Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ―   作:記録官

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第30話 楽園の扉

 リリスの棺が臨時監視所の近くへ置かれてから、地上に残された時間の感覚は曖昧になっていた。アークの封鎖作業は着実に進んでいるはずなのに、外から見える変化は少なく、ゴッデスへ届くのは「あと何日」「あと何工程」という数字ばかりだった。人類の大半はすでに地下へ入り、地上に残された部隊は日に日に減っている。

 

 ゴッデスも以前と同じ部隊ではなかった。リリスは棺の中で眠っていると信じられ、レッドフードは帰郷したまま戻らず、アンダーソンもアークへ送られてから直接連絡を取れない状態が続いている。第一の思考転換を経たスノーホワイトは以前より口数が減り、紅蓮の剣筋も大きく変わっていた。

 

 それでも、戦わなければならなかった。

 

「食料、三日分です。こちらは弾薬。交換部品はスノーホワイトさんのところへお願いします」

 

 補給車から箱を降ろしていたネイトは、自分へ指示を飛ばしてきた量産型ニケを見た。

 

「俺が持ってきた物なのに、俺が置き場所を指示されるんだな」

 

「持ってきた人と、管理する人は別ですから」

 

「正論だ」

 

 ピナは少しだけ笑うと、次の箱へ手を伸ばした。プロダクト23系列の量産型ニケであり、特別な専用武装も突出した能力も持っていないが、臨時監視所に残っている量産型の中では、いつの間にか最もよく動く一人になっていた。

 

 壊れた壁があれば塞ぎ、食料が届けば分配し、戦闘になれば銃を持つ。ゴッデスの面々へ必要以上に遠慮することもなく、ドロシーが一人で仕事を抱えようとすれば平然と止める。その普通さが、今の監視所ではかえって貴重だった。

 

「ドロシーは?」

 

「通信室です。アークから次の作業指示が来るそうです」

 

「また仕事?」

 

「閉じる前に地上側で処理する物が残っていますから」

 

 ピナはそう答えながら、最後の補給箱を持ち上げた。

 

「終わったら、私たちも入れるそうです」

 

 ネイトの手が僅かに止まった。

 

「そう聞いてる?」

 

「はい」

 

 ピナは何も疑っていない。

 

 ドロシーも。

 

 ラプンツェルも。

 

 紅蓮も。

 

 スノーホワイトも。

 

「……そっか」

 

「どうしました?」

 

「いや」

 

 ネイトは箱を抱え直した。

 

「早く終わらせよう」

 

◇

 

 数時間後、Vault-Nへ戻ったネイトを待っていたのは、オスワルドからの暗号通信だった。

 

 以前の監査で使用した回線とは違い、通信記録そのものが通常系統へ残らない経路が指定されている。嫌な予感を覚えながら繋ぐと、画面の向こうに現れたオスワルドは、以前より明らかに疲れていた。

 

「その顔、また一人で面倒なこと決めた顔だな」

 

『……以前にも言われましたね』

 

「で、今度は何だ?」

 

 オスワルドはすぐには答えなかった。何度か周囲を確認してから、一枚の文書を画面へ表示する。

 

『ゴッデス部隊の受け入れ後の処遇が決まりました』

 

「受け入れ後?」

 

『はい』

 

 ネイトは文書を読み始め、途中で表情を失った。

 

「拘束?」

 

『その予定です』

 

「理由は?」

 

『人類への影響力が大きすぎる。中央政府の統制下へ置くには危険である、と』

 

「人類を救ったから危険?」

 

『皮肉ですが』

 

 さらに下へ目を移す。

 

 反抗行為の調査。

 

 侵食の疑い。

 

 技術解析。

 

 戦闘用ボディの回収。

 

 書き方こそ事務的だが、何をしようとしているかは十分に理解できた。

 

「処分する気か」

 

『その可能性が高いです』

 

 ネイトは椅子の背へ深く身体を預けた。

 

「本人たちに言う」

 

『待ってください』

 

「何で」

 

『知ればどうします?』

 

「入らないだろ」

 

『それだけなら問題ありません』

 

 オスワルドは静かに続けた。

 

『中央政府は、ゴッデスが命令へ従わずアークへの収容を拒否した、と記録できます。反逆の根拠を自分たちで与えることになります』

 

「なら事情を公表する」

 

『誰へ?』

 

 ネイトは黙った。

 

 地上に一般市民はほとんど残っていない。アーク内部の情報網は中央政府側が握っており、封鎖直前の混乱した状況で対立を表面化させれば、人類同士の衝突を招く可能性もある。

 

「お前はどうするつもりだ」

 

『扉を開けません』

 

 ネイトは画面を睨んだ。

 

「それで悪役になる?」

 

『誰かが決定を伝えなければなりません』

 

「ゴッデスから見たら、お前が約束を破ることになる」

 

『承知しています』

 

「ドロシーは絶対に許さないぞ」

 

『それも』

 

「殺しに来るかもしれない」

 

『その時に生きていれば、考えます』

 

「そういう言い方するな」

 

 オスワルドが僅かに目を伏せた。

 

「前に言っただろ。一人で全部背負うなって」

 

『だから、あなたへ話しています』

 

 その返事に、ネイトは言葉を失った。

 

「……友達の使い方を覚えた?」

 

『少しは』

 

「最悪の使い方から覚えやがって」

 

 ネイトは額を押さえた。

 

「俺に黙ってろと?」

 

『決めるのはあなたです』

 

「逃げたな」

 

『否定しません』

 

 しばらく互いに黙ったあと、ネイトが先に口を開いた。

 

「今は言わない」

 

 オスワルドが顔を上げる。

 

「でも、お前が正しいと思ったからじゃない」

 

『はい』

 

「他の道が見つからないからだ」

 

『分かっています』

 

「それと、生きろ」

 

『……はい?』

 

「全部終わった後、責任取るとか言って消えるな。俺はまだ、お前と椅子の登録について決着つけてない」

 

 オスワルドが少しだけ笑った。

 

『あれは必要な監査です』

 

「だったら生きてもう一回来い」

 

『努力します』

 

「努力じゃなくて生きろ」

 

 通信が切れたあと、ネイトは長い間、暗くなった画面を見ていた。

 

 明日も補給へ行かなければならない。

 

 その時、ゴッデスへ何も言わずに。

 

◇

 

 侵食監視器を配ったのは、その翌日だった。

 

 レッドシューズから得た知識を、エイブとスノーホワイトが検証して作った簡易装置である。侵食を治療する機能はなく、NIMPH周辺で通常とは異なる信号活動が一定以上発生した場合に、本人とVault-Nへ警告を送るだけだった。

 

「これで侵食を止められるのですか?」

 

 ピナが胸元へ取り付けながら尋ねた。

 

「止められない」

 

 ネイトは即答した。

 

「じゃあ何のために?」

 

「早く見つけるため」

 

「早く見つければ助かる?」

 

「その可能性が増える」

 

「可能性」

 

「保証はしない」

 

 ピナは少し考えたあと、装置を指で軽く叩いた。

 

「ないよりはいいですね」

 

「そういうこと」

 

 ドロシーにも同じ装置を渡そうとすると、横からスノーホワイトが奪うように受け取った。

 

「自分で付ける」

 

「使い方分かる?」

 

「私も設計した」

 

「そうだった」

 

 今のスノーホワイトは、その設計を行った時の自分について多くを覚えていない。それでも技術的な知識は残っており、装置を見るだけで構造と目的を理解していた。

 

 ネイトが見つめていることに気づき、スノーホワイトが眉を寄せる。

 

「何だ」

 

「いや」

 

「言いたいことがあるなら言え」

 

「前のお前も同じ顔で、俺に説明してたなと思って」

 

「前?」

 

「思考転換の前」

 

 スノーホワイトはしばらく黙った。

 

「記録にあるのか」

 

「ああ」

 

「そうか」

 

 それ以上は聞かなかった。

 

 胸元へ監視器を固定すると、そのまま武器の整備へ戻っていく。

 

◇

 

 臨時監視所が襲撃を受けたのは、その二日後だった。

 

 警報が鳴った時、ドロシーとピナは外周の確認から戻る途中にいた。最初に現れた小型群は二人だけでも問題なく処理できたが、その背後から地面を揺らしながら現れた個体を見た瞬間、ピナは足を止めた。

 

「……大きいですね」

 

「感想を言っている場合ですか」

 

「そうですね」

 

 ラプチャーはニケの数倍どころではない巨体を持ち、周囲の瓦礫を押し潰しながら進んでくる。監視所の方角へ真っ直ぐ向かえば、修復した外壁など何の意味もない。

 

「増援を呼びます」

 

 ドロシーが通信へ手を伸ばした。

 

 その瞬間、別方向からの砲撃が飛んできた。

 

 ドロシーを狙った一撃だった。

 

「危ない!」

 

 ピナが彼女へ飛びつく。

 

 二人は地面を転がり、砲撃がすぐ後ろを抉った。

 

「ピナ!」

 

「大丈夫です!」

 

 起き上がった時には、大型個体が二人の間へ割り込んでいた。

 

 ドロシーは反対側へ飛ばされ、崩れた構造物によってすぐには戻れない。ラプチャーは彼女のいる方向へ身体を向けた。

 

「ドロシー!」

 

 ピナが銃を構えた。

 

 火力差を考えれば、まともに撃ち合って勝てる相手ではなかった。

 

 それでも退かなかった。

 

◇

 

 最初の弾倉は装甲へほとんど通らなかった。

 

 ピナは撃ちながら後退し、敵の視線を自分へ向ける。ラプチャーが追ってくることを確認すると、倒壊しかけた建物の間へ走り込んだ。

 

 真正面から倒す必要はない。

 

 自分より遥かに強い相手なら、自分だけで戦わなければいい。

 

 瓦礫も。

 

 高低差も。

 

 残された爆薬も。

 

 全部使えばいい。

 

 ピナは崩れかけた支柱へ弾を撃ち込み、追ってきた巨体の上へ建材を落とした。ラプチャーの片脚が僅かに沈み、その隙に側面へ回って関節部へ銃撃を集中させる。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 装甲が剥がれた。

 

「まだ!」

 

 巨体が腕を振る。

 

 ピナは避け切れず、衝撃だけで数メートル吹き飛ばされた。

 

 地面へ転がりながらも銃を離さない。立ち上がると、今度は監視所の撤去用に置かれていた爆薬を掴み、剥がした装甲の隙間へ投げ込んだ。

 

 爆発。

 

 巨体が傾く。

 

 それでも倒れない。

 

「本当に大きいですね……!」

 

 息を整える暇もなかった。

 

 ラプチャーが再びドロシーの方を向く。

 

「そっちは駄目です!」

 

 ピナは自分から前へ出た。

 

 敵が反応する。

 

 今度は逃げずに真正面から走った。

 

 直前で横へ飛び、踏みつけを回避する。そのまま壊れた脚部へよじ登り、露出した内部構造を足場に上へ進んだ。

 

 ラプチャーが身体を振る。

 

 振り落とされそうになる。

 

 それでも片手を離さず、もう片方の手で銃を持ち上げた。

 

 装甲の裂け目の奥。

 

 赤い光。

 

「見つけました」

 

 銃口を押し込む。

 

 引き金を引いた。

 

 弾倉が空になるまで撃った。

 

 コアが砕ける。

 

 巨体が止まった。

 

 ピナは崩れ落ちるラプチャーから飛び降り、地面を転がった。

 

 数秒後。

 

 静かになった。

 

◇

 

「ピナ!」

 

 瓦礫を越えてきたドロシーが、倒れている彼女へ駆け寄った。

 

「返事をしてください!」

 

「……聞こえています」

 

 ピナがゆっくり身体を起こす。

 

「どこか壊れましたか?」

 

「多分、いろいろ」

 

「笑っている場合ではありません!」

 

「倒せましたから」

 

 ピナは背後に倒れた巨大なラプチャーを見る。

 

「私一人で」

 

「ええ」

 

 ドロシーの声が震えた。

 

「あなたが倒しました」

 

「ゴッデスみたいでした?」

 

 ドロシーは一瞬言葉を失った。

 

「……ええ」

 

 そして、涙を浮かべながら笑った。

 

「今のあなたは、誰よりも勝利の女神でした」

 

 ピナも笑った。

 

 その直後。

 

 胸元から警告音が鳴った。

 

 二人の顔から笑みが消える。

 

「何です?」

 

 ピナが自分の監視器を見る。

 

 赤い表示。

 

 侵食反応。

 

 異常上昇。

 

「ピナ」

 

 ドロシーの声が変わった。

 

「私は……」

 

 ピナの身体が痙攣した。

 

◇

 

 Vault-Nでも同じ警報が鳴っていた。

 

「対象は!」

 

「プロダクト23、ピナ!」

 

 エイブが端末を開き、波形を確認する。

 

「位置は監視所近辺。進行が速い」

 

「隔離器は?」

 

「試作三号を持っていけ」

 

 ネイトはすでに走り出していた。

 

「使えるのか!」

 

「模擬環境では!」

 

「実戦は!」

 

「初めてだ!」

 

「最高だな!」

 

「喜ぶところじゃない!」

 

 エイブの声を通信で聞きながら、ネイトは車両を出した。

 

 試作三号はレッドシューズが拘禁下で提案し、エイブが安全性を検証して組み直した侵食隔離装置だった。侵食コードを消去する物ではなく、複数の経路へ分散しながら進む信号を限定領域へ追い込み、本人の主要な運動命令から切り離すことだけを目的にしている。

 

 成功する保証はない。

 

 現実の侵食個体へ使ったこともない。

 

 それでも、何もないよりはよかった。

 

◇

 

 ネイトが到着した時、ピナは地面へ膝をついていた。

 

 瞳は赤く変わり、身体は本人の意思とは別の動きを始めようとしている。ドロシーは数歩離れた場所に立ち、拳銃を両手で握っていた。

 

「ドロ……シー……」

 

「ここにいます」

 

「早く……」

 

「嫌です」

 

「私が……あなたを……」

 

 ピナの右腕が跳ねる。

 

 ドロシーが銃を構えた。

 

「お願い……します……」

 

 銃口がピナの額へ向く。

 

「ドロシー!」

 

 ネイトの声に、彼女が振り返った。

 

「撃つな!」

 

「侵食されています!」

 

「分かってる!」

 

「ではどうしろと言うのです!」

 

 ネイトは二人のところへ滑り込み、隔離器を取り出した。

 

「試す」

 

「何を?」

 

「助ける方!」

 

 ピナが苦しそうに首を振る。

 

「ネイト……さん……駄目……」

 

「何が」

 

「私が……動いたら……」

 

「止める」

 

「ドロシーを……」

 

「させない」

 

「でも……」

 

 ネイトは接続器を持ったまま、彼女を見る。

 

「勝手にはやらない。これを使っていいか?」

 

 赤い目が揺れた。

 

「治る……?」

 

「分からない」

 

「失敗したら?」

 

「そこで次を考える」

 

「……ずるい」

 

「よく言われる」

 

 ピナは僅かに笑った。

 

「お願いします」

 

「了解」

 

◇

 

 隔離処理を動かした瞬間、ピナの身体が大きく跳ねた。

 

「押さえて!」

 

 通信越しのエイブが叫ぶ。

 

 ドロシーが銃を捨て、ピナの肩を掴んだ。

 

「ピナ! 私を見てください!」

 

「離れ……て……!」

 

「嫌です!」

 

「危な……」

 

「あなたが私を守ったのでしょう!」

 

 ピナの腕が震える。

 

「今度は私の番です!」

 

 ネイトは端末から目を離さなかった。

 

 一つ目の隔離領域を閉じる。

 

 侵食信号が別経路へ逃げる。

 

「右へ逃げた!」

 

『予測範囲内だ。第二層を使え!』

 

「入れる!」

 

 第二層。

 

 侵食が再び移動する。

 

「まだ来る!」

 

『だから三段ある!』

 

「先に言え!」

 

『設計書を読め!』

 

「今度読む!」

 

 ピナの指がドロシーの腕を掴んだ。

 

 力が強すぎる。

 

「ドロシー!」

 

「離しません!」

 

「骨折れるぞ!」

 

「構いません!」

 

「それは構え!」

 

 ドロシーはそれでも手を離さなかった。

 

「ピナ! 自分の名前を言ってください!」

 

「……」

 

「ピナ!」

 

「……ピ……」

 

「もう一度!」

 

「ピナ……」

 

「もう一度!」

 

 赤い瞳がドロシーへ向く。

 

「ピナ……です」

 

「そうです!」

 

 侵食信号が一瞬だけ乱れた。

 

 ネイトはその瞬間に第三隔離層を起動する。

 

 波形が大きく跳ねる。

 

 数秒。

 

 十数秒。

 

 そして、運動系へ向かっていた異常信号が急激に減少した。

 

「エイブ!」

 

『固定しろ! 今だ!』

 

 ネイトが隔離状態をロックする。

 

 ピナの身体から力が抜けた。

 

「ピナ!」

 

 ドロシーが抱き止める。

 

「死んでない!」

 

 ネイトはすぐに神経活動を見る。

 

「意識が落ちただけだ。侵食も消えてない。でも、今は閉じ込めてる」

 

 ドロシーは何も答えなかった。

 

 ただ、ピナを強く抱いたまま離れなかった。

 

◇

 

 ピナが目を覚ましたのは、その日の夜だった。

 

 侵食は残っていた。

 

 隔離領域の向こうで動き続けており、装置を外せば再び本人へ干渉する可能性もある。それでも今のピナは自分の意思で会話でき、自分が誰なのかも、何をしたのかも覚えていた。

 

「Vault-Nへ移す」

 

 ネイトが言う。

 

「嫌です」

 

「即答?」

 

「まだ封鎖は終わっていません」

 

「患者だぞ」

 

「戦いません」

 

「本当に?」

 

「ドロシーのそばにいます」

 

 ネイトはドロシーを見る。

 

「説得して」

 

「嫌です」

 

「何で!」

 

「本人が残りたいと言っています」

 

「お前ら今日だけで頑固さ上がってない?」

 

「元からです」

 

 ピナが笑った。

 

 最終的には、隔離器を常時接続し、少しでも侵食反応が上昇すれば強制的にVault-Nへ移送することを条件に残留が認められた。ドロシーも監視を引き受け、スノーホワイトが装置の状態を毎日確認することになった。

 

「自分で判断できなくなったら?」

 

 ネイトが尋ねる。

 

 ピナはしばらく考えた。

 

「ドロシーに任せます」

 

「私は?」

 

 ドロシーが聞く。

 

「撃つ前にネイトさんを呼んでください」

 

「……分かりました」

 

「俺、何担当なの?」

 

 スノーホワイトが端末から顔を上げた。

 

「面倒事処理係」

 

「誰から聞いた、それ」

 

「知らない。何となくそう思った」

 

 ネイトは一瞬だけ黙った。

 

 思考転換前のスノーホワイトも、似たようなことを言っていた気がする。

 

「……そういうのは残るんだな」

 

「何が?」

 

「何でもない」

 

◇

 

 最後の作業が終わった。

 

 地上側の設備を停止し、ラプチャーが利用できる経路を破壊し、アーク内部へ続く大規模な輸送路も閉じられた。ゴッデスは約束された仕事を、最後までやり切った。

 

 臨時監視所の通信端末が鳴った。

 

 ドロシーがすぐに応答する。

 

 画面にオスワルドが現れた。

 

 ネイトは部屋の外にいた。

 

 入らなかった。

 

 この言葉を受けるのは、まずゴッデス自身であるべきだと思ったからだった。

 

『アークの封鎖作業が完了しました』

 

 ドロシーの顔に、久しぶりの笑みが浮かぶ。

 

「では、入口を開けてください」

 

 オスワルドが黙った。

 

「オスワルド?」

 

『皆様へ、まず感謝を申し上げます』

 

「それは中で聞きます」

 

『ゴッデス部隊がいなければ、アークの封鎖は成功しませんでした。皆様の戦いは記録され、人類の歴史へ残されます』

 

 ドロシーの笑みが少しずつ消える。

 

「何を言っているのです?」

 

『申し訳ありません』

 

「何が?」

 

『アークの扉を開くことはできません』

 

 部屋から音が消えた。

 

「……もう一度言ってください」

 

『アークは完全に封鎖されました』

 

「分かっています」

 

 ドロシーはまだ冷静だった。

 

「ですから、私たちを収容するために一度開けてください」

 

『できません』

 

「なぜ?」

 

『中央政府全体の決定です』

 

 ネイトは廊下で目を閉じた。

 

 嘘ではない。

 

 だが、全部でもない。

 

「私たちはどうなるのです?」

 

『地上へ残っていただきます』

 

 紅蓮が立ち上がる。

 

 ラプンツェルが目を閉じる。

 

 スノーホワイトは表情を変えず、画面だけを見ていた。

 

 ピナはベッド脇の椅子から、ゆっくりドロシーを見る。

 

「ふざけないでください」

 

 ドロシーの声が低くなった。

 

『申し訳ありません』

 

「その言葉は聞きました」

 

『……はい』

 

「私たちは戦いました」

 

『存じています』

 

「リリスを失いました」

 

 ネイトは廊下で拳を握った。

 

「レッドフードもいません。指揮官もアークへ行ったきり戻らない。何人もの量産型が死にました」

 

 ドロシーの声が震え始める。

 

「ピナも、あと少しで死ぬところだった!」

 

 ピナが彼女の袖へそっと触れた。

 

「それでも続けたのです!」

 

『はい』

 

「なぜだと思います?」

 

 オスワルドは答えなかった。

 

「終われば、私たちもアークへ行けると思ったからです!」

 

『……はい』

 

「楽園へ!」

 

 ドロシーが机へ手をついた。

 

「だから最後までやった!」

 

 返事はなかった。

 

 しばらくして、ドロシーはピナの手を掴んだ。

 

「なら、この子だけでも」

 

『……』

 

「ピナはゴッデスではありません」

 

「ドロシー?」

 

 ピナが驚いたように彼女を見る。

 

「量産型です。侵食も今は隔離されています。治療設備が必要です」

 

『できません』

 

「どうして!」

 

『扉は開けられません』

 

「一人です!」

 

『申し訳ありません』

 

「一人くらい入れられるでしょう!」

 

 ドロシーの声が裏返った。

 

「この子はあなたたちのために戦った! 自分より何倍も大きなラプチャーを一人で倒したんです!」

 

 ピナが俯く。

 

「それでも駄目だと言うのですか!」

 

『……はい』

 

 オスワルドの声は変わらなかった。

 

「あなたは」

 

 ドロシーの顔から、最後に残っていた希望が消えた。

 

「本当に、人間なのですか」

 

 画面の向こうでオスワルドが僅かに目を伏せる。

 

『その問いに、今の私が答える資格はないと思います』

 

「開けなさい」

 

『できません』

 

「オスワルド」

 

『はい』

 

「開けて」

 

 今度の声は、命令ではなかった。

 

『……申し訳ありません』

 

 通信が切れた。

 

◇

 

 ドロシーはしばらく画面の前から動かなかった。

 

 再接続する。

 

 繋がらない。

 

 もう一度。

 

 反応しない。

 

 アーク側の通信経路そのものが閉じられていた。

 

「ドロシー」

 

 ピナが呼んだ。

 

「少し待ってください」

 

「ドロシー」

 

「今、繋ぎ直しますから」

 

「終わりました」

 

「終わっていません!」

 

 ドロシーが振り返った。

 

 怒っている。

 

 泣いている。

 

 どちらなのか、自分でも分からないような顔だった。

 

「私たちは全部やったでしょう!」

 

「はい」

 

「約束を守った!」

 

「はい」

 

「なら、どうして!」

 

 ピナには答えられなかった。

 

 誰にも答えられない。

 

 廊下の向こうで、ネイトだけは理由を知っていた。

 

 だが今、それを口にすることはできなかった。

 

 守るためだった。

 

 拘束されないためだった。

 

 処分されないためだった。

 

 そう説明したところで、選択肢を奪われた事実は消えない。

 

 オスワルドがゴッデスを守ろうとしたことと、ドロシーが裏切られたことは、同時に存在していた。

 

「ネイトさん」

 

 スノーホワイトの声がした。

 

 気づけば彼女が扉のところに立っていた。

 

「聞いていたのか」

 

「聞こえる」

 

「そうだな」

 

 スノーホワイトは室内を見る。

 

「入らないのか」

 

「今は俺の番じゃない」

 

「そうか」

 

 彼女も理由を聞かなかった。

 

◇

 

 夜になっても、アークの扉は開かなかった。

 

 地表から見える入口は、巨大な壁の一部へ変わっている。人類はその向こうで生き延び、地上に残されたゴッデスは、その生存のために戦ったにもかかわらず外へ置き去りにされた。

 

 ドロシーは壁から少し離れた場所に座っていた。

 

 隣にはピナがいる。

 

 侵食隔離器の表示は安定している。

 

「ピナ」

 

「はい」

 

「楽園へ行けませんでした」

 

 ピナは少し考えた。

 

「そうですね」

 

「あなたまで巻き込んだ」

 

「私は自分で残りました」

 

「でも」

 

「ドロシー」

 

 ピナは彼女を見る。

 

「私たち、何を約束しましたっけ」

 

「……楽園へ」

 

「一緒に行く」

 

 ドロシーの目が揺れる。

 

「アークへ、ではありません」

 

「でもアークが楽園だったのでしょう」

 

「今日までは」

 

 ピナは壁を見る。

 

「違ったみたいです」

 

 ドロシーは何も言わなかった。

 

「だったら、別のところを探せばいいんじゃないですか」

 

「そんな簡単に」

 

「簡単とは言ってません」

 

 ピナは手を差し出した。

 

「でも、私はまだ生きています」

 

 ドロシーがその手を見る。

 

 数日前なら、この手はなかったかもしれない。

 

 侵食されたピナへ、自分で銃口を向けていた。

 

「あなたは」

 

 ドロシーの声が震える。

 

「どうして、そんなことが言えるのですか」

 

「量産型だからでしょうか」

 

「関係ありません」

 

「では、性格です」

 

 ドロシーが僅かに笑った。

 

 泣きながらの、ほんの小さな笑いだった。

 

「ずるいですね」

 

「誰かに似ました?」

 

「いいえ」

 

 ドロシーはピナの手を握った。

 

「あなたは、あなたです」

 

 閉ざされたアークの前で、二人はしばらく何も言わなかった。

 

 楽園の扉は開かなかった。

 

 約束された場所にも入れなかった。

 

 それでも、ドロシーの手の中にはまだ一つ、失わずに済んだものが残っていた。

 

 だからこそ、その夜の絶望は消えなかった。

 

 ピナが生きていることと、人類に捨てられた痛みは、別のものだった。

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