居住区へ向かい、まだ名前の付いていない部屋を順番に見ていった。ネイトは利用予定表を確認しながら、一部をブレイドガードの滞在用として確保し、負傷した量産型ニケや避難者が来た場合に優先して使える部屋を残している。
「ここは?」
リリスが少し広い区画を指した。
「まだ決めてない」
「ゴッデス用にしない?」
「専用?」
「専用じゃなくていいよ。でも、帰ってきた時にみんなで近くにいられるところ」
ネイトは図面を開いた。一般居住区とは少し離れているものの、医療区画と工房の双方へ行きやすく、数室をまとめて使える位置になっている。
「ドロシーは一人部屋欲しがるだろうな」
「絶対」
「ラプンツェルも?」
「たぶん。スノーは工房で寝そう」
「それは禁止する」
「私も手伝う」
リリスが笑う。
「じゃあここ、ゴッデスの予備居住区にしよう」
ネイトが予定表を書き換えると、リリスはその中の一室へ入った。まだベッドも棚もない部屋の中央に立ち、壁と天井を見回す。
「私の部屋、ここでいい」
「もう決めるの?」
「うん」
「もっといい場所できるかもしれないぞ」
「ここがいい」
リリスは廊下を指した。
「みんなの近くだから」
それなら反対する理由はなかった。
「じゃあ予約しとく」
「名前書いといて」
「勝手に部屋取ったってドロシーに怒られない?」
「みんなの分も取ればいいよ」
「それ予約じゃなくて占領だろ」
二人で笑いながら、空室を一つずつ予定表へ追加していった。
ドロシー。
ラプンツェル。
スノーホワイト。
リリス。
そして、戻ってきた時のために、レッドフードの名前も一室へ入れた。
「本人に聞いてないぞ」
「帰ってきてから嫌なら変えればいいよ」
「それもそうか」
まだ本人は遠い故郷へ向かう途中で、いつ戻るのかも分からない。それでも空けておく場所なら、いくらでもあった。
Vault-Nは今のところ、人より空室の方が多い。
記憶保存区画にも、預けられている記憶はまだ二人分しかない。
食堂の椅子も、医療ベッドも、ニケ用の整備設備も、必要になる日を待っているものばかりだった。
だが、空いていることは無駄ではない。
誰かが傷ついた時、帰る場所がある。
何かを失いそうになった時、残しておける場所がある。
遠くへ行った者が帰ってきた時、その名前を入れられる部屋がある。
夜のVault-Nを歩きながら、リリスは記憶保存区画の方へ一度だけ目を向けた。
「ねえ、ネイト」
「ん?」
「保存した記憶って、未来の私への手紙みたいだね」
「手紙?」
「今の私はこうでした、って残すんでしょ?」
ネイトは少し考えた。
「まあ、似てるか」
「返事は来ないけど」
「未来のお前が読むなら、それが返事じゃないか?」
リリスは足を止めた。
「そっか」
少し考えてから、嬉しそうに笑う。
「じゃあ次に保存する時、何か言葉も入れておこうかな」
「何て?」
「まだ秘密」
「俺に見せるって言ってなかった?」
「面白いところだけって言ったの」
「都合のいい記憶だな」
笑い声が、まだ人の少ない廊下へ響いた。
未来の自分が同じ笑い方をするかは分からない。
同じ考えを持っているとも限らない。
それでも今の自分が何を見て、何を大切にし、誰と笑っていたのかを残すことはできる。
それは未来を決める命令ではなく、過去へ戻すための鎖でもない。
ただ、遠い先へ送っておく一通の手紙だった。