Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
リリスの棺が臨時監視所の近くへ置かれてから、地上に残された時間の感覚は曖昧になっていた。アークの封鎖作業は着実に進んでいるはずなのに、外から見える変化は少なく、ゴッデスへ届くのは「あと何日」「あと何工程」という数字ばかりだった。人類の大半はすでに地下へ入り、地上に残された部隊は日に日に減っている。
ゴッデスも以前と同じ部隊ではなかった。リリスは棺の中で眠っていると信じられ、レッドフードは帰郷したまま戻らず、アンダーソンもアークへ送られてから直接連絡を取れない状態が続いている。第一の思考転換を経たスノーホワイトは以前より口数が減り、紅蓮の剣筋も大きく変わっていた。
それでも、戦わなければならなかった。
「食料、三日分です。こちらは弾薬。交換部品はスノーホワイトさんのところへお願いします」
補給車から箱を降ろしていたネイトは、自分へ指示を飛ばしてきた量産型ニケを見た。
「俺が持ってきた物なのに、俺が置き場所を指示されるんだな」
「持ってきた人と、管理する人は別ですから」
「正論だ」
ピナは少しだけ笑うと、次の箱へ手を伸ばした。プロダクト23系列の量産型ニケであり、特別な専用武装も突出した能力も持っていないが、臨時監視所に残っている量産型の中では、いつの間にか最もよく動く一人になっていた。
壊れた壁があれば塞ぎ、食料が届けば分配し、戦闘になれば銃を持つ。ゴッデスの面々へ必要以上に遠慮することもなく、ドロシーが一人で仕事を抱えようとすれば平然と止める。その普通さが、今の監視所ではかえって貴重だった。
「ドロシーは?」
「通信室です。アークから次の作業指示が来るそうです」
「また仕事?」
「閉じる前に地上側で処理する物が残っていますから」
ピナはそう答えながら、最後の補給箱を持ち上げた。
「終わったら、私たちも入れるそうです」
ネイトの手が僅かに止まった。
「そう聞いてる?」
「はい」
ピナは何も疑っていない。
ドロシーも。
ラプンツェルも。
紅蓮も。
スノーホワイトも。
「……そっか」
「どうしました?」
「いや」
ネイトは箱を抱え直した。
「早く終わらせよう」
◇
数時間後、Vault-Nへ戻ったネイトを待っていたのは、オスワルドからの暗号通信だった。
以前の監査で使用した回線とは違い、通信記録そのものが通常系統へ残らない経路が指定されている。嫌な予感を覚えながら繋ぐと、画面の向こうに現れたオスワルドは、以前より明らかに疲れていた。
「その顔、また一人で面倒なこと決めた顔だな」
『……以前にも言われましたね』
「で、今度は何だ?」
オスワルドはすぐには答えなかった。何度か周囲を確認してから、一枚の文書を画面へ表示する。
『ゴッデス部隊の受け入れ後の処遇が決まりました』
「受け入れ後?」
『はい』
ネイトは文書を読み始め、途中で表情を失った。
「拘束?」
『その予定です』
「理由は?」
『人類への影響力が大きすぎる。中央政府の統制下へ置くには危険である、と』
「人類を救ったから危険?」
『皮肉ですが』
さらに下へ目を移す。
反抗行為の調査。
侵食の疑い。
技術解析。
戦闘用ボディの回収。
書き方こそ事務的だが、何をしようとしているかは十分に理解できた。
「処分する気か」
『その可能性が高いです』
ネイトは椅子の背へ深く身体を預けた。
「本人たちに言う」
『待ってください』
「何で」
『知ればどうします?』
「入らないだろ」
『それだけなら問題ありません』
オスワルドは静かに続けた。
『中央政府は、ゴッデスが命令へ従わずアークへの収容を拒否した、と記録できます。反逆の根拠を自分たちで与えることになります』
「なら事情を公表する」
『誰へ?』
ネイトは黙った。
地上に一般市民はほとんど残っていない。アーク内部の情報網は中央政府側が握っており、封鎖直前の混乱した状況で対立を表面化させれば、人類同士の衝突を招く可能性もある。
「お前はどうするつもりだ」
『扉を開けません』
ネイトは画面を睨んだ。
「それで悪役になる?」
『誰かが決定を伝えなければなりません』
「ゴッデスから見たら、お前が約束を破ることになる」
『承知しています』
「ドロシーは絶対に許さないぞ」
『それも』
「殺しに来るかもしれない」
『その時に生きていれば、考えます』
「そういう言い方するな」
オスワルドが僅かに目を伏せた。
「前に言っただろ。一人で全部背負うなって」
『だから、あなたへ話しています』
その返事に、ネイトは言葉を失った。
「……友達の使い方を覚えた?」
『少しは』
「最悪の使い方から覚えやがって」
ネイトは額を押さえた。
「俺に黙ってろと?」
『決めるのはあなたです』
「逃げたな」
『否定しません』
しばらく互いに黙ったあと、ネイトが先に口を開いた。
「今は言わない」
オスワルドが顔を上げる。
「でも、お前が正しいと思ったからじゃない」
『はい』
「他の道が見つからないからだ」
『分かっています』
「それと、生きろ」
『……はい?』
「全部終わった後、責任取るとか言って消えるな。俺はまだ、お前と椅子の登録について決着つけてない」
オスワルドが少しだけ笑った。
『あれは必要な監査です』
「だったら生きてもう一回来い」
『努力します』
「努力じゃなくて生きろ」
通信が切れたあと、ネイトは長い間、暗くなった画面を見ていた。
明日も補給へ行かなければならない。
その時、ゴッデスへ何も言わずに。
◇
侵食監視器を配ったのは、その翌日だった。
レッドシューズから得た知識を、エイブとスノーホワイトが検証して作った簡易装置である。侵食を治療する機能はなく、NIMPH周辺で通常とは異なる信号活動が一定以上発生した場合に、本人とVault-Nへ警告を送るだけだった。
「これで侵食を止められるのですか?」
ピナが胸元へ取り付けながら尋ねた。
「止められない」
ネイトは即答した。
「じゃあ何のために?」
「早く見つけるため」
「早く見つければ助かる?」
「その可能性が増える」
「可能性」
「保証はしない」
ピナは少し考えたあと、装置を指で軽く叩いた。
「ないよりはいいですね」
「そういうこと」
ドロシーにも同じ装置を渡そうとすると、横からスノーホワイトが奪うように受け取った。
「自分で付ける」
「使い方分かる?」
「私も設計した」
「そうだった」
今のスノーホワイトは、その設計を行った時の自分について多くを覚えていない。それでも技術的な知識は残っており、装置を見るだけで構造と目的を理解していた。
ネイトが見つめていることに気づき、スノーホワイトが眉を寄せる。
「何だ」
「いや」
「言いたいことがあるなら言え」
「前のお前も同じ顔で、俺に説明してたなと思って」
「前?」
「思考転換の前」
スノーホワイトはしばらく黙った。
「記録にあるのか」
「ああ」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
胸元へ監視器を固定すると、そのまま武器の整備へ戻っていく。
◇
臨時監視所が襲撃を受けたのは、その二日後だった。
警報が鳴った時、ドロシーとピナは外周の確認から戻る途中にいた。最初に現れた小型群は二人だけでも問題なく処理できたが、その背後から地面を揺らしながら現れた個体を見た瞬間、ピナは足を止めた。
「……大きいですね」
「感想を言っている場合ですか」
「そうですね」
ラプチャーはニケの数倍どころではない巨体を持ち、周囲の瓦礫を押し潰しながら進んでくる。監視所の方角へ真っ直ぐ向かえば、修復した外壁など何の意味もない。
「増援を呼びます」
ドロシーが通信へ手を伸ばした。
その瞬間、別方向からの砲撃が飛んできた。
ドロシーを狙った一撃だった。
「危ない!」
ピナが彼女へ飛びつく。
二人は地面を転がり、砲撃がすぐ後ろを抉った。
「ピナ!」
「大丈夫です!」
起き上がった時には、大型個体が二人の間へ割り込んでいた。
ドロシーは反対側へ飛ばされ、崩れた構造物によってすぐには戻れない。ラプチャーは彼女のいる方向へ身体を向けた。
「ドロシー!」
ピナが銃を構えた。
火力差を考えれば、まともに撃ち合って勝てる相手ではなかった。
それでも退かなかった。
◇
最初の弾倉は装甲へほとんど通らなかった。
ピナは撃ちながら後退し、敵の視線を自分へ向ける。ラプチャーが追ってくることを確認すると、倒壊しかけた建物の間へ走り込んだ。
真正面から倒す必要はない。
自分より遥かに強い相手なら、自分だけで戦わなければいい。
瓦礫も。
高低差も。
残された爆薬も。
全部使えばいい。
ピナは崩れかけた支柱へ弾を撃ち込み、追ってきた巨体の上へ建材を落とした。ラプチャーの片脚が僅かに沈み、その隙に側面へ回って関節部へ銃撃を集中させる。
一つ。
二つ。
装甲が剥がれた。
「まだ!」
巨体が腕を振る。
ピナは避け切れず、衝撃だけで数メートル吹き飛ばされた。
地面へ転がりながらも銃を離さない。立ち上がると、今度は監視所の撤去用に置かれていた爆薬を掴み、剥がした装甲の隙間へ投げ込んだ。
爆発。
巨体が傾く。
それでも倒れない。
「本当に大きいですね……!」
息を整える暇もなかった。
ラプチャーが再びドロシーの方を向く。
「そっちは駄目です!」
ピナは自分から前へ出た。
敵が反応する。
今度は逃げずに真正面から走った。
直前で横へ飛び、踏みつけを回避する。そのまま壊れた脚部へよじ登り、露出した内部構造を足場に上へ進んだ。
ラプチャーが身体を振る。
振り落とされそうになる。
それでも片手を離さず、もう片方の手で銃を持ち上げた。
装甲の裂け目の奥。
赤い光。
「見つけました」
銃口を押し込む。
引き金を引いた。
弾倉が空になるまで撃った。
コアが砕ける。
巨体が止まった。
ピナは崩れ落ちるラプチャーから飛び降り、地面を転がった。
数秒後。
静かになった。
◇
「ピナ!」
瓦礫を越えてきたドロシーが、倒れている彼女へ駆け寄った。
「返事をしてください!」
「……聞こえています」
ピナがゆっくり身体を起こす。
「どこか壊れましたか?」
「多分、いろいろ」
「笑っている場合ではありません!」
「倒せましたから」
ピナは背後に倒れた巨大なラプチャーを見る。
「私一人で」
「ええ」
ドロシーの声が震えた。
「あなたが倒しました」
「ゴッデスみたいでした?」
ドロシーは一瞬言葉を失った。
「……ええ」
そして、涙を浮かべながら笑った。
「今のあなたは、誰よりも勝利の女神でした」
ピナも笑った。
その直後。
胸元から警告音が鳴った。
二人の顔から笑みが消える。
「何です?」
ピナが自分の監視器を見る。
赤い表示。
侵食反応。
異常上昇。
「ピナ」
ドロシーの声が変わった。
「私は……」
ピナの身体が痙攣した。
◇
Vault-Nでも同じ警報が鳴っていた。
「対象は!」
「プロダクト23、ピナ!」
エイブが端末を開き、波形を確認する。
「位置は監視所近辺。進行が速い」
「隔離器は?」
「試作三号を持っていけ」
ネイトはすでに走り出していた。
「使えるのか!」
「模擬環境では!」
「実戦は!」
「初めてだ!」
「最高だな!」
「喜ぶところじゃない!」
エイブの声を通信で聞きながら、ネイトは車両を出した。
試作三号はレッドシューズが拘禁下で提案し、エイブが安全性を検証して組み直した侵食隔離装置だった。侵食コードを消去する物ではなく、複数の経路へ分散しながら進む信号を限定領域へ追い込み、本人の主要な運動命令から切り離すことだけを目的にしている。
成功する保証はない。
現実の侵食個体へ使ったこともない。
それでも、何もないよりはよかった。
◇
ネイトが到着した時、ピナは地面へ膝をついていた。
瞳は赤く変わり、身体は本人の意思とは別の動きを始めようとしている。ドロシーは数歩離れた場所に立ち、拳銃を両手で握っていた。
「ドロ……シー……」
「ここにいます」
「早く……」
「嫌です」
「私が……あなたを……」
ピナの右腕が跳ねる。
ドロシーが銃を構えた。
「お願い……します……」
銃口がピナの額へ向く。
「ドロシー!」
ネイトの声に、彼女が振り返った。
「撃つな!」
「侵食されています!」
「分かってる!」
「ではどうしろと言うのです!」
ネイトは二人のところへ滑り込み、隔離器を取り出した。
「試す」
「何を?」
「助ける方!」
ピナが苦しそうに首を振る。
「ネイト……さん……駄目……」
「何が」
「私が……動いたら……」
「止める」
「ドロシーを……」
「させない」
「でも……」
ネイトは接続器を持ったまま、彼女を見る。
「勝手にはやらない。これを使っていいか?」
赤い目が揺れた。
「治る……?」
「分からない」
「失敗したら?」
「そこで次を考える」
「……ずるい」
「よく言われる」
ピナは僅かに笑った。
「お願いします」
「了解」
◇
隔離処理を動かした瞬間、ピナの身体が大きく跳ねた。
「押さえて!」
通信越しのエイブが叫ぶ。
ドロシーが銃を捨て、ピナの肩を掴んだ。
「ピナ! 私を見てください!」
「離れ……て……!」
「嫌です!」
「危な……」
「あなたが私を守ったのでしょう!」
ピナの腕が震える。
「今度は私の番です!」
ネイトは端末から目を離さなかった。
一つ目の隔離領域を閉じる。
侵食信号が別経路へ逃げる。
「右へ逃げた!」
『予測範囲内だ。第二層を使え!』
「入れる!」
第二層。
侵食が再び移動する。
「まだ来る!」
『だから三段ある!』
「先に言え!」
『設計書を読め!』
「今度読む!」
ピナの指がドロシーの腕を掴んだ。
力が強すぎる。
「ドロシー!」
「離しません!」
「骨折れるぞ!」
「構いません!」
「それは構え!」
ドロシーはそれでも手を離さなかった。
「ピナ! 自分の名前を言ってください!」
「……」
「ピナ!」
「……ピ……」
「もう一度!」
「ピナ……」
「もう一度!」
赤い瞳がドロシーへ向く。
「ピナ……です」
「そうです!」
侵食信号が一瞬だけ乱れた。
ネイトはその瞬間に第三隔離層を起動する。
波形が大きく跳ねる。
数秒。
十数秒。
そして、運動系へ向かっていた異常信号が急激に減少した。
「エイブ!」
『固定しろ! 今だ!』
ネイトが隔離状態をロックする。
ピナの身体から力が抜けた。
「ピナ!」
ドロシーが抱き止める。
「死んでない!」
ネイトはすぐに神経活動を見る。
「意識が落ちただけだ。侵食も消えてない。でも、今は閉じ込めてる」
ドロシーは何も答えなかった。
ただ、ピナを強く抱いたまま離れなかった。
◇
ピナが目を覚ましたのは、その日の夜だった。
侵食は残っていた。
隔離領域の向こうで動き続けており、装置を外せば再び本人へ干渉する可能性もある。それでも今のピナは自分の意思で会話でき、自分が誰なのかも、何をしたのかも覚えていた。
「Vault-Nへ移す」
ネイトが言う。
「嫌です」
「即答?」
「まだ封鎖は終わっていません」
「患者だぞ」
「戦いません」
「本当に?」
「ドロシーのそばにいます」
ネイトはドロシーを見る。
「説得して」
「嫌です」
「何で!」
「本人が残りたいと言っています」
「お前ら今日だけで頑固さ上がってない?」
「元からです」
ピナが笑った。
最終的には、隔離器を常時接続し、少しでも侵食反応が上昇すれば強制的にVault-Nへ移送することを条件に残留が認められた。ドロシーも監視を引き受け、スノーホワイトが装置の状態を毎日確認することになった。
「自分で判断できなくなったら?」
ネイトが尋ねる。
ピナはしばらく考えた。
「ドロシーに任せます」
「私は?」
ドロシーが聞く。
「撃つ前にネイトさんを呼んでください」
「……分かりました」
「俺、何担当なの?」
スノーホワイトが端末から顔を上げた。
「面倒事処理係」
「誰から聞いた、それ」
「知らない。何となくそう思った」
ネイトは一瞬だけ黙った。
思考転換前のスノーホワイトも、似たようなことを言っていた気がする。
「……そういうのは残るんだな」
「何が?」
「何でもない」
◇
最後の作業が終わった。
地上側の設備を停止し、ラプチャーが利用できる経路を破壊し、アーク内部へ続く大規模な輸送路も閉じられた。ゴッデスは約束された仕事を、最後までやり切った。
臨時監視所の通信端末が鳴った。
ドロシーがすぐに応答する。
画面にオスワルドが現れた。
ネイトは部屋の外にいた。
入らなかった。
この言葉を受けるのは、まずゴッデス自身であるべきだと思ったからだった。
『アークの封鎖作業が完了しました』
ドロシーの顔に、久しぶりの笑みが浮かぶ。
「では、入口を開けてください」
オスワルドが黙った。
「オスワルド?」
『皆様へ、まず感謝を申し上げます』
「それは中で聞きます」
『ゴッデス部隊がいなければ、アークの封鎖は成功しませんでした。皆様の戦いは記録され、人類の歴史へ残されます』
ドロシーの笑みが少しずつ消える。
「何を言っているのです?」
『申し訳ありません』
「何が?」
『アークの扉を開くことはできません』
部屋から音が消えた。
「……もう一度言ってください」
『アークは完全に封鎖されました』
「分かっています」
ドロシーはまだ冷静だった。
「ですから、私たちを収容するために一度開けてください」
『できません』
「なぜ?」
『中央政府全体の決定です』
ネイトは廊下で目を閉じた。
嘘ではない。
だが、全部でもない。
「私たちはどうなるのです?」
『地上へ残っていただきます』
紅蓮が立ち上がる。
ラプンツェルが目を閉じる。
スノーホワイトは表情を変えず、画面だけを見ていた。
ピナはベッド脇の椅子から、ゆっくりドロシーを見る。
「ふざけないでください」
ドロシーの声が低くなった。
『申し訳ありません』
「その言葉は聞きました」
『……はい』
「私たちは戦いました」
『存じています』
「リリスを失いました」
ネイトは廊下で拳を握った。
「レッドフードもいません。指揮官もアークへ行ったきり戻らない。何人もの量産型が死にました」
ドロシーの声が震え始める。
「ピナも、あと少しで死ぬところだった!」
ピナが彼女の袖へそっと触れた。
「それでも続けたのです!」
『はい』
「なぜだと思います?」
オスワルドは答えなかった。
「終われば、私たちもアークへ行けると思ったからです!」
『……はい』
「楽園へ!」
ドロシーが机へ手をついた。
「だから最後までやった!」
返事はなかった。
しばらくして、ドロシーはピナの手を掴んだ。
「なら、この子だけでも」
『……』
「ピナはゴッデスではありません」
「ドロシー?」
ピナが驚いたように彼女を見る。
「量産型です。侵食も今は隔離されています。治療設備が必要です」
『できません』
「どうして!」
『扉は開けられません』
「一人です!」
『申し訳ありません』
「一人くらい入れられるでしょう!」
ドロシーの声が裏返った。
「この子はあなたたちのために戦った! 自分より何倍も大きなラプチャーを一人で倒したんです!」
ピナが俯く。
「それでも駄目だと言うのですか!」
『……はい』
オスワルドの声は変わらなかった。
「あなたは」
ドロシーの顔から、最後に残っていた希望が消えた。
「本当に、人間なのですか」
画面の向こうでオスワルドが僅かに目を伏せる。
『その問いに、今の私が答える資格はないと思います』
「開けなさい」
『できません』
「オスワルド」
『はい』
「開けて」
今度の声は、命令ではなかった。
『……申し訳ありません』
通信が切れた。
◇
ドロシーはしばらく画面の前から動かなかった。
再接続する。
繋がらない。
もう一度。
反応しない。
アーク側の通信経路そのものが閉じられていた。
「ドロシー」
ピナが呼んだ。
「少し待ってください」
「ドロシー」
「今、繋ぎ直しますから」
「終わりました」
「終わっていません!」
ドロシーが振り返った。
怒っている。
泣いている。
どちらなのか、自分でも分からないような顔だった。
「私たちは全部やったでしょう!」
「はい」
「約束を守った!」
「はい」
「なら、どうして!」
ピナには答えられなかった。
誰にも答えられない。
廊下の向こうで、ネイトだけは理由を知っていた。
だが今、それを口にすることはできなかった。
守るためだった。
拘束されないためだった。
処分されないためだった。
そう説明したところで、選択肢を奪われた事実は消えない。
オスワルドがゴッデスを守ろうとしたことと、ドロシーが裏切られたことは、同時に存在していた。
「ネイトさん」
スノーホワイトの声がした。
気づけば彼女が扉のところに立っていた。
「聞いていたのか」
「聞こえる」
「そうだな」
スノーホワイトは室内を見る。
「入らないのか」
「今は俺の番じゃない」
「そうか」
彼女も理由を聞かなかった。
◇
夜になっても、アークの扉は開かなかった。
地表から見える入口は、巨大な壁の一部へ変わっている。人類はその向こうで生き延び、地上に残されたゴッデスは、その生存のために戦ったにもかかわらず外へ置き去りにされた。
ドロシーは壁から少し離れた場所に座っていた。
隣にはピナがいる。
侵食隔離器の表示は安定している。
「ピナ」
「はい」
「楽園へ行けませんでした」
ピナは少し考えた。
「そうですね」
「あなたまで巻き込んだ」
「私は自分で残りました」
「でも」
「ドロシー」
ピナは彼女を見る。
「私たち、何を約束しましたっけ」
「……楽園へ」
「一緒に行く」
ドロシーの目が揺れる。
「アークへ、ではありません」
「でもアークが楽園だったのでしょう」
「今日までは」
ピナは壁を見る。
「違ったみたいです」
ドロシーは何も言わなかった。
「だったら、別のところを探せばいいんじゃないですか」
「そんな簡単に」
「簡単とは言ってません」
ピナは手を差し出した。
「でも、私はまだ生きています」
ドロシーがその手を見る。
数日前なら、この手はなかったかもしれない。
侵食されたピナへ、自分で銃口を向けていた。
「あなたは」
ドロシーの声が震える。
「どうして、そんなことが言えるのですか」
「量産型だからでしょうか」
「関係ありません」
「では、性格です」
ドロシーが僅かに笑った。
泣きながらの、ほんの小さな笑いだった。
「ずるいですね」
「誰かに似ました?」
「いいえ」
ドロシーはピナの手を握った。
「あなたは、あなたです」
閉ざされたアークの前で、二人はしばらく何も言わなかった。
楽園の扉は開かなかった。
約束された場所にも入れなかった。
それでも、ドロシーの手の中にはまだ一つ、失わずに済んだものが残っていた。
だからこそ、その夜の絶望は消えなかった。
ピナが生きていることと、人類に捨てられた痛みは、別のものだった。