Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
Vault-Nの記憶保管区画は、建設された当初ほど珍しい場所ではなくなっていた。リリスとマレーンによる初期試験が安定した後、本人が希望するニケにはベースラインとなる記憶保存が順次行われ、ゴッデスとオールドテイルズの面々も作戦の合間を縫って椅子へ座っている。もちろん全員が同じ範囲を預けたわけではなく、保存する記憶も閲覧権限も本人が決めていた。
スノーホワイトは、比較的早く利用を申し出た一人だった。技術者として装置そのものへ興味があったことに加え、思考転換が珍しくない戦場で、自分が自分でなくなった時に何が残るのかを確認しておきたいという理由もあった。もっとも、その時の彼女は深刻な顔をしていたわけではなく、接続器を眺めながら「これ、あとで分解してもいいですか」と聞いてエイブに即答で拒否されている。
「今度の作戦前も取る?」
第三段階の防衛作戦を翌日に控え、記憶保管区画へ来たスノーホワイトへネイトが尋ねた。
「はい。大きな作戦の前後は残すって決めましたから」
「範囲は?」
「前回から今日まで全部でお願いします。設計のことも入れてください」
「勝利の翼号?」
「それもです」
接続椅子へ座ったスノーホワイトは、いつものように読み出し範囲と閲覧権限を確認した。保存されるのは本人が経験した記憶の記録であって、人格そのものでもなければ、失った記憶を本人へ直接戻すための装置でもない。
「念のため、もう一度言っておくぞ」
ネイトが確認する。
「これがあっても、思考転換を元に戻せるとは限らない」
「分かっています」
「今の装置は読むだけだ。頭の中へ戻す機能はない」
「それも聞きました」
「ならいい」
「何回目だと思ってるんですか?」
「何回でも言う。そういう機械だからな」
スノーホワイトは少し呆れたように笑ったが、嫌がりはしなかった。彼女自身も、保存されている記録と現在の自分を混同しないため、その線引きを大切にしていた。
処理が終わると、前回から増えた差分が新しい記録として保管された。レッドフードを送り出した後に作った装備、リリスの補助フレーム、勝利の翼号の改修、食堂でネイトと揉めたことまで、本人が除外しなかったものはそのまま残っている。
「これで終わりです」
「異常なし?」
「ありません」
「じゃあ寝ろ」
「まだ勝利の翼号を見ます」
「明日飛ばすんだろ」
「だから見ます」
「そこは変わらないんだな」
スノーホワイトは椅子から降りると、すでに次の作業を考えている顔で扉へ向かった。ネイトはその背中を見送りながら、数時間後には自分も地上へ戻らなければならないことを思い出し、せめて言った本人くらいは寝ておこうと考えた。
◇
アーク・ガーディアンの第二段階は、第一段階の成功が嘘だったかのように崩れた。
量産型ヘレティックが防衛線へ現れた時、最初に狙われたのは前線だけではなかった。避難民を収容していた後方拠点へも複数の個体が回り込み、ゴッデスは戦力を分断される。ラプンツェルは奇襲によって一時的に戦闘不能となり、ドロシーと紅蓮も別方向の敵を押し留めなければならなくなった。
「三時方向、もう一体!」
ネイトの通信に、リリスがすぐ応じた。
『見えてる!』
「上げすぎるな!」
『分かってるよ!』
リリスは補助フレームを身につけたまま戦場を駆け、量産型ヘレティックの進路へ割り込んだ。以前なら一撃で破壊しようとしていた場面でも、今は敵の進行を逸らし、ドロシーや紅蓮が追撃できる位置へ押し出すことを優先している。
四割。
それ以上は使わない。
その約束を、リリスは守っていた。
だからネイトは、彼女が突然膝をついた時、最初は攻撃を受けたのだと思った。
「リリス!」
『攻撃じゃない!』
スノーホワイトの声が飛ぶ。
『出力が落ちています!』
リリス自身も驚いたように右手を見る。敵の攻撃は当たっておらず、補助フレームにも致命的な破損はない。それでも肩から腰、両脚へ繋がる複数の経路で出力が一斉に崩れ、身体を支える力が急速に失われていた。
「動ける?」
駆け寄ったネイトが尋ねる。
「少し待って」
「待たない。下がるぞ」
「でも――」
「約束だろ!」
リリスは一瞬だけ前線を見た。そこでは別の量産型ヘレティックが避難区画へ向かっており、近くに動けるニケはほとんどいない。
その敵と避難民の間へ、人影が走った。
「指揮官!?」
アンダーソンだった。
「リリスを下げろ!」
「何してるんだ!」
「時間を稼ぐ!」
人間が量産型ヘレティックへ勝てるはずはない。それでもアンダーソンは携行火器を撃ちながら進路を変え、避難区画から敵の注意を逸らした。
「アンダーソン、戻って!」
リリスの声が通信へ響く。
「まず君が下がれ!」
「駄目!」
「命令だ!」
量産型ヘレティックが腕を振り上げた。
ネイトも撃った。
ドロシーも遠方から射線を通した。
だが、一瞬だけ間に合わなかった。
アンダーソンの身体が宙へ浮いた。
地面へ叩きつけられた彼の腹部から、瞬く間に血が広がっていく。
「指揮官!」
リリスが立とうとしたが、右脚が応えなかった。ネイトは彼女を支えていた腕をスノーホワイトへ預けると、アンダーソンのところまで駆けた。
「目を開けろ!」
「……開いている」
「喋るな」
「どちらだ」
「喋るな!」
腹部の損傷は、ネイトの知識でも一目で危険だと分かった。応急処置でどうにかできる範囲を越えており、スティムパックを使ったところで失われた臓器まで元通りにはならない。
「医療搬送!」
ラプンツェルがまだ動けない以上、近隣で人間に対する大規模手術を行える施設は限られていた。その中で最も早く受け入れ可能と返答したのは、V.T.C.の医療施設だった。
選んでいる時間はなかった。
◇
アンダーソンが手術室へ運び込まれてから、リリスはほとんど喋らなかった。
彼女自身もそのまま検査を受け、身体機能の低下が一時的なものではないことを確認されている。四割以下の出力しか使っていないにもかかわらず、以前なら回復していた負担が残り続け、今度は負荷を掛けていない時間にも機能低下が現れ始めていた。
「約束、守ったのにね」
検査台の上でリリスが言った。
「うん」
ネイトは否定しなかった。
「無理しなかったよ」
「ああ」
「ちゃんと下がろうともした」
「知ってる」
リリスは自分の右手を見た。今は動いているが、その反応には以前より僅かな遅れがある。
「それでも来たんだ」
「何が?」
「限界」
ネイトは返事をしなかった。
それを否定できる材料は、もうなかった。
しばらくしてV.T.C.から連絡が入り、アンダーソンの手術自体は成功したと伝えられた。損傷があまりにも大きく、失った内臓の多くを代替機構へ置き換えなければならず、生命維持装置なしでは安定しない状態だという説明も続いた。
「会える?」
リリスが尋ねる。
「今は無理だって」
「そう」
「生きてる」
「うん」
それだけで安心したかった。
だが翌日、アンダーソンとの連絡は途絶えた。
◇
「治療が終わった患者に面会できない?」
エイブは届いた回答を見て、明らかに不機嫌だった。
「容体管理のため、だそうだ」
ネイトが端末を机へ置く。
「嘘だな」
「俺もそう思う」
「何か見つけた」
「たぶんな」
何を見つけたのかまでは分からなかった。アンダーソンは人間であり、ニケのようにNIMPHを調べれば内部情報へ到達できるわけでもないため、外から無理に確かめれば施設そのものと衝突することになる。
アークの封鎖作戦は待ってくれない。
ネイトは椅子へ座り、額へ手を当てた。
「ここでV.T.C.と喧嘩してる場合じゃない」
「だからって放っておく?」
「放ってはおかない。オスワルドにも探ってもらう」
「それで足りる?」
「足りない」
エイブはネイトを見る。
「最近、そればっかりだな」
「何が?」
「足りない」
「実際足りないからな」
そこで会話は途切れた。
三日後、監視所の入口にアンダーソン本人が立っていた。
◇
「何してるんだ」
ネイトが最初に言った言葉は、それだった。
アンダーソンは制服を着ているものの、その下には大規模な生命維持装置が接続され、以前より顔色も悪い。歩けていること自体が不思議な状態で、リリスは彼を見つけた瞬間に椅子から立ち上がった。
「指揮官!」
「久しぶりというほどではない」
「何でここにいるの!?」
「抜けてきた」
「病院を?」
「半分はそうだ」
ネイトは嫌な予感を覚えた。
「残り半分は?」
「拘束施設だ」
アンダーソンは全員がいる場所へ移動してから、V.T.C.で起きたことを説明した。治療中、彼の血液が量産型ヘレティック由来のナノマシンへ異常な反応を示し、それを確認したV.T.C.が研究対象として身柄を確保したこと。そして拘束中に、アーク・ガーディアンそのものについて予定外の情報を得たこと。
「第三段階で打ち切る?」
ドロシーが聞き返す。
「ああ」
「まだ地上に避難待ちの人がいます」
「分かっている」
「なら、なぜ?」
「量産型ヘレティックが出始めたことで、これ以上入口を開放し続ける危険を許容できないと判断された」
ドロシーの表情が険しくなる。
「つまり、残っている人々を捨てると?」
「そうなる」
誰もすぐには言葉を発しなかった。
最初に口を開いたのはリリスだった。
「だったら、私たちは残る」
「リリス」
「まだ連れて行ける人がいるんでしょ?」
アンダーソンが彼女を見る。
「君の身体は」
「分かってるよ」
「分かっていない」
「分かってる」
リリスは穏やかな声のまま、今度は視線を逸らさなかった。
「だから全部倒すなんて言わない。連れていける人を集めて、最後にみんなで入る。それまでは、できることをする」
ドロシーも頷いた。
「私も同意します」
「拙僧もです」
ラプンツェルが続き、紅蓮も腕を組んだまま小さく笑う。
「今さら、ここで引く理由もあるまい」
スノーホワイトは少し遅れて頷いた。
「勝利の翼号を使います」
全員が彼女を見る。
「予定では第三段階でアークへ運ぶことになっています。でも、今はまだ地上にあります」
「飛ばせる?」
ネイトが尋ねる。
「飛ばします」
「誰が?」
「私が」
返事は速かった。
「私が設計に関わりました。操縦も整備もできます」
スノーホワイトの表情には不安もあった。
それでも、目を逸らさなかった。
◇
出発前、スノーホワイトはもう一度Vault-Nへ寄った。
前回から数日しか経っていないため、保存する差分は多くない。それでも本人が希望したため、アンダーソンの負傷、V.T.C.から戻ってきたこと、第三段階を前に勝利の翼号へ乗る決断までが新しく記録された。
「帰ってきたら、また取る?」
ネイトが尋ねた。
「はい」
「じゃあ帰ってこい」
「帰ります」
「軽いな」
「ネイトさんが言ったんですよ」
スノーホワイトは接続器を外し、自分の装備を確認した。
「生きて帰るまでが任務でしょう?」
「ああ」
「覚えてます」
ネイトはその言葉に頷いた。
保管された記録の中には、今目の前にいるスノーホワイトがそのまま残った。
それが必要になるとは、誰も望んでいなかった。
◇
勝利の翼号へ乗り込んだ量産型ニケは二十人だった。
飛行要員、砲撃要員、機関整備、損傷管制を分担し、スノーホワイトが中心となって機体全体を動かす。全員が生還できる可能性の低さを説明されたうえで参加を選んだ者たちだった。
「嫌になったら今でも降りていいです」
スノーホワイトが最後に言った。
「出発直前ですよ?」
一人が笑う。
「だからです」
「スノーホワイト様は降りるんですか?」
「降りません」
「なら私も」
別のニケが手を上げる。
「私も残ります」
続けて声が上がり、結局一人も降りなかった。
「……ありがとうございます」
「帰った後に言ってください」
スノーホワイトは少し驚いたあと、頷いた。
「はい」
勝利の翼号が地上を離れた。
地上では第三段階の戦闘が始まっていた。
◇
最初のストームブリンガーを引き離した時までは、計画通りだった。
勝利の翼号が空から敵を引きつけることで、地上の避難経路に降り注ぐ攻撃は明らかに減っている。スノーホワイトは操舵と火器管制を行き来しながら、船体へ近づく飛行型ラプチャーを次々に落としていった。
「右舷上方!」
「見えています!」
対空砲が火を吹き、飛行型ラプチャーが爆散する。
「次、前方!」
「主砲は使わない! 小型砲で!」
「了解!」
まだ余裕があった。
その余裕が消えたのは、二体目のストームブリンガーが現れた時だった。
「二体……?」
スノーホワイトが画面を見る。
「後方にも反応!」
「三体です!」
勝利の翼号へ向かってくる大型反応が増えた。
「アークから離します」
「でも帰還経路が!」
「あれを入口へ近づけたら、地上の全員が危険です!」
スノーホワイトは船首を反転させ、アークとは逆方向へ進路を取った。
三体のストームブリンガーも追ってきた。
それが狙いだった。
狙い通りだったからこそ、戻れなくなった。
最初の直撃で左舷推進部が損傷し、二撃目で高度維持が難しくなった。量産型ニケたちは火災を抑え、破損箇所を切り離し、最後まで機体を支え続けたが、勝利の翼号は徐々に地表へ近づいていく。
「着地します!」
「これ、着地って言います?」
「墜落よりはいいです!」
「じゃあ着地で!」
最後の瞬間まで、誰かが笑った。
その直後、世界がひっくり返った。
◇
スノーホワイトが意識を取り戻した時、勝利の翼号は半分以上が瓦礫に埋まっていた。
船体は傾き、天井だった場所から火花が降っている。自分の左腕も正常には動かず、脚部装甲には大きな損傷があった。
「誰か……」
返事はない。
「聞こえますか?」
遠くから銃声がした。
外へ出ると、生き残った量産型ニケたちがラプチャーを迎撃していた。墜落地点へ敵が集まり始めており、勝利の翼号から離れた場所にも赤い光がいくつも見える。
「スノーホワイト様!」
「何人残っています?」
尋ねた瞬間、答える必要がないことに気づいた。
少なすぎた。
「通信は?」
「生きています!」
スノーホワイトは端末へ向かった。
ゴッデスから救援信号が届いている。
場所も確認されている。
助けを呼べば、来てくれる。
リリスなら来る。
ドロシーも。
ラプンツェルも。
紅蓮も。
ネイトも。
そう考えた瞬間、スノーホワイトは手を止めた。
地上では第三段階の戦闘が続いている。
避難民もいる。
リリスの身体は限界に近い。
アンダーソンもまともに戦える状態ではない。
ここへ救援を送れば、その分だけ向こうが薄くなる。
「……駄目です」
「何がです?」
近くの量産型ニケが尋ねる。
「救援を呼べません」
「でも――」
「呼んだら、みんな来ます」
スノーホワイトの手が震えた。
「来ちゃうんです」
怖かった。
死にたくなかった。
助けてほしかった。
それでも、自分を助けるために他の誰かが死ぬ方が、もっと怖かった。
スノーホワイトは通信機へ手を伸ばした。
「何を?」
「壊します」
「本当に?」
問いかけられ、手が止まる。
何度も迷った。
それでも最後には、工具を握り直した。
「はい」
通信機を破壊した。
◇
ラプチャーは減らなかった。
量産型ニケたちは一人ずつ倒れていった。
スノーホワイトは恐怖の中で武器を撃ち続けた。手は震え、照準は何度もずれ、仲間が倒れるたびにそちらへ視線が向いてしまう。
「前を!」
誰かに叱られた。
「ご、ごめんなさい!」
「謝るのは帰ってから!」
そのニケも、しばらく後には返事をしなくなった。
スノーホワイトは一人になった。
正確には、周囲に敵がいる。
でも味方はいない。
勝利の翼号から煙が上がり、通信機も自分で壊した。
怖い。
逃げたい。
助けてほしい。
自分には無理だ。
その考えが何度も頭の中を回り、同じところへ戻ってくる。
ふいに、それが途切れた。
スノーホワイトは瞬きをした。
恐怖が消えたわけではない。
恐怖を感じる自分そのものが、遠くなった。
頭の中で何かが組み替わっていく。戦うために必要な情報と、生き残るために必要な判断だけが前へ押し出され、それ以外のものが手の届かない場所へ沈んでいく。
白い髪の女性が笑っていた。
赤い髪の女性が頭を撫でていた。
一人の男が背中を押していた。
工房で、いつか作りたいものについて話していた。
もっと先の未来。
戦争が終わった後のこと。
誰かと食べる食事。
作ってみたい機械。
全部が、戦場から遠すぎた。
スノーホワイトは武器を持ち上げた。
震えは止まっていた。
「敵を確認」
自分の声が、知らない誰かのもののように聞こえた。
「排除する」
ラプチャーが迫る。
今度は照準がずれなかった。
◇
右腕が壊れれば、墜落したラプチャーから使える部品を探した。
脚部が動かなくなれば、別の残骸から駆動系を取り出した。
規格が違えば、その場で合わせた。
外見が変わることなど、どうでもよかった。
生きて戦えればいい。
スノーホワイトは、勝利の翼号の残骸とラプチャーの部品を使って自分の身体を繋ぎ直しながら、残った敵を一体ずつ破壊していった。恐怖に身体を止められることも、倒れた仲間のそばで動けなくなることもなく、必要な行動だけを選び続ける。
戦闘が終わった頃には、出発した時と同じ姿ではなかった。
それでも本人だった。
ただ、何かが失われていた。
その何かを、本人自身がまだ理解していなかった。
◇
地上でも、別の変化が起きていた。
紅蓮の刀は量産型ヘレティックの身体へ食い込んだまま、止まっていた。
「まだじゃ!」
力を込める。
切れない。
敵の反撃を避け、もう一度踏み込む。
今度こそ両断する。
それが自分の強さだと、長い間信じてきた。
だが、また止められた。
量産型ヘレティックの攻撃を受けた紅蓮は地面を転がり、刀を支えに立ち上がった。
「何故じゃ……」
以前なら、さらに力を込めた。
速く。
強く。
一太刀で。
それが薔花へ追いつく道だと思っていた。
しかし、ふと姉と剣を合わせた時の光景が浮かんだ。
薔花は、力んでいなかった。
紅蓮の大振りを避け、必要な距離だけ動き、最も崩れる場所へ刃を置く。
勝っても、誇るような顔をしなかった。
ただ笑っていた。
リリスにも言われたことがある。
強く振ることと、強く戦うことは同じではない。
紅蓮は息を吐いた。
「……そういうことか」
肩から力を抜く。
敵が撃つ。
受けない。
半歩だけずれる。
拳が来る。
弾く。
身体が崩れる。
そこに、コアが見えた。
紅蓮は刀を逆手へ持ち替えた。
一撃。
今度は深く入った。
無理に全身を斬る必要などなかった。
コアを破壊された量産型ヘレティックの動きが止まり、紅蓮は最後に必要なだけ刃を走らせた。
敵が倒れる。
紅蓮は静かに刀を納めた。
「随分と、回り道をしたものじゃのう」
自分の声が、少し違って聞こえた。
だが、不快ではなかった。
むしろ、以前よりずっと自然だった。
◇
リリスがアンダーソンをアークへ送る決断をしたのは、その少し後だった。
V.T.C.から逃れてきた彼の身体は、すでに長時間の地上活動へ耐えられる状態ではない。生命維持装置の出力も不安定になり、ネイトが何度調整しても根本的な解決にはならなかった。
「残る」
アンダーソンは言った。
「駄目」
リリスが即答した。
「まだ指揮が必要だ」
「ドロシーがいる」
「君も――」
「私の話じゃない」
リリスはアンダーソンの前へ立った。
「あなたはアークへ行く」
「命令か?」
「お願い」
「なら断る」
「じゃあ命令にする」
アンダーソンは苦笑した。
「どちらだ」
「両方」
少しだけ、昔のような空気が戻った。
だが長くは続かなかった。
「リリス」
「うん」
「私は、君と一緒に残りたい」
リリスの笑みが止まる。
アンダーソンは目を逸らさなかった。
「今まで言葉にする必要はないと思っていた」
「指揮官」
「だが、言わずに別れるのは嫌だ」
ネイトは少し離れたところにいた。
聞こえてはいたが、二人の間へ入る理由はなかった。
「リリス。私は君を愛している」
リリスはしばらく何も言わなかった。
やがて、困ったように笑う。
「こういう時に言うんだ」
「遅かったか?」
「かなり」
「すまない」
「謝らないでよ」
リリスは一歩近づき、アンダーソンの胸へそっと手を置いた。
「私もだよ」
アンダーソンが目を閉じる。
「なら――」
「だから行って」
「リリス」
「生きて」
初めて、彼女は役職ではなく名前で呼んだ。
「アンダーソン」
彼の目が開く。
「アークに行って、生きて。私たちがあとから行ける場所を残して」
「……必ず来るか」
リリスは僅かに黙った。
嘘はつかなかった。
「行くつもりでいる」
アンダーソンはその答えを受け入れた。
「分かった」
最後に二人は手を握った。
それだけだった。
アンダーソンはエレベーターへ乗せられ、アークへ向かった。
リリスは扉が閉じるまで、そこに立っていた。
◇
最後の量産型ヘレティックが残っていた。
リリスは戦場を見下ろせる場所まで歩き、自分の身体に残された力を確かめた。視界の端が赤く滲み、拭った指には血が付いたが、下では仲間たちがまだ戦っている。
ドロシーが敵の注意を引く。
ラプンツェルが傷ついたニケを守る。
紅蓮が、以前とはまるで違う軽い動きで敵の懐へ入る。
そして、遠くから白い影が近づいてきた。
「……スノー?」
リリスは目を凝らした。
体格も装備も変わっている。
ラプチャーの部品が身体へ組み込まれ、出発前の少女の面影は薄れていた。
それでも、白い髪だけは見間違えなかった。
スノーホワイトが戻ってきた。
リリスの顔に笑みが浮かぶ。
「帰ってきた」
白い影が仲間たちへ合流する。
最後の量産型ヘレティックへ、四方向から攻撃が集中した。
ドロシーの射撃が動きを止める。
紅蓮が防御を崩す。
ラプンツェルが全員を支える。
スノーホワイトの火力がコアへ叩き込まれる。
敵が倒れた。
リリスはその光景を、最後まで見届けた。
「強くなったね」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
右手の感覚が消えた。
次に脚。
補助フレームが警告を出す。
今度は戦闘中ではなかった。
何もしていない。
それでも身体が戻らなかった。
「そっか」
リリスは自分の手を見た。
限界は、もう先にあるものではなかった。
今ここへ来ていた。
◇
ネイトが異常を知った時には、リリスは自力で歩けなくなっていた。
事前に用意していた搬送設備へ乗せ、エイブと共に臨時医療区画へ運ぶ。ラプンツェルも戦線整理を終えるとすぐに戻り、身体各部へ残された機能を一つずつ確認した。
「脳は?」
ネイトが尋ねる。
「正常」
エイブが答える。
「身体は?」
「戻らない」
「外部電源」
「繋いでる」
「補助フレームは?」
「もう意味がない」
リリスは検査台の上で三人のやり取りを聞いていた。
「忙しそうだね」
「黙ってろ」
「ネイト、怒ってる?」
「当たり前だ」
「私、約束守ったよ」
ネイトの手が止まる。
それは事実だった。
リリスは無断で限界を越えていない。
異常を隠していない。
退くべき時には退いた。
最後の戦いでも、仲間が敵を倒すのを見ていただけだった。
「……守った」
「でしょ?」
「ああ」
「じゃあ怒らないでよ」
「お前に怒ってるんじゃない」
リリスは少しだけ笑った。
「そっか」
エイブが画面から顔を上げる。
「リリーバイス」
「うん」
「身体の維持を続けるほど、脳側まで危険になる」
「分かった」
「以前の同意を確認する」
「うん」
「脳を分離して維持装置へ移す。それでいい?」
リリスは迷わなかった。
「お願いします」
ネイトは目を閉じ、短く息を吐いた。
「最後の差分は?」
「取る」
エイブが即答する。
「本人が希望するなら」
「希望します」
リリスは笑った。
「今日、いっぱいあったから」
◇
保存処理は、医療処置と並行して行われた。
朝からの戦況。
アンダーソンとの別れ。
仲間たちが最後の量産型ヘレティックを倒した光景。
帰ってきた白い影。
その全てが本人の許可した範囲で保管される。
「未来の私への音声も?」
ネイトが尋ねる。
「お願いします」
録音が始まる。
「未来の私へ」
リリスは少し考えた。
「今日は、約束を守れました」
ネイトが顔を上げる。
「無理をして壊れたわけじゃありません。ちゃんと休んで、ちゃんと戻って、必要な時も一人で全部やろうとはしませんでした」
声は弱くなっていたが、言葉ははっきりしている。
「それでも、身体はここまでだったみたいです」
少しだけ笑う。
「だから、もしこれを聞いてるなら、新しい身体なんだよね」
エイブが画面を見る。
何も言わない。
「ちゃんと私の力に追いついてますか?」
ネイトが答えそうになり、止めた。
これは未来の彼女への言葉だ。
「追いついてたら、今度はもっと長く使ってください。強いだけじゃなくて、ちゃんと帰ってこられる身体にしてください」
一度息を置く。
「それから、前にも言ったけど」
リリスの声が柔らかくなる。
「生きてください」
録音はそこで終わった。
◇
ドロシー、ラプンツェル、紅蓮が医療区画へ戻ってきた時、スノーホワイトも一緒だった。
ネイトは彼女を見て、言葉を失った。
身体が大きく変わっている。
装甲の一部は明らかにラプチャー由来で、以前のような少女らしい印象は薄れていた。
「スノー」
呼びかける。
スノーホワイトが振り向いた。
「何だ」
声まで違った。
ネイトの背筋に冷たいものが走る。
「俺が分かる?」
「ネイトだろう」
「リリスは?」
スノーホワイトは僅かに眉を寄せた。
「誰だ?」
室内が静かになった。
検査台の上のリリスだけが、すぐに意味を理解したようだった。
「そっか」
スノーホワイトが彼女を見る。
「お前は?」
ネイトは何も言えなかった。
数日前、Vault-Nへ保存した記憶が頭へ浮かぶ。
接続椅子に座っていた少女。
リリスお姉ちゃんと呼んでいた声。
勝利の翼号について目を輝かせていた顔。
全部、記録として残っている。
それでも今、目の前の本人へ戻す手段はない。
「私だよ」
リリスが答えた。
「リリス」
スノーホワイトはその名前を聞いても、表情を変えなかった。
「そうか」
「スノーホワイト」
「何だ」
「帰ってきてくれて、ありがとう」
少しだけ間が空いた。
「礼を言われることではない。任務を続けるために戻った」
「うん」
リリスは笑った。
「それでもだよ」
スノーホワイトは答えなかった。
ドロシーが顔を背け、ラプンツェルは口元へ手を当てていた。紅蓮もいつもの調子とは違う静かな顔で、二人を見ている。
リリスは誰にも「思い出して」と言わなかった。
今のスノーホワイトも、本人だからだ。
◇
「そろそろだ」
エイブが言った。
身体側の数値は、もう維持を続けること自体が危険な領域へ入っていた。
リリスは一人ずつ仲間を見る。
「ドロシー」
「はい」
「後、お願いね」
「そんな言い方をしないでください」
「お願い」
ドロシーは唇を噛み、最後には頷いた。
「……分かりました」
「ラプンツェル」
「ここにおります」
「みんなをお願い」
「あなたも含めて、です」
リリスが笑う。
「じゃあ私も」
紅蓮は自分から一歩近づいた。
「我には何を申す?」
「強くなったね」
「今さら気づいたかね」
「戦い方、変わったでしょ」
紅蓮が僅かに目を細める。
「姉上と、そなたのおかげじゃ」
「薔花に言ってあげて」
「無論じゃ」
リリスは最後にスノーホワイトを見る。
相手は、自分が誰なのか覚えていない。
それでも白い髪は同じだった。
「スノーホワイト」
「何だ」
「あなた、すごい技術者なんだよ」
スノーホワイトが少し怪訝な顔をする。
「知っている」
「そっか」
リリスは笑った。
「なら大丈夫」
ネイトへ視線が移る。
「ネイト」
「いる」
「未来の私に、ちゃんと話してね」
「全部な」
「長いやつ」
「覚悟しとけ」
「楽しみにしてる」
エイブも呼ばれる前に近づいた。
「私には?」
「身体、お願い」
「まだ設計途中だ」
「待ってる」
「何年掛かるか分からない」
「待つよ」
「できないかもしれない」
リリスは穏やかに答えた。
「その時は、その時考えよう」
エイブは顔を伏せた。
「……分かった」
鎮静処置が始まった。
「じゃあ」
リリスの目が少しずつ閉じる。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
ネイトが答えた。
ラプンツェルも、ドロシーも、紅蓮も続いた。
スノーホワイトだけは少し遅れて、周囲を見た。
「これは、別れなのか?」
ネイトは彼女を見る。
「帰ってくるためのやつだ」
「そうか」
スノーホワイトはリリスを見る。
「なら」
僅かに頷く。
「いってらっしゃい」
リリスの口元が、ほんの少しだけ上がった。
そのまま意識が落ちた。
◇
そこから先は、エイブたちの仕事だった。
現行ボディの機能を停止させ、脳側へ残された循環と神経活動を守る。事前に何度も訓練した手順を一つずつ確認しながら、生きている脳を携行型維持装置へ移す。
ネイトは必要な機材を渡し、指示されたものだけを動かした。
余計なことはしなかった。
できることと、できないことを間違えないためだった。
時間が掛かった。
誰も急かさなかった。
やがて、携行型維持装置の表示が安定した。
循環正常。
温度正常。
神経活動あり。
エイブは何度も確認した後、ようやく手を止めた。
「維持できてる」
ネイトが装置を見る。
「本人は?」
「生きてる」
その言葉を聞いた瞬間、ネイトは初めて息を吐いた。
検査台には、もう動かないリリスの身体が残されている。
軍の基準で見れば、人類最強のニケはここで死んだ。
ゴッデスの隊長も、同じ時刻に失われたことになる。
それでも、ネイトたちにとって全てが終わったわけではなかった。
装置の中では、微かな神経活動が続いている。
あの日、リリスが選んだ通りに。
身体が追いつく日を待つために。
ネイトは維持装置の外殻へ手を置いた。
「おかえり」
返事はない。
今は眠らせているのだから、それでよかった。
「次は、もっと丈夫なの用意するからな」
隣でエイブが顔を上げた。
「勝手に性能目標を上げるな」
「本人からの注文だ」
「『追いついてるか』と言っただけだ」
「同じだろ」
「違う」
いつもの調子で言い返すエイブの声は、少しだけ掠れていた。
ネイトはそれ以上何も言わず、小さな波形へ目を戻した。
人類最強のニケは死んだ。
けれど、リリスはまだ終わっていなかった。