Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
第29話 忘れるための約束
リリスの脳を維持装置へ移し終えた後も、医療区画には彼女の身体が残っていた。生命活動はなく、力を伝えていた内部構造の多くも機能を失っているが、外から見れば数時間前まで仲間たちと話していたリリスそのものだった。ネイトは白い髪へ目を向けたまま、隣で端末を操作しているエイブが何を言い出すのかを待っていた。
「この身体は表へ出せない」
「脳を移した跡があるから?」
「それもある。深く調べられれば、身体だけ残して中身を抜いたことが分かる」
エイブは内部走査の結果を閉じ、別の設計情報を呼び出した。画面へ現れたのは、数日前に使用可能判定まで進んでいたPROJECT LILYだった。
「使う条件には入った」
「ああ」
ネイトも否定しなかった。
本人の生存を隠さなければ危険が生じる場合にのみ、意識を持たない偽装ボディを遺体として残す。その条件はリリス自身が決め、完成後にも確認していた。今、本物の脳がVault-Nへ運ばれようとしている以上、秘密を守るために偽装が必要になる可能性は、もはや仮定ではなかった。
「本物の身体はどうする?」
「設計記録を全部取る。必要な部位は新ボディ研究用に保管して、残りは安全に処理する」
「墓へ入るのはLILY」
「そうなる」
ネイトはしばらく返事をしなかった。偽物を作った時から分かっていたはずなのに、実際に二つを入れ替える段階になると、胸の奥に嫌な重さが残る。
「本人が見たら何て言うかな」
「自分で許可した」
「そういう話じゃなくてさ」
「分かってる」
エイブも画面から目を離した。
「私も嫌だ」
その一言だけで、ネイトは少し楽になった。
「じゃあやろう」
「ああ」
二人はPROJECT LILYの保管区画へ向かった。
◇
偽装ボディの準備には数時間掛かった。
顔、髪、外装、通常の識別反応はリリス本人と一致している。深部構造は意図的に簡略化されているものの、死亡したニケを外から確認する程度の診断なら、不自然な結果は出ないよう調整されていた。
ネイトは最終確認を終えた偽装ボディと、本物の身体を交互に見た。眠っているように見える顔まで同じだからこそ、どちらが本人なのか分からなくなりそうな感覚がある。
「こっちには、何もいないんだよな」
「PROJECT LILYには意識はない」
「分かってる。確認しただけ」
「記憶も人格もない。本人のNIMPHも使っていないし、自律的な意思決定をする機能も持たせてない」
エイブは念を押すように言った。
「顔が同じだけだ」
「それでいい」
ネイトはPROJECT LILYの白い髪を整えた。
「墓に入ってもらうだけだからな」
返事はない。
それでいい。
返事をするべき本人は、すでにVault-Nの奥で眠っている。
◇
ゴッデスがリリスのもとへ戻ってきた時、すり替えは終わっていた。
誰もそれを疑わなかった。
ドロシーは最初に横たわる身体のそばへ来たが、すぐには触れなかった。ラプンツェルは両手を組み、普段より長く目を閉じている。紅蓮は少し離れた位置から見つめたまま、刀の柄へ置いていた手をゆっくり離した。
最後に入ってきたスノーホワイトだけが、立ち止まった。
「……誰だ?」
ドロシーの肩が揺れた。
「スノーホワイト?」
「そのニケは誰だ」
スノーホワイトはPROJECT LILYの顔を見ている。そこに親しみも驚きもなく、見知らぬ戦死者を確認するような眼差ししかなかった。
「覚えていないのですか」
「何を?」
ドロシーは返事ができなかった。
ラプンツェルが顔を伏せ、紅蓮も目を閉じる。
ネイトには分かっていた。
勝利の翼号が墜落した後、スノーホワイトのNIMPHは生存に不要と判断した記憶を切り離した。リリスのことも、レッドフードのことも、戦争の後に何をしたいと考えていたかも、今の彼女からは遠い場所へ追いやられている。
「リリスだ」
ネイトが答えた。
スノーホワイトが彼を見る。
「リリス?」
「ああ」
「ゴッデスの隊長?」
「そうだ」
「人類最強のニケ」
「そう」
スノーホワイトはもう一度、横たわる女性を見る。
「私は、この人を知っていたのか」
今度はドロシーが答えた。
「ええ」
声が震えていた。
「とてもよく」
スノーホワイトは黙った。
「どんな関係だった」
「あなたにとって――」
ドロシーは一度言葉を止めた。
「お姉様のような方でした」
「姉?」
「血の繋がりという意味ではありません。でも、あなたはいつも……」
そこまで言うと声が続かなかった。
スノーホワイトは不思議そうに自分の頬へ触れた。
「何だ、これは」
指先が濡れていた。
「泣いている」
本人が一番驚いていた。
「悲しくない」
スノーホワイトは涙を拭い、濡れた指を見る。
「私はこの人を知らない。死んだと言われても、何も感じないはずだ」
それでも、涙は止まらなかった。
「なのに、何で泣いている」
ネイトは答えられなかった。
記憶保管区画へ行けば、その理由に繋がる記録はいくらでもある。そこにはリリスを「お姉ちゃん」と呼び、後ろを追い掛け、褒められて笑い、心配されれば子供扱いするなと怒っていたスノーホワイトが残っている。
しかし、それを見せたところで思い出せるとは限らない。
記録と記憶は同じではない。
「分からなくてもいい」
ネイトは言った。
「今は?」
「ああ」
「忘れたままでも?」
「お前は今のお前だ」
スノーホワイトはしばらく彼を見ていた。
「変なことを言う」
「よく言われる」
僅かな間を置いたあと、スノーホワイトは再びリリスの顔を見た。
「この人は」
ドロシーへ尋ねる。
「どんなニケだった?」
ドロシーは涙を拭った。
「ゴッデスの隊長です」
そして、少しだけ笑おうとした。
「私たちが知る、最初の勝利の女神でした」
◇
棺を作る役目を引き受けたのは紅蓮だった。
「白がよかろう」
誰に尋ねられたわけでもなく、彼女はそう言った。
「姉上ならば花を選ぶところであろうが、私は花を扱うのが得意ではない。ならば、せめて器くらいは美しく整えよう」
選ばれたのは純白に近い石材だった。
Vault-Nの工作設備を使えば形だけなら短時間で作ることもできたが、紅蓮は主要な部分を自分で整えると言って譲らなかった。ネイトもエイブも止めず、必要な工具と場所だけを用意した。
「手伝うか?」
ネイトが尋ねる。
「不要じゃ」
「重いぞ」
「誰に申しておる」
「それもそうか」
紅蓮は石へ手を当てた。
「リリスには、私も随分と面倒を掛けた」
「お互い様じゃないか?」
「そうかもしれぬな」
以前の紅蓮なら、硬い石を力任せに削っていたかもしれない。だが今は刃の角度を変え、必要な部分だけを少しずつ落としていく。
無駄に力を掛けない。
最短で目的の形へ近づける。
薔花の剣とよく似ていた。
「そのやり方、姉ちゃんに似てきたな」
ネイトが言うと、紅蓮の手が僅かに止まった。
「……そうかね」
「ああ」
紅蓮は再び石へ刃を当てた。
「ならば、悪くはない」
二日後、純白の棺が完成した。
◇
棺へ納められたPROJECT LILYを前に、ドロシーたちはそれぞれの方法で別れを告げた。
ラプンツェルは祈りを捧げた。
紅蓮は言葉少なに頭を下げた。
ドロシーは棺へ手を置き、最後まで離そうとしなかった。
スノーホワイトは少し離れた場所に立っている。
「来ないの?」
ネイトが尋ねる。
「何をすればいい」
「決まりはない」
「私はこの人を覚えていない」
「知ってる」
「それでも行くべきなのか」
「それを俺に聞くな」
スノーホワイトは少し考えたあと、棺の前まで歩いた。
白い石へ手を置く。
何も起きない。
記憶が突然戻ることも、名前を呼びたくなることもなかった。
それでもまた、頬を涙が流れた。
「……理解できない」
「そのうち分かるかもしれない」
「分からないままかもしれない」
「それなら、それでもいい」
スノーホワイトは涙を拭わなかった。
「リリス」
覚えていない名前を、初めて自分から口にする。
「私はあなたを知らない」
ドロシーが顔を伏せた。
「でも、私の中の何かは、あなたを知っているらしい」
白い棺へ視線を落とす。
「だから」
少しだけ迷った。
「さようなら」
その言葉に返事をする者はいなかった。
本物は、ここにはいない。
◇
棺が臨時監視所の近くへ安置された三日後、別の集まりがVault-Nの最深部で開かれた。
出席者はゴッデスの四人と、シンデレラ、ヘンゼル、グレーテル、セイレーン。それにネイトとエイブだけだった。
レッドシューズは呼ばれていない。
マレーンにも、今回の会議については知らせていなかった。
「またリリスの話ですか」
ドロシーが尋ねる。
「ああ」
「葬儀は済みました」
「だから今から話せる」
ドロシーの目が細くなる。
ネイトは言葉だけで説明せず、最初に一つの画面を表示した。
そこには神経活動を示す波形が映っていた。
規則的に動いている。
「何です?」
ラプンツェルが尋ねる。
エイブが答えた。
「リリーバイス」
誰も理解できなかった。
「どういう意味ですか」
ドロシーの声が低くなる。
「脳は生きてる」
ネイトが言った。
スノーホワイトの視線が画面へ向く。
シンデレラが立ち上がった。
「生きている?」
「ああ」
「墓の中は?」
ネイトは別画面を開いた。
PROJECT LILY
シンデレラの表情が変わる。
「偽物?」
「そうだ」
ドロシーが椅子を蹴るように立った。
「待ってください」
「分かってる。怒る前に――」
「なぜ葬儀をさせたのです!」
声が部屋へ響いた。
「私たちは!」
「必要だった」
ネイトは逃げずに答えた。
「リリスが生きてると知られたら、誰かが探す。人間側にも、敵側にもだ」
「だから私たちまで騙した?」
「外でどう振る舞うかを揃える必要があった」
「それを先に言えばよかったでしょう!」
「言えなかったんじゃない」
ネイトは静かに続けた。
「言わなかった」
ドロシーが睨む。
「何が違うのです?」
「今から、お前たち自身に選んでもらうためだ」
その言葉で、ドロシーの怒りが僅かに止まった。
◇
エイブがPROJECT LILYの計画書を表示した。
本人の生存を秘匿する必要が生じた場合、意識を持たない偽装ボディを遺体として使用すること。そこには記憶も人格も入れず、本物の新ボディ技術も使わないこと。そして、この計画そのものをリリス本人が許可していたことが記録されている。
「本人の映像もある」
ネイトが再生した。
そこには、生きていたリリスがPROJECT LILYの設計を見ながら笑っている。
『私の代わりにはしないで』
以前の彼女がそう言った。
『私みたいに喋らせない。記憶も入れない。それで私を生かすために使うなら、いいよ』
映像の隅ではスノーホワイトも設計画面を見ていた。
現在のスノーホワイトが、自分自身を見つめる。
「私も知っていたのか」
「知ってた」
ネイトが答える。
「この計画を?」
「ああ」
「忘れた」
「そうだ」
映像の中のスノーホワイトは、リリスへ何かを説明している。声も表情も今とは違うが、間違いなく自分だった。
「記憶保管庫に、この時の私もいる?」
「いる」
「戻せる?」
ネイトは首を横へ振った。
「できない」
「なぜ」
「記録だからだ」
エイブが答えた。
「お前の頭の中へ書き戻す装置じゃない。保存してあるのは、当時のお前が何を見て、何を覚えていたかという記録だ」
「なら、何のために残した」
「失ったものが、最初から存在しなかったことにならないように」
スノーホワイトは画面を見たまま黙った。
その言葉をどう受け止めたのか、今の表情からは分からなかった。
◇
「ここからが本題だ」
ネイトが全員を見る。
「真実を知ったまま外へ出るか、しばらく忘れるか。選んでほしい」
「忘れる?」
ヘンゼルが首を傾げる。
「ヘンゼルは今聞いたことを忘れるってこと?」
「グレーテルも同じことを聞きたいと思ってる」
エイブがNIMPH側の処置案を表示した。
「消すわけじゃない」
記憶保管設備とは別の仕組みだった。
「今聞いた内容と、PROJECT LILYについて知っていた記憶へ、NIMPH側でアクセス制限を掛ける。記憶そのものは本人の中へ残したまま、通常意識から思い出せなくする」
「後で戻せる?」
シンデレラが尋ねる。
「制限を解除すれば戻る」
「記憶保管庫から戻すの?」
「違う」
エイブは即答した。
「本人の中に残ってるものを開け直す。保管庫はあくまで予備記録だ」
シンデレラは少し考えた。
「なぜ、そこまでするの?」
「捕まった時のため」
ネイトが答えた。
「侵食された時も」
シンデレラの表情が変わった。
誰よりも、その言葉の意味を理解している。
「頭の中に秘密がなければ、奪われようがない」
「そう」
「レッドシューズには?」
「知らせてない」
エイブの返事は冷静だった。
「研究協力させていることと、この秘密を渡すことは別だ」
シンデレラは頷いた。
「賛成よ」
「早いな」
「私の頭の中を、私ではないものに使われるのがどういうことか知っているから」
彼女はPROJECT LILYを見る。
「リリスを守る秘密なら、私の中から一時的に隠して構わない」
セイレーンもシンデレラの隣で頷いた。
「あう」
ヘンゼルとグレーテルは互いを見る。
「ヘンゼルは、あとで絶対に返してくれるならいいと思ってる」
「グレーテルも、勝手に消されるんじゃないならいいと思ってる」
「消さない」
エイブが答える。
「封じるだけだ」
◇
ドロシーは最後まで迷っていた。
「解除条件は?」
「二段階にする」
ネイトが表示を切り替える。
PROJECT LILYには頭部と胴体、それぞれ別系統の追跡と識別機構が入っている。
「敵が頭だけ持っていっても解除しない。胴体まで含め、偽装ボディ全部がクイーン側の目的へ使われたと確認できた時点で、初めて解除可能状態にする」
「その瞬間に思い出すのですか?」
「いや」
エイブが否定した。
「そこではまだ開けない」
「では、いつ?」
「本物のリリーバイスが安全に姿を現せる時」
ネイトは続けた。
「本人だと確認できる状態で、お前たちが実際に会えた時に解除する」
「なぜそこまで待つのです?」
「偽物を全部奪わせた直後に真実を思い出したら、まだ敵が探してる最中かもしれない」
ドロシーは黙った。
「条件が揃っただけでは足りない。リリス本人を安全に戻せるところまで行って、初めて返す」
「何年掛かるのです」
「分からない」
ネイトは嘘をつかなかった。
「一年?」
「分からない」
「十年?」
「それも」
「もっと?」
「あり得る」
ドロシーの顔から表情が消えた。
「そんなに長く、リリスが死んだと思って生きろと?」
「そうなるかもしれない」
「あなたは覚えているのに」
「ああ」
「エイブも」
「ああ」
「指揮官も?」
そこでネイトは少しだけ目を伏せた。
「計画を知ってる。ただ、今どこにいるか分からない」
アンダーソンはすでにアークへ送られ、その後の状態を確認できていない。
「ずるいですね」
「そう思う」
「私たちだけが?」
「だから強制しない」
ネイトはドロシーを見る。
「嫌なら覚えてていい」
長い沈黙のあと、ドロシーはPROJECT LILYの映像を見た。
そこでは生前のリリスが笑っている。
「……本人が決めたのですね」
「ああ」
「生きたいと」
「ああ」
「なら」
ドロシーは目を閉じた。
「忘れます」
ネイトは何も言わなかった。
「ただし約束してください」
「何を?」
「返せる時になったら、すぐ返すと」
「約束する」
「あなたが勝手に『まだ早い』と引き延ばさないでください」
「条件が満たされて、本人が安全に戻れるなら、すぐだ」
「絶対に?」
「ああ」
ドロシーはようやく頷いた。
◇
ラプンツェルと紅蓮も同意した。
最後に残ったのはスノーホワイトだった。
「私は」
自分の記録映像を見る。
「もう、かなり忘れている」
「そうだな」
「さらに忘れるのか?」
「今回封じるのは別の部分だ」
エイブが説明した。
「お前が今失っているリリスとの過去を、さらに消すわけじゃない。今ここで知った『リリスが生きていること』と、以前のお前が知っていたPROJECT LILY関連の記憶へ制限を掛ける」
「以前の私は、この計画に賛成していた?」
「製造にも関わってる」
「そうか」
スノーホワイトはしばらく考えた。
「以前の私が賛成したから、今の私も従うべきなのか?」
ネイトはすぐ首を横へ振った。
「違う」
「違う?」
「今のお前が決めろ」
スノーホワイトが彼を見る。
「昔のお前が何を思ったかは参考にはなる。でも、今のお前が嫌ならやらない」
「同じ私なのに?」
「同じお前だ。でも、今ここで選べるのもお前だ」
スノーホワイトは、しばらく自分自身の映像を見ていた。
映像の中の少女はよく笑っている。
自分とはずいぶん違う。
それでも、知らない人間を見ているようには思えなかった。
「私は、リリスを覚えていない」
「うん」
「でも、生きていることを聞いて、少し安心した」
ネイトは何も言わず待った。
「理由は分からない」
「それでいい」
「なら、その人を守る方を選ぶ」
スノーホワイトは画面を閉じた。
「封じてくれ」
エイブが確認する。
「本当に?」
「ああ」
「解除まで長いかもしれない」
「構わない」
「また死んだと思うぞ」
スノーホワイトは少しだけ黙った。
「今も、死んだと思っていた」
そして白い棺がある方向へ顔を向けた。
「なら、同じだ」
ネイトの胸が痛んだ。
「でも」
スノーホワイトが続ける。
「返す時は、全部返してくれ」
「ああ」
「私が覚えていたことも」
「ああ」
「忘れたくなかったことも」
「残ってる分は全部」
「ならいい」
スノーホワイトは頷いた。
◇
処置を始める前に、全員の記憶保管が行われた。
今回は通常の差分保存に加えて、この会議で何を聞き、何を選んだのかも本人の同意を得て記録する。将来制限を解除した時、誰かに勝手に記憶を弄られたのではなく、自分自身で選んだことを確認できるようにするためだった。
記憶保管が終わった後、別系統のNIMPH処置へ移る。
一人ずつ。
慎重に。
まずシンデレラが目を開けた。
「終わった?」
「終わった」
エイブが答える。
「何を?」
シンデレラ自身が首を傾げた。
処置は成功している。
「機密処置だ」
「そう」
それ以上追及しなかった。
ヘンゼル、グレーテル、セイレーンも続いた。
ラプンツェルは目覚めると、リリスの葬儀について祈り足りなかったと呟いた。
紅蓮は白い棺を作ったことだけを覚えていた。
ドロシーは最初にネイトを見た。
「リリスの件は、これで終わりですか」
意味が違っていた。
彼女にとって「リリスの件」とは、死者としての手続きだった。
「今はな」
ネイトが答える。
「……そうですか」
ドロシーは少しだけ寂しそうに目を伏せた。
最後はスノーホワイトだった。
目を開ける。
「ここは?」
「Vault-N」
「何をしていた?」
「大きな作戦後の検査だ」
嘘ではない。
全てでもない。
スノーホワイトは自分の身体を確認し、異常がないことを確かめた。
「リリスは?」
突然の名前に、ネイトの心臓が跳ねた。
「……何で聞く?」
スノーホワイト自身が少し不思議そうな顔をした。
「分からない」
それから首を横へ振る。
「誰だった?」
制限は機能している。
「ゴッデスの隊長だった人だ」
「ああ」
スノーホワイトは少し考える。
「死んだニケか」
ネイトは拳を握った。
「ああ」
今だけは。
そう答えるしかなかった。
◇
全員が退出したあと、ネイトとエイブだけが記憶保管区画へ残った。
画面には新しい管理項目が追加されている。
PROJECT LILY — DECOY ACQUISITION:0/2
MEMORY RELEASE:LOCKED
エイブは表示をしばらく見つめた。
「これでいいのか?」
「よくはない」
「そうだな」
「でも、本人たちが選んだ」
「ああ」
ネイトは隣の画面を開いた。
そこには、思考転換前のスノーホワイトの記憶保管記録が並んでいる。
リリスを「お姉ちゃん」と呼んでいた記録。
レッドフードを見送った記録。
勝利の翼号を整備していた記録。
戦争が終わったら何を作りたいと話した記録。
全て残っている。
「これ、使える日が来るかな」
ネイトが尋ねた。
「分からない」
「またそれか」
「分からないものは分からない」
「そうだったな」
エイブは画面を閉じなかった。
「でも、なくならない」
「うん」
「本人が忘れても、記録はここに残る」
「だから作った」
ネイトも画面を見た。
記憶保管庫は、人間を過去へ戻す装置ではない。
失った人格をそのまま復元する機械でもない。
けれど、誰かが大切にしていたものを「最初からなかった」にしないことはできる。
地上では、白い棺がリリスの墓として眠っている。
そこに本人はいない。
Vault-Nのさらに深い場所では、本物のリリスの脳活動が静かに続いている。
そして、そのことを覚えている者はほんの僅かになった。
「長くなりそうだな」
ネイトが呟く。
「何が?」
「返すまで」
エイブは答えなかった。
どれだけ掛かるのか、二人とも知らない。
それでも約束だけは残っている。
預かった記憶を、必要がなくなった時に返すこと。
眠っているリリスへ、彼女自身の力に追いつく身体を用意すること。
そして、それまで誰にも彼女を奪わせないこと。
ネイトは最後に生命維持系の表示を確認した。
LILIWEISS:STABLE
その文字だけは、嘘ではなかった。